【質問者1】
日本的経営というものを、ドーア先生なりの、より適切な規定ということで4項目挙げていただいていまして、これはすべてまさにそうだと思うんですけども、私自身は、もう一つ、日本的経営ということでぜひとも取り上げていただきたい点があります。
この年功賃金とか終身雇用とも関係するんですけども、日本以外のところでは非常に職務給的な色彩といいますか、先生も、これこれの仕事に対して幾らの給料をというような決め方ではなくて、いわゆる就職するとき、入社のときのいわば契約は、この会社のメンバーになるんだという、そういう契約のもとでいろんな工程なり作業なりを全員に近い形で経験することによって、ある会社の中のあらゆることに通じている人間が日本的経営の中であらゆる会社の側面に通じている人間をいっぱい抱えている状態を保ってきた結果、特に製造業の現場において地道な改善というものが行われて、欧米型の大がかりなイノベーションではなくて、非常に地道な改善の積み重ねが今の日本をつくってきた。それは、すなわち日本的経営の一つの特質ではなかろうかと思います。
ただ、こういったことが、最初のほうに引用されている非常に成熟した社会の中といいますか、要はかなり量産型の家電製品等、自動車も含めていいかと思うんですけど、そうういう意味では非常に力を発揮してきていたんでしょうけども、今後はそういう、まさにそれをキャッチアップと呼んでいいのかどうかやや疑問の残るところではありますけども、これまで日本の発展を支えてきたそういった現場主義的な改善の積み重ねみたいなものが、ひょっとして、あまり役に立たなくなってくるのかもしれないなと。よくわからないんですけども、情報化というか、デジタル化というか、あらゆる現場に通じていろんな改善を行うというような、一つには暗黙の了解みたいな、あうんの呼吸のような以心伝心の中で小さな改善も実ってきたようなことがあったかと思うんですけども、そういったことは、これからコンピューターを駆使した経営の中で果たして保てるのかどうか。ここで言いますと、保存といいますか、保存ないしは今後発展のために使えるのかどうかやや疑問を感じつつも、日本的経営の特質としてぜひ検討していかなければいけない側面ではなかろうかということで、意見のような質問のような、ちょっと妙なことになりました。
【稲上】
はい。わかりました。
日本的経営の中にもう一点追加ということで、今のを短く申しますと、現場主義というような、普通の人々の改善努力というものが日本的経営というものの大事な特色ではなかったのか。しかし、これから現場主義というようなものの意味が、むしろ相対的に小さなものになっていくのではないかというようなご指摘だったと思いますが、どうですか。
【ドーア】
そういう協調的な雰囲気の中で改善ができたのが、量産の生産過程において得であってということですか? それが、もっと複雑なことになって。
私はそういうことはないと思うんですね。結局、いつもQCサークルとか、そういうことの成果を上げる例は、大抵生産業の職場の話がすぐ出てくるんです。しかしそこばかりじゃないと思います。銀行でも保険会社でもいろいろ会社の機能をよりよくする、改善するような余地が十分あるし、ますますコンピューター化で、上司の命令に従って企画にはまったことだけしか要求されない職業がだんだんとなくなっちゃうんですね。つまり機械化されてコンピューターがやるようになる。そして、ますます人間の裁量できる、正しく判断できるような仕事が余計残るんです。そういうような仕事の密度がだんだんと高くなる。人の頭の働きが、会社の組織によって、労働契約によってちゃんと動機づけられているということこそ、非常に日本的経営の特徴だと思います。
それが、量産的な生産方式が少なくなったためになくなるようなアドバンテージではないんじゃないかと思います。
【稲上】
労働基準法の改正の中で、おそらくは裁量労働というものがホワイトカラーに広く浸透していくことになるであろうという見通しのもとで申しますと、裁量労働というのは、ある種の現場主義であると。そのときに、詳しくは日本労働研究雑誌の八月号に、私、書きましたから、ご興味があれば読んでいただきたいんですけども、そういう、実態的に見て既に裁量労働に広く携わっている人々の創造的な働き方を支えているものは何かというと、実は現場主義という言葉で浦田さんがお触れになりましたことにうんと近いものだと思います。ですから、大事にしていくべきなのに、給与格差を大きくつけると人が非常によく働くようになるという非常に素朴な、私、社会学ですから、産業社会学というのはそういうものを否定して生まれましたんですね。私は、そういう議論を産業社会学以前といって無視することにしておりますが、何か非常に物的な、あるいは金銭的な刺激を与えると、人々がモルモットのようによく働くなんて、そういうことはあり得ないんで、創造的な働き方というものが、どういう職場風土というものの中で、どういうリーダーシップのもとで人々が創造的に働けるかということを大量観察調査したのに基づいて書きましたもので、結論的には、私もドーア先生がお考えのことと同じように考えております。
【質問者2】
1つ、お教え願いたいんですけれども、今取締役会の改革というものが、非常にちまたを騒がせておりますけれども、日本の取締役会は非常に人数が多ございまして、例えば取締役兼人事担当部長とか、そういうふうな部長職も兼ねているような取締役も含めまして、かなり取締役会の規模が大きくなっておりますね。
最近、資生堂とか日産自動車とかトヨタとかが、取締役の改革という形でスリム化をしております。もう一方ではNECと防衛庁みたいな形で、官庁との癒着みたいな形で取締役が逮捕されるという形にもなっておりまして、取締役とか、あるいは取締役会の意義というものが、今改めて問われるべき時代なのかなというふうな感じもするわけなんですけど。
【ドーア】
取締役会の?
