ビクトリア州建設労組、週36時間制で合意
―詳細情報

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

オーストラリアの記事一覧

  • 国別労働トピック:2000年7月

ビクトリア州建設労組が主要企業と労働時間短縮で合意した。その経緯を含め、詳細を報告する。

合意に至る経緯

この3カ月間、ビクトリア州の建設業の労組と使用者は、新たな企業別協定をめぐり論争を戦わせてきた。労組側の主な主張は、週36時間制の導入であった。標準労働時間が40時間から38時間に削減されたのは1981年のことであり、その際には当時の金属労働者組合連合による積極的な活動が展開された。今回は、建設林業鉱山エネルギー組合(CFMEU)が労働時間の新しい社会的スタンダードを作るべく、活動を始めたわけである。

加えて同労組は、3年間に24%の賃上げと「悪天候条項」やシフト制の改善を求めていた。ビクトリア州での建設ラッシュを背景に、労組はこのように強気の要求を行ったのである。これに対し州建設業者協会(MBA)に代表される使用者側は、労組の要求に反発し、労働者をロックアウトした。さらに労組幹部に対する暴行事件をきっかけに、事態は悪化していった。

主要な建設業者がMBAの強硬路線から離脱し、労組と交渉を始めるまで、膠着状態は続いた。結局11の大手業者が離脱したため、MBAは態度を軟化させ、労組の要求のいくつかに応じる用意があるとの姿勢を示した。しかし、ロックアウトが解除されなかったことから、紛争は再び激しさを増し、オーストラリア労使関係委員会(AIRC)が交渉期間を終結させることで紛争に介入しようとした。つまりこのことは、ストやロックアウトを違法とし、労使当事者を仲裁の前提となる調停の席に着かせるという効果を持った。

AIRC はこの措置が職場関係法に基づく妥当なものであると主張し、MBAもAIRCの決定が使用者側に有利な解決をもたらすとして歓迎した。ただAIRCの決定は277業者のうち216業者にだけ適用され、労組が交渉を行っていた11業者は含まれていなかった。

週36時間制の合意へ

2000年3月23日になって、初めての合意文書がGrollo社と取り交わされた。それは、週36時間制の導入と賃上げを認めていた。合意の中で特に重要なのはGrollo社がその合意内容を下請業者にも適用するとしている点であった。労組は産業全体への週36時間制波及を望んでおり、これはその第一歩となった。

労組はこの合意を高く評価し、合意内容が今後3年以内に業界全体に波及し、そして5年以内に全国的な標準となるとの見解を示した。次に労組は、他のMBA離脱業者からの合意を取りつけようとした。予想されたことであるが、リース職場関係省長官はこの合意を非難し、ハワード首相も同業界でコスト上昇の可能性があると懸念を表明した。

その後2000年4月3日には、4つの主要建設業者が労組との合意に至り、週36時間制と5年間に15%の賃上げ(加えてこれとは別に、4年間に3%あるいは消費者物価指数のうちどちらか高いものに対応した賃上げ)を内容とする協定を取り交わした。同協定では、週38時間を超える労働が時間外労働とされ、36時間から38時間までの2時間分は「生産性休暇」の形をとる。したがって、この協定は週当たりの労働時間数の削減というより、年間総労働時間の削減をもたらすと考えられている。

一連の合意は政府が押し進めてきた「企業別交渉哲学」と矛盾してはいないが、政府にとっては承服しがたいものであろう。経済状況がよくなく、従業員が外部の強力な労組と関係を持っていない場合、企業別交渉は使用者を優位な立場に置く。このどちらの条件も現在の建設業にはあてはまらなかった。建設ラッシュが交渉における労組の立場を有利なものにしたのである。

また、使用者の多くも、労組のこうした関与を嫌っているわけではない。というのは、労組との合意は、契約を獲得するためには労働条件の低下もいとわない小規模業者との過度な競争から使用者を解放してくれるからである。

2000年7月 オーストラリアの記事一覧

関連情報