日系人の日本での就労問題 ―ブラジルからの視点―
1.日本への就労送出に対する政府、労働界、経営者の評価
「ブラジルの経済危機の脱出口、それは空港である」
1980年代の軍事政権の終わり、ブラジルの経済危機が深刻になり、アメリカ、ヨーロッパ、日本に出稼ぎに行く労働者が増えてきた時、当時の企画大臣マリオ・エンリケ・シモンセンが新聞記者に語ったジョークである。
この言葉が端的に表しているように、軍事政権時代の末期から、アメリカ、ヨーロッパ、日本に出稼ぎに行くブラジル人が多くなった。日本人に限って言えば、最初は1世の日本人移民、後にはその子孫の、いわゆる「デカセギ」の現象が顕著になった。この現象はブラジルのジャーナリストにも取り上げられ、「デカセギ」は一般に通用する言葉となった。
日本向け労働者募集の広告は、1985年、サンパウロの日本語新聞に掲載されたものが最初である。当初は、ブラジルに移住してきた日本人のみを対象としたものであって、出身国の入国ビザになんらの支障もなかった。
しかし、労働人口の不足をかこっていた当時の日本は、1990年の6月、入国管理法を改正して、“長期滞在査証”(3年間の査証)と称する特別の地位を、日本人の子または孫であることを証明した者、およびその配偶者にまで広げた。
これによって、デカセギの数は爆発的に増え、入国管理局の統計によると、ブラジル人の外国人登録者数は、1990年の約12万人から2003年には約28万人になった。サンパウロの国外就労者情報援護センター理事長の二宮正人氏によると、この数に、ブラジルに帰国した者の数約14万人を加えると、ブラジルの日系人130万人の約3分の1がデカセギ経験者であるということになる。
しかし、この数字には、これまで見過ごされてきた問題がある。在留日系ブラジル人の数には変わりがないとしても、帰国者のなかの相当数は、デカセギで稼いだ資金によりブラジルで事業を行い失敗して再移住する者、また、帰国はしてみたが新しい職が得られず、就職してもブラジルでは日本の10分の1といわれる賃金しか稼げないため、再び日本へデカセギに戻るケースがかなりあることである。財団法人雇用安定センターが、ポルトガル語、スペイン語圏内から来た日系外国人労働者1578人(うち76.5%がブラジル人)を対象にして2002年に集計し、2003年2月に発表した統計によると、約60%が2回以上、日本へデカセギに来ていることが明らかとなった。
この事実をとらえて、元ブラジル東京総領事で、『日本におけるブラジル人』の著者であるマリア・エディレウザ・フォンチネリ・レイス氏は、「デカセギ」現象は、今日では、恒常的に日本での労働を繰り返す大量のブラジル人によって生じる“循環移住”として把握されるべきものであるとして、「この恒常的な動きは、日本社会における適応と同化の困難さと、旅費の低廉化その他から移動が容易になったことがその要因である」としている。
さて、これに対するブラジルの労働組合、経営者団体の態度は、一口に言えば、“無関心”である。政府の態度も、初めは中立的であったが、やがて2つの点でこの問題に関心を持ち始めた。1つはデカセギの送金する外貨であり、もう1つは在日ブラジル人の若年層の教育問題である。
まず経済面では、デカセギがブラジルに送金する外貨が年間20億ドルに上ることに政府は注目している。このため、官民合同企業であるブラジル銀行は、日本における同行支店にデカセギ者のためのポウバンサ預金(元本がインフレ率にスライドし、その上に一定額の利子がつく庶民向け貯蓄)を創設した。この預金は、日本で預金でき、引き出しは日本とブラジル両国で行え、しかもドル建てであるので、為替の変動による危険から免れ、しかも利子が支払われ、そのうえ、送金の手数料を支払わなくてすむため、デカセギ者の間で広く利用されている。
もう1つは、デカセギ者の多くが、帰国ののち、経験不足からブラジルで事業に失敗する例が多いことを見て、半官半民の団体であるSEBRAE(中小企業援助サービス)が、デカセギ・ファンドと称する基金を創設し、企業化の相談、低利の融資供与のサービスを行っている。
経済問題以外で、ようやくブラジル政府が事態の深刻化に気づいたのは、デカセギ者の子弟の教育問題と犯罪の多発である。
最近の統計によると、外国人の犯罪のうち、実に15%から20%がブラジルの日系人によって占められていることが明らかとなった。その大部分は青少年の犯罪である。
これは、日本の公教育と、日本におけるブラジル政府公認の学校教育の両方から、あるいは言語やその他の適応の問題、あるいは経済的な問題(私立のポルトゲスによる教育課程は、毎月500米ドル程度の月謝が必要である)からはみ出した青少年が犯罪や非行に走る例が多いことに起因するものである。
