ハワード首相が三菱自動車幹部と会談

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年11月

東京での会談

ハワード首相は2001年8月に、オーストラリアにおける三菱自動車工場の将来に関し三菱自動車幹部と会談を持った。数年前に日産自動車がオーストラリアから撤退し、政府は三菱自動車もこれに続くのではないかと非常に懸念している。三菱自動車が撤退することになれば、南オーストラリア州の工場で働く約3300人の労働者が職を失う可能性がある。

連邦政府は、自動車産業支援策の下で既に同社に対し2億豪ドルを、そして州政府も2000万豪ドルを提供している。

東京で行われた会談で、三菱自動車側は南オーストラリア州にある工場を改良するために約7000万豪ドルを投資することを明らかにした。しかし、この約束は2005年を超えることはなく、オーストラリア工場が利益を上げない場合は閉鎖するという最後通牒を伴っていた。

自動車部品会社でストが発生

東京での会談が始まろうとしていた頃、オーストラリアでは自動車部品会社であるトライスター社の労働者がストライキを行っていた。ストを呼びかけたオーストラリア製造業労働者組合(AMWU)は、企業倒産の際の労働債権保護問題の解決を要求した。AMWUは「Manusafe」という製造業を対象とした労働債権保護策を提案しており、トライスター社との交渉の場にこうした要求を持ちだしたのである。政府や使用者団体はあくまでも同社を支持する姿勢を示していた。

首相はストのタイミングがあまりにも悪いと非難したが、ストは三菱自動車との会談に意図的にあわせられていなかったようだ。

ストライキの影響はすぐに広がり、GM、フォード、三菱、トヨタの工場が一時的に閉鎖された。ストの影響が取引先に即座に及んだ背景として、リーン生産システムの存在が指摘されている。リーン生産システムの要は「ジャスト・イン・タイム」だが、このことは供給チェーンが1カ所でも分断されると、生産を維持する緩衝在庫が少ないために生産がストップしてしまうことを意味する。リーン生産システムへの依存が組合に有利に働いた側面もある。

しかし、結論からいうと、ストの影響は政府による攻撃やメディアの懸念を引き起こし、最終的には労使関係委員会の介入をもたらした。そのために、労組と使用者は和解に向けて交渉を続けた。問題はManusafeであった。労組はManusafeへの使用者の拠出を求めたが、使用者は代わりに労働債権の安定性を確保する保険債券の提供を申し出た。労組は当初それを拒否したが、その後圧力を受けて使用者側の提案を検討する準備があるとの声明を示した。ただ労組によると、使用者側がさらなる非正社員化の提案を行ったという。そのため事態は依然として流動的である。

今回のストライキでは、再び労働債権保護問題が脚光を浴びた。政府がこの問題を十分に解決できていないことが、三菱自動車との交渉の間も政府を当惑させることになったのである。おそらくこの問題は再び政治問題化すると思われる。

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