公共部門で賃金協約交渉妥結

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年9月

2000年度賃金協約交渉は、化学労組が先陣を切って柔軟な手法で妥結し、IGメタルがそれに続いて従来の強硬路線を改め、労使間で柔軟な協約締結が進んでいたが(本誌2000年6月号参照)、公共部門での交渉は難航し、調停も不備に終わり、ストライキ突入の瀬戸際に立ち至った。しかし、6月13日、使用者側である国の提示条件を労組側が受諾してストは回避され、オットー・シリー連邦内相とヘルベルト・マイ公共・運輸・交通労組委員長が翌14日夜に妥結内容を発表し、難航した交渉もようやく終結した。

公共部門の交渉は、労組側が2001年に正式に合併発足するサービス業労組Verdiの中核となるTVと職員労組(DAG)であり、310万人の労働者(Arbeiter)と職員(Angestellte)にかかわるために、交渉の成り行きが注目されたが、交渉は初めから難航した。5月初めに、労組側は5%の賃上げ要求を提示し、これに対する使用者側の提示条件は6月から1.1%の賃上げ、1年後にさらに1.3%の賃上げというもので、交渉は何の歩み寄りも示さずに決裂した。

その後、5月末に交渉は調停に付されたが、労組側は調停案を拒否し、調停も不調だった。調停案の内容は、2000年4月1日に遡及して賃上げ1.8%、さらに2001年4月1日から賃上げ2.2%で、労働協約の有効期間は2002年3月末までの24カ月というものだった。

労組側は、調停案を拒否してからストライキのための原投票(Urabstimmung)を行い、TV では必要得票75%をわずかに上回る76.02%、DAGでもやはり必要得票70%をわずかに上回る72.8%で、スト賛成の決議が成立した。この間、シュレーダー首相は労組側の強硬姿勢を批判し、これに対してマイTV委員長も首相の協約交渉介入を批判するなど批判の応酬が続き、今後の「雇用のための同盟」への悪影響も懸念された。そして労組側では、6月15日を期しての一部地区の職場放棄の指令も出され、公共部門では1992年以来のストライキ突入になるかと思われた。

しかし、土壇場の6月13日夜、シリー内相とマイ委員長のトップ会談を踏まえ、使用者側から先の調停案を労組側に若干有利に改善した条件が提示され、これを TV、DAGの双方が受け入れ、ストは回避され、難航した協約交渉も妥結するに至った。妥結内容は以下の通りである。 (1)310万人の公共部門の労働者並びに職員の賃金並びに俸給は、2000年8月1日から2.0%上昇、2001年9月からさらに2.4%上昇、2000年4月から7月までの4カ月間は各100マルク(1マルク=50.19円)で合計400マルクの一時金を支給、労働協約の有効期間は、2002年10月までの31カ月間とする。
(2)東独地域と西独地域の格差是正については、東独地域における賃金並びに俸給は、2000年8月1日から西独地域の87.0%(現行86.5%)、2001年1月1日から88.5%、さらに、2002年1月1日から90%に引き上げられる。2003年以降は、さらに是正のための合意が図られる。
(3)追加的年金(公的年金を補充する事業所年金に相当)については、労組側の要求どおり、原則として賃金協約交渉の場以外で交渉が行われる。

今回の公共部門の協約交渉妥結に際しては、先の金属業界におけるIGメタルの土壇場での柔軟路線の選択に続き、ストライキ闘争に訴える手法は回避された。しかも、ストライキを実施するための原投票でも、TV、DAGともにスト賛成に必要な決議数をほんのわずかに超えたにすぎなかった。ここから、先のIGメタルの協約交渉の柔軟化も含めて、組合員のストに対する考え方が数年前と比較してもすでに異なってきており、産業構造の変化に伴う労働側内部での利害状況の変化とともに、何%かの賃上げを求めてただストライキを武器に訴えるという伝統的手法は、協約交渉の手法として従来のように機能しなくなっているとの指摘が、一部の労働問題専門家からなされている。

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