【司会者】
たいへん興味深い報告をいただきましたので、また今日お集まりの皆様の顔ぶれを見ていますと、私からこういう問題と指摘するまでもなく発言を期待できると思っていますが、それぞれのテーマについて最初にお一人だけコメンテーターをお願いしておりますので、まず発言をいただき、後は自由にフロアの方とお二人との議論、そういうかたちで進行させていただきたいと思います。それから、発言して下さる方は、所属とお名前をおっしゃってから発言してくださるようお願いします。最初にパートタイムの均等待遇原則の問題についてディスカッションを行いたいと思います。名古屋大学の和田さんにコメントをいただいてから進行したいと思います。
【名古屋大学 和田】
ファール先生の話を非常に興味深く聞かせていただきました。どうもありがとうございました。
私が聞いたところではパートの実状、パートの比率や女性の比率、社会保険の状況など、非常に日本と類似している問題がたくさんあることがよく分かりました。他方で日本とは違った点も幾つかあるのではないかということで。
例えば間接差別の問題に触れられましたけれど、この間接差別の問題は、日本ではまだ議論になっていないので、今後こういう問題も日本できちんと議論していかなければならないのではないかいうのが私の感想です。
それから二つ目に、特に最近のパートについてはワークシェアリングという発想が非常に強いということで、これも非常に興味深いことだと思いました。例えば従来と異なる職種でパートの雇用を促進していく必要性があるというご指摘、あるいはパートタイム労働者とフルタイム労働者の転換、これは報告の中でリュック ケア スレヒトという言葉でお話になりましたけれども、こういう問題について日本でも今後、例えば育児休業をとっている間にパートに移って、それでまた戻ったらフルタイム労働に移れるかというようなことが議論になってくるのではないかと思いました。
次は質問ですが、ファール先生はお話の中で1985年の就業促進法に触れられていませんでしたが、この点について少しご質問したいと思います。この就業促進法の二条で、パートとフルタイム労働者の時間平(ひら)の原則が決まっていますけれども、これが法律によって決められるに至った背景、それからもう一つ、この法律ができたことによってパートの労働条件がどのように変わったのか、改善されたのかという問題について、報告の中でご指摘がなかったものですから、この点について補足的に説明をいただければと思います。
私の方からは以上です。
【角田】
ありがとうございました。いかがでしょう。ファール先生のほうから1985年の就労促進法二条の平等原則によって何が変わったのか、あるいはそういう規定を設けなければならない背景とはなんだったのか、そういう質問に若干答えていただいてから後、自由なディスカッションに移りましょう。
【ファール】
雇用促進法について言及しなかったのは、歴史的にほとんど意味、役割を果たさなかったからです。パートの不平等についての判例は、雇用促進法より古いものです。この第二条においてパートの差別を禁止しているわけですが、これは欧州裁判所がパートの差別は間接的な差別、性に基づく間接的な差別であり許されない、という判断を示した後にできた条項です。今日においても欧州裁判所はパートの分野において非常に大きな役割を持っています。というのも雇用促進法はこの分野についての何らからの規定をしたいとしているわけですが、欧州裁判所の判断、判決の方がもっと進んでいるわけです。これが特に雇用促進法の中にある規定よりも進んでいるという意味で重要であるということです。一つの例を挙げますと、雇用促進方の第六条は協約当事者に対し、労働協約の中において第二条で予定されているようなものと異なる規定を許しています。従って労働協約において、最終的には差別が行われ得るということになるわけです。従ってドイツの法律はEU法よりも遅れていると言えますし、またEU法のみならず、欧州裁判所の判決や連邦労働裁判所の判決よりも、ドイツの法律は遅れていると言うことができると思います。雇用促進法の意義というのは従って法政策的な意味ではなく、最終的にこうした方向性を確認しているに過ぎないのです。ただしパートの問題に関して言えば、立法の面でも進歩していると言えると思います。まず始めの段階では、労働時間が異なることが差別の理由として正当だと認められていたわけですが、間接的な性差別という判断が示されるようになって、そうしたことが行われなくなりました。
現在、法政策上の議論が進んでいる方向性というのは、通常の平等の原則、これは憲法の中にも平等の原則がありますけれども、こうした中ではパートに対する不平等、差別に対する疑問が呈されています。平等の原則、第三条の一の紀綱がパートの差別を禁止するために使えると言われています。こうした議論の方向性は、良い方向に進んでいると言えると思います。私の隣に座っている裁判官はドイツ連邦裁判所が一番最初のパートの平等に関する判決を出したときに関与した人物です。
【角田】
ディートリッヒ先生からも一言、その判決についてお伺いしましょうか。
【ディートリッヒ】
