旧日本労働研究機構(JIL)資料シリーズNo.118
前頭葉の構造と機能−職業適性の生物学的基礎−

平成 14 年 2月

概要

研究結果の要約と結論

1.前頭葉の解剖学

大脳の表面には大小多数の溝(脳溝)が走り,それによって大脳はいくつかの領野に区分される。大きな溝によって区分される領野を脳葉,小さな溝によって区分される領野を脳回という。図(図I‐1)で中心・溝より前方,外側溝より上方の部分を前頭葉という。前頭葉は脳溝によって多数の脳回に区分される。中心溝の前方にはこれに平行して走る中心前溝があり,両者に挟まれた脳回が中心・前回である。中心前溝から前方に上前頭溝,下前頭溝が走り,これによって,上前頭回,中前頭回,下前頭回が区分される。下前頭国は外側溝の前枝と上行枝により3つの部分に分けられる。後部を弁蓋部,中央を三角部,前方を眼高部という。上,中,下前頭回の前方領域を前頭前野という。

前頭葉の底面は眼窩の上壁に接し,脳溝の走行は不規則で脳回の形,大きさも個人差が大きい。眼高面にある脳溝,脳回をそれぞれ眼窩溝,眼窩回という。

進化に伴って前頭葉の大きさが増大し,同時に脳全体に占める割合も増大する。前頭葉は進化と共に発達する脳葉である。その発達はヒトで最大限に達し,前頭葉は脳の表面積全体の39%を占めている。

2.前頭葉の機能(I)−臨床的研究

2.1 知の障害

前頭葉損傷によって狭義の,すなわち日常生活を阻害するような一般知能や記憶の障害は生じない。しかし,前頭葉損傷によって知の障害が全く生じない訳ではない。前頭葉損傷者には明らかな知的障害が存在する。彼らは目標を設定したり,あるいは目標を達成するために一連の作業を継続的に実施することに強い障害を示す。目標を全く設定出来なかったり,非現実的な目標を設定する。目標を達成するためにどのような作業をすべきかが判らない。ある作業を始めるとそれに固執して次の作業に移れない。本来の目標とは関係ない作業を始めてしまう。結果として環境にうまく適応出来なくなってしまう。

英語圏の研究者達によって“disturbances of social and personal awareness“と表現されている障害がある。“awareness”は日本語に訳すと「気付き」となる。この“social awareness” の意味は「自分の周りの状況に気付く」ことである。“personal awareness”の意味は「自分自身に気付く」ことである。“social and personal awareness” はその両方に気付くことである。前頭葉はすべての感覚様相(視,聴,体性感覚,嗅,味)に関係している感覚連合野から線維投射を受けている。すなわち外的刺激についてのあらゆる情報は最終的には前頭葉に収斂する。同時に前頭葉は,大脳辺縁系を介して,個体の内的状況,欲求,感情についても情報を得ている。これら個体内外の情報を統合すること,これが前頭葉の営む「知の働き」である。この“social and personal awareness” が障害されるとどうなるか。社会への気付きの障害があれば,種々の反道徳的行為や犯罪行為を平気で行うことになる。他人の忠告や助言にも一切耳を傾けない。自分への気付きが失われれば,服装がだらしなくなったり,不潔になったりする。すなわち反社会性人格障害の症状を呈することになる。

前頭葉損傷による知の障害の重要な側面に「認識と行動の解離」がある。俗にいえば「わかっていても出来ない」,「分かっちゃいるけど止められない」ということである。

2.2 情の障害

前頭葉損傷による感情障害を特徴づけるのは,感情体験の浅薄化と「場違いな感情反応」である。

感情体験の浅薄化は感情体験の頻度の減少や強度の低下であり,はなはだしい場合には本来見られるべき感情が消失する。いわゆる無感動である。このような感情体験の浅薄化は悲しみ,怒り,恐怖のような負の感情で特に著しい。また主観的体験だけでなく,電気皮膚反応のような生理的側面でも反応が減弱している。

「場違いな感情反応」としてよく知られているのは病的諧謔症である。これは,冗談をいうべきでないところ,冗談をいってはいけないところで冗談をいうことである。このような感情体験の浅薄化と場違いな感情反応は,周囲に不真面目であるとか冷淡であるという印象を与え,しばしば対人関係を損なう原因となる。

