Sto. トーマス労働大臣、フィリピン長距離電話会社のストを強制仲裁

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2003年4月

フィリピン長距離電話会社(PLDT)の一般組合員労働組合(MKP)は、経営者側の人員削減計画に反対し、2002年12月23日よりストに突入していたが、Sto.トーマス労働大臣の強制仲裁により、2003年1月収拾に向かった。

労使紛争の背景

PLDTの経営者側は、2002年11月、546人の電話交換手を解雇する人員削減計画を発表した。経営者側によると、ダイレクトコールや電子メイルの普及により、交換手による電話交換回数が、1996年の4億6400万回から2002年には約1億2900万回にまで、約5%減少していた。2002年の1億2900万回の内訳は、1億1400万回が国内長距離通話で、1400万回が国際通話である。

特に、利益率の高い国際通話が199年比60%も減少し経営に大きな影響を与えた。現在、国際電話を利用する利用者は、交換手を通すと1分当たり3米ドルで、ダイレクトコールだと1分当たり40セントで通話できる。また、最近では、インターネットを通じ音声による通話が可能なシステムも普及し始めていることも影響を与えた。

MKPは、直ちに、PLDTの62の主な電話交換所の前でピケを張り、経営者側に対し、000人の組合員を動員して抗議ストを実施する声明を発表した。これに対し、経営者側は、特別退職手当の増額や一部の労働者の配置転換による雇用の維持計画を発表したが、MKPは同意しなかった。

スト決行

2002年12月23日、MKPは、クリスマスコールが最高潮に達する時期を狙ってスト決行を宣言した。

しかし、PLDTの業務に与えた影響は限られ、経営者側は、MKPのスト決行にもかかわらず、通常業務の90%は維持できたと発表し、その理由は管理職とストに同調しなかった労働者が業務を維持したからだと説明した。また、12月23日、労使間で調停が成立しかけていたにもかかわらず、MKPは夜間に突然スト決行を宣言し、この戦略は、明らかに電話の使用量の多いクリスマス休暇を狙ったもので利用者へのサービスを無視したものだと非難した。また、ストに参加する労働者は、これ以上増加しないと述べ、通常業務の維持に自信を示した。

ペト・ピンラックMKP委員長は、ストに同調しない労働者がかなりいたためストの効果が限定的だったことを認め、最も大きな影響を与えると予想されるサボタージュ行為へ今後戦略転換が必要だと弁明した。また、ピンラック委員長は、ストに不参加だった労働者に対し、経営者側は、今後交換手を1206人から200人にまで削減する計画を極秘に立てており、2004年にさらに500人の解雇がある警告しスト参加を呼びかけた。

MKPは、スト中の労働者を動員して、マニラ市、セブ市、マカティ市のPLDTの事務所前でピケを張った。

DOLEの調停

Sto.トーマス労働大臣は、12月24日、記者会見で、労組側の要求に理解を示しながらも、「政府は、経営者の権利の行使を中止させることはできない」と言明し、労組側が、経営環境の変化に対し理解を示すように促し、積極的には介入しない態度を見せた。ピンラック委員長は、この発言は、企業の身勝手な経営方針を容赦するものであるに等しいと述べ、経営者側が雇用契約に対する権利を持っていたとしても、この発言は、労働者を失業から保護する集団労働契約の規定に違反するものだと反発した。

DOLEは、12月25日、労組側にやや歩み寄る形で調整し始めた。しかし、解雇労働者の撤回は実現されず、ピンラック委員長は、12月26日、DOLEの対応は、経営者側寄りだと非難し、12月2日の三者会議に参加する意思はないと述べた。

これに対し、ジョセフ・ジメンツ労働次官(労使関係担当)は、「政府も問題解決に努力しているのだから、MKPも協調的でなければならない」と述べ、12月2日の三者会議に参加するよう呼びかけた。これに対しピンラック委員長は、12月2日の会議にSto.トーマス労働大臣も参加し、この労使紛争について、マスコミ報道を通じてではなく、直接詳細な事実関係を把握するよう要請した。

DOLEの中で、この問題を専門に担当しているアルビン・ビラモル弁護士は、Sto.トーマス労働大臣が強制仲裁しない限り解決には至らないかもしれないと述べた。また、セン・ジェームズ・バーバー上院議員は、PLDTに対し、クリスマス期間中は、解雇計画を撤回すべきだと主張した。

12月2日、ストを決行しているMKPの300人の組合員と警備の警官との間で衝突があった。MKPは、アロヨ大統領が、この労使紛争に介入し、解雇命令を撤回するよう行政指導することを要請する声明を発表した。

2003年1月2日、DOLEは、2回目の調整を試みたが失敗に終わった。経営者側は、労組側が要求した546名の労働者に対する解雇の完全撤回要求を拒否し、546名の内33人については、再雇用のポストがないことを説明した。

労組は、PLDTの経営者側は、常勤の労働者を解雇した後、非常勤の労働者を採用し交換業務を維持していることを非難し、DOLEに調査するよう要求した。ジメンツ労働次官は、この要求を受け入れDOLE内の特別チームに調査を命じたが、経営者側は、DOLEに非常勤雇用の労働者リストを渡すことを拒否した。

Sto.トーマス労働大臣による強制仲裁

Sto.トーマス労働大臣は、1月3日、強制仲裁の裁定書に署名し、PLDTの労働争議を強制仲裁した。仲裁内容は、経営者側の要求をほぼ受け入れたもので、労組に対し、解雇された546名以外は職場に復帰するよう命令を下し、一方経営者側に対しては、職場復帰した労働者に対し、スト参加以前と同様の雇用条件を与えるよう命令した。この決定により、スト中の労働者は、職場に復帰しなければならなくなりストは終結した。

ピンラック委員長は、Sto.トーマス労働大臣が、NLRCによる三者協議を行うことなく、強制仲裁したことを非難し、10日以内に、Sto.トーマス労働大臣に今回の裁定を再考するように要望書を提出すると述べた。

強制仲裁実施の背景

関係者によると、Sto.トーマス労働大臣による強制仲裁が実施された背景には、DOLEが、経営者側の業務量の激減に伴う労働者の削減という解雇理由に理解を示したこと、政府が、PLDTという公共性の高い通信分野を受け持つ企業のストが長期化し、フィリピン経済に対する国際的信用が失墜するのを危惧したためと見られている。

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