旧・JIL国際講演会
直面する労働法の立法的課題を考える
~ドイツの経験から(2000年3月14日)

「ドイツにおけるパートタイム労働の均等処遇原則」
ハイデ・ファール
ハンブルグ大学教授、ハンスベックラー財団・経済社会研究所所長

「ドイツにおける個別労使間紛争の処理の現在」
トーマス・ディトリッヒ
ゲッティンゲン大学名誉教授、ドイツ連邦労働裁判所 前長官

コーディネーター
角田 邦重 中央大学法学部教授

 

目次

 

主催者のごあいさつ

【花見研究所長】
 今日、私がご挨拶申し上げるのは、機構の所長としてということもありますが、今日の会合は研究機構と日独労働法協会の共催でございまして、日独労働法協会の会長としてもご挨拶を申し上げます。日独労働法協会は現在百五十名ほどの会員を擁し、ドイツの労働法に関心のある日本の学者、裁判官、労使の方々、弁護士の方々にお集まりいただいて、百五十人の会員で組織されています。今日の会合は、先ほど総会をやりましたが第三回です。三年前に結成されて以来、毎年総会を開き、日独の交流を深めています。ドイツ側もカウンターパート、独日労働法協会というものを作っておりまして、これもドイツの労働裁判所関係者の皆さん、労使、労働法の学者以外の方々も参加しておられます。なんとなく恒例になりまして、毎年ドイツからドイツの労働学者を日本にお招きをして私どもの授業をやっています。今年はその三回目で、昨年 連邦労働裁判所(Bundesarbeitsgerichts)のプレジデントを14年程おやりになって退官されたディートリッヒ先生においでいただいたわけです。ディートリヒ先生をお招きしましたら、大変大きなおまけが付いてきました。これはドイツ語でツーガーベ(zu gabe)贈り物というのはちょっとおかしいかもしれませんが、奥様が一緒においでくださるということで、急遽、日独労働法協会で奥様をご招待いたしました。お二人のお話を今日、伺うことができました。先ほど司会の方から紹介がありましたように、奥様のファール先生はハンブルグ大学の教授ですが、同時に我々もよく知っているDGBの経済社会研究所の所長をやっておられます。今日はパートタイムを中心に、均等待遇のお話をしていただきます。それからディートリッヒ先生の方は個別紛争処理の問題。これは先ほどちょっと打ち合わせをしたときに、どちらが日本の聴衆は関心があるだろうか、というような話になりましたが、実は両方とも現在、私どもの最大の関心事でありまして、どちらがより関心があるとも言えないくらいの問題ではないかと思います。そういう意味で今日の二つのトピックは大変私どもの関心が深いので、なるべく5時までびっしり議論をさせていただきたいということです。幸い同時通訳を準備しておりますので、ご報告をなるべく簡潔にお願いして、皆様からのご意見もお伺いしたい。コーディネーターは私どもの会員である中央大学の角田教授にお願いしております。それではよろしくお願いします。

【角田 邦重 中央大学法学部教授】
   コーディネーターを引き受けました中央大学の角田でございます。これから5時まで、3時間を予定しておりますが、大まかな時間の配分を申し上げますと、最初にハイデ・ファール教授に、ドイツにおけるパートタイム労働と均等原則についての講演をお願いします。続いて ヒ教授に、ドイツにおける労働裁判制度についての講演をお願いします。先ほど打ち合わせのとき、二つのテーマを取り上げるのに、話の後にすぐディスカッションに移った方がいいのではないかという、やる気満々のご提案をいただきましたけれども、お二人の話をじっくり聞いて時間をそれに当てたいのだということで、ご了解をいただいております。この二つのテーマを取り上げた主旨について、若干私の方から問題提起をさせていただきます。
ご承知の通り八十六年、九十六年、九十八年と、日本では労働法改正が相次ぎました。一つは雇用機会均等法が改正され、女性も男性と同様に労働時間の制限、特別の制限を撤廃して働くべきである、その代わりに平等について、これまでの努力義務から禁止規定へ改める、こういう、いわば大きな平等原則の前進、男性と同様に働くべきだという考え方が取り入れられました。98年には労働基準法の改正がなされました。いろいろな分野がありますけれども、労働契約、労働時間の柔軟性というものが取り入れられました。
その時からの議論、残された問題は今日テーマに取り上げておりますパートタイム労働者の均等原則の問題が一つ。これは今労働省の中の研究会で、いったい平等原則というものをどうやって計るのか。日本では同一労働同一賃金の考え方が、まだ法律上明確に規定されていない、それに労働市場そのものが、横断的な市場がまだ作られていない。どうやって平等原則を進めていくのか。こういうことをさかんに議論されておりまして、一足先に就労就労促進法でパートタイムの均等原則を設けているドイツの経験を今日の議論の素材にしよう、と。これが第一のテーマでございます。
 日本では、パートタイマーは毎年その数が増えており、その8割が女性です。かつて、パートタイム労働者は労働条件で差別され、いわば二流の労働者、二流の市民であると考えられてきました。しかし今日はむしろ、積極的に取り入れ、戦力化していく、あるいは家庭と労働の両立を計るための柔軟な働き方であるとの考え方に変わってきています。待遇、処遇に目を向けますと、平等待遇なき戦力化という現象も進んでいます。その点からこのパートタイムの問題は、我々にとっての大きな立法上の課題である、これが今回の第一のテーマを取り上げた理由でございました。
 二つ目のテーマは労働裁判制度です。これも最近、我が国でも労働裁判の事件が増加を示しています。と言っても年間三千件から四千件の間ですが、ドイツの裁判所では六十万、七十万件が処理されております。では紛争に訴える需要がないのだろうかと考えますと、行政・地方公共団体や労働基準監督所に持ち込まれる労働相談の件数は、すでに十万件を超えています。こういう個人の労働者に直接応える必要性があるという点では、これもまた我々も一致した認識を持っておりまして、労働紛争を取り扱う機関を立法上もっと設置すべきではないかという議論が行われています。同時にドイツの労働裁判所の注目すべき点は、労働代表、使用者代表が名誉裁判官として陪席で参加をする点にあります。日本の不当労働行為を管轄する労働委員会に類似する構成を取っているのです。
実はもう一つ、司法制度の改革が議論されておりますが、この中に陪審制度、あるいは国民の参加制度、参審制度など、従来のキャリア裁判官の制度に代わる国民参加の道を作るべきではないか、こういう議論が交わされております。ドイツの労働裁判制度はこの意味でも、我々にとって非常に興味深いものがある。この二つの非常に今日的な我々の立法課題を取り上げた、というのが今日のテーマの主旨でございます。
 最初にドイツにおけるパートタイム労働と均等原則について、ハイデ・ファール先生にお話をお願いしたいと思います。

 

