「成長と雇用」重視、雇用創出で公約
―オランド新政権が発足―
フランス大統領選挙は5月6日の決選投票で、社会党のオランド前第一書記(党首に相当)が勝利した。社会党はミッテラン氏以来、17年ぶりに政権に復帰した。雇用問題の悪化が現職のサルコジ氏にとって致命傷になったと見られている。オランド氏は、緊縮財政ではなく、「成長と雇用」を重視する方針を強調し、いくつかの雇用創出の公約を示している。
決選投票で過半数超え
フランスの大統領選挙は、第1回投票でいずれの候補者も過半数を獲得できなかった場合、得票数上位2候補で決選投票が実施される。今回の大統領選挙は10人の候補者で争われ、第1回投票が4月22日に実施された。その結果、社会党のフランソワ・オランド候補(注1)が首位に立ったが、得票率は28.63%で、得票率27.06%で2位につけたニコラ・サルコジ氏との決選投票にもつれ込んだ。再選を目指す現職大統領が、第1回投票で首位を逃したのは第5共和制開始(1958年)以降初めてのこと。ただ、オランド氏とサルコジ氏の得票率の差はほとんどなく、事前予想の割にはサルコジ氏が善戦したとの見方もある。
また、この第1回投票で、極右政党・国民戦線FNのマリーヌ・ルペン党首が18.3%の得票率を獲得し、これは2002年の大統領選時における実父、ジャン・マリー・ルペン氏の得票率を上回った(注2)。今回のルペン氏の予想外の得票率は、フランスにおいて移民排斥感情が根強いことを改めて浮き彫りにする結果となった。今年3月にフランス南部のトゥールーズで発生した移民出身者による銃乱射事件(多数の死傷者が出た)が影響したとも考えられる。
第2回投票の結果は、オランド氏が51.68%で過半数を占め、サルコジ氏を下した。これにより、1995年に当時のミッテラン氏が大統領を退任して以来17年ぶりに社会党大統領が誕生することとなった。再選を目指した現職大統領が敗れたのは、ジスカール・デスタン氏以来31年ぶりの出来事。オランド氏は5月15日、正式に大統領に就任した(任期は5年、再選は1度まで可能)。
サルコジ氏はなぜ敗れたか
では、なぜ現職の大統領が敗北することになったのだろうか。増税を伴う緊縮財政(消費税率の順次引き上げ)、年金の受給開始年齢引き上げ、このほか傲慢さや品格の無さなどが国民の反発を招いたなど数々の要因があげられているが、最も致命傷となったのは雇用問題と見る向きが多い。フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると、サルコジ前大統領就任時の失業率は2007年第2四半期で8.5%。同氏は5年間で失業率を5%へ下げることを公約に掲げこの大統領選(2007年)を戦った。しかし、その後雇用状況は改善せず、結局2011年第4四半期で9.8%と10%近い水準で高止まっている。逆に言えば、オランド氏の勝利が、公約が積極的に支持された結果であると結論付けるのは難しいだろう。実際、決選投票においても、両者の得票率の差は僅か3ポイントであり、国民の間での支持が伯仲していたことを示している。
オランド新大統領の雇用に関する公約
オランド氏は、選挙公約で変革を標榜し、10年に及んだ右派政権による政策からの変化を訴えた。就任演説でも、財政再建を目指すものの、緊縮財政ではなく、成長と雇用を重視する方針を掲げ、サルコジ氏との政策の違いを強調した。すなわち、経済成長が無いまま緊縮財政を強行すれば、景気が悪化し税収も減少、その結果財政赤字も増加するというのがオランド氏の主張であった。雇用に関する公約としては、下記のものが挙げられる。
- フランス国内に投資する企業(工場などの事業所を開設する企業)に対して、助成金支給や税・社会保障負担の軽減を行う一方、事業所を海外移転させる企業に対しては、公的助成金の返還を求めることで、産業の空洞化を防ぐと共に雇用創出を促進させる。
- 若年層や女性、非熟練労働者に多く見られる不安定な雇用に関する対策として、これら雇用を乱用する企業に対して、失業保険の保険料率を引き上げる。
- 若年者の就業を促進するため、15万人の雇用支援を実施(注3)。
- 超過勤務手当に対する税・社会保険料の減免措置を見直す(注4)。また、有配当企業が従業員の解雇をする場合のペナルティーを強化する(罰則の具体的内容は不明)。
- 教育関係のポスト(学校教員など)を、向こう5年間で6万人増加させる。
- 建物の断熱工事を促進させ(省エネ住宅の普及促進、年間100万軒)、それにより、数万人の雇用を創出させる。
