1999年 学界展望
労働法理論の現在─1996~98年の業績を通じて(全文印刷用)

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目次

出席者紹介

  1. はじめに , 討議対象論文
  2. Ⅰ 総論
  3. Ⅱ 賃金
  4. Ⅲ 労働時間
  5. Ⅳ 労働条件変更
  6. Ⅴ 集団的労働法
  7. Ⅵ 社会保障法との接合領域
  8. おわりに
  9. 労働法主要文献目録(1996~98年)

出席者紹介

毛塚 勝利(けづか・かつとし)専修大学教授

1945年生まれ。一橋大学大学院博士課程単位取得退学。専修大学法学部教授。主な著書に『西ドイツの労働事情』(日本労働協会)など。労働法専攻。

岩村 正彦(いわむら・まさひこ)東京大学教授

1956年生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。主な著書に『労災補償と損害賠償』(東京大学出版会)など。社会保障法・労働法専攻。

大内 伸哉(おおうち・しんや)神戸大学助教授

1963年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。神戸大学法学部助教授。主な著書に『労働条件変更法理の再構成』(有斐閣)など。労働法専攻。


はじめに

毛塚

それでは、学界展望の座談会を始めたいと思います。

今回は1996年から1998年の3年間の労働法学界の業績を取り上げることになります。これまでの慣例に従い、主に我が国の労働法理論、とくに解釈理論を中心とした論文を検討の対象としています。これは本企画が労働法学の理論状況を隣接学問分野に紹介することも一つの目的としていることによるものかとも思います。

いずれにしましても、外国法研究や歴史研究といった研究業績は議論の対象となっていません。また、この間には、野田進『労働契約の変更と解雇』、菅野和夫『雇用社会の法』、さらには籾井常喜編『戦後労働法学説史』、渡辺章編『日本立法資料全集・労働基準法』といったすぐれた研究や労作があるわけですが、そのようなものは議論の対象にはなっていません。

選考過程もこれまでの慣例に従いまして、10本ほどの論文を選ぶ過程では編集部の文献リストアップに基づきまして、注目される論文を約30編ほど選び、これを参加者が、さらに10本ほどに絞りました。正直、選択には迷いましたが、参加者の1人でも2人でもおもしろいと思うチャレンジングな論文を中心に選びました。取り上げた以外に、すぐれた業績が多々あると思いますが、その点は、選者の目が悪いということでご容赦願いたいと思います。

討議対象論文

総論

  • 西谷敏「労働者保護法における自己決定とその限界」『現代社会と自己決定権─日独シンポジューム』(信出社)

賃金

1.能力・成果主義賃金

  • 毛塚勝利「賃金処遇制度の変化と労働法学の課題─能力・成果主義賃金制度をめぐる法的問題を中心に」『日本労働法学会誌』89号

2.賃金控除の理論

  • 坂本宏志「賃金控除の理論的基礎」『日本労働法学会誌』90号

労働時間

1.年次有給休暇

  • 山田桂三「年次有給休暇法理の再構成」『佐賀大学経済論集』29巻1=2号

2.女子保護規定の廃止に伴う問題

  • 奥山明良「女子保護規定の廃止に伴う法律問題─時間外・休日労働、深夜業を中心に─」『日本労働法学会誌』92号

労働条件変更

1.集団的労働条件の変更

  • 大内伸哉「労働条件形成・変更の段階的正当性─労働条件変更法理の再構成(1)~(4完)」『法学協会雑誌』(東京大学)113巻1~4号

2.変更解約告知

  • 毛塚勝利「労働条件変更法理としての『変更解約告知』をどう構成するか─スカンジナビア航空事件を契機に─」『労働判例』680号
  • 土田道夫「変更解約告知と労働者の自己決定─スカンジナビア航空事件を契機として(上)(下)」『法律時報』68巻2号・3号

集団的労働法

  • 石井保雄「職場占拠法理の研究(1)~(10完)」『亜細亜法学』18巻1号、同2号、19巻1=2号、20巻1=2号、21巻1号、22巻1号、26巻2号、28巻1号、29巻2号、38巻1号

法政策的課題

1.社会保険法における被用者概念

  • 竹中康之「社会保険における被用者概念─健康保険法および厚生年金保険法を中心に」『修道法学』(広島修道大学)19巻2号

2.引退過程

  • 岩村正彦「変貌する引退過程」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)

Ⅰ 総論

毛塚

それでは早速、総論の部分にかかわる論文として西谷論文「労働者保護法における自己決定とその限界」を取り上げまして、最近の自己決定に関する議論の動向について検討を加えたいと思います。それでは大内さん、よろしくお願いします。

論文紹介

大内

労働保護法と自己決定

この論文は、まず、伝統的な労働法理論は、労働者の自己決定を軽視してきたのだが、労働者の多様化や、現実の企業社会や企業別組合の内部における労働者の意思の軽視などの状況において、このような伝統的な態度は大幅に修正されるべきであると述べます。

とはいえ、このように自己決定の理念を強調するからといって、労働契約に対して強行的に作用する労働者保護法の規制緩和が直ちに必要になるというわけではないとします。

労働者保護法が自己決定を否定するのには、それなりの理由があるわけで、国家法の後退がどこまで認められるかは、この理由に照らして判断していく必要があると述べます。ここで挙げられている理由は三つあります。第1に、労働契約においては労使間で力関係の差があるため、労使の合意が労働者の真意に基づかないことが多いこと、第2に、労働者を労働者自身の軽率な判断から保護する必要があること、第3に、他の労働者への悪影響の防止や労働条件の統一的規制の必要性から、平均的労働者から外れる例外的な労働者の自己決定を無視することもやむをえない場合があることです。

そして、現行労働基準法において、労働者の自己決定を取り入れている規定の評価は、今述べたような三つの理由の観点から行う必要があると述べます。たとえば、第1の理由であるところの、労働者の真意の尊重という観点からは、フレックスタイム制のような労働者の自己決定を前提とする制度は、その本来の趣旨に即して運用されているかどうかを厳格に監督する必要があるとします。また、裁量労働制においては、労働者の長時間労働が「強制された自己決定」になる危険性があるので、この制度の適用は限定された特殊な職種に限られるべきであると述べます。また第2の理由であるところの労働者の軽率な判断からの保護という観点からは、労働者生活に重大な影響を及ぼすおそれのない労働条件については、原則から逸脱する労働者の自己決定を容認すべきではあるが、同時に労働者が同意をいつでも撤回する自由も認めるべきであるという注目すべき主張をしています。

さらに労働者保護法は必ずしも自己決定の理念と対立的なのではなく、労働者の自己決定の保障・促進にも寄与すべきであると述べます。そしてこのような観点から、解雇制限の強化、個別的な同意のない出向・配転・時間外労働の禁止、そして権利行使を理由とする不利益取扱の禁止といった規制が必要となると述べます。

最後に、労働法上の問題は国家と個々人の二元的関係においてとらえるのではなく、国家と、社会的権力である使用者と、個人という三元的構造においてとらえるべきであり、そのようにとらえるならば、自己決定のための国家的規制というものは、決して背理ではなく、労働者の自己決定のための使用者の自己決定の制限は、むしろ人間の尊厳理念の実現にとって不可欠の要請と言わなければならないと述べます。以上がこの論文の骨子です。

規制緩和論への警鐘

次に、この論文をどう見るかということですが、まずこの論文は労働者の自己決定と、労働保護法というものとを対立的な図式のみで見るべきではないという観点から、労働保護法のあり方を検討したものであって、最近はやりの規制緩和論に警鐘を鳴らした貴重な論文と評価できると思います。

ただこの論文におけるキーコンセプトとなっている労働者の「自己決定」のとらえ方には疑問がないわけではありません。筆者の主張では、労働保護法は、労働者の2次的自己決定は否定するものの、1次的自己決定は尊重しようとするものなので、実は自己決定を否定するというようにはとらえられていないわけです。しかし、このように自己決定を1次的自己決定と2次的自己決定というふうに区別するのは、自己決定概念の混乱を招くのではないかと思われます。細かく言いますと、疑問はおそらく二つの点で生じうると思います。

一つは1次的自己決定こそ真の自己決定とする以上、2次的自己決定を、あえて自己決定の範疇に含める必要がどこにあるのか、あるいはそのような概念の整理が適切なのかという観点からの疑問、そしてもうーつは、2次的自己決定は真の自己決定そのものではないのかという疑問です。

この点については遠藤隆久さんの論文「入間尊厳理念の再検討」(『熊本学園商学論集』2巻4号)も注目されます。遠藤論文では、経済的な自立性のない労働者に対して、市民法的な自己決定や私的自治というものをそもそも保障することはできないのであって、労働者の自由というのは、むしろもっと規範的な自由である。それは自己決定や私的自治に対して、外在的な制約が加えられることによって初めて実現される自由なのだと述べられています。つまり、労働者の不完全な2次的自己決定を制約する根拠となるのは、1次的自己決定ではなく、自己決定の外からの制約でなければならないというのです。遠藤さんは、さらに、労働者の規範的自由というものは、労働組合を通して保障されると考えているようです。私自身は、2次的自己決定も自己決定にほかならないのであって仮に西谷論文でいうような1次的自己決定と乖離していても、私的自治という観点からは法的には尊重されるべきであると考えています。この点は遠藤さんの主張によると、個々の労働者の私的自治は認めるべきではないということなのですが、私は労働者をそのような自立性の欠如している存在と見るべきではないと考えています。

仮に2次的自己決定を自己決定の範疇に含めれば、国家の法的規制と、自己決定との背理が生じるのは、国家法が労働者の自己決定の尊重のために労働者の自己決定を否定するという点にあるということになるわけです。まさにそれゆえ、労働者の自己決定を尊重するためには、できるだけ国家法が後退したほうがよいという考え方のほうが出てくるのではないでしょうか。

もう1点だけ触れておくと、これは日本の労働法の最近の傾向に対する疑問でもあるわけですが、労働者の自己決定を助けるのは、遠藤さんの主張にもあるように、まず第1には労働組合ではないのか。西谷さんは、現状の企業別組合を見ると、労働組合を通した自己決定は期待できず、むしろ労働組合は自己決定を制限する存在であるとみているようです。労働保護法のあり方を考える場合、このような労働組合の現状をどこまで前提とすべきなのかについては検討の余地があると思います。

討論

毛塚

ありがとうございました。西谷さんは、かねてから自己決定権論を中心にして労働法の再構成を追究されています。労働保護法という、自己決定とある意味で対極に位置する領域をどうとらえるかは興味深い点になるわけですが、岩村さんはどういうふうにお読みになられましたか。

自己決定論と国家の位置

岩村

この論文を興味深く拝読しました。とくに自己決定と労働保護法との関係をどう考えるべきかについて、深く考察されています。ただ、若干気になった点があります。

たとえば、西谷教授は、労働者の自己決定を重要とする根拠として、2点を挙げています。一つは、労働者が多様化してきたこと、もう一つは、現実の企業社会において、労働者の意思があまりにも軽視されていることです。だからこそ、自己決定が重要であると主張されます。ところが、平均的な労働者を守るためには、やはり国家は強力に介入すべきであり、平均とは違う働き方を求める労働者の利益の追求は、制限されてもやむをえない、という結論を提示されます。つまり、その人たちの自己決定は犠牲になっても構わないというのです。この結論が、労働者の自己決定を重要とする根拠として最初に挙げられていることと一貫するのかが気になりました。

毛塚

私は自己決定という形で労働法を再構成しようとすることに関しては、疑問を持っている者ですが、それは幾つか理由があります。先ほど大内さんがおっしゃられたことですが、労働法は労働組合という歴史的、社会的に形成された存在を無視しえないわけです。労働法を再構成する場合にあっても、社会的に形成される自生的、自律的なシステムというものをいかに尊重するかが重要です。そう考えると、自己決定論は、ややもすれば社会における自生的運動や、国家と個人との間にある中間的な社会的存在を無視ないし軽視してしまうという問題があると思うからです。

また、自己決定論者はいわゆる真の自己決定と2次的自己決定とを分けることで労働法の生成論理や解釈技術にしようとしていると思うのですが、言葉の遊びにも見えかねないわけです。先ほど言及された、遠藤さんも指摘することですが、自己決定・自己責任というのであれば、我々の法学の常識でよくわかるんですが、1次的自己決定が2次的な自己決定に反映されていないから、この場合の法的行為はほんとうの自己決定ではない、だからその責任は引き受けないでよいと言うのは、悪く言えばご都合主義、あるいは、解釈者=裁判官依存の法学だろうと思うんです。

さらに、理念としても自己決定というのは、自由や平等よりもずっと狭い、自由と平等であれば、まだ社会的存在としての労働者が視野に入りますし、自由と平等の二律背反の中で、労働者が自由を獲得するシステムの自己展開を期待できる。自己決定と言ってしまうと、社会や他者とのコミュニケーション関係が入ってこないというのが僕の印象です。自己決定論に批判的な立場から見ると、西谷論文は自己決定を労働法学の中心に据えて労働保護法をリライトするときの悩みにしか見えない、そんな感想を持ちました。

「2次的自己決定」を軽視していいか

大内

今の毛塚さんの考えだと、2次的自己決定も、自己決定として尊重に値するということでしょうか。

毛塚

表現された意思が「2次的自己決定」だとしますと、もともと法律学は表示された意思を中心にして解釈するわけですね。もちろん、ときには、意思表示の瑕疵の問題として、真意によって修正することがあります。しかし、労働法学において、民法学の場合におけるような「2次的な自己決定」が間違いであったときの修正の道具を、特に用意できないとすれば、そこでは単に解釈者がこれはほんとうの意思ではないんだということを推定するだけの話で、個人的には納得はできない議論だということです。

大内

私も、2次的な「自己決定」と呼んでおいて、ほんとうは1次的な「自己決定」があるはずだということから、裁判官が介入してくるということには疑問を感じます。そもそも2次的自己決定というのはまさに自己決定そのものなのではないかと思えるのです。

毛塚

同時に、労働契約法の研究という視点からいうと、労働契約の問題の中には、逆に、たとえ真意で契約内容を決めても、継続的な契約関係の中においては、それを修正せざるをえない問題もあるわけです。契約内容の拘束性と変更の不可避性をどう調整するかの問題です。そういう問題のときにも、契約締結過程における真意かどうかという視点では、問題の構造的な性格を見失うし、具体的な理論的構成の努力を軽視しかねない論理だというふうに思えるのです。

大内

遠藤さんは、先ほど触れたように、2次的自己決定は自己決定であるとはいえ、それには制約を課す必要があると主張します。つまり労働者は、私的自治とか自己決定が保障できるような存在ではない。なぜかと言うと、経済的自立性がない者に市民法的な自由は保障できないから、というわけです。だから労働組合を通した自由だと。この見方はどうでしょうか。

岩村

それは、一つの見方ではあるかもしれません。が、そうすると労働者は、個人では行動能力のない人間であり、したがって国はパターナリスティックに介入すべきであるとなってしまいます。ほんとうにそうでしょうか。

やはり労働者自身の行う選択は存在し、それも自己決定なのでしょう。ただ、場合によっては、やむをえず受け入れた選択かもしれない。そうしたやむをえず受け入れたものについて、国家が強行的に介入することはありうると思います。交渉力がないとか、情報が対称的でないということで労働者が受け入れてしまった、あるいは、受け入れざるをえなかった条項に対して、国家が、私法上の強行法規をもって介入したり、罰則付の行政監督をもって介入するというのが、労働法の論理だろうと思います。逆に言うと、そういう状況がないところでは、労働者自身が決めればいいと考えている。ところが、西谷論文や遠藤論文は、およそ全面的に労働者の意思を排除して、国家がパターナリスティックに全部介入するという趣旨に読めてしまいます。おそらく、そこまでは、遠藤さんも、西谷さんも考えてはいないのでしょうが。

毛塚

どちらも極端は言わないでしょうが、ただ論理の問題として疑問に思うのは、自己決定が仮に真意でないとすれば、真意でありえない背景とか構造という問題を具体的な法理構成の中に落とすことに腐心すべきところを、仮に真意であればという形で立論してしまうことです。それに、好みの問題ですが、「真の」という修飾語はもともと好きになれない。

岩村

西谷さんが考える1次的自己決定は、ある意味ではフィクションです。およそ人間であれば、誰もが持っていると想定されるものです。しかし、実際の人間の行動としては、自己決定は、常に2次的自己決定しかないという気がします。要するに、1次的自己決定は抽象度の高いものです。そうすると、それは内容があまりない。そこに何でも突っ込める危険性がある。

大内

そこでは裁判官の価値観が無制約に入りかねない。

毛塚

ともあれ、自己決定論が若い人たちを中心に支持を集めているとすれば、本論文の検討を通して、労働法学の方法を考えてみていただきたいと思います。


Ⅱ 賃金

1.能力・成果主義賃金

毛塚

それでは、続きまして、賃金に関する論文を議論したいと思います。賃金について、雇用システムの見直しの過程で新たな関心を呼んでいるところですが、ここでは、かかる最近の課題にかかわる問題とより基礎的な問題の二つの論文を取り上げました。最初に、毛塚勝利「賃金処遇制度の変化と労働法学の課題─能力・成果主義賃金制度をめぐる法的問題を中心に」について岩村さんのほうからコメントして下さい。

論文紹介

岩村

毛塚論文の主題は、退職金や福利厚生を含まない賃金、および、それと密接に関連する昇給・昇格と人事考課とを「狭義の賃金処遇制度」と位置づけた上で、この「狭義の賃金処遇制度」の新しい特色を、年俸制や裁量労働等に見られる成果主義賃金制度と把握し、その問題点の整理と賃金法理の再構成に向けた法的考察の視点を提供しようというところにあります。

本論文は、成果主義賃金制度がもたらす法的検討課題として、三つを指摘します。第1は、労働時間と賃金との対応関係の乖離・切断をめぐる問題の検討。第2が、能力・成果の評価をめぐる問題への正面からの取り組み。第3が、賃金決定に際しての労働者と使用者の個別交渉が労働法理全体に対して投げかける問題。論文では、このうち2番目と3番目を検討していますが、力点を2番目に置き、新しい賃金法理の形成という視点で論じています。

この点につき本論文は、賃金が労働者の職業的能力の価値の表現であるという視点を取り入れなければいけないと主張します。これを組み込んだ場合、次のような考え方が出てくるとします。

第1は、使用者は労働契約関係において、労働者の法的保護に値する利益である職業的能力を尊重配慮すべき付随義務を負うと述べます。そこから次のような帰結が導かれています。

まず、職業的能力を形成する労働者の努力に対して、一定の配慮をなすべき義務があると述べ、具体的には残業拒否に対する懲戒が制約されると主張します。

次に、職業的能力を生かすことができない仕事への配転は、配転命令権の濫用による配転無効や、債務不履行による損害賠償を基礎づけると述べます。また、複線型人事やコース別人事制度で、労働者のコース転換を認めない制度は、義務違反になると主張します。

第2に、職業的能力を尊重配慮すべき義務から、職業能力の適正な評価義務が導かれるとします。この適正評価義務は、客観的基準に基づき、適正な評価を行い、評価結果とその理由を労働者に開示、説明する義務とされます。この義務を観念する具体的な実益は、昇格・昇給に関する法的救済が容易になるという点です。労働者が差別や格差の存在を主張すれば、使用者側は、客観的評価基準に従い、適正に評価したものであって、差別や不合理な格差ではないことの立証責任を負うと解しています。そして、救済は損害賠償に限定されず、昇格・昇給請求も可能であると構成しています。

職業的能力尊重配慮義務と適正評価義務

以上が、この論文の概略です。この論文は、いわゆる成果主義賃金制度の導入や普及に伴う労働法上の問題点、とくに個別交渉、団体交渉などをめぐる問題点、さらに賃金法理への影響に検討を加えた、先駆的な業績という意義があります。この論文が、その後の学説の議論、たとえば、土田道夫さんの「能力主義賃金と労働契約」(『季刊労働法』185号)に検討の基盤を提供しています。

次に解釈論として注目されるのは、成果主義賃金制度を導入した場合に、使用者が労働契約上、労働者の職業的能力を尊重する義務を負うとしている点です。ここから適正評価義務を導いてその内容を具体化します。さらにこの適正評価義務のコロラリーとして、昇給・昇格に格差がある場合の法的救済の可能性を論じています。

しかし、この職業的能力尊重義務の法的な意味は、必ずしも明確ではないように思います。まず、通常の契約法上の債務と、それに対応する債権とを、この職業的能力尊重義務について観念できるでしょうか。本来の意味の債権ですと、履行請求権、債務不履行の場合の契約の解除、そして損害賠償などの効果が出てきますが、職業的能力尊重義務からそうした効果が導けるのでしょうか。

この職業的能力尊重義務は、結果債務ではなくて、手段債務でしょう。もしそうだとすると、損害賠償請求の場合には、労働者の側で、債務の内容と、その違反の事実を主張・証明しなければいけないことになると思います。

考えられるのは、この職業的能力尊重義務は、一般契約法でいう債権・債務というよりは、懲戒権の濫用や、配転命令権の濫用の成否にあたって考慮される一要素にとどまるということです。そうすると、従来、たとえば人事権等について考えてきた権利濫用判断と、どの程度違うのかが、必ずしも明確ではないように思います。

もう一つ適正評価義務という点ですが、これは説得的なところが多いように思います。とくに、成果主義賃金制度のもとでは、従来の査定制度よりも、使用者側自身も、評価基準の明確化、評価プロセスの透明度の向上、そして労使双方の納得度の向上を図ることが求められるでしょう。したがって、法的なアプローチとしても、成果主義賃金の額の決定に至る、プロセスの適正さに着目するのが適切だと思います。ただ、手続的な面に着目すると、実体面、つまり評価そのものの妥当性に裁判所がどこまで介入できるのかという問題はあります。

最後に、昇給・昇格の格差に関する法的救済について解釈論を述べている部分は、やや疑問なしとしません。成果主義賃金のもとでは、格差が生じることは当然の前提ですので、労働者のほうが格差の存在を主張するだけでは、請求原因としては不十分でしょう。また、昇給・昇格請求が認められるほど適正評価義務が、契約上特定されているかも疑問が残ります。

この成果の評価という観点では、土田論文も、毛塚論文と似たアプローチをとっています。評価のプロセスを中心に見るというものです。ただ、昇格・昇給請求は困難ではないかと述べています。

それから、盛誠吾さんも「年俸制・裁量労働制の法的問題」(『日本労働法学会誌』89号)という論文をお書きになっています。盛さんも─多分契約上の義務として観念されているのでしょうが─同じように成果の評価基準や評価結果を開示・説明すべき義務が認められるべきである、と主張されます。公正評価義務をどの程度の契約上の義務として構成するかをめぐっては、細かい点で違いがありますが、公正評価義務それ自体については、学説上はコンセンサスができつつあるという印象を受けました。

討論

毛塚

ありがとうございます。通常この座談会では、論者の反論権がないわけですので、参加者が意見を表明するのはアンフェアですが、そこは特権ということで弁明させていただきます。まず、適正評価義務は、必ずしも成果主義賃金制度だけを念頭において議論をしているわけではないことです。

次に、職業的能力尊重配慮義務の性格についてのご批判ですが、確かに一般の債権のように、具体的に使用者の積極的な行為を求める権利として構成されるわけではありません。ただ例にも挙げましたように、異職種の配転の場合に、契約違反の問題にならない場合であっても職業的能力を無視したような配置がときには配転命令権の濫用の問題になることの根拠や、職業的能力尊重配慮義務違反として損害賠償請求できるという法的構成は可能だろうと思っているんです。要するに今まで、職業的能力に関する配慮が契約論の中において重視されていなかったということがあるためにとりあえずそういう形で強調したということはあります。

適正評価義務のほうは、ご指摘のように、従来、企業が行ってきた人事考課なり、査定行為を、使用者の一方的な裁量権の問題の領域から、契約内容ないし労働条件の問題の領域に持ち込んでいくことをねらったものです。それと、私が公正評価義務ではなく適正評価義務を用いたのは、平等原則や交渉の非対称性の視点からの公正さよりも、職業的能力に着目して適正な評価を求めることを意図したからです。