【質問者2】
意義です。存在意義とか。
【ドーア】
意義。
【質問者2】
そういうものを考えてみましたときに、これから日本の取締役会も、例えばアメリカ型のような形になるか、あるいはドイツ型になるのかわかりませんけれども、やはり変革してスリム化みたいなものをしないといけないのかなという感じを持っているんですが、ドーア先生はどのようなご印象といいますか、予測といいますか、そういうものをお持ちなのか、ちょっと教えていただければと思います。
【ドーア】
NECと防衛庁の収賄の問題、そういう不正の問題。それは、取締役が関係していたからといって取締役制度自体を問うことはないと思います。防衛産業は競争がないので、イギリスでもアメリカでも一番腐敗しやすいところで、そして、それがたまたま取締役であったということは、取締役制度とは関係ないと思う。
ところが、今のご質問の前提になっているんじゃないかと思うのは、さっき、コーポレート・ガバナンス論、ああいういろんな報告にあったと同じように、取締役という名前が、アメリカでも日本でも同じなんだから、その機能も同じであるはずだというような考え方があるんです。トヨタ、日産、ソニーなんかが改革をしているのは、そういう考えなんですね。取締役会というのは、会社の戦略を練って、忌憚のないような討論をして、そしてなるべくいい案を出すようなところだと。とんでもない。日本の取締役会はそんな役割を果たしていないんですよ。例えば新日鉄の五十人、判こを押すことだけだということはみんなわかっているんです。それでは、なぜ五十人を置くかというと、一つは、キャリア・インセンティブを与えるため。労働力調査をごらんなさい。労働力調査をごらんになれば、五十歳から五十四歳の男子の中で役員になっている人は十五%ぐらいです。だから、おしまいには役員になれるということで、みんな一生懸命に働く。新日鉄みたいな大きな会社だったら、役員になる確率は何とか二、三%というインセンティブになるぐらいの確率にするために、やっぱり五十人ぐらい取締役がいなければならないんですね。それが一つの一番大きな取締役の存在理由だと思います。
もう一つは、判こを押すだけでも、いろんなこれからの案について、その五十人はかなり知識を持っています。そして、自分の部と関係するものだったら、立案者に個人的に話をして、その裏の話を聞くわけですね。そういう人たちが自分の部へ帰って部下にそれを話す。情報なんですね。つまり、文章でとれないような情報を社内全体に流すという意味で、相当意味があると思います。
そして、アメリカの取締役会が果たす機能、つまり、みんなポンポンけんかし合って、案を練って、そしていい案をつくる、そういう機能は日本では別の方法で、取締役会全体でやることはないんです。専務と副社長二、三人で、毎週、あるいは一日おきに集まって、これからどうするかというようなこと、そして何か案が出たときに、自分の部へ持って帰って部下に立案して調査をして、そしてそれを集めて、そういう小さなグループで決めると。結局、そういうような決定する機関がないというわけじゃないんです。
ただ、決定する機関と取締役の関係は、アメリカと全然違うというだけの話で、どちらがいいかというのは大ざっぱに言えないし、とにかく時間をかけないで、ポンポン早く結論を出したいせっかちなアメリカ人と、もう少し気の長い日本人と、文化的な要素も入ると思います。
経団連の調査で、そういう緊張感の必要性についての非常におもしろい調査があったんだけど、今の日本の取締役会では緊張感が全然ないですね。みんな一緒。ところがアメリカの取締役会は緊張ばかりだね。それはどちらがいいかと、日本の経営者何千人に聞いたんですよ。その中で、アメリカのほうがいいんだけれども、我々日本人がオープンな討論でけんかをして、後でにこやかに一緒に飲みに行くことはちょっとできないと。
【稲上】
はい。どうぞ。
【質問者3】
きょうは日本的経営ということで催されているので、ちょっと変な質問というか意見になるかと思いますけれども、終身雇用制と年功序列賃金、それと企業別労働組合を日本的経営の特徴の一つとして挙げられたし、一般的にそういうふうに言われておりますし、私もそういうふうに思ってはいるんです。けれども、今の三つについて、企業別労働組合は厳然と存在していますから、これは何ら疑問の余地はないんですが、終身雇用制と年功序列ということについて疑問を持っているんです。というのは、終身雇用制にしても年功序列にしても、そもそも定義、終身雇用制という場合、定義は何なんだろうかと。きょうの先生のお話でも、終身雇用制の定義ということについてはおっしゃっておられなかったと思うんですね。