その司法案件、事件がどういうものであったかをお話します。これは大きなデパートでパートが企業年金の対象から外され、企業年金はフルタイムの者に対してだけと規定されていました。我々の法廷において、かなりの時間をかけてこれについて審議し、我々の主張を通して、そのようなやり方は許されないという考えを示したわけです。もちろんデパートはいろいろな組織上の問題を抱えているわけで、人事の問題もあるし、人事上の目標というものもあってのことです。そういった理由にもある程度認められる、納得できるものもありますが。ただ、企業年金について言えば、被用者を職場に結びつけておくための手段とも見られるわけで、デパートにとっては、そういう動機があまりなかったことがありました。しかし、まさにその動機という考え方とを我々は分析し、このような企業年金の不平等の陰には賃金報酬における不平等が存在していることを明確にしました。それは正しくないということが、だんだん認められるようになってきていたところに、それをラジカルなかたちで判決としてだしたわけであり、州労働裁判所に対して審理の差し戻しを行いました。州労働裁判所で審理をした後、前進がなかったので、私どもはこのような扱い方は憲法違反であるということを明確にしたわけです。
【角田】
たいへん興味深いお話を伺いました。
ところで、和田会員のコメントは二つの部分に分かれていたと思います。最初の部分は今問題になっている均等待遇の原則、それから後半部分はパートタイム労働をむしろポジティブな「政策」として、どう展開していったらいいのか、こういう部分だったと思います。さしあたって、この前半の部分、パートタイム労働者に対する均等待遇の原則、この日本とドイツというようなテーマで、若干フロアからの発言を求めたいと思います。とりわけ日本ではこの問題が立法上の一番の課題です。つい先だってマルコ警報機判決というのが出ました。これは、「同じ仕事をしている正規とパートの時間給が、だいたい十対六、六割であったのは平等に反する。同一労働原則は日本の法律にはないけれど、人格平等という考え方が尊重されなければならないから公序良俗に反する。ただし八割、二割は低くてもいい」。こういった判決が出て、我々にとって関心を呼んでいるものです。こういう平等原則の日独比較という問題について、実際はこうだということを踏まえて、皆様からの発言をいただきたいと思います。どなたでもどうぞ。
【会場からの質問一】
先ほど先生が講演で「パートからフルタイムに復帰する復帰権がないので、フルとパートタイムの行き来が少ない」というようなことをおっしゃっていましたが、昨年、今ごろの時期にお伺いした時には、連邦政府の職員の場合はフルとパートの間が行き来できるので、女性にとっては有利というか、ちゃんと使えるものになっていると伺いました。そういうことを民間の場合にも裁判事例や判例などで確保できるものがあるのかどうか、それをお伺いしたいのが一つと、もう一つ、先程来、僅少労働のことをおっしゃっていましたが、僅少労働は確か去年の四月からやはり保険が効くようになっているはずです。その結果がどうなったのか、そしてその僅少労働にも保険をかけなければならなくなったのか、かけることができるようになったのか、今、定かではないのですけれども、その辺りのところ、掛け金その他が僅少労働者にとってどのような重みを持つのか。僅少労働がそのせいで大幅に減ってしまったということもちょっと聞いておりますので、教えていただければと思います。
【角田】
私の後半のテーマに戻りましたけれども、ご質問ですのでお答えいただきましょうか。第一の問題は正規労働、フルタイムとパートタイムの復帰権というのは、公務員の場合にはすでにできているのではないか、という問題。それから二点目は、僅少労働には社会保険、雇用保険、これを義務づける法改正ができたのではないか。しかしそのことによって保険料が払わなくてもいいという労働者の声もあるようだと聞いておりますが、実態はいかがか、という、この二点のご質問でございました。
【ファール】
第一の質問ですが、ドイツではすべての州、また連邦のレベルにおいて、公務に従事するものについては ― つまり雇用者が国または州である場合ですが ― 公務に就く者は、家事労働をする場合 ― 育児にあたるといったようなケースですが ― 部分的な休職になります。業務の一部分について休職扱いとする、ということができるようになっています。女性がこの制度を非常に多く利用しています。それどころか女性が公務に就きたがる、このような制度があるから公務につきたがるという傾向も見えています。家事と育児とを両立させ、家事、育児に時間が必要でなくなればまた仕事に戻るということです。
ただ問題は民間です。現在でも女性の多くは民間部門で、公務に就いている人はほんのわずかです。ですから民間部門が問題なのですが、復帰権ということに対して民間の企業は抵抗を示しています。すでにいくつかの労働協約があり、大企業ではこうした復帰権を認めている労働協約も存在します。ただ、事業所レベルで、企業が実際にはそれを実行しないというケースが出てきています。というのは、できるだけ人減らしをしたいということが希望なので、それにかこつけて、いったんパートになった人のフルタイム復帰が難しくなっているという現状もあります。
また、中小企業に関しては、従業員がパートになってまた復帰をしたり、というかたちになった場合、組織形態が非常に複雑になると。何人かは育児をする、そして何人かはまた別のことをしている、そしてまた何人かは戻りたいというように、人の出入りが複雑になるということ。それから小さい企業の場合には、バーチャルにはいるのだけれども今いないという従業員が増えてしまうという問題があります。