基調講演 
【ハイデ・ファール ハンブルグ大学教授、
 ハンスベックラー財団・経済社会研究所所長】

 皆様、今回このようにお招きいただき、たくさんの聴衆にお集まりいただきまして、ありがとうございます。
 ドイツにおいては、パートタイム雇用とフルタイム雇用は分けて定義されています。フルタイム雇用という概念は、普通の労働として行われております。普通というのは労働協約に定められている所定労働時間ということです。これは現在週35~40時間となっています。平均すれば週36.5時間です。雇用契約で取り決めた労働時間は、このラインを下回っていればパートタイム労働という概念で一括りにされています。従って一口にパートタイムといっても、その雇用形態はさまざまです。週3時間の人もいれば、5時間という人もいます。今日一番多いのは、半日勤務といわれるものです。これは週17~20時間の労働時間になります。
 こうしたかたちはおおむね、労働者の希望に沿ったものではありません。調査の結果を見ますと、所定労働時間の七十~八十%程度の時間働きたいと希望する労働者が大多数です。ドイツでは、雇用をフルタイムにするか、パートタイムにするかは使用者の自由に任されています。求人の際に何時間の労働で探すかも、使用者の自由です。いったん雇用契約が結ばれてしまうと、被用者側には労働時間の変更を求める権利はなくなってしまいます。
 労働時間という観点では使用者がこのような自由を持っているのに対し、有期労働契約を結ぶことは一般的には使用者に許されておりません。有期労働契約はドイツではパートタイムの範疇に入りません。たとえ期限が一年よりも短くても、パートタイムの範疇に入りません。契約の開始時に雇用関係の終了の時点がすでに決まっている場合を ― それは数ヶ月契約とか半年契約とか二年契約とかいうふうに結ぶわけですけれども ― それを期限付きの雇用契約といいます。そのような場合には使用者は、解雇制限の規定に反する危険を冒すことになります。有期労働契約は、その人を初めて雇用するにあたって二年間の期限をつける場合か、相当の理由がある場合に限って許されています。そういうケースであれば、当該の期限付きのポストにフルタイムを雇うかパートタイムを雇うかは、再び使用者の自由裁量となります。
 ドイツにおいては、パートタイム労働の需要が増大しつつあります。1998年にはすでに、雇用されて働く労働者全体の16.6%がパートタイム労働の契約で雇用されていました。過去二十年に創出された雇用の少なくとも三分の二は、パートタイム労働のポストでした。そこで言っておかなくてはならないのは、女性という観点です。女性の職業進出という観点から見ても、パートタイム労働には特別大きな需要があります。事実、パートタイム勤務者の約84%は女性で、雇用されて働く女性の約32%はパートタイム雇用になっています。これに対し、男性労働者では、パートタイム雇用となっているのは4.6%にすぎません。これから分かるように、パートタイム労働というのは事実上、女性の仕事となっているのです。
この所見から出てくる法的問題についてはまたお話しますが、パートタイム労働に就いているグループの中では、いわゆる僅少労働の従業員が特別な問題となります。これは週当たり十五時間以内の労働、そして月収が630マルク以下というグループです。このグループの場合、使用者はつい最近まで、失業保険の保険金も社会保険の保険金も払う必要がありませんでした。このようにして、特に単純サービス部門には低賃金セクターが生まれてしまいました。短時間パートというべきこの僅少労働の従業員、労働者は、社会保険法による保護を受けられないだけでなく、多くの場合、時給も最低水準です。
 雇用関係のフレックス化が進む中で、この雇用形態は大きく増加してきました。1992年から1997年にかけて、僅少労働就業者の数は四分の一以上増加し、約560万人以上にものぼっています。稼動人口全体の約13%は、こうした僅少労働就業者として働いています。
これらの就業者のうち、一番大きなグループを成しているのは既婚女性たちです。彼女たちが自分の給料だけでは自立して生活できないことは、想像に難くありません。ここに依存する問題として、僅少労働の就業者の場合、失業保険にも老齢年金保険にも、自分自身の保険としては加入できないのです。特に家計の補助的に働いている妻たちは、経済的自立はできぬまま、夫の保護がなくなってしまうと、すぐ貧困に陥ってしまいます。この問題は、最近制定された僅少労働者就業規定の規制である程度、緩和されてきましたが、全くなくなったわけではありません。
 西ヨーロッパではパートタイム労働は、女性の職業進出と平行して増えてきています。母親たちにとっては、これはまさに育児の傍ら収入を得る機会を与えてくれる手段だったのです。フルタイム労働は、子供を持っている母親にとってはなかなか難しい。ドイツでは公立の保育機関が、フルタイムで働く母親の必要をほとんど考慮してくれないからです。そのためパートタイム雇用は女性たちにとって、家庭と仕事を両立させる重要な手段となっています。ですから、パートタイム労働がフルタイム労働と同等の価値を認められた就労形態として遇されていたなら何も、あるいはほとんど、問題はなかったでしょう。しかし現実には、パートタイム職場の大部分はサービス産業など、いわゆる伝統的な女性の職場だったのです。パートタイム職場は、主として平均以下の賃金しか支払われない職種を占めています。管理職のポストや、工場の生産ラインにさえ、パートタイム職場はほとんど見つかりません。パートタイム労働を希望する人、あるいはパートタイム労働をせざるを得ない人にしてみれば、フルタイム勤務の人よりも低賃金の仕事しか見つからない可能性がずっと高いのです。こうして子育て中、ないしは子育て後にパートタイムで働こうとする女性にとっては、これは昇進の反対、キャリアの引き下げということになるわけです。
 その点にもパートタイム就業者は、労働市場の構造上の問題だけではなく、同じ産業分野の中、それどころか同じ企業の中でさえ、フルタイムの人々と差別されて不利を被っています。たとえば、いくつかの労働協約は、一定の時間数以下のパートタイム労働者を、完全に適用範囲から除外しています。また、パートタイム就業者が企業老齢年金で不利な待遇となっているのも通例です。その他にも問題はいろいろありますが、パートタイム就業者の法的平等の問題とからめて実例をお話していきます。
 第一に、パートタイムの人々はただでさえ賃金の低い職種に就いているのに、その上に同じ職場のフルタイムの人々に対してまで差別を受けるのです。ドイツの失業保険制度や年金保険制度はつまるところ、終身雇用のフルタイム勤務という標準にばかり目が行き過ぎています。まずまずの年金額というのは、長い期間高い保険料を支払い続けてきた人々しか得られないのです。パートタイムの人々は、たいていの場合所得が低いこともあって、自分自身の老齢年金を積み立てることができません。ここでも特に被害を被っているのはパートタイムの女性たちです。彼女たちは所得が低いという事実の上に、また育児のためにしょっちゅうキャリアを中断されるからです。
 ドイツにおいては、さまざまな法規やガイドラインによって、パートタイム労働者がフルタイム労働者に比べて不平等に扱われないよう守ることが望まれております。今述べたように、パートタイム就業者は雇用契約の上で、フルタイム就業者にはない特殊な問題をいくつか抱えています。まず、同等に企業の一員として扱われない、疎外されるということがあります。その結果、パートタイム就業者は昇進の機会が少ない。たとえば公務員のための労働協約には、パートタイムの昇進はフルタイムの昇進よりもずっと遅いことを規定した条項があります。加えてドイツの公務員の場合、昇進ということを見ますと、特に大きな業績がなくても自動的に昇進するようなシステムです。ある程度長い期間、一定の部署で大過なく勤め上げればよい、という仕組なのです。そこで労働協約は、ある程度長い期間働いていたパートタイム就業者に一定のポストを用意しなくてはいけないという条項を予定しています。自動的に昇進させられることを可能にしていきたいわけです。
 パートタイム就業者が社内で疎外され、その結果、利益代表の上でも不利を被っていることがあります。社内にいる時間が短いわけですから、従業員代表委員会でも、またさまざまな労働組合関係の委員会でも協力しにくい、そういう機会が少なくなってきます。しかも労働の場における利益代表は、主としてフルタイムで働く人々を対象にしていますから、変則的なかたちで働いている従業員の利益は往々にしてないがしろにされてしまいます。このこともパートタイム就業者が労働協約の中でないがしろにされがちな理由の一つとなっているのです。
話の始めにも申し上げたように、パートタイム就業者の約84%は女性です。パートタイム労働は仕事と家庭の両立のためには非常に重要なインスツルメントとなっているのです。これはプラスの効果ですが、それと同時に、パートタイム就業の人々は圧倒的に女性が多いことから、パートタイム雇用にとって不利な規定によって被害を被るのは、男性より圧倒的に女性が多いという問題が出てきます。パートタイム就業者を対象とした特別規定という隠れ蓑の影で、ドイツでは禁止されている間接的な性差別が、いとも簡単に行われ得るのです。
 性別に直接結びついた法規による明確な女性差別は、今のドイツではだいたい廃止されております。それでも女性が不利を被る、性別を言葉に出してはいないが、実際には女性を差別する規定によって被害を被ることがあります。そういう場合は一見、差別は男性にも女性にも同じく当てはまるように見えます。その最も良い例がパートタイム雇用で、これに従事しているのは圧倒的に女性が多いのです。
 特徴というかたちではニュートラルな表現になっています。しかし事実上ある特定のグループばかりが該当していることに、よく観察して初めて気が付くケースがあります。こういうケースを間接的差別と言います。欧州裁判所はこれまでに、そうした間接的差別の法規を何回か無効と宣言してきました。同裁判所はこの問題で先駆者と見なすべき存在で、往々にしてドイツの法廷よりも首尾一貫しています。ドイツの裁判所は間接的差別をなかなか認識しないどころか、弁護しようとすることさえあります。
欧州裁判所は間接的差別の訴えを二段階で審査しています。第一に、一見ニュートラルに見える法規が圧倒的にいつも一つの性に該当しているかどうかを確認します。そうだということになると、次にこれが不平等な作用をし、したがって一方の性に対する差別が成立するかどうかを審査します。結果として差別となる法規が、客観的・合理的な理由に論拠している場合は、この審査だけではまだ十分ではありません。むしろ重要になるのは、ある許容される目的を達成するために、この法規が本当に必要かつ妥当なものでなくてはならないという規定です。これによると、結果としてあるグループを差別する法規は、事実上の不平等が例外的に妥当とされるだけの重大な事由により正当化されなくてはならないのです。不平等の裏に本当は女性差別を企図した意図があるかどうかは問題ではないのです。つまり、有罪証明は不要だということです。
 パートタイムという分野から見ますと、間接的差別を持った法律的な仕組、これについてパートタイム労働を見ると問題がはっきりしてきます。多くの企業が法定年金保険からの給付に加えて企業年金を従業員のために用意しており、これによって引退退職した後の収入が改善されます。この給付を受けるための前提条件はさまざまですが、パートタイム就業者は除外されるケースが多い。あるいはこの請求権を得るために、より厳しい前提条件を満たさなくてはならないことがあります。しかもそうして得た給付額は、労働時間が短いので、それに応じて減額されているのです。欧州裁判所はある企業のケースに判決を下しましたが、その企業ではフルタイム以下の労働時間で働いていた従業員はすべて追加給付の対象から除外していました。このケースでは、パートタイム就業者の除外を違法と宣告し、パートタイム就業者も給付を請求することができました。
 間接差別といえば、公務員の場合、昇進時の差別があります。これは結局パートタイムを差別するために、女性が被害者となってきましたが、これも許されないものと認識されるに至っています。今日ではパートタイム就業者の労働時間もフルタイム就業者のそれと同様、積み立てることができます。
 パートタイム雇用によって被るデメリットを考えると、そうした雇用関係の善し悪しを一概に判定することはできません。パートタイム雇用の促進は、一つには女性の就業機会を向上させることができます。男性にとっても、仕事と育児の両立を容易にしてくれます。もう一つの事実として、パートタイム雇用の拡大は、生産性向上の結果減量してしまった労働のボリュームをより多くの人々に分配し、それによって失業率を低下させるために適した方法となり得ます。
 この理由から連邦政府のプログラムも労働組合のプログラムも、パートタイム雇用を促進することが望ましいとしています。使用者と企業も、これについて大きな抵抗は示していません。もっとも彼らの態度を見ていきますと、引き続きパートタイム雇用にはあまり高い資格能力を必要としないポストを、せいぜい半日という時間数でオファーするつもりであることがよくわかります。つまり実際には、パートタイム雇用をフルタイムと同じような通常の就業行為と認め、従業員にフレキシブルな労働ボリュームを提供する気はないということです。
 しかしパートタイム雇用の拡大が現状の不平等を固定化してしまうことのないようにしなくてはならず、パートタイム雇用の種類とその法律上の取り扱いも、それに応じたものにしていかなくてはいけません。パートタイム就業者は抗争力が弱いです。ドイツでは、彼らが単独では自分たちの利益を主張するのは無理です。不平等な待遇を解消するための、これまで述べてきたような努力もさることながら、パートタイム雇用の求人が高い資格能力を要求されるポストについても出てくるようにしていくことが必要です。これがドイツでは大変難しいことで、頑固な態度、つまり経済界や行政の高い地位のポストは、フルタイムでなくてはこなせないという偏見が根強いのです。確かに管理職の人材は、そう簡単に取り替えたり、他の人で補助することができません。この問題はしかし、元々の目標でもあった長期的人材育成プログラムで解決することができるのです。ともあれまず、会社に量的に、長時間いればよいというのではない、労働の質が問われるのだ、という認識を実行に移していかなくてはなりません。
 さらに考えなくてはならないのは、どうしたらパートタイム勤務の機会を従業員の希望にうまく合致させられるか、という問題があります。その一つが労働時間の長さです。前にも言いましたように、多くの就業者はだいたい1週間30時間前後の労働時間数を希望しています。給料も十分な額になるはずの、このくらいのパートタイム雇用が、しかしドイツではなかなか企業からオファーされないのです。
 ここでよく考えなくてはならないのは、どこまで従業員に権利を与えられるか、与えたらよいかということです。彼らの労働時間は、それが企業の正当な利益と調和させる必要があるというのなら、もっと彼らの需要に合致させていかなくてはなりません。この関連では復帰権についても論議されています。自分の労働時間を、例えば家庭の事情などで短縮した従業員は、後日この決定を引っ込めてフルタイムに復帰する機会を持ち続けることが望ましい。現在はそのような復帰権がないので、多くの従業員は労働時間の短縮にしりごみしてしまうのです。このようなモデルを労働協約の交渉当事者で、また企業レベルで具体化していくことができるでしょう。
 結論をまとめますと、パートタイム雇用を有効に推進していくことで、女性の職業進出の機会は向上し、また失業率の解消にも貢献することができます。しかし、そこで必要とされる前提条件は、パートタイム労働をアトラクティブに整備することです。パートタイム雇用は同等の価値を持つ就業形態として、高い資格能力の職業にも拡大し、社会的に認められ法的に保護されなくてはなりません。これまでの経験が示しているように、それはひとりでには起きません。かの有名な市場の力というものは、ここではまったく、あるいは非常にゆっくりとしたテンポでしか良い方向に働かないのです。そこでパートタイム雇用の促進のために、企業の人事政策への介入が必要となってきます。それがエコノミーにとっての必要条件を毀損することは決してありません。むしろ逆です。各種の調査が明らかにしているように、パートタイム雇用は高いコストを生むことはありません。多くの従業員はむしろ、こうしたかたちになることで生産性の向上を示しています。それゆえ企業がパートタイム雇用を嫌がるのは、合理的・経済的な理由からというよりは、伝統のせいとしか言いようがありません。その分、立法側にとっては、法律によってパートタイム雇用への性別を克服していくのは簡単なはずです。
 ご静聴ありがとうございました。