2.3 意の障害

前頭葉には運動中枢である運動野,前運動野が存在し,一方,欲求と関係の深い大脳辺縁系との間に密接な相互繊維連絡がある。すなわち,個体に行動を起こしたいという欲求が生じた時,それを実際の行動に移す働き(欲求−行動変換過程)を前頭葉は担っている。前頭葉損傷によって,当然この欲求−行動変換過程に障害が生じる。この変換過程で重要な役割を担っている神経伝達物質がドーパミンである。従ってドーパミンの過剰あるいは不足によっても変換過程に障害が生じる。欲求が生じるとすぐ行動に変換されてしまう(例えば脱抑制),あるいは欲求によって引き起こされた行動がそのまま持続する(例えば保続,無動)という症状が多い。これと逆の症状も出現する。利用行動は,患者の周りにある事物を患者が勝手に使ってしまうことである。模倣行動は,患者がそれと指示されていないのに,検査者の身振りや言語を自発的に模倣することである,患者は環境からある行動をするよう命令されているように感じ,そのように行動してしまう。これは行動自律性の障害であるとされる。欲求がないのに行動だけが生起してしまう症状である。

3.前頭葉の機能(II)−作業記憶

3.1作業記憶の概念

前頭葉損傷によって感情,意欲,性格などに重大な変化が生じるが,一般知能や記憶には,かなり大きな前頭葉の損傷があっても,目立った変化は見出されなかった。ところが,意外な方面から,前頭葉損傷によって記憶障害が生じることが明らかになった。それはサルを対象とした研究である,Jacobsenはサルの前頭葉を両側とも破壊すると遅延反応の学習に重大な障害が生じることを明らかにした。サルの前に色,形,大きさが全く同じ容器(例えばお椀)を置く。サルの見ている前でどちらかのお椀の下に餌を隠す。サルとお椀の間にはスクリーンが降ろされ,サルはお椀を開けることが出来ない。一定時間(数秒~数分)経過した後,スクリーンが上げられ,サルが餌の置かれた方のお椀を開ければ餌が貰える。これが遅延反応である。サルはどちらのお椀の下に餌が置かれたかを記憶している必要がある。両側前頭葉を破壊されたサルは餌が隠されたお椀を正しく開けることが出来なくなった。前頭葉損傷によって記憶障害が生じることが確認されたのである。その後,前頭葉損傷による遅延反応の障害については多数の研究報告がなされ,この課題の遂行には前頭前野の背外側部,特に主溝周辺部という領野が重要であることが確定された。また,障害の性質については,餌が隠されているお椀を覚えることが出来ない,すなわち空間的位置記憶の障害であると考えられた。

前頭葉損傷サルで遅延反応障害が生じるなら,ヒトの前頭葉損傷者でも同じような障害が生じているはずである。この仮説を証明したのは著名な神経心理学者 Brenda Milner の弟子である L..Priskoである。彼は1963年に提出した学位論文において次のような実験を行った。視覚刺激や聴覚刺激が一定の時間間隔で二つ提示された。視覚刺激としては点滅刺激か色刺激が用いられ,点滅の回数や色調が二つの刺激で同じであったり,異なったりした。聴覚刺激はクリック音であり,クリックの回数が同じであったり違ったりした。被験者の課題は二つの刺激の異同判断であった。健常者の場合,二つの刺激間隔が60sec。を越えてもこの課題は容易に遂行出来た。左右いずれかの側頭葉切除者では,右側頭葉切除者が視覚刺激で障害を示しただけであった。ところが左右いずれかの前頭葉切除者は著明な障害を示した。ヒトでも前頭葉損傷によって遅延反応が障害されることが証明された。

このように,ヒトでも前頭葉損傷によって遅延反応の障害が生じることが明らかになった。この記憶障害の本態は何か。この問題を巡ってはさまざまの議論が展開された。そして,前頭葉機能を理解するキイワードとして,作業記憶という新たな概念が提出され,前頭葉研究は新たな展開を迎えることになる。

