「生活賃金」3%以上の引き上げ率
―労働者全体の平均賃上げ率を上回る

カテゴリー: 労働条件・就業環境

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  • 国別労働トピック:2012年12月

最低限の生活水準の維持に必要な賃金を推定した「生活賃金」の改定額が11月、関係機関から発表された。ロンドン、それ以外の都市とも引き上げ率は3%以上で、全労働者平均の賃上げ率1.7%を上回っている。法定最低賃金と異なって企業には遵守義務はないが、採用組織は地方自治体や大企業を中心に増えつつある。就労世帯の貧困化の進展を指摘する報告書も発表されている折り、「生活賃金」の効用について評価は様々だ。

市民団体が主導、企業が自主的に導入

生活賃金(living wage)キャンペーンは、労組や宗教団体、非営利組織などが結成した市民団体(現Citizens UK)が中心となって2001年にロンドンで開始した運動で、最低限の生活の質を維持するために必要な賃金額を算定(注1)し、雇用主に自主的な取り組みとして導入を求めるもの。2005年に当時のロンドン市長が導入を決めて以降、導入組織は公共部門や非営利組織に留まらず、医療や金融などの民間企業に拡大した。導入組織には、18歳以上の被用者および条件を満たす請負労働者(注2)に生活賃金以上の賃金を支払うほか、生活賃金額に改定があった場合も6カ月以内にこれに準じた賃金改定を行うことが求められる。2011年に開始された認証制度(注3)により認証を受けた組織は全国でおよそ100組織にとどまるが、従来からの導入組織(未認証)はロンドンだけでも200組織にのぼるという。また2012年には、宿泊業で初めてインターコンチネンタル・ホテルが導入を決めるなど、低賃金職種の労働者を多く抱える業種にも拡大しつつある。

ただし、実際的な影響は今のところ小規模にとどまる。ロンドン大学のジェーン・ウィルス教授の試算によれば、2005年から2012年の間にロンドンで1万4367人、ロンドン以外の地域で約3万人が生活賃金導入の恩恵を受け、1億6266万ポンド相当の賃金増に寄与した(注4)。会計事務所KPMGが改定額の発表に先立って10月に公表した調査レポートによれば、イギリス国内の生活賃金未満の労働者は482万人。多くは販売・小売補助のほか、バーの店員、飲食店の給仕係などの職務に従事している(注5)。

今回の改定では、ロンドンが時間当たり8.55ポンド、ロンドン以外が7.45ポンドでいずれも25ペンス引き上げられた。金額は、10月に改定された最低賃金額6.19ポンドのそれぞれ1.4倍、1.2倍に当たる。対前年比の引き上げ率は3%以上で、2012年6-8月期の労働者全体の平均賃上げ率1.7%を上回っている。

表:生活賃金額の推移(時間当たり・ポンド)
  2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
ロンドン 6.70 7.05 7.20 7.45 7.60 7.85 8.30 8.55
ロンドン以外       6.88*     7.20 7.45
全国最低賃金 5.05 5.35 5.52 5.73 5.80 5.93 6.08 6.19
  • * 単身世帯の額。なお、子供2人のカップルについては13.76ポンド、子供1人の一人親は6.13ポンド。
  • 参考:"Unison Factsheet: The Living Wage"

生活賃金に対する評価はまちまちだ。導入組織は、従業員の離職率や欠勤率の低下、従業員の仕事の質の向上、生産性の向上などの効果を挙げ、結果的に企業にとってコスト削減につながり得ると述べている。また低賃金労働者の所得増加により、低所得層向け給付(税額控除)のコスト圧縮効果も期待できるとの議論もある。ウィルス教授は、ロンドンの全ての低賃金層が生活賃金を支払われる場合、税収増と給付減により年間で8億2300万ポンドの節約効果があると試算している。

一方で、生活賃金の効果を疑問視する声もある。例えば、低賃金層の賃金水準の引き上げは、現在受けている税額控除の削減により相殺され、実際の所得引き上げの効果はごくわずかだとするものだ。また、生活賃金の導入によって企業としてのステータスが高まることが必ずしも収益に影響しない(例えば一般の消費者を直接の顧客としない)企業には、普及は難しいのではないかといった見方もある。

イギリス労働組合会議は、導入組織を賞賛しつつも、大企業を中心により多くの企業に生活賃金を支払う経済的な余裕があるはずだとして、導入組織の一層の拡大を求めている(注6)。また、野党労働党も生活賃金の普及を支持しており、次回選挙に向けた公約として、政府調達において生活賃金レベルの賃金支払いを参加条件とし、これに違反した企業名を公表するとの意向を明らかにしている。一方、イギリス産業連盟やイギリス商業会議所は、生活賃金導入の是非は個別の企業の判断にゆだねられるべきであるとして、制度化をけん制している。また小企業連盟は、会員企業はより高い賃金を支払いたいと考えており、その利益についても認識しているが、景気低迷や燃料価格の高騰などで資金繰りに必死な中で、その余裕はないとコメントしている。

政府も生活賃金自体には賛意を示すものの、企業などにこれを義務付ければ雇用に悪影響を及ぼしかねないとして、自らこれを後押しすることには難色を示している。生活賃金を政府調達の条件とする労働党案についても、EU法違反となる可能性があるとして批判的だ。

就労世帯の貧困が深刻化

統計局が11月に公表した報告書によれば、過去25年間を通じた実質賃金上昇率は、高所得層ほど高い傾向にあるが、1997年以降については最低所得層1%における上昇率が5割と最も高く(図参照)、1999年に導入された全国最低賃金の影響がうかがえる。ただし、下位10%にかけて上昇率は急速に低下、最低賃金制度が必ずしも広範な低賃金層の賃金水準引き上げに寄与していないことを示している。

図:期間別実質賃金上昇率(百分位、%)

図:期間別実質賃金上昇率(百分位、%)1986-1998年、1998-2011年

  • 注:フルタイム被用者のみ。時間外労働を除く。
  • 参考:"Real wages up 62% on average over the past 25 years.", ONS

また、貧困や社会的疎外などの問題を扱うジョセフ・ローンツリー財団が11月に公表した報告書は、就労世帯における貧困層の増加を示している。就労者の居る低所得世帯(全世帯の世帯当たり中位所得の6割未満)に属する成人は、2010年度までの10年間で100万人近く増加して400万人に達しており、2005年以降は就労者の居ない低所得世帯の成人人口(300~350万人で推移)を上回っている(注7)。加えて、不況の影響から、フルタイムの仕事を希望しながらパートタイム労働に従事している層が2009年以降50万人増加して140万人(パートタイム労働者全体の18%)にのぼり、失業者および就労を希望する非労働力層と合わせた「不完全雇用」の規模は640万人と記録的な水準に達している(注8)。

報告書は、貧困の理由は就労の有無のみによるのではなく、また低所得世帯は必ずしも固定化していないと分析(注9)。貧困を無就労の問題と捉え、対策の中心に給付制度改革を通じた就労促進の強化を据える政府の施策では、就労世帯の貧困や不完全雇用の拡大といった問題は解決しないとの見方を示している。

参考資料

参考レート

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