旧・JIL国際講演会
日本的経営・グローバル化の中で生き残れるか
(1998年10月30日)

日時:1998年10月30日(金)13:30~15:30
場所:日本労働研究機構 LINCホール
主催:日本労働研究機構

講演者

講師 ロンドン大学 ロナルド・ドーア教授
ロンドン大東洋アフリカ研究学院卒。50年東京大学留学。近代社会の諸問題について研究。著書に『イギリスの工場・日本の工場』『学歴社会―新しい文明病』
コーディネーター 東京大学 稲上 毅教授
1944年生まれ。現職は東京大学教授、人文社会系研究科・文学部。主著、『現代社会学と歴史意識』『労使関係の社会学』『転換期の労働世界』『現代英国労働事情』『ネオコーポラティズムの国際比較』他多数

講演内容

【稲上】
 ドーア先生は、国際的に見ましても、二十世紀の後半を代表する、私から見ますと非常に正統派の古典的社会学者というふうに言っていいかと思います。もちろん、傑出した日本研究をたくさんしておられまして、皆様方もご存じのもの、お読みになっているものが少なくないのではないかと思います。
 きょうのお話は、「日本的経営」ということについてでございますが、最近では、日本的経営などと言いますと、まるで時代おくれであるというような受けとめ方をする人、あるいはそういう論調が、マスメディアなどに少なくないように思います。果たしてそういう理解でいいのかどうかということでお話をいただけるかと思っております。
 私のイントロダクションはこれだけにいたしまして、早速ドーア先生からお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

【ドーア】
 どうもありがとう。皆さん、こんにちは。
 グローバライゼーションという国際経済からくる影響は多少テーマになります。私はもう五十年間ぐらい日本に行ったり来たりして、日本に関する知識を商売として一生を送ってきた者ですから、どれだけ私の見方が国際的であるか、あるいは、日本人が今まで許してくれた出しゃばりの口出しばかりしている外人の立場であるか、皆さんの判断に任せます。
 七、八年前に、アメリカのビジネス・スクールばかりじゃなくて、日本の方でも日本的経営のよさを非常に宣伝するような方が多くて、日本の企業が世界市場のシェアをだんだんと増やしていっていたころに比べると、こんなに変わるものかと思うぐらい、今、日本的経営の悪口を言う人が多くなったのは不思議でしようがないと思います。もともと反骨精神もあったこともありますが、そればかりじゃなくて、こういう今のムードは少し言い過ぎが多い、ちょっと極端に走っているのではないかと思うところが非常にあります。
 日本的とか、あるいは先進国型とか、アメリカ的とかということばかりの次元で考えているわけではないんです。この間、『中央公論』の対談で同友会の牛尾さんと対談をしました。彼は冒頭から、「私はアメリカ寄りになったほうがいいと思う。しかし、日本的なものを保存しなきゃならない。ドーアさんは日本的なものの保存を私よりも評価しているのではないか」と言われました。私は、イギリスにおいていろんな企業を見ていますが、全く株主の利益ばかり考えているような企業もあれば、例えばジョンノエスというような企業のように、四十年ぐらい前から創立者が株を全部従業員持ち株会に渡して、従業員支配の企業もあります。イギリスの企業で、私の世界観、価値観に最も合致するのは、ジョンノエスのような企業であって株主の利益ばかりを考えるような企業ではない。もともと日本的経営というものは、イギリスでいえば、よりジョンノエス型のものに近いものであって、ゼネラル・エレクリックとか株主ばかりを考えるような企業ではないんです。日本的経営を批難する人たちの多くは、株主重視企業、つまり株主を重視する、株主の利益を最大の目的とするような企業を目指している人が多いと思います。私はそれを非常に批判的に言うんです。
 この間、通産省の産業政策審議会とある部会における小委員会の発表のレジュメに引用された「創造革新型コーポレート・システム」という本の序文に、元慶応大学の辻村江太郎さんがこういうことを言っています。企業の系列、株式の持ち合い、メインバンク制、終身雇用、年功賃金、その他の日本的経営の型はキャッチアップ型産業政策からの特産品というべき制度であった。高度成長期のとき、つまりキャッチアップが非常に急速に進んだ時代に見合った制度であって、そのキャッチアップが完了すれば、その瞬間に日本的経営の存在理由は消滅してしまう。彼は日本的経営について、系列、株式の持ち合い、メインバンク制、それから年功賃金、そして終身雇用という特徴を挙げています。まさに彼が指摘するように、それらがお互いにいろいろ因果関係を持って結び合っているのが特徴であると言えます。
 しかし、イギリスやアメリカの企業と日本の企業との一番大きな相違点はどこにあるかと言えば、経営陣の形成、役割、機能にあるのではないかと思います。アメリカやイギリスでは、管理能力市場、外部労働市場の中で、管理者は企業から企業へ動くことが多くて、生え抜きの経営者は非常に少ない。例えばアイアコッカがクライスラーで雇われるときに、株主の代表である取締役が、社長にするためにアイアコッカと交渉して契約を結ぶわけです。その契約は、アイアコッカが株主のためになるべく利益を上げるとう能力に応じて報酬を与えるというものです。その報酬が何百万ドルであろうが、そういう人でなければこの会社は救われないと思うような人であることが重要なのです。多くの場合、業績スライド、つまり利益に連結されたボーナス、あるいは株価に連結されたストック・オプションという形の報酬を与えます。
 アメリカの経済学で最近、非常に人気のあるテーマの一つに、いわゆるプリンシプル・エージェント・フェアリー、ゲーム理論の種類の1つがあります。プリンシプルとは株主、オーナーを指します。エージェントは経営者です。
 うまい報酬のパッケージをつくることで、いつでも自分の利益よりも株主の利益を追求するような経営者になってくれたらというようなゲーム理論が非常に流行しています。最近では、それはちょっと不毛だという人が多くて少し下火になりましたけど、まだそういう専門が多くおります。ノーベル賞をそのうち採る人もいるのではないでしょうか?ヘッジ・ファンズの創立者が、いかにしてうまいヘッジ・ファンズを行うことができるかというような理論でノーベル賞を取ったと同じように、プリンシプル・エージェント・フェアリーで取れそうな世の中になったわけです。世の中も、最近少し変わりそうになったので、希望を失うことはないと思いますけど。
 アメリカのような契約によって株主の利益を最大化するという約束で経営し、非常に能力のある者がどんどん給料が上がるということ。今のイギリスでファット・キャッツ・プログラムという言葉がしょっちゅう新聞で見られますが、ファット・キャッツというのは太ったネコですが、つまり非常に高い給料を取っている取締役や副社長が多くなっているということです。このことは、今のイギリスで大いに問題になっています。非常に優れた経営者とは頭の回転の早さとか、あるいは人を威圧する力とかいうことで、非常に稀少性が高いのです。アイアコッカはやっぱりそうだったと思います。例えば十八年前に、ミセス・サッチャーがマクレガーというスコットランド人をアメリカの証券会社から雇い入れて、イギリスの鉄鋼会社の社長にました。それはすごい給料で、イギリスの政治の中で非常に問題になったんですが、サッチャーさんが言うには、「それは彼の市場価格である。だから仕方がない」ということでした。
 ところが、日本のような企業制度においては、社長の市場価格なんていうような概念はあり得ないわけです。それは戦争中の新官僚のおかげなんです。一橋大学の野口先生が言う、四十年体制の一環として株式市場を閉めて、取締役への面々を許可制にし、官庁が管理したんです。昭和初年の日本の株式会社は、むしろアメリカのような株式会社でした。取締役会を見れば、明らかに株主の代表に過ぎないような、全然会社の事業に知識のないような取締役が多く、ボーナスをたくさん取って、配当をなるべく高くするような会社が多かったんです。ところが、そういうような取締役は許さずに、技術家であるとか、生え抜きで事業をよく知っている人でなければ取締役にできないような制度が戦時中にでき上がって、その後ずっと続きました。
 今、新日鉄の取締役会には五十人ぐらいで、一生、富士製鉄か八幡製鉄で勤めた人は四十九人です。もう1人は開発銀行の頭取だった人が監査役会の会長に七十七歳ぐらいのときに就任しています。四十九人は五十一歳から五十五歳の間で、奇数年の六月に取締役に就任した人たちです。取締役や、常務、専務、副社長、社長になるのは、大学卒から入ってきた昇級制度の終点にすぎません。どういうような意識で経営するかというと、株主の代理人というエージェント・オブ・ザ・シェア・オブ・ザ・プリンシプルのいうような意識では毛頭なくて、むしろ従業員共同体の長老というような意識のほうが強いのではないかと思います。そういう人たちによって会社の戦略が形成されるので、従業員の福祉が株主の福祉よりも優先順位が高くなるのが普通です。
 経営陣形成の仕方の違いは、最近、日本でコーポレート・ガバナンス、それに関する報告書は経団連、日経連、生産性本部、そしてコーポレート・ガバナンス・フォーラムという得体の知れない機関からもいろんなものが出ています。統治構造と言ってもよさそうなんだけれど、みんな、とにかくコーポレート・ガバナンスと言いたいみたいです。この報告書では、日本の企業の取締役会はアメリカの企業の取締役会と本質的に同じ性質のものであるべきだということを前提にしています。この前提に立つと、日本の五十人の取締役会は活発な討論が全くできず、ただ判を押す取締役会であるというのはけしからんということです。もちろん、判を押すにあたての討論の機会は、別に専務とか副社長の小グループの中で活発に討論します。けれど取締役会ですることは、もともと期待されていません。ところが、そういうような取締役会でなければ本物ではないということで、ソニーなんか小さな取締役会をつくるのに、今までの取締役会の幾人かを執行役員という、アメリカのエグゼクティブ・ディレクターの直訳を使って、まねしているところもあります。
 日本的経営のより適切な規定をするにあたっては、大体4つの特徴が非常に重要じゃないかと思います。いわゆる日本的経営、あるいは日本型資本主義の特徴がこの4つを代表しています。