【司会】
どうもありがとうございました。ディスカッションは後でまとめてやりたいと思っておりますので、もうお一人、トーマス・ディートリッヒ教授に、労働裁判制度についてのお話をお願いしたいと思います。

基調講演
【トーマス・ディートリッヒ ゲッティンゲン大学名誉教授、
 ドイツ連邦労働裁判所 前長官】

 ご出席の皆様。皆様方は二つの比較法のテーマを扱う講演を続けて聴くということで、すばらしい能力をお持ちだと思います。しかし、あまり長くならないよう、ディスカッションの時間を取るように、少し省略するところもあるかと思います。
ドイツの労働裁判制度の特殊性や意義について、直ちに内容に立ち入ってお話しするのは、やはり文化史的な背景や、憲法における位置付けを抜きには難しいので、最初はそのへんから始めたいと思います。
 裁判制度というのはそもそも、国の法文化の一部であり、国の歴史と法の伝統を抜きには考えられません。国の憲法というのは、その国の法の歴史と文化が積み重なってできあがっています。ドイツの基本法、つまり憲法の中には「裁判権は裁判官に委託される」と書いてあります。裁判権は連邦憲法裁判所、連邦裁判所、およびラント(Land)の裁判所によって行使される、と規定されています。つまり裁判制度はピラミッド状の構造になっており、一番下がラント(Land)、つまり各州の裁判所、その上に五つの連邦裁判所、そして、さらに上の頂点には連邦憲法裁判所が位置しているわけです。
 連邦憲法裁判所の役割を見ると、裁判というものの意義が明確になってきます。憲法裁判所へは、どの裁判所でも、どの市民でも訴えを起すことができます。憲法裁判所は国家の行動、ならびに民主主義的な手続きを経た法律でさえ、それが憲法に違反する場合は無効とするだけの力を持っています。例えば市民の基本権の侵害などが、こうしたケースにあたります。法と裁判がここまで強い権力を有しているのは珍しく、他のヨーロッパ諸国においても、ここまで強調している例はありません。単純に言えば、法治国家の原則というものが民主主義と同列・同等に扱われている、ということになると思います。さらに、このような扱いは単に紙の上だけではなく、ドイツでは、法の日常的な実践においても、また法についての実感としても、現に認められるところです。市民は方の力とその規範力に対し、驚くほど予断のない、強い信頼を寄せています。法律が本当に効果を持つということに対する信頼もあります。そのような状況は裁判の意義と裁判官の社会的評価が高いことにも反映しています。連邦憲法裁判所は連邦議会および連邦政府と同等の地位にある、憲法に規定された国家機関であり、その長官は儀典(プロトコール)上、連邦大統領、連邦議会議長に次いで、国の代表として第三の地位にあります。また、調査によると、他の裁判官も社会で高く評価されています。これは裁判官の数が非常に多いことを考えると驚くほどで、1999年初めの数字で20,920人が裁判官の職にあり、換算すると住民3,900人に1名の裁判官がいることになります。そのうち1,163名は労働裁判所の判事です。従って裁判官というものはイギリス、あるいはフランスとは異なり ― 日本とも違うかもしれません ― 少数のエリート集団ではないのです。
 このように裁判と裁判制度を特に強調している背景には、ナチス時代の不正義を経験したことがあると思います。民主的な手続きにのっとって権力の座に就いた独裁者は国家機関、あるいは司法制度全体を、非人間的な人種差別政策を実行し、犯罪的な戦争目的を達成するための道具にすることに、当時何ら困難を感じなかった。それを行うために法の力を借りさえしたのです。ニュルンベルク法というものがありました。こうしたことが二度と起きないように、という願いが、基本法の起草者たちの念頭にあったのです。
 裁判官がこのような重責に耐えられるよう、憲法は彼らの人格の独立を保障しています。彼らは意に反して転任させられることは事実上なく、定年前に退職させられることもありません。ただし、このような保護は裁判官個人が対象で、彼らが所属する裁判所は法務大臣の管轄下にありました。こうした制度については議論がないでもありませんが、ドイツの場合、このような大きな制度の中に労働裁判制度が位置しているのです。
 これと並んで通常裁判制度 ― 刑事裁判および通常の民事訴訟を担当するところです ― 、行政裁判、社会裁判制度、そして税務裁判制度があります。すべてに法廷審級制度があり、通常は州レベルで事実審が二審と、最上級審として連邦裁判所、そして、この連邦裁判所のうちの一つが連邦労働裁判所です。このようなかたちで法秩序の統一性が保たれているのです。
 労働裁判制度は、被用者と使用者の間の雇用関係から発生する紛争についての判断を下すことを管轄しています。被用者による団体利益代表において法的に意見が分かれる場合や、事業所従業員代表委員会の活動および共同決定、ならびに労働組合と経営者団体間の紛争に関しては、もっぱら労働裁判が決定を下しています。
 労働裁判は常に、労働裁判の第一審から開始されます。案件が一般的な案件、例えば非常に少額の労働報酬請求であるか、あるいは逆に政治性の非常に強い原則問題であるかは問いません。後者の例としては、例えば全国規模の労働争議の合法性等についての案件があります。すべて一審から開始されますが、第一審で合意に達しない場合、控訴して二審に持ちこむ道が開かれています。この控訴審は係争金額が500マルクを越える場合です。あるいは労働裁判所が控訴審を許可することもできます。控訴審では改めて事実関係が厳密に検証されます。必要に応じて新たな証人尋問が行われることもあります。ほとんどの場合には裁判は、控訴審で最終的に終わります。
 例外的に、控訴審を不服とする場合には、上告の道が開かれており、三審に進むわけです。しかし、これは州労働裁判所が明示的に許す場合、あるいは連邦労働裁判所が認める場合だけです。従って例外的なもので、非常に原則的な問題を扱う案件の場合、あるいは第一審と控訴審の判決が異なっているようなケースです。三審の次元では、法律の整合性についての判断を下すわけです。そのような判決については官報にまとめられて発表されるので、専門誌などで労働法研究者、労働界の実践に携わる人たちが内容を常に批判的に検証します。
 しかし連邦労働裁判所というのも、青空の下に一人だけ存在しているのではないわけで、その裁判は法秩序全体と統一がとられなければいけません。例えば憲法問題であれば連邦憲法裁判所、EU法に関係すれば欧州裁判所との整合性がとられなければならず、その他の各専門分野においても、各連邦裁判所がありますので、そことの整合性が必要です。
御覧のように、ドイツにおいては裁判制度は分業体制で行われ、非常に複雑な手続きになっています。裁判および裁判所制度というものは、ドイツにおいて非常に大きな力を持っています。従って、そのような制度にはチェック&バランスの機能が働いています。このように複雑な分業体制ではありますが、きちんとコーディネーションがとられ、大きな制度にまとまっていると言えます。
 こうした分業による裁判制度は、複雑に枝分かれしてしまったコミュニケーションと理解することができるかもしれませんが、ただ、もっと重要な、裁判所の実践に強い影響を与えるのは、合議体内部でのコミュニケーションです。というのも労働裁判では、すべての審級において、各判事が個人で決定を行うのではなく ― 現在四割が女性判事です ― そうした判事個人ではなく、合議体が決定を行います。一審、二審では、この合議体をカマブと呼びます。連邦労働裁判所になるとゼナート、法廷と言うようになります。一審、二審では、この合議体は一名の職業裁判官と二名の名誉職裁判官から成っています。
 一審の場合には、この二人の名誉職裁判官の意見が一致すれば、職業裁判官の判断を覆すこともできますが、連邦労働裁判所になると、三名の職業裁判官が合議体に所属するので、最終的には職業裁判官の判断が大きな影響を及ぼすといえるかもしれません。しかし、こういったことは単に数字上のことで、現実にはすべての決定が十分な協議を重ねて全会一致でなされているというのが現状です。そうした協議において名誉職裁判官が示す判断は、非常に大きな意味を持っています。名誉職裁判官の男性、女性たちは非常にすぐれた人格者であり、団体、企業、政界等において重要な役割を果たしておられる方々、法廷の検討に、それぞれの深い専門知識をもたらしてくれる方々です。裁判官としての法的な地位は、名誉職裁判官でも職業裁判官と全く変わりません。ただ、任期が四年に限られている点だけが異なっています。しかし望むのであれば、また現役である限り任期の延長が繰り返しなされます。全体として、名誉職裁判官制度はドイツ労働裁判の特長であるといっても過言ではないと思います。それも三審すべてのレベルにおいてです。他の裁判分野においても名誉職裁判官はありますが、労働裁判におけるほどの意味は持っていません。
労働裁判所には裁判官の構成だけでなく、手続きにおいても他の裁判所と大きく異なる特長があります。基本的には通常の民事裁判所と同じで、当事者は自ら訴訟を遂行し裁判所に事実関係を申し述べなければなりません。何が問題になっているのかを言わなければならないわけです。しかし被用者の社会的保護の必要性は考慮されます。
 そこで手続きには四つの基本があります。まず初めに訴訟促進の原則、次に和解的合意の優先の原則、次に紛争当事者間の訴訟上の武器平等の原則、そして最後に手続費用をできるだけ低く抑えるという努力です。
 通常の民事訴訟法とは異なり、労働裁判所法はすべての審級で訴訟促進をはかるべきことを明示的に規定しています。この一般的な訴訟促進の原則に加え、多くの特殊な手続き規則があり、手続きの迅速化と簡素化に役立っています。その結果、労働裁判の訴訟は通常の民事訴訟、あるいは他の裁判制度に比べ、審理期間がはるかに短くなっています。
そこで非常に重要な観点は、手続き、審理がある特定の審理日に集中して行われるということです。これが訴訟集中化の原則です。裁判長はそれを実施するために、いつやるかについて広範な決定権を有しています。手続きの準備はすべて裁判長が単独で行うわけで、法定審理に先立って特定の証拠を要求することもできます。また訴訟は雇用関係の相続が問題になっている場合、つまり雇用保全に関わる場合には、いっそう迅速に行われます。被用者にとっては、雇用関係は生計基盤に関わる問題なので、手続きの長期化は、解雇理由が不十分であると後で分かったとしても、現にある雇用関係を完全に破壊してします恐れがあります。従って解雇に関わる訴訟は一審二審において、他のあらゆる手続きに優先して取り扱われます。