私はあまりよくわからないし不勉強なんですけれども、例えば終身雇用制の定義として、一つの会社に学校を卒業して入りますね。十八歳なり二十何歳で入る。そうすると、例えば定年が六十歳だとすると、定年まで雇用するということ、これを終身雇用制というふうに一般的に言われていると私は思うんですね。
ところが、果たして、それでは日本は今までそういうふうなことになっていたんだろうかということに対して、私は非常に懐疑的なんです。ずっと一つの会社に定年まで雇用されていた人というのは、一体どのぐらいいるんだろうかと疑問を持っているんですよ。いろいろな調査資料なんかも、今まで見たりしてきているんですけれども、例えば、ホワイトカラーは定年まで雇用が保証されたかもしれない。しかし、ホワイトカラーの正社員も全部ではないというふうに私は見ているんです。ましてやブルーカラーは、会社に入って途中で随分やめさせられているわけですね。最近はリストラが非常に一般的になっていますから、リストラで随分首を切られていますけれども、高度経済成長期でも、かなりの人たちが途中でやめさせられているわけです。終身雇用制というものが一般的に言われているほどのものであるとするならば、そういうことは部分的というか、若干あるということはあるかもしれませんけれども、そういうことにならないんじゃないかという疑問を持っているんですが、先生はどのようにお考えになっておられるのか。
それと同じように、年功序列、年功賃金といいましょうか。年功賃金についても果たしてそうかと。1つの会社に入ると、大卒は二十二歳ですね、それで年齢が一歳上がり、勤続年数が一年加算されるにつれて、賃金も上がっていく、それが定年までと。こういうことを年功序列賃金というとすれば、そういう年功賃金をとっている企業は、一体どれだけあるのか。もちろん全部調べるなんてことはできませんし、労働省とかいろんなところの調査、民間の調査もあります。そういうのを見てみると、かなり職務給とか能率給とか、最近じゃなくてもっと前から、戦後いち早く、既に20年代からそういう職務給とか職能給とかというものが入っている企業がたくさんあるわけです。ただ、年齢と勤続で上がっていくという賃金に比べれば、職務給とか職能給で配分する部分は少ないです。最近は増えてきましたけれども、原資は少ない。原資は少ないとは言いながら、そういう賃金制度がとられているわけですね。そういうようなことでありますから、賃金制度、年功賃金というものをとっても、果たして年功賃金制度だったのかということに対して疑問がある。
それから、日本の株主とアメリカの株主の違いとして、日本の経営者というのは、株主の利益よりも従業員の共同体の長の意識が強いということをおっしゃられたんですけれども、果たしてそうなのかと私は疑問を持っているんですよ。オーナーは別として、やっぱり株主の利益を優先しないと、一般の、いわゆる言うところのサラリーマン経営者というのは、その地位にとどまっていることができるだろうかという疑問があるんです。
それで先生にお聞きしたいのは、従業員共同体的な意識が強いというお話ですけれども、それを具体的に実証するもの、こういうことが実証できるんだと、そういうものを挙げていただければ、大変ありがたいと。
それから、最後に抵抗体です。こういうような動きに対する抵抗体、抵抗勢力が日本では見当たらないというお話でした。先生は抵抗勢力としてどういうものをお考えになっているのか、ちょっと長くなってすみませんが、終わります。
【ドーア】
終身雇用制。もちろん、入る人が定年まで勤めるということはないんです。出向させられるとか、あるいは希望退職で、あまり希望は強くないんだけれども、肩をたたかれて、ということもあります。しかし、終身雇用制がまだあるというのは、定年まで何とか生活を保証する義務が企業にあるという観念が、まだ普通です。
新日鉄が二年前に一万五千人の従業員を出向させていた、ほかの企業に貸していたわけです。それでも新日鉄の給料を払っていた。アメリカやイギリスの会社だったら、それはたちまち解雇ということになるんです。それが大きな違いでなければ、どういうところに制度の違いを引くかわからないと思います。それは非常に大きな違いだと思います。