 

(1) 企業のあり方
(2) 企業の組織、
(3) 経営陣の形成、意識。
(4) そしてもう一つは、例の「三宝の神器」と言う企業組合、賃金の年功序列、昇進制度及び終身雇用。

 そういう労働契約は、ジョブ・コントラクトではなくてキャリア・コントラクト、あるいはレイバー・コントラクトと言うよりもメンバーシップ・コントラクトいうことです。個人と企業との関係は、これだけのこういうポストで、こういう仕事をするためにこれだけの給料をもらうというような契約ではなくて、一生、この会社のメンバーとなって働いて報酬をもらう。それは企業の組織の一つであることを意味します。
 企業の資金調達、ここに辻村さんが指摘しているメーン・バンク・システムがそれになります。アメリカの学者はメインバンクばかり注目するんですが、バンク全体つまり、日本の大企業の株主リストを見れば、おのおの株の二~三%を持っている銀行が大抵の大企業だったら五つ、六つぐらいあります。その中で主導権をとって、例えば全部の銀行から金を集めて大きな設備投資をする場合に、メインバンクと言われる一つの銀行が非常に詳しくそのプロジェクトを吟味します。その銀行がオーケーと言えば、あとの銀行はその判断に沿って出資するという形の資金の調達が今までやられていたんです。
 もし倒産が問題になれば、収拾する責任を受けるのはメイン・バンクであります。例えば二十年前にマツダがほとんど倒産に近い状態になったとき、住友銀行がそこへ入って、二、三年で救ってしまったということがあります。どうして住友銀行がそれだけ苦労しなければならなかったかというと、マツダに対する義理というよりも他の銀行に対する義理があったからです。業界内の一つの再建護送船団方式とも言うべき業界の結束、もしくは業界のメンバーであることの一つの義務として、他の債権者であった銀行に対しての義務として収拾に当たるのです。その企業の資金調達を間接金融と言います。社債を出すとか、コマーシャル・ペーパーを出すとか、株式を発行するとかいうことを直接金融と言って、銀行を通じての調達は間接金融と言いうのです。
 日立の社長が東京三菱の社長と夕飯を食って、ぜひ融資してくれと直接話をしているんですね。それを東京三菱でいろいろ調べてみて、「はい、オーケー」と言ってお金をぽん。それが間接金融です。ところが、株を発行して証券会社にお願いして、だれも顔も知らないような人に社債や株式を売るというのが直接金融。間接や直接のもともとの意味は、預金者、つまり貯金した個人や家庭と企業との関係を言うわけですね。銀行が家庭から預金をとって、それを企業に貸す。それが間接。直接というのは、家庭が直接に株を買ったり社債を買ったりすることを前提にしています。ところが、個人的に株を買ったり社債を買ったりする人は、ほとんどいないんです。証券会社というインターメディアリーが非常に働いている。銀行と証券会社の違いは、銀行は低利で、貯金の利回りがどれだけになるかはっきりしている。ところが証券会社は投機で、いいときはすばらしい利回りだけれども、ヘッジ・ファンズがぺちゃんこになったりするときには大きな損をするかもしれない。しかし、間接性とか直接性が決して違わないということを考えなきゃいけないでしょう。つまり2番目の日本的経営の特徴である企業の資金の調達は、アメリカ、イギリスとかなり違うのです。
 三番目は企業の取引のあり方です。大きな自動車メーカーとその下請工場との関係が非常に継続的な取引であって、封建時代には出入り関係というような言葉を使っていました。お互いに、これから六カ月間の供給について、とにかく今の契約の価格で取引をするということになっています。それが高過ぎるといって隣の会社にお願いしますよ、さよならというようなスポットの取引はしないで、やっぱり継続的な義理関係も多少入るような。
 きのう、酸素協会というおもしろい協会にお話を聞きに行きました。酸素は鉄鋼工場が大いに使います。そのために、酸素をつくっている会社の多くは鉄鋼工場の中でオンサイドの工場を持っています。液体の反対の気化、ガスの形で供給するのは直接鉄鋼会社に、あと液体のものは、その工場からよそへ売ったりします。そういう鉄鋼工場が大家になっているような工場は、鉄鋼工場から値段を下げてくれと言われると、「いや、そんなことしない。さよなら」とは言えないわけですね。やっぱりどうしても、「いやあ、勘弁してください」というような話し合いにならざるを得ないような取引の密度が、イギリスやアメリカの社会よりも非常に高いというのがもう一つの特徴ではないかと思います。
 四番目の特徴は業界内の競争相手との間の競争と協力のバランスの問題です。英米において、あるいは日本における規制緩和提唱者の理想社会においては、競争にウエートが置かれています。協力といえば、常に消費者を犠牲にするようなカルテルじゃないかというような心配ばかり出てくる。そして、そういうことを独占禁止法で厳しく取り締まる。ところが日本では、もっと協力のほうにウエートを置きます。競争がないということはもちろんないんです。しかし、この間ビールの業界のところへ行きまして、いかにして、いろんな点で、例えば景品のつけ方についてまで細かい規則をたくさん決めています。けれど、競争がないということではないんです。十年前にシェアを市場の八%ぐらいしか持っていなかったアサヒビールが、今や三十%ぐらいになり、相当キリンに食い込んでいるというところもあります。しかし、同時に、やっぱりいろいろほかのことで協力するんです。ビールで一番特徴的にあらわれているのは、協力体制を支持し、維持しているのは国税庁です。つまり、競争が非常に激しくなるのは、価格の競争になる場合です。ビール会社同士は、大体価格の競争を避けています。スーパーなんかのディスカウントで非常に価格差が出てきましたけれども、それを利用しないと申し合わせました。アメリカだったら、独占禁止法ですぐ取り締まるものですがす。けれど、日本では税金になるので、国税庁がとにかくそれを守っているというふしがあります。官庁と業界との間の申し合わせで、競争の仕方の秩序を守ることが今までの慣習で、それが非効率的でぶち壊さなければならないというのが、規制緩和の推進者の言うところです。
 そういうふうに、日本的経営、日本的資本主義の特徴を規定いたしますと、どうして辻村江太郎さんのような方が、「それは存在理由をなくした」と言うようになったのでしょうか。3つの主な論法を挙げました。一つは一番大きなテーマで、改革論者。今後辻村さんのような方を改革論者と呼びましょう。改革論者が使う論法の主なものは、いつも冷戦後で始まるんです。冷戦終焉後、国際市場におけるメガ・コンペティションが激化されて、日本の企業が生存するために、コスト・ダウンの戦略をとらなければならない。コスト・ダウンは、自分の工場内の生産過程における合理化は今までずっと進んできました。これ以上できないような状態になっているんですが、ただ、人が余っているという状態があります。終身雇用制のために全然必要のない人に大変高い給料を毎月払わなければならないというはめに陥っているのです。それで、メガ・コンペティションを生き残るために直さなければいけないという論法です。そればかりじゃなくて、貿易材になる自動車とか冷蔵庫とか輸出産業は非常に効率が高いのですが、国内の貿易材にならないような産業は、例の競争よりも協力を重んじるような体制の中で非常にコストが高くなっています。例えば、電気料金が高過ぎるとかがそれです。日経連の報告書の中で、いかにして日本の企業が不利であるかということへの幾つかの例の中に、電力料金があがっていました。ニューヨークと東京の価格を比較すれば、東京はニューヨークよりも二十%ぐらい高い。ところが計算の仕方を見れば、一ドル百三円という計算で二十%でした。それが、その報告書が出たすぐ後で、一ドル百四十円ぐらいの話になって、急に日本の電力がニューヨークに比べて十五%ぐらい安いという時代に入った。このように、根拠の薄い議論が多くあります。もう一つの例として内航海運が挙げられます。小さな船で石油や石炭を運んだりしています。そういう海運界では大体プライス・カルテルをしてますが、とても高くなっています。ところが海運業界の人たちの話では、どんな計算をしてみても高くないということになっています。私はどれが正しいか知りませんけれども、国内の非貿易材の価格で日本の企業がどれだけ競争力を失っているかといえば、私はさほど多くないと思っています。
