労働政策の展望
海外日本企業をいかす賃金、サラリー

小池 和男(法政大学名誉教授)

いいたいこと

中長期の課題として、いま不人気の海外日本企業を考える。それをさらに伸ばすサラリー、賃金方式を考えたい。

まず、要点を書いておく。いま海外日本企業は国内雇用の敵といわんばかりの扱いである。だが、中長期の日本の雇用を支えるのは、すくなからず海外日本企業の活動と考える。その稼ぎからの還流が日本を支える。

その海外日本企業をさらに伸ばすには、適切な賃金、サラリー方式が必須である。賃金方式といえば、すぐさま「年功賃金」の変革という。いまも盛んにいわれる。だが、これほど不可解な言葉はない。かりに定期昇給の廃止などをいうのであれば、それははなはだしい認識不足である。先行国英米などのホワイトカラーのサラリーは、何十年も定期昇給を活用してきた。最近は英米のブルーカラーの一部にも定期昇給をみるようになった。

その先駆者は、じつは敗戦後の日本なのだ。ブルーカラーとホワイトカラーの賃金方式を世界にさきがけて統一した。ブルーカラーのすべてではないが、そのかなりをホワイトカラー賃金に統一した。その持ち味が競争力を大きく支えている。そのよさを海外日本企業にもいかしたい。

とはいえ、日本企業の賃金方式に問題がない、というのではない。わたくしの考えでは、あと一歩手直しすれば、海外日本企業でも国内日本企業でも、問題をのりこえることができよう。以下説明しよう。

いま不人気の海外日本企業

アベノミックスとやらで円安、輸出依存の方向をとろうとしている。だが、英米などの先行国をみれば、むしろ逆の方向ではないか。もっとも海外依存度の高い英をみる。海外直接投資はGDPの7割、敗戦国の独ですら4割におよぶ。いまの日本の議論を適用すれば、英、独ともに空洞化で雇用はくるしいはず。だが、英をみよ。海外企業からの利益の還流がGDPの6%にものぼり、それが輸出入の赤字を大分補っている。その海外企業の活動の種、シーズを国内企業がつくりだす。そのため、国内、国外要員の別なく人は移動している。

日本の海外直接投資はGDPのまだ15%ていどにすぎないが、その収益率はけっして低くはない(小池〔2008〕第2章)。それをせめて独なみに拡大して国内へ還流させる、これが将来の雇用を支える方策となろう。

それには海外日本企業が稼がねばならない。植民地支配の利権もなく、世界のエリートが海外や国内の日本企業に職を求めることもあまり期待できない。それならば、海外日本企業がよらざるを得ないのは、職場の中堅人材の活用であろう。それには仕事の面白さ、それをこなす技能、そしてその向上を促す賃金方式が必須となる。

仕事の面白さとは、マニュアルできめられた作業だけでなく、おもわぬトラブル、異常の処理といった作業もこなす。おもわぬ問題は避けがたい。なにも御嶽山や東日本大震災をもちだすまでもなく、おもわぬ問題は職場では小さいながらおどろくほどひんぱんに起きる。それをこなす技能の形成を促すのに、ある種の賃金方式が欠かせない。それはどのようなものか。

米のサラリー方式

職場の問題をこなす適切な賃金方式は、わたくしの考えでは、米英のホワイトカラーのごくふつうのサラリー方式である。いま話を簡単にするために米にかぎる。米のサラリー方式についてくわしい調査は1960年代初期の労働統計局調査(Bureau of Labor Statistics, BLS〔1963〕)からはじまる。

周知のように米の公務員のサラリーは民間準拠で、大規模な民間サラリー調査がある(日本の人事院もこれに倣った)。ただしそれは高さの調査だけで、きめ方におよばない。それを探ろうと労働統計局のスタッフが100社近い米大企業を尋ねた。

その結果は日本の「常識」と違い、米のホワイトカラーのサラリーは、もちろん職務ごとの一本のサラリーではない。社内資格ごとである。Pay gradejob gradeとよぶ。ほぼ日本の職能資格に近い。その企業にしか通用しないし、その数も大卒の若年入社から部長クラスまで10―20ていどで、日本と大差ない。一見、40や50という事例もあるが、そのばあいは同じ仕事についたまま3,4の資格を昇格するようであって、実質的には15ていどとなる。

