政府の技術革新声明とそれに対する評価

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:2001年5月

2001年1月29日、政府はかねてより待たれていたオーストラリアの技術革新能力を復活させるための青写真を公表した。「Backing Australia's Ability(注1)」と題されたこの政策声明では、一見したところ技術革新とハイテク経済に対する政府の責任が強調されている。ただ同声明は、職業訓練政策や高等教育をめぐる問題点にほとんど言及していないため、失望と驚きをもって迎えられている。そこで以下では、まず同声明の内容を検討し、その上で技術革新やIT社会の発展に欠くことのできない職業訓練に関する政策上の課題を考察したい。

政策声明の内容

同声明には、主に3つの目標が掲げられている。第1は新たなアイディアを生み出す能力を高めること、第2はそのアイディアを商品化する能力を向上させること、第3はオーストラリア人の能力を開発し維持することである。第1と第2については、オーストラリアのアイディアを生み出す能力は非常に高いものの、研究開発(R&D)に対する企業の関与が極めて低いために、アイディアを商品化する能力に欠け、アイディアを輸出する結果となってしまっている。この点が、オーストラリアの産業の脆さとなっている。第3については、同声明では能力開発の重要性が指摘されているものの、その中心は大学教育に偏っており、職業訓練を取り巻く問題には触れられていない。この点が、声明の大きな欠点といえよう。

それでは次に、これらの目標を達成するためにどのような提案が行われているのかを見ていきたい。

まず、企業によるR&Dを促進するためのプログラムが数多く提示されている。例えば、R&D に対する税制上の優遇措置の拡大や、R&Dを実施する小規模企業に対する支援策などが挙げられる。

能力開発・維持のためには、高等教育機関と研究機関に対する追加的予算の配分が、さらに商品化促進のために、大学と産業界の関係を緊密にする方策が提案されている。具体的には、研究基盤整備に対する予算の増額や、特別奨学金制度の拡充等が示されている。

これに対し、情報産業の使用者団体であるオーストラリア情報産業協会(AIIA)は提示された方策に不満を表明し、政府とのさらなる協議を求めていく姿勢を示した。オーストラリア経営協議会(BCA)も、同声明の中で技能訓練の問題が取り上げられなかったことに懸念を表明している。他方、これらの方策の恩恵を受ける大学の指導者などは、肯定的な評価を行っていた。

実は政府は、技術革新についてとりあえず何らかの政策を示さざるを得ない状況に置かれていたのである。というのは、オーストラリアが「オールド・エコノミー」であるとの認識から、金融市場におけるオーストラリア・ドルの評価は低下しており、さらに政府は、総選挙を控え野党労働党に先駆けて、独自の政策を公表する必要があった。このように政府は、金融市場や国民にアピールするために、今回の政策声明を公表したと捉えられている。

職業訓練政策をめぐって

政策声明では、オーストラリア人の能力開発とその維持が第3の目標に掲げられていたが、その一方で職業訓練の現状や課題にはほとんど言及されていない。

しかし、OECDが主張するように、国家的な職業訓練制度の整備がますます重要となってきている。新たな形態のワーク・オーガニゼーションは新しい技能を必要とし、そして急速な変化に対応するためには、持続的に技能を向上させる能力が求められる。これに対し、オーストラリアの職業訓練体系は、労働市場に参入する以前の訓練を重視していたために、1980年代に生じた変革に十分対応できなかった。職業訓練の多くは、仕事をしながらの実地訓練でなく、正式な訓練機関で行われていた。さらに深刻なのは、オーストラリア憲法が教育・訓練の規制を州政府に委ねていることであった。

1980年代末頃から、当時の労働党政府はこの混乱した体系を改革しようと試みた。労働 党政府は「Job Compact」として知られる制度を導入し、これにより、失業者には金銭的な支援が与えられる代わりに、職業訓練と就職斡旋(期間雇用等)が課されることとなった。 企業には、こうした「訓練工」が低賃金で提供され、助成金も交付された。しかし、制度の有効性を担保するシステムが十分でなかったために、訓練工は搾取されるようになり、偽の資格証明書も発行されるようになった。

1996年に誕生した自由・国民党連立政権は、この分野の予算を削減し、さらに企業に課せられた要件を緩和することで低賃金の訓練工の利用を拡大した。

1998年には、オーストラリアの職業訓練システムを改革する新たな戦略が打ち出された。ここでは、職業訓練システムにおける企業のリーダーシップが強調され、助成金や低賃金訓練工の提供、訓練の質を担保する要件の緩和などが提案されていた。「New Apprenticeships」というこの制度の詳細は省略するが、この制度の下で訓練工と企業は自らのニーズにマッチした訓練を選択できるはずであった。しかし、監督手続の緩和等から、 訓練提供機関が結託し、偽りの資格証明書を発行する等問題が噴出している。

そのため1999年から2000年にかけて、職業訓練システムに関する実態調査がいくつか実施された。そのいずれもがほぼ同様の結論を示すに至っている。つまり、職業訓練制度の劇的な質の低下、制度の濫用や不正行為が共通して報告されていた。このように、現在の職業訓練システムは混乱状態にあり、政府による早急の見直しが求められている。

大規模な調査を行った上院の雇用・職場関係・小規模事業・教育調査委員会は、その報告書の中でいくつかの勧告を行っている(注2)。まず、政府と議会が職業訓練システムについてより真剣に取り組むこと、そして企業に与えられたリーダーシップを別の関係者と分配すること、等が提言されている。

2001年に予定されている総選挙の前に、現政権が、これらの問題に実質的に取り組むことはできないであろうと考えられている。したがって、次期政権が、職業訓練システムについてどのような政策を打ち出すのか注視していく必要があろう。

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