この問題を放置すれば、デカセギのみならず、日本とブラジルの関係そのものにも悪影響を及ぼすと判断したブラジル外務省は、その原因が教育問題にあることに気づき、やや積極的な対応を見せるようになった。ブラジル外務省サン・パウロ州代表部大使ジャジエル・フェレイラ・デ・オリヴェイラ氏は、「日本の法律は、外国政府が維持する外国教育課程を伴う学校の設置を認めていない。であるから唯一の解決策は、ブラジル人デカセギ者の集住地域において日本政府の支援を得つつ、在日日系ブラジル児童青少年に対して、ブラジルの教育課程をポルトガル語で教える学校を組織することが可能な民間の非営利組織の設立である」としている。これは、穏やかな表現ではあるが、日本側が行っている「公立学校でのブラジル人子弟の吸収」という政策に異議を唱えるもので、あくまでデカセギ者の子弟のアイデンティティーをブラジルに置きたいという意図を示している。かつてのブラジルの日本人移民が、子弟の日本語教育に固執していたのと同じ状況である。
しかし、前期のレイス氏の観察と裏腹に、デカセギ者の日本滞在期間が次第に長期化し、7年以上が約50%、5年以上が約65%、3年以上は実に約80%(産業雇用センター調べ)となっている現状から見ると、結局、デカセギ者の多くは、日本に定住する以外に道はなく、その子弟も日本に同化することになるのではないかと見られる。こうなっては、デカセギ者は、出稼ぎではなく、移民としてとらえるのが適当であろう。
事実、帰国デカセギ者の再移住の理由として、かなりの者が子弟の教育を理由に挙げているのは、初等教育課程で日本語で教育を受けた者のブラジル学校での再適応が困難であることを示している。歴史的に見て、世界中どこの国でも、移民は出身国の文化、伝統、特に、その言語を子孫に伝えようと努力するが、結局、その努力は徒労に帰し、移民の子弟はその国に同化するのが趨勢であることを、ブラジル政府も、日本政府も、そして、何よりもデカセギ者が認識しなくてはならないであろう。
以上、ブラジルの政、労、使の就労者送出の評価は、よく言って中立、端的に言うと無関心で、わずかに経済的な利益と移住者の犯罪、その原因としての教育が問題になっているにすぎず、解決は日本の政府、社会とデカセギ者の個人の努力にゆだねられているというのが、現実であるといえよう。
2.就労経験者の声、印象
初期のデカセギ者の声、印象を一口で言えば、日本に住み、働くのはつらいことであるが、稼ぎも大きいということであったろう。当時、工場の作業員として高収入を得られるところは、ブラジルにはなかったのである。そのころのデカセギ者は、意外にも高学歴の者も多く、事業の開業資金、マイホーム、農場の購入などを目的とし、数年で目的を達し、ブラジルに帰国する者が多かった。
当時から、居住条件が劣悪であること、労働条件が過酷であること、差別感などはあったが、高収入がすべてを覆い隠してきた。
ところが、バブルが崩壊して、日本の失業問題が深刻になり、デカセギ者の収入が激減し、失業者も出てくるにつれ、苦情が一挙に表面化した。
産業雇用センターの行った前記の統計によると、デカセギ者の苦情の上位15項目は以下のとおりである。
- 別感、
- 労働時間、休憩、有給休暇
- 教育、日本語学習、
- 失業保険、
- 税金、
- 解雇、退職、
- 医療問題、
- 身元保証人関係、
- 雇用契約違反、
- 宿舎、住宅、
- 労働災害、
- 諸手続きや各機関との交渉、
- 社会保険の加入、
- 人の問題、
- 在留資格手続き。
これらの項目を見ると、日本人移民がブラジルで苦労したことと、そっくりそのままであることに驚く。してみると、これは、日本におけるブラジルの日系人の問題として見るより、一般的に移民が移住先で直面する問題と見るべきであろう。
一見、様々な苦情が発生しているようであるが、これらの苦情の根本にあるのは、日本語の習得の問題である。日本語が分からなければ、周囲から孤立し、差別されていると感じ、失業保険、社会保険、在留資格手続きやその他の手続きにも支障を来し、対人関係にも円滑を欠くことになる。経済構造の激変により、単純労働を主体とする事業は、中国、東南アジア諸国へのシフトが進行している現在では、日本語ができないデカセギ者は、就職が困難となり、真っ先に人員整理の対象となり、不就学児童も増え、ホームレスも発生する。
しかも、困ったことは、成人に達した日系ブラジル人にとって、一部の異能の人を除いて、全く異なる言語体系に属する日本語の習得は困難である。こうして、デカセギ者は、彼らのコミュニティーをつくり、ポルトガル語を話し、ブラジルの食品を食べ、ブラジルの書籍を買い求め、ブラジルのテレビ番組を見て、パーティーを開く。このデカセギ者を相手とする新聞、雑誌も刊行され、貿易会社、商店も開かれる。
これらのことは、ブラジルの日本移民が経験したことと全く同じである。すなわち、やがて、その子どもたちが、日本で教育を受け、日本語に熟達し、日本の習慣になじむにつれ、コミュニティーの崩壊あるいは同化が始まるのである。
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