その社内資格ごとに基本給base payは大きな幅rangeがある。それを範囲給range rateという。たとえば、課長クラス4~6万ドル、課長補佐クラス3万5千~5万ドルなどである。年々の査定つき定期昇給で、範囲rangeの上限まであがる。実際は上限をこえるお情け昇給もある。

うえの数値例でわかるように、大幅に上下と重なる。ふつう米では重複度をとなりの下限どうしの差でしめす。うえの例でいえば、3万5千を100として4万との差を14%などとあらわす。日本なら「年功賃金ゆえの不合理」として非難されるものである。

その後、ていねいな調査研究がときたま現れる。やはりBLS調査にもとづくPersonick(1984)調査、さらに1990年代までの、個人人事記録をもとにした綿密な研究論文が数本ある(Baker, Gibbs,and Holmstrom〔1994〕; Gibbs and Hendricks〔2004〕など)。プライバシイ関連でそうした研究はでなくなったようだ。あとは賃金分野でもっとも使われているMilkovich, Newman, and Gerhart(2014)などで推察するほかない。そのかぎりでは基本的な特徴はかわっていない。むしろ範囲給rangeが若干ひろくなった。かつての50%たらずから50~60%、いやときに100%をこえる。いわば「年功度」が増した。これが基本給Base payである。

ほかに部門や企業業績におうじたいわゆる変動給variable payがある(これこそが成果給)。ただし、日本とちがい部課長クラス中心で年収の25%ほどと、日本のボーナスよりも少ない。まして日本ではブルーカラーでも正規労働者ならほぼ同様なボーナスがでる。まさに「ブルーカラーのホワイトカラー化」という日本の特色どおりの現象というほかない。よくつたえられる米の変動給の異常な大きさは、ファイナンス、それも投資銀行やヘッジファンドという狭い世界にかぎられるようだ。それを米一般と誤解しないことだ。

やや高度な仕事をこなす

いったい米のこうしたサラリー方式は、どのような機能をもつのか。やや高度な仕事、つまりマニュアルではすまない仕事をこなす能力の形成促進機能である。極度に高度な仕事、すなわち天才たちのばあいは別とする。ビル・ゲイツは若いときから頭角をあらわした。だが、それはまことに稀なのだ。

他方、ややふつうの人材で、マニュアルをこえた作業をこなす能力を身につけるには、経験と自分自身での探求が欠かせない。経験とは、たとえば人事課長をとれば、訓練課長や採用課長も経験してから人事課長になる、というようなことだ。人事をまったく知らずに人事課長に就任するばあいとくらべればよい。似た潜在能力でも、その業績に大きな差が生じよう。

また、人事課長の1年目と3年目とではかなり能力が向上しよう。5年10年と向上はしないであろうが。くりかえし作業だけなら3日で一人前になってしまうが、やや高度の仕事能力こそ同じ仕事についても向上するのである。

そうじて、関連の深い分野でのはばひろい経験、そしてひとつの仕事での経験の積み重ね、こうしことはある期間を要する。それをうながす定期昇給が欠かせない。採用課長、訓練課長、人事課長は、同じ課長職だから、社内資格はかわらないばあいが多いだろう。でも、こうした経験をつみ技能を向上させる人材の形成こそ、この範囲給の基本機能であろう。

これを米は「コンピタンス」などと説明する。それは能力をあらわすごくふつうのことばだが、その内容の説明ははなはだ心理学にかたより、技術面での説明にとぼしい。

うえの議論の筋、すなわち面倒な作業をこなすから関連の深いなかで幅広い経験が必要との推論の証拠は、米のブルーカラーをみればよい。あまり面倒な仕事をたのまない米の生産職場は、これまで職務給であった。範囲給はないか、あってもせいぜい20%という狭い幅であった。まして労働組合があると、査定がなく全員一律で昇給してしまう。これでは促進策にならない。

日本の賃金の特徴

これにたいし、日本は生産職場にも社内資格をもうけ、査定つきの定期昇給がある。いわゆる正規労働者はそうである。その点では米ホワイトカラーのサラリーに近い。すなわち敗戦後、世界にさきがけてブルーカラーとホワイトカラーの賃金を統一したのである。それが長続きしたのは、まさにブルーカラーの技能上位半分層に、マニュアル以上のことをこなす技能がなかば自生的に形成されたからである。その結果、おなじような製造ラインでも、日本の相当の効率向上が認められよう(その効率の推算例は小池〔2013〕pp.128―131)。これが日本の賃金方式の第一の特徴である。