なお、公的年金の支給開始年齢の見直しに関しては、完全年金(フルペンション)受給に必要な保険料拠出期間(現在は、41.5年)保険料を拠出した者に対しては、60歳からの年金受給を可能にすることを公約に盛り込んでいる。
エロー氏を首相に指名
オランド新大統領は正式就任した5月15日、ジャン=マルク・エロー(Jean-Marc Ayrault)氏(注5)を首相に指名した。フランスでは、大統領が主に外交・国防を、首相(及び内閣)が主に内政を担当する。閣議は、大統領が主催し、原則として、首相及び全閣僚が出席する。
また16日には34人の閣僚を任命、エロー内閣が発足した。オランド大統領は公約を守り、閣僚のうち半数の17人が女性であった。閣僚には社会党からだけでなく、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党からセシル・デュフロ党首を、住宅・国土平等相に起用した。労働・雇用・職業訓練・社会対話相(ministre du travail, de l’emploi, de la formation professionnelle et du dialogue social)にはミシェル・サパン(Michel Sapin)氏を、移民や治安を担当する内相にはスペイン出身のマニュエル・ヴァルス(Manuel Valls)氏を起用した。
新政権の今後
フランスでは、6月10日(第1回投票)及び17日(決選投票)に、国民議会の総選挙(下院の全577議席、完全小選挙区制)が行われる。国民議会での多数派を左派が奪うことが出来ない場合、右派が首相ポストを握ることとなる。従って、現内閣は、総選挙が終了するまでは選挙管理内閣的な意味合いが強い。各種世論調査によると、現在のところ6月における国民議会選では、社会党などの左派が勝利する可能性が高い。しかしながら、もし総選挙で右派が勝利した場合、左派の大統領と右派の首相による保革共存政権となり、オランド大統領の掲げた公約(特に内政面)の実行は極めて困難となる可能性がある。
注
- オランド新大統領は、フランス北部のルーアン生まれ。グランド・ゼコール卒業後、1981年大統領府の経済担当官に就任(当時の大統領は社会党のミッテラン)。1988年以降はフランス中部コレーズ県の国民議会議員を務める(1度落選)。1997年から2008年まで社会党第一書記を務めるが、閣僚経験はない。2007年の社会党大統領候補であったロワイヤル氏とは20年以上事実婚の関係にあったが、2007年の大統領選決選投票日の投票締め切り直後に別離が正式に発表された。
- ジャン・マリー・ルペン氏はこの選挙で得票率2位となり、シラク大統領(当時)との決選投票に進んだ
- 公約では、「将来のある雇用(emploi d’avenir)を創出」としか表現していないが、特殊雇用契約などの創設が考えられる。
- サルコジ大統領の目玉政策であった「より稼ぐために、多く働く」政策を見直す意味合いがある。零細企業以外ではこの減免措置を廃止する方針。
- エロー新首相は、1950年労働者階級の家庭に生まれた。ナント大学でドイツ文学を学んだ後、ドイツ語教師となる。26歳の時(1976年)に、フランス西部のロワール・アトランティック県の県議会議員に当選、翌1977年、同県のサン・テルブラン(ナント市近郊)の市長に就任。1986年以降国民議会議員を務め、1989年以降は、ロワール・アトランティック県の県都であるナント市の市長も兼務している(フランスでは、市長と国会議員の兼務が認められている)。1997年以降は、社会党の国民議会議員団長を務めていたが、オランド新大統領と同様、閣僚経験は無い。また、中央政界に多いグランド・ゼコール出身者でもない。人物像としては、誠実で実務に長けているとの評価が一般的。また、ドイツ語に堪能でドイツ通であることから、オランド大統領の登場で両国関係の悪化が懸念される中、仏独関係重視のメッセージをメルケル・ドイツ首相に送る意味合いもあったとされる。
出所
- 海外情報収集協力員
関連情報
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:掲載年月からさがす > 2012年 > 6月
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:国別にさがす > フランス記事一覧
- 海外労働情報 > 国別労働トピック:カテゴリー別にさがす > 雇用・失業問題
- 海外労働情報 > 国別基礎情報 > フランス
- 海外労働情報 > 諸外国に関する報告書:国別にさがす > フランス
- 海外労働情報 > 海外リンク:国別にさがす > フランス