メキシコ南東部オアハカ州で教職員組合が長期化

カテゴリー:労使関係

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  • 国別労働トピック:2006年12月

メキシコ南東部、太平洋に面したオアハカ州は、観光地として知られる一方、インディオ系住民の多い、国内でも最も貧しい地方の一つでもある。このオアハカ州で5月に始まった教職員組合のストは、その後同州のウリセス・ルイス知事追放を求める政治社会紛争に発展し、すでに半年を経た現在も収束の見込みはついていない。

これまでの経緯は以下のとおり。

5月15日、オアハカの教職員組合が給与等の待遇改善を求めて州都オアハカ市で6万人のデモを行うが、州政府からの返答がないまま22日には7万人が無期限ストを開始(これにより同州の児童生徒100万人の授業に影響)。

6月1日、オアハカ州議会は州知事に連邦予防警察(PFP)の介入を要請、2日にはスト中の教職員を支持する8万人規模のデモが行われた。またPFPの突撃が近いとの噂が流れ、これを機に州議会、市役所、広場、裁判所、大学等で労働者の動員が始まり、大学は教職員の運動を支持する学生により占拠された。7日に行われた連帯デモでは、ルイス州知事に対する「人民裁判」が行われるなど、教職員の待遇改善要求という労働紛争を超えた政治紛争(ルイス州知事追放の要求)に発展した。

6月14日、ルイス州知事は対話を約束するが、その直後に市役所周辺で座り込みを続けていた教職員の強制排除を命令。州の治安当局は催涙ガスを用いるなどし、一般市民も巻き添えとなり多数の重軽傷者が出た。また、この強制排除がきかっけとなり、教職員組合のほかインディオ系住民団体や農民団体などが「オアハカ人民会議(APPO)」を結成。ルイス同州知事の辞任要求を始める。APPOの運動はその後次第に急進化し、州知事追放だけでなく州政府・州議会・州司法権のすべての消滅を要求するにいたった。この時点で対話のルートは決裂し、市内各地で小競り合いが繰り返されるようになった。

6月15日、内務省の仲裁のもとにオアハカ州政府と同州教職員組合の話し合いが持たれたが、交渉は19日に決裂。7月2日の大統領選挙を目前に控え、内務省は教職員側に一時休戦を申し入れるが、教職員側はこれを拒否、但し選挙妨害などは行わないことを約束した。州の企業関係者や親達からは、授業再開の声が強まり、教職員組合は授業再開時期について検討を始めるものの、紛争やもはや当初の労働紛争をかけはなれた運動に発展しており、州政府とAPPOの双方が強硬姿勢を崩さない中、内相との交渉も授業再開もめどがたたないまま紛争は長期化。

11月22日、APPO代表はバチカン大使に会見してオアハカの状況を説明し、法王ベネディクト16世の仲介を求める書簡を渡した。同日、メキシコ人民会議(APPM)や先住民団体のメンバーらがメキシコシティーにある各国大使館前でデモを行い、フォックス政権およびルイス州知事による抑圧を告発、ベネズエラ大使館では臨時代理大使に渡したメッセージを同国マスメディアで報道するよう要求している。他方、APPOは紛争が始まって以来犠牲者17名、行方不明者70名を出したほか、暴行事件も多発したとして、これを国連に訴えているが、国連ではメキシコ政府の要請があれば仲裁を引き受けることもありうるとの姿勢を示している。

以上のように、オアハカ州は現在、教職員組合のストが政治社会紛争へと発展しており、現在でもその行方は不透明である。教職員組合の待遇改善要求は、あくまでも紛争のきっかけにすぎず、今回の問題の背景には、70年以上同州を治めてきた制度的革命党(PRI)に対する市民の不満があるとする意見もある。

確かにオアハカ州の教職員の労働条件が劣悪であったこと、貧しい先住民が経済発展から取り残され行政責任者から忘れられたままでいることをあえて疑う必要はなく、民衆による反政権運動が潜在的に存在することも不思議ではない。しかし、APPOが本当にこうした市民の利益を代弁しているということについては、疑問の声も出ている。

APPOの運動は教職員の待遇改善要求を超えて一人歩きし始めたが、それだけでなく、教室への復帰を決めた教職員の一部からはAPPOに対するきわめて明確な批判すら出ている。それは、「APPOは人権や自由を抑圧する腐敗しきったPRIの支配体制に対するオアハカ民衆の戦いなどでなく、野党民主革命等(PRD)の急進派を中心とする暴力的な左翼勢力による包囲と占拠であり、その被害をこうむっているのはほかならぬ一般市民である」というものである。

純粋な労働紛争や根深い貧困問題を原因としながら、非常に複雑化しているオアハカ問題。7月2日に実施された大統領選挙で誕生したカルデロ(与党PAN)新政権が、どう処理していくのかが注目されている。

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