 実際この種の手続きの半数は3カ月以内に処理され、80パーセントは半年以内に完了しています。その他のケースについても、これよりは多少長くかかっていますが、一年を越えるケースはせいぜい10パーセント程度です。それは労働裁判手続きが和解を非常に強調していることと関係しています。労働裁判においては円満解決をもたらすために、「裁き」より「調停」が優先するのです。事件の平均80パーセントが和解で解決しています。対決的な判決による解決は8パーセントにすぎません。残りの判決は、最終的には当事者が訴訟の維持に対する関心を失うというようなかたちで手続きが終了しています。
 実際に調停を行うため、法定審理の前に特定の期日が設定されます。この席においては当事者の間でそれぞれの意見が述べられて、裁判官から調停案が提示され、これがあっても尚かつ合意に達しない場合には法廷での審理となりますが、こうした段階での予備的な会合が、裁判の手続きの準備としても大変に有効な役割を果たしています。
 訴訟に勝つか否かは法律に明るいかどうかで大きく左右されます。そこで出てくるのが労働裁判における訴訟上の武器平等の原則です。使用者側は通常、弁護士を雇うことに何ら困難を感じないかもしれませんが、被用者にとってはやはり経済的、心理的な問題というもが存在します。もともと労働裁判所法は、こういった理由から弁護士に代理はさせないということを言い、これを禁止していましたが、現在では別の方針をとっていまして、制度全体が弁護士を雇えない当事者の側に対し、いわゆる訴訟費用扶助を与えて支援するということをしています。そういう支援を与えて弁護士を雇えるようにしてやるということです。弁護士を雇えない側の当事者に対しては、このような手段があることを明示的に示唆する必要があります。
 話を少し先に進めて、労働裁判にかかる費用に問題に移りたいと思います。労働裁判というのは他の裁判と比べて非常に経費が安くなっており、労働裁判所、裁判制度だけに適応される特別な料金表があります。手続料が一回徴収され、その手数料はもちろん訴額によって決まりますが、最高が1000マルクです。これを超えてはいけないということで、通常はそれよりはるかに低い額です。また、訴額についても、特に雇用保全の訴えの場合には、他の裁判制度とは異なる算出方法が使われています。
 また少し話をとばし、権利保護、そして集団的な利益代表の問題に移りたいと思います。おそらく日本の伝統からすれば、なぜそれだけの意見対立や紛争が労働裁判にかけられるのかと思われるかもしれません。被用者の集団的な利益代表があるわけですから、彼らは何をしているのか、組合員の面倒をみないのだろうかという疑問も生まれてくるかもしれません。この疑問についてもやはり、法文化の文脈全体の中に位置づけてドイツの法秩序における役割分担を考慮することによってのみ、正しく理解することができると思います。
 ドイツにおいては、法律問題と規制問題は、きわめて厳密に区別されています。法律問題はすでに規制が存在していることを前提として、それらの規制が紛争解決のために正しく適応されることが中心問題になっています。この点において当事者は、誰の行動が適法か、誰が法律により何らかを要求できるかを巡って争うわけです。この点を明らかにすることが裁判所の役割であると、我々は理解しているわけです。
 規制問題はこれとは違い、紛争当事者が理性的な規制を求めて努力をしている場合、事前に発生をしてくる問題があります。従ってここでは適法性が問われるのではなく、合目的性あるいは妥当性が問題になります。求められているのは対立する利害関係を調整し、将来にわたって法の安定を確保するような拘束力ある規制というかたちでの解決です。こうした規制問題の解決は、主に集団的利益代表組織が仕事とする分野です。ドイツの労働法にはそのための様々な手段が含まれていますが、とりわけ労働協約と事業所協定が挙げられると思います。
 紛争の解決や必要に応じた仲裁が行われるための手続きも、集団的な対立という紛争の特殊な条件にあわせたものになっており、訴訟とは異なっています。労働裁判の裁判官は仲裁所や仲裁裁判所労働協約仲裁の委員長の任にあたることが多いわけですが、これは職務上、裁判官の仕事ではありません。副次的な活動と言ってもいいかもしれませんが、これもやはり裁判官が非常に深い信頼を寄せられていることの現れであるという理解ができると思います。
 労働組合と経営者団体は、法律問題に対して判断を下すことが自らの任務であるとは考えておりません。労働裁判所に任せています。従って、原則的性格を持つものについては、意識的に労働裁判に訴えるということを行っています。
 しかし、だからといって彼らが無関心であるわけではありません。労働裁判に対して無関心、あるいは不信感を持っているということではなく、全く逆で、労働組合、経営者団体は、司法が速やかに機能することを非常に強く望んでいますし、そのために様々な活動を、彼らなりに行っています。そうした中で第一に挙げられるのが、それぞれの会員 ― 経営者団体の会員、労働組合員に対する権利保護の活動です。労働組合の権利保護の事務局、また経営者団体の法務部員 ― これは弁護士ですけれども ― こうした人々は労働裁判制度の事実審においては不可欠の存在です。また、こうした人々の中から、先ほども紹介して大変素晴らしいと申し上げた名誉職裁判官の方々がでてきているということもあります。労働裁判制度というのは決して象牙の塔の中に孤立したかたちで存在している制度ではありません。そうではなく、日常の労働社会の中での紛争との接触を保っているわけです。そうした名誉職裁判官の方々が労働裁判所の合議体の中に含まれているということは、日常からの実践からの知識を労働裁判のなかにもたらしてくれるという、大変良い面をもっています。
 ドイツでは、事業所レベルでもう一つの利益代表制度がありますが、これは特別な権限を持っており、ベトリープスラート(Der Betriebsrat)、事業所従業員代表委員会と呼ばれています。その他の訳も多数ございますが。事業所委員会も主として規制問題について、   使用者側と交渉して解決をする役割を担っています。また、事業所委員会はこの他に、関連の法律、制令等々が実際に適切に遵守されているかを監視する機能を持っています。この仕事を行うために、事業所委員会は使用者側に対し、専門文献あるいは法律の専門的助言と情報を要求することができます。多くの紛争は事業所委員会の介入によって事前に緩和されたり解決されたりというのが実状です。ただ、そこで一つ問題になるのは、被用者の三分の二は従業員100人未満の小規模事業者に就業しているという点で、このような規模の事業所では、事業所委員会が設立されることはまれです。事業所委員会が設立されるのは、ほとんどが規模の大きな事業所、大企業です。
 最後にドイツの制度のマイナス面にも目を向けてみたいと思います。人間のなせる業には弱点がつきもので、ドイツの司法制度にも批判がないわけではありません。細かい点について厳しい批判も少なくないわけです。しかし、本日のような概論的な話では、そこまで立ち入ることはできません。ただ、二つの非常に基本的な点には言及しておく必要があろうかと思います。
 一つは、判例が非常な重みを持っており、その他の国家権力、つまり立法と行政にあまりに大きな影響を与えているという批判です。法政策上の議論でも、また行政の現実においても、関係者は常に判例を気にしながら行動しているわけです。その結果として「熱い鉄には触らない」、あるいは詳細な規定が必要であっても、それを作ることをしないというような、悪い影響が生じてくるわけです。そこで、安易な方法として、当然予想される原則的な決定を示唆することで責任を裁判所に押しつけているということがあります。特に連邦憲法裁判所にそういった影響がでています。
 連邦労働裁判所もまた立法者に代わって、法政策上、重要な原則をうち立てる必要があるという筋違いの課題を負わされています。例えばドイツでは争議権というものが、法律によってきちんと規定されておりません。従って法律の代替的な判例法が基準となるわけです。そのような現状は裁判所にとって非常に苦労が多く、危険で、さらには法の安定にも悪影響が出てきます。しかし他方では、このような制度によって法秩序に、非常に大きな現実に即したかたち、柔軟性が与えられるということです。判例というのはその時の事情、あるいはそれぞれの新しい争議の手法等に対し、適これに対応する適切な判例を下すことができるからです。従って、長所、短所がちょうどバランスが取れているのではないかと、私自身は思っています。
 二番目の原則的な批判は裁判所、審級の数が多すぎるというものです。つまり司法機関の規模が大きすぎることに対する批判です。そのために時間も費用もかかるということで、これはあまりに極端な負担でなので縮小すべきであるとの意見です。現在我が国でも「小さな政府」ということがよく言われており、その意味で規模を縮小すべきであるという意見があります。ただ、裁判所外で紛争解決をはかれば、もちろんこうした制度は縮小できると考えられ、いろいろな改革の提案が出てきていますが、大きな困難にぶつかってしまっています。それはドイツにおいて歴史的にも、また憲法による規定の中にも深く定着している核心と関わるもので、その核心とは法治国家に不可欠なものです。つまり、それ以外の方法で法の安定が維持できない場合には、常に出訴の道、裁判に訴えるという道が開かれていなければならない、という核心です。従って裁判所外の仲裁所というものは、成功すれば裁判所の負担が減るわけです。しかしドイツ人は裁判好きですので、そういったところで合意が成り立つかどうか、成果は疑わしいと言わざるを得ません。
 このような改革を巡る様々な議論の中で、和解弁論の制度を持っている労働裁判制度は模範的な制度と言えると思います。和解が成立しなければ、いずれにしても裁判手続きを行わなければいけないわけですが、その準備の中に裁判所外の合意の可能性を含んでいるという制度ですから、非常に模範的だと言えると思います。それによって付加的な経費の削減ができると思います。事実、この制度が非常に正しいということは実績が証明しているわけで、ほとんどのケースで和解による合意が成立していますし、残りの紛争についても、こうした準備的な弁論のおかげで速やかに効果的に処理されています。私は四十年以上もこうした労働裁判制度の中で仕事をした経験から、皆様方にも是非おすすめできる制度であるという風に申し上げて、私の講演を終えたいと思います。
ありがとうございました。