問題は、昇給・昇格請求権ですけれども、年俸制のような業績賃金の場合であれば、確かに昇給・昇格は一般に問題はなりません。ただ、日本の場合、業績賃金といっても大体は業績賞与制ですから、基本賃金に関して言えば、やはり昇給や昇格は問題になります。その際、適正評価義務を前提とした場合、昇給・昇格の要件として、具体的な基準や評価方法が決まっていなければならないし、評価結果はその理由を含めて開示すべきであると言えると思うのです。そういう状況は、現実にはまれだということはあるかもしれません。しかし、そのような状況があるとすれば、使用者側の辞令行為はそれ自体形式的な意味しか持ちませんので、労働者が具体的な要件を充足すると考えて、昇給や昇格を請求した場合に、使用者は、その理由を明示してなお要件を満たすものでないということを立証しない以上、昇給・昇格請求権が発生すると言えるのではないか。これはご存じのように、ドイツで言えば、昇給・昇格請求は明確に権利紛争の対象になってきますから、日本でもそれが法的に構成できない理由はないと個人的には思っているんですが……。

適正評価義務と昇給・昇格請求権
大内

適正評価義務と言われますが、裁量は全くないのでしょうか。

毛塚

制度の設計いかんによっては、評価に裁量が入ることはあると思います。ただ、その場合でも、どういう評点をつけたかについては、使用者がその根拠を示すべきことになります。適正評価義務の内容には、評価の結果の開示義務も含まれますから。その結果、評点のつけ方が基準にてらしておかしいということであれば、裁量の範囲を超える、あるいは具体的適用が誤っているということになりますので、労働者が一定の評価基準への該当を主張し、それを排斥する根拠を示せない場合には、労働者の主張が認められる余地はあると思います。

大内

そうすると、たとえば、使用者がある労働者の職業能力を20点と評価した場合、裁判所がそれを適正ではないと判断し、適正な評価は25点だと判断したときに、25点に合うような昇格・昇給の請求権の発生が認められるのですか。

毛塚

裁判所が25点に修正するのは困難でしょうが、20点の評価が適正でなく、25点だという労働者の主張を排斥する積極的論拠がなければ、請求権は発生する余地があると思います。

大内

20点が適正ではないという判断は、確かにできるかもしれないですね。その場合に、本来なら25点が適正な評価であって、それに合うような処遇をすべきであるということを請求権として構成することは難しいのではないのかという気がします。

岩村

昇格・昇給請求権を成立させるためには、請求原因事実として次のようなことを挙げなければならないと思います。評点何点は何ランクに格付けすることが就業規則上決まっていて、Aというランクは評点25点必要とされている。自分の評点は20点とされたが、25点のはずである。ゆえに、就業規則によれば、25点はAに格付けられるから、私の格付けはAである。このように構成して、これに該当する事実を主張・立証する必要があるでしょう。このような状況であれば、昇給・昇格請求が成り立ちうる可能性はある。しかし、そこまで請求原因として特定できる状況が、実際にあるかというと、難しいでしょう。

毛塚

そのような状況をつくるのが適正評価義務ということです。

職業的能力尊重義務とOJT
岩村

他方、職業的能力尊重義務は、おもしろい発想だと思います。ただ、日本のように、大企業を中心として見られる、職務を特定せず、OJTで労働者を育てていくという雇用慣行のもとでは、どこまでこの考え方が使えるかという気がします。

具体的には、こうした慣行の中で、私を育てろという権利、そしてそれに対応する使用者の義務が、毛塚さんの議論では認められることになるのでしょうか。職業的能力尊重義務が当てはまるとすれば、職務を特定して採用する場合でしょう。この場合は、当該職務を遂行するのに必要な職業的能力を維持する必要があり、使用者もそれに協力する信義則上の要請が働くと考えることも可能かもしれません。その鍵として、職業的能力の尊重ということが、職務を特定して採用している場合には考えうるような気がします。これに対して、日本の一般的な採用形態の場合にまで職業的能力尊重義務を観念できるのでしょうか。

毛塚

正社員のように、具体的な職務内容を限定していないで採用された場合であったとしても、ほかの労働者が配置換えや人事異動によって自分のチャンスを広げているのに、自分だけが理由もなく排除されているということがあれば、自分の職業的能力への配慮が足りないというクレームはありうると思います。

2.賃金控除の理論

毛塚

それでは、賃金に関してもう一つの論文、坂本宏志「賃金控除の理論的基礎」の検討に移りたいと思います。大内さんお願いします。

論文紹介

大内

この論文は、労働がない場合における賃金債権の存否について、労働がなければ賃金債権も発生しないという通説の考え方を批判しようとするものです。どのように批判しているかと言いますと、まず労働がない場合の賃金債権の存否というのは、この論文の言葉を使うと「決め方の問題」であり、「決め方」が契約上明確でない場合は、契約締結時に賃金債権が発生するものと解すべきである。そして、労働がなかった場合には、民法536条に基づき、使用者の帰責事由の有無に応じて、賃金債権が消滅するかどうかが決定されるべきであると、述べるわけです。その論拠は、労働契約というものは双務契約であり、双務契約一般の理解としては、契約当事者の両債務は、契約締結時から発生するとされていることから、労働契約においても同様に解すべきであるということです。また、このような理論構成をとる実益としては、労働者が賃金支払請求訴訟をする場合において、労働者側は労働をしたということを証明する必要はなく、使用者側が労働の不存在を証明しなければならないという点にあるとされています。さらに、この論文では、民法536条の解釈としても、使用者の帰責事由については、その不存在を使用者が証明しなければならないという立場をとっています。

以上のように、この論文は、これまでにも有力な批判があったものの、なお通説的な見解とされるノーワーク・ノーペイという考え方を批判的に再検討することを試みたものです。何らかの理由で労務の提供ができなかったときに、どのような場合に賃金債権が発生するのか、あるいは消滅するのかという点は、労働契約論にとってきわめて重要な問題であるにもかかわらず、理論的な解明がまだ十分ではないと思われます。その意味で、本論文がどこまで成功しているかはともかく、このような観点からの理論的検討は重要であると思います。

また、本論文では、労働がない場合の賃金債権の消滅は、危険負担の法理のもとで、使用者の帰責事由がない場合に限定され、しかも使用者側が帰責事由の不存在を証明しなければならず、その証明は不可抗力の証明と大差ないと述べている点は、注目すべき主張であると思います。

しかし、この証明責任については、次のような気になる点があります。すなわち、労働者に帰責事由がある場合の処理です。この論文では、注のところで、労働者の責に帰すべき事由に基づく債務不履行の場合には、危険負担の法理ではなく、一部解除という方法で対処するということが書かれています。債務不履行の場合、帰責事由の証明責任は労働者側にあるはずですから、坂本説のように労働の不存在の証明責任は使用者にあるとしても、使用者が履行不能による一部解除の主張をしてくると、一番問題となりうる帰責事由については労働者がその不存在の証明をしなければならないということになります。そうすると、証明責任における、労働者にとっての有利さというものがどこまで言えるのかという点が気になります。

それから、次の点も指摘しておきたいと思います。従来の学説も、双務契約の性質から、ノーワーク・ノーペイという原則を、解釈準則として認めてきたと言えるわけです。そうすると労働と牽連関係のある賃金については、特別な合意がない限り、筆者の言うところの「決め方」のレベルにおいて、ノーワーク・ノーペイが、契約解釈として導き出されるのではないでしょうか。さらに、この論文では、労働時間と牽連関係のない賃金については、この基礎理論は適用されないとされています。結局、筆者の言う基礎理論が妥当するのは、法定労働時間の短縮というような、予期しない外部的要因に基づいて、つまり契約の「決め方」のレベルであらかじめ対処できないような、予期しない外部的要因に基づいて、強制的に労働義務の範囲だけが縮小したというような例外的場合に限られるのではないでしょうか。したがって基礎理論の有効性というのが、どれほどあるのかという疑問があるわけです。

討論

毛塚

ありがとうございます。岩村さんのほうから何かコメントはありますか。

岩村

こういう基礎理論をきちっと考えるのは、いいことだと思います。ただ、この論文は、おそらく、大きな研究の一部を報告したもので、そのためか、肝心の基礎理論の部分が、必ずしも外国法なども含めた形での展開がされていません。

その関係か、基礎理論自身の持っている価値と、具体的な解釈論上の問題に対する解答とが、大内さんも指摘されたように、必ずしも十分に接合するところまで練り上げられていないのが残念です。労基法89条1項2号によって、賃金の計算やその方法は就業規則で決めることになっているので、それらの事項を決めていない場合は、実はほとんどないのではないでしょうか。したがって、実定法上のこうした規定と基礎理論との関係がどうなるのかについて、もう少し検討を深めてもらえればよかったと思います。

毛塚

私は、従来からも労働契約の締結によって賃金請求権が発生するという考え方は少なからずあったと思いますし、労働がない場合の具体的な賃金債権の帰趨に関するノーワーク・ノーペイというのは、民法536条の問題を含めた契約解釈の問題として理解されてきたと思うのですが、そういう従来の議論との対話が少なく、たんに、我が国では労働がなければ賃金請求権が発生しないというノーワーク・ノーペイ論が通説であったとして議論を展開されているので、正直、評価に困るのですが。

使用者に帰責事由がないときにしか使用者は賃金の支払を拒否できないとしますが、たとえば、病気や生理による欠勤とは、使用者の責めに帰すべき事由でもなければ、労働者の責めに帰すべき事由に基づく履行不能でもない。危険負担の問題です。日本の場合は債務者主義ですから労働者が負担することになっていますが、国によっては、使用者負担のところもある。さらにもう一歩言えば、民法の危険負担も任意規定ですから、約定によって排除できる。とすれば、契約解釈でより柔軟に判断してもいいわけですし、使用者に帰責事由がなくても不可抗力でも賃金請求権は発生する余地があるわけです。

大内

たしかに、この論文が「通説」と位置づけている見解が本当に「通説」と呼べるかどうかには疑問もありうると思います。ただ、判例上は、賃金請求権は現実に労働が行われて初めて発生すると述べているものがあります(宝運輸事件・最三小判昭和63年3月15日)し、学説の中にも、たとえば筑波大学の山川さんのように、危険負担は賃金請求権の消滅事由の問題ではなく、賃金請求権の発生事由の問題であると明確に述べている方もいます(『雇用関係法』109頁)ので、この論文はこれらの立場と明確に異なる立場を示したという点では意味のあるものと思います。

さらに、かつては争議行為、組合活動、ロックアウトなどの集団法的な場面で、労務不提供と賃金の関係が問題とされることが多かったと言えますが、最近では片山組事件(最一小判平成10年4月9日)のように、違った形でこの問題がクローズアップされてきています。そこでは、賃金請求権がどのような場合に発生ないし消滅するのかということが問題となっているはずですが、この点が判決の中で必ずしも理論的に明確になっていないと思います。この論文の意図とはおそらく異なるでしょうが、このような理論的課題の解明のためにも、基礎理論的アプローチを行おうという方向性は評価できると思います。

とはいえ、基礎理論が妥当する局面がどのくらいあるのかは、先ほど述べたように気になるところです。この論文では「決め方」のレベルの処理が優先するので、ほとんど「決め方」で済んでしまうと思うのです。しかも基礎理論が妥当するのは、労働と牽連関係のある賃金なのです。労働と牽連関係のある賃金は、ふつうは「決め方」のレベルでノーワーク・ノーペイの原則が妥当すると考えるのが当事者の意思に合致するのではないでしょうか。だから結局、基礎理論が妥当する範囲というのは、外部的要因という言葉を使ったのですが、当事者が予期していないような、まさに法定労働時間の短縮のような例外的な場合に限られるのではないかという疑問があるわけです。


Ⅲ 労働時間

1.年次有給休暇

論文紹介

毛塚

それでは、次に労働時間関係の二つの論文を取り上げます。一つは山田桂三「年次有給休暇法理の再構成」、もう一つは奥山明良「女子保護規定の廃止に伴う法律問題─時間外・休日労働、深夜業を中心に─」です。私のほうから、まず、山田さんの論文について紹介します。

山田論文は、個別年休と計画年休を統一的に法的に構成することをねらって、やや大胆とも言える法理構成を提起しています。

まず、時季指定権ですが、一方的意思表示により労働者が時季を指定すれば、それだけで直ちにその効果を発生させる確定的時季指定権と、その効果発生を労使の調整にゆだねる調整的時季指定と、二つの部分からなる複合的な構造を持つ特別な権利だとしています。

他方、時季変更権は、使用者は時季指定権者たる労働者に対して、時季指定の変更を勧奨、勧告をすることができるところに本質的な内容を持つということで、これを時季変更勧告権と解しています。したがいまして、この時季変更権は労働者を法的に拘束するものではなく、それを受け入れるかどうかは労働者の良識にゆだねられているとします。これに対して調整的な時季指定権の行使については、調整可能な時間的余裕を持って時季指定することが労働者に求められ、これに反する場合には、信義則に反する、あるいは権利濫用になると言います。

次に、計画年休ですか、これには、自由年休によるものと協定によるものの二つがあり、自由年休による計画年休は、調整的時季指定権行使による年休で、そこでは労使の個別的合意により休暇の時期、期間等が調整され特定されるか、協定による年休につきましては、使用者と当該事業所の過半数労働組合または過半数代表者との協定による年休ということになります。行政解釈は計画年休には、事業所の一斉付与方式、班別付与、個人別付与の3方式があるとしていますが、そのうち個人別付与方式というのは、もともと自由年休による年休時季指定で、それを協定化したものにほかならないと言います。したがって、従来からの39条4項の年休と新5項の計画年休とは、この点で接合し、ともにその基底には労働者の時季指定権があるというふうに主張しています。そして、計画年休協定は、調整的時季指定権による年休特定方式であり、協定は年休時季の提案にすぎず、労働者の承諾によって時季が特定するとします。

確定的時季指定権と調整的時季指定権

このような極めて大胆な議論ですが、特徴あるいは意義としては、長期休暇の時季指定権の行使を形成権構成で対応することに対して疑問を提起し、年休の始期と終期を特定しない「時季不着定型長期年休」の時季指定の権利構成を視野に入れていること、また、時季変更権を調整のための権利ということを積極的に前面に押し出した法理構成を志向していること、また、計画年休については、自由年休と計画年休によるものがあるとして、計画年休の年休権と個別年休の年休権を統一的に構成しようという試みをされているところにあるのではないかと思います。

ただ、法的な構成として、それが成功しているかというと疑問があります。まず、調整的時季指定権というわけですが、その性格が必ずしも明確でありません。そのため労働者の調整的時季指定権の行使に対して労使間で合意ができなかったとき、あるいは使用者が何らの対応もしなかったときにどのような法的な効果が発生するのかは不明です。

第2に、時季変更権を単なる勧告権と解しますと、無視してもよいということにもなりますので、「他の時季に与えることができる」という明文規定と齟齬をきたすことです。

3番目に、確定的時季指定は、権利濫用にならず、調整的時季指定の場合のみ、信義則違反や権利濫用となるというのはやや理解しがたいところです。取得時季の迫った確定的な時季指定のほうが本来権利濫用的な性格を持つはずだと思うからです。

また、計画年休について時季を定めても、単なる提案にすぎず、労働者に許諾の自由があると解すると、計画年休の本来的な役割が果たせなくなるのではないか、こういう批判も可能ではないかと思います。

以上、簡単ですが紹介と問題点を指摘しましたが、まず、大内さん、いかがですか。

討論

免罰的効力のもとでの許諾の自由
大内

最後のコメントのところですが、よくわからなかったのは、計画年休協定には免罰的効果が発生するという点です。これは一体どういうことなのでしょうか。労使協定で定めた日を年休として使用者が扱い、その他の日に年休を与えなくても、労働基準法違反は発生しないということでしょうか。

岩村

協定で法定年休20日のうち一定日数は計画年休とすると定めていたところ、労働者が、計画年休に含まれない年休分をすべて消化した後に年休がもう一日欲しいと求めたが、使用者が拒否したという場合を考えます。山田説に従った労働者側の言い分は、自分は同意をしてないから自由に使えるはずだというものでしょう。使用者が、この労働者の要求を拒否しても、罰則はかからないというのが免罰的効果でしょう。

大内

そうだとすると、山田説では、労働者に不利になることもあるのではないでしょうか。労働者の同意が必要であるといっても、使用者は、あくまで調整を拒否して、年休を与えないと突っぱねた場合、免罰的効果が及んでおり労基法違反にはならないのです。労使協定で指定された日に、とりあえず年休を与えようとした以上は、そこで労基法上の義務は果たされているわけです。あとは調整の問題になるのですが、それは労基法に関係しない問題なのです。使用者が突っぱねようと思えば突っぱねられる。労基法による強制はないということになるわけですからね。そうすると、これは実は労働者に不利な結果になるのではないのかというのが私の持った疑問です。

それから、似たような問題がほかにもあって、たとえば、確定的時季指定があり、時季変更勧告がなされた場合に一体どういうことが起こるのかです。今の毛塚コメントでも言われたように、勧告を無視した場合の法的効果は不明なのです。山田説によると、この場合でも、時季変更権の要件を客観的に満たしていれば、免罰的効果が発生します。他方で、時季変更勧告には法的な効果はないので、年休日は時季指定された日に特定されてしまいます。ところが、この日に使用者が出勤を命じても罰則はかからないのです。このとき、別の日に年休を取らせる義務が使用者に生じるというのも無理でしょう。そうすると、労働者にとっては、時季変更権の権利性を正面から肯定した処理のほうがまだましなのではないかという気がするのです。

岩村

一般に免罰的効果と言えば、おっしゃるとおりだと思います。労働者が年休を請求してきたのに対して、使用者がその年休は業務の正常な運営を阻害するといって、これを拒否したために、結局、労働者はそれに従って働かざるをえなかったという場合に、使用者に罰則がかかるかと言ったら、客観的に事業の正常な運営を阻害する状態があれば、罰則はかからない。

大内

そうなると、山田説の苦心があまり実を結ばなくなってしまうのではないかという疑問があるのです。

調整的時季指定は時季指定か
岩村

その点はおっしゃるとおりで、ちょっと詰めて考える必要があると思います。

私自身は次の点を疑問に思いました。通常の年休について、確定的な時季指定権による場合と、調整的指定権による場合とを分けて考えるとこの論文では構成しています。しかし、たとえば8月の間に10日ほど年休をとりたいという意思表示をすると、この論文によれば、使用者との間で調整することになります。その上で、年休は8月11日から20日までの10日間にしましょうと合意をすることになります。そうすると、これは、最終的に調整をした上で、労働者が8月11日から20日まで時季指定をしたということではないのか。だから、当初の意思表示は時季指定権の行使ではなく、法的には単に希望を表明したにすぎない。それに応じて、調整の結果、11日から20日まで年休が可能となり、それでは、11日から20日まで年休をとりますというのが、まさに、本来の法的な意味での時季指定権の行使なのではないでしょうか。

これに対し調整的指定権という構成で考えると、8月に年休を10日とりたいというところで時季指定権の行使があったのだから、使用者は8月にとにかく年休を10日とらせないと労基法違反が成立することになるでしょう。

大内

もし調整がつかなかったら、どうなるのですか。

毛塚

それがよくわからない。

岩村

よくわかりません。純粋にこの論文の論理を推し進めていくと、8月に年休を10日とりたいと言った時点で時季指定権の行使はあったのだから、結果的に8月に年休を10日与えなかったら、罰則がかかるのではないですか。

大内

そうかもしれません。いつ与えるかについては、調整がつかないまま時が経過すれば8月の最後の10日間に特定されるということでしょうか。

岩村

昔あった説ですね。

大内

そうしなければ年休日を特定しようがないですよね。

岩村

昔の選択債権説のように、8月の最後の10日間が自動的に特定される。

計画年休の趣旨が生きない構成
毛塚

この論文の積極的な部分を生かそうと思えば、どういうふうになりますか。

岩村

私の感覚からすると、調整的な指定権という考え方を実現したのがまさに計画年休だと思います。だから、その点をもう少しうまく整合性をとって解釈論を組み立てると、この論文が考えようとした一体的な年休理論に到達するのかなという気はします。

毛塚

論文の意図自体は、時季指定権という労働者が持っている権利を阻害しないで、なおかつ調整できる方法を志向していると思うのですが、それを整合的に構成できるかなのでしょうね。

岩村

それが労働者が一方的に時季を指定するタイプの年休ではできない。計画年休導入のもともとの狙いは、計画年休協定を締結するに当たって、労働者の代表を関与させる形で労働者側の意図を反映させることでしょう。この論文は、そうした計画年休の趣旨を必ずしも生かす方向に行かないように思います。この論文では、そもそも計画年休が持っている狙いと生じてくる矛盾点について、十分に解決に至るような理論が組み立てられていないのではないでしょうか。本論文の考え方では、使用者側は、計画年休協定を締結するメリットが、ほとんどないことになります。いつ労働者が、おれは計画で指定された日は嫌だと言ってくるかわからないわけですから。

毛塚

計画年休協定が成立した場合、労働者は使用者と調整した時季にやはりとらなければいけないわけでしょう。しかし、山田さんはとらなくてもいいという立場ですね。

岩村

この論文は、労働者のその都度の合意と同意が必要だと言っています。ですから、労働者の意見を事前に聞いて、計画ができて、あなたの年休は、いろいろ調整した結果、こうなっていますと定めても、最終的に協定が締結された後に、いざ実施となった段階で、労働者はおれは嫌だと言える。個別的に同意しなければいけないわけですから。

大内

私法上の効果という点では、労使協定は単なる提案にすぎません。

岩村

そう。だから、協定ができ上がって、調印して、免罰的効果が発生した後でも、労働者は、私はそれには同意してないと言えることになる。

個別的な調整的時季指定権の可能性
毛塚

計画年休協定までを提案にすぎないとしてしまう点は、やはり解釈論的に無理ということですが、個別年休を前提にした場合はどうでしょうか。最高裁は、事前の調整の有無を時季変更権の行使の妥当性のなかで考慮していますが、山田さんが言うようにあらかじめ調整的な時季指定をすると、事前の調整がうまくいくメリットはありますよね。時季指定権を形成権だと言いきって、形成権と時季変更権の対抗関係の中で結果的に調整するよりは、事前の調整を前提とした権利の行使を認めるということ自体は、可能性を含んでいるとは思うのですが。

大内

先ほど岩村さんからも指摘があったように、1ヵ月という単位で、そのうちの5日間年休をとりたいといったときには、使用者にとっては少なくともその1ヵ月の間に年休を5日間とらせなければならないという圧力がかかるという意味はあるかもしれません。

毛塚

そうでしょうね。

岩村

たとえば8月中に10日とりたいというのはまだわかるんですが、厄介なのは、夏に10日とりたいというのは時季指定なのかどうかですね。

大内

たとえば、7月から9月の間に5日とりたいという時季指定をしたら、5日は使用者に決めてくれというような感じもありますよね。

岩村

そうそう。

大内

山田さんは、これを使用者との調整の末に確定する意思表示と解するのが自然と述べていますが、一種の確定的時季指定権の放棄と解すことも可能ですよね。

毛塚

そういう時季指定でもいいのではないですか。

大内

そのとき、7月から9月はどうしてもうちの会社はきわめて忙しいということで、その時季自体を時季変更勧告することはできるのでしょうか。

毛塚

それもありうるでしょうね。

大内

でも、山田さん流の時季変更権の解釈によるとこの勧告には従う必要はないのです。それも調整にゆだねられることになりますよね。何か変な話になってくる。

岩村

やはり、時季変更権について考察を深める必要があると思います。調整的な部分についてはね。

毛塚

調整的な時季指定をしたときには、使用者の自由度が高まる分、時季変更権に制約がかかりますよね。ところが、時季変更権をはじめから勧告権として構成してしまうと、時季指定権を調整的権利として構成する意味をかえって損なう気がしますね。

岩村

その辺も含めてもう少し検討していただければというところでしょう。でも、議論としてはおもしろかったです。

2.女子保護規定の廃止に伴う法律問題

論文紹介

毛塚

それでは次に、奥山明良「女子保護規定の廃止に伴う法律問題─時間外・休日労働、深夜業を中心に─」に入りたいと思います。

この論文は、今回の均等法の改正とリンクして、労働基準法上の時間外・休日労働及び深夜業の規制が撤廃されたことに伴い、実務上発生しうる労働協約や就業規則の規定の改定をめぐる法的問題を包括的に検討したものです。