第二、米のホワイトカラーサラリーとの違いもある。それは範囲給の上限下限が明示されてないことだ。実際は似た境界線が存在し、それをこえると定期昇給が半減したりする。だが、上限の明示がない。

こうした日本企業の賃金・サラリー方式は、海外日本企業に適用できるだろうか。もちろんできる。それどころか海外日本企業の効率を高めよう。ただし、わたくしの考えでは、あとわずかな修正が必要である。

うえの第一の特徴はそのままで、海外の日本企業に広まるであろう。そして、やや手直しすれば、その地で西欧や米の海外企業との競争を凌駕しよう。その他の条件がおなじならば、職場の中堅層の活用がめざましくなる可能性が大きい。一般に、ある方式の海外での通用度は、その方式をその地の人が歓迎するか否か、にかかるだろう。企業内の下位の慣行にしたがうよう上位の人に頼んでも、まず成功の確率はとぼしい。他方、その企業社会の上位の人たちの慣行を、下位に広げようとしたら、それを歓迎しない方があやしいだろう。それは洋の東西をこえた人情ではないだろうか。

実際にも、わたくしが職場までおりてふかく調べた英トヨタ、タイトヨタのいずれにも、それは認められた。タイのばあいはかなりその土地の慣行にかなっている。一見そうではないはずの英でも、なお歓迎されていた。そして日系企業以外にもひろがりつつあった。

一般化しよう。ふかく西欧社会にのみこまれている産業社会、ブルーカラーは職務給、ホワイトカラーは別という地域は、なお存在する。だが、下位の層の待遇をあげる慣行が広がらないはずはない。日本企業方式の拡張が十二分に予想される。

なぜ修正が必要か

もちろん修正は必要である。範囲給の上限の明示である。理由はきわめて簡明である。賃金なりサラリーの方式は、その技能、その向上に対応しなければ、短期のズレはともかく、長期に大きくズレては、職場の人々の支持をうしなう。それでは他国はもちろん日本国内でも通用しまい。それぞれの社内資格の範囲給の上限下限を明示するほかない。それに、それは日本でも前例がないわけではない。国家公務員をみよ。すでに上限下限が明示されている。なるほどそれは幅広すぎる。だが、その方式を西欧や米の産業社会の相場にならって、明示すればよい。

ふたつのことを強調したい。第一、いわれない劣等感にとらわれた「年功賃金」の変革、職務給こそ、などという観念をすっぱりと消し去ることだ。具体的には先行国ホワイトカラーのサラリーをみつめることである。

第二、こうした観点はすでに敗戦後いちはやく労働省の先達、金子美雄が主張していた。かれは敗戦後の労働制度につき、労働基準局初代の賃金課長として占領軍と直接交渉した。米の企業を早い時期にまわり、適切な質問によって実態を把握した。そして「属人的能力給」こそ、という議論をいちはやく主張した。しかも日本の歴史的な役割をきちんと認識していた。他国ならホワトカラーとブルーカラーをわけた賃金方式をとってきたのに、日本こそが先駆者として両者を統一した、と。こうした労働省の先人の識見を尊重したい。先進国であれ、途上国であれ、海外進出するならば、どうか年功賃金の迷妄からさめていただきたい。

文献

Baker, George, Michael Gibbs, and Bengt Holmstrom (1994) “Internal Economics of the Firm: Evidence from Personnel Data,” Quarterly Journal of Economics, Nov., pp.881-917.

Gibbs, Michael, and Wallace Hendricks (2004) “Do Formal Salary Systems Really Matter?” Industrial and Labor Relations Review, 58-1, pp.71-93.

Milkovich, George, Jerry Newman, and Barry Gerhart (2014) Compensation, 11th ed., McGraw-Hill, 718p.

Personick, Martin E., (1984) “White Collar Pay Determination under Range-of-Rate Systems,” Monthly Labor Review, Dec., pp.25-30.

US, Dep. of Labor, Bureau of Labor Statistics (1963) Salary Structure Characterisctics in Large Firms, Bulletin, 1417.

小池和男(2008)『海外日本企業の人材形成』東洋経済新報社.

小池和男(2013)『強い現場の誕生―トヨタ争議が生みだした共働の論理』日本経済新聞出版社.

2014年12月号(No.653) 印刷用(PDF:625KB)

2014年11月25日 掲載

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