作業記憶とは何か。認知心理学では,記憶を短期記憶と長期記憶の二つに分ける。外界からの情報はまず短期記憶に蓄えられる。短期記憶に貯えられる記憶の量(記憶容量)や持続時間には限度がある。長期にわたって記憶が保持されるためには長期記憶に記憶内容が移行する必要がある,1970年代になって,このモデルに都合の悪い事実が出てきた。脳損傷者で,短期記憶は障害されているのに,長期記憶は障害されていない患者が見つかったのである。上記のモデルによれば,記憶は短期記憶を経て長期記憶に貯えられることになる。短期記憶が障害されたなら長期記憶が保たれるはずがない。このモデルには問題がある。そこで,1974年,イギリスの心理学者Baddeleyは短期記憶に代えて作業記憶という概念を提出した。

「短期記憶」と「作業記憶」はどこが違うか。「4,3,5,1」という数列を与えて,これをそのまま復唱させる。この課題は短期記憶に関係する。この数列を逆唱する課題はどうか,この課題は,数列を記憶内容として把持し,かつその順序を逆にして再生することを要求する。このように,課題を遂行するにあたって,事象を記憶として把持するだけではなく,それに何らかの情報処理を加える必要がある場合,作業記憶が問題になる。

もう一つ例をあげる。「英語のアルファベットの4番目,15番目,7番目の文字を綴ってできる単語を和訳する」課題である。この課題は次のようにして遂行されるであろう。

1)4,15,7,を記憶する。

2)長期記憶を検索して,英語のアルファベットの4番目,15番目,7番目の文字
(d,o,g)を再生する。

3)長期記憶を検索して,“dog”が日本語の「犬」であることを見出す。

4)「犬」と発話する。

以上のような情報処理が行われる「舞台」,それが作業記憶である。舞台に登場する俳優がすなわち記憶内容である。記憶内容は現時点での外界の状況,つまり短期記憶である場合(上の例では「4,15,7」の数列)もあれば,過去に修得した知識や経験,つまり長期記憶である場合(上の例では英語や日本語の知識)もある,

作業記憶は「記憶」とは呼ばれているが,単に情報を貯蔵,保持する能力ではない。むしろその主たる機能は知覚,判断,推理,思考などの複雑な情報処理の遂行であり,情報処理を遂行するために,情報の保持や想起が必要となるのである,

3.2 前頭葉損傷者における作業記憶障害

ヒトにおける作業記憶障害は,Milner達の研究以後,多くの研究者によって確認された。特に前頭葉背外側部の損傷で,重度の作業記憶障害が生じることが知られている。

3.3動物実験からの知見

前頭葉背外側部を切除されたサルで,遅延反応が障害されることは既に述べた。これに似た課題に遅延交替反応がある。これはサルに右,左,右,左,と連続して反応させ,反応間に一定の遅延時間を置く課題である。前頭葉損傷によってサルはこの課題の遂行も障害される。これらの事実から次のことが推測される。前頭葉は刺激と反応とを結びつけるいわゆる「連合学習」に関与している。連合学習がなされる時,前頭葉では何が起こっているか。前頭葉のニューロン活動を記録し解析することはこの点について重要な手掛かりを与えてくれるであろう。前頭葉のニューロン活動の研究は,世界に先駆けて京大霊長類研究所の久保田,二木らによって行われた。遅延反応をサルに学習させ,遅延反応遂行中のサルの前頭連合野より単一ニューロン活動を記録すると,この遅延反応に含まれる種々の事象(刺激,遅延,反応,報酬)と関連して発射活動の変化を示すいろいろなタイプのニューロンがあることが明らかになった。

前頭葉損傷によって障害される機能を作業記憶として定式化したのはGoldman-Rakicである,彼女らのグループも前頭葉のニューロン活動について一連の研究を行った。彼女らは,前頭連合野のニューロン活動を,1)課題イベントとの関連により,手がかりとして提示された視覚刺激に対する応答,2)遅延期間に生じる持続的な遅延期間活動,3)反応期に生じる運動関連活動,の3種に分けて検討した。そして,前頭連合野内に見出されたさまざまな課題関連活動をもつニューロン間に相互作用が存在すること,課題の進行に準じた情報の流れを生み出す相互作用の存在と同時に,これとは逆方向の情報の流れも存在すること,さらに,遅延期間活動をするニューロン間に高い頻度で相互作用が観察されること,などを見いだしている。

前頭葉には,・刺激提示時に活動が増大するニューロン,・遅延時間中に活動が増大するニューロン,・反応時に活動が増大するニューロン,・反応終了後に活動が増大するニューロン,の4種類のニューロンがある。このうち,遅延時間中に活動が増大するニューロンは,どのような刺激が提示されたかではなく,その刺激に対してどのような反応をするかの情報をコードしている。このようなニューロン活動は作業記憶と呼ぶに相応しい。