その際、時間外・休日労働に関して、大きく三つに類型化しており、第1に、男女共通の基準を設定する場合、2番目には男女別基準を設定する場合、3番目には家族的責任を有する労働者に対する配慮を行う場合です。

まず、男女共通の基準を設定する場合では、その中でも時間外労働へ女性を新規に組み入れ・延長する場合ですと、「制度的な合理性」は認められる。ただ、「女性保護規定の廃止」ということを理由とするだけでは、「適用の合理性」は認められない。これは、全体として最近の就業規則の変更理論を借りて制度の合理性と適用の合理性ということを分けた議論をしているわけです。したがって、制度の合理性は認められるが、適用レベルでは単に新しく女性保護規定が廃止されたというだけでは合理性は認められないという主張です。加えて、特別な事情、たとえば家族的責任を有する者がいわゆる激変緩和措置の上限を超える命令を受けるとき、あるいは健康上の理由等のやむをえない事由がある場合であれば拒否をすることができるというふうに言っています。男女共通の基準を設定する場合でも、希望者について個別合意で時間外労働、休日労働を免除・緩和することは、「法的にも実際的にも有効・適切な対応」であるが、希望する女性だけに時間外労働を免除・緩和することは、「男女平等の観点から違法・無効」であると言います。

第2番目の類型である、男女別基準を一律に設定することについては、たとえば男性360時間、女性150時間といった形で一律に設定する場合ですが、これは公序違反で違法・無効である。ただし、基準がどちらになるかに関しては今後の検討課題として結論は示していません。また、時間外労働から女性を一律に免除すること、あるいは一律免除の規定を置いて、希望する女性だけに時間外労働に組み入れるということは、「公序違反」だとしています。

第3類型の、家族的責任を有する労働者に対して配慮する際、別基準を設定するということが基本的に望ましいわけですが、一律の排除・緩和措置というのは、「疑問なしとしない」、また、家族的責任を有する女性だけに別基準というものを設定することは許されないとしています。

この議論は、深夜業に関してもほぼ同じようになされています。深夜業へ女性を新規に組み入れる場合、就業規則や労働協約を改定して、一律に組み入れることは、女性保護規定の廃止の趣旨からして、「基本的に適法」であるけれども、個々の女性の深夜業の義務が「当然に発生することにはならない」。また、不利益変更の「合理性判断」に際して、時間外労働の場合にも増して「高度の合理性」が求められ、加えて、深夜業への組み入れが、一時的・臨時的な場合、時間外労働の延長として深夜時間帯に入る場合、交替制勤務の夜間シフトに入る場合等で合理性判断が異なるとしています。他方、一律ではなく、男女ともに深夜業の対象にしておきながら、女性の希望者のみの免除を認める定めは「公序違反」であるということで、個別的な合意で免除を認めるという定めが望ましいとしています。

さらに、深夜業から女性を一律に除外するという方法は、「男女平等原則からして大いに疑問」であり、また、女性を除外しておいて、希望する女性に例外的に許容することも、「憲法14条の男女平等原則及びこれに基礎づけられた均等法の機会均等及び待遇の平等原則の趣旨に反する」としています。

家族的責任を有する男女に対する対応についても、時間外労働の場合と同じで、一律に深夜業を免除することは、家族的責任を有する労働者に一方的不利益を課すことになって「問題なしとしない」としていますし、また、家族的責任を有する女性のみを深夜業から免除することは、男性が希望してもこれを認めないということから、「雇用における男女平等原則、少なくとも均等法の趣旨に反する」と、このように述べています。

以上のような奥山論文の特徴ということで申しますと、まず第1に、法改正に伴い労働協約や就業規則で男女共通の時間外労働・休日・深夜業の規制を行った場合、制度の合理性と適用の合理性の判断枠組みをとり、不利益変更の合理性判断を行うという前提での議論をしていること、第2に、保護規定の撤廃後にも、女性について時間外労働や深夜業に特別な定めをすることは、一律に免除・軽減する場合であれ、女性の希望者に選択的に認める場合であれ、「公序違反」となるということ、第3に、家族的責任を有する者に対しても、一律に免除・軽減することは疑問であるとすることにあります。この論文、論点を非常に明快に整理しているのですが、結論を留保している箇所も少なくありません。とくに別基準を定めた場合に、どちらの基準が妥当するのか、あるいは家族的責任を有する者を一律に免除・軽減するということがなぜ否定されるのかとその根拠についてはとくに述べられていません。家族的責任を有するか否かは中立的な基準ですし、労働時間に関して用いても、間接差別をひきおこすものでもありませんので、一律に免除・軽減することに疑問とする根拠がどこにあるのかよくわからないところです。

討論

均等法の性格と男女別規制の許容範囲
岩村

今回の労働基準法改正、それから、均等法改正に伴って生じうる実務上のさまざまな問題点を広く想定して拾い上げ、それらについて、現在考えうる解釈論上の結論を示していただいている点で大変参考になる論文だと思います。

ただ、毛塚さんがおっしゃったように、比較的解答が得られやすく、またコンセンサスも得やすい部分については、奥山先生自身の結論が出ていますが、他方で、理論的にどう考えるかが難しいところについては、将来の検討課題とされています。そうした点については、今後我々自身も考えていかなければいけない。もちろん、奥山先生はどうお考えになっているかも、機会があればぜひお聞きしたいと思いました。

大内

この論文では、結局は、女性労働者の利益のための異別取扱は許されないということになります。確かに共通規制は基本的にはいいのだけれど、ただそれへの移行過程における対処をどう考えていくのかが気になります。つまり、現実には、時間外労働などは男女共通の規定にすると女性労働者にのみ不利益となるということがありうるわけです。これは基本的には変更を定める協約や就業規則の変更法理あるいは公序の問題として処理されることになるのかもしれませんが、このような法理とは別枠で考えるべき問題なのかなという気もしないでもありません。過渡期での異別取扱というのは激変緩和措置のようなもの以外は許容されないのかというのが私の疑問です。

毛塚

日本の均等法は、まだ女性のみを保護の対象にしていますよね。要するに性差別禁止法ではない。しかし、雇用平等を言う人たちの中には、性差別禁止に近いものもある。ここで議論されているのも、どちらかというと性差別の視点から平等、一律を求めている気がします。そうすると、今おっしゃられた、日本の均等法が持っている過渡的な性格とどこまで整合性があるのか。

岩村

典型的な例は─奥山先生が挙げられて、しかし、結論を留保されているものですが─、従来の規定を受け継いで、時間外労働の上限時間を、男性について年間360時間、女性について年間150時間と定めている場合です。この場合、これを女性の差別と考えるのか、それとも男女一律基準、つまり平等取扱のほうが基準になるのか。これに関係するでしょう。

毛塚

そうですね。

岩村

それは、女性差別で、女性のみを不利に扱っていると見る。そうすると、男性についてのみ年間360時間というほうは問題にならないのでしょうね。

毛塚

ここでの議論は、均等法の世界を性差別禁止法的な発想で考えすぎているということですか。

岩村

そう考えるのかが問題ですよね、実は。

家族的責任者への一律配慮と公序
毛塚

私は、差別禁止と平等処遇というのは違うと思うのです。今の均等法が、性差別禁止法ではなくそれに至る一つのプロセスだと考えれば、男女共通規制は一応望ましいにしても、プロセスにおいて差異を設けることは許容範囲だと思うのです。実際、均等法は、優遇措置の特例を認めている。また、先ほどふれた家族的責任を持っている労働者と持っていない労働者とを平等に処遇するか否かは、通常、平等原則一般の問題であって、差別禁止の問題ではない。したがって、それに対してリジットに差別禁止的な法理を適用する必要はないと思いますが。

岩村

本論文の議論は、改正後に生じうる法解釈論上の問題を想定しています。そうすると、最終的に裁判所が法解釈という形で一定の結論を出す。この場合には、かなり一刀両断的なドラスチックな解決が出てくる可能性があります。たとえば、今話題になっている、年間上限時間を男性について360時間、女性について150時間と定めているのを、裁判所が法解釈という作業で、一刀両断にある日突然、これは違法無効であると判決できるという選択肢を我々が選択するほうがいいのか、それとも、何らかの政策的な目的を立てて、それに向かって─さっき、大内さんも言っていた過渡期の状況と考えて─徐々にある目的に向かって政策的に収斂させていくという方向で考えたほうがいいのかも、大きな問題です。

大内

奥山論文では、時間外労働からの女性労働者の一律免除を認めて、希望する女性だけを時間外労働へ例外的に組み入れることは、男女平等原則に反するものと言いうるとされているのです。私には、過渡期にはこういうのが許されてもよいのではないかと思えるのです。男女平等原則をどう考えるかという問題もあるし、それにプラスして、実質的に考えても妥当かどうか疑問があります。このような問題を考える場合、法律が変わったときには、過渡期の問題というものを考えざるをえないのではないかと思いました。

岩村

そうすると、過渡期においては公序の概念も可変であると考えることになる。

大内

フレキシブルになるということです。もっとも、はっきりと禁止されているような差別であればこれは無理です。たとえば放射線影響研究所事件(最一小判平成2年5月28日)のように、定年の男女差別を許さないということが公序の内容に明確に取り込まれていれば、現存の差別を段階的に解消させていこうというのではだめだという考え方もありうると思います。しかし、ここでの問題は、そういう問題ではないだろうということなのです。

岩村

その場合には、公序の問題ではないということになりますね。

毛塚

公序にもいろんなレベルがあるということではないですか。

岩村

過渡期においては公序も過渡的に変わっていくと考えるのか、それとも、法律が変われば、やっぱりある日突然、公序も変わるのでしょうか。

毛塚

ただ、現在の均等法は性差別禁止法ではなく、女性の雇用における地位を高めるという段階にまだあるわけですね。そうすると、平等原則に基づく不利益取扱の禁止と公序としての差別禁止を分けて考える、私の理解からすると、差別禁止の法理を平等原則の法理とやや混同しているように思えるのです。平等原則は企業内における公正処遇の一般的原則ですが、差別禁止は社会的、歴史的に形成されてきた差別というものをまさに公序として排除するものだと思います。また、その公序も法的規制いかんによって強弱はある。今後、均等法も性差別禁止法という形で両面的な公序になるかもしれませんが、現在の段階では、女性保護の観点から、もう少しフレキシブルに対応してもいいのではないでしょうか。

岩村

奥山さんも、差別禁止から雇用平等へという流れを念頭に置きながら理論構成を考えているので揺れ動きがあるのではないですか。

大内

最後は平等にいくというのは、それはそれでいいとは思うのですが……。

それと、これも毛塚さんが言われたように、この論文では家族的責任を有する者への特別な措置、この適法性に疑問があると述べていますよね。そこまで言っていいのか。

毛塚

先ほども言いましたが、これは一般的平等原則の問題で、差別禁止の問題ではないと思うのです。

大内

公序良俗違反にはならないのではないかと思います。就業規則でこういうのを定めたときでも、明確な実定的根拠がなければ、これを無効とするのは難しいと思います。

毛塚

誰でもその生涯において家族的責任を持つことはあるわけだから、そういう人たちに対して一律免除しても別におかしくはないと思いますが。

大内

労使がそういうのをいいと判断して、労働協約で定めているのを、だめと言うことはできないのではないでしょうか。

毛塚

そのような公序性はないと思います。奥山さんの意図をどこまで理解した上での議論であったかはわかりませんが。


Ⅳ 労働条件変更

1.集団的労働条件の変更

論文紹介

毛塚

次に、労働条件の変更をめぐる問題に移りたいと思います。ここでは、最初に、大内伸哉「労働条件形成・変更の段階的正当性─労働条件変更法理の再構成(1)~(4完)」を取り上げます。大作ですが、なるべく簡単にご紹介したいと思います。

民主性原理と私的自治による正当性判断

大内さんは、多数の従業員を協働させる、そういう就労システムというのは、たとえ個別契約の重要性が増したとしても基本的には変わらない。そこでは労働条件というのは制度として統一的・集合的に処理される。したがいまして、集団的な労働条件を統一的・集合的に処理する法理の構築を目指されます。

その際に特徴的なことは、労働条件の集合的処理と契約原理との調整を意識しながら、労働協約や就業規則という集団的労働条件に関して、その形成過程、労働契約への編入過程、適用過程の三つの段階に分けてそれぞれ法的な拘束力を導くための正当性原理が異なることを指摘し、形成過程には過半数主義という民主性原理を、編入過程には私的自治の原理を、適用過程には個別具体的な事情を考慮した「衡平の観点」を求めるという、明確な視点を提供しているところにあります。

その結果、就業規則による労働条件の変更については、過半数の支持の有無と集団的な変更解約告知で対応させ、集合的な処理を図っていますし、労働協約について言いますと、過半数組合の締結した労働協約について変更解約告知を用いて統一的な労働協約内容を形成することを認めています。ほかにも重要な指摘がありますが、骨子は以上のように非常に簡明なものと言ってよろしいかと思います。

本論文の意義ないし特色は、労働条件を集団的、統一的に形成するための法理を、就業規則、労働協約という二つの制度を通して、これまた統一的に構成するところにあります。日本の労使関係の現実を考えるならば、労働協約と就業規則について統一的な処理が求められますので、実務からすれば重要な視点だろうと思います。また、段階的な正当性、評価の視点は、これを就業規則や労働協約の変更法理に引きつけて言いますと、合理性の判断の視点を整理したことを意味しますので、有益な貢献だろうと言えるかと思います。

ただ、個人的には幾つか問題点ないし疑問点があります。

まず、方法に関してですが、果たして形成過程と編入過程というものを分断していいのか。法的には、一応別個に検討しても、最終的には統一的に構成する必要があるのではないか。分断することで、たとえば就業規則について言いますと、変更解約告知は一般的に理解される変更解約告知と異なり、「転移」という極めて独自な法的手段となり、また協約につきましても、私的自治の中で形成過程と編入過程を統一的に把握して議論するのが本来の法的性質論と思うのですが、分断することで、労働協約の本来の性格を見失ってしまう気がします。

具体的な問題点を就業規則について申しますと、事実上の集団的合意説、あるいは過半数支持つき契約説ということになると思いますので、現在の就業規則に関する明文規定に反する解釈ではないかと思います。また、労働条件の変更の合理性判断を過半数の支持の有無で行うということは事実上合理性判断が不要になってくることを意味するように思います。と言いますのは、過半数組合がすでに変更に賛成していますと、合理性判断は必要ではなく、他方、過半数組合や従業員の過半数が変更に反対しているときは、集団的な変更解約告知は無効ということになり、実際上、これは多くの場合、就業規則による労働条件の変更を否認する結果になりますので、実務的に見れば労働条件の流動的な形成に対応できないということになるのではないか。

また、変更解約告知について言いますと、もともと変更解約告知の意義というのは、単に労働者に対し同意・不同意の機会を与えるだけでなくして、労働条件変更の合理性判断、調整的な処理を導くところにあるとすれば、過半数の支持で合理性ありとすることは変更解約告知の合理性判断を形式的なものにしますので、やや変則的な変更解約告知法理ではないかという気がいたします。

次に、労働協約の変更法理に関して言いますと、変更解約告知によって協約労働条件についても統一化を図ることができるとするわけですが、就業規則と異なり、両面的な効力を持つ統一的な労働条件を形成するということになれば、私から見ますと、労働協約と就業規則の性格の相違を軽視した議論ということになるのではないか。

以上、簡単に紹介と私の個人的な疑問を提起いたしました。岩村さんはどのように読まれましたか。

討論

岩村

この論文は、従来、判例及び学説で論じられてきた就業規則による労働条件の不利益変更の問題、それから、労働協約による労働条件の不利益変更の問題、さらには拡張適用されている労働協約による不利益変更の問題、それに加えて少数組合が存在する場合といった、労働条件の変更が問題となる状況をすべて取り上げて、それらを一貫した理論枠組みの中で整理し、それぞれについての解釈論上の具体的な結論を示しているという点で、非常に高く評価できる論文だと思います。

また、従来の判例や学説に見られた問題点、つまり、ある意味での実際上の結論の妥当性にどちらかというとやや重点が置かれて、その結果として、法的な理論体系、あるいは解釈理論としては、どうしてもあいまいさが残っていたという問題点に対して、私的自治や多数決原理という基本原理を軸に、理論的に割り切って、すっきりとした解釈を提示しているという点にも、この論文の特徴があると思います。

しかし、私的自治や多数決原理を軸に、割り切った形ですっきりと理論を立てていることの反面として、出てくる具体的な結論もややドライになりすぎているのはどうしても否めないという気がします。

たとえば就業規則の不利益変更の問題にしても、この論文の立場では、使用者の労務指揮権の範囲内に含まれる労働条件の変更はともかくとして、そうでないものはすべて変更解約告知の問題に整理されてしまうことになり、解決方法としてはややドラスチックになりすぎている気がしないでもありません。また、拡張された労働協約は、非組合員についても、当然に適用が及ぶとしている点は果たしてどうでしょうか。本論文は、これを、多数決原理で、2分の1以上と4分の3との違いとして説明していますが、非組合員にとってみれば、自分の知らないところで勝手に決められたという点では、就業規則と同じではないかといった疑問があります。個別的な点では、具体的な解釈論として、すぐには賛成できかねる側面を含んでいると思います。

過半数主義による合理性判断の回避
毛塚

それでは、大内さん、討論参加者の特権として反論をして下さい。

大内

毛塚さんからの、おそらく一番重要な指摘は、集団的変更解約告知における過半数主義という考え方だと、流動的な労働条件の形成ができないのではないかという点であると思います。しかし、この点については、だからといって、少数派しか同意していない、あるいは全く誰も同意していないというときに、過半数主義とは別の角度からの合理性判断を許容し、そこで合理性があれば、多数の従業員にその同意していない労働条件が押しつけられることになるというのが果たして労働条件の形成のあり方として妥当であるのかが疑問なわけです。

合理性の判断を過半数主義で置き換えていくというのは確かに割り切った考え方なのですが、集団的労働条件という概念を立てて、そういう枠で考えた場合は、多数で決めていくというのはそれほどとっぴな考え方ではないと思われるわけです。みんなにかかわることはたくさんの支持を重視していくというのは自然なことだからです。むしろ、たとえば多数が同意しているのに、裁判所が合理性がないと言えばそれだけで労働条件の拘束力が否定されるとか、あるいは少数しか賛成してないのに、裁判所が合理性があると言うから、その労働条件に従わなければならないというのは、労働条件の決定プロセスに対する裁判所の行き過ぎた介入になるのではないかという疑問があるわけです。

それから、変更解約告知については、これは後で紹介される論文とも関係してくるかもしれませんが、一言いっておくと、私自身は、労働条件変更の合理性判断、調整的処理を導くところに変更解約告知の積極的意義があるとは見ていないわけです。それは先ほど言われたように、集団的に形成された労働条件の契約内容への転移の手段だと見ているわけです。そういう変更解約告知も、少なくとも契約法上は禁止されていないだろうと考えています。

それから、岩村さんからの、ドライな結論となりすぎるのではないかというご指摘ですが、そういう面もあるとは思います。ただ、実際はどうでしょうか。変更解約告知によって解雇されていく、つまり、どうしても労働条件を受け入れないという形で解雇されていく労働者がどれだけ出てくるでしょうか。いや、実はそれは解雇の圧力により強制されてイエスと言っているだけではないかという反論が出てくるわけですが、それに対しての私の反論は、確かにそういう要素はあるかもしれないが、少なくとも、労働者にはどうしても変更された労働条件に賛成できない場合には、労働組合に加入したり、結成したりして、今の労働条件を改善させていくための手段が与えられているということを考慮しなければならない、というものです。つまり、団結を通じた利益保障という手段が保障されているということを考慮すると、たとえ個別的に労働者がイエスと言った場合であっても、それは法的には尊重すべきであるというのが私の考え方です。

最後に、17条の一般的拘束力の問題は、確かに相当自分でもドラスチックなことを言っているということを自覚しています。一方で私的自治を重視すべきと言っているのに、何で未組織労働者の意思は重視されないのだというような疑問は当然出てくると思われます。この点は、論文でも書いているように、私は次のように考えています。すなわち、17条というのは、まず、就業規則の法理と違って明文の根拠があるということ。そして、17条は、当然、強制的な適用というものが織り込み済みになっている。立法者の考え方は、17条の限りでは私的自治を制約することを認めているのではないかということ。そして、4分の3という要件は、かなり厳しいものであるということ、以上から私的自治の例外も許されると考えているのです。

要するに明文の根拠があり、正当性も十分にあるということからすると、むしろ労働条件の統一化機能としては、就業規則法理よりも17条のほうが適切ではないのかと考えるに至ったわけです。

過半数の支持のない就業規則の法的拘束力を否定するだけですむか
毛塚

その前に、基本的なところで疑問があります。労働条件の流動的な形成にかかわる部分ですが、就業規則は確かに過半数の支持を得て作成することは望ましいけれども、実際上は就業規則というのは、過半数代表の意見を聴取するだけで作成や変更ができるわけです。そういう方法で就業規則を変えたときに、その就業規則の拘束力なり、法的な効力というものをどのように構成するわけですか。

大内

その就業規則は、まず、書面化された就業規則と、そこに記載されている労働条件とを分けて考えるべきだと思います。書面としての就業規則、それ自身の持っている効力は契約説の立場では93条の効力だけです。それと就業規則に記載されている労働条件が契約として拘束力を持つかどうかは別の問題です。前者の問題は、少なくとも一方的に不利益に変更された就業規則には93条の効力は生じないと考えています。後者の問題は私の考えでは集団的労働条件の正当性原理、つまり過半数主義に基づき処理されるわけです。

毛塚

そうすると、過半数の支持もなく新しい就業規則をつくることは幾らでも現実の社会で行われているわけですが、そういう就業規則の法的拘束力は、内容の合理性を問うまでもなく否定されるんですね。

大内

そうです。

毛塚

その辺が問題の対処の方法としてやや非現実的になってしまう気がします。むしろ、印象を言わせてもらえば、結果的に変更解約告知を使うのであれば、最初から変更解約告知の合理性判断の枠組みの中で議論をしたほうが一貫性があると思うんですよ。どういうことかと言うと、個別的労働条件の変更についても変更解約告知、集団的労働条件の変更についても、個別的変更解約告知の集団的な行使と見るか、あるいは集団的変更解約告知権の行使と見るかはともかく、変更解約告知権の行使と見れば、別に過半数の支持があるか否か不明であっても、変更解約告知の合理性判断で対応すればいいわけでしょう。形成過程と編入過程を結びつけることだけに変更解約告知の機能を限定していることで、かえって処理方法を狭めることになっている。むしろ変更解約告知によって労働条件の形成ができるという形にしておいて、集団的労働条件については大内理論を生かすならば、過半数の支持で合理性を肯定し、支持がないときには、個別具体的な事情で合理性判断でやればいいではないかという気がするのですが。

大内

集団的労働条件の変更と、個別的労働条件の変更とは明確に区別されるべきで、個別的労働条件の変更は別の法理で対処されるべきと考えています。

毛塚

就業規則の変更が現実にあるときに、それによって個別労働者の労働条件が変更を受けるということがあるわけだから、集団的労働条件としての変更といっても、当該労働者の労働条件を変える意味もあるわけでしょう。

大内

それは集団的労働条件というものを認めないということですね。

毛塚

集団的労働条件はアプリオリにあるわけじゃないと思うけど。その辺の認識も違うのかな。

大内

集団的労働条件、すなわち集団的に処理されている労働条件があるということが前提なのです、私の話は。

毛塚

それでもいいですよ。そのときに過半数の支持がなくても、集団的労働条件の形成に関して、なぜあなたが言う集団的変更解約告知の論理をもって対応しないわけ。

大内

個別的変更解約告知ですか。

毛塚

個別的変更解約告知の集団的行使でもいい。労働条件の集団性を崩さない限りで合理性判断をすればいいわけではないですか。たとえば、労働時間を38時間から40時間にするときに過半数代表の支持がないときには一切できないわけでしょう、大内説では。