復帰権に関する相談所ができておりまして、パートになる時の理由として育児だけに限定をしない方向や ― これまでは育児というふうに限定されていたわけなのですけれども、もっと幅広くするというようなことについても相談を受けています。が、そうなると中小企業にでも、パートになりたい人、後でフルタイムに戻りたいという人たちが増えてくるのではないかと思います。こうしたものは、まだ法律で保証されておりません。
二番目ですが、僅少労働に関する社会保険の適用義務は強制です。社会保険の適用を受けたいか受けたくないかを聞いた場合は、現時点で社会保険に入るとお金がかかるので、これは税金も同じですが、できれば払いたくないという答えが返ってくると思います。しかし、社会保険に入りたくないという考え方は正しくないと、私どもは思っているわけです。僅少労働に関して、もし雇用者側が100%社会保険料を払うことになれば、僅少労働者、被用者側は保険料を払わずに恩恵だけを受けることになると思います。しかし、そのような制度にした場合、雇用者、使用者の側は社会保険料を払うのが嫌だから、それを避けるために僅少労働を少なくするということになるわけです。そもそも雇用者は僅少労働者によって労働コストを下げようと思っていたのが、このような義務制によってコストがかかってしまうことになったため、僅少労働をさせないというふうになっていったのです。
他にヤミ労働というのものもありまして、これはまったく届出をせずに仕事をさせる、するというかたちです。我々の想像ではおそらくこういうかたちのヤミ労働が、社会保険の適用なしに非常に多く行われているのではないかと思います。
【会場からの質問2】
ファール先生に伺います。パート労働者が持っている権利についての質問ですが、その比率に応じた有給休暇の権利、また超過勤務に対する勤務手当ての規定は、どのようになっているのでしょうか。
【ファール】
パート労働者も、もちろん按分によってですが、有給休暇はその分だけ減ってしまう、これは明らかです。また、これも明らかですが、ドイツでそれについての意見の対立はなく、もちろんパートの人も僅少労働の人たちも、それぞれの労働時間に応じた有給休暇に対する権利は持っていると理解されています。これと違ってパート労働者の場合、超過勤務の支払いに関しては労働協約の中において規定されている超過勤務手当て、これは割増になっていますが、この規定が適用されるのは労働協約に定めたところの労働時間を超えた場合と規定されていますので、パートの超過勤務についての支払いは、その規定に則らないわけです。しかし、ヨーロッパ裁判所はこれに対して発言しています。このようなパートの人は超過勤務をした場合、その時間に対する支払いは得られますけれども、割増での手当てというものは、現在は支払われておりません。
【会場からの質問3】
パートタイムに関わる雇用政策上の問題について、お伺いしたいと思います。先ほどのお話では、雇用政策上の問題としてもパートタイム労働という形態が推奨されるべきであると、いうことでしたが、長期的に見た場合、パートタイム労働という形態がいつまでも存続させられるべきなのかどうかという点です。この点につきましてドイツで、例えばドイブラー教授は、標準労働関係という概念を使って、長期的にはフルタイム労働者の労働時間が短くなっていけば、パートタイム労働はいらなくなるのではないか、という考え方を出されているのに対し、例えばリュッケンベルガー教授などが、そういう標準労働関係という考え方自体が男女差別につながるのだという反論をされていて、一定の論争があると理解しておりますけれども、その点について。長期的に見た場合、パートタイム労働というのは果たしてなくなっていくのか、あるいはフルタイムトパートタイムの区別はいつまでも残るのか、そのいずれだとお考えでしょうか。その点をお伺いしたいと思います。
【ファール】
私が講演の中で明確にしたのは、現在のかたちでのパート労働はパート労働者の希望に対応していない、女性でパートをしている人たちは、本当に働きたい時間よりも少ない時間しか働けていない。法律の規定によって希望する時間だけ働くことができるよう、それを貫徹することを法律が可能にするのであれば、そうしたかたちでのパート労働がもっと増えると思います。それはおそらく週29時間以上になると思います。現在の協約労働時間が36時間ですので、その差はそれほど大きなものではなくなっていくと思います。
現在労働組合は、全般的な労働時間の短縮を言っているので、二つの就業形態の差は小さくなっていくと思います。女性の平等というのは、これはパート労働者の平等も同じですが、この本当の平等を実現するためには、このような差を乗り越えていかなければいけないと思いますし、それに加えて大事な点は、通常の一般労働者の労働時間の柔軟化がもっと進んでいけば、この状況に変化が出てくると思います。週に何時間というかたちでの就業の形態ではなくなり、年間総合で何時間働くというかたちでの協約になりますから、いつ働いてもいいわけです。そのような方向に行った場合、調整のプロセスが出てくると思います。労働組合は近い将来においては労働時間の短縮に成功しないと思います。これは、男性労働者がそれを希望していないということもあります。女性は長く働きたいという希望を持っていますが、男性の場合にも全く同じで、男性にもやはりたくさん給料を稼ぎたいと思っている人たちがいます。