「キャンペーン2000」の成果
―ビクトリア州金属産業労使交渉
ビクトリア州の金属産業では、オーストラリア製造業労働者組合(AMWU)が中心となってパターン・バーゲニングを求める運動が繰り広げられてきた。この活動は一般に「キャンペーン2000」と呼ばれているが、この活動が可能となった背景には、金属産業の1000あまりの企業別協定が2000年6月30日に一斉に満了を迎えたことが挙げられる。つまり、多くの企業別協定が同時に満了することで、労組側は、金属産業を単位に多くの要求を掲げて協力体制(産業単位のストを含む)を採ることが可能となった。
労組側は、主要な使用者団体の1つであるオーストラリア産業団体(AIG)と枠組協定を締結しようとした。同協定は、(1)3年間に平均5%の賃上げ(より正確には33カ月間に総計15%)、(2)産業レベルの賃金確保措置、(3)長期勤続休暇の改善、(4)アウトソーシングや請負、臨時労働者の利用の制限、等を定めていた。これに対し、AIGは同協定を含めていかなる枠組協定にも署名しないとの姿勢を示した。こうしたことから、この労使間の対立がオーストラリア経済――特にビクトリア州経済――に大きな打撃を与えるのではないかとの懸念が示されるようになった。
労使対立の激化
多くの識者は、労組側のキャンペーンが効果をあげていないことと争議の少なさに驚きを表明した。キャンペーンの当初は、産業レベルのストが行われるのではないかとの懸念が示されていたが、労組は、組合員の支持を十分に得られず、結局この方法を断念したようであった。ただ、労組は、ストライキの可能性を示唆しながら、使用者に枠組協定への署名を迫った。しばらくの間、こうした事態をどのように見るべきか、識者の間でも混乱が見られた。
しかし、2000年の8月になると、労組の活動も巻き返しを見せ、同州内でのストライキ実施の可能性が高まった。その後、組合代表大会が開かれ、8月29日に24時間ストを実施する決議が行われた。
これに対しAIGは、こうした争議行為には法的措置で対抗する姿勢を示した。しかし、労組は、今回の争議行為が法律違反とならないよう慎重に戦略を練っていた。
その間にもいくつかの事業所でストが行われ、フォード社では、ストによりラジエーターの供給が遅れたために、工場を2度にわたり閉鎖せざるをえなくなった。ちょうどこの時期は、オリンピックの開催など、オーストラリアへの世界的関心が高まっていたために、今回の労使対立が海外の投資家に悪い印象を与えるのではないか、との懸念が示されるようになった。そのような中で、不安定な労使関係がビクトリア州への日本からの投資にとって障害となりうるとの懸念も示された。
AIGは、事件を労使関係委員会での審理に持込み、労組が本当の企業別交渉を行っていないことなどを理由に交渉の終結を求めた(これにより、計画されている全国ストを違法にできる)。しかし、同委員会の決定は、それほど使用者に有利とはいえなかった。委員会は、15企業における交渉を一時中断し、この問題を9月1日に行われるテスト・ケースの判断に委ねることとした。労組はあくまでもストの実施を宣言し、実際にストも行われたが、その規模は、到底州全体を巻き込むほどのものではなかった。
さらに、労組は、テスト・ケースの前日になってストの通知を撤回した。労組は、委員会が労組に不利な判断を下すことを恐れてこのような決断を行った、と思われる。
以上、キャンペーン2000は混乱の中で展開されていると見ることもできる。しかし、AMWU と建設林業鉱山エネルギー労組(CFMEU)が組織化する他の産業では、すでに「キャンペーン2001」が進行中である。
2000年12月 オーストラリアの記事一覧
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