 

<ディスカッション及び質疑応答>

【司会者】
 たいへん興味深い報告をいただきましたので、また今日お集まりの皆様の顔ぶれを見ていますと、私からこういう問題と指摘するまでもなく発言を期待できると思っていますが、それぞれのテーマについて最初にお一人だけコメンテーターをお願いしておりますので、まず発言をいただき、後は自由にフロアの方とお二人との議論、そういうかたちで進行させていただきたいと思います。それから、発言して下さる方は、所属とお名前をおっしゃってから発言してくださるようお願いします。最初にパートタイムの均等待遇原則の問題についてディスカッションを行いたいと思います。名古屋大学の和田さんにコメントをいただいてから進行したいと思います。

【名古屋大学 和田】
 ファール先生の話を非常に興味深く聞かせていただきました。どうもありがとうございました。
 私が聞いたところではパートの実状、パートの比率や女性の比率、社会保険の状況など、非常に日本と類似している問題がたくさんあることがよく分かりました。他方で日本とは違った点も幾つかあるのではないかということで。
例えば間接差別の問題に触れられましたけれど、この間接差別の問題は、日本ではまだ議論になっていないので、今後こういう問題も日本できちんと議論していかなければならないのではないかいうのが私の感想です。
 それから二つ目に、特に最近のパートについてはワークシェアリングという発想が非常に強いということで、これも非常に興味深いことだと思いました。例えば従来と異なる職種でパートの雇用を促進していく必要性があるというご指摘、あるいはパートタイム労働者とフルタイム労働者の転換、これは報告の中でリュック ケア スレヒトという言葉でお話になりましたけれども、こういう問題について日本でも今後、例えば育児休業をとっている間にパートに移って、それでまた戻ったらフルタイム労働に移れるかというようなことが議論になってくるのではないかと思いました。
 次は質問ですが、ファール先生はお話の中で1985年の就業促進法に触れられていませんでしたが、この点について少しご質問したいと思います。この就業促進法の二条で、パートとフルタイム労働者の時間平(ひら)の原則が決まっていますけれども、これが法律によって決められるに至った背景、それからもう一つ、この法律ができたことによってパートの労働条件がどのように変わったのか、改善されたのかという問題について、報告の中でご指摘がなかったものですから、この点について補足的に説明をいただければと思います。
 私の方からは以上です。

【角田】
 ありがとうございました。いかがでしょう。ファール先生のほうから1985年の就労促進法二条の平等原則によって何が変わったのか、あるいはそういう規定を設けなければならない背景とはなんだったのか、そういう質問に若干答えていただいてから後、自由なディスカッションに移りましょう。

【ファール】
 雇用促進法について言及しなかったのは、歴史的にほとんど意味、役割を果たさなかったからです。パートの不平等についての判例は、雇用促進法より古いものです。この第二条においてパートの差別を禁止しているわけですが、これは欧州裁判所がパートの差別は間接的な差別、性に基づく間接的な差別であり許されない、という判断を示した後にできた条項です。今日においても欧州裁判所はパートの分野において非常に大きな役割を持っています。というのも雇用促進法はこの分野についての何らからの規定をしたいとしているわけですが、欧州裁判所の判断、判決の方がもっと進んでいるわけです。これが特に雇用促進法の中にある規定よりも進んでいるという意味で重要であるということです。一つの例を挙げますと、雇用促進方の第六条は協約当事者に対し、労働協約の中において第二条で予定されているようなものと異なる規定を許しています。従って労働協約において、最終的には差別が行われ得るということになるわけです。従ってドイツの法律はEU法よりも遅れていると言えますし、またEU法のみならず、欧州裁判所の判決や連邦労働裁判所の判決よりも、ドイツの法律は遅れていると言うことができると思います。雇用促進法の意義というのは従って法政策的な意味ではなく、最終的にこうした方向性を確認しているに過ぎないのです。ただしパートの問題に関して言えば、立法の面でも進歩していると言えると思います。まず始めの段階では、労働時間が異なることが差別の理由として正当だと認められていたわけですが、間接的な性差別という判断が示されるようになって、そうしたことが行われなくなりました。
 現在、法政策上の議論が進んでいる方向性というのは、通常の平等の原則、これは憲法の中にも平等の原則がありますけれども、こうした中ではパートに対する不平等、差別に対する疑問が呈されています。平等の原則、第三条の一の紀綱がパートの差別を禁止するために使えると言われています。こうした議論の方向性は、良い方向に進んでいると言えると思います。私の隣に座っている裁判官はドイツ連邦裁判所が一番最初のパートの平等に関する判決を出したときに関与した人物です。

【角田】
  ディートリッヒ先生からも一言、その判決についてお伺いしましょうか。

【ディートリッヒ】
 その司法案件、事件がどういうものであったかをお話します。これは大きなデパートでパートが企業年金の対象から外され、企業年金はフルタイムの者に対してだけと規定されていました。我々の法廷において、かなりの時間をかけてこれについて審議し、我々の主張を通して、そのようなやり方は許されないという考えを示したわけです。もちろんデパートはいろいろな組織上の問題を抱えているわけで、人事の問題もあるし、人事上の目標というものもあってのことです。そういった理由にもある程度認められる、納得できるものもありますが。ただ、企業年金について言えば、被用者を職場に結びつけておくための手段とも見られるわけで、デパートにとっては、そういう動機があまりなかったことがありました。しかし、まさにその動機という考え方とを我々は分析し、このような企業年金の不平等の陰には賃金報酬における不平等が存在していることを明確にしました。それは正しくないということが、だんだん認められるようになってきていたところに、それをラジカルなかたちで判決としてだしたわけであり、州労働裁判所に対して審理の差し戻しを行いました。州労働裁判所で審理をした後、前進がなかったので、私どもはこのような扱い方は憲法違反であるということを明確にしたわけです。

【角田】
 たいへん興味深いお話を伺いました。
ところで、和田会員のコメントは二つの部分に分かれていたと思います。最初の部分は今問題になっている均等待遇の原則、それから後半部分はパートタイム労働をむしろポジティブな「政策」として、どう展開していったらいいのか、こういう部分だったと思います。さしあたって、この前半の部分、パートタイム労働者に対する均等待遇の原則、この日本とドイツというようなテーマで、若干フロアからの発言を求めたいと思います。とりわけ日本ではこの問題が立法上の一番の課題です。つい先だってマルコ警報機判決というのが出ました。これは、「同じ仕事をしている正規とパートの時間給が、だいたい十対六、六割であったのは平等に反する。同一労働原則は日本の法律にはないけれど、人格平等という考え方が尊重されなければならないから公序良俗に反する。ただし八割、二割は低くてもいい」。こういった判決が出て、我々にとって関心を呼んでいるものです。こういう平等原則の日独比較という問題について、実際はこうだということを踏まえて、皆様からの発言をいただきたいと思います。どなたでもどうぞ。

【会場からの質問一】
 先ほど先生が講演で「パートからフルタイムに復帰する復帰権がないので、フルとパートタイムの行き来が少ない」というようなことをおっしゃっていましたが、昨年、今ごろの時期にお伺いした時には、連邦政府の職員の場合はフルとパートの間が行き来できるので、女性にとっては有利というか、ちゃんと使えるものになっていると伺いました。そういうことを民間の場合にも裁判事例や判例などで確保できるものがあるのかどうか、それをお伺いしたいのが一つと、もう一つ、先程来、僅少労働のことをおっしゃっていましたが、僅少労働は確か去年の四月からやはり保険が効くようになっているはずです。その結果がどうなったのか、そしてその僅少労働にも保険をかけなければならなくなったのか、かけることができるようになったのか、今、定かではないのですけれども、その辺りのところ、掛け金その他が僅少労働者にとってどのような重みを持つのか。僅少労働がそのせいで大幅に減ってしまったということもちょっと聞いておりますので、教えていただければと思います。

【角田】
 私の後半のテーマに戻りましたけれども、ご質問ですのでお答えいただきましょうか。第一の問題は正規労働、フルタイムとパートタイムの復帰権というのは、公務員の場合にはすでにできているのではないか、という問題。それから二点目は、僅少労働には社会保険、雇用保険、これを義務づける法改正ができたのではないか。しかしそのことによって保険料が払わなくてもいいという労働者の声もあるようだと聞いておりますが、実態はいかがか、という、この二点のご質問でございました。