これは別にワーカホリックだから長く働きたいというわけではなく、お金を稼ぎたいからその希望が出てきているのです。今、先生がおっしゃった、両者の就業形態の差がなくなっていくのではというのは、私もそのように思います。特にサービス業部門においては、労働時間の規定はだんだんなくなってきており、最終的には目的は何か、しなければいけない業務は何かということに対し、いわば日本で言う裁量労働のようなかたちが出てきているわけです。ですから、信頼に基づく労働時間、あるいはプロジェクト労働時間 ― プロジェクト労働時間というのは、そのプロジェクトをすれば、どれほど時間をかけてもかけなくてもいいということで、たとえば二週間の間、週に60時間、70時間働き、その後は全然働かないというようなことが可能ですが、このような働き方は子供を持っている人には不可能です。というのは、最初の二週間に60~80時間働いている間、子供をなくしてしまうことはできません。ですからそれも非常に難しいということです。従って、そういう極端な方向に行く可能性もありますので、二つの就業形態に差がなくなっていくのと、それから両極化するという、二つの別々の動きが並行して進んでいくというのが、これから見られる方向ではないかと見ております。
【会場からの質問4】
パートタイム労働と家庭生活の問題について質問いたします。日本では現在、多くの女性が働くようになりました。その場合、家庭の問題と女性が働く問題をどう調和させるかが、一つの大きな課題になっています。その答えの一つが日本では、保育所を充実させる、ということになっています。多くの許可されない保育所がたくさんの生まれたばかりの子供を、しかも深夜の12時あるいは1時まで子供を預かる、そのことによってお母さんが働きやすいようにする、という方向にあります。しかし、家庭生活と職業生活の調和という大切な原則からすれば、このような事態が好ましいとは思えないと思います。そこで、たとえばオランダでは、パートタイム労働を活用して、例えばお母さんが午前中四時間働き、お父さんが午後五時間働く、そして、どちらかは必ず家にいて子供と一緒に暮らす、というかたちで職業生活と家庭生活、特に子供の権利と親の働く権利とを調和させています。ドイツでは、一方で最長三年までの育児休暇が保証されていますが、他方でパートタイム労働政策によってオランダのような方向を考えておられるのか、それとも日本のように保育所の充実といったかたちを考えておられるのか。ヨーロッパでも、例えばスウェーデンは保育所の充実という方向が中心であると聞いております。ドイツではどのようなことが考えられているのか、あるいはどのような方向が望ましいとお考えなのか、お聞きしたいと思います。
【ファール】
そのような保育所での育児に対する私の考えは、あなたと必ずしも同じではありません。そこで質というものが問われてくるわけですが、今までのところ、ドイツではこのようになってきています。
女性は家庭外での助けを育児のために得られるようになってきています。女性が子供を生んだ場合、子供にも生活があります。また、ドイツの男性は平均すると1日九分、子供と過ごしているそうです。これでは少なすぎます。本当に九分なんですよ。計算されています。でも、だからといって心配はしておりません。つまり、女性は家庭外でも育児の手伝いを得られるからです。それを要求することができるし、また、しなくてはならないわけです。
ただ、一つの点ではおっしゃる通りだと思います。まず、男性の労働時間をもっと減らすことができたなら、育児にもっと関わらせることができ、男女平等をそのようなかたちで実現できると思います。さらに言えば、企業はそのために努力すべきです。それは母親である女性たちをもっと雇用するためではなく、男性をもっと家庭の仕事につけるということです。ドイツ政府では女性大臣がそうしたモデルを提示しています。でも、育児休暇に対する要求は生後三年間、父でも母でもどちらでも取れることになっています。あるいは完全に休暇を取るのではなく、労働時間を減らして両方がいっぺんに取ることもできます。両方取れるということ、そしてその両方が同じ期間に労働時間を減らして二人で一緒に子供を育てることができるというふうに変わっています。これはすごく大きな進歩です。
【角田】
問題であるというところに行き着きました。時間の配分から申しますと、次の第二のテーマに移らなければならなくなりました。ここでシンポジウムのテーマを労働裁判制度に移したいと思います。ここでも一人だけコメンテーターを用意しておりますので、その後はご自由な議論に参加してください。大阪市立大学の西谷さん、お願いいたします。
【西谷】
ディートリッヒ先生の講演を、たいへん興味深く拝聴いたしました。ディートリッヒ先生は講演の最後に、長年の裁判官としての経験をふまえられて、ドイツの制度が一つのモデルになるのではないかというお話をされました。私も個人的にはドイツのモデルは非常に優れていると思いますが、現在の日本の状況とドイツの状況を比べますと、あまりにも差が大きすぎて、モデルといっても遠く離れたモデルのような気がしております。大きな相違についてはもうご存知の方も多いと思いますが、ごく簡単に指摘したいと思います。
