退職年金改革:対立を厭わないフランス人

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2003年8月

国会で退職年金改革法案の審議が進められる中、フランス全国で毎日のように繰り広げられる抗議行動。社会保障改革を強行しようとして政権が崩壊した95年の状況を重ね合わせる見方も少なくない。

政府は確かに退職年金改革の問題で間違いを重ねた。1年の間、政府は「交渉」や「協議」を口にしながら、組合と腰を据えた話し合いができないでいる。社会派(フィヨン社会問題相)の感性とリベラル派(ラファラン首相)のそれとの間にはシラク派内のバランスを反映する意見の違いがある。政府は不器用にも、退職年金、緊縮予算、国の地方分権化、大学改革など、公務員に影響を与えるあまりに多くの計画を同じ時期に集めすぎて、爆発的な批判を引き起こした。95年の悪夢の再現を避けるために、政府は一般の公務と公共サービス企業を分けて対応したが、この戦術は失敗に終わった。国鉄(SNCF)や電力公社(EDF)の労働者は、フィヨン法案の対象ではないにもかかわらず、街で政府に対する厳しい批判を繰り返している。さらに、民主労働同盟(CFDT)からの支持獲得を喜ぶのが早すぎたために、ためらいがちだった労働総同盟(CGT)を労働者の力(FO)などの反対派の方へ押しやることになった。

政府はフランス人に必要な教育を行うことができなかったのだ。ラファラン首相が信じていることとは異なり、機は熟していないし、改革の必要性に関する自信も盤石とは言えず、ぐらついている。ようやく始まった広報活動(「退職年金:努力によって全員で切り抜ける」)はあまりに遅すぎたように思われる。

おそらく、野党の協力は見込めないだろう。野党は政府を追い込んで、自らの健康を取り戻すためにこの機会を利用するはずだ。しかし、社会党は政権の座にあった5年の間に退職年金のために何もしてこなかったが、政権の座にあれば、いくつかの細かい点は別にしても、同様の改革に踏み込まざるを得なかっただろう。ラファラン政府は、シャルパン(行政計画本部の元委員)報告書によって勧告された(2000年5月に当時のジョスパン首相によって設置された退職年金方針決定会議(COR)の)原則に従うしかなかったからである。社会党の中でもファビウス氏やロカール氏など、右派の重鎮は改革案への支持を公言している。それでは、フィヨン法案が予想された以上の激しい抵抗に会っているのはなぜなのだろうか。教員や国鉄の労働者をこれほどまでに憤慨させることになった原因は何なのだろうか。

過激化した第1の要因は、苦労の多い仕事は特別な配慮を受けるに値するという意識が思いの外強力だったことにある。拠出期間が40年から42年に延長されることは、教員の場合、少なくとも65歳まで生徒の前で教えることを意味する。そして、そのことに対する拒否反応は圧倒的であった。

第2に強調できるのは、「早く引退して退職後の新たな生活を築きたいという」フランス人の断固たる意思である。30年にわたる大量失業と人員削減、そして労働でのストレスの増大が多くのフランス人の目に労働の社会的地位を失墜させたのだ。週35時間制革命はレジャーを神聖化させた。退職年金改革は、大いに人気のある早期退職とすでに定着している60歳定年制を断念させることになる。

第3の要因は、国に突破口を与えてはいけないという危機感の強さだ。「リベラルな」退職年金改革の背後で、政府は黒い図面を持っていると思われている。すなわち、国民教育省の一部職員を地方へ移すことを手始めに、公務員数を削減し、公務を民営化する意向があるというわけだ。ある若い教員の表現によると、退職年金に関する事なかれ主義と教育の中央集権制の維持は「防波堤の防衛」であり、それに失敗すれば、すべてが終わるのだという。

多くのデモ参加者は、改革に直面して完全に途方に暮れている国家公務員の不安を強調する。そのようなときに、改革よりも革命を、妥協よりも社会闘争を好むのがフランスの伝統だ。しかし、近代化を導くことになった政治と労働の対立というモーメントはもはや民間部門にはなく、残っているのは公務部門だけである。

退職年金の将来の資金調達を保証することは骨の折れる改革だ。人口学的な推移(60歳の平均余命は1932年に15年だったが、それが現在は男性で20年、女性で25年になった)のために、労働期間の延長、拠出額の引き上げ、さらには年金水準の引き下げが必要になった。扇動者たちが何を言おうとも、この不愉快な3つの解決策を切り離すことはできない。

教員に対して拠出期間の面で譲歩は可能かもしれない。しかし、他の2つのハードルはさらに高くなることが避けられない。ポピュリスト的な誘惑を追い払い、議論を単純な年金の資金調達の問題へと進めて、妥協案を見つけなければならない。それぞれのフランス人にもう少し長く働くことを求めることができるのか、それとも労働時間の問題はタブーなのか。不可欠である改革の失敗は本当に望んでいるものを手にできない最悪の事態を招くことになる。

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