旧日本労働研究機構(JIL)資料シリーズNo.117 (2002.2)
カンボジア 外資系衣料産業の拡大と雇用変動
−大規模雇用出現の経済的、社会的影響−
概要
1 研究の課題
(1)国民経済の再建に取り組むカンボジア
1980 年代から 90 年代半ばにかけて、アジア地域は自覚しい経済発展をとげた。東南アジア世界では、タイ、マレーシア、台湾、香港、シンガポール、インドネシア、さらに、ベトナムや中国などの発展が著しい。97年のアジア経済危機、それに続く世界的な構造不況のなかで、後退と停滞が見られるにせよ、これらの国々の産業構造は、第一次産業から第二次産業へと、かなりの程度まで、その比重を移しつつある。しかしながら、アジア世界の中には、こうした経済発展の波に乗れなかった国々がある。東南アジア地域では、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどである。
この研究の対象であるカンボジアの場合、経済発展に立ち遅れた直接的な理由は明白である。この国では、長い植民地支配から開放された後も、東西の冷戦体制の影響を受けて、政治的混乱の時期が続いた。同じ民族が血を流し合う長い内戦の時代を経て、ようやく安定した統一的な国家を形成したのは、1990年代初めのことであった。新しく発足した統一政府は、長年の政治的混乱によって荒廃した国民経済の再建に着手した。しかし、経済再建はきわめて多くの困難を抱えている。極端な資本不足、技術不足、人材不足、政府による経済・社会の掌握力不足という状況のなかで、第一次産業中心の経済から製造業を立ち上げていかねばならない。それは、発展途上にあるすべての国が過去に直面し、また、現在も直面しつつある困難である。だが、それに加えて、カンボジアが特殊に直面している困難がある。一つは、長期の内戦状態による、あまりにも深刻な経済的、社会的、人間的疲弊であり、もう一つは、既に、周辺の国々が経済的に発展し、競争力を高めている環境のなかで、国民経済の再建を図らねばならないという事情である。カンボジア、ラオス、ミャンマーなどの国々は、経済的に先行した周辺の国々との不利な競争関係に置かれるばかりでなく、経済的な侵食の対象となりかねない状況に置かれている。
(2)外資系衣料産業の急速な拡大の経済的、社会的影響
実際に、カンボジアでは、今、こうした事態が生じつつある。カンボジア政府は、多くの先行モデルにしたがい、外国投資の誘致を経済発展の中心的な戦略として採用した。だが、優良な投資はカンボジアには向かわない。豊富な低賃金労働力の供給とカンボジア製品の輸入に対する先進国の優遇措置に魅かれた労働集約型の投資が流れ込むことになる。こうして、1990年代半ば以降、香港、台湾、中国、韓国、マレーシア、シンガポールなどの主として華人資本経営による衣料企業が首都プノンペン市とその郊外を中NG急増した。製品は、Tシャツやジーンズなどの低価格製品が中心で、しかも、カンボジアに持ち込まれるのは、縫製・仕上の労働集約的な最終工程のみである。こうした外資の進出によって、カンボジア資本の成長や、産業裾野の広がり、技術移転などを展望することはできない上に、これらの資本は、国内外の環境変化とともに、容易に、カンボジアを離脱しかねない危倶がある。
こうした問題を持つにもかかわらず、今や、衣料縫製産業は、カンボジアの最大の製造業に成長した。わずか4、5年の間に、200余の工場が出現し、10万人を超える雇用が創出された。このような外資系の衣料産業の活動は、カンボジアの経済、社会に大きな影響を及ぼしつつある。農業を中心としてきたカンボジア社会は、大規模の工場労働に関わる労働条件や労働環境、労使関係、さらに、若い女子労働者たちの劣悪な生活環境の問題に、初めて直面することになった。衣料工場で働くのは、主として、農村出身の若い女子労働者であるが、工場現場では、外資系の雇用主との間にさまざまな問題が発生している。生活面でも、女子労働者たちの置かれた生活環境の劣悪さの問題がある。労働者の不満は多くの労使紛争にまで発展しており、労働組合の組織化も進んでいる。