第一に、労働裁判の件数がドイツではだいたい年間、第一審にかかるのが65万件ぐらいと聞いておりますが、日本では、近年急速に増えてきたといっても、法源訴訟でまだ2500件程度、仮処分を合わせても3000件を上回る程度ということで、非常に大きな差があります。
それからもう一つの問題は、日本には労働裁判所という制度がなくて、すべての労働法的な紛争が通常裁判所で扱われます。そのことからさまざまな問題が労働裁判について生じているように思います。例えば、裁判官に十分な労働法上の知識が欠けているのではないかと思わざるを得ないような判決、決定が多い、とか、あるいは労働裁判に特有の手続というものが定められておりません。すべて通常の民事訴訟の手続に従いますので、例えばドイツのように、第一回の期日が特別に和解の手続というかたちで定められているわけでもない。それから特別に労働裁判について迅速化を計るような措置がとられているわけでもない、そのために日本の裁判は非常に長くかかる。最近は昨年から民事訴訟法の改正、新民事訴訟法の適用によりまして、ある程度訴訟が速くなったと言われておりますが、裁判官の数はほとんど増えていないという状況のもとで手続だけ急ぐために、かえって審理が不十分であるという批判も出ています。そのように労働裁判の状況というのは、非常に大きな問題を日本では含んでいると思います。
ただ今後、日本でもますます労働関係から法的な紛争が増えてくる、多くの法的紛争が増えてくると予測されます。それは日本の長期雇用慣行というものが急速に見直されておりまして、雇用が相対的には短期化する、短くなる。そうしますと全体として労働者と使用者の関係がよりドライな関係になって、労働者と使用者の関係の問題を、長年の人的な、人間関係の中で解決するというよりも、権利と義務の関係として解決しようという傾向が強まっていくと思われるからです。そういう状況の中で日本でも労働裁判、あるいは労働者と使用者の法的紛争をどのように解決するのかということが非常に緊急の課題となっております。
現在この問題に関わる改革論議は二つの方向で進んでいると思います。一つは司法改革、裁判制度全体の改革。もう一つは労働関係から生じる個別紛争をどのように処理するのかという問題です。しかしながら司法改革というレベルの議論においては、労働問題を特に意識した議論は非常に不十分ではないかと思っております。私の個人的な意見では、この司法改革のレベルにおいて、もっと労働事件の特徴、特殊性というものを考慮した改革の議論がなされるべきではないかというふうに考えております。
それからもう一つは、ドイツと日本を比較する場合に、労働裁判だけの問題では比較できないと思います。裁判で扱われる法的な紛争を処理する基準、つまり実体法の比較が非常に重要だと思います。ドイツの場合、裁判が短い一つの理由は、問題を法的に解決する基準がかなり明確化されていて、裁判はその当てはめを中心とする、ということであるのに対し、日本ではその解決の基準が不明確であるために、どうしても一般条項をもとにして当事者が争わざるを得ない、そういった問題も絡んでいるのではないか。そういう意味では日本の労働裁判の問題の解決にあたっても、実体法の改善、ということが不可欠ではないかというふうに感じたところであります。
ちょっと長くなりますが、そのことをふまえまして二つほど質問をさせていただきたいと思います。一つは、先ほどディートリッヒ先生は法的紛争と規制紛争、規制問題を分けられました。特に規制問題については、集団的な労使関係の問題として扱われましたけれども、日本で現在個別紛争処理ということで問題になっておりますのは、まさにこの労働者個人と使用者の間における、いわば規制問題ではないかと思います。そこでお伺いしたいのですけれども、ドイツでは労働者個人と使用者の間における紛争についてもこの規制問題というふうな発想があるのかないのか。もし仮にあるとしたら、その規制問題というのは、例えば裁判の手続で行われる和解手続、和解交渉とどのように違うのか、という点について一つお伺いしたいと思います。
二つ目の質問は、昨年私はフライブルクで労働裁判を傍聴する機会がありました。詳しい話は省略しますけれども、非常に強い印象を受けましたのは裁判官、職業裁判官が非常に強いイニシアチヴを発揮していることでした。そして後で使用者側の弁護士と話をする機会があったのですが、彼はあの裁判官はあまりにも労働者寄りでけしからん、とえらく怒っておりました。つまり一審、おそらく二審でもそうかもしれませんが、裁判の手続において裁判官の職権が非常に強いという印象を受けたのですが、そうなりますと、その裁判官の個人的な考え方というものがかなり大きな役割を占めて、労働者側あるいは使用者側のいずれかから強い不満が出てくる恐れはないのかどうか。そういう問題について一つお伺いしたいと思います。以上です。
【角田】
ありがとうございました。二つの質問が出されましたが、まずお答えをお願いいたします。
【ディートリッヒ】