大内

できないです。

毛塚

そのときに、なぜ個別労働者を対象にしてそういうことができないの。

大内

これは93条がかかってくるからです。つまり、個別で契約を不利益には変更できない。

毛塚

そうすると、大内さんは、やはり就業規則というのは法規範的に考える。

大内

法規範ではないのですが、93条の限りでの規範的効力はあります。

毛塚

たとえば93条の効力というのは、僕は禁反言的に説明すれば足りると思っていますが、それはともかく、法的な拘束力を持たせないでの説明は十分可能でしょう。

大内

いや、93条は、就業規則を下回る労働契約が締結されれば、それは自動的に就業規則の労働条件が労働契約の内容になるというのではないでしょうか。

毛塚

でも、労働契約内容を拘束すると理解しなくてもいいわけでしょう。93条の説明は片面的な効力ですし。ともかく、労働時間を38時間から40時間に延ばすというときに、使用者は就業規則を変えるということをやるわけですが、その際に、なぜ個別的な変更解約告知の方法ではそれをできないのか。

岩村

その場合は、大内説では、93条が適用になるから、使用者は、もし40時間にしたいのであれば、従業員の過半数の同意を得て、その上で40時間にすればいい。だから、個別には対応できない。

大内

93条というのはそういうものですよね。禁反言ととらえようがとらえまいが、就業規則を下回る個別的な契約の締結を排除する。

毛塚

そうすると、さっき言ったように、就業規則は集団的な合意がなければ変更できないという集団的合意説とほとんど変わらないですね。

大内

就業規則そのものに法規範性を認めるかどうかに違いがあります。私の考えでは、集団的合意を契約内容に転移させることが必要ですから。

現実とのギャップが大きくないか
大内

協約についてはどうでしょうか。

岩村

協約の面でも非常に大内説は特徴がある。特に少数組合との関係について。

毛塚

僕も協約が締結されたときに就業規則の変更の論理で配慮しますが、大内さんの場合、協約に基づいて変更解約告知も可能ですよね。そうすると、協約は就業規則と違って、片面的効力に限りませんから、非組合員とか未組織者に対して、両面的な効力を持つ画一的な労働条件を強制することを認めるわけですね。

大内

認めます、それは。

岩村

大内説の強烈なアピールは、労働条件の合理性判断については、裁判所には任せないというところにある。その点との関係で言うと、提案する解決がドライではないかというところにつなかりますが、従来、裁判所の合理性判断によって解雇に至らない形で決着をつけている事例が、大内説だと、新しい労働条件を呑んだ上での雇用の維持か、それとも会社を辞めるかという、その二者択一だけになってしまう。結局、変更解約告知の問題になりますが、そこが従来の判例が築いてきた理論との間の落差の目立つところかなと思います。

毛塚

僕は一番実務的にも法的にも問題だと思うのは、就業規則の変更の圧倒的部分は、労働組合がない事業所での問題だということですね。通常、そこでは過半数の支持をとりつけることも少ないと思うのです。大内理論では、そのような場合、合理性判断に乗ってこないわけですよね。

大内

変更できないです。

毛塚

そうすると、就業規則の変更によって労働条件を処理しようという、あるいは処理している現実の日本の労使関係、雇用関係とのギャップがかなり大きいのではないですか。就業規則変更の法理がメインのターゲットとしているのは、労働組合があるところや過半数の代表がしっかりしているところではなく、どちらかと言えばいいかげんなところです。

大内

その現状はよくない現状ではないのでしょうか。

毛塚

でも、就業規則というのは意見を聴取すれば作成・変更できるはずですし、それを前提として就業規則の内容をコントロールするのが就業規則法理の任務です。過半数の支持をあくまで要件にして変更を認めるのは、就業規則に対して別な新しい役割を与えようとしているからではないですか。

大内

それはそうかもしれません。

毛塚

そうすると、現在の就業規則と法制よりも一歩先に行ってしまって、むしろ共同決定とか経営協定とか、そういう性格の議論を現在の労働基準法のもとでなさっているということにもなる。

大内

そういうことを解釈論の枠内で目指したものと言えるかもしれません。

岩村

だから、大内さんのメッセージは、要するに労働者はもっとしっかりしろ、もっと強くなれ。組合もっと頑張れと、そういうつもりなんですよ。

大内

そのとおりです。

毛塚

組合のあるところで言えば変更問題では、僕も大内ふうに合理性の推定を言うけれども、問題はそう簡単ではないし就業規則の問題の中心はそこにはないと思っています。

岩村

過半数代表制を、そこまで現行の労使関係の中で信用していいのかは、確かに大きな問題です。

大内

それはおっしゃるとおりです、私も、今の90条における過半数代表者の同意では不十分であると思っています。やはり過半数の意思の確認はきちんと行わなければならないと思っています。

労働条件の形成過程に注目した道幸論文
毛塚

大内さんは過半数従業員の支持ということにこだわったわけですが、これは職場における労働条件の形成のあり方に注目をしたからだと思います。これに関連して、道幸哲也さんの「組合併存下における労働条件決定過程と団体交渉保障」(『法律時報』68巻7号、8号)という論文があるんですが、これが比較的問題意識として共通するものがあるということと、もう一つ、内容的にも大変興味深いことを指摘されていますのご紹介しておきます。従来、組合間差別に関しては、使用者の中立保持義務があるという話があるわけですが、それに関して、道幸さんは、団結権における中立保持義務と団体交渉権の中立保持義務では違うのではないかと言います。団体交渉権について言えば、中立保持義務はストレートに当てはまらない。というのは、職場における労働条件の適切な決定過程という観点から見た場合、多数組合は従業員の4分の3を組織している場合とか、過半数代表として、協約や協定の締結が問題となっている場合には、職場全体の労働条件を決定する役割を果たしている。したがって、使用者は多数組合を重視しなければならないし、また、重視することがそれなりの合理性を持っているんだということで、中立保持義務について、団体交渉権については別な考え方をすべきことを提言されています。企業内における労働条件の形成に関する最近の問題意識を共有するような論文だと思うのですが、大内さんは、どうお読みになられましたか。

大内

問題意識は共有しているのですが、この論文では、不利益変更の場合の処理をどこまで意識されているのかがよくわかりませんでした。おそらく、この論文が主として念頭において取り組んでいるのは、多数組合がある有利な条件を獲得したときに、それを少数組合に及ぼすべきか、あるいは及ぼさないのか不当労働行為とならないのはどういう場合か、という問題だと思います。おそらく現在、より深刻な問題は、不利益変更について多数組合が同意したときに、その同意内容を少数組合にどう及ぼしていくのかであり、この点についての著者の見解を知りたいところです。

2.変更解約告知

毛塚

では、労働条件変更問題の二つ目の問題である変更解約告知を扱った論文、毛塚勝利「労働条件変更法理としての『変更解約告知』をどう構成するか─スカンジナビア航空事件を契機に─」、土田道夫「変更解約告知と労働者の自己決定─スカンジナビア航空事件を契機として(上)(下)」の検討にうつりたいと思います。大内さんのほうから紹介して下さい。

論文紹介

大内

まず、毛塚論文では、変更解約告知について、従来の契約内容では契約関係を維持しがたいという事情のもとで、合理的な契約内容の変更であるにもかかわらず、労働者がその変更に応じないことを理由とする解雇の意思表示であると定義されています。そして、このような変更解約告知における使用者の意思は、契約関係の解消にあるのではなく、労働条件の変更にあるのであるから、そのようなものとして法的にも取り扱われるべきであるとします。

変更解約告知の有効要件としては、まず契約内容変更が合理的でなければならないとされます。合理性の判断基準は、労働者の事情に起因する場合と経営上の理由に基づく場合とで区別すべきであり、後者の経営上の理由に基づく場合については、これは経営上の困難に伴う不利益を労使間でどう負担するのかが問題となっているので、整理解雇と同様の集団的な考察が必要であると述べます。

具体的には、五つの要件が設定されています。まず1番目は、当該労働者の契約内容から見て、新たな契約内容が受忍しうるものかどうか。第2に、当該労働条件の変更はやむをえないとする事情があるかどうか。3番目に、当該労働条件変更を回避するための努力をしているかどうか。4番目に当該労働条件変更の対象選択の合理性。5番目に当該労働条件変更措置をとるに至るまでの、労働組合や労働者との十分な協議の有無が審査されることになります。

労働者は、変更解約告知に対しては、相当期間内に変更の諾否を行わなければならないとされ、ただその際には合理性の判断を裁判所で争うことができ、裁判所の合理性判断が下されるまでは、労働契約の内容は従来のままであるとされています。

ただし、労働者が合理性を留保して変更を承諾した場合には、新たな契約内容において、暫定的な法律関係が形成されることになります。そして、裁判所が合理性を認めたとしても、さらに相当期間は労働者が新たに諾否の判断をすることができます。裁判所が合理性を否定すれば従来の契約内容のままとなり、そして、合理性が肯定されてかつ労働者が承諾を確定的に拒否すれば、解雇は有効となるという結論になります。以上が毛塚論文の内容であります。

続きまして、土田論文を紹介します。この論文によると、変更解約告知とは、従来の労働契約を解約するとともに、労働条件、契約内容の変更を申込むことと定義されます。そして、変更解約告知が有効とされるためには、変更の申込を拒否した労働者の解雇を正当化する程度の労働条件変更の合理性、すなわち必要性、相当性を備える必要があると述べます。

具体的には、労働条件変更を不可避とする事情の存在、そして、変更による不利益を労働者に受忍させることの相当性があること、さらに、事前の説得義務、これらが有効要件となるわけです。

土田論文では、個別的労働条件の変更と集団的労働条件の変更とが分けて議論されています。個別的労働条件の変更においては、変更解約告知は労働者の自己決定の理念を現実化することを可能とする法技術であるという評価がまずされています。たとえば、判例法理は、変更解約告知を知らなかったために、職種変更について、職種限定の同意があると認められる場合を制限し、広く配転命令権を認めようとしてきました。ここでは使用者の包括的命令権と労働者の服従という事態が生じているわけですが、もし変更解約告知を認めるとすると、職種限定の同意を認めても、変更解約告知による職種変更が可能となるということになります。そして、変更解約告知というのは、労働者に変更申込を承諾するか、あるいは拒絶して解雇されるかの選択をゆだねるものであり、労働者は解雇のリスクを負いつつも、労働条件変更に主体的に関与できるという点で、自己決定の理念に適しているという評価をするわけです。

集団的労働条件の変更については、判例法理のように解雇権の制限を理由に一方的な変更を認めるよりも、労働条件の統一的処理を行い、かつ、変更に応ずるか否かを労働者の自己決定にゆだねる変更解約告知のほうが望ましいという評価をします。そして、この場合の変更解約告知の要件は、当該就業規則の内容が合理的であることであり、その判断基準は、判例法理と同様のものとなると述べます。

最後に、労働者の雇用保障という観点からは、変更解約告知においては留保付き承諾を認める必要があり、使用者は信義則上、労働者の留保付き承諾を応諾する義務を負うと解すべきだと述べています。また、使用者は変更解約告知を行う際には、労働者が留保付き承諾という対応をすることも可能であるということを告知する信義則上の義務を負うとも主張されます。そして、これによって、労働者は解雇のリスクを負うことなく、変更解約告知の効力を争うことができ、雇用保障との抵触をなくし、自己決定が保障されることになるというように結論づけられています。

疑問点

コメントでありますが、両論文とも、スカンジナビア航空事件の東京地裁決定が出たことを契機として、日本でも注目を浴びることとなった変更解約告知について、詳細な検討を加えたものです。毛塚論文は、変更解約告知を日本法のもとでどのように法的構成がなされるべきかということを主題とするものであったのに対して、土田論文は、変更解約告知を自己決定の理念に適した法技術であるという位置づけのもとに、既存の配転法理や解雇法理との関係も考慮に入れながら、その有効要件などを含めた解釈論を展開するものです。

以下個別的に見ていきますが、まず、毛塚論文は、変更解約告知を契約法の原則と解雇制限法理とを調整する、新たな労働条件変更手段として位置づけており、それに応じた法理を構築しようとされています。筆者自身は労働条件の変更手段として、以前から契約内容変更請求権という考え方を主張していますが、本論文では、仮に変更解約告知を承認すると、どのような法的構成が行われるべきかという観点から検討を行っています。

この論文に対する私の一つの疑問は、変更解約告知が従来の契約内容では労働契約関係を維持しがたい事情が発生した場合にしか、すなわち、通常の解雇の要件を満たしている場合にしか認められないと考えているように読める点です。変更解約告知の概念、定義をこのように限定するのであれば、変更解約告知に固有の要件がなぜ必要となるのかが問題となると思われます。変更解約告知では、契約内容変更の合理性が問題になるのだとしても、ここで考慮すべきなのは、労働者があくまでも変更に応じなかった場合の解雇が有効となるのはどのような場合であるのかであるはずだからです。すでに通常の解雇の要件が存在しているのであれば、変更の合理性を論ずるまでもなく、当然に変更契約告知も有効となるのではないかと思えます。変更解約告知の独自性を認めるのであれば、従来の契約内容では労働契約関係を維持しがたい事情が発生した場合とは言えなくても、労働条件変更の合理性があれば、それを拒否した労働者に対する解雇が有効になる可能性があるという結論を認めるべきであると思います。解雇というものを、従来の契約内容では労働契約関係を維持しがたい事情が発生した場合にしか認められないとする筆者の立場を一貫させれば、むしろ変更解約告知不要論に行き着くことになるのではないかと思います。

毛塚論文についての最後のコメントですが、変更解約告知を認めて、変更内容の合理性を筆者の言うような基準で判断すべきということになると、確かに変更解約告知の手続において、何らかの形で合理性を確認する手続を設ける必要があるということになります。その点では、筆者は非常に周到な配慮をして自説を展開するわけですが、そこで述べられていることは、どこまで解釈論の範囲内で可能であるのかが問題となると思います。

続いて、土田論文についてのコメントですが、この論文では、変更解約告知を自己決定に則した手段と認めた上で、既存の判例法理を自己決定の理念に反するものとし、これに批判的な形で変更解約告知の理論的可能性を検討しており、この点は私としても大いに賛成できます。とくに集団的労働条件の変更において、判例の就業規則法理に代わるものとして、集団的変更解約告知を提唱している点も私の論文と共通の理論的指向を持つものです。

ただ、問題は、集団的変更解約告知の要件が判例法理と同じとされているところです。判例法理を自己決定の観点から批判する点は正当だと思いますが、判例法理に対するもう一つの疑問であるところの合理性基準のあいまいさというものは、土田論文では解消されないことになります。結局、土田説と判例法理の違いは、一方的に変更された労働条件を拒否して辞職するか(判例法理のケース)、変更の申込を拒否して解雇されるか(変更解約告知)の違いです。契約法理から見ると、この違いは大きいと思います。なぜかというと、合意による変更という契約自由を貫徹できるかどうかというところに違いがあるからです。しかし、土田論文が強調する自己決定という観点からは、判例法理と土田説との間に果たしてどれだけの違いがあるのかという点が、私にはよくわからないのです。

討論

毛塚

詳細なコメントをありがとうございます。岩村さん、もしつけ加えるところがありましたらお願いします。

岩村

大内さんのコメントにほぼ尽きていると思います。両論文とも、スカンジナビア航空事件を契機に、変更解約告知の中身について、ドイツの法理を我が国に移植する際に考えられるいろいろな論点を明らかにし、今後の変更解約告知をめぐる議論の土台を築いた論文だと思います。

これは先ほどの大内論文の議論とも関係しますが、毛塚さん、土田さんの論文を拝読して思ったのは、従来の就業規則の変更法理との関係をどう整理するのかという点です。お二人とも、論文を拝見すると、従来の最高裁判例の就業規則変更法理についてはあまり賛成でないというお考えをお持ちだとの印象を持ちました。そこからすると、変更解約告知の方が契約法理としては貫徹しているという点で、お二人ともそちらに引かれているのかなと思いました。

もう一つ私が気になるのは、組合があった場合の団体交渉との関係をどう整理するのかという点です。変更解約告知の問題自体は個別契約法上の問題ですが、労働組合があって、その組合との間で労働条件の変更等を話し合う、交渉するという段階になったときに、この変更解約告知がどう関与するのかについて、もう少し考えてみる必要があるという気がしました。

通常の解雇要件を満たす場合に限定されるか
毛塚

ありがとうございました。私だけが反論権を行使するのは申しわけないんですが、大内さんがご指摘なされた部分について若干お答えをしておきたいと思います。

まず第1点ですが、従来の労働契約内容では契約関係を維持しがたい事情が発生した場合にしか、すなわち通常の解雇要件を満たしている場合にしか、変更解約告知は認められないとするのは狭すぎるというご批判かと思います。

しかし、従来の契約内容が使用者にとって維持しがたいから契約関係を切断したいということであれば、使用者は終了告知という解雇の方法もあるわけです。にもかかわらず、変更解約告知を選択するというのは、維持しがたいとはいえ、契約内容を変更した上であれば契約関係を維持する意思を持っているわけです。使用者は契約関係を維持しがたいというときに、解雇も選択できるし、変更による契約の維持も選択できる以上、基本的には契約関係を維持しがたい事情という意味で言えば、同じ程度の要件が必要だろうと考えるわけです。

また、大内さんは、変更解約告知は、労働者が変更に応じなかった場合の解雇の有効性問題であるから、労働条件の変更の合理性があれば、それを拒否した労働者に対する解雇が有効になるという結論を認めるべきとおっしゃるわけですけれども、もともと契約は、現在の契約内容を守るのが基本原則ですから、契約の変更に応じないこと自体が解雇理由になるということは、契約法の原則から言えないわけで、解雇しうるとすれば従来の契約関係を維持しがたいという事情があるからです。したがって、契約内容の変更が合理的であれば解雇になるといっても、それは変更に応じないからではなく、変更に応じない以上契約関係を維持しがたくなるからだと、僕は理解しているんです。その意味でも、変更解約告知の要件が解雇要件よりも緩やかでよいとは言えないと考えています。

それと、解釈論か立法論かわからないとのご指摘ですが、本人はすべて解釈論のつもりです。

留保付き承諾で十分か
毛塚

土田さんと僕の議論の違いというのは、解雇の一形態として処理するか、変更理論として純化して考えるかという点に関連しますが、ドイツ的議論で満足するかという点もあります。土田さんのいないところで批判するのはアンフェアなんですが、自己決定と言うけれども、解雇が持つ労働者にとっての意味、あるいはわが国の解雇訴訟手続の困難性を考えれば、事実上強制された選択になる可能性は高いわけで、現実に自己決定とは言えない。また、理論的にも自己決定に適合的と言えるかは疑問です。

変更解約告知理論を入れるときに留保付き承諾の可否がポイントだとよく言われます。それも確かに重要で、僕も解釈論的に留保付き承諾の可能性を求めています。しかし、留保付き承諾を労働者がとらなくてもいいとも言っています。なぜかというと、たとえば、異職種配転とか、あるいは自分の親の介護が必要である事情のもとで、会社が転勤を命じますね。そういうときに留保付きであれ承諾することは、ともかくも転勤に応じなければならないわけで、そうすると、現実には暫定的とはいえ、自分の職業的能力が無視される、あるいは自分が親の介護をすることは断念せざるをえないわけで、やっぱり僕からするとバランスを欠くと思うわけです。留保して変更に応じうるだけでなく、場合によっては留保せずに争えることにしないと、非常に労働者に負担がかかる。だから、ドイツにはない法理として、労働者が留保付き承諾をしていない場合には、変更解約告知の効力判断について、裁判所は、たとえば、労働条件の変更が合理的だと考えた場合には、1週間なら1週間という相当期間内に労働者がそれを受け入れないことを前提にして解雇の効力を認める判断をする方途を模索したわけです。自己決定を言うならそこまで認める必要があると思います。

また、そのことは、決して解釈理論としては成り立ちえないと思わない。もともと使用者は、自分の行う変更に合理性があると考えて、変更に応じてほしい、応じなければ解雇するということです。労働者のほうも、変更の合理性があれば応じますということを言っているわけで、合理性の存否を除けばお互いの意思が一致するわけです。解雇の意思表示が、そもそもある意味では条件付きの解雇の意思表示であったというふうに考えれば、裁判所が、変更には合理性があると判断した段階で労働者が最終的に応じるか否かの判断をすればいいとする解釈は、それほど無謀な解釈論だとは思わないですけれども……。

大内

最後の点は、使用者の意思としても、合理的な変更を行うことがその内容になっているということですね、意思解釈として。

毛塚

そうです。

大内

法律で合理性がなければならないという設定をして、その枠組みの中であれば、そのようなことも言えるのでしょうが……。そこは、立法論か解釈論かというところと関係してくるのです。たとえば、使用者が、合理性にまったく無頓着に変更を申し込んできたというときはどうですか。

毛塚

変更を申し入れて応じなければ解雇しますよという意思表示の中に、契約関係の存続を考えると合理的な変更だから、合理的な変更に応じないと解雇しますという意思を読むということですね。

大内

そう読める前提がどこまであるのかというのが私には疑問です。

毛塚

解雇制限の法理があることが議論の前提です。解雇には、従来の契約関係を維持しがたい理由がなければならない。また、契約内容は守らなければならない。とすると、契約内容を変更しようとする使用者は、契約関係を存続しがたい事情や契約内容を守れない事情を説明しないと、変更も解雇もできないはずですので、変更に応じなければ解雇という意思表示には、変更の合理性や解雇の合理性を当然の前提としていると思うのですが。

大内

解雇制限の法理を前提とするとそうなると思います。ただ一点指摘しておきたいのは、契約法理と解雇制限の法理とは次元が異なるものであるということです。契約法理では現在の契約内容は守られなければならないとおっしゃいますが、期間の定めのない雇傭契約のようなものは、契約当事者は予告期間さえおけばいつでも契約を解約して契約の拘束から免れることができるのです。実際、労働者側からの辞職は、とくに契約関係を存続しがたい事情がなくても可能です。解雇制限法理についても、契約法からは当然には出てこないのではないでしょうか。

毛塚

解雇制限法理は今日の労働契約法ですし、それを前提にして契約内容の当事者による流動的形成を図るのが、労働契約法理の課題と考えています。

解雇要件を満たすのに労働条件変更の合理性がなぜ必要か
大内

こだわって議論すべきかどうかわからないのですが、変更解約告知というものを毛塚説の枠組みの中で認める意味が依然としてよくわからないのです。というのは、変更拒否して解雇された場合、変更解約告知の定義上、普通の解雇の要件は満たしているわけですよね。だから、変更解約告知の、労働条件変更の合理性という要件を設定する意味は、解雇との関係ではないのではないかと思うのです。

毛塚

変更解約告知自体の合理性判断は、解雇の合理性判断とは異なります。ただ、従来の契約関係を維持しがたい事情に基づく変更の必要性をベースに変更の合理性判断を行いますので共通性はあります。

大内

その要件がなくても使用者は解雇できますよね。なぜその要件が必要なのかということなのです。解雇してもいいのに、変更解約告知を行った。しかし、解雇の要件は定義上すでに満たしているわけですから、どんな労働条件の変更でもよいのではないですか。

毛塚

でも、合理的な変更であるにもかかわらず応じないことを理由にする解雇の意思表示ですから、使用者の意思は、決して契約関係を解消することに直接的な目的があるわけではないですよ。解消したいのなら解雇をすればよい。実際の目的は契約の内容を変えることだから、契約内容の変更を中心にした合理性判断が必要となる。解雇要件を満たす状況があるからといって、労働条件や契約内容の変更が自由ということにはならない。

岩村

私も解雇権の合理性の判断の中に、労働条件の変更の合理性の部分が入るのではないかと思います。だから、その労働条件の変更の部分と、解雇の合理性判断の部分とが切れるというのは、どうも理解しにくい。

毛塚

ただ、その点は、ドイツでも同じですよ。変更解約告知の合理性判断は変更の合理性判断です。

岩村

そうだとすると、これは解雇の問題ではなく、実際は変更の合理性の問題であると説明したほうがわかりやすいという気がします。

大内

私の理解では、毛塚説で相当性が要件とされるのは、もし変更を受け入れたときに、その内容が適正であるというための絞りではないかなと思います。なぜかというと、変更解約告知というのは、解雇を背景にした労働条件変更の強制である。だから、そのまま受け入れさせるというのは、労働者にとって酷かもしれない。そのときに、労働条件の変更が合理的であって初めて、解雇の強制のもとに受け入れても、それはまさに真の意味の承諾として尊重すべきだ、そういう関係での要件だとするならばよくわかるのです。