こうした事態に直面して、政府も、労働行政の整備充実を迫られている。今、カンボジアの経済と社会は、生業的な第一次産業を基礎とする体制から、第二次、第三次産業の雇用労働を基礎とする体制への移行の最初の段階にあるといえよう。
(3)研究の課題
現在、日本においても、また、国際的にも、カンボジアの衣料企業の急増によって引き起こされている事態についての実態的な研究はきわめて少ない。しかし、今後、カンボジアがバランスのとれた産業発展と労働市場の形成、安定した労使関係の形成を図っていく上ナ、これらの衣料産業の経営及び労働をめぐる実態、女子労働者の労働と生活をめぐる実態、労働行政の対応、労使紛争と労働組合運動の状況、及び、それらがはらんでいる問題点を明らかにすることは、きわめて重要であると考えられる。日本は、19世紀後半から 20世紀初めの産業形成期に、女子労働者を中心とする繊維産業の雇用・労働問題をめぐる豊富な経験を持っている。現在のカンボジアが当面している問題の望ましい解決にとって、こうした経験を役立てうるかもしれない。この研究は、そうした支援活動のための基礎的な材料を得ることを目的としている。
この研究の具体的な課題は、以下の4点である。
(1) 90年代初めに始まったカンボジアの経済再建の状況と問題点を明らかにすること
(2) 90年代半ば以降に急増した衣料産業の実態を明らかにすること
(3) カンボジアの就業構造を明らかにし、衣料産業の雇用増加がもたらした影響を把握すること
(4) 大規模な雇用労働の出現に伴う労働行政の整備、労使紛争と労働組合運動の展開について明らかにすること
(5) 衣料工場で働く女子労働者の労働と生活の状態、彼女たちが当面している問題について明らかにすること
2 調査研究活動の概要
(1)研究班の編成
この研究は、王立プノンペン大学社会学部との密接な協力関係のもとに実施されている。同学部は、イタリアのNGO、New Humanityの支援によって、1994年10月に発足した(*1)。長い政治的混乱のために、大学、大学院などの高等教育・研究機関を含めて、カンボジアの教育・研究活動は、国際的に大きく立ち遅れている。このような状況の中で、プノンペン大学社会学部の新設は、カンボジア社会の現実を社会科学的に分析し、当面する問題を解決していくための施策を構想する能力を持った教育・研究機関の必要性から生まれたものであった。しかし、同学部は、財政、人材、施設など、すべての面で大きな困難を抱えている。この研究活動は、日本側から、実態的な社会調査のハード、ソフト両面での支援を行うことにより、同学部の研究・教育活動の充実に協力することを側面的な目的としている。
したがって、研究班は、日本側研究者3名とカンボジア現地側の王立プノンペン大学社会学部のスタッフで構成されている。(*1)New Humanity,Khmer Culture and Globalization - Seminar 23‐24 November,2000には、プノンペン大学社会学部の創設をめぐる経過が報告されている。また、1998年から、日本から、坂梨由紀子氏(教育社会学)が同学部の専任スタッフとして、学部の建設企画に参加している。坂梨氏は、本研究の日本側スタッフと社会学部スタッフとのコーディネーターを勤めた。
(2)現地調査活動の日程
研究班は、2000年4月、同7月、同11月、2001年2月の4回にわたり、それぞれ7~14日の日程訪問し、周辺情報を得る活動を行った。さらに、研究班のうち、現地在住のメンバーは、上記日程以外にも、随時、調査活動に従事した。
(3)調査の方法
調査研究活動では、(1)文献、文書資料の収集、(2)関係組織に対する訪問聞き取り調査、(3)プノンペン市の工場集中地区における労働者と地域住民を対象とする実態調査、の三つの方法を採用した。