西谷先生、ありがとうございました。最初の方だけよく理解できたのですが、規制問題と法律問題の関係です。規制問題を説明するときに、集団的な利益代表のコンテクストにおいて申し上げすぎたかもしれません。しかし、当然のことですが、雇用者とそれから個々の、一人一人の被用者との関係においても、もちろんそこには契約の自由がありますから、そういったことは可能であるわけです。私が、和解による合意ということが、これは裁判の中であってもやはり規制の分野の問題なのだということを申し上げました。裁判官が紛争について判決を出すことなしに、和解によって合意をするようにと提案をするわけですが、そういった提案をするときには単に法律の条項によって提案をするだけではなくて、常識に基づいた人間的な判断による提案もなされるわけで、お互いに配慮したらどうかというようなことも裁判官から言うわけです。フライブルクでの経験を伺いましたが、これはドイツの労働裁判所で弁護士がよく言っていることです。もちろん裁判官というのは、決して労使の間の方々の言うことに対して頷いているだけではなく、やはり何らかの介入をしてきます。裁判官としての判断に基づいて提案をしたりということを、当然するわけです。場合によっては、そのような具体的な判断・決定が、特定の方からの弁護士によって批判されることはあり得ます。しかし、そういった提案をして何らかの形で和解にこぎつけなければいけないという、それから労働裁判全体が被用者側に好意的であるというふうに、そういったご質問をされたわけではないですよね。
【角田】
ドイツの裁判の実態、特に第一審の段階では、紛争の法的な扱い方というよりも、むしろ和解を非常に強く志向した実態になっている。そのために裁判官の法的な考え方というよりも、むしろ労働者側に立つのか使用者側に立つのかという立場というものが大きな役割を果たすような印象を受けているのですが、そのことについてのドイツにおける議論といいますか、批判といいますか、そういう問題についてどのようにお考えでしょうか、ということです。
【ディートリッヒ】
法政策上は、労働裁判が和解を進めるということで批判されているというふうには思いません。和解弁論が行われると講演の中で申しましたけれども、この和解弁論は、法律的な主張をするというような性格を持っておりません。むしろ裁判官が質問し、答えを聞くという会話の中で、そもそも問題は何なのかを把握することが試みられるからです。実際の法廷審理というのはかなりステレオタイプな傾向がありまして、非常に複雑になっていきます。対立も非常に深刻になってくるわけで、本来の問題というよりは、そこでどういったかたちがとられるかということになってきます。そういうふうに、例えば両者がお互いを人間的にうまく理解できなくなっているときに、裁判官が何か言うということをするわけですね。ただ、本来の法廷審理というものは、法律条項に基づきますけれども、それなしでも裁判官の言うことには重みがあるわけです。
それから、日独の労働裁判のありかたの違いについて申し上げたいのですが、手続法というのは、やはり実体法の裏付けがあって初めて成功する、成果を得られると。従って形式法というものは、実体法の裏付けを必ず必要とするものであると言えます。日本においてそのような基準、規範的な基準がそれほど完備していないとは、私はあまり思いません。ドイツのスタンダードも戦後まったくゼロでした。それまでの法律はナチスの法律なので、占領軍によって無効力とされたからです。当時あったのは民法で、1900年に作られた民法を元に再構築をしていきました。そうしたものを少しづつ確立していく中で、事後的に法律、法制ができあがっていったのです。パートについても同じです。これはまず最初に裁判官が判例によって基準を示し、それに基づいて立法者が事後的に法律を作るということをやっていったわけです。パートもそうでしたし、企業における福利厚生、企業年金もそうだと思います。まず妥当か妥当でないかを通常の契約の中でだんだんに確定していったわけです。そうしたものに対して裁判所が判断を積み重ねていき、それが妥当であるとなって立法者が法律というかたちで法整備をしたということだと思っています。しかし労働裁判所というのは、非常に現実に近いところで仕事をする司法制度であると言えます。従って、こういうかたちで進んでいけば、だんだん進歩していくと思います。もちろん私が労働裁判制度をお勧めしますと言ってしまえば、それは日独の市民あるいは日独の現状を十分に考慮していないということになるのかもしれませんが、ただ三つだけは常に正しいと言えると思います。一つは、労働裁判制度ができれば裁判官が労働法の専門の裁判官になるということ、これが利点です。つまり、一般的な裁判官ではなくて労働紛争、争議などのみを扱うことによって経験を積み、それについての見識を深めている労働裁判官が得られる、ということです。二番目は、この労働裁判制度の合議体の中に名誉職裁判官が入ってくる。この職業裁判官でない人、労使の代表者たちが入ってくるという制度、こういう制度にしない限り、労働裁判制度というのは成功しないし、機能しないということです。それから三番目は、労働裁判所の秩序を、あまり形にこだわらないかたちで和解による合意を達成できるような制度にしておかなければいけない、ということです。一般の人たちは法律がよくわからないわけですから、そういった和解によって合意ができるような形にしておき、市民の人たちにも自分が理解されているなと気持ちを持たせるような制度にする。この三つだけは常に正しいと言えると思います。
【角田】
お二人は今度、最高裁判所と東京地方裁判所を訪問なさると伺っておりますが、今日の労使の代理人として活動をなさっている方たちは、日本の裁判所 ― おそらく国会や行政よりも信頼はあると思いますが ― に信頼感、あるいは身近に感じるかどうか、労働事件についての専門的知識を理解してもらっていると感じるかどうか、そういう点についてどういう感想を持っていらっしゃるでしょうか。よろしかったら、どなたかご発言ください。
