金融部門の構造改革、一段落
―金融業界の再編

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年5月

ソウル銀行売却

韓国政府は2月22日、ソウル銀行を英系HSBCに売却することで合意したと発表した。英系HSBCは1998年12月の第一銀行の売却交渉の際に米系ニューブリッジ社と競合したが、政府の持ち株比率(49%)をめぐって最終的に条件が合わず辞退したことがある。今回はソウル銀行の持ち株比率70%を確保し、金融市場発展基金(Facilitation Payment)名目の2億ドルを含め9億ドルを投資する。また、不良債権の移転基準について、国際基準(第一銀行に適用)ではなく金融監督院の基準を適用することでも合意している。

これにより、IMFとの合意事項であると同時に新政権の4大改革課題の一つでもある金融部門の構造改革作業は一段落し、金融システム安定化のための基盤づくりはほぼ完了したことになる。金融部門におけるこれまでの構造改革作業は主に次のような3つの分野に分けてみることができる。

第一に、1997年に入ってハンボグループや起亜グループなど中堅財閥の倒産が相次いだため膨大な不良債権を抱えて債務超過に陥った第一銀行とソウル銀行に対して、政府は1997年12月、経営改善命令を出し、監督を強化するとともに、経営責任を問い経営陣を退陣させた。1998年1月には減資と政府出資(国有化)により自己資本比率を8%以上に引き上げた後、外国の金融機関に売却することが決まった。同年5月、政府は米系モルガンスタンレー社と主幹事契約を締結し、両行の売却作業に本腰を入れて取り組んだ。売却期限が決められていたうえ、その成否が金融システムの国際信認にかかわっていたこともあって政府は売却を急いだ。結局、前述のように、両行の欧米系金融機関への売却が相次いで基本合意されたが、3月中旬現在、交渉は不良債権の算定とその移転基準をめぐって難行しているようである。

第二に、1997年12月30日に国会を通過した「統合金融監督機構設置法」(1年以上見送られていた13の金融改革法案の一つ)に基づいて1998年4月に誕生した金融監督委員会は、金融部門の構造改革を主導する過程で、経営不良の度合いが著しい金融機関の閉鎖を命じる権限を初めて行使した。つまり、1997年末現在、国際決済銀行基準の自己資本比率8%を満たしていない12行を対象にした「経営評価委員会」の銀行経営評価の結果を踏まえて、金融監督委員会は1998年6月、経営健全化計画が承認されなかった5行の都市銀行に対して営業停止命令を出し、P&A方式(優良債権のみを移転)で優良銀行5行にそれぞれ吸収合併させたのである。

このような営業停止と営業譲渡措置で、「銀行は潰れない」という神話は一気に崩れ、ショックや不安を隠しきれない行員らが強く抵抗し、引き継ぎ作業を妨害するなどモラルハザードを見せつける一幕もあった。今回閉鎖された銀行は、1988年の「地方金融及び中小企業金融の活性化策」により設立されたものが多い。

その他、経営健全化計画が条件付きで承認された残りの7行の間では、経営陣の交替やリストラ、外資誘致、増資などの計画を実行に移すだけでなく、合併に踏み切るところも出てきた。前述のような半ば強制的な吸収合併に加え、条件付き承認銀行同士の合併、さらには優良銀行同士の合併が相次ぐなど、生き残りをかけた都市銀行間の大型合併が目立っているのである。

第三に、通貨金融危機の主犯と言われた総合金融会社は、1995年に入って金融機関の専門化や大型化政策に便乗した許認可の乱発で急増し(地方の投資金融会社からの転換組が多い)、世界化の波に乗って国際金融市場に積極的に参入し、業務の拡大に走ったが、結局、国際金融に関する専門知識(先進技法)の不足や危機管理体制の未整備などが主な原因で国際金融市場の急変にうまく対応できず、通貨金融危機を引き起こすはめになってしまうのである。これに対してはIMF側から真っ先に大幅な整理を求められていた。そのため、政府は1997年12月に経営不良の度合いが著しい14社を2回にわたって営業停止とした後、経営健全化計画の評価に基づいて、1998年9月末まで16社の営業認可を取り消した。

1999年3月12日に行われた政府とIMFとの1999年上半期政策協議では、多額の不良債権を抱えている総合金融会社の整理が、主な課題として再び取り上げられた。協議の結果、当初の予定通り1999年3月末に自己資本比率6%、6月末に自己資本比率8%の基準を適用する。その他に、3月末基準で不良債権をすべて償却して債務超過に陥る総合金融会社に対しては業務停止を命じた後、実態調査を踏まえ、債務返済能力ガ見込めず30日以内に資本増強ができないことが確認されれば、閉鎖させることが決まった。金融監督委員会の関係者によると、「今後2~3社がその対象となる可能性がある」という。

金融監督院によると、1998年末、金融機関の不良債権規模は60兆2000億ウオンで、総与信の10.4%に当たる。金融機関別に見ると、都市銀行22兆2000億ウオン(不良債権の比重は7.4%)、政府系特殊銀行11兆4000億ウオン(同8.0%)、リース会社7兆8000億ウオン(同30.1%)、総合金融会社5兆6000億ウオン(同20%)、相互信用金庫5兆3000億ウオン(同24.5%)、保険会社3兆4000億ウオン(同8.8%)、信用協同組合2兆5000億ウオン(同22.3%)、証券会社2兆ウオン(同27.3%)などの順となっている。総与信中の不良債権の比重を見ると、銀行が1桁台に抑えられているのに対して、ノンバンクは20~30%に達しており、経営不良の度合いはノンバンクの方が銀行より深刻な水準にある。そして1999年末に正式に導入される資産健全性分類の国際基準を適用すると、1998年末の不良債権規模は100~110兆ウオンへと倍近く増えると推定されている。