このうち、(1)主な収集資料については、巻末の「参考文献」に示してある。(2)の主な聞き取り対象組織は、以下に示した通りである。また、(3)の実態調査の詳細については、第5章の末尾に示している。
主な聞き取り対象組織
1 カンボジア政府機関
社会労働省
商務省
計画省
プノンペン市市役所
Chak Angrei Leu/Chak Angrei Crom行政区事務所
2 労働組合
FreeTrade Union of Workers of the Kingdom of Cambodia (FTUWKC)
Cambodian Union Federation(CUF)
3 衣料企業 国籍 従業員概数 主な製品 所在地
A社 香港 4,000 ジーンズ、ショートパンツ プノンペン市
B社 マレーシア 3,600 Tシャツ、ニット製品 プノンペン市
C社 香港 800 Tシャツ、ジーンズ、セーター プノンペン市
D社 韓国 2,800 ニット製品 プノンペン市
4 NG0
Cambodian Mine Victim Associatlon
APHEDA Union Aid Abroad
Shanti Volunteer Association
New Humanity
5 大学・研究機関
王立プノンペン大学
Cambodia Development Resource Instltute (CDRI)
Cambodian Institute for Cooperation and Peace (CICP)
3 研究結果の概要
研究結果の概要を報告書の叙述に沿って示すと、以下の通りである。
第1章「カンボジア経済の再建過程とその課題」では、カンボジア経済がおかれた状況、その構造的な特徴、及び、それが直面する問題を分析した。
(1)カンボジア経済の課題:
1990年代初め、カンボジアでは、国民経済の再建に向けての統一的な取り組みが始まった。国民経済再建の課題は、市場経済システムへの移行とともに、生業的な農業を中心とする経済から、製造業を立ち上げるという課題である。その手段として採用されたのは、外国資本の積極的な導入である。しかし、経済再建は、国内的、国外的に、困難な問題に直面している。
(2)国際的な経済環境条件の困難性:
経済的、社会的インフラが絶対的に不足している状況の中で、経済的に先行する周辺アジア諸国の競争圧力、侵食圧力を受けながら、経済発展を図らねばならない。
(3)産業構造の問題点:
外国資本誘致政策は、労働集約的な衣料縫製産業の大量の流入をもたらし、当面の経済活性化が実現された。しかし、それは、不均衡な産業構造を作り出すとともに、今後の産業発展に結びつかない不安をはらんでいる。
(4)貿易構造と国際収支の問題点:
衣料産業の拡大は輸出を活性化させた。しかし、その産業基盤が不安定なものである以上、安定したものとはいえない。しかも、全体の国際収支の赤字を外部からの資本移転によって賄わざるをえない状態にある。
(5)国家財政の脆弱性と構造的な援助依存体質:
財政支出を税収入によって賄うことができず、外国援助に大きく依存する状態が恒常化している。社会サービスを自前で賄えないことに加えて、積極的な経済政策を展開できる財政的基盤を持たない。
第2章「カンボジアの就業構造」は、カンボジアの就業構造の特徴を描き、そのモデル化を試みるとともに、9 0年代半ば以降に起きている変化を位置づけている。
(1)就業構造の特徴:
カンボジアのこれまでの就業構造は、圧倒的な比重を占める第一次産業の就労者、露天商など生業的な商・サービス業の従事者、手工的な製造業の従事者、及び飲食品の製造・加工、木材・木工製品の製造、レンガ製造などの中小規模の工場労働者で構成されてきた。大きな特徴は、一定の規模をもつ事業体による雇用分野が限られていることである。
(2)90年代後半の就業構造の変化:
90年代半ば以降の外資系の工場の急速な増加は、こうした就業構造を変貌させつつある。
大規模な雇用分野が作り出されると同時に、商・サービス業の就業にも間接的な影響を与えている。