3.4 非侵襲性脳機能検査法による研究からの知見

最近,課題遂行時の脳の活動状況を直接捉えるさまざまな方法が開発された。主なものには,脳波,特に誘発電位あるいは事象関連電位(ERP),単一フォトン断層撮影法(SPECT),ポジトロン断層撮影法(PET),機能的MRI(fMRI),脳磁図(MEG)などがある。ERPやMEGを用いることにより,脳の電気活動を捉えることが可能となり,SPECT,PET,fMRIを用いることにより,脳の血流量,酸素消費量,糖代謝量などを測定することが可能となった。これらの方法は作業記憶の研究にも広く利用され,興味深い知見が得られている。

その結果を要約すると,作業記憶は前頭葉と密接な関係にある。作業記憶課題遂行時に前頭葉の活動性が増大することは多くの研究において明瞭に示されている。特に関連性が高い領野は前頭葉背外側部である,

4.前頭葉の機能(III)−遂行機能

4.1 前頭葉損傷者における遂行機能障害

前頭葉損傷者では,

1)カテゴリー分類検査~Wissconsin Card Sorting Test(WCST)が代表的である。赤,緑,黄,青の1~4個の三角形,星型,十字形,円,が印刷されたカードを「色」,「形」,「数」のいずれかの属性によって分類する。

2)Stroop検査~「赤」,「青」,「黄」,「緑」の文字(単語)を,それらの意味と異なる色で印刷した(たとえば,緑色で「赤」と書く)検査用紙を用意し,文字を読む課題,色名を呼称する課題,黒で印刷した色名単語を読む課題,の間で成績を比較する。

3)ハノイの塔検査~3本の棒があり,左の一本に三つの大,中,小のリングが大きさの順にはめられている。被験者の課題はリングを右の棒に最短の移動回数で移すことである。

4)ロンドン塔検査~ハノイの塔類似の検査で,課題は,コンピュータ画面の下方にあるボールをタッチパネルに指で触れて移動させ,見本と同じ配列を作る。

などの検査で障害を示す。このような障害は遂行機能の障害として理解されている。

4.2 非侵襲性脳機能検査法による研究からの知見

主として健常者を対象として,遂行機能課題時における前頭葉活動性の変化を検討した研究は,最近急激に増大している。1)カード分類検査,2)ロンドン塔検査,3)ハノイの塔検査,4)流暢性検査(単位時間内に出来るだけ多数の単語を話す言語流暢性課題,あるいは出来るだけ多数の図形を描く空間流暢性課題),5)乱数発生,6)裏返してあるトランプの次のカードの組がスペード,ハート,クラブ,ダイヤのどれか,もしくは何色かを推測してキイにより反応する,7)二重課題(同時に二つの課題(計算と復唱など)を遂行する,などの課題遂行時において前頭葉の活動性が増大することが明らかにされている。

5.前頭葉の機能(IV)−総括

以上述べてきた前頭葉の機能をどう表現すべきか。現在前頭葉機能の説明概念として最も有力視されている概念が遂行機能である。遂行機能は「それまでに経験のない新しい状況で,目標や計画を設定し,目標を達成するためにある行動を選択して実行し,目標が達成出来たかどうかを評価し,目標が達成されていなければ行動を変更する,などの活動を行う」と定義される。この定義から明らかなように,遂行機能は単一の過程ではない。いくつかの過程の複合体と考えられ,次の五つの過程を区別しうる。

1)環境の認知~自分がどのような環境条件において,どのような目標を達成するのかを正確に認識する過程である。ここには自分自身についての認識も含まれる。

2)行動の選択枝の発見~目標を達成するための行動としてどのようなものがあり得るかを発見する過程である。かって同じような事態で遂行した行動を想起する場合もあろうし,新たな行動を考えつく場合もあろう。この過程では,出来るだけ多数の選択枝を発見することが重要である。

3)計画立案,意志決定~どのような行動をどのような順序で遂行するかを決定する過程である。

4)実行~実際に行動する過程である。ここには,ある行動の遂行と共にある行動の抑制も含まれる。

5)評価~行動の結果,目標が達成されたかどうかを評価する。その結果に基づいて次にどのような過程に戻るべきかが決定される。目標が完全に達成に達成されれば,そこで行動は終了する。

