「雇用のための同盟」とその周辺をめぐる動き

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年5月

1998年12月7日に新政権下の「雇用のための同盟」の第1回会談がシュレーダー首相主催のもとで使用者団体と労働組合の指導者を招いて行われ、前政権のもとでの失敗も踏まえて、政労使が一体となって懸案の失業問題に積極的に取り組んでいく姿勢が示された。労働問題との関連では、若年失業者・長期失業者対策、労働時間の柔軟化、労働協約の運用問題、低資格労働者の雇用・訓練、社会保険の改正等に政労使として取り組んでいくことが確認された。そして、リースター労相の新提案をめぐって会談開始前に各方面で論議された協約賃金基金構想も含めて、個々の事案ごとに職業訓練、労働時間、年金、社会保障改革等8つの作業部会を設けて、専門家を中心に検討を進めていき、次回の会談に引き継ぐことが確認され、政労使の代表とも第1回の会談を肯定的に評価した。

その後、協約賃金基金については、労相が労働者のみが拠出する基金に存続期限を設けないで、早期年金移行者への支給に使用されない部分を企業年金として利用する構想を新たに提案したが、労働総同盟(DGB)は、これは公的年金制度の改変につながるとして反対した。DGBは基金には使用者側にも拠出させ、期限を5年として、若年層の雇用確保を条件として早期年金移行者への支給にのみ当てられるべきことを主張した。他方、使用者側は高齢者パートタイム制度の改善を主張して、協約賃金基金には財政的側面から反対するとともに、労相とは別の企業年金構想を提示し、政労使三者の意見が分かれた。これに応じて「雇用のための同盟」の作業部会でも論議が行き詰まり、4月に新たな会合を開くことになり、次回の「雇用のための同盟」の会議では特に取り決めがなされないことが決定された。

このような中で、「雇用のための同盟」の今後の行方に影響したのは、1998年12月から始まった金属業界におけるIGメタルと金属連盟の賃上げ交渉の難航である。交渉は本格的な労働争議に入る直前に、特別調停による使用者側の譲歩という形でほぼ収束したが、これが協約交渉のやり方について従来からあった使用者側の不満を強め、2月25日の「雇用のための同盟」の第2回会談で、使用者側が異例の提案をすることになった。

フント使用者連盟(BDA)会長は席上、労使の賃金協約交渉の決裂によって労働争議に入る前に、将来的にはシュレーダー首相が主催する「雇用のための同盟」に調停の申し入れがなされるべきであると提案した。同会長は、これは基本法上の権利にも反しないし、これによって政労使が協力して労働争議によらずに賃金紛争の解決を図ることが可能になるとした。さらに同会長は、「雇用のための同盟」の一環として、賃金協約交渉において政府の関与のもとに賃金水準の基本線を労使間で設定する制度をオランダのモデルにならって制定することを提案した。その際、生産性の向上が重要な基準になるが、大量失業時にはそれを賃上げに反映させるのではなく、投資と雇用の確保に回さねばならず、さらに賃金水準の基本線が設定されても、部門別、地域別、企業別の弾力的運用に枠を与えねばならないとした。同会長は、「雇用のための同盟」が成功しているヨーロッパの国では、このような賃金水準の基本線の設定が行われていることを考慮すべきだと付言している。

これに対して有力労組の反応は分かれ、ツビッケルIGメタル会長は会談後、このような提案は「雇用のための同盟」に過重の負担をかけるとして反対したが、シュモルト鉱山・化学・エネルギー労組(IG BCE)会長はフント会長の提言に基本的に賛成した。フント会長の提言は、従来のドイツの賃金交渉における協約自治の原則の伝統から見ると異例とも言えるが、2人の有力労組会長の意見が分かれたことは、この2つの労組の労働協約への取り組みの姿勢に違いがあることも踏まえると、今後の「雇用のための同盟」の方向という観点からも注目に値する。

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