労働安全衛生法上の課題の変化と改正の方向性─国際比較の視点から
要約
安全衛生法上の対応が求められる労働の「過酷さ」は,物理的危険(伝統的リスク)から,疲労やストレス,慢性疾患罹患者への配慮不足を含め,個人と職務/人の不適合といった質的課題(新興リスク)へ焦点が移行している。また,保護の対象者も保護の主体も拡大する傾向にある。しかし,日本の安衛法は,罪刑法定主義の要請もあって,物理的危険に対応する定型的な再発防止基準と安全衛生管理体制の整備を中心とせざるを得なかった。保護の対象者は労働者,保護の主体は事業者を中心として,例外的に拡大するにとどまっていた。新興リスク対応では,ストレスチェックなどの量的手法や,医師面接などの医療者依存の手段に偏りがちで,個人と職務や人間の適合(fitness)などの人的・組織的対応が不十分だった。民事上の安全配慮義務は,安衛法の隙間を埋める役割を果たしたが,予測可能性の問題を孕んでいた。海外との制度比較を踏まえると,物理的安全のためにはサプライチェーン上流(設計・発注等)への責任付与が有効であり,特にAI時代には共同規制(官民での基準づくり)が必要である。有害物リスク対策では,情報の収集と共有システムの構築が求められる。健康リスク対策では,著しい長時間労働や悪質なハラスメント等には使用者等に対応義務を課す一方,個体と職務/人の相性合わせの促進が求められる(法的義務づけより認証方式が望ましい)。個人事業主に対しては,仕事の安定的獲得の支援,ヘルステックを用いたデータの統合とプレシジョン・ヘルスなどが求められる。筆者は,現場で生じているリスクの多因子的な性格を踏まえつつ,経営者による予防の必要性認識を高めるため,さまざまな専門分野で行われていた予防の営みを統合した予防構築学の構想を立てている。
2026年7月号(No.792) 特集●過酷な労働を取り巻く諸問題
2026年6月25日 掲載