【会場からの質問5】
労働裁判に携わっております弁護士です。日本の裁判制度では、裁判官の長いキャリアの中で、労働裁判を担当することはごくわずかな経験です。例えば三十歳で裁判官になり、六十歳の定年まで三十年間続けるとして、最も長く労働裁判に携わったとしてもせいぜい数年。十年担当することは、まずないだろうと思います。ですから日本においては、例えば東京や大阪など大都市において、通常の裁判所の中で労働事件を専門に扱う部署 ― カマー(Die Kammer)にあたるんでしょうかね ― そういう部がありますが、その部署に来ると労働事件だけを担当するわけです。ただ、裁判官はそこにだいたい三年いるわけです。三年間、労働事件を担当する。全く労働事件をやったことのない人がたまたま来て、労働事件を三年間担当し、いなくなる。また新しい人が来て担当する、ということが行われているので、なかなか日本の裁判所の中で、ドイツの労働裁判所のように、労働法の理論について習熟しキャリアを積んでいくという制度になっていないのです。それともう一つ、最近日本では司法試験制度が改正され、労働法と行政法が試験の選択科目から外されました。ですから労働法を全く勉強しないことが裁判官になることがあり得るわけです。そして、その人がたまたま労働裁判を担当することにもなるわけで、先ほどお話があったように、いろいろな意見はあるかもしれませんが、労働法の基本的考え方から見て、はたしていかがかと思われるような判決に接することもあるんです。ですから日本においては、労働裁判は数ある民事訴訟の一つに過ぎない。手続き的にも内容的にも特に労働裁判の特色を考慮した審議や判断はなされていないというのが基本的な特徴ではないかと思っております。
しかしやはり労働裁判と通常の民事裁判は、ご指摘のように、いろいろな意味で異なっておりまして、私は少なくとも、実体法の整備はいろいろ議論があって、なかなか難しいところもありますが、少なくとも裁判の手続きにおいて、ドイツの労働裁判所のような迅速性の問題と、和解弁論的な手続き、それからコストの問題、そういう問題については日本の司法制度の中にも、労働裁判の特色を活かした特例的なものを設ける必要があるのではないかと感じています。
それで、一つ質問。ドイツで確かに非常に特徴的なのが和解弁論だと思いますが、和解弁論はもっぱら職業裁判官がやっているようでして、どうしてその段階で名誉職裁判官が関与しないのか。かねがね疑問に思っていたところですので、理由がありましたら教えていただきたい。
【ディートリッヒ】
まず質問にお答えし、それから先のコメントについて、私からも申し上げたいと思います。
和解弁論はできるだけ早く、形式に捕らわれずに行うことが目的であり、それと同時に本来の法廷審理の準備の役割も持っています。従って職業裁判官に任されているわけです。というのは職業裁判官はもともとの法廷審理に関して責任を持っているわけで、証人尋問等の準備をしなければならないということがあるので、その裁判官が和解弁論の指導をすることになります。ですから、和解したいと思っているかどうかについても、とりあえず感触を探ってみなければいけないわけですね。中には最終的に連邦労働裁判所まで行きたいと、最初から考えている人たちもいますから。
それでも名誉職裁判官は、こういった和解弁論のプロセスと無関係ではありません。というのは、手続きのどのレベルにおいても、裁判所は和解により合意を目指さなければいけないわけで、私の経験から申しますと名誉職裁判官、例えば雇用者側の名誉職裁判官が私の袖をつかんで「ちょっと来て」と言い、「私が相手とはっきり話をつけてくるから」と言われたこともあります。従って名誉職裁判官のほうが審議について本当に話を進めることに力を発揮したり、ということがありました。それが認められて、「ああ、分かった、分かった」というようなかたちで合意すると。ですから和解弁論といっても必ずしも職業裁判官だけが全部やってしまっているわけではありません。
その前におっしゃった日独の基本的な差ですが、その差は日本において労働裁判に特化した手続きは導入できない、というのは労働裁判をする裁判官だけを特殊に養成することができないから、ということだと思いますが、それは私にはちょっと疑問です。私も労働裁判官になった時はまだ、労働の世界で実際に何が起きているか全然知りませんでした。それでも責任は果たさなければいけないのですから、若い裁判官に求められる条件は学ぶ意欲を持っている、そして学んでいくことだと思います。従って名誉職裁判官との間でディスカッションをしていくというようなプロセスの中でのみ、若い裁判官は知識を得ていくと思います。弁護士が最終的に勉強を終えるとき、大学の学業を終えるとき、あるいは研修生の段階を終えるとき、その段階で労働法を専門にすることは、ドイツでも全くありません。後から専門に特化することが出てくるので、それは裁判制度の中で分業が行われていて、労働裁判所に来た裁判官は、そこで特化していくことになるわけです。そうした労働裁判だけを扱っていく弁護士であれば、そこで労働裁判に特化した弁護士であるとして、そうすれば非常に顧客も増え、それを特徴として金を稼ぐこともできるわけです。従って、そういった専門への特化は十分可能だと思っております。