【ファール】
 第一の質問ですが、ドイツではすべての州、また連邦のレベルにおいて、公務に従事するものについては ― つまり雇用者が国または州である場合ですが ― 公務に就く者は、家事労働をする場合 ― 育児にあたるといったようなケースですが ― 部分的な休職になります。業務の一部分について休職扱いとする、ということができるようになっています。女性がこの制度を非常に多く利用しています。それどころか女性が公務に就きたがる、このような制度があるから公務につきたがるという傾向も見えています。家事と育児とを両立させ、家事、育児に時間が必要でなくなればまた仕事に戻るということです。
 ただ問題は民間です。現在でも女性の多くは民間部門で、公務に就いている人はほんのわずかです。ですから民間部門が問題なのですが、復帰権ということに対して民間の企業は抵抗を示しています。すでにいくつかの労働協約があり、大企業ではこうした復帰権を認めている労働協約も存在します。ただ、事業所レベルで、企業が実際にはそれを実行しないというケースが出てきています。というのは、できるだけ人減らしをしたいということが希望なので、それにかこつけて、いったんパートになった人のフルタイム復帰が難しくなっているという現状もあります。
また、中小企業に関しては、従業員がパートになってまた復帰をしたり、というかたちになった場合、組織形態が非常に複雑になると。何人かは育児をする、そして何人かはまた別のことをしている、そしてまた何人かは戻りたいというように、人の出入りが複雑になるということ。それから小さい企業の場合には、バーチャルにはいるのだけれども今いないという従業員が増えてしまうという問題があります。
復帰権に関する相談所ができておりまして、パートになる時の理由として育児だけに限定をしない方向や ― これまでは育児というふうに限定されていたわけなのですけれども、もっと幅広くするというようなことについても相談を受けています。が、そうなると中小企業にでも、パートになりたい人、後でフルタイムに戻りたいという人たちが増えてくるのではないかと思います。こうしたものは、まだ法律で保証されておりません。
 二番目ですが、僅少労働に関する社会保険の適用義務は強制です。社会保険の適用を受けたいか受けたくないかを聞いた場合は、現時点で社会保険に入るとお金がかかるので、これは税金も同じですが、できれば払いたくないという答えが返ってくると思います。しかし、社会保険に入りたくないという考え方は正しくないと、私どもは思っているわけです。僅少労働に関して、もし雇用者側が100%社会保険料を払うことになれば、僅少労働者、被用者側は保険料を払わずに恩恵だけを受けることになると思います。しかし、そのような制度にした場合、雇用者、使用者の側は社会保険料を払うのが嫌だから、それを避けるために僅少労働を少なくするということになるわけです。そもそも雇用者は僅少労働者によって労働コストを下げようと思っていたのが、このような義務制によってコストがかかってしまうことになったため、僅少労働をさせないというふうになっていったのです。
 他にヤミ労働というのものもありまして、これはまったく届出をせずに仕事をさせる、するというかたちです。我々の想像ではおそらくこういうかたちのヤミ労働が、社会保険の適用なしに非常に多く行われているのではないかと思います。

【会場からの質問2】
 ファール先生に伺います。パート労働者が持っている権利についての質問ですが、その比率に応じた有給休暇の権利、また超過勤務に対する勤務手当ての規定は、どのようになっているのでしょうか。

【ファール】
 パート労働者も、もちろん按分によってですが、有給休暇はその分だけ減ってしまう、これは明らかです。また、これも明らかですが、ドイツでそれについての意見の対立はなく、もちろんパートの人も僅少労働の人たちも、それぞれの労働時間に応じた有給休暇に対する権利は持っていると理解されています。これと違ってパート労働者の場合、超過勤務の支払いに関しては労働協約の中において規定されている超過勤務手当て、これは割増になっていますが、この規定が適用されるのは労働協約に定めたところの労働時間を超えた場合と規定されていますので、パートの超過勤務についての支払いは、その規定に則らないわけです。しかし、ヨーロッパ裁判所はこれに対して発言しています。このようなパートの人は超過勤務をした場合、その時間に対する支払いは得られますけれども、割増での手当てというものは、現在は支払われておりません。

【会場からの質問3】
 パートタイムに関わる雇用政策上の問題について、お伺いしたいと思います。先ほどのお話では、雇用政策上の問題としてもパートタイム労働という形態が推奨されるべきであると、いうことでしたが、長期的に見た場合、パートタイム労働という形態がいつまでも存続させられるべきなのかどうかという点です。この点につきましてドイツで、例えばドイブラー教授は、標準労働関係という概念を使って、長期的にはフルタイム労働者の労働時間が短くなっていけば、パートタイム労働はいらなくなるのではないか、という考え方を出されているのに対し、例えばリュッケンベルガー教授などが、そういう標準労働関係という考え方自体が男女差別につながるのだという反論をされていて、一定の論争があると理解しておりますけれども、その点について。長期的に見た場合、パートタイム労働というのは果たしてなくなっていくのか、あるいはフルタイムトパートタイムの区別はいつまでも残るのか、そのいずれだとお考えでしょうか。その点をお伺いしたいと思います。

【ファール】
 私が講演の中で明確にしたのは、現在のかたちでのパート労働はパート労働者の希望に対応していない、女性でパートをしている人たちは、本当に働きたい時間よりも少ない時間しか働けていない。法律の規定によって希望する時間だけ働くことができるよう、それを貫徹することを法律が可能にするのであれば、そうしたかたちでのパート労働がもっと増えると思います。それはおそらく週29時間以上になると思います。現在の協約労働時間が36時間ですので、その差はそれほど大きなものではなくなっていくと思います。
 現在労働組合は、全般的な労働時間の短縮を言っているので、二つの就業形態の差は小さくなっていくと思います。女性の平等というのは、これはパート労働者の平等も同じですが、この本当の平等を実現するためには、このような差を乗り越えていかなければいけないと思いますし、それに加えて大事な点は、通常の一般労働者の労働時間の柔軟化がもっと進んでいけば、この状況に変化が出てくると思います。週に何時間というかたちでの就業の形態ではなくなり、年間総合で何時間働くというかたちでの協約になりますから、いつ働いてもいいわけです。そのような方向に行った場合、調整のプロセスが出てくると思います。労働組合は近い将来においては労働時間の短縮に成功しないと思います。これは、男性労働者がそれを希望していないということもあります。女性は長く働きたいという希望を持っていますが、男性の場合にも全く同じで、男性にもやはりたくさん給料を稼ぎたいと思っている人たちがいます。これは別にワーカホリックだから長く働きたいというわけではなく、お金を稼ぎたいからその希望が出てきているのです。今、先生がおっしゃった、両者の就業形態の差がなくなっていくのではというのは、私もそのように思います。特にサービス業部門においては、労働時間の規定はだんだんなくなってきており、最終的には目的は何か、しなければいけない業務は何かということに対し、いわば日本で言う裁量労働のようなかたちが出てきているわけです。ですから、信頼に基づく労働時間、あるいはプロジェクト労働時間 ― プロジェクト労働時間というのは、そのプロジェクトをすれば、どれほど時間をかけてもかけなくてもいいということで、たとえば二週間の間、週に60時間、70時間働き、その後は全然働かないというようなことが可能ですが、このような働き方は子供を持っている人には不可能です。というのは、最初の二週間に60~80時間働いている間、子供をなくしてしまうことはできません。ですからそれも非常に難しいということです。従って、そういう極端な方向に行く可能性もありますので、二つの就業形態に差がなくなっていくのと、それから両極化するという、二つの別々の動きが並行して進んでいくというのが、これから見られる方向ではないかと見ております。

【会場からの質問4】
 パートタイム労働と家庭生活の問題について質問いたします。日本では現在、多くの女性が働くようになりました。その場合、家庭の問題と女性が働く問題をどう調和させるかが、一つの大きな課題になっています。その答えの一つが日本では、保育所を充実させる、ということになっています。多くの許可されない保育所がたくさんの生まれたばかりの子供を、しかも深夜の12時あるいは1時まで子供を預かる、そのことによってお母さんが働きやすいようにする、という方向にあります。しかし、家庭生活と職業生活の調和という大切な原則からすれば、このような事態が好ましいとは思えないと思います。そこで、たとえばオランダでは、パートタイム労働を活用して、例えばお母さんが午前中四時間働き、お父さんが午後五時間働く、そして、どちらかは必ず家にいて子供と一緒に暮らす、というかたちで職業生活と家庭生活、特に子供の権利と親の働く権利とを調和させています。ドイツでは、一方で最長三年までの育児休暇が保証されていますが、他方でパートタイム労働政策によってオランダのような方向を考えておられるのか、それとも日本のように保育所の充実といったかたちを考えておられるのか。ヨーロッパでも、例えばスウェーデンは保育所の充実という方向が中心であると聞いております。ドイツではどのようなことが考えられているのか、あるいはどのような方向が望ましいとお考えなのか、お聞きしたいと思います。

【ファール】
 そのような保育所での育児に対する私の考えは、あなたと必ずしも同じではありません。そこで質というものが問われてくるわけですが、今までのところ、ドイツではこのようになってきています。
 女性は家庭外での助けを育児のために得られるようになってきています。女性が子供を生んだ場合、子供にも生活があります。また、ドイツの男性は平均すると1日九分、子供と過ごしているそうです。これでは少なすぎます。本当に九分なんですよ。計算されています。でも、だからといって心配はしておりません。つまり、女性は家庭外でも育児の手伝いを得られるからです。それを要求することができるし、また、しなくてはならないわけです。
 ただ、一つの点ではおっしゃる通りだと思います。まず、男性の労働時間をもっと減らすことができたなら、育児にもっと関わらせることができ、男女平等をそのようなかたちで実現できると思います。さらに言えば、企業はそのために努力すべきです。それは母親である女性たちをもっと雇用するためではなく、男性をもっと家庭の仕事につけるということです。ドイツ政府では女性大臣がそうしたモデルを提示しています。でも、育児休暇に対する要求は生後三年間、父でも母でもどちらでも取れることになっています。あるいは完全に休暇を取るのではなく、労働時間を減らして両方がいっぺんに取ることもできます。両方取れるということ、そしてその両方が同じ期間に労働時間を減らして二人で一緒に子供を育てることができるというふうに変わっています。これはすごく大きな進歩です。

【角田】
 問題であるというところに行き着きました。時間の配分から申しますと、次の第二のテーマに移らなければならなくなりました。ここでシンポジウムのテーマを労働裁判制度に移したいと思います。ここでも一人だけコメンテーターを用意しておりますので、その後はご自由な議論に参加してください。大阪市立大学の西谷さん、お願いいたします。