岩村

そこは、留保付きの承諾が認められるかどうかにひとえにかかっている。留保付きの承諾が認められれば、まさに変更の合理性のところだけを判断すればいいわけですから。そうすると、留保付きの承諾を認めた上であれば、解雇の問題でなくて変更の問題であると整理がつくでしょう。その意味では、毛塚さんの説は、留保付き承諾を認めるわけですから、整合的になる。

大内

労働条件変更手段としてとらえていると……。

岩村

それだと一貫すると思う。

大内

ただ、さっきの繰り返しですが、変更を拒否したときの解雇の有効要件として見た場合どうなのでしょうか。毛塚説では、変更解約告知ができる場合というのは、従来の契約内容では労働契約関係を維持しがたい状況が発生した場合に絞っていますよね、定義上。むしろ変更解約告知は解雇回避手段の一つともみることができる以上、このように絞り込む必要がないということにはなりませんか。

毛塚

でも、契約内容は遵守するのが原則ですので、契約内容の変更に応じないということでは基本的に解雇できないはずですから、契約関係を維持しがたいという解雇要件で絞りをかける必要はあると思います。そういう意味では、変更解約告知は労働条件の変更手段とはいえ解雇という性格をぬぐいきれないわけです。

変更解約告知と自己決定論
毛塚

私の議論はこの辺にして土田さんの議論についてもう少し検討しましょう。先ほど大内さんは基本的には賛成されておられましたが。

大内

集団的労働条件について、集団的変更解約告知を使うというのは私と同じなのですが、要件が全く違うのです。土田さんは判例法理の基準を使うのです。それはそれで一つの考え方だと思いますが、自己決定という観点から見ると、現行の判例法理とどれだけの違いがあるのかというのが私の疑問です。

毛塚

変更解約告知が自己決定の観点から望ましい─これは先ほどの西谷論文の中にもありましたが─ということですが、先ほど述べたように、現状では疑問ですね。

大内

変更解約告知は自己決定に適合的だと思います。確かに解雇の強制はありますが、意思は意思だと思います。しかし、そこに何らかの歯止めが必要である。私の場合だと、過半数の支持という明確な要件を設定しています。あとは、本人がいいと言ったんだったら、それはそれで自己決定と評価すべきである。労働者には挽回する手段はあるんだというふうに考えます。

毛塚

それは集団法的な分野での対応ですよね。個別契約法の領域で言うならば、やはり労働者からすれば、使用者が言っているのが正しいのか、自分が言っているのが正しいのか、第三者の判断を待って結論を出すことが、理論的にも制度的にも保障されないと、自己決定に適合的とは言いえないと思います。


Ⅴ 集団的労働法

論文紹介

毛塚

それでは、続きまして、集団的労働法の分野から、石井保雄「職場占拠法理の研究(1)~(10完)」を取り上げたいと思います。大変長大な論文ですが、岩村さん、お願いします。

岩村

職場占拠の三類型化

石井論文は、アメリカ・フランスの比較法研究をもとにした長大なものです。ここでは日本法に関する部分だけをご紹介します。

この論文の問題意識は、従来の学説は、職場占拠が持つ三つの現実的な機能、つまり、労働市場統制機能、団結維持機能、そして、雇用・賃金確保機能を必ずしも区別して論じていない、だから、この三つの類型を区別しながら、その職場占拠の正当性を検討しようというところにあります。ただ、石井さんがこの中で検討しようとしている正当性は、占拠者の退去と懲戒処分という、民事上の正当性に限定されます。

そして、比較法的な検討を経た上で、次のような解釈論を提示しています。

第1が、団結維持機能型職場占拠についての正当性です。ここでは、石井さんは、こうした職場占拠は、スト中の企業内組合活動であると法的に性格づけています。スト中であるので労働契約は停止している。したがって、組合員は、従業員としてではなく、使用者と対抗関係にある。また、業務阻害状態はすでに発生しているから、平時と同じ労使関係を論じることもできない。さらに加えて、生活施設的な性格を持つ物的施設については、生産活動施設と区別して考えるべきであるという前提をとります。

その上で、具体的な結論として、スト中の職場集会と、闘争本部としての施設の利用は、すでに業務阻害が発生しているし、また、生活施設的な性格を持つ施設の利用についてであれば、そもそも業務の阻害もないから、正当性は広く認められると主張します。またスト中の施設内での示威行動も、会社構内ではあるが、しかし作業場外で行われる場合は、業務阻害性はあまり問題にならない。また、作業場内でも業務阻害が生じうるけれども、スト中の行動であることを考慮すると、その程度を中心として正当性肯定の可能性を探るべきであると主張されます。

第2に、労働市場統制機能型職場占拠の正当性ですが、石井さんの結論は、これはピケの正当性と同じ議論になるというのです。ピケと職場占拠とは、ストに付随したり、あるいは補助的な機能を果たすものであるけれども、労務の不提供そのものとは区別され、正当性評価が独立して行われるべき争議行為であると言います。阻害できる操業の範囲は、争議組合員の労働力と結合して維持・運営されていたものに限定され、また、職場占拠の排他性は、ピケによる就労の阻止・妨害の対象労働者いかんに応じて判断基準を考えるべきである。具体的には、争議脱落者に対しては実力で阻止してよい。それから、もともとの非組合員で争議不参加者に対しては平和的説得に限られる。しかし、それでも一時的阻止は可能であって、通常業務への就労が妨げられても、直ちにピケは不当であるとはならないと主張します。

3番目の雇用・賃金確保機能型職場占拠の正当性は、倒産時を想定して論じています。石井さんによりますと、倒産時の職場占拠は争議行為である。それは、会社整理、生産業務を阻害するとともに、支払賃金や退職金の確保を目的とする行為であるから争議行為であるということになります。この労働者の構内滞留は、使用者・管財人との団体交渉の開始や展開のための圧力行動として、また、賃金債権とのかかわりで、それを実現するための留置権、同時履行の抗弁権に類似する構造を持つ。これはほかに現行法上、有力・十分な救済手段がないことに起因する「自力救済」行為である。そして、その正当性は手段の相当性で判断すると言います。

対使用者との関係では、会社の倒産に反対して、会社施設構内にとどまること自体は争議行為として適法であると言いますし、対管財人との関係でも、団交義務を肯定した上で、当然に職場占拠は不当とは言えないと述べています。

別除権者や一般債権者との関係でも、これらの者も争議行為の対象相手となりうる当事者性があると言い、職場占拠は、交渉取引を通じて、紛争をみずからに有利に展開させ、解決の実現を図ろうとするためのものであるから、それ自体、正当な争議権の範囲内にあると述べています。

この論文は、従来、職場占拠の類型の中で一まとめにしてきたものを、三つに分類して、それぞれについて正当性の判断枠組みを立てようとしている点で、これまでとは異なる着眼点を持っていると言えます。また、職場占拠だけに検討範囲をとどめず、争議行為や組合活動全般にまで目を配って職場占拠の正当性を議論しようとしているところも、論文として非常に広がりのあるものになっていると思います。

独自の解釈論が打ち出されていますが、それが成功しているかという点では、なお検討の余地があるように思います。

第1に、本論文は、争議行為と組合活動の概念を、行為類型で区別をしていませんから、団結維持機能型の場合に、なぜ職場占拠を、争議行為とわざわざ切り離して、組合活動として把握するのかが、どうもうまく理解できません。たとえば、団結維持機能型に含まれる示威行動を、石井説は、スト中の組合活動と位置づけます。しかし、もし同じ示威行動をスト中ではなくて就労時間中に行うと、それは平常時の組合活動となるでしょう。もしこの平常時に行った示威行動によって業務阻害が生ずるとどうなるのか。石井説だとこれは違法な組合活動になるのか、それとも、これは業務阻害が生じるから争議行為だと言うのか。後者だとすると、わざわざ示威行動をスト中の組合活動と性格づける必要もない。したがって、争議行為と組合活動を区別する必要もないと思います。

それから、スト中の闘争本部の設置を組合活動だと言うのも、理解に苦しみました。まさにこれは争議行為の中核であって、これが争議行為に入らないと言うのはどういうことなのかよくわかりません。

2番目の労働市場統制機能型も、結論としては、ピケの正当性判断の基準と一致すると石井論文は言いますが、しかし、これも、労働市場統制機能型という分類をしたことからくる、論理必然的な結果ではないかという気がします。

3番目の雇用・賃金確保機能型については、債権確保のために必要があるというだけで、争議労働者を、一般債権者や別除権者と異なる特別扱いをする根拠になるのだろうかという疑問があります。石井説が示す解決は、企業倒産時に、企業資産などをとにかく早く確保したほうが勝ちだという、法的に見たときにきわめて好ましくない結果になると思います。

全体として見ると、職場占拠の類型を3類型提示していますが、正当性が認められるかどうかという法律効果をもたらす要件設定としては、その類型化がまだ不明確ではないかという気がします。より行為類型とか行為者などに則して具体的な要件を設定した上で、それぞれの要件ごとに正当性の中身を考えていく必要があるのでないかという感想を持ちました。

討論

団結維持機能型職場占拠は組合活動か

毛塚

ありがとうございます。大内さんのご感想はいかがですか。

大内

この論文では、団結維持機能型職場占拠をスト中の組合活動と位置づけています。まず問題となりうるのは、これをあえて組合活動と位置づける必要性がどこにあるのかということです。概念定義上、団結維持のためのものであり業務阻害性が類型的にないということで組合活動と位置づけているのかもしれませんが、こう位置づけることによって、職場占拠の正当性の範囲がかえって狭くなるのではないかという気がします。確かにストライキ中の組合活動ということで、労働契約関係は停止しており、その限りでは使用者の指揮命令権は排除できますが、施設管理権の方は排除できないはずです。職場占拠のときには、その企業に労務を提供するためにいるわけではないから、施設管理権がいっそう強く作用してくるはずです。それに対しては、石井さんは「生活の場」論というのを持ち出しています。しかしこれは、少なくとも国鉄札幌駅事件判決(最三小判昭和54年10月30日)のような考え方を前提とすれば、かなり難しい主張であると思えます。もちろん、石井さんもこの点は自覚されているようですし、判例のほうに問題があるとも言えるわけですが、職場占拠の問題が、組合活動の定義や正当性という難問に不必要に引きずり込まれているような印象を受けました。

もう一つは、雇用・賃金確保機能型職場占拠についてですが、ここでは石井さんは自力救済型の争議行為を認めています。破産手続における労働債権の保護が現行法は不十分ということで、自力救済型の争議行為を認めるというのは非常に大胆な見解だと思います。だから、軽々しく論じられないのですが、ただ、細かい点でまず気になるのは、注でも少し書かれていたように、争議行為の対抗行為性を抵当権者、つまり、取引の相手方との関係でも認めるとすると、相手方の企業にも従業員がいるということを考慮しなければならないのではないかという点です。たとえば、債権回収に支障が生じたような場合、相手方の企業の従業員の雇用、賃金、そういうものへの配慮も必要であって、一方の企業の従業員の自力救済を認めるということでは、なかなかバランスのとれた解決はできないのではないか。とくに今日のような経済状況を考えると、そのようなことまでも考慮に入れなければならないのではないかと思えます。

毛塚

なかなか厳しいご意見ですが、確かに団結維持機能型職場占拠をスト中の組合活動に位置づけることに関して言えば、私もあえて組合活動と言わなくても、争議行為を含む団体行動権で理解しておけばいいのではと思います。ただ、非定型的ないし付随的争議行為の法的評価というのがもともと諸般の事情論ですので、職場占拠の場所の性格が違法性の評価に対して影響を与えることはやはりあるわけですから、石井さんが単に使用者の所有権や占有権という権利の侵害という一般的性格において語るのではなく、労働契約関係におけるその機能面に着目して、占拠場所が作業場所か食堂といった生活空間かを問題にして議論していることは納得できるのではないですか。

雇用・賃金確保機能型に関しても、確かに法の整備がない部分を実力でカバーすることを正当化するのはけしからんという議論もわかりますが、もともと職場占拠やピケットの正当性判断が諸般の事情という形で例外的許容の範囲を確定する作業と理解すれば、労働債権の確保が不十分な対応しかなされていない事情が、職場占拠の正当性ないし違法性の評価に跳ね返ってくるというのも、あながち不当な議論とも言えない気もしますが……。

労働債権の確保で正当化できるか

岩村

私は、倒産時の職場占拠におよそ一般的に正当性があるというのは、きわめて問題だと思います。自力救済を完全に肯定するわけですから。これは、とくに倒産状態のときにはきわめて問題が大きい。もちろん、場合によって、何かの条件があれば、倒産時の職場占拠も、ひょっとすると正当性がありうるかもしれない。ですから、全く正当性がないと言うのは極端かなという気はします。しかし、およそ正当であるというのは、明らかに行き過ぎだと思います。

大内

とくに第三者の権利にも影響を及ぼすことがあるということを考慮すると、今、岩村さんがおっしゃったのは当然のことだと思います。何で抵当権者が犠牲にならなければだめなのかという感じがどうしてもします。抵当権者にしてみれば、法律が抵当権者を保護するということについて何の責任もないわけです。

岩村

保護があるからこそお金を貸したわけだからね。それが、企業がつぶれたら途端にパーになるのでは、お金を貸す人がいなくなってしまう。

大内

抵当権者がよほどひどいことをやっているとか、そのようなきわめて限定的な場合にしかこの主張は説得力を持たないのではないかと思います。つまり、倒産企業の従業員だけを見ていたら、このような議論になるのかもしれないけど、関係者を全部見れば別の形の議論も十分ありえるはずです。

毛塚

ただ、労働債権の確保に法的な不備があることをどう評価に入れるかではないですかね。

大内

その不備を誰がカバーするのかです。労働者が負担するのはおかしいとします。では、誰にその負担を転化するのか。抵当権者でいいのかという問題なのです。

毛塚

その辺は難しいですね。この論文は、とくに倒産問題に関してはきわめて今日的課題で意義のあることだと思うんですが、皆さんのご意見ではなかなか賛同しがたい……。

大内

すごみのある見解だとは思います。

岩村

それだけすごみのあることを言うには、いろいろなことにもっと目を配って議論しないと難しいと思います。

毛塚

本論文は、先ほども言いましたが、所有権を当該社会関係において機能的にとらえていくべきで、一般の債権者にとっての所有権と、労働者にとっての所有権では違うものとして理解すべきであるとの主張が基本にあります。この点は、重要な視点だろうと思います。ただ、現実の裁判法理の中で受け入れるためには、せっかくの類型化作業を生かすために、もう少しリファインしてほしいというご指摘のようですので、今後に期待したいと思います。


Ⅵ 社会保障法との接合領域

1.社会保険法における被用者概念

論文紹介

毛塚

それでは、最後に、社会保障法との接点にかかわる論文として、竹中康之「社会保険における被用者概念─健康保険法および厚生年金保険法を中心に」岩村正彦「変貌する引退過程」の、二つの論文を取り上げたいと思います。最初に竹中論文につきまして、岩村さんから紹介をお願いします。

岩村

竹中論文は、適用対象者を異にする社会保険制度の分立と、その結果としての制度内容の格差の存在を指摘した上で、社会保険が対象とする被用者概念を解明し、被用者概念の整理と、そこから浮かび上がる諸問題を検討しようというものです。社会保険法の論文ではありますが、分析の視角として、労働法上の労働者概念との異同も取り上げていますので、この座談会で取り上げることになりました。

この論文が、具体的に取り上げているのは、健康保険法と厚生年金保険法です。

第1に、被用者性の要件としての「事実上の使用関係」を検討し、社会保険の場合は、被用者性の要件は事実上の使用関係の有無によって決定されるとなっているが、その際、雇用契約の存否は事実上の使用関係云々の決定的な基準にはなっていないことを指摘します。ただ、例外として、任意適用事業がある。しかし、これには、産業のソフト化とか第3次産業の実態に照らしてみると問題があると指摘しています。

それから、行政解釈によって適用が除外されているものがいること、具体的にはパートタイマーを挙げています。そして、竹中さんは、雇用形態や就労形態が多様化してきている現代において、労働時間数という量的概念のみに被用者保険の適用基準を依拠させるのは疑問であると指摘します。同じように、不法就労の外国人労働者についても、これを通達で適用除外にしているのも疑問だと述べています。

第2に検討しているのが、事実上の使用関係における労務の性質です。ここで竹中さんは、労働法学上の使用従属概念と、社会保険が取り上げる事実上の使用関係が想定する労務の提供等を比較しています。竹中さんは幾つかの問題を扱っていますが、ここでは、請負と委任の問題だけを取り上げておきます。請負と委任に関しては、国民健康保険、国民年金の対象である独立労働との区別が問題となります。竹中さんは、現在の行政解釈によると、事実上の使用関係の存否を判断基準としているが、これは経済的従属性を軽視しすぎていると批判します。そして、たとえば、請負に関して、注文者に対する専属性とか、注文者からの報酬への生計依存度を考慮すべきではないかという提案をされています。それはなぜかと言うと、竹中さんによれば、経済的従属性が生活保障上の要保護性に最もストレートに反映される要素だからです。したがって、人的従属性が相対的に弱くても、経済的従属性が強く認められれば、独立労働の場合でも被用者性は認めてよいと主張されます。

第3に、事実上の使用関係の消滅についても、竹中さんは、判例や通達が労務提供の停止や賃金支払の停止という結果的な事実を重視していて、規範的な要素をほとんど考慮していないということを指摘します。

そして、報酬支払が停止されるに至った理由や、労務提供の停止、あるいは労務提供が再開されない理由を考慮しないで被保険者資格を消滅させるのは、あまりにも没価値的な処分である。原因が使用者側に帰責しうる場合には、少なくとも保険関係においては雇用関係を存続すると解する余地があるというふうに主張されます。

最後に、まとめとして、被用者保険に見られる被用者概念の独自性─とくにこれは労働法上の労働者概念との比較で見られますけれども─は、生活保障という目的が第一義的に重視され、要保護性の観点が大きく全面に押し出されていることに由来すると述べています。

本論文は、被用者保険の被保険者である被用者の概念を、事実上の使用関係の有無という判断基準の角度から分析をして、問題の整理と、検討すべき論点の提示をしています。とくに被用者概念と労働法上の労働者概念との異同という問題を取り扱っていて、労働法学との関係でも興味深いと思います。

ただ、この中で主張されている解釈論─あるいは解釈論ではなくて立法論なのかもしれませんけれども─が成功しているかになると、やや問題もあるような気がします。さらに、このテーマを扱うのであれば、解釈論にとどまらずに、立法論にまで踏み込んだ検討や、より大きな視野からの検討をしてほしかったと思います。

パートタイマーを例に挙げてみますと、もし竹中さんの言うように行政解釈に問題があるというのであれば、一体どういう解決策が解釈論上、あるいは制度設計上考えられるかを検討する必要があると思います。竹中さんは労働時間の量だけに着目して被保険者資格を考えるのは疑問だと言いますけれども、どういう要素をほかに考慮すべきかについては具体的に検討されておりません。この点が残念だと思います。

おそらく、根本的には、ビスマルクモデルの被用者保険システムをとる限り、披保険者資格の有無は、何らかの形で労働時間の長さや賃金額などによって判断さぜるをえないように思います。それが適当でないとすると、ビスマルクモデルとは違う社会的な保護の制度を考えるのかということまで視野に入れなければいけないでしょう。

独立自営業者についても同じようなことが言えます。経済的従属性は、法的従属性に比べますと非常にあいまいな概念です。したがって、この経済的従属性という観念が被用者保険の被保険者となるかならないかという線引きに使えるのかを、もっと詰めて検討する必要があるでしょう。

ここでも、最終的には、契約労働者と言われるような独立自営業者に近いものまでを含めた労働形態の多様化に対して、今後いかなる社会的な保護の制度を構想するのか、さらにはいかなる労働法の姿を構想していくのかも考えながら、検討する必要があるでしょう。

毛塚

ありがとうございます。大内さんコメントはありますか。

討論

経済的従属性と要保護性
大内

私には十分な評価能力はありませんが、少なくとも論旨が明快なわかりやすい論文であるという印象は受けました。とくに、社会保障法の目的である生活保障、要保護性という観点から被用者概念をとらえていくべきであるという主張は、それはそれで明快であると感じました。

ただ、今、岩村さんからのコメントでもあった、立法論的議論なのかどうかという点ともかかわるのですが、経済的従属性を重視していくべきであるという主張は、「使用される」という文言を用いている現行法の被用者概念規定の解釈としてどこまで可能であるのか、という疑問があります。

「使用される」という文言は、やはり人的従属性を想起させるものですから、文言上は人的従属性が中心になっていかざるをえないのではないでしょうか。むしろ、論文の中で取り上げられている株式会社の代表取締役に被用者性を認める判決のほうに素朴な違和感を覚えます。

竹中さんの主張がもし立法論として、将来の被用者保険制度を考えていく上において、その適用対象の範囲というものを、経済的従属性という観点からとらえていくべきであるというものであれば、それはそれでわからないではありません。ただそうすると、たとえば、人的従属性があっても、経済的従属性があまりない人もいるでしょう。たとえば、会社で普通のサラリーマンとして働いているけれども、自宅での原稿執筆による副収入のほうがはるかに多いような人、こういう人は経済的従属性がないという評価になって、立法論として被保険者から除いていくという主張になるのかどうかが気になります。経済的従属性をどのように理解するのかにもよるのですが、この概念は論文の中では、被用者性を広げる方向にとらえられていると思いますが、論理的にはその逆のこともありうるのではないか、そういう感想を持ちました。

もう一言いいますと、経済的従属性という言葉については、労働法において従属性という概念が出てくるのは労働契約に指揮命令権が内在している以上やむをえないところもあると思うのですが、社会保障法では従属性という概念に一体どこまで縛られる必要があるのか。要保護性というのを徹底するならば、また別の基準、別の概念を持ち出すこともできるのではないか、そういう感想も持ちました。

毛塚

社会保障法の分野は私は全く不案内ですが、労働法も雇用・就労形態の多様化に伴って、どこまでを労働法的な規制の対象に入れるべきかの政策的な判断にかかわって、労働者概念が改めて問題になっているときに、社会保障法の分野でも、同じように、労働者概念や従属性という概念について再検討を行うことが求められているという、現状況をよく理解できたという意味では、大変参考になりました。

ただ、労働法の場合も、現代的な要保護性は否定できないものの、他方、自己決定・自己責任の問題があるわけですが、その辺の線引きの問題は、社会保障法の分野と労働法の分野で、岩村さん、基本的な発想の差があるんですか。共通なものなんですか。

岩村

少なくとも被用者保険については、労働法と共通の根があっただろうと思います。そして、現在でも、かなりの部分については共通の根を持っているだろうと思います。つまり、企業に雇われて働くことによって、一方で労働法上の保護が与えられ、それとあわせて社会保険法上の保護が被用者保険という形で与えられる。それが人的な従属関係にある労働者の法的な地位であると考えられたと思うのです。

ヨーロッパなどはそういう考え方が非常に強いでしょう。ところが、労働形態がいろいろ多様化してくると、一方では、従来の被用者保険というモデルの中に入らない労働者たちが出てくる。ある者は労働者だけれども被用者保険に入らない。あるいは、そもそも労働者かどうかもよくわからないというような人たちが出てくる。

他方では、被用者保険がビスマルクモデルですと、事業主の社会保険料負担を含むために、現在のような国際競争が激しい状況のもとでは、事業主ができるだけ社会保険料負担を減らそうとする。それが、被用者保険の適用を受けない形で人を雇おう、使おうというように作用する。このことが、労働法の領域で言う非典型雇用が生まれてくる原因となるし、独立労働者というものが生まれてくる原因にもなる。したがって、新しいいろいろな働き方の形態の問題は、労働法上の問題として考えなければならないけれども、労働法のことだけを考えていると、ほかのところに副作用が出てくる。とりわけ被用者保険との関係で、別の形で問題があらわれ、それがまた労働法にはね返ってくる。両者はそういう関係にあると思います。ですから、この種の問題を考えるときには、労働法と被用者保険法の両者を視野に含めながら、解釈論なり政策論を考えていく必要があるでしょう。

