大宇グループの資金繰り悪化と抜本的な構造調整案の確定

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年10月

5大財閥のうち、構造調整(財務構造改善計画の履行)が最も遅れ、資金繰り難に陥っていた大宇グループの抜本的な構造改革案が1999年8月16日に確定した。これにより、約32年間韓国の輸出志向型経済発展の担い手として護送船団方式による規模拡大にひた走ってきた大宇グループは系列企業の分離売却作業の本格化と共に解体の運命を辿ることになる。これは財閥型経営が政府の財閥改革に対する強い意志もさることながら、もはや市場の圧力に耐えられなくなったことを意味する。その点で大宇グループの抜本的な構造改革はオーナー経営者を総師とする財閥の護送船団方式経営に終止符を打ち(政府の政策目標でもある)、さらには韓国経済の大きな転換を告げる試みとして位置づけられよう。

ちなみに今回大宇グループと債権銀行団との間で締結された「特別財務構造改善協約」はいままで5大財閥との間で結ばれていた協約とは違って、構造調整の透明性向上と対外信認の回復のために外国の専門家を交えながら、債権銀行団主導で作られたところに大きな特徴がある。

大宇グループの資金繰り悪化

大宇グループの資金繰り難が表面化したのは、1998年9月にGMとの外資誘致交渉が決裂した後、1999年10月に野村証券から大宇グループ系列企業の資金繰り悪化関連の報告書が出されてからであるといわれている。それを機に、大宇グループは国内外の金融機関による与信の回収に見舞われ、資金繰りが一段と悪化した。

1999年7月末に満期が集中する短期負債の処理に追われていた大宇グループ側は1999年7月16日、政府に緊急支援を打診するが、その際最大の争点になったのは金会長の経営権と追加担保の処分権であったといわれる。政府は大宇グループの速やかな構造調整のために金会長の退陣は避けられないとの立場を表明したのに対し大宇グループ側はその代案がないことを 摎Rに抵抗した。そのため、最終的には構造調整が完了し、経営再建にめどがつくまでの時限付きで金会長の経営権を認めることで合意が得られたようである。

1999年7月19日、大宇グループは大宇自動車の経営再建後金宇中会長の退陣、自動車部門を中核とするグループ再編、金会長の私財(1兆3005億ウオン)及び系列企業保有の株式・不動産(8兆8340億ウオン)による追加担保提供などを盛り込んだ新たな構造調整案を発表し、正式に緊急支援を要請した。

大宇グループは1967年に大宇実業(1975年に総合商社、・大宇の貿易部門)からスタートし、32年間オーナー経営者の独断経営と借入金依存の多角化・拡大戦略を軸に1998年末現在財界第2位の財閥にまで成長した。つまり1970年代から政府の重化学工業育成政策に沿い重化学工業分野への進出や経営不良企業の相次ぐ吸収、さらに金融・サービスなど新しい成長分野への新規参入など非関連多角化戦略で系列企業数を増した。その一方で1993年からは政府の世界化宣言を盾に「世界経営」を掲げ、海外進出に積極的に取り組むなど、ひたすら規模拡大路線を歩み続けたのである。たとえば、国内の系列企業数は1993年の22社から1998年末には37社に増え、海外現地事業所は1993年の150カ所から1998年末には600カ所余りへと4倍増えた。

金融監督委員会によると、1997年の経済危機を機に借入金依存の拡大路線の転換、つまり構造調整を迫られるようになったにもかかわらず、大宇グループは経済危機の渦中でも国内で系列企業5社、海外現地法人34社などを増やすなど拡大路線を走り続けた。その他に、キャッシュフロー無視の輸出拡大で売掛債権は9兆2000億ウオンに急増し、借入金の急増に伴う金融費用の急騰で経営業績は1997年の4000億ウオンの黒字から1998年には6000億ウオンの赤字に転落した。そういうなかでもGMからの外資誘致が実現すれば財務構造改善も順調に進むと踏んだのか、本格的な構造調整よりは短期のCPや社債の発行で必要な資金を調達し続けたため、短期負債は急速に膨らんだ。

結局、GMとの外資誘致交渉の決裂と共に、構造調整の遅れが目立つようになると、対外信認度の低下と共に資金の借入が難しくなるうえ、与信回収の動きが広がったため、短期のCPや社債発行で急場を浚ごうとしたのが命取りになったようである。遅まきながら1998年12月に財務構造改善協約を締結し、構造調整に本格的に取り組むようになるが、自動車と電子部門における三星グループとのビッグディール交渉は決裂し、1999年4月19日の構造改革案に基づいた系列企業(ソウルヒルトンホテルなど)の売却も焼け石に水で資金繰り難の根本的な改善には遠く及ばなかった。