 必要でない従業員をたくさん抱えているために利益率が下がるということは、確かにあります。それは決して本質的な非効率性というものではなく、分配の問題であると思います。同友会が出した、一番最近の企業白書の副題は「資本効率重視経営」となっています。これからは、資本の利回りを大事に考えるような経営をしなければならないということです。ところが資本効率はどういうふうに計算するかというと、主としてROE、株主資本利回り率です。これは、アメリカでは二十%ぐらいですが、日本では平均して八%です。これでは、ひどいじゃないかということになります。非常におもしろい話があるんですが、新日鉄の子会社でサンコー鉄板という会社があります。その会社は、私の友だちが新日鉄から天下って専務になったんですけが、ちょうどバブルになる前で、彼が入った銀行からの借り入れが多く、自己資本率が二十%ぐらいだったんです。バブルになったときにその銀行へどんどん返すことはできたんですが、その会社の中で、みんなが株を発行してすごい金をもうけているんですよ。彼はそのとき、「いや、ちょっと待って。そんな健全な会社じゃないんですよ」と言いました。バブルのときには建設関係がさほど儲けず、特に官庁は儲けがなくて、結局、非常にもうけるようになったのはバブルの後なんです。1993年に、その会社は急に利益が上がりました。会社「四季報」の中のROEのランキングでサンコーは2番に入ったわけです。なぜROEが非常に高いかというと、自己資本率が非常に低いからなんです。つまり、資本家の自分の株よりも銀行の借り入れのほうを資金として多く使っていましたから、ROEが高くなったのです。だからROEという指標は決して信頼できるような指標とはいえません。
 しかし、それよりも問題なのは資本の効率です。資金をどれだけ有効に使ったかの一番いい指標は利益ではなくて付加価値です。結局GNPに入るのは付加価値なんですね。利益じゃなくて、付加価値です。日本では、九十年以後の不景気のときに、資本付加価値率が下がっています。しかしROEほど下がっていません。それはなぜかというと、付加価値は労働者と資本家が分けるからです。付加価値が給料と利益、それから税金、配当、配当は利益の中に入りますけれども、従業員へ、つまり労働シェア、従業員に払う分と資本家に払う分。そして、日本はROEが低いのは、資本付加価値率が低いというよりも、や付加価値の中の労働分配分が高いからです。つまり、仕事をしていない人をたくさん抱えていて、ボーナスを少しぐらいは下げるかもしれじないが、不況でもボーナスはさほど下げない、まして月給を下げないというような、日本企業の慣習によるものです。これが日本的経営に対する一番主な批難ではないかと思います。
 改革論者がよく使うもう一つの重要な論法は、ますます資金調達、資本市場における競争が激しくなり、日本の企業がもっと株主への収益を大事にしなければ、グローバル化された資本市場において資金の調達が難しくなるということです。従業員重視の経営から株主重視の経営に移らなければならない必然性があるということです。これを推進しようとする人たちの、まず差し当たっての問題は、持ち合い株制です。彼らに言わせれば、株主を適当に正当に重視しないことへの大きな原因は、持ち合い株制度が存在していることになるのです。アメリカやイギリスにおいて、どうして経営者が株主、とりわけ大株主や、機関投資家、たとえばカリフォルニア・ハブリック・エプロイズ・リタイヤメント・システム、カルパースとかの言うことを聞かないのかといいますと、アメリカ、イギリスにおいて敵対的買収が可能になるからです。株主にサービスしない企業は株価が下がる。株価が下がれば敵対的買収が安上がりなんです。全部、市場で株を買うんだから、株価が安ければ敵対的買収が可能になります。株式市場の規則は、アメリカ、イギリスとさほど変わらないんです。敵対的買収を可能にする特殊な規則が、日本で二十年ほど前にでき上がっています。
 ところが、事実起こらないのはどういうわけか。一つは、文化的な要因もあるかもしれません。つまり、企業というのは忠誠の対象となるもので、金で買えないというような文化的価値観があるという要素が多少入るかもしれません。しかし、より重要なのは、やっぱり持ち合い制です。持ち合い制がもともとでき上がったのは、昭和四十年代の資本自由化に近づくころ、アメリカの会社に買収されないように防衛線としてつくったものです。
 その防衛線を崩そうという動きが、現在の日本にあります。例えば、自社株会の制度を去年から許すようになったということです。この八月に経団連が、株式を持ち合っている会社が、持ち合い関係を解消するために、お互いに自社株を買う場合の善意的扱いを書いて、キャピタルゲインズ・タックスをとらない、キャピタルゲイン税を徴収しないことを経団連が提案しています。経団連が意図的に持ち合い株制度の解消をねらっているみたいです。持ち合い株制が解消して、その株が放り出されたら、今よりもニッケイが下がる。つまり株価が下がるという懸念もあって、それを防ぐようにという口実もありますけれども、結局崩そうとしているのは持ち合い株制度であるのではないかと思います。
 それに対する抵抗の動きを、私は日本にあまり見ないのが不思議でしようがないのです。先日、NHKのBS討論という討論会がありました。メインバンク制度についていい本を書いているポーシアーズというベアリングスというアメリカの証券会社に勤めている、アメリカの元学者が、日本語が堪能なのでアメリカの金融業界の代弁者みたいな立場で話していました。彼が言うには、「これから日本は間接金融から直接金融に変わらなければいけない。今まで単なる銀行への預金者であった日本の一般の家庭が、これから資金運用者になってもらわなければならない。証券会社にお金を預けてそして投機的な投資を株式市場や為替市場でしてもらうという資金の運用者に。」ということでした。アメリカは既にそういうような社会になっております。アメリカの株の所有は、アメリカの一般家庭における1年間の可処分所得の百五十%にまで上がっています。日本はまだ25%で、ドイツはまだ十八%ぐらいです。アメリカは既にみんなが資金運用者にならなければ老後の生活が確保されないような状況に置かれております。
 年金のあり方についても、あるいは企業のあり方についてもこういう動きを推進していくのは金融業界です。金融業界及び前々から証券会社と非常に深い関係を持っている自民党の代議士さんが論議しています。おととしのストック・オプション制度の導入、あるいは自社株会制度の導入は大蔵省から出た案ではなくて、議員レポートでした。そういう金融業界の権力を増加させるような動きは主としてそのような国会議員です。
 この動きに抵抗する勢力が出てこないのが不思議ですが、自分にあてがわれた時間を五分も過ぎましたので、その抵抗力になるような方がもしここにおられましたら、どういうふうにこういう動きに対処すべきかということを、ひとつご指摘ください。