【西谷】
 ディートリッヒ先生の講演を、たいへん興味深く拝聴いたしました。ディートリッヒ先生は講演の最後に、長年の裁判官としての経験をふまえられて、ドイツの制度が一つのモデルになるのではないかというお話をされました。私も個人的にはドイツのモデルは非常に優れていると思いますが、現在の日本の状況とドイツの状況を比べますと、あまりにも差が大きすぎて、モデルといっても遠く離れたモデルのような気がしております。大きな相違についてはもうご存知の方も多いと思いますが、ごく簡単に指摘したいと思います。
 第一に、労働裁判の件数がドイツではだいたい年間、第一審にかかるのが65万件ぐらいと聞いておりますが、日本では、近年急速に増えてきたといっても、法源訴訟でまだ2500件程度、仮処分を合わせても3000件を上回る程度ということで、非常に大きな差があります。
 それからもう一つの問題は、日本には労働裁判所という制度がなくて、すべての労働法的な紛争が通常裁判所で扱われます。そのことからさまざまな問題が労働裁判について生じているように思います。例えば、裁判官に十分な労働法上の知識が欠けているのではないかと思わざるを得ないような判決、決定が多い、とか、あるいは労働裁判に特有の手続というものが定められておりません。すべて通常の民事訴訟の手続に従いますので、例えばドイツのように、第一回の期日が特別に和解の手続というかたちで定められているわけでもない。それから特別に労働裁判について迅速化を計るような措置がとられているわけでもない、そのために日本の裁判は非常に長くかかる。最近は昨年から民事訴訟法の改正、新民事訴訟法の適用によりまして、ある程度訴訟が速くなったと言われておりますが、裁判官の数はほとんど増えていないという状況のもとで手続だけ急ぐために、かえって審理が不十分であるという批判も出ています。そのように労働裁判の状況というのは、非常に大きな問題を日本では含んでいると思います。
 ただ今後、日本でもますます労働関係から法的な紛争が増えてくる、多くの法的紛争が増えてくると予測されます。それは日本の長期雇用慣行というものが急速に見直されておりまして、雇用が相対的には短期化する、短くなる。そうしますと全体として労働者と使用者の関係がよりドライな関係になって、労働者と使用者の関係の問題を、長年の人的な、人間関係の中で解決するというよりも、権利と義務の関係として解決しようという傾向が強まっていくと思われるからです。そういう状況の中で日本でも労働裁判、あるいは労働者と使用者の法的紛争をどのように解決するのかということが非常に緊急の課題となっております。
 現在この問題に関わる改革論議は二つの方向で進んでいると思います。一つは司法改革、裁判制度全体の改革。もう一つは労働関係から生じる個別紛争をどのように処理するのかという問題です。しかしながら司法改革というレベルの議論においては、労働問題を特に意識した議論は非常に不十分ではないかと思っております。私の個人的な意見では、この司法改革のレベルにおいて、もっと労働事件の特徴、特殊性というものを考慮した改革の議論がなされるべきではないかというふうに考えております。
それからもう一つは、ドイツと日本を比較する場合に、労働裁判だけの問題では比較できないと思います。裁判で扱われる法的な紛争を処理する基準、つまり実体法の比較が非常に重要だと思います。ドイツの場合、裁判が短い一つの理由は、問題を法的に解決する基準がかなり明確化されていて、裁判はその当てはめを中心とする、ということであるのに対し、日本ではその解決の基準が不明確であるために、どうしても一般条項をもとにして当事者が争わざるを得ない、そういった問題も絡んでいるのではないか。そういう意味では日本の労働裁判の問題の解決にあたっても、実体法の改善、ということが不可欠ではないかというふうに感じたところであります。
 ちょっと長くなりますが、そのことをふまえまして二つほど質問をさせていただきたいと思います。一つは、先ほどディートリッヒ先生は法的紛争と規制紛争、規制問題を分けられました。特に規制問題については、集団的な労使関係の問題として扱われましたけれども、日本で現在個別紛争処理ということで問題になっておりますのは、まさにこの労働者個人と使用者の間における、いわば規制問題ではないかと思います。そこでお伺いしたいのですけれども、ドイツでは労働者個人と使用者の間における紛争についてもこの規制問題というふうな発想があるのかないのか。もし仮にあるとしたら、その規制問題というのは、例えば裁判の手続で行われる和解手続、和解交渉とどのように違うのか、という点について一つお伺いしたいと思います。
 二つ目の質問は、昨年私はフライブルクで労働裁判を傍聴する機会がありました。詳しい話は省略しますけれども、非常に強い印象を受けましたのは裁判官、職業裁判官が非常に強いイニシアチヴを発揮していることでした。そして後で使用者側の弁護士と話をする機会があったのですが、彼はあの裁判官はあまりにも労働者寄りでけしからん、とえらく怒っておりました。つまり一審、おそらく二審でもそうかもしれませんが、裁判の手続において裁判官の職権が非常に強いという印象を受けたのですが、そうなりますと、その裁判官の個人的な考え方というものがかなり大きな役割を占めて、労働者側あるいは使用者側のいずれかから強い不満が出てくる恐れはないのかどうか。そういう問題について一つお伺いしたいと思います。以上です。

【角田】
  ありがとうございました。二つの質問が出されましたが、まずお答えをお願いいたします。

【ディートリッヒ】
 西谷先生、ありがとうございました。最初の方だけよく理解できたのですが、規制問題と法律問題の関係です。規制問題を説明するときに、集団的な利益代表のコンテクストにおいて申し上げすぎたかもしれません。しかし、当然のことですが、雇用者とそれから個々の、一人一人の被用者との関係においても、もちろんそこには契約の自由がありますから、そういったことは可能であるわけです。私が、和解による合意ということが、これは裁判の中であってもやはり規制の分野の問題なのだということを申し上げました。裁判官が紛争について判決を出すことなしに、和解によって合意をするようにと提案をするわけですが、そういった提案をするときには単に法律の条項によって提案をするだけではなくて、常識に基づいた人間的な判断による提案もなされるわけで、お互いに配慮したらどうかというようなことも裁判官から言うわけです。フライブルクでの経験を伺いましたが、これはドイツの労働裁判所で弁護士がよく言っていることです。もちろん裁判官というのは、決して労使の間の方々の言うことに対して頷いているだけではなく、やはり何らかの介入をしてきます。裁判官としての判断に基づいて提案をしたりということを、当然するわけです。場合によっては、そのような具体的な判断・決定が、特定の方からの弁護士によって批判されることはあり得ます。しかし、そういった提案をして何らかの形で和解にこぎつけなければいけないという、それから労働裁判全体が被用者側に好意的であるというふうに、そういったご質問をされたわけではないですよね。

【角田】
 ドイツの裁判の実態、特に第一審の段階では、紛争の法的な扱い方というよりも、むしろ和解を非常に強く志向した実態になっている。そのために裁判官の法的な考え方というよりも、むしろ労働者側に立つのか使用者側に立つのかという立場というものが大きな役割を果たすような印象を受けているのですが、そのことについてのドイツにおける議論といいますか、批判といいますか、そういう問題についてどのようにお考えでしょうか、ということです。

【ディートリッヒ】
 法政策上は、労働裁判が和解を進めるということで批判されているというふうには思いません。和解弁論が行われると講演の中で申しましたけれども、この和解弁論は、法律的な主張をするというような性格を持っておりません。むしろ裁判官が質問し、答えを聞くという会話の中で、そもそも問題は何なのかを把握することが試みられるからです。実際の法廷審理というのはかなりステレオタイプな傾向がありまして、非常に複雑になっていきます。対立も非常に深刻になってくるわけで、本来の問題というよりは、そこでどういったかたちがとられるかということになってきます。そういうふうに、例えば両者がお互いを人間的にうまく理解できなくなっているときに、裁判官が何か言うということをするわけですね。ただ、本来の法廷審理というものは、法律条項に基づきますけれども、それなしでも裁判官の言うことには重みがあるわけです。
 それから、日独の労働裁判のありかたの違いについて申し上げたいのですが、手続法というのは、やはり実体法の裏付けがあって初めて成功する、成果を得られると。従って形式法というものは、実体法の裏付けを必ず必要とするものであると言えます。日本においてそのような基準、規範的な基準がそれほど完備していないとは、私はあまり思いません。ドイツのスタンダードも戦後まったくゼロでした。それまでの法律はナチスの法律なので、占領軍によって無効力とされたからです。当時あったのは民法で、1900年に作られた民法を元に再構築をしていきました。そうしたものを少しづつ確立していく中で、事後的に法律、法制ができあがっていったのです。パートについても同じです。これはまず最初に裁判官が判例によって基準を示し、それに基づいて立法者が事後的に法律を作るということをやっていったわけです。パートもそうでしたし、企業における福利厚生、企業年金もそうだと思います。まず妥当か妥当でないかを通常の契約の中でだんだんに確定していったわけです。そうしたものに対して裁判所が判断を積み重ねていき、それが妥当であるとなって立法者が法律というかたちで法整備をしたということだと思っています。しかし労働裁判所というのは、非常に現実に近いところで仕事をする司法制度であると言えます。従って、こういうかたちで進んでいけば、だんだん進歩していくと思います。もちろん私が労働裁判制度をお勧めしますと言ってしまえば、それは日独の市民あるいは日独の現状を十分に考慮していないということになるのかもしれませんが、ただ三つだけは常に正しいと言えると思います。一つは、労働裁判制度ができれば裁判官が労働法の専門の裁判官になるということ、これが利点です。つまり、一般的な裁判官ではなくて労働紛争、争議などのみを扱うことによって経験を積み、それについての見識を深めている労働裁判官が得られる、ということです。二番目は、この労働裁判制度の合議体の中に名誉職裁判官が入ってくる。この職業裁判官でない人、労使の代表者たちが入ってくるという制度、こういう制度にしない限り、労働裁判制度というのは成功しないし、機能しないということです。それから三番目は、労働裁判所の秩序を、あまり形にこだわらないかたちで和解による合意を達成できるような制度にしておかなければいけない、ということです。一般の人たちは法律がよくわからないわけですから、そういった和解によって合意ができるような形にしておき、市民の人たちにも自分が理解されているなと気持ちを持たせるような制度にする。この三つだけは常に正しいと言えると思います。

