国際労働運動の歴史と国際労働組合組織

カテゴリー:労使関係

ITUC(旧ICFTU)の記事一覧

  • 国別労働トピック:2005年2月

1.国際労働運動の歴史

労働組合運動は、18世紀後半からの産業革命の進展に伴い、広範な労働者階級が形成され、その組織化が行われたことに始まる。1868年には、最初のナショナルセンターとして、イギリス労働組合会議(TUC)が結成され、1886年にアメリカ労働総同盟(AFL)、1891年にドイツ労働組合委員会(後の総同盟)とオーストラリア労働組合中央評議会、1897年に全日本民間労働組合連合会が誕生した。こうした労働者の組織化は、各国内にとどまらず産業別組織の国際的統一が進められた。1889年には、煙草製造工、製靴工、活版印刷工などの国際組織が結成され、1890年には国際炭鉱夫連盟が誕生した。しかし、国際労働組合組織の結成は、20世紀を待たねばならなかった。

1886年に結成された全スカンジナビア労働者会議が発展し、1903年、9カ国の労働団体が参加する国際労働組合書記局(ITUS)が設立された。1910年にはアメリカ労働総同盟が加盟し、1913年には、19労働組合団体、770万人を擁する国際労働組合連盟(IFTU)の結成に発展した。しかしその後勃発した第1次世界大戦によりIFTU創立大会は中止され、すべての活動は停止に追い込まれた。終戦後の1919年、アムステルダムにおいてIFTUの設立総会が開催され、労働組合の国際戦線の統一、各国労働運動に対する協力援助、国際労働立法の促進等、1919年から1945年までの活動の基礎となる基本原則が決定された。また国際産業別組織も再建に着手し、1921年末までに29組織がITFUの援助を受けつつ活動を再開した。その後、IFTUは、1919年の国際労働機関(ILO)の設立に貢献し、1933年のドイツにおけるナチス政権の誕生後は、本部をベルリンからパリに移し、反ファシズム闘争で重要な役割を果たした。第2次世界大戦勃発後は、ロンドンの新しい本部で活動を続け、戦後労働運動の礎を築いた。

1945年2月、ロンドンにおいて第1回世界労働組合会議がイギリス、アメリカ、フランス、ソ連、中国を含む40余カ国、6000万人の組織労働者を代表する204人の代議員の出席により開催された。同会議は、新しい国際組織の必要を認め、その準備のための組織委員会の設置を決議した。これを受けて、1945年9月、パリにおいて、56カ国65団体、6700万人を代表する187人の代議員及び17の国際産業別組織の代表等が出席する第2回世界労働組合会議が開催され、世界労働組合連盟(WFTU)の結成が決定された。

しかし、各国労働組合の自主性と自立性を認め合いながら全体的な調和と共同を目指す英米等の労働組合と中央集権主義により世界の労働組合を一定の方向に指導しようとするソ連側組合の考え方が激しく対立、1949年3月、TUC、アメリカ産別会議(CIO)等が「自由な国際労組組織」の結成を宣言し、世界労連は結成4年にして分裂した。

AFL、CIO、TUCは新国際組織の結成準備を進め、1949年11月28日、ロンドンに53カ国、4800万人の組織労働者を代表する労組幹部261人が集まり、結成大会が開催された。12月7日、新組織の規約が採択され、国際自由労働組合連盟(ICFTU)が正式に発足した。

第2次世界大戦後は、米ソを中心とした東西両陣営の対立が続き、国際労働運動もWFTUとICFTU、両組織間の激しい対立が続いた。

日本の労働組合の国際労働運動組織との関係では、同盟が一貫してICFTUとの連携・交流を進めた。一方総評は「組織的中立」の方針の下、ICFTUとWFTUとの間で連携関係を様々に変化させたが、1980年代に「民間先行」労戦統一の動きが生じてからは、徐々に国際自由労連との連携を強化した。1977年のICFTU東京事務所の閉鎖に伴い、国際自由労連・日本加盟組織連絡協議会(ICFTU・LC)が結成され、日本加盟組織とICFTU本部やアジア太平洋地域組織(APRO)との連絡・調整、日本におけるICFTUの広報活動などを行った。1987年には民間労組が結集して民間「連合」が結成され、さらに1989年11月民間「連合」と官公労組の大多数が結集して連合が結成された。これにより初めて日本の統一したナショナルセンターによるICFTU一括加盟が実現し、ICFTU・LCは組織を解散した。