【稲上】
 どうも、ありがとうございました。
 先生のお話の中身を繰り返す必要は全くないと思いますけれど、最初に先生がお触れになりましたのは、きょうの日本的経営ということで申しますと、日本的経営の意味が持っている、これはある種の理論モデルということからお話が始まっていたかと思います。現実に日本の企業がすべて日本型経営であるわけでもありませんし、逆に外国にも、日本的経営というもの、あるいはそれに近いような経営というのはたくさん見出すことができて、広く普遍的な要素を持っているといえるでしょう。
 そして最後は、今お触れになりましたように、改革派に対抗して主張する勢力が、一見すると、何か意図的に取り上げないのではないかというふうに私も思いますけれど、なかなか聞こえてこないごとくに見える。さあ、皆様方どうお考えでしょうかという、そういう最後のお話だったように思います。
 途中で、最もおもしろいお話の一つは、直接に頼んでいるのに間接金融というのはどういうことかというようなお話もございました。為替レートの、電力料金が二十三%高かったのが十五%低くなったという話は日本の白書などにもたくさん出てまいりまして、私、見ておりましてもときどきがっかりいたします。一つだけ、大事なポイントで、先生はお触れになりましたけれどあまり強調されなかったことをちょっと付言して申し上げたいと思います。
 それは、今のカルパースのお話が出てまいりましたカリフォルニアの公務員の年金共済、これがアメリカもイギリスも今や株主といいますと機関投資家、あるいはインティテューシュナル・シェアホルダーズと申します、そういうようなものが、個人よりも非常に大きなウエートを持っている。中でも、アメリカで言えば株主主権というようなときには、その代弁者、守護神のような顔をしてカルパースが出てくる。しかし、そのカルパースというものを個々に分解していくと、株主というと、一つは資本家という言葉がすぐにつながって出てくる可能性がありますけれど、実はドーア先生がお触れになりましたように、年金生活者というものに分解されていく。
 アメリカは株式、機関投資家を細分化していくと、個々の老人に突き当たる。その人たちの生活が、実は株主主権という言葉に合成されていく。そういうような社会に日本はなっていないと思います。しかしなっていく可能性がゼロとは言えない。なぜかといいますと、きのう、きょうの新聞をごらんになりましても、年金制度の改革というのはずっと動いてきております。そういうものがみんな、個々人、自分の蓄えをうまく運用していかなければ自分の老後の生活はないのだというふうになってまいりますと、実はカルパースというようなものの存在が、ある意味では、言葉を選ばずに申しますと身近なものに見えてくるはずだと思います。
 工業化した社会は必ず高齢化社会になります。ご承知のように、これから二十五年、三十年というしばらくの間、日本は急速に工業化してまいります。2050年という時点をとりますと、OECD推計によれば、私の記憶が間違いなければ、老年人口の従属比率というようなものが、日本のほうがイタリア、ドイツよりも少し低くピークを打つということではありますけれども、これから二十五年、三十年近くの間は、日本が一番早い速度で高齢化していく。
 そういう工業化した、「豊かな」社会になりました後は、必ず高齢化してまいります。高齢化のピッチは、もちろん長寿化と少子化というものに依存しているわけですね。国立社会保障人口問題研究所で研究員をしている私の友人の話では、いつも見通しを間違ってしまいがちなのだということです。少子化というのを少し甘く見ていたというようなことを言う人があります。
 工業化いたしまして、「豊かな」社会になりますと高齢化していく。ある種、ジェントルマンというんですか、紳士という言葉を置きますと、莫大な資産の上で生活ができていて慈善活動もできる。ちょっとそれとは違いますけども、工業化いたしますと必ず高齢化して、日々の生活の糧を、直接的には自分の今の仕事によって得ているというものでない人たちがその社会の中で大きな比重を占めるような、そういう高齢社会になります。その高齢社会は、今申しますようなある種難しさを内在的に抱えている。したがって、一つの大事なポイントに関連して私の意見を申しますと、高齢化社会のあり方をどう設計するかというようなこと、つまり具体的に申しますと、年金制度がどうなっていくか、どうしていくかというようなことと、株主主権というようなものがどういうふうになっていくのかということとは、深い内在的なかかわりがありますよというようなご指摘をなさっていたかに思われます。これは非常に大事なことだと私は思っております。既に直面しておりますし、これから、いや応なく日本の社会が経験することになる重大な選択であると思われます。

