アンセット航空の経営破綻
―背景とその影響

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2002年6月

アンセット航空(以下ア航空、ア社とする)が2001年9月に経営破綻の可能性を示唆して以降、この問題は政労使を巻き込んで様々な波紋を投げかけてきた。ア航空は比較的労働党との関係が強く、労働党と関係がある企業関係者がア社の取得と再建を試みたが、この試みは結局失敗に終わり、最終的にその提案は撤回された。

以下、ア航空破綻の背景と再建に向けた試みが頓挫に至るまでを報告する。

破綻の背景

ア航空は1930年代に西オーストラリア州で誕生した。そしてカンタス航空とともに国内2大航空会社となり、ほぼ2社による独占状態が続いてきた。ア社が破綻した1つの原因は、ヴァージン・ブルーやインパルス・オーストラリアといった新たな競争相手が登場したことにあった。こうした会社による格安サービスの提供が、同社の収益性を圧迫することとなった。

ア社の破綻は、2001年9月11日の同時多発テロの翌日に明らかとなった。ア社破綻の原因としてさらに指摘されているのは、まず第1にオーストラリアの航空業界がすでに過当競争状態にあることである。新たな競争相手が登場すると、大手航空会社は価格を下げ、競争相手を追い出すという方法をとってきた。その結果、インパルス・オーストラリアはカンタス航空に買い取られることとなった。しかしヴァージン・ブルーのオーナー(特に英国ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン氏)は、十分な資金力があった。そのためア社は競争相手の増加により収益が圧迫されることとなったのである。

第2にア社の経営判断に問題があったと指摘されている。1980年代に同社はルパード・マードック氏と共同でTNT社が所有していたが、マスコミによればこれらの企業関係者は同社を一種の財源と見なし、利益を上げるのに必要な投資を維持しなかったといわれている。こうした傾向は、同社がNZ航空に売却されるまで続いた。一方のNZ航空は同社を維持するだけの資本がないことから、NZ航空による同社取得は非常に批判された。さらに一層悪いことには、NZ航空はア社から資金を移転させていた。最初の経営破綻の後に開かれた公聴会で、ア社の経営陣が定期的にNZ航空に現金を移すよう求められていたことが明らかにされた。また安全性に懸念を抱かせるような多くの事故が発生し、ア社は適切な維持管理を行っていないと非難されるようになった。

第3に同社の相対的に高い人件費も破綻を招いた原因と捉えられている。労組関係者によると、ア社はカンタス社などの他の航空会社ほど費用削減には積極的でなかったという。また同社従業員の労組加入率はほぼ100%であり、賃金交渉など多くの点で同社は航空業界のペース・セッターの役割を果たしてきた。そのため労組に批判的なメディアは、同社が労組を甘やかしすぎたと非難している。ただ、同社の総人件費はカンタス社よりも0.5%高い程度であり、人件費の高さが経営破綻を説明することにはならないであろう。しかしながら、以上のような認識がその後の議論に大きな影響を与えることとなった。

労働債権の保護をめぐって

前述のようにア社は労働党やACTU(オーストラリア労働組合評議会)との関係が強く、そのため自由・国民党政府はこれを支援しないであろうと思われていた。

9月14日の運航停止以降、ACTUは約1万6000人の同社従業員を支援することを決定した。何よりもまず復職と雇用継続が課題であったが、労働債権の保護も大きな焦点となった。当時の労働債権補助制度(EESS)では最高1万豪ドルまでの支払いが保障されていたが、同社従業員の未払いの労働債権は総額4億豪ドルから7億3000万豪ドル程度であると概算されていた。政府が労働組合からのプレッシャーを受けるのは必至であったし、2001年11月の総選挙も控えており、政府は取り急ぎ新たな一般労働債権剰員制度(GEERS)を立法化した。同制度はより包括的な労働債権保護を提供している。さらに政府はア社の従業員の労働債権保護を目的とする特別基金のためにすべての旅客機に10豪ドルの料金を課すことを決定した。

再建に向けての試みと挫折

他方、ACTUは同社従業員を代表し債権者集会で大きな役割を果たした。ACTUとそれが代表する同社従業員は債権者の中でも優先的に弁済を受けることができる。企業倒産直後に従業員がこうした地位を獲得するのはオーストラリアではまれである。ア社は2001年9月12日には任意管理に入っており、任意管財人に選ばれたのはプライスウォーターハウス・クーパーズ(以下PwCとする)であった。PwCは運航により損失が膨らむと考え、運航中止を決定した。ACTUはこれによりPwCが同社の清算を意図していると考え、PwCの追い出しを図った。結果的にACTUは別の人物を管財人とすることができた。ACTUは新たな買い手を求め積極的に活動したもののなかなか見つけることができず、大事業家であるフォックス氏とルー氏の国際資本連合であるテスナ社と接触し、11月8日に両氏がア社の買い取りを公表した。

実は、ACTU前書記長であるビル・ケルティ氏は両氏の友人であり、また彼はコベット現ACTU書記長の良き師でもあった。従って、テスナ社による買取は労組と労働党の利害と深く関わっていると思われた。ACTUと両氏の間の交渉は11月21日以降続けられたが、ア社再生にとって補足的財政支援が必要とされていた。しかし、管財人が同社の財政状態を調べていくと、損失の程度が明らかとなった。同社は週あたり600万豪ドルの損失を出していた。当初より連邦政府からの支援を求めていたテスナ社は次第に熱意を失い、合併の可能性を視野にヴァージン社のブランソン氏に接触した。しかし彼は両社の企業文化の違い等を理由に断った。

契約の最終期限は2002年2月28日であったが、同26日に資金の獲得が困難であることを理由にフォックス、ルーの両氏は彼らの提案を撤回した。この決定は管財人や労組の怒りをかい、労組は両氏が契約を破ったと主張した。結局、ア社は清算されることとなったが、労働債権が十分に保護されるのかどうかは不明であり、ACTUは両氏に対する集団訴訟を検討している。

なおパトリック・コーポレーションは、ア社のシェア取り込みを目的としたヴァージン・ブルー社の計画を支援するため同社への出資を決め、連邦政府もこれを承認した。

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