2.国際自由労連の概要

国際自由労連(ICFTU)の基本目標は、創立宣言のスローガン「パンと自由と平和」という言葉に要約される。その規約前文において、1)社会正義と完全でかつ人間らしい生活を営む機会、2)勤労と雇用選択の自由、3)雇用ならびにこれに基づく収入の保障、4)自由交渉の機関としてその権限を構成員自身に由来する労働組合の結成やこれへの参加による相互利益の擁護、5)政府を変更しうる民主的手段――などの権利が全ての個人に保障されなければならないと宣言している。また、自由な労働と経済民主主義とを基礎とする一般の福祉、社会正義と社会保障の実現が恒久平和を築き上げる基礎であり、人間の自由という大儀を擁護し、すべての人々に対する機会均等の実現を推進し、世界のあらゆる所において、人種・宗教・性別ないしは出身に基づくすべての形の差別待遇や従属状態の一掃に努め、またすべての形の全体主義や侵略に反対しこれと闘う、と宣言している。

ICFTUには、2004年12月現在、世界152カ国の234組織が加盟し、合計で1億4800万人の組合員を擁している。ブリュッセルに本部を置き、アフリカ(AFRO、ナイロビ)、アジア太平洋(APRO、シンガポール)、汎米州(ORIT、カラカス)の3つの地域組織がある。

ICFTUの最高機関は、4年に1回開催される大会であり、財政報告、活動提案、規約改正、役員選出、地域組織の活動報告などが審議される。大会に次ぐ機関は、47人の執行委員(アフリカ6人、アジア7人、西アジア1人、中東2人、オセアニア2人、欧州17人、中南米6人、北米5人、西インド諸島1人)で構成される執行委員会である。今大会では、パレスチナ労働組合総連盟(PGFTU)及び2800万人の労働者を組織するロシア独立労働組合連盟(FNPR)の代表が初めて執行委員に選ばれた。執行委員会はICFTUの活動を指導し、大会の決定や勧告を履行する責任を有する。最低年1回以上開催される。その他に委員19人からなる運営委員会(年2回以上開催)や各種活動を処理するための特別委員会が設けられている。

3.国際労連の概要

国際労連(WCL)は、当初、国際キリスト教労連(IFCTU)として1920年6月、オランダのハーグで結成された。第2次世界大戦後のWFTU結成からは排除され、独自の道を歩んできた。結成当初は、ヨーロッパのみの組織であったが、第2次世界大戦後、加盟組織がアフリカ、南米、アジア等に広がった。1968年、ルクセンブルグで開催された第16回大会で、「活動の基盤をキリスト教の社会原則におく」という原則宣言を「信仰、人生観、民族、性別のいかんを問わず、世界のすべての労働者に呼びかける」に改め、名称を現在の国際労働組合連合(WCL)に改称した。現在は、キリスト教以外の宗教及び無宗教の者も組合員となっている。

WCLのホームページによると、2001年10月現在、116カ国・144組織の2600万人の労働者が加盟している。本部をブリュッセルに置き、ラテン・アメリカ労連(CLAT)、アフリカ労働者組合民主機構(DOAWTU)、アジア民主労働組合員連合(BATU)の3つの地域組織を有している。また、国際公務労連(WCT)、国際教員連盟(WCT)、国際運輸労連(FIOST)、国際建築・木材労連(WFBW)、国際繊維・被服労連(IFTC)、国際工業労連(IFTC)、国際農業・食品・ホテル関連労連(WFAFW)、国際事務職員労連(WFCW)、国際職業スポーツ労連(AICPRO-SPORTA)などの国際産業別組織がある。日本の加盟組織は存在しない。

4.世界労連の概要

世界労連(WFTU)は、第2次世界大戦中の英・ソ労組の協調をもとに、1945年に56カ国、6700万人の労働者の代表がパリに集まり結成された。しかしマーシャルプラン(第二次世界大戦後アメリカの援助で行われたヨーロッパ復興計画)を契機とする対立により、1949年にアメリカのCIO、イギリスのTUC、オランダのNVVなどが脱退し、西側陣営に立つICFTUを結成した。WFTUは、第2次世界大戦後の東西冷戦時代には、東側陣営の国際労働組合組織としての役割を果たしたが、東西冷戦の終結に伴い、東欧諸国、ソ連のナショナルセンターが脱退し、加盟労働者数は大幅に減少した。2000年3月の第14回世界大会時点の発表では、120カ国、1億3000万人の労働者を組織するとしていたが、正確な実態は不明である。結成60周年を迎える2005年9月26日~29日、ハノイにおいて第15回世界大会を開催する予定となっている。

世界労連のもとには、産業別部門として、1)農業・食品・商業・繊維、2)公務関連従業員、3)エネルギー・金属・化学・石油関連産業、4)運輸、5)建設・木材・建築資材、6)世界教員組合連盟――などの労働組合インターナショナルが設置されている。

日本からの加盟組織は存在しない。ただし、産業別インターに加盟、オブザーバー参加している日本の労働組合がいくつかある。

2005年2月 ICFTUの記事一覧

関連情報