【ドーア】
 昨日の新聞によれば、高齢化、今から二十年先の2019年をとって見れば、働いている人と、おじいさん、おばあさんとの比率がかなり変わって、働いている人の割合が少ない。それに対処するのに、保険料を今の十九%から二十六%まで上げなければならない。給付をどのぐらい減らすか知りませんけれども、給付を幾分か減らすとなっています。そして新聞の書き方も、また将来に対する不安という見出しも、十九%から二十六%へ上がるというのは大変な負担のように読者に考えさせる。
 ところがそこでだれも言わないことは、その間の経済成長についてです。これからの二十年間において平均して二%ぐらいの成長率を日本の経済は維持できるだろうと思うのですが、今のところはみんな悲観しています。けれど、今後の二十年で平均して二%ぐらいはあまり大きな期待じゃないと思います。そうすると、2019年の国民所得も平均賃金も今より50%増えるんです。五十%の増加分において19%の保険料と二十六%の保険料はどれだけの違いになるかというと、今の十九%のままだったら、そのときに働いている人たちが今よりも五十%余計にもらうんですね。ところが二十六%に上げればそれは四十%になるんです。つまり、働く人が犠牲にしなければならないことは、これからの五十%になるはずの増加分が四十%に減ることである。しかしこの案で、働いている人も2019年において、今よりも四十%ぐらい所得が多いんです。ところが、だれもそれを指摘しないんです。どうして指摘しないかというと、みんながやっぱり国家年金を削って、カルパースのような、資金運用者になるような制度に移りたいからです。
 この間、八重洲ブックストアに行ったら、これから導入すべき401Kはどういうものであるかについての書物が、既に4冊出ていました。401Kというのは、イギリスにある制度です。イギリスではペップス(PEPS)といいます。ペスノ・エンプティー・プライムス。それは普通株に投資することを条件に税制的に優遇されるプランなんです。401Kもそうなんです。それを日本にも導入して株式市場を活性化しようという動きなんですね。
 それが、将来の老人にとって非常にいい制度であるということの根拠は、今まで低利の国債の利回りと普通株の利回りの関係はどうかというと、過去の20年間、その前の二十年間も、長い期間を通じて株のほうの利回りが大体五、六%高いということにあります。ところが、この間イギリスの新聞記者が、10人の機関投資家の経営者に電話をして、今後、普通の国債と株式の収益率の利回り差はどうなるだろうと思いますかということを聞いたら、過去のような五、六%だろうというのは半分以下です。そして、ゼロ、あるいはマイナスになると予言したのが二、三人。そして十%になるというのもいました。それほど将来が読めないような世の中になってきました。特に為替によるヘッジ・ファンズの動きで、将来の国債と株式の利回りが全然わからないような状態なんです。だから401K推進者のそういう論法も、根拠が必ずしもかたいものではないと思います。

【稲上】
 ありがとうございました。
 この機会ですので、会場の皆さんから、直接、いろいろご質問、ご意見がございましたらそれをいただいて、もし時間がありましたらもう少しお話を続けることにいたしますが。どなたでも……。恐れ入りますがお名前と所属などを教えていただけますと助かります。
 ご質問なり、ご意見なり、どちらでも結構でございます。非常に刺激的なお話をいただいたと思いますので。どなたからでもどうぞ。どなたか言い出しっぺになっていただくといいかと思います。ご意見でも結構でございます。私は全く別のことを考えているというご意見でも結構です。

【ドーア】
 みんな、あまり日本の将来に対して悲観して……。

【稲上】
 急にたくさん挙がりました。どうぞ。

 