【角田】
 お二人は今度、最高裁判所と東京地方裁判所を訪問なさると伺っておりますが、今日の労使の代理人として活動をなさっている方たちは、日本の裁判所 ― おそらく国会や行政よりも信頼はあると思いますが ― に信頼感、あるいは身近に感じるかどうか、労働事件についての専門的知識を理解してもらっていると感じるかどうか、そういう点についてどういう感想を持っていらっしゃるでしょうか。よろしかったら、どなたかご発言ください。

【会場からの質問5】
 労働裁判に携わっております弁護士です。日本の裁判制度では、裁判官の長いキャリアの中で、労働裁判を担当することはごくわずかな経験です。例えば三十歳で裁判官になり、六十歳の定年まで三十年間続けるとして、最も長く労働裁判に携わったとしてもせいぜい数年。十年担当することは、まずないだろうと思います。ですから日本においては、例えば東京や大阪など大都市において、通常の裁判所の中で労働事件を専門に扱う部署 ― カマー(Die Kammer)にあたるんでしょうかね ― そういう部がありますが、その部署に来ると労働事件だけを担当するわけです。ただ、裁判官はそこにだいたい三年いるわけです。三年間、労働事件を担当する。全く労働事件をやったことのない人がたまたま来て、労働事件を三年間担当し、いなくなる。また新しい人が来て担当する、ということが行われているので、なかなか日本の裁判所の中で、ドイツの労働裁判所のように、労働法の理論について習熟しキャリアを積んでいくという制度になっていないのです。それともう一つ、最近日本では司法試験制度が改正され、労働法と行政法が試験の選択科目から外されました。ですから労働法を全く勉強しないことが裁判官になることがあり得るわけです。そして、その人がたまたま労働裁判を担当することにもなるわけで、先ほどお話があったように、いろいろな意見はあるかもしれませんが、労働法の基本的考え方から見て、はたしていかがかと思われるような判決に接することもあるんです。ですから日本においては、労働裁判は数ある民事訴訟の一つに過ぎない。手続き的にも内容的にも特に労働裁判の特色を考慮した審議や判断はなされていないというのが基本的な特徴ではないかと思っております。
 しかしやはり労働裁判と通常の民事裁判は、ご指摘のように、いろいろな意味で異なっておりまして、私は少なくとも、実体法の整備はいろいろ議論があって、なかなか難しいところもありますが、少なくとも裁判の手続きにおいて、ドイツの労働裁判所のような迅速性の問題と、和解弁論的な手続き、それからコストの問題、そういう問題については日本の司法制度の中にも、労働裁判の特色を活かした特例的なものを設ける必要があるのではないかと感じています。
 それで、一つ質問。ドイツで確かに非常に特徴的なのが和解弁論だと思いますが、和解弁論はもっぱら職業裁判官がやっているようでして、どうしてその段階で名誉職裁判官が関与しないのか。かねがね疑問に思っていたところですので、理由がありましたら教えていただきたい。

【ディートリッヒ】
 まず質問にお答えし、それから先のコメントについて、私からも申し上げたいと思います。
 和解弁論はできるだけ早く、形式に捕らわれずに行うことが目的であり、それと同時に本来の法廷審理の準備の役割も持っています。従って職業裁判官に任されているわけです。というのは職業裁判官はもともとの法廷審理に関して責任を持っているわけで、証人尋問等の準備をしなければならないということがあるので、その裁判官が和解弁論の指導をすることになります。ですから、和解したいと思っているかどうかについても、とりあえず感触を探ってみなければいけないわけですね。中には最終的に連邦労働裁判所まで行きたいと、最初から考えている人たちもいますから。
 それでも名誉職裁判官は、こういった和解弁論のプロセスと無関係ではありません。というのは、手続きのどのレベルにおいても、裁判所は和解により合意を目指さなければいけないわけで、私の経験から申しますと名誉職裁判官、例えば雇用者側の名誉職裁判官が私の袖をつかんで「ちょっと来て」と言い、「私が相手とはっきり話をつけてくるから」と言われたこともあります。従って名誉職裁判官のほうが審議について本当に話を進めることに力を発揮したり、ということがありました。それが認められて、「ああ、分かった、分かった」というようなかたちで合意すると。ですから和解弁論といっても必ずしも職業裁判官だけが全部やってしまっているわけではありません。
 その前におっしゃった日独の基本的な差ですが、その差は日本において労働裁判に特化した手続きは導入できない、というのは労働裁判をする裁判官だけを特殊に養成することができないから、ということだと思いますが、それは私にはちょっと疑問です。私も労働裁判官になった時はまだ、労働の世界で実際に何が起きているか全然知りませんでした。それでも責任は果たさなければいけないのですから、若い裁判官に求められる条件は学ぶ意欲を持っている、そして学んでいくことだと思います。従って名誉職裁判官との間でディスカッションをしていくというようなプロセスの中でのみ、若い裁判官は知識を得ていくと思います。弁護士が最終的に勉強を終えるとき、大学の学業を終えるとき、あるいは研修生の段階を終えるとき、その段階で労働法を専門にすることは、ドイツでも全くありません。後から専門に特化することが出てくるので、それは裁判制度の中で分業が行われていて、労働裁判所に来た裁判官は、そこで特化していくことになるわけです。そうした労働裁判だけを扱っていく弁護士であれば、そこで労働裁判に特化した弁護士であるとして、そうすれば非常に顧客も増え、それを特徴として金を稼ぐこともできるわけです。従って、そういった専門への特化は十分可能だと思っております。
 裁判制度の中では忙しすぎて専門知識を得るための時間がない、とおっしゃるかもしれませんが、仕事の配分から専門化が必要なのだという意識があれば、それは可能になると思います。労働法専門の裁判官は要らないというなら、それは不可能でしょう。しかし、専門の裁判官が要るという考え方に皆が立てば、日常の裁判所制度の中でも、専門知識を得るための時間は取れると思います。

【角田】
 日本でも労使紛争を処理するための新しい機関の在り方について、いろいろな議論が進んでいますが、労使関係法研究会ですか、荒木さん、労働委員会に個別労働処理事件の権限を与えたらどうかという議論も日本でなされていますが、もし差し支えなければ、その議論の内容を若干紹介していただければ有り難いと思いますが。

【東京大学 荒木】
 東京大学の荒木と申します。日本でなぜ今、個別紛争処理が問題となっているかというと、これは既に角田先生がお話しになった通り、雇用流動化に伴って非常に増えるのではないか、ということです。現在の日本の裁判所は時間もお金も非常にかかるので、それとは違う、別の紛争処理機関が必要ではないかと労働省などで議論をしたところです。この内容の詳細は非常に込み入っており、私自身もよく覚えておりませんので、ここでの議論にひきつけて一つ質問というかたちでお話しさせていただきたいと思います。
 日本では労働事件が1年間に約2000件程度。それに対してドイツでは65万件ですから、200倍以上多くの事件を処理しておられるわけです。そこでアメリカや日本では裁判所以外の紛争処理手続き ― ADR、オルナタナティヴ・ディスピュート・レゾリューションAlternative Dispute Resolutionといいますが ― 裁判外紛争処理手続きを作らないと個人、あるいは労働者の権利が保護されないのではないかと、いろいろ制度改革を議論しております。
そこでドイツについてお訊きしたいのは、65万件という裁判が非常に簡易裁判が非常に簡易迅速に行われるドイツでは、ADR、オルナタナティヴ・ディスピュート・レゾリューションといった議論があるのかどうか。あるとすれば、たとえば、ベトリプスラート(Der Betriebsrat)とか、アウニングシュテレといった機関が実際上、裁判外でかなりの事件を処理していて、それでもなお、65万件の事件があるということなのか、それとも労働裁判所が非常に効率的に処理しているのでADRといった議論はあまりないということなのか。紛争全体の中での労働裁判所の役割についてお聞きしたいと思います。

【ディートリッヒ】
 ドイツでの議論というのは、やはり労働裁判官の数も多いわけで、それで経費もかかっているわけですから、裁判所外での解決の方法を選択するべきでないのかという議論があるわけです。ただそれは、労働紛争の件数あるいは、それに関る人々の数が減るというわけではありません。裁判所外に新しい制度をつくって、労働裁判所の業務の負担を軽減するということになるわけです。ただ、こういった方向性は、労働裁判制度ではなくて、他の裁判分野で具体的に議論されています。というのは、裁判費用が高くて審理に時間がかかって、また和解のケースがやはり少ないということがありますので、そういうことが考えられています。ドイツにおける法・政策上の議論を見てみると、連邦労働裁判所の長官として、私も発言をしてきたという経緯もあります。たとえばたとえば労働裁判の場合は八パーセント程度ですけれども、労働裁判所にくるわけです。そういった人たちに対して、最初から和解をする可能性を与えてやれば良いではないか。そのことによって裁判所外の和解の制度をつくるお金もかからないのではないか。すでにそういったところで、和解弁論に関っている人達にその可能性を与えることによって、そういった人たちは、知識も集積できるし、もし和解に達しないで裁判になった場合にも、いろいろな知識を持てるという利点があるわけであります。裁判官についても、裁判官は、証人Aは何を言うか、証人Bは何を言うか、第3に上級審が何を言うのかという三つの不確定要因があるわけですが、六十パーセントは勝ちだ、四十パーセントは負けになるということで、そうやって経験を積むことによって見通しが利けば、裁判までもっていっても負けるからやめとおこうという判断による和解というものも十分にでてくるわけであります。ですから、現在の制度の中での和解というものを最大限活用していくということです。そういった制度の中でも、どうしてもだめな場合には仕方がないと、それは労働裁判所に行って裁判になるわけです。そこで、関与してくる当事者たちというのは、和解弁論の中で、だいたい今後どのようになっていくのかということについても、見通しをつけられるまでになっている。このため、労働裁判が非常に効率的に速やかに進むという利点もあるわけです。

【角田】
 まだ、たくさん伺いたいこと、議論したいことがございますが、許された時間ぎりぎりまでまいっております。なぜ日本は、こんなに少ないのか。ドイツ人はもともと訴訟すきなのか。日本の企業の人事の担当者は裁判を起こされるということ自体が人事管理の失敗だという認識があるか、等々聞いてみたいことはたくさんありますが、もう一度お二人に感謝を致しまして、今日のシンポジウムを終わりにしたいと思います。どうも有難うございました。