毛塚

たとえば要保護性ということで言えば、被用者に目を向けるだけでなく、鎌田耕一さんの契約労働に関する論文(「契約労働に関する法的問題」『日本労働法学会誌』92号)がありますけれども、そういう労働者を使うユーザーとしての企業の責任というんですか、そちらのほうにも目を向けて雇用形態の多様化と言われる時代にアプローチする。つまり、労働者性だけに力点を置くのではなく使用者なり企業の責任という視点から問題を考えることも、今後の課題になると思いますが、そういう問題は、同じような形で被用者保険に関しても議論はできますか。

岩村

その場合は、話はもっと広がり、そもそも被用者保険という形でシステムを設計するのがいいのかという議論につながります。同じように、労働法についても、従来のような人的従属性という観念だけで議論するのがいいのかどうか、もう少し広げた枠の中で、契約労働と呼ばれるようなものまでも取り込んだ形で、新しい法システムというのを構想するという話につながると思います。

ヨーロッパなどでは、とくに失業問題を背景としながら、こうした議論が有力な学者によって行われています。我々もそうしたことに目を向けて考えていく必要があるのではないでしょうか。

大内

労働法の問題に引きつけて考えると、先ほど契約労働と言われたのですが、結局、問題となっているのは、契約する上において一方は契約上弱い存在であり、他方は強い存在である、そういう契約当事者間の非対等性からきているわけです。契約労働が民法上は請負であるといっても、やはりこのような意味での非対等性はありえます。しかし、よく考えてみたら、これは労働だけにかかわる問題ではなくて、消費者保護など、最近、民法の領域でも注目されている問題とも結びつくわけです。消費者保護でも、契約における当事者間の非対等性というところに焦点があてられているわけですから。したがって、ほんとうはこのようなものすべてを視野に入れながら、労働者概念や労働契約に対する法的規制という問題を考えていく必要があるのではないかと最近は思っているのです。

岩村

その点は、一番最初の西谷論文で議論したところに話は戻る。労働保護法の領域で、契約内容について規制をする根拠は一体何なのかにかかわります。また規制のあり方として、契約の中身について規制するのか、それとも契約の締結過程を規制するのか、も考えなければならない。こうした点について、最近の消費者保護法の領域での議論を参考にしながら、労働法の領域でも考える必要があると思っています。

大内

そういうふうに広い視野を持った上で、それでは労働契約の特質は何なのか、そしてその特殊性に応じた労働契約の規制はどのようなものと考えていくべきなのか、という形で議論を展開していく可能性もあるのではないかと思います。

毛塚

労働者概念とか被用者概念というのは、政策を考えるときの対象からのアプローチです。保険システムなら保険システムの問題を語るときに、対象の属性の変化が従来のシステムに一定の綻びをもたらしていることは理解できますが、再構築をするときに、要保護性や経済的従属性を超えて、さらにどういうアプローチの方法があるのか、その辺を吟味していただくと、労働法にとっても有益な示唆になると思います。さらに、検討をお願いしたいと思います。

2.引退過程

論文紹介

毛塚

では、引き続きまして、岩村正彦「変貌する引退過程」を検討したいと思います。今度は、大内さんのほうからご報告をお願いします。

大内

この論文は、55歳定年のもとでの終身雇用制と60歳からの公的年金支給という引退過程の制度的枠組みが、社会の高齢化の中で維持が困難となり、年金の支給開始年齢が60歳から65歳へと引き上げられるなかで、そこから生じる年金政策・雇用政策をめぐる問題を包括的に検討・分析しようとしたものです。

年金支給開始年齢の65歳への引き上げにより、60歳代の高齢者の雇用が重要な政策課題となってきていますが、現実には、高齢者の労働市場の雇用状況は厳しいことから、それに対応するために部分年金や高齢者継続雇用給付などのさまざまな施策がとられてきました。こうした現状から、この論文では、60歳までのフルタイムでの職業生活から60歳代前半層の部分就労を経て、65歳での引退というなだらかな引退過程が新たな引退過程の枠組みとなってきたと述べられています。

もっとも、前記の施策の妥当性には疑問もあると述べられています。たとえば部分年金は繰り上げ支給という形になっていないので、年金給付の膨張を抑止するという政策目的と合致していないという問題点がある、また、全体的に見ても制度が複雑であり、かつ同様の目的を持つ制度が併存しているなどの問題点があると指摘されています。

三つの選択肢

ここから、岩村さんは、部分年金や高齢者雇用継続給付は撤廃して、繰り上げ支給への一本化を行うべきであり、60歳代前半は現役で就労するという方向での制度設計を行うべきと主張します。ただ、1994年の高齢者等雇用安定法は60歳定年の義務化や65歳までの継続雇用の努力義務などを定めているものの、現実には60歳代前半層の雇用状況は好転しておらず、これらの層の雇用機会の確保をより強力に進める必要があるとされます。そのための施策として、この論文で検討の対象にあげられているのが、第1に65歳までの継続雇用の義務づけであり、第2に定年制の撤廃であり、第3に65歳定年制の導入です。このうち、第1の施策は契約自由との抵触というような問題点を抱え、第2の施策も、定年制の持つ安定的な雇用システムの形成機能や労働市場の安定化機能を考慮すると今すぐ実現させるのは適切ではないと評価されています。これに対して、第3の施策は定年制を維持して、終身雇用制とも整合的であるというメリットがあると評価されています。ただし、65歳定年制は総賃金コストの膨張やポスト不足をもたらすので、これまでの年功的賃金や年功的昇進・昇格は困難となり、労働者の能力を重視した賃金や昇進などが行われるようになると予想しています。そして、こうした事情は、労働者が同一企業に密着していく利益を薄くするもので、終身雇用制を前提としていたこれまでの労働者の職業生活を変容させるものとなり、それに応じて引退過程も、企業密着型の職業生活を経た後の引退生活とは別の姿のものとなると予想しています。

以上が、この論文の骨子です。次に、この論文に対するコメントですが、まずこの論文は、高齢社会の進展の中で引退過程を基礎づける年金制度と雇用制度の変化を追いながら、雇用政策と年金政策とを統合した一貫した政策のあり方を検討しようとするものです。引退過程をめぐる実態や制度に関する膨大な論点が労働法理論への影響を含めて明確に論じられている、非常にすぐれた論文であると思います。

ただ、労働法の観点からは、次のような疑問を感じました。まず65歳定年制の実現という提言をどのように評価すべきかということです。筆者は、おそらく65歳定年制を法で義務づけて強制することを念頭に置いているのではないかと思います。これは高齢者の所得保障、就労による生計維持という観点からは適切かもしれませんが、副作用はないのかと懸念があるのです。

すなわち少なくとも現在の雇用情勢を見れば、ほぼ全年齢層において、雇用不安、失業問題というものが生じています。定年延長がこのような雇用情勢を悪化させることに寄与しないかという懸念があるわけです。また、定年延長は、60歳定年制の義務づけの際にも起きたように、労働条件の不利益変更をもたらす場合が多いわけです。判例の就業規則変更法理では、定年延長の社会的要請などを変更の必要性を根拠づける要素の一つとしてとらえているので、定年延長の法的強制の場合には、不利益変更は広く認められる可能性があります。この点をやむをえないと考えるべきなのかどうかは検討されるべき問題だと思います。

法による定年の義務づけを行うとしても、その年齢は最低限必要な年齢にとどめるべきだと思います。65歳という年齢は、法が強制する最低限の年齢としては高すぎはしないかという気がするのです。年金の支給開始年齢と接合させる必要性は理解できないわけではありませんが、60歳代前半の労働者の所得保障を社会保障によるのではなく、企業に雇用の負担を負わせることによって図るということが適切なのかという疑問があるわけです。60歳定年制は当初の努力義務規定などを通して政策的に誘導されてきていますので、60歳定年制の義務づけも比較的スムーズに進んできたという事情がありますが、65歳定年制についても、同じように政策的誘導が機能すると期待してよいのかということも懸念材料としてあります。

したがって、60歳を超える年齢への定年延長というのは、法による強制よりは、あくまでも労使の自主的な交渉を通して実現されていくべきであって、その中で定年延長に伴う労働条件の不利益変更なども協議され、解決されていくというのが望ましいあり方ではないかという気がするわけです。

定年延長については以上ですが、次は余計なことかもしれませんが、高齢者の所得保障という観点から考えますと、企業年金がこれからは重要になってくると思われます。企業年金が公的年金の補完機能としても期待されているということや、最近話題の確定拠出型年金、日本版401(k)プランが仮に導入されるとすると、労働者の就業行動、ひいては引退過程にも大きな影響を与えることになると予想されます。その意味で、企業年金、退職金のあり方が労働者の引退過程の制度的枠組みの中でどのように位置づけられているのかももう少し言及してほしかったという気がします。

また、税制についても、引退過程の制度設計において重要な役割を果たすと思われますので、この点についても、どのように取り扱われるべきなのかということを知りたいと思いました。

討論

65歳定年制の是非
毛塚

今、大内さんから3点ほど疑念が呈されましたので、岩村さん、簡単にご反論下さい。

岩村

第1に、65歳定年制を実現するといろいろ不都合が出てくるのではないか、とくに現在の雇用情勢との関係はどうなるだろうかという点ですが、これはおっしゃるとおりです。

私は、若年層、特に20代の失業の問題が悪化して、しかもそれが構造的に定着した場合には、60歳代前半の雇用の促進という政策はどこかへ吹っ飛んでしまうだろうと思っています。むしろ早期引退という形で、ヨーロッパと同じような方向に政策が動く可能性は高いと思います。したがって、今後、60歳代前半層の雇用の問題を考える上では、20歳代の若年層の失業の問題がどうなるかが非常に密接に関係してくるでしょう。

それから、定年年齢を65歳に延長していくと、労働条件の不利益変更が出てくるというのも、そのとおりだろうと思います。私は、これはやむをえないと考えています。

定年65歳というのは高すぎないかという点ですが、確かにそういう意見もあろうかと思います。しかし、─今後の雇用情勢がどうなるかという留保つきですけれども─年金の支給開始年齢が65歳になると、60歳から65歳の間を誰かが支えなければならない。その場合、公的年金に頼らないとすれば、どういう形で労働者の生活を支えていくのか。やはり労働者にも働いてもらって、社会の経済活動に対して貢献をしてもらい、そして賃金で生活をしてもらうと考えるほうが、年金以外の所得移転のシステムによって60歳代より前の人たちから所得を移転するよりは、適切ではないかと考えています。

65歳定年制を、直ちに実現せよというのは当然無理です。60歳定年制を実現する過程において行われたのと同じように、徐々に政策的な誘導を行った上で、最終的に65歳定年制に至ることを考えるべきだろうというのがこの論文の主旨です。

したがって、法による強制よりも、まず労使間の自主的な交渉を通して65歳定年制に向けて取り組むべきでしょう。労使で自主的に取り組んで、なるべく65歳定年制の土壌づくりを進めてほしい。そのために国がどういう形でそれをバックアップするかを、政策的に考えていくほうがよいと思います。

大内

政策的誘導はうまくいくでしょうか。

岩村

その点は、私自身も、大変難しいなとは思います。

毛塚

定年延長については、労働者もすべて賛成するとは限らない。というのは、生産労働者にとってはきついということと、日本の定年制というのは退職金制度とリンクしていますので、65歳に延長されてしまうと定年前退職か自己都合退職となって退職金が不利になりかねない。

と同時に、それを議論する前に、そもそも定年とは何かをもう少し考えたほうがいいと思います。今の定年というのは、退職金制度がやはり大前提になっていると思うので、退職金制度が今後変化すれば定年の考えも変わってくる。ポストに関してはすでに役職定年制で問題はクリアしている。退職金についても何か別な制度をつくればクリアできるわけです。

そうすると、65歳までの切れ目のない継続雇用を求めていくことにそれほど抵抗がなくなるかもしれない。現在の60歳定年制度のもとでイメージされている退職金制度を前提にした定年延長では労使ともに抵抗がある。ですから、定年制を分解して考えたほうがいいのではないかなという気はしています。

岩村

それは毛塚さんのご指摘のとおりだと思います。

私は、定年制を65歳まで延長することとなった場合には、現在の定年制が前提としているさまざまな条件を変えざるをえないし、変わらないと困ると思っています。とくに、退職金については、ある一定年齢以上、たとえば60歳以上であれば、自己都合退職も定年扱いにするというようにしないと、労働者にとって酷な場合が出てきてしまいます。

逆に言うと、65歳定年制を実現していくとなると、日本の終身雇用システムが今まで前提としてきたいろいろなものが変わっていかざるをえない。そして、私は、どちらかというと変わったほうがいいと考えています。論文の中では、それを全部は書いてないのですけれども、頭の中には、いわば暗黙の考慮がありました。

大内さんのお尋ねだった企業年金の件は、ご指摘のとおりです。企業年金のあり方や税制のあり方が、定年制の変動以前に、日本の雇用システム自体、とりわけ終身雇用システムをかなり変える可能性はあると思います。とくに、企業の会計基準が2000年から変わります。そうすると、退職一時金の扱いがものすごく難しくなり、大企業でも退職金の扱いを今後大きく変更する可能性があります。それは終身雇用慣行に対して非常に大きなインパクトを場合によっては与える可能性があります。

高齢者の処遇
大内

長期的には定年制はなくなっていくべきだというお考えですか。

岩村

私は、もし65歳定年制になれば─退職金の問題は残りますが、それ以外の問題との関係では─定年制がなくなるというのとほぼ同義だろうと考えています。

大内

能力型の処遇が進んでいくと、能力のある高齢者にはどんどん働いてもらい、働けなくなったときに解雇で雇用を終了させる、ということでしょうか。

毛塚

いや、能力・実績主義であれば、処遇で差をつけることができるので解雇する必要は少ない。今のような日本型雇用システムでいうと、企業とすれば一たん雇用関係を切断しないと対応しきれないけれど、岩村さんがおっしゃったように、ある程度なだらかなものになれば、わざわざ切断して別の雇用形態にする必要は少なくなる。

岩村

今の職能給から、むしろ職務給のほうへ傾斜していくということになるのかなと思います。しかし、それは、ほかのいろいろな社会システムに大きな影響を及ぼします。たとえば、ボーナスの扱いは、住宅ローンの問題などに大きな影響を及ぼすので、一遍には動かないし、動かせないと思います。それでも、徐々に変化していかざるをえないと思います。

毛塚

議論すべきところはまだ多々あると思いますが、時間も大分たちましたので、この辺で打ち切りたいと思います。

山積する政策的課題
毛塚

最後の岩村さんの論文がそうであるように、労働法学にとってみますと、政策的な課題というのは山積しているわけです。今回取り上げなかった政策的な課題としては、個別紛争処理システムの問題があります。これにつきましては、私以外にも、山川隆一さん(「労働紛争の変化と紛争処理システムの課題」岩波講座『現代の法』12所収)や村中孝史さん(「個別的労使紛争処理システムの検討」(『日本労働研究雑誌』436号)が発言をしています。また、労働省や連合、日経連の研究会報告書等、多面的な議論が現在出ています。これをめぐっては、さらに今後の学界における議論を期待したいと思っています。

また、従業員代表制につきましても、野川忍さんの論文(「変貌する労働者代表」前掲『現代の法』所収)がありました。今回の労働基準法の改正に伴い、労使関係委員会というものが正式に発足しましたので、今後、その法的権限や法的性格をめぐる議論、あるいは労使関係における具体的な機能をめぐる議論が盛んになるでしょうし、さらには、それをふまえて日本の従業員代表制をどう設計するのかも、労働法学にとって大変重要な課題になるかと思います。

これらの問題は、次回の学界展望で議論していただきたいと思います。そのためにも学界での活発な議論をお願いしたいと思います。


おわりに

毛塚

最後に、今回の学界展望を振り返りまして、感想を簡単に述べていただければと思います。

岩村

今回は、雇用システムの変化に伴う、賃金をめぐる能力主義賃金の問題や、労働条件の変更をめぐる変更解約告知の問題などの点で、新しい理論的な進展が見られたと思います。また、先ほど毛塚さんもおっしゃったように、政策的な課題というのがいろいろ出てきて、論文としてもそういうものを扱ったものがあらわれています。今後、労働法の学界でも、こうした法政策的な領域について、なお取り組んでいく必要があるように思います。

そういった点で、3年後にこの学界展望をやったときに、どういう新しい労働法の業績が出てくるかを非常に楽しみにしています。

大内

この学界展望をやるということでいろいろな論文を読んだわけですが、そこで感じたのは、学界で目立った業績をあげている人は非常に限られているのではないかということです。以前から漠然とそのような印象は持っていたのですが、そのことが確認されたような気がしました。

また、論文のテーマの選択についても気になる点がありました。現在、労働法の分野の法律には大きな動きがある時期で、そういう新しいところに論文のテーマが集中していくのはある程度はやむをえないのかもしれませんが、それを考慮しても、ややテーマに偏りがあるのではないかという印象を受けました。他の人と同じようなテーマを同じような問題意識から論じて同じような結論を提示するというのでは、論文としての積極的な評価は難しいと思います。西谷さんや毛塚さん、土田さんなどの論文は、筆者名を伏せていても誰が書いたかわかるだけの個性があると思います。これは単に私個人の好みの問題なのかもしれませんが、私自身もそのような個性的な論文を書いてみたいし、またそのような論文に数多く出会いたいと思っています。

毛塚

今回は、できるだけチャレンジングな論文を選ぶということでのぞみましたが、結果的に言えば、自戒も含め、チャレンジングではあったが安定感がない論文、安定感はあるがチャレンジングではない論文も選んだ気もします。適正に評価するというのはいかに難しいかと、そういう感じを改めていたしました。ともあれ、大内さんのような若い世代の咆哮を感じることができたことは、うれしいことだと思います。願わくば、目まぐるしい時代にあって時代に対応するのではなく、時代と切り結ぶ若い研究者のチャレンジングな論文、そして時代の先を見裾えた目線の高い論文を期待したいと思っています。

きょうは、長い時間、ありがとうございました。


労働法主要文献目録(1996~98年)

Ⅰ 単行本

  1. 吾郷眞一『国際労働基準─ILOと日本・アジア』三省堂
  2. 浅倉むつ子、今野久子『女性労働判例ガイド』有斐閣
  3. 安西愈『労働者派遣法の法律実務〈第2版増補版〉』総合労働研究所
  4. 石松亮二『ドイツ労働法の基本問題─組織強制の法理』成文堂
  5. 伊藤博義『雇用形態の多様化と労働法』信山社
  6. 大脇雅子、中島通子、中野麻美『21世紀の男女平等法』有斐閣
  7. 片岡曻(のぼる)『自立と連帯の労働法入門─働く人々の権利入門』法律文化社
  8. 片岡曻(のぼる)『労働法(2)〈第3版2訂〉』有斐閣
  9. 金子征史、毛塚勝利、清水敏、中山和久、林和彦、山本吉人『入門労働法』有斐閣
  10. 金子征史編著『労働条件をめぐる現代的課題』法政大学現代法研究所
  11. 菊池高志、清正寛編『労働法』有斐閣
  12. 木下秀雄『ビスマルク労働者保険法成立史』有斐閣
  13. 木下正義『整理解雇の展開と法理〈改訂新版〉』成文堂
  14. 木村五郎『労働契約解消法の諸相』成文堂
  15. 倉田聡『医療保険の基本構造』北海道大学図書刊行会
  16. 小西國友『労働法の基本問題─論理とその展開』法研出版
  17. 小宮文人『イギリス労働法入門─労使関係の法・歴史・実態』信山社出版
  18. 堺鉱二郎『労働法(個別的労働関係法)』創成社
  19. 佐藤進『国際化と国際労働・福祉の課題─法政策的側面から』勁草書房
  20. 下井隆史『労働法』有斐閣
  21. 菅野和夫『雇用社会の法』有斐閣
  22. 孫昌熹『韓国の労使関係─労働運動と労働法の新展開』日本労働研究機構
  23. 高島良一『労働法律関係の当事者』信山社
  24. 千々岩力『アメリカ不当労働行為審査制度の研究─NLRBの審査制度の実態と課題』日本評論社
  25. 手塚和彰『外国人と法』有斐閣
  26. 中窪裕也、野田進、和田肇『労働法の正解〈第2版〉』有斐閣
  27. 長瀬満男『オーストラリア労働法の基軸と展開』信山社
  28. 中山和久編『教材 国際労働法』三省堂
  29. 西谷敏、萬井隆令編『労働法(2)─個別的労働関係法〈第2版〉』法律文化社
  30. 西村健一郎、安枝英訷(ひでのぶ)『労働基準法─労働法(2)』青林書院
  31. 西村健一郎、安枝英訷(ひでのぶ)『労働法(第5版)』有斐閣
  32. 野田進『労働契約の変更と解雇─フランスと日本』信山社
  33. 萩澤清彦『労働基準法(上)』青林書院
  34. 橋詰洋三『最新労働法─労基法、均等法、育児・介護休業法、雇用安定法、派遣法、パートタイム労働法等』総合労働研究所
  35. 花見忠編『アメリカ日系企業と雇用平等』日本労働研究機構
  36. 花見忠編『貿易と国際労働基準─国際労働法フォーラム報告』日本労働研究機構
  37. マック・A・プレイヤー著/井口博訳『アメリカ雇用差別禁止法』木鐸社
  38. 外尾健一『団結権保障の法理I』信山社
  39. 外尾健一『労働法入門〈第4版〉』有斐閣
  40. 保原喜志夫編『産業医制度の研究』北海道大学図書刊行会
  41. 堀勝洋『年金制度の再構築』東洋経済新報社
  42. 本間照光『団体定期保険と企業社会』日本経済評論社
  43. 本多淳亮『企業社会と労働者』大阪経済法科大学出版部
  44. 増田雅一『労働行政法』ぎょうせい
  45. 水町勇一郎『パートタイム労働の法律政策』有斐閣
  46. 光岡正博『集団的労働関係法論』法律文化社
  47. 光岡正博『労働・法・国家─現代労働法論序説─〈新訂〉』法律文化社
  48. 籾井常喜編『戦後労働法学説史』労働旬報社
  49. 山川隆一『雇用関係法』新世社
  50. 山崎文夫『フランス労働法論』総合労働研究所
  51. 吉川照芳『労働者派遣法入門〈第三版〉』経営書院
  52. 米津孝司『国際労働契約法の研究』尚学社
  53. 萬井隆令『労働契約締結の法理』有斐閣
  54. 連合総研編『参加・発言型産業社会の実現に向けて─わが国の労使関係制度と労働法制の課題』連合総合生活開発研究所
  55. 和田肇『ドイツの労働時間と法:労働法の規制と弾力化』日本評論社
  56. 渡辺章編集代表『日本立法資料全集(51)~(54)─労働基準法(昭和22年)1、2、3(上)(下)』信山社