政府は1999年2月末まで金融機関の不良債権の買い入れや、増資の支援、閉鎖された金融機関の預金保護や債務超過の補填などに、延べ40兆ウオンの公的資金を投入した。これは金融部門の構造改革のために用意された公的資金64兆7043億ウオンの約62%に当たる水準である。

銀行業界の再編

第一銀行に続いてソウル銀行も外資系都市銀行に生まれ変わることを機に、銀行業界の再編が加速すると共に、国内市場での競争が激化し、取引慣行に大きな変化が生じると見られている。

まず、銀行業界は外資系都市銀行、大型合併銀行、外国銀行との合弁銀行、地方銀行などに再編され、銀行間の競争が本格化すると見られている。例えば、外資系都市銀行は、国内の大型合併銀行に比べて国際金融市場からの安い資金調達の面で有利なうえ、店舗数の少ない既存の外資系銀行に比べては全国規模の店舗網を生かすことができるなど、両方のメリットが享受できる立場にあるだけに、企業金融と個人金融の両分野で新たな競争環境をつくり出すものと、早くから警戒の目でみられている。

特にHSBC社はソウル銀行を同行のグローバルネットワークに重要な拠点として位置づけるとしており、企業金融や消費者金融の面でグローバルな競争力を持つ同行の国内市場への参入は銀行業界(競争激化)だけでなく、融資先企業(格付けに基づいた差別化)や行員(リストラ)などにも大きな影響を与えるものと見られている。

例えば、多国籍銀行の金融手法の導入により取引慣行が大きく変わることが予想される。まず、担保中心の貸出から信用貸出へと貸出慣行が変わる。同時に、企業向け融資では、現在の返済能力のみでなく将来のキャッシュフローまで審査基準に盛り込まれるなど、国際基準に基づいた与信の審査が行われることになれば、官治金融の慣行や「大馬不死(大企業だから安心)の神話」に頼る取引慣行がはびこる余地はなくなるだろう。

李憲帝金融監督委員長は「米系投資銀行のニューブリッジ社とヨーロッパ系HSBCが同時に国内市場に参入することで、外国資本の流入が多角化し、アメリカやヨーロッパの金融手法が国内金融市場に導入されるきっかけがつくられた」と評価している。

ちなみに、国内銀行は1998年の決算で14兆4830億ウオンの赤字を出したのに対して、既存の外資系銀行の支店39店舗(51店舗のうち12月決算銀行のみ)は5771億ウオンの黒字を記録した。シティ銀行が1109億ウオンで第1位、HSBCは720億ウオンで第2位を占めた。

銀行の統治機構改革

2月末に株主総会を終えた17行の銀行は、いっせいに統治機構改革の一環として、取締役会定員の3分の2を非常勤取締役(株主代表と社外取締役)にあてる方向で取締役会の改革を断行した。今回の統治機構改革は、意思決定機能と執行機能を明確に分けるところに主な狙いがある。つまり、非常勤取締役が主導権を握ることとなった新しい取締役会は経営戦略の策定、経営陣の選任、経営成果の監視など銀行経営上の重要な意思決定を行い、経営陣は取締役会が決定した政策を執行する役割に専念するようにと両者間の役割分担を明確にするというものである。

今回17行で選ばれた非常勤取締役129人の職業を見ると、企業経営者が全体の39%で最も多く、次いで大学教員や研究員30.5%、金融機関出身13.5%、公認会計士や弁護士12%などの順となっている。

今回、銀行の統治機構改革の一環として生まれた「非常勤取締役中心の取締役会」が、これまでのような頭取の独断的経営やいわゆる官治金融の慣行にメスを入れ、経営責任体制の確立に貢献することができるかどうかは、戦略的意思決定や経営成果の監視などで経営陣の協力を取りつけながら時には経営陣を上回る独自の力を発揮する体制を整えられるかどうかにかかっている、と言えよう。今回は、そのための第一歩が踏み出されたに過ぎない。

ちなみに、上場企業における社外取締役制の現状を見ると、1996年に導入され、1999年からはその定員を全取締役の4分の1以上に増やすことが義務づけられた社外取締役の数は1998年3月に「501社で650名」に上っていたが、99年2月18日現在「474社で611名」に減っている。85名が辞任し、46名が新たに選任された。辞任の主な理由は経営失敗に対する経営陣の法的責任を問うケースが増えていることや少額株主運動が活発になっているのも負担に感じるようになったことなど。今のところ経営経験の乏しい人や大株主・経営陣に推薦される人が多いこともあって、会議で挙手する役割だけの単なる数合わせ的な存在に過ぎず、実際の権限は与えられていないようである。なのに経営責任だけ負わされる立場に置かれたり、本来の機能を果たすことすら期待されていないなど、制度の趣旨と現実との間には大きなずれがあるようである。

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