特集解題「雇用システムの変化と能力開発」

2003年5月号(No.514)

『日本労働研究雑誌』編集委員会

雇用不安が続いている。失業率が5%台になって1年以上が経過し、失業者数は350万人を超える高水準である。失業率が高くなった主たる原因は労働需要が減退していることにあるが、景気の低迷は中小企業だけでなく大企業の雇用にも影響を与えている。これまで、大企業の雇用は比較的安定していると考えられてきた。しかし、電機産業をはじめとして多くの産業で人員削減が行われており、従業員数1万人を超える巨大企業の雇用も不安定さを増している。

1990年代以降、日本企業の雇用システムは大きな変化の中にある。長期安定雇用を前提に企業経営を行おうとしても、経済環境の激変がそれを許さないため、多くの企業で雇用不安が起こっている。不幸にして失業した場合、次の仕事を見つけるのは簡単ではない。確かに、充足されていない求人は多数存在する。しかし、技術革新のスピードが速くなっていることから、企業が求めている能力も大きく変わっている。このような状況の中で生き抜いていくには、不断の能力開発が欠かせない。

今月号の特集では、雇用システムが変わっていく中での有効な能力開発とは何かを考える。能力開発の現状、考え方の変化、法律の枠組み、国や地方自治体による失業者の再訓練の有効性、この問題に対するヨーロッパ諸国の対処方法といった点について検討するこことにした。

今野提言は、これまでの日本企業が行ってきた能力開発の盲点を見事に突いたものである。多くの大企業が「コンピテンシー」導入に走るのは、これまで内容が明らかにされないままに行われてきた能力開発への反省があるためだと主張する。企業の中で具体的にどのような能力が必要とされているかを脇に置き、企業の要請に柔軟に対応してくれる「能力」を持った人を育ててきた。能力という言葉の持つ曖昧さを払拭するきっかけとして「コンピテンシー」をとらえようというのである。

では、企業はこれまでどのような教育訓練を行ってきたのか、またこれからはどの方向に舵をきろうとしているのか。この点を検討するのが、大木論文「企業の教育訓練投資行動の特質と規定要因」である。2つの大規模なアンケート調査から得られた情報を駆使して、企業の教育訓練の実態に迫った。大木論文は、主として次の2点を明らかにしている。(ア)社内主導訓練と外部教育訓練機関活用型訓練の費用の振り分けはほぼ1対1であるが、企業の訓練投資への予算制約が厳しくなると外部機関をより多く活用する方向に振れる可能性が高いこと、(イ)訓練分野別の費用配分は、目的別・課題別研修が4割強、職能別研修が3割強、階層別研修が3割弱になっているが、今後の予算制約から、階層別研修が縮小され、他の2つのタイプの研修により多くの資源が投入される可能性が高いこと。大木論文によって、企業は訓練投資を行う際に対象者を選別する方向に進んでおり、訓練内容にも変化がみられることが確認された。

このように企業の訓練政策が変化していこうとしているとき、従業員は自らの能力開発をどのように組み立てていけばいいのだろうか。この問いに答えるのが、藤村論文「能力開発の自己管理」である。藤村論文は、能力開発の基本であるOJTとOff-JTが有効に機能するための条件を整理し、既存の質問票調査を使って、企業側と従業員側の教育訓練に対する考え方の違いを分析した。その結果、(ア)能力開発の主体は従業員であるという考え方が、企業側にも従業員側にも強くなっていること、(イ)キャリア開発について具体的に考えている従業員は少数であり、この点は能力開発の主体は従業員であるという考え方と矛盾すること、(ウ)研修場所として、従業員は外部の教育訓練機関を好む傾向が強いことが明らかになった。そして、中途採用の面接で使われる質問項目の分析を通して他社でも通用する能力の内実を整理し、効果的な能力育成のためには、現在担当している仕事の価値を上げるような働き方をすることが最も重要である点を指摘した。企業特殊的に見えることの中にこそ他社でも通用する能力を獲得する機会が含まれていることを強調している。

能力開発の主体が個人に移っていこうとしているとき、日本の労働法制はそれに十分対応できているのだろうか。この点を論じたのが諏訪論文「能力開発政策の課題」である。諏訪論文は、わが国では能力開発分野での法整備が遅れていることを指摘し、その理由として、能力開発が企業任せになってきた点が最も大きいとする。学校教育において職業教育がほとんど行われて来なかったために、大半の人は企業に入って初めて「働くことは何か」を考える。多くの労働者が内部労働市場に組み込まれていれば、企業主導の能力育成を前提とした法体系で問題はなかった。しかし、内部労働市場のあり方が変容し、外部労働市場の機能整備が求められるようになると、労働者個人を支援する具体的な施策が必要となる。また、内部労働市場に所属しきれない非正規労働者などの存在に対して有効に機能する施策を打てるような法体系の整備が求められる。日本は、いままさにそのような段階に来ており、個人の能力開発を支援する法制度を提示する必要があるとする。

個人の能力開発を支援する必要性は、失業者の増加を見ても明らかである。失業したとき、次の職をみつけるのは簡単ではない。それまで培ってきた経験や技能が技術革新などで市場性を失った場合はなおさらである。そこで登場するのが、公的な職業訓練である。黒澤論文「公共職業訓練の収入への効果」は、公的な職業訓練が機能しているか否かを検討している。東京都立技術専門校修了生に対するアンケート調査の結果を使って、訓練を受ける前と後で収入がどのように変化したかを分析した。訓練前よりも訓練後の収入の方が高ければ、訓練は成功したと見ることができる。データ上の制約があるために計測結果を読む際にはいくつかの限定をつけなければならないが、「訓練の効果は女性にはおおむねプラスに働くが、中高年男性には有意にマイナスになる」という結論を得た。同時に、黒澤論文は、公的職業訓練の効果をより厳密な形で測るには、訓練受講者と非訓練受講者双方についての長期にわたるパネルデータが必要である点を指摘している。

多くのヨーロッパ諸国では、長期にわたって高い失業率が続いている。ヨーロッパの失業者に対する訓練には長い経験の蓄積があり、日本が学ぶべき点は多い。イギリスの失業者訓練についての紹介である藤原論文は、特に就労困難性の高い失業者に対して行われるニューディール政策を中心に述べている。企業が求めている能力を意識しながらプログラムが作られている点が興味深い。ドイツの状況を紹介する竹内論文は、就職前の職業能力養成訓練と就職後の職業継続訓練を効率的に組み合わせて実施していくことについての重要性を中心に述べている。訓練実施機関間の競争を促進して教育訓練の質を上げようとしている点は日本も学ぶべきであろう。フランスの失業者訓練を紹介する林・高津論文は、失業者に対して多くの種類の訓練が用意されていることを整理している。技術革新に対応していくには、継続して訓練を受ける機会が存在することが不可欠である。失業者に対する訓練を就労者に対する訓練の一環として理解するという指摘は重要である。

今後、好況になったとしても、ある種の雇用不安は継続する。個々の労働者が市場性のある能力を持ち続けるためには、訓練投資は欠かせない。今月の特集が、読者自身の能力開発のあり方を再考するきっかけになれば幸いである。

責任編集 藤村博之・佐藤博樹・渡邊博顕(解題執筆 藤村博之)