裁判制度の中では忙しすぎて専門知識を得るための時間がない、とおっしゃるかもしれませんが、仕事の配分から専門化が必要なのだという意識があれば、それは可能になると思います。労働法専門の裁判官は要らないというなら、それは不可能でしょう。しかし、専門の裁判官が要るという考え方に皆が立てば、日常の裁判所制度の中でも、専門知識を得るための時間は取れると思います。
【角田】
日本でも労使紛争を処理するための新しい機関の在り方について、いろいろな議論が進んでいますが、労使関係法研究会ですか、荒木さん、労働委員会に個別労働処理事件の権限を与えたらどうかという議論も日本でなされていますが、もし差し支えなければ、その議論の内容を若干紹介していただければ有り難いと思いますが。
【東京大学 荒木】
東京大学の荒木と申します。日本でなぜ今、個別紛争処理が問題となっているかというと、これは既に角田先生がお話しになった通り、雇用流動化に伴って非常に増えるのではないか、ということです。現在の日本の裁判所は時間もお金も非常にかかるので、それとは違う、別の紛争処理機関が必要ではないかと労働省などで議論をしたところです。この内容の詳細は非常に込み入っており、私自身もよく覚えておりませんので、ここでの議論にひきつけて一つ質問というかたちでお話しさせていただきたいと思います。
日本では労働事件が1年間に約2000件程度。それに対してドイツでは65万件ですから、200倍以上多くの事件を処理しておられるわけです。そこでアメリカや日本では裁判所以外の紛争処理手続き ― ADR、オルナタナティヴ・ディスピュート・レゾリューションAlternative Dispute Resolutionといいますが ― 裁判外紛争処理手続きを作らないと個人、あるいは労働者の権利が保護されないのではないかと、いろいろ制度改革を議論しております。
そこでドイツについてお訊きしたいのは、65万件という裁判が非常に簡易裁判が非常に簡易迅速に行われるドイツでは、ADR、オルナタナティヴ・ディスピュート・レゾリューションといった議論があるのかどうか。あるとすれば、たとえば、ベトリプスラート(Der Betriebsrat)とか、アウニングシュテレといった機関が実際上、裁判外でかなりの事件を処理していて、それでもなお、65万件の事件があるということなのか、それとも労働裁判所が非常に効率的に処理しているのでADRといった議論はあまりないということなのか。紛争全体の中での労働裁判所の役割についてお聞きしたいと思います。
【ディートリッヒ】
ドイツでの議論というのは、やはり労働裁判官の数も多いわけで、それで経費もかかっているわけですから、裁判所外での解決の方法を選択するべきでないのかという議論があるわけです。ただそれは、労働紛争の件数あるいは、それに関る人々の数が減るというわけではありません。裁判所外に新しい制度をつくって、労働裁判所の業務の負担を軽減するということになるわけです。ただ、こういった方向性は、労働裁判制度ではなくて、他の裁判分野で具体的に議論されています。というのは、裁判費用が高くて審理に時間がかかって、また和解のケースがやはり少ないということがありますので、そういうことが考えられています。ドイツにおける法・政策上の議論を見てみると、連邦労働裁判所の長官として、私も発言をしてきたという経緯もあります。たとえばたとえば労働裁判の場合は八パーセント程度ですけれども、労働裁判所にくるわけです。そういった人たちに対して、最初から和解をする可能性を与えてやれば良いではないか。そのことによって裁判所外の和解の制度をつくるお金もかからないのではないか。すでにそういったところで、和解弁論に関っている人達にその可能性を与えることによって、そういった人たちは、知識も集積できるし、もし和解に達しないで裁判になった場合にも、いろいろな知識を持てるという利点があるわけであります。裁判官についても、裁判官は、証人Aは何を言うか、証人Bは何を言うか、第3に上級審が何を言うのかという三つの不確定要因があるわけですが、六十パーセントは勝ちだ、四十パーセントは負けになるということで、そうやって経験を積むことによって見通しが利けば、裁判までもっていっても負けるからやめとおこうという判断による和解というものも十分にでてくるわけであります。ですから、現在の制度の中での和解というものを最大限活用していくということです。そういった制度の中でも、どうしてもだめな場合には仕方がないと、それは労働裁判所に行って裁判になるわけです。そこで、関与してくる当事者たちというのは、和解弁論の中で、だいたい今後どのようになっていくのかということについても、見通しをつけられるまでになっている。このため、労働裁判が非常に効率的に速やかに進むという利点もあるわけです。
【角田】
まだ、たくさん伺いたいこと、議論したいことがございますが、許された時間ぎりぎりまでまいっております。なぜ日本は、こんなに少ないのか。ドイツ人はもともと訴訟すきなのか。日本の企業の人事の担当者は裁判を起こされるということ自体が人事管理の失敗だという認識があるか、等々聞いてみたいことはたくさんありますが、もう一度お二人に感謝を致しまして、今日のシンポジウムを終わりにしたいと思います。どうも有難うございました。
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