特集解題「コーポレート・ガバナンス改革と雇用・労働関係」

2002年10月号(No.507)

『日本労働研究雑誌』編集委員会

江頭提言が示すように、株主利益を最重要視するシェアホルダー・モデルに対して、従業員利益を重視した従来の日本型コーポレート・ガバナンスは、多様な利害関係者の利益を考慮するステークホルダー・モデルの一つの典型を示すものであった。しかし、ステークホルダー・モデルを代表するドイツモデルと比較すると、日本のそれは、法制度によって担保されたものではなく、株式持合、内部昇進経営者、長期雇用慣行、労使協議慣行など、慣行に依存している点に顕著な特色がある(荒木尚志「日米独のコーポレート・ガバナンスと雇用労使関係」稲上毅・連合総研編『現代日本のコーポレート・ガバナンス』209頁 (2000))。こうした日本のコーポレート・ガバナンスに大きな変化をもたらす可能性のある商法等改正法が2002年5月に成立した。そこで本特集では、会社法の制度変更の内容とその意義、その雇用・労使関係へのインパクトと政策課題、変化する日本のコーポレート・ガバナンスの実態等を国際比較をまじえつつ検討することとした。

神作論文は、取締役会と監査役が経営を監督する従前型の「監査役存置会社」と、新たに導入された米国モデルの「委員会等設置会社」の二つの制度が併存し、企業がいずれかを選択できることとなった今回の商法改正の背景と改正内容を手際よく整理する。委員会等設置会社を選択する場合、委員会の過半数は社外取締役でなければならず、社外取締役は、過去・現在において当該会社・子会社の業務執行取締役、執行役でないことのみならず従業員(商法上は「使用人」と呼称される)でもないことが要求される。これは、経営者の内部昇進を特徴としてきた日本のコーポレート・ガバナンスにとって大きな変化を意味しうる。社外取締役の活用は、まさに従業員ヒエラルキーの頂点に立つ代表取締役社長を誰も実効的に監督できないという従来の日本型コーポレート・ガバナンスの問題点を正すことを目的としたものであった。

神作論文は、株主利益、従業員利益、公共の福祉の3要素を衡量して経営すべきとされてきたドイツでも、グローバル化の進展、ユーロ導入による国際的立地競争の認識が広がったこと等を背景に、株主利益最大化の原則が受け入れられつつあること、労働者代表が監査役会に参加する共同決定制度に対しても、従来のように聖域化せず経済効率性の観点からの吟味が開始されていることを紹介する。そして、株主利益最大化原則が、法規範としては緩やかなもので、経営者には様々な利害関係者の利益を考慮する裁量の余地がありうることを指摘しつつ、日本において同原則がコーポレート・ガバナンスの指導原理であることを確認する意義を強調する。

大内論文は、従業員利益を重視した日本のコーポレート・ガバナンスの特徴と成立の前提条件を概観した後、労働法学から見たコーポレート・ガバナンス問題を、解雇権濫用法理や労働条件変更法理などの長期雇用下で判例により形成された労働契約法理と、労使協議制・従業員代表制の2点を中心に検討を加える。解雇を制約する判例法理については、日本の雇用システムにおけるその重要な機能を確認しつつも、経営判断尊重の要請を考慮して法理の内容を手続的ルールヘ組み替えていくべきことを主張する。また、労使協議については、企業組織再編に際しての労働者側への情報提供・協議を求める法制度の発展や、近時の労使協議制の実態を分析整理した上で、労使協議自体は法規制で義務づけるべきではなく、労使自治に委ねるべきであるとする。従業員代表の法制化についても、従業員代表と労働組合の相違を摘示して、真正な労働組合結成の芽を摘み取りかねないとして反対している。