【質問者1】
 日本的経営というものを、ドーア先生なりの、より適切な規定ということで4項目挙げていただいていまして、これはすべてまさにそうだと思うんですけども、私自身は、もう一つ、日本的経営ということでぜひとも取り上げていただきたい点があります。
 この年功賃金とか終身雇用とも関係するんですけども、日本以外のところでは非常に職務給的な色彩といいますか、先生も、これこれの仕事に対して幾らの給料をというような決め方ではなくて、いわゆる就職するとき、入社のときのいわば契約は、この会社のメンバーになるんだという、そういう契約のもとでいろんな工程なり作業なりを全員に近い形で経験することによって、ある会社の中のあらゆることに通じている人間が日本的経営の中であらゆる会社の側面に通じている人間をいっぱい抱えている状態を保ってきた結果、特に製造業の現場において地道な改善というものが行われて、欧米型の大がかりなイノベーションではなくて、非常に地道な改善の積み重ねが今の日本をつくってきた。それは、すなわち日本的経営の一つの特質ではなかろうかと思います。
 ただ、こういったことが、最初のほうに引用されている非常に成熟した社会の中といいますか、要はかなり量産型の家電製品等、自動車も含めていいかと思うんですけど、そうういう意味では非常に力を発揮してきていたんでしょうけども、今後はそういう、まさにそれをキャッチアップと呼んでいいのかどうかやや疑問の残るところではありますけども、これまで日本の発展を支えてきたそういった現場主義的な改善の積み重ねみたいなものが、ひょっとして、あまり役に立たなくなってくるのかもしれないなと。よくわからないんですけども、情報化というか、デジタル化というか、あらゆる現場に通じていろんな改善を行うというような、一つには暗黙の了解みたいな、あうんの呼吸のような以心伝心の中で小さな改善も実ってきたようなことがあったかと思うんですけども、そういったことは、これからコンピューターを駆使した経営の中で果たして保てるのかどうか。ここで言いますと、保存といいますか、保存ないしは今後発展のために使えるのかどうかやや疑問を感じつつも、日本的経営の特質としてぜひ検討していかなければいけない側面ではなかろうかということで、意見のような質問のような、ちょっと妙なことになりました。

【稲上】
 はい。わかりました。
 日本的経営の中にもう一点追加ということで、今のを短く申しますと、現場主義というような、普通の人々の改善努力というものが日本的経営というものの大事な特色ではなかったのか。しかし、これから現場主義というようなものの意味が、むしろ相対的に小さなものになっていくのではないかというようなご指摘だったと思いますが、どうですか。

【ドーア】
 そういう協調的な雰囲気の中で改善ができたのが、量産の生産過程において得であってということですか? それが、もっと複雑なことになって。
 私はそういうことはないと思うんですね。結局、いつもQCサークルとか、そういうことの成果を上げる例は、大抵生産業の職場の話がすぐ出てくるんです。しかしそこばかりじゃないと思います。銀行でも保険会社でもいろいろ会社の機能をよりよくする、改善するような余地が十分あるし、ますますコンピューター化で、上司の命令に従って企画にはまったことだけしか要求されない職業がだんだんとなくなっちゃうんですね。つまり機械化されてコンピューターがやるようになる。そして、ますます人間の裁量できる、正しく判断できるような仕事が余計残るんです。そういうような仕事の密度がだんだんと高くなる。人の頭の働きが、会社の組織によって、労働契約によってちゃんと動機づけられているということこそ、非常に日本的経営の特徴だと思います。
 それが、量産的な生産方式が少なくなったためになくなるようなアドバンテージではないんじゃないかと思います。

【稲上】
  労働基準法の改正の中で、おそらくは裁量労働というものがホワイトカラーに広く浸透していくことになるであろうという見通しのもとで申しますと、裁量労働というのは、ある種の現場主義であると。そのときに、詳しくは日本労働研究雑誌の八月号に、私、書きましたから、ご興味があれば読んでいただきたいんですけども、そういう、実態的に見て既に裁量労働に広く携わっている人々の創造的な働き方を支えているものは何かというと、実は現場主義という言葉で浦田さんがお触れになりましたことにうんと近いものだと思います。ですから、大事にしていくべきなのに、給与格差を大きくつけると人が非常によく働くようになるという非常に素朴な、私、社会学ですから、産業社会学というのはそういうものを否定して生まれましたんですね。私は、そういう議論を産業社会学以前といって無視することにしておりますが、何か非常に物的な、あるいは金銭的な刺激を与えると、人々がモルモットのようによく働くなんて、そういうことはあり得ないんで、創造的な働き方というものが、どういう職場風土というものの中で、どういうリーダーシップのもとで人々が創造的に働けるかということを大量観察調査したのに基づいて書きましたもので、結論的には、私もドーア先生がお考えのことと同じように考えております。

【質問者2】
 1つ、お教え願いたいんですけれども、今取締役会の改革というものが、非常にちまたを騒がせておりますけれども、日本の取締役会は非常に人数が多ございまして、例えば取締役兼人事担当部長とか、そういうふうな部長職も兼ねているような取締役も含めまして、かなり取締役会の規模が大きくなっておりますね。
 最近、資生堂とか日産自動車とかトヨタとかが、取締役の改革という形でスリム化をしております。もう一方ではNECと防衛庁みたいな形で、官庁との癒着みたいな形で取締役が逮捕されるという形にもなっておりまして、取締役とか、あるいは取締役会の意義というものが、今改めて問われるべき時代なのかなというふうな感じもするわけなんですけど。

【ドーア】
 取締役会の?

【質問者2】
 意義です。存在意義とか。

【ドーア】
 意義。

【質問者2】
 そういうものを考えてみましたときに、これから日本の取締役会も、例えばアメリカ型のような形になるか、あるいはドイツ型になるのかわかりませんけれども、やはり変革してスリム化みたいなものをしないといけないのかなという感じを持っているんですが、ドーア先生はどのようなご印象といいますか、予測といいますか、そういうものをお持ちなのか、ちょっと教えていただければと思います。