これに対して金融監督委員会は、5大財閥の財務構造改善協約履行状況を踏まえて、大宇グループ以外の財閥グループは目標値の96%以上を達成しているのに対して、大宇グループは18.5%にとどまったため、「構造調整の遅れ→対外信認度の低下→資金繰り悪化」の悪循環に陥ってしまった点を強調している。

大宇グループによると、負債総額は1999年6月末現在国内の借入金49兆ウオン(本社の外貨借入金31億ドル含む)、買掛金・債務保証等11兆ウオンと海外現地法人の借入金68億4000万ドル(1ドル=1200ウオンで換算、約8兆2000億ウオン)合わせて68兆2000億ウオンに上っている。大宇グループ側は、一部の報道で問題視されている海外現地法人の借入金規模に対しては、「外国の金融機関からの借入金は45億8000万ドルでそのうち短期の借入金は27億1000万ドルにとどまっており、一部の報道で指摘されているような過度な借入金はない」と主張している。

債権金融機関団は1999年7月22日、6カ月以内の構造調整完了を条件に、CPや社債などを含む短期負債の満期延長(6カ月間、11兆ウオン規模)と4兆ウオン規模の新規融資、2兆5000億ウオン規模のコール資金提供などの支援を行うことで合意した。

政府は1999年7月25日、緊急経済政策調整会議を開いて、株価の暴落や金利の急上昇など大宇グループの資金繰り悪化が株式・金融市場に及ぼす悪影響を最大限に食い止めるため、次のような金融市場安定化策を決めた。第1に、流動性供給を増やし、低金利基調を維持すること、第2に、構造調整の過程で財務健全性が悪化する債権金融機関に対しては公的資金の投入を検討すること、第3に、大宇グループの資産売却日程の繰り上げ、融資分の出資への転換、債権金融機関による担保資産の任意処分、4兆ウオンの新規融資に参加した金融機関に対する担保資産の優先的配分などが盛り込まれた。

グループの解体に向けての抜本的な構造調整案

その後、大宇グループと債権銀行団の間で、構造調整の主導権や分離売却すべき系列企業の範囲(大宇証券や株式会社大宇の建設部門など)をめぐって論議が重ねられたが、どちらかというと、債権銀行団の一方的な攻めが目立った。1999年8月16日、大宇グループと債権銀行団との間で「特別財務構造改善協約」が締結され、大宇グループの構造調整は債権金融機関が主導権を握って推進することになった。ただ、外国の債権金融機関の間では債権銀行団の構成や追加担保資産の配分などで排除されたことに抗議し、大宇グループの処理案に対して不満を露にするところが多く、その出方が注目されている。今回締結された特別協約の主な内容は次の通りである。

第1に、特別協約に系列企業別構造調整案を具体的に明示し、6行の主要債権銀行がそれぞれに割り振られた系列企業の構造調整を責任をもって推進する。まず主要債権銀行は月毎にそれぞれが担当する系列企業の構造調整の履行状況を点検し、計画通り履行されなかった場合は大宇グループ側が提供した担保の処分権を即時行使する。

第2に、グループ全体の構造調整履行状況に対しては債権銀行団が外資誘致、グループからの分離、資産売却、負債比率などの4項目を中心に、四半期毎に点検し、グループ全体の履行実績が不十分で、協約上の制裁対象と判定された場合は、系列企業別に状況に応じてワークアウト(企業価値改善作業)や会社清算などの法的措置をとる。また構造調整の過程で資金繰り難が深刻な状態に陥った系列企業に対しては協約上の期限(1999年末)を待たずにワークアウトに回す。

第3に、大宇グループは1999年6月末現在系列企業25社体制から、大宇自動車、大宇自動車販売、大宇キャピタル、大宇通信の自動車部品部門など自動車関連の4社と株式会社大宇の貿易部門、大宇重工業の機械部門など合わせて6社体制に縮小される。債権銀行団は今回の協約通り構造調整が完了すれば、大宇グループは総資産56兆ウオン(自己資本23兆ウオン、総負債33兆ウオン)規模の自動車専門企業グループに生まれ変わり、負債比率も196%に改善されるだろうとみている。

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