達成されていなければ,必要な過程に戻ってそれ以降の過程が繰り返される。前頭葉はこれら諸過程とどのように関係しているかを検討しよう。

1)環境の認知

環境認知における前頭葉の役割については既に検討した。我々は,環境の認知は遂行機能の他の側面とは分けて考えるべきであると考える。その理由は以下のごとくである。

前頭葉損傷者では環境を正確に認知し,どのように行動すべきか熟知しているにも拘わらず,その通りに行動出来ない(しない)ことがしばしば生じる。このことは,環境の認知と行動発現は相互に独立した機能であること,二つの機能は前頭葉の別の領野に関係していることを意味する。

2)行動の選択枝の発見

一般的に,系統発生的に高等な動物ほど行動の自由度が大きい。下等動物では,刺激と行動とが密接に結びついている。高等動物では,同一の刺激に対してさまざまの行動を取ることが出来る。この特徴は,ヒトでその頂点に達する。ヒトの行動の自由度は極めて大きい。同一の刺激あるいは行動環境に対してさまざまの行動を取りうる。前頭葉損傷者では,このような行動の自由度が大きく減少する。前頭葉損傷者の特徴的行動である保続や利用行動,模倣行動なども,この行動の自由度の減少として理解することが可能である。

Gallaghwer らは,行動の自由度の大きさは創造性と関係し,創造性の高い個人ほど多数の行動の選択肢を発見出来ること,また創造性は前頭葉の機能と密接に関係していることを報告している。前頭葉の機能を考える上で,行動の自由度は重要な概念である。

3)計画立案,意志決定

前頭葉損傷に伴う計画立案,意志決定の障害についてはさまざまの報告がある。ある目標を達成するために,いくつかの行動を一定の順序で行わなければならない事態,このような事態において前頭葉損傷者の行動は障害される。特に,最終的な目標に到達するために通過すべき中間段階の目標が一見最終的な目標と矛盾するような場合,前頭葉損傷者の行動は最も障害される。要するに,回り道行動が出来ないのである。これはハワイの塔検査やロンドン塔検査で典型的な形で認められる。問題解決の中間段階において,最終的な目標とは矛盾する状況が出現しても,それが最終的目標達成に結びつくことを理解していなければ回り道行動は生じない。将来への見通しがなければ回り道行動は出来ないのである。

将来への見通しとそれに基づく回り道行動,これは日常生活においても非常に重要である。この認知機能が障害された前頭葉損傷者は,日常生活でも種々の困難に直面することになる。

4)実行

前頭葉損傷に伴う行動実行の障害としては,行ってはならない,もしくは不必要な行動を行ってしまう,すなわち行動の抑制困難もしくは脱抑制が問題となる。脱抑制で最も多い例は,かっては有効であったがもはや有効ではなくなった反応を抑制出来なくなる場合である。刺激と反応との連合が一度形成されると,その連合を解消することが出来ない,つまり学習理論から見れば消去が生じにくくなっている。脱抑制は前頭葉腹内側部の損傷で生じやすい。この部位は大脳辺縁系との間に密接な線維連絡を有する。一方,大脳辺縁系は種々の条件づけにおける刺激と反応との連合の形成に重要な役割を果たしている。前頭葉腹内側部から大脳辺縁系への抑制的制御の障害が行動面でも脱抑制として出現する。

5)評価

ヒトは行動を行った後,所期の目標が達成されたかどうかを検討し,予期した結果が得られなければ,再度行動を繰り返すかあるいは行動を変えるであろう。前頭葉損傷者はこの行動の結果の評価が出来ない。あるいは結果の評価に基づいて新たな行動計画を立てることに障害を示す。行動の評価それ自体がいくつかの複数の過程よりなる複雑な行動であり,前頭葉損傷に伴う評価の障害,あるいは健常者を対象とした評価遂行時の脳活動性の変化に関する研究報告は多くはないが,いずれの研究も行動の評価に前頭葉が関係していることを確認している。

執筆担当者

島田 陸雄
日本労働研究機構主任研究員

研究委員会

山下 利之
東京都立科学技術大学助教授
島田 睦雄
日本労働研究機構主任研究員
杉原 光雄
日本労働研究機構臨時研究助手