【ドーア】
 NECと防衛庁の収賄の問題、そういう不正の問題。それは、取締役が関係していたからといって取締役制度自体を問うことはないと思います。防衛産業は競争がないので、イギリスでもアメリカでも一番腐敗しやすいところで、そして、それがたまたま取締役であったということは、取締役制度とは関係ないと思う。
 ところが、今のご質問の前提になっているんじゃないかと思うのは、さっき、コーポレート・ガバナンス論、ああいういろんな報告にあったと同じように、取締役という名前が、アメリカでも日本でも同じなんだから、その機能も同じであるはずだというような考え方があるんです。トヨタ、日産、ソニーなんかが改革をしているのは、そういう考えなんですね。取締役会というのは、会社の戦略を練って、忌憚のないような討論をして、そしてなるべくいい案を出すようなところだと。とんでもない。日本の取締役会はそんな役割を果たしていないんですよ。例えば新日鉄の五十人、判こを押すことだけだということはみんなわかっているんです。それでは、なぜ五十人を置くかというと、一つは、キャリア・インセンティブを与えるため。労働力調査をごらんなさい。労働力調査をごらんになれば、五十歳から五十四歳の男子の中で役員になっている人は十五%ぐらいです。だから、おしまいには役員になれるということで、みんな一生懸命に働く。新日鉄みたいな大きな会社だったら、役員になる確率は何とか二、三%というインセンティブになるぐらいの確率にするために、やっぱり五十人ぐらい取締役がいなければならないんですね。それが一つの一番大きな取締役の存在理由だと思います。
 もう一つは、判こを押すだけでも、いろんなこれからの案について、その五十人はかなり知識を持っています。そして、自分の部と関係するものだったら、立案者に個人的に話をして、その裏の話を聞くわけですね。そういう人たちが自分の部へ帰って部下にそれを話す。情報なんですね。つまり、文章でとれないような情報を社内全体に流すという意味で、相当意味があると思います。
 そして、アメリカの取締役会が果たす機能、つまり、みんなポンポンけんかし合って、案を練って、そしていい案をつくる、そういう機能は日本では別の方法で、取締役会全体でやることはないんです。専務と副社長二、三人で、毎週、あるいは一日おきに集まって、これからどうするかというようなこと、そして何か案が出たときに、自分の部へ持って帰って部下に立案して調査をして、そしてそれを集めて、そういう小さなグループで決めると。結局、そういうような決定する機関がないというわけじゃないんです。
 ただ、決定する機関と取締役の関係は、アメリカと全然違うというだけの話で、どちらがいいかというのは大ざっぱに言えないし、とにかく時間をかけないで、ポンポン早く結論を出したいせっかちなアメリカ人と、もう少し気の長い日本人と、文化的な要素も入ると思います。
 経団連の調査で、そういう緊張感の必要性についての非常におもしろい調査があったんだけど、今の日本の取締役会では緊張感が全然ないですね。みんな一緒。ところがアメリカの取締役会は緊張ばかりだね。それはどちらがいいかと、日本の経営者何千人に聞いたんですよ。その中で、アメリカのほうがいいんだけれども、我々日本人がオープンな討論でけんかをして、後でにこやかに一緒に飲みに行くことはちょっとできないと。

【稲上】
 はい。どうぞ。

【質問者3】
 きょうは日本的経営ということで催されているので、ちょっと変な質問というか意見になるかと思いますけれども、終身雇用制と年功序列賃金、それと企業別労働組合を日本的経営の特徴の一つとして挙げられたし、一般的にそういうふうに言われておりますし、私もそういうふうに思ってはいるんです。けれども、今の三つについて、企業別労働組合は厳然と存在していますから、これは何ら疑問の余地はないんですが、終身雇用制と年功序列ということについて疑問を持っているんです。というのは、終身雇用制にしても年功序列にしても、そもそも定義、終身雇用制という場合、定義は何なんだろうかと。きょうの先生のお話でも、終身雇用制の定義ということについてはおっしゃっておられなかったと思うんですね。
 私はあまりよくわからないし不勉強なんですけれども、例えば終身雇用制の定義として、一つの会社に学校を卒業して入りますね。十八歳なり二十何歳で入る。そうすると、例えば定年が六十歳だとすると、定年まで雇用するということ、これを終身雇用制というふうに一般的に言われていると私は思うんですね。
 ところが、果たして、それでは日本は今までそういうふうなことになっていたんだろうかということに対して、私は非常に懐疑的なんです。ずっと一つの会社に定年まで雇用されていた人というのは、一体どのぐらいいるんだろうかと疑問を持っているんですよ。いろいろな調査資料なんかも、今まで見たりしてきているんですけれども、例えば、ホワイトカラーは定年まで雇用が保証されたかもしれない。しかし、ホワイトカラーの正社員も全部ではないというふうに私は見ているんです。ましてやブルーカラーは、会社に入って途中で随分やめさせられているわけですね。最近はリストラが非常に一般的になっていますから、リストラで随分首を切られていますけれども、高度経済成長期でも、かなりの人たちが途中でやめさせられているわけです。終身雇用制というものが一般的に言われているほどのものであるとするならば、そういうことは部分的というか、若干あるということはあるかもしれませんけれども、そういうことにならないんじゃないかという疑問を持っているんですが、先生はどのようにお考えになっておられるのか。
 それと同じように、年功序列、年功賃金といいましょうか。年功賃金についても果たしてそうかと。1つの会社に入ると、大卒は二十二歳ですね、それで年齢が一歳上がり、勤続年数が一年加算されるにつれて、賃金も上がっていく、それが定年までと。こういうことを年功序列賃金というとすれば、そういう年功賃金をとっている企業は、一体どれだけあるのか。もちろん全部調べるなんてことはできませんし、労働省とかいろんなところの調査、民間の調査もあります。そういうのを見てみると、かなり職務給とか能率給とか、最近じゃなくてもっと前から、戦後いち早く、既に20年代からそういう職務給とか職能給とかというものが入っている企業がたくさんあるわけです。ただ、年齢と勤続で上がっていくという賃金に比べれば、職務給とか職能給で配分する部分は少ないです。最近は増えてきましたけれども、原資は少ない。原資は少ないとは言いながら、そういう賃金制度がとられているわけですね。そういうようなことでありますから、賃金制度、年功賃金というものをとっても、果たして年功賃金制度だったのかということに対して疑問がある。
 それから、日本の株主とアメリカの株主の違いとして、日本の経営者というのは、株主の利益よりも従業員の共同体の長の意識が強いということをおっしゃられたんですけれども、果たしてそうなのかと私は疑問を持っているんですよ。オーナーは別として、やっぱり株主の利益を優先しないと、一般の、いわゆる言うところのサラリーマン経営者というのは、その地位にとどまっていることができるだろうかという疑問があるんです。
 それで先生にお聞きしたいのは、従業員共同体的な意識が強いというお話ですけれども、それを具体的に実証するもの、こういうことが実証できるんだと、そういうものを挙げていただければ、大変ありがたいと。
 それから、最後に抵抗体です。こういうような動きに対する抵抗体、抵抗勢力が日本では見当たらないというお話でした。先生は抵抗勢力としてどういうものをお考えになっているのか、ちょっと長くなってすみませんが、終わります。