(3)就業構造のモデル化:
カンボジアの就業構造は、生業的職業分野と事業体による雇用分野、都市部(特にプノンペン市)と農村部、という二つの主要ファクターの組み合わせによって描くことができる。
大まかに描くと、農村部は、生業的な農業従事者と生業的な商・サービス業、手工的製造業の従事者から構成され、都市部は、~定規模の事業体による雇用分野と生業的な商・サービス業の従事者によって構成される。(第2章図2−4参照)
第3章「1990年代以降の衣料産業の拡大とその影響」では、90年代半ば移行の外資系衣料産業の急成長の過程を描くとともに、その立地状況、規模、生産体制、労働者の状況などについて分析した。
(1)外国投資の増加:
外資誘致のための制度整備に伴って、とくに90年代半ばから、外国直接投資が増加した。投資分野は、製造業(衣料、木工など)、観光、サービス業が多い(投資額ベース)。件数では、衣料産業が圧倒的に多い。投資国は、マレーシア、台湾、香港、シンガポール、中国、タイなどの周辺アジア諸国が中心になっている。また、国によって、投資の方針に違いがある。
(2)衣料工場の急増:
衣料工場の数は、94年の7工場から 99年の186工場に急増した。主な投資国は、香港、台湾が最も多く、中国、韓国、マレーシア、シンガポールなどがこれに次ぎ、アジア地域の華人資本が中心を占める。主な進出動機は、豊富な低賃金労働力の存在とアメリカや EU諸国によるカンボジア製品の輸入優遇措置である。
(3)衣料工場の概況:
衣料工場は大半がプノンペン市と隣接する Kandaリトに集中して立地している。平均的な従業員規模は、約659人である。
製品は、Tシャツ、ジーンズ、ニット製品が中心で、低価格のものが多い。デザイン、原糸や生地の製造、染色、プリントなどの工程は、それぞれの投資国の本国で行われ、カンボジアには、労働集約的な縫製やニットの工程だけが持ち込まれている。
(4)衣料工場の労働力:
衣料工場の主な労働力は、農村出身の女子労働者で、その数は約12万人前後である。彼女たちは、ベトナム人や中国人などの中間職制の監督下で、出来高制で働いている。労働時間は、1交代制と2交代制があり、長時間残業の問題もあると言われる。賃金は、月 60~80ドルの間にある。
(5)衣料産業の経済的な問題点と経済的、社会的影響:
衣料産業はカンボジア経済の中核を占゜る位置にまで成長してきたにもかかわらず、外資を中心としており、カンボジア資本自らによる展開はあまり見られない。さらに、カンボジアには、労働集約的な工程だけが持ち込まれているために、技術移転、産業裾野の広がりが期待できず、将来の産業発展につながらない。また、国際的な経済環境の変化によって、これらの外資は容易にカンボジアを離脱する恐れがある。
にもかかわらず、急成長した衣料産業の経済的、社会的影響力は大きい。
第4章「労働政策と労働運動の展開」では、主として、衣料産業の拡大に対応する労働行政の展開、労使紛争の実態と労働組合運動の展開について分析した。
(1)新労働法の制定と労働行政の整備:
外資系衣料工場の急増と国際的な監視圧力の中で、カンボジア政府は、労働法と労働行政の整備充実を迫られた。1997年に制定された新労働法は、最低労働基準の設定と労働者の団結権を基礎にした労使関係の形成を中心とした内容としている。また、これに対応して、労働行政も整備されつつある。
(2)労働行政の実態:
衣料産業を主たる対象とする労働行政は、工場環境の最低基準を遵守させるための労働監督行政と紛争の調停・仲裁を行う労使関係行政が中心的な内容となる。これらの行政は、かなり熱心に取り組まれている。
(3)労使紛争と労働組合運動の状況:
