労働者の交渉権の確立が不可欠

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2000年3月

1999年12月9日、ジャカルタポスト紙でインドネシアの労働に関して特集が組まれ、今後のインドネシアにおける労働問題の解決のためには、交渉権の確立が必要不可欠であることが明らかにされた。

インドネシアでは、総人口約2億人のうち約9000万人が労働人口と推定されている。そのうち約6000万人が就業人口で、約2000万人が偽装失業者、または1週間の労働時間が35時間以下の不完全失業者、残りの約1000万人が失業者と推測されている。

就業人口6000万人のうち、約4000万人の労働者は平均月収は15万~20万ルピア(100ルピア=1.48円)程度とみられており、国家統計局の定める貧困線を大きく下回っていることが明らかになった。

インドネシアの人件費はASEAN域内のなかでも最も安価である。総生産費用に占める人件費の割合は、インドネシアの場合5~10%であり、ASEAN 域内の平均で約25%、先進国平均の約40%等と比べるとそのコストの低さが際立つ。

また、インドネシアの経営者は、政府に対して様々な不当な「支払い」をせねばならず、従業員に賃金を払う余裕がなかった。経営者から政府への「支払い」は官僚制度の慣行としてどこでもみられる光景であった。このような「支払い」が総生産費用に占める割合は、推定で10%ほどで人件費に相当する金額であったとされている。その結果、労働者は賃金の6割しか支給されず、残りの4割がこのような「支払い」に当てられていたとされている。

労働の質に関する問題点として、約9000万人の労働人口のうち、55%が初等教育修了程度の教育水準で、大卒者は10%に満たない。

以上のような理由から、前述のようにインドネシアの給与水準はASEAN内で最も低くなっている。そして、労働者は上司に対する交渉権がほとんどなく、労働問題に関して抗議した場合は不当に解雇されることが多いのが現状である。また、前述のように政府の役人は経営者から「支払い」を受けているので、経営者への支援が優先されるため、労働者が労働力省に問題を持ち掛けることに消極的である。

更に、インドネシアでは、政治政党が支持者形成のために労働組合を組織したという歴史も、組合の交渉力の弱さを示している。スハルト政権時には23の労働組合が存在したが、労働省の管理下にあった。政府が労働組合の管理をしやすいように、1973年2月にインドネシア労働組合連盟(SBSI)が組織された。しかし当時のスドモ労相によりSBSIは改変され、インドネシア労働者組合(SPSI)が再結成された。スドモ労相は専制君主的な方策で、組合を連盟から単なる統一組織へと変化させた。しかしこのような方策は国際的に批判を浴び、スドモ労相は SPSI を全インドネシア労働者組合連盟(FSPSI)へと変革せざるを得なかった。

スハルトの権力が衰えを見せはじめた頃、FSPSI以外の労組の組織化に力を注いだ初の知識人パクパハン氏によってFSPSIの独占が崩れようとしていた。パクパハン氏の努力は1997年のインドネシア福祉労働組合(SBSI)の結成によって実を結んだ。労働者の結成の自由への動きが転換点を迎えたのは、1998年5月のスハルト政権の終焉であった。先進国の強い圧力のもとで、インドネシアはついに結社の自由に関するILO第87号条約に批准した。その結果、FSPSI以外の労組の結成が可能となり、たちまちインドネシアは世界最大の17労組を持つ国となった。しかし、国内での労組に関する法律的な取り決めは、1998年の労働力省第5法令によって労組の登録手続きについて定められているのみであり、まだまだ限定的なものとなっている。そのため、労組設立や、団体交渉権に関する法律的な枠組みが急務の課題となっている。

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