【ドーア】
 終身雇用制。もちろん、入る人が定年まで勤めるということはないんです。出向させられるとか、あるいは希望退職で、あまり希望は強くないんだけれども、肩をたたかれて、ということもあります。しかし、終身雇用制がまだあるというのは、定年まで何とか生活を保証する義務が企業にあるという観念が、まだ普通です。
 新日鉄が二年前に一万五千人の従業員を出向させていた、ほかの企業に貸していたわけです。それでも新日鉄の給料を払っていた。アメリカやイギリスの会社だったら、それはたちまち解雇ということになるんです。それが大きな違いでなければ、どういうところに制度の違いを引くかわからないと思います。それは非常に大きな違いだと思います。
 そして年功序列も、もともと「年=序」、「年=功」ということではなくて、「年+功」。さっきおっしゃったように、もともと人の成績によって、よくできる人が余計もらう、そして早く昇進する。それはむしろ日本の企業の伝統であると思います。最近、非常に年功がいけないので能率給にしなければならないとみんな騒いでいるでしょう。年俸制にしろと言っているでしょう。ところが、それが事実上どれだけ変わるかというと、同じ大学卒四十五歳の給料の分布をごらんなさい。昔も今も、一番多い人が大体平均の三割ぐらい高い。低い人が平均より2割ぐらい低いというような分布は、稲上さんの調査なんかにもよくあらわれていますけれど、それはあまり変わらないんですね。それぐらいのスプレッドがあるのは年功序列制といえばいいと思います。
 経営者の頭の中を顕微鏡で見てどういう意識であるかということを立証することは難しい。もちろん株主に対しては義理を感じるんです。安定配当を保つということは、経営者としての一つの目標でなければならないというのは一般的な考え方です。そして安定配当、つまり無配になる、あるいは配当を減らすということはやっぱりなるべく避けたい。そうする前に自分の賃金までカットするのが非常に多いですね。従業員の月給をカットする前に、管理職者十%カットとかいうことをする企業は非常に多いんです。それはイギリスやアメリカで考えられないような状態であるから、やっぱり大きな違いではないかと思います。
 抵抗はどこから出てくるかと言えば、株主重視の企業へ本格的に移れば、それは大変だと思っているはずなのは労働組合なんです。だから、連合の方にもしょっちゅう言っておりますが、どうしてコーポレート・ガバナンス、株主云々とみんな言っている世の中で、どうして連合がそれに抵抗する……。例えば、今自民党が監査役会を強化するような立法を準備しています。その監査役の中に従業員代表を加えるという案をどうしてだれも提唱しないのか、僕は不思議でしようがない。

【質問者3】
 キャッチアップ型産業政策からの転換ということが、ここで前提とされているんじゃないかと思われてございますけれども、端的に、キャッチアップ政策が変われば日本型経営の存在理由というものは変わるんだという趣旨だと思うわけでございますが、そういう理解でよろしいでしょうか。このキャッチアップ型政策が変われば日本型の経営の政策が変わると。

【稲上】
 基本的には逆だと思いますが。そういうお考えではないというご趣旨でお話があったように思います。

【質問者3】
 なるほど。わかりました。
 一つ、私が前から考えておりますのに、日本型経営という形で、こうやって幾つか定義というのがあると思うわけでございますけども、もう一つ、日本の科学技術の導入が、日本型経営の特徴として一つあるのではないかということを私は前から考えているんですけれども、その点はいかがでしょうか。

【稲上】
 ちょっとごく手短に、私がもし質問されると、内容わかりませんので、どういうことをお考えでございますか。

【質問者3】
 日本型経営というものの基幹、ベースに、やはり科学技術の導入というものが産業という場合に決定的であったんだろうと思うわけでございますが、例えば発電機ということを考えたときに、第一号機は、外国の会社へ日本は発注してつくる。第二号機はそれを持ってきて全部分解して、そしてダミーというか、コピーをつくって設置するというような形を従来やってきていると思うんですね。
 要するに、簡単に言えば、日本型の科学技術の導入というのはコピーから発足する。そういう形の科学技術の導入というものが、一つ、日本型経営というものの特徴ではなかったかと。

【ドーア】
 海外技術の導入については、明治時代には機械を分解して、まねして技術を盗んだこともあったでしょう。しかし、戦後は、技術を買ったり、外国の技師からノウハウも教えてもらったり。もちろん戦後の日本の産業、特に生産業は三十年代の形に凍結されていたんです。その間、特にアメリカで、戦時中すごい技術の進歩があったんです。アメリカにあって、あるいはヨーロッパにあって、日本にないような技術がたくさんあって、そしてそれを導入することによって、非常に高度の成長率を保つことができたということは確かなんですね。
 しかし、そういう導入の時代が終わって、日本が技術輸出国になると同時に、やっぱり世界全体の頭脳が日本に集まっているわけではないから、アメリカでもヨーロッパでも発明しているんだから、まだ日本が輸入する技術のほうが輸出する技術よりも大きいんです。だから、それが日本の一つの強みなんですね。
 世界中でどういう新しい技術が開発されているかということの情報網が、非常に密度が高い。だからイギリスの企業が日本の企業に劣っている一つの点は、やっぱりよそからどういういい技術があるかをかぎ出して、それを取り入れる努力は日本のほうがイギリスよりもずっと高い。そういう努力が一つの強みである。例えばそういう情報網は、R&D費用にかかる一つの形なんですが、そういう情報網にたくさん投資するということは、やっぱり企業の経営戦略は非常に長期的な展望を持っているということ。長期的な展望を持っているというのは、社長の給料が今年の業績、来年の業績によって大いに違うような社長じゃなくて、さきほどの件を立証するにあたっての一つのパラメーターになると思いますが、給料が、今年赤字であるか黒字であるかは全然関係なくて、ただ自分が終身勤めたような企業を、将来、後の人に譲るときに、なるべく遠い将来まで繁栄できるような企業にしたい、そういうような経営戦略ですから、世界中の新しい技術をかぎ出すような組織を余計つくるわけです。だから、そういう意味で日本的経営と関係することもあると思います。

【質問者4】
 抵抗勢力は何か、その最たるもの、労働組合に身を置くものとして、ちょっと一言ぐらい言わないと、と思って考えていました。
 日本的経営を守るかと問われれば、労働組合にとって、日本的経営そのものは、守るべきものとかそういうたぐいのものではないだろうと、私は思います。ですから、本日の最後のご質問に、日本的経営を守るか否かというふうに問題を立てられたら、労働組合というのは多分そういう立場じゃないかと思います。ただ、我々が守るべきものは何かといえば、きょうのお話の中にありました分配論の比較から、日本的経営の特徴というものを考えていく。この領域において、分配的正義を貫くというのは労働組合の基本的任務ですし、連合もその強化に努めているところであります。
 そういう視点から、個々の具体的な問題について発言し運動していくということは、これからやっていかなければいけないと思っています。その点で、先生がごらんになって、日本の組合は何もやっていないんじゃないかと。何にもやっていないとごらんになるのは無理もないような実情もあろうとは思いますが、ただ、今運動の中の一部では、日本における労働者参加を、例えば法制化も展望しながら強化しようという意見は現にございますし、それから企業の中でも、ご存じのように労働者参加の実践というのは続いております。ですから、そういうことを通じて、今後先生のご質問というか、発せられた問いに対する実践的な答えをやっていきたいと思っております。ただ、十分、不十分はわかりませんが。質問にならなかった。すみません。

【稲上】
 決意表明をしていただいたみたいな。
時間がまいりましたので、不手際でございますが、これで終わらせていただきたいと思います。ドーア先生にお礼を。どうもありがとうございました。(拍手)

【司会】
 どうもありがとうございました。

── 了 ──