Ⅱ 論文

*日本労働研究雑誌に掲載された論文は、当機構「論文データベース」で全文をご覧になれます。

1 労働法一般

  1. 荒木尚志「持株会社をめぐる労働法上の諸問題」旬刊商事法務1431号
  2. 安西愈「企業グループと人材異動」ジュリスト1104号
  3. 内田貴「規制緩和と契約法(1)」NBL632号
  4. 遠藤隆久「人間尊厳理念の再検討」熊本学園商学論集2巻4号
  5. 大久保史郎「職業生活と人権」ジュリスト1089号
  6. 大塚崇史「労働者の個人情報保護をめぐる状況について」ジュリスト1117号
  7. 大山宏「労働者協同組合と労働保護法」岩手県立盛岡短期大学法経論叢16号
  8. 久保敬治「フーゴ・ジンツハイマーと日本の労働法学」季刊労働法178号
  9. 毛塚勝利「労働基準の規制緩和をめぐる議論と課題」ジュリスト1082号
  10. 島田信義「『労働契約論』雑考」労働法律旬報1414号
  11. 下井隆史「変革の時代における労働法の諸問題─均等待遇原則と労働時間法制改革を中心に」月刊法学教室200号
  12. 菅野和夫「職業生活と法─現代的様相と課題」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  13. 諏訪康雄「テレワークの実現と労働法の課題」ジュリスト1117号
  14. 蓼沼謙一「戦後労働法学説の原型形成期」労働法律旬報1399=1400号
  15. 田端博邦「『日本的企業社会』と社会法」法の科学24号
  16. 田村剛「わが国における『工場法』施行と友愛会」明治学院論叢(法学研究)60号
  17. 土田道夫「純粋持株会社と労働法上の諸問題」日本労働研究雑誌451号
  18. 道幸哲也「職場における人権保障法理の新たな展開」日本労働研究雑誌441号
  19. 西谷敏「労働法規制緩和の総論的検討」季刊労働法183号
  20. 西谷敏「労働者保護法における自己決定とその限界」『現代社会と自己決定権─日独シンポジューム』(信山社)所収
  21. 西谷敏「転換期の労働法理論─労働法の弾力化論を中心として」法の科学26号
  22. 野村昇「憲法二十七条(一項)の労働権の解釈論的把握と課題(上)(下)」日本福祉大学研究紀要95号、96号
  23. 深谷信夫「沼田稲次郎先生の労働法学─『労働法入門』における理論転換をめぐって(上)(中)(下)」法律時報69巻8号~10号
  24. 本多淳亮「変化する労使関係と規制緩和」大阪経済法科大学法学論集35号
  25. 馬渡淳一郎「親子会社・持株会社と労働法」ジュリスト1104号
  26. 宮島尚史「労働刑法における罪質と罪刑法定主義─試論として」法学新報(中央大学)103巻4=5号
  27. 村中孝史「個別的人事処遇の法的問題点」日本労働研究雑誌460号
  28. 籾井常喜「『戦後労働法学』とその見直しの視点(1)(2)」労働法律旬報1423=1424号、1428号
  29. 盛誠吾「純粋持株会社解禁と労働法上の問題点」労働法律旬報1411号
  30. 両角道代「職業生活と家庭生活の両立と法」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  31. 両角道代「職業生活と家庭生活の調和─労働法の視点から」日本労働研究雑誌459号
  32. 矢崎英敏「労働分野における規制緩和の現状と労働法制の課題」労働法律旬報1383号
  33. 山本吉人「労働法学の課題─労働者・労働組合・労使関係についての覚書(1)~(4)」法学志林(法政大学)92巻2号、同3号、93巻1号、同4号
  34. 山本吉人「日本的雇用慣行の変化と法的側面─長期間雇用制について」法律のひろば49巻7号
  35. 和田肇「企業の組織変動と労働関係」ジュリスト1104号
  36. 渡寛基「職場における労働者の人格権保障」法経研究(静岡大学)44巻4号

2 労働市場法

  1. 有田謙司「職業安定法における民営職業紹介事業の法規制のあり方」労働法律旬報1394号
  2. 岩村正彦「変貌する引退過程」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  3. 小嶌典明「労働市場をめぐる法政策の現状と課題─職業紹介システムの法と政策」日本労働法学会誌87号
  4. 島田陽一「職業紹介事業の自由化をめぐる課題」法律のひろば50巻8号
  5. 田中きよむ「障害者の所得・就労保障をめぐる制度改革とその影響(上)(中)(下)」高知論叢(社会科学)51号、53号、54号
  6. 土田道夫「変容する労働市場と法」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  7. 手塚和彰「介護労働力をめぐる労働市場と法的問題」季刊労働法181号
  8. 寺井基博「『選択』の時代を迎えた労働市場と法」日本労働研究雑誌457号
  9. 寺井基博「わが国における労働市場の現状─聞き取り調査の結果を中心に─」日本労働法学会誌87号
  10. 中嶋士元也「有料職業紹介事業・労働者派遣事業の規制緩和」ジュリスト1082号
  11. 西村健一郎「65歳現役社会と定年制の課題」日本労働研究雑誌456号
  12. 平川亮一「65歳定年制の実状を見る─労働法ゼミでの調査から」名城法学47巻3号
  13. 馬渡淳一郎「職業安定法の再設計」日本労働研究雑誌437号
  14. 馬渡淳一郎「職業紹介事業・労働者派遣事業の規制緩和」日本労働研究雑誌446号
  15. 馬渡淳一郎「年金制度改革と高齢者雇用」法律のひろば51巻4号
  16. 水谷英夫「労働者派遣事業のあり方をめぐる課題」法律のひろば50巻8号
  17. 脇田滋「労働者派遣事業と有料職業紹介事業の自由化論批判─1997年ILO『民間職業紹介所条約』を手がかりに」季刊労働法183号

3 個別的労働関係法

(1)労働契約、労働条件の形成と変更
  1. 大内伸哉「労働条件形成・変更の段階的正当性─労働条件変更法理の再構成(1)~(4完)」法学協会雑誌(束京大学)113巻1~4号
  2. 小畑史子「労働者の退職後の競業避止義務」日本労働研究雑誌441号
  3. 唐津博「長期雇用慣行の変容と労働契約法理の可能性─解雇・整理解雇の法理と労働条件変更の法理」日本労働法学会誌87号
  4. 倉田原志「労働者の競業避止義務と差止請求」公民論集(大阪教育大学)5号
  5. 毛塚勝利「労働条約変更法理としての『変更解約告知』をどう構成するのか─スカンジナビア航空事件を契機に」労働判例680号
  6. 菅野和夫「就業規則変更と労使交渉─判例法理の発展のために」労働判例718号
  7. 田村善之「労働者の転職・引抜きと企業の利益(上)(下)」ジュリスト1102号、1103号
  8. 土田道夫「変更解約告知と労働者の自己決定─スカンジナビア航空事件を契機として(上)(下)」法律時報68巻2号、3号
  9. 土田道夫「労働契約法制の課題」獨協法学44号
  10. 永野秀雄「職務著作(法人著作)と使用従属関係論」日本労働法学会誌90号
  11. 藤原稔弘「使用者の業務命令と労働者の人格権─外見・服装の自由に対する規制を中心として」労働法律旬報1421号
  12. 矢邉學「労働契約論の今日的課題」国士舘法学28号
  13. 山田省三「労働条件の不利益変更と労働者保護」法律のひろば49巻7号
  14. 山本吉人、山本圭子「労働条件変更の決定過程と法的評価(1)(2)」法学志林(法政大学)94巻3号、96巻1号
(2)雇用平等・女性労働
  1. 浅倉むつ子「セカンド・ステージを迎える男女雇用平等法制」ジュリスト1116号
  2. 浅倉むつ子「労働の価値評価とジェンダー支配の法構造」『岩波講座 現代の法11 ジェンダーと法』(岩波書店)所収
  3. 石松亮二「男女雇用機会均等法とコース別雇用管理制度」久留米大学法学28=29号
  4. 大脇雅子「均等法等改正と基準法改正法案をめぐる法的問題」季刊労働法186号
  5. 奥山明良「企業と性支配」『岩波講座 現代の法11 ジェンダーと法』(岩波書店)所収
  6. 奥山明良「均等法10年の現状と課題─均等法の実効性をめぐる問題点と検討課題」日本労働研究雑誌433号
  7. 奥山明良「女性保護規定の廃止に伴う法律問題─時間外・休日労働、深夜業を中心に」日本労働法学会誌92号
  8. 木下潮音「今回の均等法・労基法改正について─企業弁護士の立場から」ジュリスト1116号
  9. 今野久子「均等法10年と裁判の動向」労働法律旬報1376号
  10. 今野久子「女性保護規定の廃止による労働者への影響と課題」日本労働法学会誌92号
  11. 笹沼朋子「男女雇用機会均等法見直しの動向─各団体の意見を検討して」労働法律旬報1396号
  12. 笹沼朋子「男女雇用機会均等法見直しの問題」日本労働法学会誌89号
  13. 中島通子「改正均等法・労基法をどう生かすか─働く女性の立場から」ジュリスト1116号
  14. 名古道功「セク・ハラの法理論─珠洲セク・ハラ事件を題材にして」金沢法学39巻2号
  15. 成川美恵子「男女差別と不当労働行為─芝信金事件に関連して」季刊労働法182号
  16. 浜田冨士郎「改正男女雇用機会均等法の課題」日本労働研究雑誌451号
  17. 林弘子「改正男女雇用機会均等法の検討と今後の課題」労働法律旬報1420号
  18. 林弘子「男女雇用機会均等法10年と今後の課題」ジュリスト1079号
  19. 廣石忠司「企業における女性雇用管理の実態─男女雇用機会均等法10年を経過して」ジュリスト1079号
  20. 藤本茂「男女賃金差別の禁止─三陽物産(男女差別賃金)事件を契機として」法学論集(駒澤大学)51号
  21. 本多淳亮「女性の雇用差別とパートタイム労働をめぐる動向と問題点」大阪経法大学研究所紀要21号
  22. 本多淳亮「女性労働の動向と同一価値労働同一賃金論」大阪経済法科大学法学論集38号
  23. 南野佳代「近代家族と女性労働者─保護と身体化(1)(2完)」法学論叢(京都大学)139巻6号、142巻1号
  24. 安枝英訷(ひでのぶ)「雇用機会均等法・労働基準法の改正と概要」ジュリスト1116号
  25. 山川隆一「わが国におけるセクシュアル・ハラスメントの私法的救済」ジュリスト1097号
  26. 山田省三「改正均等法の禁止規定化と救済手段」季刊労働法186号
  27. 山田省三「雇用機会均等法から性差別禁止法へ」季刊労働法178号
  28. 山田省三「女性保護規定撤廃をめぐる問題」法律のひろば50巻8号
  29. 山田省三「女性保護規定の廃止と男女平等」白門(中央大学)49巻5号
  30. 山本吉人「女性労働保護規定緩和の動向とその検討─『婦人少年問題審議会婦人部会における審議状況』を読む」労働法律旬報1393号
  31. 和田肇「労働時間に関する女子保護規定」(特集 規制緩和と労働法)季刊労働法183号
(3)非典型雇用
  1. 石原(姉崎)和子「短期有期労働契約再論」愛知大学大学院愛知論叢60号
  2. 大場敏彦「介護労働者の労働者性と労働条件決定」金子征史編『労働条件をめぐる現代的課題』(法政大学出版局)所収
  3. 大場敏彦「介護サービスと労働法上の問題点─家政婦・登録ヘルパーを中心に」労働法律旬報1379号
  4. 小西國友「雇用の期間設定に関するわが国の特質─労働契約と労働関係を区別する前提に立って」季刊労働法179号
  5. 島田陽一「非正規雇用の法政策」日本労働研究雑誌462号
  6. 島田陽一「労働契約期間の上限規制の緩和」(特集 規制緩和と労働法)季刊労働法183号
  7. 竹中康之「社会保険における被用者概念─健康保険法および厚生年金保険法を中心に」修道法学(広島修道大学)19巻2号
  8. 田村譲「有期労働契約に関する一考察」松山大学論集7巻1号
  9. 本多淳亮「パートタイム労働の理論的検討」労働法律旬報1405号
  10. 馬渡淳一郎「労働契約の期間制限の見直しをめぐる諸問題」(特集 雇用・労働の規制緩和をめぐる動向)法律のひろば50巻8号
  11. 水町勇一郎「パートタイム労働者と法」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  12. 山田省三「パートタイマーに対する均等待遇原則─法律学の視点から」日本労働法学会誌90号
(4)外国人労働者
  1. 高野敏春「外国人労働者の人権と法的性格」政経論叢(国士舘大学)91号
  2. 田中清定「外国人の公務就任について」関東学園大学法学紀要7巻2号
  3. 橋詰洋三「人材確保と外国人労働者問題─外国人研修生制度・技能実習制度の検討も含めて」中京法学30巻4号
  4. 保原喜志夫「外国人の人権─社会法の観点から」北大法学論集46巻6号
  5. 村下博「外国人労働者保護と雇用関係事犯」法学研究所紀要(大阪経済法科大学)22号
  6. 村下博「外国人労働者問題をめぐる若干の論点」大阪経済法科大学法学論集39号
  7. 村下博「日本における外国人労働者問題─風俗産業に従事する労働者を中心として」法学研究所紀要(大阪経済法科大学)24号
  8. 村下博「日本の外国人労働者問題─入国・在留・就労実態」大阪経済法科大学法学論集40号
(5)賃金・処遇制度、福利厚生など
  1. 阿部哲二「団体定期保険の法律問題」季刊労働法183号
  2. 池田辰夫「企業倒産における労働者の地位と労働債権」ジュリスト1111号
  3. 石井保雄「最近の賃金処遇の動向と人事考課をめぐる法的問題」日本労働法学会誌89号
  4. 今井薫「わが国における企業団体生命保険に関する一考察」産大法学30巻3=4号
  5. 唐津博「使用者の成果評価権をめぐる法的問題」季刊労働法185号
  6. 神田秀樹「厚生年金基金の受託者責任ガイドライン」ジュリスト1128号
  7. 國武輝久「企業年金と受給権保護」季刊社会保障研究33巻2号
  8. 毛塚勝利「賃金処遇制度の変化と労働法学の課題─能力・成果主義賃金制度をめぐる法的問題を中心に」日本労働法学会誌89号
  9. 小嶌典明「裁量労働と成果主義」季刊労働法185号
  10. 小島晴洋「企業年金制度の法整備」藤田至孝、塩野谷裕一『企業内福祉と社会保障』(東京大学出版会)所収
  11. 小島晴洋「企業年金の法理論─厚生年金基金の社会保障性について」季刊社会保障研究32巻2号
  12. 小西國友「特殊な賃金債権とその発生要件─高知県観光事件を契機にして(上)(下)」判例時報1591号、1594号
  13. 坂本宏志「賃金控除の理論的基礎」日本労働法学会誌90号
  14. 佐藤英明「企業年金と課税─適格退職年金制度の検討を中心として」ジュリスト1128号
  15. 土田道夫「能力主義賃金と労働契約」季刊労働法1815号
  16. 坪野剛司「企業年金の受給権保護について─年金財政の観点から」ジュリスト1128号
  17. 中村和夫「退職金をめぐる法的問題(1)」法政研究(静岡大学)1巻2=3=4号
  18. 野田進「能力・成果主義賃金と労働者の救済」季刊労働法185号
  19. 畑聡「企業年金制度の現況と今後の動向」法律のひろば51巻4号
  20. 廣石忠司「日本企業における賃金・処遇制度の課題」季刊労働法185号
  21. 廣石忠司「日本企業における賃金・処遇制度の現状」日本労働法学会誌89号
  22. 廣石忠司「日本企業における賃金処遇制度の動向」労働法律旬報1391号
  23. 堀勝洋「年金における公私の境界」季刊社会保障研究33巻2号
  24. 盛誠吾「賃金処遇制度の動向と賃金法理の課題」労働法律旬報1391号
  25. 盛誠吾「年俸制・裁量労働制の法的問題」日本労働法学会誌89号
  26. 森戸英幸「退職給付の受給権保護─企業年金・退職金のポータビリティと不利益変更」ジュリスト1128号
  27. 山崎文夫「退職金・諸手当・福利厚生制度の変化と法的問題─能力・成果主義的処遇と退職金・諸手当・福利厚生制度」日本労働法学会誌89号
  28. 山本吉人「年俸制導入をめぐる法的課題」法律のひろば49巻7号
  29. 吉田研一「ストック・オプションと労働基準法の賃金」旬刊商事法務1480号
  30. 渡辺伊津子「高齢化社会と企業年金」名城法学論集23号
(6)労働時間・休憩・休日・休暇
  1. 青野覚「労働時間制度の規制緩和をめぐる課題」法律のひろば50巻8号
  2. 天野マキ「介護休業制度の現状と今後の課題」法律のひろば49巻5号
  3. 石飛雄高「事業場外労働に対する労働時間規制のあり方について」季刊労働法183号
  4. 大場敏彦「裁量労働制をめぐる法的課題」法律のひろば49巻7号
  5. 小嶌典明「三六協定に関する覚書」阪大法学45巻3=4号
  6. 近藤昭雄「労基法(労働時間規制)死滅の危機」白門(中央大学)50巻1号
  7. 中村和夫「年休権の行使をめぐる法的問題」法経研究(静岡大学)44巻4号
  8. 中村和夫「年休権の不行使をめぐる法的問題」静岡大学法経論集75=76号
  9. 名古道功「多様なタイプの休暇制度の実態と課題」金沢法学40巻1号
  10. 野田進「時短政策と休暇─休暇制度の新展開の中で」日本労働研究雑誌448号
  11. 藤原稔弘「時間外・休日労働規制」(特集 労働基準法改正案の検討)労働法律旬報1430号
  12. 馬渡淳一郎「ホワイトカラーの労働時間と法規制」神戸学院法学27巻1=2号
  13. 宮城好郎「わが国の休暇制度の構造的特質」酒田短期大学研究論集18号
  14. 盛誠吾「変形労働時間制・裁量労働制」(特集 規制緩和と労働法)季刊労働法183号
  15. 盛誠吾「1年単位変形労働時間制・裁量労働制」(特集 労働基準法改正案の検討)労働法律旬報1430号
  16. 山田桂三「年次有給休暇法理の再構成」佐賀大学経済論集29巻1=2号
  17. 山本吉人「労働基準法と休日振替─青木説の検討」法学志林(法政大学)94巻1号
  18. 吉田美喜夫「深夜交代制労働の現状と法規制の課題」立命館法学248号
  19. 渡辺章「40時間労働法制の推進について」日本労働研究雑誌448号
(7)安全衛生・労災補償
  1. 安西愈「脳・心臓疾患の公務災害認定をめぐる諸問題(上)(下)」労働判例693号、694号
  2. 岩出誠「従業員の健康管理をめぐる法的諸問題─業務軽減措置の内容とその履行上の問題および健康配慮義務とプライバシー秘匿権の二面性」日本労働研究雑誌441号
  3. 上柳敏郎「過労死の業務上外判断」日本労働法学会誌90号
  4. 大場敏彦「工作物・製造物責任と労災民事賠償」法学志林(法政大学)94巻1号
  5. 岡村親宜「過労死の労災認定と担当裁判官協議・最近の最高裁判例の意義と問題点」労働法律旬報1406号
  6. 織田伸夫「労災認定と相当因果関係論」守屋克彦ほか編『実務からの法律学』(勁草書房)所収
  7. 小畑史子「労働安全衛生法の労働関係上の効力」日本労働法学会誌88号
  8. 桑原昌宏「労災保険における重度後遺障害被害者に対する法的救済」『重度後遺障害者の実態とその救済』所収
  9. 島部忠志「中小企業主の『業務上』災害と労災保険適用問題─労災保険特別加入制度・健康保険との関連を含めて」龍谷法学30巻3号
  10. 島部忠志「労災保険未加入の中小事業主等の『業務上』災害とその保障の方法」賃金と社会保障1224号
  11. 松岡三郎「脳・心臓疾患の業務上外の法的観方─行政と裁判の狭間より」法学論叢(明治大学)68巻2号
  12. 松本克美「使用者の損害賠償義務と労災保険─損益相殺・賠償者の代位・不当利得制度による使用者減責論の批判」神奈川法学30巻3号
  13. 宮崎和子「看護労働におけるバーンアウト症候群の補償と予防」日本労働法学会誌90号
  14. 宮本健蔵「下請労働者に生じた労働災害と元請負人の賠償責任」明治学院論叢60号
  15. 山口浩一郎「労災保険における保険給付請求権の消滅時効」法曹時報48巻4号
  16. 吉田美喜夫「『焼きいも販売員』の労働者性」立命館法学251号
(8)懲戒
  1. 中村和夫「懲戒手段をめぐる判例法理」季刊労働法177号
  2. 野川忍「企業秩序と懲戒権の到達点」季刊労働法177号
  3. 福島淳「日本的労働関係の変質と懲戒権論上の課題─『企業外非行』をめぐる懲戒問題領域を中心として」福岡教育大学紀要45号
(9)人事
  1. 大野一尚「配転命令権濫用の判断視角─最近の判例動向とその問題点」労働法律旬報1377号
  2. 金子征史「配転・出向をめぐる判例法理の課題」法学志林(法政大学)94巻3号
  3. 香山忠志「降格処分をめぐる実務上の問題─人事権行使による場合を中心として」季刊労働法177号
  4. 脇田滋「配転・出向と労働者の合意」法律のひろば49巻7号
(10)労働契約の終了
  1. 有田謙司「転籍拒否を理由とする解雇の効力と賃金支払・損害賠償請求─三和機材事件・東京地裁判決を素材として」山口経済学雑誌199号
  2. 唐津博「整理解雇と使用者の法定協議義務(1)」南山法学20巻3=4号
  3. 香山忠志「解散・営業譲渡と法人格の法理─商法と労働法との相克」季刊労働法184号
  4. 今野順夫「退職の法理」行政社会論集(福島大学)8巻2号
  5. 道幸哲也「職場における自立と協調性─協調性欠如を理由とする解雇の法理」季刊労働法177号
  6. 西村健一郎「労働法入門─使用者の解雇制限と雇用保障」月刊法学教室211号
  7. 藤川久昭「変更解約告知をめぐる法的状況─その現状と課題」日本労働法学会誌88号

4 集団的労働関係法

(1)総説・労働組合
  1. 大内伸哉「管理職組合をめぐる法的問題」日本労働法学会誌88号
  2. 小嶌典明「労使関係法とその課題(1)」阪大法学47巻4=5号
  3. 道幸哲也「管理職の組合結成・加入をめぐる法律問題」労働判例720号
  4. 道幸哲也「チェック・オフの法理論─コメントと議論の状況」日本労働法学会誌88号
  5. 中山和久「管理職員の団結権問題について─都労委CSUフォーラム事件を契機に」労働法律旬報1392号
  6. 野川忍「変貌する労働者代表─新しい労働者代表制度の可能性─」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  7. 野村晃「憲法27条(1項)の労働権の解釈論的把握と課題(上)(下)」研究紀要(日本福祉大学)95号(第一分冊)、96号(第一分冊)
  8. 本多淳亮「労働組合と情報開示─住友3社男女賃金・昇格差別訴訟を契機に」労働法律旬報1375号
  9. 三井正信「女性労働組合の法的地位」広島法学21巻4号
  10. 三井正信「統制処分法理の再検討(1)~(4完)」広島法学19巻3号、20巻1号、同3号、21巻2号
  11. 渡辺章「管理職組合の問題状況」日本労働法学会誌88号
(2)団体交渉
  1. 清水敏「地方公共団体の第三セクター派遣と法適用」労働法律旬報1390号
  2. 道幸哲也「組合併存下における労働条件決定過程と団交権保障(上)(下)」法律時報68巻7号、8号
  3. 宮島尚史「団交権論」学習院大学法学会雑誌33巻2号
(3)団体行動
  1. 池田栄「組合活動と免責の法理」東洋大学大学院紀要33号
  2. 池田栄「ビラ貼りと施設管理権─判例法理の論点整理を中心として」東洋大学大学院紀要32号
  3. 石井保雄「職場占拠法理の研究(10完)」亜細亜法学38巻1号
  4. 鈴木隆「組合バッジ着用行動の法理」島大法学40巻2号
  5. 中山和久「組合バッジと団結権」早稲田法学73巻1号
(4)労働協約
  1. 萱谷一郎「『書面に作成されない労働協約の効力論』契機」姫路工業大学一般教育部研究報告七
  2. 萱谷一郎「労働協約における平和義務の否定(非存在)論」姫路工業大学一般教育部研究報告七
  3. 鈴木隆「チェック・オフと協約法理」日本労働法学会誌88号
  4. 諏訪康雄「労働組合法十七条とは何だったのか?」日本労働法学会誌90号
  5. 村中孝史「労働協約の拡張適用による労働条件の不利益変更について」日本労働法学会誌90号
(5)労働委員会
  1. 秋田成就「労働委員会の労働争議調整としての『個別的』紛争取扱いの問題点」季刊労働法180号
  2. 鈴木隆「チェック・オフされた組合費相当額の救済申立組合への一括交付を命ずる救済命令の適法性─ネスレ日本霞ケ浦工場事件(最高裁一小平7・2・23)を契機に」高大法学39巻4号
  3. 高田正昭「労働委員会の50年と今後の課題」ジュリスト1079号
  4. 千々岩力「労働委員会の機能拡大と事務局の課題」季刊労働法184号
  5. 直井春夫・成川美恵子「労働委員会における管理職組合問題」日本労働法学会誌88号
  6. 中山慈夫「経営法曹としての労働委員会再考」季刊労働法184号
  7. 宮里邦雄「労働委員会による不当労働行為救済機能と課題」季刊労働法184号
  8. 籾井常喜「労働委員会制度の50年」日本労働法学会誌88号
(6)不当労働行為
  1. 池田稔「労働組合法27条2項にいう『継続する行為』の意義について─最近の命令、判決における判断事例から」中央労働時報922号
  2. 岡田克彦「賃金・昇格等差別と『継続する行為』(上)(下)─議論の経過、到達点と今後の課題」労働法律旬報1419号、1420号
  3. 倉田聡「チェック・オフと不当労働行為」日本労働法学会誌88号
  4. 佐藤昭夫「JRの採用差別と不当労働行為責任─最近の東京地裁の見解に関連して」労働法律旬報1415号
  5. 道幸哲也「『一人組合』の申立適格」労働法律旬報1401号
  6. 道幸哲也「不当労働行為救済法理の独自性(上)(下)─取消訴訟の際の留意点」判例時報1589号、1590号
  7. 林和彦「配置転換と不当労働行為─配転事件における『因果関係説』のすすめ」季刊労働法182号