衣料工場では、労使紛争がかなりの頻度で発生しており、多くの場合、労働組合がこれらの紛争に関わっている。衣料産業の労働組合は、96,7年頃に、5つの主な組織が形成された。実質的に、産業別組合の形態をとり、本部の指導体制が強い。組合費を支払っている組合員は比較的少なく、組織としては、まだ、十分な財政基盤を確立していない。労働組合は、工場レベルでは、労働法に規定された職場委員制度に依拠して、活動を行っている。また、労働組合代表は、労働法に規定された労働諮問委員会に参加しており、衣料産業の雇用者団体とも統一交渉を行うなど、産業レベルでも一定の位置を占めている。
第5章「衣料工場女子労働者の労働と生活の実態」では、プノンペン市における一つの工場集中地区を対象とする実態調査によって、工場集中地区の状況と、女子労働者の労働と生活の実態を描いている。
(1)衣料工場集中地区の状態:
プノンペン市の衣料工場は、市の外周部の特定地域に集中している。これらの地区では、工場進出とともに、地域がスプロール的に拡大しつつある。地域の環境状態は劣悪である。
(2)女子労働者のプロファイル:
労働者の約15~20%がプノンペン市出身、80~85%が地方出身である。後者は、プノンペン地域に近接する、比較的、人口密度の高い平野部の諸州が圧倒的に多い。
労働者の年齢は、18~22 歳が圧倒的に多く、入職年齢も18歳以降が多い。勤続年数は、工場設立後、あまり年数が経っていないために、3年未満の者が圧倒的に多い。
(3)女子労働者の家計:
月の賃金収入は、40ドルから 80ドルの間に広く分布しており、消費支出も、10ドルから 44ドルの間に散らばっている。約70%弱の労働者が実家に仕送りしており、このうち、収入の半分以上を仕送りしている者は約30%である。
(4)地方出身の下宿者の生活と居住条件:
地方出身者の多くは、裏通りの民家に下宿している。家賃は月 5ドル程度で、個室は少なく、同室者の数は、3~5人が多い。食事は、昼食を外食でとり、朝、夕は自炊というタイプが多い。下宿の環境は狭く、換気や採光が悪い上に、水や電気の使用、トイレなどに問題があるケースが多い。
(5)女子労働者の社会的交流範囲と日常生活:
一般に、女子労働者の社会的交流範囲は狭く、工場と下宿(通勤者の場合は自宅)の範囲に限られている。単身生活をしていても、実家との結びつきが強い。多くの労働者は、都市での生活を好ましいものとは思っていない。
(6)心配事や生活上の問題:
きわめて多くの労働者が低賃金と貧しい生活状態についての不満を表明している。また、将来にわたっても、仕事が保障されるかどうかの不安や将来の生活についての不安を抱いているものも多くある。さらに、健康状態や病気についての不安、周辺の環境の安全性についての不安もある。仕事に関する不満については、自由に休暇をとれないこと、長時間労働(残業の強制)、職制の不当な扱い、などが表明されている。
研究参加者
- 主査
下田平 裕身(しもだいら ひろみ) - 信州大学経済学部教授
- 委員
小林 多寿子(こばやし たずこ) - 日本女子大学人間社会学部助教授
- 委員
坂梨 由紀子(さかなし ゆきこ) - 王立プノンペン大学社会学部教授
(現地研究班とのコーディネーター) - 委員
青木 章之介(あおき しようのすけ) - 日本労働研究機構副主任研究員(事務局)
カンボジア現地研究参加者
- PHONE SENG(ボン・セン)
- 王立プノンペン大学社会学部教授
- KIM SOVAN KIRI(キム・ソバン・キリー)
- 同(現地調査担当事務局)
- DOUN SAYRUN(ドゥオン・サイルン)
- 同
- TE SOTHY(タイ・ソティ)
- 同
- PUCH SINA(ブッ・シナ)
- 同
- CHIN SARIN(チン・サルン)
- 同
- LOEUKSAVANN(ルウック・サバン)
- 同
- THY NAROEURN(ティ・ナルウン)
- 同
- SOUKNARIN(ソツク・ナルン)
- 同
- CHAPNIMOLi(チャップ・二モル)
- 同
- HENGNARET(ヘン・ナ レ ッ )
- 同
- N O PVUTHY(ノップ・ブティ)
- 同
報告書執筆担当者
- 下田平 裕身
- 信州大学経済学部教授