想像のメリトクラシーとスキルの罠─スキルの経済的価値を再考する

要約

荒木 啓史(香港大学助教授)

本稿は,昨今重要性が指摘される「スキル」の経済的価値を検証することを目的とする。近年の政策議論においては,望ましい経済的アウトカム(安定した雇用や高い収入)を享受する上で,個々人が「リスキリング」等を通じてスキルを拡充することの必要性が叫ばれている。この前提には,日本社会で経済的アウトカムが個人のスキル・努力に応じて配分される,すなわちメリトクラシーが機能しているという強い仮定が置かれているが,それはどの程度現実を反映しているのだろうか。経済協力開発機構の第2回国際スキル調査(PIAAC)データを用いて,傾向スコアマッチング,機械学習アルゴリズム(XGBoost),回帰モデルを適用した結果,日本の特徴として以下三点が明らかとなった。(1)高スキルは高収入を有意に予測する,(2)収入に対するスキルの寄与度はジェンダーや学歴等に比して相対的に小さい,(3)高スキルを有しても期待できる収入レベルは個人間で大きな差があり,とりわけ女性と低学歴者が構造的に不利な立場に置かれている。すなわち,現代日本においてメリトクラシーは実態ではなく想像されたメカニズムであり,特定層がスキルを獲得・向上しても経済的に報われない社会構造「スキルの罠」が存在している。労働者がスキル・努力に応じて望ましい環境・待遇を享受し,社会全体で公正な経済成長を推進するためには,個人のスキル拡充を支援する施策と併せて,根強いジェンダー格差,名目的学歴に紐づいた資源配分,職務と連関したスキル要件の不在,といった社会構造的な制約を解消することが求められる。


2026年6月号(No.791) 特集●雇用関係におけるメリトクラシー

2026年5月25日 掲載