5 官公労

  1. 市川正人「公務員の人権」ジュリスト1089号
  2. 島田陽一「地公労法違反の争議行為参加者に対する懲戒処分と不当労働行為の成否」早稲田法学73巻1号

6 紛争処理

  1. 秋田成就「労働争議の調整制度について」日本労働法学会誌90号
  2. 石井保雄「個別的労使紛争解決機関としての弁護士会『仲裁センター』─その限界と可能性」亜細亜法学31巻1号
  3. 草野芳郎「裁判所における労働事件と訴訟上の和解」日本労働研究雑誌436号
  4. 毛塚勝利「新たな個別労使紛争処理システムの構築」季刊労働法184号
  5. 高田正昭「労働法と和解」法学論叢(明治大学)67巻4=5=6号
  6. 直井春夫、成川美恵子「個別的労使紛争とあっせん手続」季刊労働法184号
  7. 村中孝史「個別的労使紛争処理システムの検討」日本労働研究雑誌436号
  8. 安枝英訷(ひでのぶ)「労使紛争処理システムの将来」同志社法学49巻2号
  9. 山川隆一「個別労働紛争処理のシステム設計」季刊労働法180号
  10. 山川隆一「労働紛争の変化と紛争処理システムの課題」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収

7 外国法・比較法・国際法

(1)国際機関
  1. 鎌田耕一「契約労働をめぐる法的問題─国際労働機関(ILO)における契約労働に関する条約をめぐる審議を参考として」釧路公立大学社会科学研究10号
  2. 鎌田耕一「国際機関における職業紹介制度見直しの動向」日本労働研究雑誌437号
  3. 清水敏「ILOの結社の自由委員会308次報告の意義」労働法律旬報1426号
  4. 鈴木則之「貿易と労働基準の関連づけについて─『社会条項』とITGLWF/TWAROの取り組み」労働法律旬報1389号
  5. 馬渡淳一郎「ILO96号条約見直しの背景と今後の方向」労働法律旬報1389号
  6. 山口俊夫「国際労働基準に対する政・労・使の姿勢」神奈川法学30巻3号
(2)アメリカ
  1. 井村真己「アメリカにおける雇用差別禁止法理の再考察:『Forbidden Grounds』への批判的検討を中心として」六甲台論集(神戸大学)44巻3号
  2. 井村真己「アメリカにおける企業年金の受給権をめぐる諸問題:ERISA510条の制定意義とその限界」六甲台論集(神戸大学)44巻3号
  3. 井村真己「高齢者の退職に伴う放棄契約の締結と雇用差別禁止法─アメリカにおけるADEAの改正を契機として」季刊労働法182号
  4. アリソン・ウェザーフィールド/黒川道代訳「アメリカ人弁護士の見た日本のセクシャルハラスメント(上)(下)─その概念と法的処理の発展」ジュリスト1079号、1080号
  5. 奥山明良「高齢者の雇用保障と定年制問題─アメリカ年齢差別法との比較で」成城法学50号
  6. 奥山明良「在外日本企業とセクシュアル・ハラスメント問題─米国三菱自動車製造事件を契機にして」ジュリスト1097号
  7. 川井圭司「アメリカ・プロスポーツの法的問題─反トラスト法と労働法における移籍の問題を中心に(1)(2完)」同志社法学244号、245号
  8. 岸井貞男「アメリカにおける団体交渉義務」「同(2)」関西大学法学論集46巻4=5=6号、47巻3号
  9. 岸井貞男「アメリカにおける被用者の『団体行動』と使用者の対応」関西大学法学論集47巻1号
  10. 岸井貞男「アメリカにおける労働協約の履行強制」関西大学法学論集47巻2号
  11. 木下正義「アメリカの解雇規制立法と被用者の救済手続─先任権・解雇通告および失業補償の検討を視野に含めて」社会科学(拓殖大学)3巻1号
  12. 小嶌典明「民営職業紹介事業と規制のあり方─アメリカ合衆国を例として」日本労働研究雑誌437号
  13. 笹沼朋子「アメリカ最低賃金法にみる平等原則─アドキンス判決の今日的意義」法研論集(早稲田大学大学院)77号
  14. 笹沼朋子「アメリカ労働保護法の源流(1)(2完)─ミュラー判決及びブランダイス・ブリーフに対するフェミニズム的検討」法研論集(早稲田大学大学院)75号、76号
  15. 笹沼朋子「労働法における女性従属試論」早稲田法学会誌46号
  16. 篠原淳「ERISA法と米国の年金制度」東洋大学大学院紀要32号
  17. 竹地潔「電子メールのモニタリングと嫌がらせメール─職場のコンピュータ・ネットワーク化に伴う労働法上の諸問題」日本労働法学会誌90号
  18. 中窪裕也「アメリカ:NLRBの課題と展望」中央労働時報897号
  19. 中窪裕也「アメリカにおける組合保障協定と非組合員の権利(上)─排他的交渉代表制度の一断面」法学論集(千葉大学)12巻2号
  20. 中窪裕也「アメリカ労働法の動向─個別的労働法の発展とその意義」労働法律旬報1378号
  21. 中里見博「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の成立(1)(2完)─最高裁判所のジェンダー分析に向けて」法政論集(名古屋大学)166号、167号
  22. 中里見博「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の展開─女性最低賃金法違憲判決のジェンダー分析」法政論集(名古屋大学)171号
  23. 永由裕美「米国の同一価値労働同一賃金理論の動向─その法理と実情」日本労働研究雑誌441号
  24. 松岡博「渉外労働契約における競業禁止約款」阪大法学47巻4=5号
  25. 三柴丈典「アメリカにおける労災予防権の検討」季刊労働法181号
  26. 三柴丈典「FLSAにおけるWhite-collar Exemption─賃金・時間関係の切断はどこで行なわれたか」労働法律旬報1391号
  27. 水野圭子「ワシントン州における労働災害補償制度に関する草稿」法政法学(法政大学)21号
  28. 宮本安美「アメリカの労使関係法と管理職の地位」平成法政研究(平成国際大学)2巻1号
  29. 森戸英幸「米国の企業年金法制─ポータビリティ、支払保証、401(k)プラン」日本労働研究雑誌444号
  30. 山川隆一「アメリカ労働法の域外適用と在外支店・子会社」筑波法政23号
  31. 若林喬「在米日系企業におけるセクハラ対策」ジュリスト1097号
(3)カナダ
  1. 石井保雄「カナダ連邦法およびケベック州法における不当解雇救済制度─未組織労働者を対象とする公的仲裁制度の経験」亜細亜法学30巻2号
  2. 木村愛子「カナダにおける男女同一価値同一賃金法制の展開と課題」季刊労働法178号
  3. 木村愛子「カナダ オンタリオ州『賃金衡平法』の解釈」季刊労働法181号
  4. 木村愛子「カナダ オンタリオ州『賃金衡平法』の実施効果と同法の改正をめぐる諸動向」季刊労働法185号
  5. 中川純「カナダにおける人権委員会の機能」愛知学院大学大学院法研会論集12巻1号
  6. 中川純「カナダにおける便宜的措置義務の法理」愛知学院大学大学院法研会論集12巻2号
  7. 中川純「カナダにおける定年制の法解釈」『愛知大学法学部同窓会設立35周年記念 法学論集(2)」所収
  8. 藤本茂「労働過程での被用者の過失と責任─カナダと日本との比較」法学志林(法政大学)94巻1号
  9. 高島道枝「カナダ・オンタリオ州の公正賃金政策(Pay Eqiuty Act of 1987)について─同一価値労働同一賃金政策の新たな試み」経済学論纂(中央大学)36巻4号
(4)EC・EU、ヨーロッパ諸国間比較
  1. 上田廣美「EUにおける従業員参加の法的研究(1)~(5)─加盟各国における従業員参加の諸形態と欧州労使協議会指令への展開」法研論集(早稲田大学大学院)79号、80号、82号、84号、85号
  2. 小宮文人、濱口桂一郎「EUレベルの労働協約による労働立法の展開」季刊労働法184号
  3. 小宮文人、濱口桂一郎「欧州連合の男女均等法制の最近の動き」季刊労働法182号
  4. 田中清定「労働時間の弾力化と時間外労働─労働時間規制の日欧比較を通じて」関東学園大学法学紀要6巻1号
(5)イギリス
  1. 有田謙司「イギリス民営職業紹介業法制」山口経済学雑誌44巻3=4号
  2. 小宮文人、濱口桂一郎「欧州連合(European Union)の労働時間指令とイギリスの対応」季刊労働法181号
  3. 家田愛子「ヨーロッパ連合(EU)とイギリス労働法の変容(1)~(3完)─1993年の『1981年営業譲渡(雇用保護)規則』修正を中心として」法政論集(名古屋大学)165号~167号
  4. 家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1)(2完)─1986年タイムズ新聞社争議にもたらした、イギリス80年代改正労使関係法の効果の一考察」法政論集(名古屋大学)168号、169号
  5. 石田眞「企業組織と労働契約─ストーン・コリンズ『論争』をめぐって」法政論集(名古屋大学)169号
  6. 表田充生「イギリスにおける労働審判所」同志社法学246号
  7. 小島弘信「イギリスにおける高齢労働者の雇用問題」レファレンス553号
  8. 小島弘信「イギリスにおける“労働の弾力化”と労働時間」レファレンス540号
  9. 伍賀一道「イギリスにおける民営職業紹介事業、労働者派遣事業の現状(2)」金沢大学経済学部論集18巻2号
  10. 鈴木隆「イギリス1995年障害者差別禁止法の成立と障害者雇用(1)(2完)」高大法学40巻4号、41巻2号
  11. 鈴木隆「イギリス労使関係改革立法と労働組合改革」島大法学39巻3号
  12. 寺井基博「イギリスにおける職業紹介システム」同志社法学48巻6号
  13. 早川徹「退職従業員の守秘義務・競業避止義務(1)─イギリス法からの示唆」関西大学法学論集47巻6号
  14. 丸谷浩介「イギリス社会保障給付とワークインセンティブ─1995年求職者法を中心に」九大法学74号
  15. 山下幸司「EC指令とイギリスにおける労働時間規制─労働者の集団的ないし個人的合意によるEC指令への対応の可能性」関東学院法学7巻1号
  16. 山田省三「イギリスにおけるホワイトカラーの賃金処遇の法理」労働法律旬報1391号
(6)ドイツ
  1. 浅川千尋「ドイツにおけるセクシュアル・ハラスメントをめぐる最近の動向─第二次同権法(被用者保護法)をめぐる議論を手掛かりにして」大阪経済法科大学法学論集39号
  2. 大橋範雄「ドイツにおける派遣法の弾力化と派遣労働者の権利保護─派遣期間の上限の延長を中心として」大阪経大論集47巻3号
  3. 大橋範雄「ドイツの労働者派遣法における反復派遣に際しての『派遣先』概念と『中断』期間に関する考察」大阪経大論集48巻2号
  4. 小俣勝治「ドイツにおける協約外職員の賃金形成」労働法律旬報1391号
  5. 北彰「育児休暇3年─法制度からの日独比較」白門(中央大学)50巻3号
  6. 木下秀雄「ビスマルク労働者保険成立史研究(1)~(3完)─1881年労災保険法第一次法案の作成過程」大阪市立大学法学雑誌41巻4号、42巻1号、同2号
  7. 倉田原志「女性現場労働者の夜間労働禁止と平等原則─ドイツ連邦憲法裁判所判決を中心に」大阪教育大学紀要第2部門(社会科学・生活科学)44巻2号
  8. 倉田原志「労働争議中の失業給付と基本法─ドイツ雇用促進法116条の合憲性」大阪教育大学紀要第2部門(社会科学・生活科学)45巻2号
  9. 毛塚勝利「ドイツ労働裁判所の課題と展望」中央労働時報897号
  10. 小林甲一「ドイツにおける労働時間政策の展開」名古屋学院大学論集(社会科学篇)33巻4号
  11. 高橋賢司「ドイツにおける人事情報の閲覧・訂正・削除請求権の法的検討」労働法律旬報1392号
  12. 高橋賢司「労働関係における人事記録と個人情報の保護」中央大学大学院研究年報25号
  13. 手塚和彰「ドイツ労働者派遣法研究」法学論集(千葉大学)9巻2号
  14. 藤内和公「ドイツにおける従業員代表の活動─法的根拠と実際(1)~(4完)」労働法律旬報1367号、1369号、1371号、1373号
  15. 藤内和公「ドイツの解雇に対する従業員代表の関与」岡山大学法学会雑誌45巻2号
  16. 藤内和公「ドイツの整理解雇における人選基準」岡山大学法学会雑誌45巻3号
  17. 中内哲「ドイツ労働法における真正貸借労働関係の法理─三当事者間における労働契約上の権利義務関係の考察を中心に」季刊労働法178号
  18. 中内哲「ドイツのコンツェルン(Konzern)における企業間人事異動の法理に関する基礎的考察─三当事者間の法律関係の解明に向けて」日本労働法学会誌88号
  19. 中内哲「ドイツにおける出向の法理論─出向先と労働者との法律関係に着目して」六甲台論集(法学政治学篇)(神戸大学)42巻2号
  20. 西谷敏「ドイツ労働法の弾力化論(1)~(3完)」法学雑誌(大阪市立大学)39巻2号、42巻4号、43巻1号
  21. 根本到「自殺と労災認定─日本とドイツの比較」労働法律旬報1428号
  22. 根本到「ドイツにおける変更解約告知制度の構造(1)」季刊労働法185号
  23. 野川忍「ドイツ変更解約告知制の構造─制度を有する国の処理」日本労働法学会誌88号
  24. 福澤直樹「世紀転換期ドイツ労働者保険の改革議論─1911年の帝国保険令成立に向けて」経済科学(名古屋大学)44巻4号
  25. 藤原稔弘「ドイツ解雇制度における社会的選択の法理─最近の学説・判例の検討を中心として」季刊労働法179号
  26. 藤原稔弘「ドイツにおける協約上の賃金・給与決定をめぐる紛争の法的処理─格付けおよび格付け変更をめぐる法的紛争を中心に」労働法律旬報1391号
  27. 藤原稔弘「ドイツにおける経営上の理由にもとづく解雇と事業所関連性原則─特別解雇事件をめぐる判例動向を中心に」季刊労働法184号
  28. 見澤俊明「ドイツ統一に伴う失業対策法上の諸問題覚─東部新州の移行措置を中心に」札幌学院法学12巻2号
  29. 見澤俊明「ドイツ統一に伴う東部公務員労働者の解雇事件について─特別解雇要件をめぐる判例動向を中心に」札幌学院法学14巻1号
  30. 宮島尚史「就業規則論─独日の比較法的考察」学習院大学法学会雑誌32巻1号
  31. 宮島尚史「ドイツにおける就業規則─帝政確立期からナチ支配までの実例・法令・判例・学説」学習院大学法学会雑誌31巻2号
  32. 宮島尚史「ドイツにおける企業内福祉に関する生命保険法上の団体的同意」学習院大学法学会雑誌31巻2号
  33. 柳屋孝安「労働市場の変化とドイツ労働法─民営職業紹介規制の変遷─」日本労働法学会誌87号
  34. 和田肇「ドイツにおける小売業の労働時間規制」法政論集(名古屋大学)165号
  35. 和田肇「ドイツにおける弾力的労働時間の法規制─94年代労働時間法」法政論集(名古屋大学)164号
  36. 和田肇「ドイツにおける労働協約交渉と警告ストの法理─1995年小売業賃金協約交渉を素材として(上)(下)」労働法律旬報1373号、1374号
  37. 和田肇「ドイツにおける労働時間協約政策の変化─金属産業労働時間弾力化協約を素材として」法政論集(名古屋大学)167号
  38. 和田肇「ドイツにおける労働時間の弾力化」法政論集(名古屋大学)164号
(7)フランス
  1. 荒井壽夫「フランス自動車産業における労働時間の弾力化─80年代以降におけるルノー・フランス工場の事例」彦根論叢(滋賀大学)309号
  2. 石井保雄「80年代フランスにおける『賃金の個別化』」労働法律旬報1392号
  3. 伊藤雅康「オルー法のなかの企業管理参加権─憲法学からのアプローチ」札幌学院法学12巻2号
  4. 伊藤雅康「フランスにおける労働者の意見表明権について」札幌学院法学14巻1号
  5. 岩村正彦「フランスの労働審判所」中央労働時報897号
  6. 大和田敢太「フランスにおける労働運動の高揚と団結論の新展開:1995年大論争と労働組合の代表権能の位相」彦根論叢(滋賀大学)309号
  7. 奥田香子「フランス労働法における『有利性』の原則」季刊労働法178号
  8. 川口美貴「フランスにおける最低所得保障と社会的・職業的参入」法政研究(静岡大学)2巻1号
  9. 川口美貴「フランスにおける集団的労使関係の国際化と国際労働関係法の展開」法政研究(静岡大学)2巻3=4号
  10. 川口美貴「フランスにおけるパートタイム労働法制の展開─多様な利益調和とワークシェアリング」法政研究(静岡大学)44巻3号
  11. 北川善英「労働基本権の『自由権的側面』の意味─フランス1884年法の『組合の自由』を素材として」法律時報68巻12号
  12. 杉原丈史「フランスにおける集団利益擁護のための団体訴訟」早稲田法学72巻2号
  13. 砂押以久子「労働者のプライバシー権の保護について(1)(2)─フランスの現状と課題」季刊労働法184号、185号
  14. 野田進「変更解約告知の意義─フランス法研究の視点から」日本労働法学会誌88号
  15. 本久洋一「フランスにおける初期『労働契約』論争の研究─パテルナリストとコントラクチュアリスト」早稲田法学72巻2号
  16. 矢部恒夫「フランス・ナント労働審判所について」修道法学(広島修道大学)19巻1号
  17. 山崎文夫「フランスにおける懲戒権」季刊労働法177号
  18. 山崎文夫「フランスの休日労働」比較法政研究(国士舘大学比較法政研究所)18号
  19. 山崎文夫「フランスのホワイトカラーの賃金と法的諸問題」比較法政研究(国士舘大学比較法政研究所)19号
  20. 山崎文夫「フランスのホワイトカラーの賃金決定制度と労働時間管理」労働法律旬報1391号
(8)その他のヨーロッパ諸国
  1. 青野覚「スウェーデンにおける『労働〈市場〉の柔軟化』論と労働法─有期雇用契約規制の緩和を中心として」松山大学論集7巻5号
  2. 大内伸哉「イタリアにおける懲戒法制」季刊労働法177号
  3. 大内伸哉「労働者代表に関する立法介入のあり方とその限界─最近のイタリアの議論を参考にして」神戸法学雑誌47巻2号
  4. 亀田利光「イタリアにおける男女平等のためのポジティブ・アクション(上)(中)(下)─ポジティブ・アクション法第125号の理解をめぐって」大原社会問題研究所雑誌453号~455号
  5. 黒川道代「雇用政策法としての能力開発─日本・スウェーデンにおける法的システムとその役割(1)~(3完)」法学協会雑誌(東京大学)112巻6号、9号、12号
  6. 下井隆史、西村健一郎「オーストリアの労使関係と集団的労働法」Vita Futura(京都勤労者学園)
  7. 藤内和公「オーストリア・ホワイトカラーの賃金制度と人事考課」岡山大学法学会雑誌46巻2号
  8. 藤内和公「オランダにおける従業員代表法」岡山大学法学会雑誌45巻1号
(9)アジア・オセアニア
  1. 吾郷眞一「アジアにおける公正労働基準」日本労働研究雑誌435号
  2. 安鍾泰/川田琢之訳「韓国における団体交渉と労働条件」日本労働研究雑誌435号
  3. イ・ジョン「韓国における労働委員会の個別紛争処理─日本との比較を中心に」日本労働研究雑誌436号
  4. ウン・セクホン「香港における『複数組合主義』」亜洲労働法研究会編『〈NIES〉 and 〈JAPAN〉労働組合法をめぐる基本問題─「結社の自由」を中心として』(教育社)所収
  5. 香川孝三「アジア諸国の労働法を考える視点」日本労働法学会誌91号
  6. 香川孝三「インドにおけるストライキ中の賃金問題」国際協力論集(神戸大学)5巻2号
  7. 夏暁北「中国における雇用制度への転換と労働争議制度に関する考察」法研論集(早稲田大学大学院)75号
  8. 神尾真知子「アジア諸国の労働法と法の継受」日本労働法学会誌91号
  9. 小島正剛「韓国における労働法改訂の動向」労働法律旬報1406号
  10. チャン・スー・メイ「シンガポールにおける複数組合主義からの離脱」亜洲労働法研究会編『〈NIES〉 and 〈JAPAN〉労働組合法をめぐる基本問題─「結社の自由」を中心として』(教育社)所収
  11. 張国興「経済復興期(1949年-52年)における中国の工会(労組)組織(1)~(4完)」久留米大学法学27号、28=29号、30号、31号
  12. 西村峯裕「中国労働法違反に対する制裁規定の分析」産大法学30巻3=4号
  13. 盧尚憲「韓国の新労働法制と解雇法理─整理解雇法理の検討を中心に(上)(下)」労働法律旬報1425号、1426号
  14. 林和彦「アジア諸国の経済発展と労働法」日本労働法学会誌91号
  15. 藤川久昭「アジア諸国の集団的労働法制の現状と特徴」日本労働法学会誌91号
  16. 山下昇「中国における労働契約制度の展開─解雇制度の動向を中心として(上)(下)」労働法律旬報1415号、1416号
  17. 梁官洙「全面改訂された韓国労働法の争点」大原社会問題研究所雑誌466号
  18. 吉田美喜夫「アジア諸国における『民主化』の進展と労働法」日本労働法学会誌91号
  19. 吉田美喜夫「タイの国営企業と労使関係法」立命館法学249号
  20. 劉志鵬「台湾『工会』(労働組合)組織体系の特徴」亜洲労働法研究会編『〈NIES〉 and 〈JAPAN〉労働組合法をめぐる基本問題─「結社の自由」を中心として』(教育社)所収
(10)その他、諸国間比較など
  1. イ・ジョン「解雇紛争解決制度の比較法的研究(1)~(4):英・独・仏・韓の制度からの日本の制度改革への示唆を求めて」法学協会雑誌(東京大学)115巻4号~7号
  2. イ・ジョン「韓国における労働組合の代表性をめぐる問題」亜洲労働法研究会編『〈NIES〉 and 〈JAPAN〉労働組合法をめぐる基本問題─「結社の自由」を中心として』(教育社)所収
  3. 川口美貴「フランス・欧州連合(EU)における国際労働関係法の展開─国際労働契約と適用法」法政研究(静岡大学)1巻1号
  4. 川口美貴「フランス・欧州連合(EU)における国際労働関係法の展開─国際裁判管轄」法政研究(静岡大学)1巻2=3=4号
  5. 桑原昌宏「均等法改正、カナダとアメリカからの示唆」季刊労働法178号
  6. 小宮文人「解雇制限法─判例・学説の変化と国際比較」日本労働研究雑誌446号
  7. 山川隆一「国際化する労働関係の法的課題」『岩波講座 現代の法12 職業生活と法』(岩波書店)所収
  8. 山下幸司「英米両国における労働協約の法的地位(1)(2)」関東学院法学4巻2号、5巻2号

*以上の文献リストは主として『法律判例文献情報』192号(1995-No.10)~224号(1998-No.4)等に基づき、塚田奈保(東京大学大学院法学政治学研究科修士課程在学中)が作成した。