小佐野論文は、日本経済の直面する外部与件の変化を概観した後、コーポレート・ガバナンスの変化を、外部ガバナンス(外部債権者や外部株主による企業経営者の規律づけ)と内部ガバナンス(取締役会、経営者の報酬・株式保有、事業都制・カンパニー制の選択等の企業組織内メカニズムによる経営者の規律づけ)に分けて分析する。そして、コーポレート・ガバナンスの変化に応じた雇用関係の望ましい適応の姿を、三つの産業類型に分けて検討している点が注目される。すなわち、(1)事前の情報共有・摺り合わせ能力を必要とする産業(自動車・工作機械産業等)では伝統的労働組織、長期雇用システムの維持がなお有効であるが、(2)モジュール化やオープン化によりこれらが不要となった産業(コンピュータ産業・加工組立型電機産業等)では、ストック・オプション等の業績連動賃金が望ましく、(3)衰退・成熟産業では、市場、すなわち株主利益に従った資源や資本の再配分が望まれ、その際、従業員利益を株主利益と乖離させないようなインセンティブシステムの設計(ストック・オプションや従業員持ち株制度等)が重要であるとする。

ウィッタカー論文は、日本の電機産業・製造業を代表する大企業日立におけるコーポレート・ガバナンス改革の詳細な調査研究を踏まえた分析である。同論文は、経営・組織改革、人事改革、組織・人事改革の労使関係への影響や、GEの改革との比較検討を通じて、この1950‐1960年代以来の大型改革が、経営・雇用・ガバナンス・システムのモデルの重要な基底を放棄するものではなく、それを新たな環境に適合させるべく変更していく性格のものという評価を下している。

ウィッタカー論文を、同じ日立を30年前に名著『イギリスの工場・日本の工場』で分析したウェルフェア・コーポラティズムの提唱者はどう読んだのか、それがロナルド・ドーア「何が変わり、何が変わっていないのか」である。ドーア・コメントは、今回の改革がこれまで繰り返されてきた改革とどう違うのか、改革の原因は何か、株主資本主義に「改宗」していないというが本当か、宗旨替えしたわけではないとすると現状はどう評価すべきか等、知的刺激に満ちた疑問を提起する。これに対するウィッタカー回答、さらにそれを受けたドーア再回答と続くディスカッションは、日本のコーポレート・ガバナンスの将来を考える示唆に満ちている。

シュワッブ論文は、2002年3月に開催されたJIL比較労働法東京セミナーに提出されたものであるが、企業再編におけるアメリカ労働法の役割をコーポレート・ガバナンスの文脈の中で比較法的視点から分析しており、本特集の関心に応えるものである。株主利益再優先のコーポレート・ガバナンスが当然視されるアメリカでは、労働法制による企業組織再編時の労働者保護も極めて限定されていること、「承継使用者」の法理等、労使関係法上の一定の保護は存在するが、それも組織率低下で限定的効果しか持たないこと、随意的雇用原則の修正や差別禁止立法を考慮しても、アメリカの労働者は基本的に随意的雇用の下にあり、これが経営再編の際に使用者に大きな柔軟性を与えていることなどを指摘する。

江頭巻頭言が指摘するように、コーポレート・ガバナンス論を(1)会社は誰のためのものかという議論と、(2)経営監視制度のあり方に関する議論とに分けると、(2)については、今般の商法改正で二つの制度を当事者に選ばせる「制度間競争」の時代に入った。しかし、ドーア・コメントにならっていえば、(2)は手段(しかも(1)が確定した後)の問題なのに対して、(1)は理念に関するだけに、その議論もそう簡単には決着するとは限らない。(1)について従業員利益への配慮を制度上担保してきたドイツで、見直しをめぐる議論が生じてきている(神作論文)が、これを法制度で担保してこなかった日本の場合、(1)の問題を正面から議論しておく必要性はより高い。本特集を契機にコーポレート・ガバナンスと雇用・労使関係についての議論が深化することを期待したい。

責任編集 荒木尚志・長縄久生・中村圭介(解題執筆 荒木尚志)