そして年功序列も、もともと「年=序」、「年=功」ということではなくて、「年+功」。さっきおっしゃったように、もともと人の成績によって、よくできる人が余計もらう、そして早く昇進する。それはむしろ日本の企業の伝統であると思います。最近、非常に年功がいけないので能率給にしなければならないとみんな騒いでいるでしょう。年俸制にしろと言っているでしょう。ところが、それが事実上どれだけ変わるかというと、同じ大学卒四十五歳の給料の分布をごらんなさい。昔も今も、一番多い人が大体平均の三割ぐらい高い。低い人が平均より2割ぐらい低いというような分布は、稲上さんの調査なんかにもよくあらわれていますけれど、それはあまり変わらないんですね。それぐらいのスプレッドがあるのは年功序列制といえばいいと思います。
経営者の頭の中を顕微鏡で見てどういう意識であるかということを立証することは難しい。もちろん株主に対しては義理を感じるんです。安定配当を保つということは、経営者としての一つの目標でなければならないというのは一般的な考え方です。そして安定配当、つまり無配になる、あるいは配当を減らすということはやっぱりなるべく避けたい。そうする前に自分の賃金までカットするのが非常に多いですね。従業員の月給をカットする前に、管理職者十%カットとかいうことをする企業は非常に多いんです。それはイギリスやアメリカで考えられないような状態であるから、やっぱり大きな違いではないかと思います。
抵抗はどこから出てくるかと言えば、株主重視の企業へ本格的に移れば、それは大変だと思っているはずなのは労働組合なんです。だから、連合の方にもしょっちゅう言っておりますが、どうしてコーポレート・ガバナンス、株主云々とみんな言っている世の中で、どうして連合がそれに抵抗する……。例えば、今自民党が監査役会を強化するような立法を準備しています。その監査役の中に従業員代表を加えるという案をどうしてだれも提唱しないのか、僕は不思議でしようがない。
【質問者3】
キャッチアップ型産業政策からの転換ということが、ここで前提とされているんじゃないかと思われてございますけれども、端的に、キャッチアップ政策が変われば日本型経営の存在理由というものは変わるんだという趣旨だと思うわけでございますが、そういう理解でよろしいでしょうか。このキャッチアップ型政策が変われば日本型の経営の政策が変わると。
【稲上】
基本的には逆だと思いますが。そういうお考えではないというご趣旨でお話があったように思います。
【質問者3】
なるほど。わかりました。
一つ、私が前から考えておりますのに、日本型経営という形で、こうやって幾つか定義というのがあると思うわけでございますけども、もう一つ、日本の科学技術の導入が、日本型経営の特徴として一つあるのではないかということを私は前から考えているんですけれども、その点はいかがでしょうか。
【稲上】
ちょっとごく手短に、私がもし質問されると、内容わかりませんので、どういうことをお考えでございますか。
【質問者3】
日本型経営というものの基幹、ベースに、やはり科学技術の導入というものが産業という場合に決定的であったんだろうと思うわけでございますが、例えば発電機ということを考えたときに、第一号機は、外国の会社へ日本は発注してつくる。第二号機はそれを持ってきて全部分解して、そしてダミーというか、コピーをつくって設置するというような形を従来やってきていると思うんですね。
要するに、簡単に言えば、日本型の科学技術の導入というのはコピーから発足する。そういう形の科学技術の導入というものが、一つ、日本型経営というものの特徴ではなかったかと。
【ドーア】
海外技術の導入については、明治時代には機械を分解して、まねして技術を盗んだこともあったでしょう。しかし、戦後は、技術を買ったり、外国の技師からノウハウも教えてもらったり。もちろん戦後の日本の産業、特に生産業は三十年代の形に凍結されていたんです。その間、特にアメリカで、戦時中すごい技術の進歩があったんです。アメリカにあって、あるいはヨーロッパにあって、日本にないような技術がたくさんあって、そしてそれを導入することによって、非常に高度の成長率を保つことができたということは確かなんですね。
しかし、そういう導入の時代が終わって、日本が技術輸出国になると同時に、やっぱり世界全体の頭脳が日本に集まっているわけではないから、アメリカでもヨーロッパでも発明しているんだから、まだ日本が輸入する技術のほうが輸出する技術よりも大きいんです。だから、それが日本の一つの強みなんですね。
世界中でどういう新しい技術が開発されているかということの情報網が、非常に密度が高い。だからイギリスの企業が日本の企業に劣っている一つの点は、やっぱりよそからどういういい技術があるかをかぎ出して、それを取り入れる努力は日本のほうがイギリスよりもずっと高い。そういう努力が一つの強みである。例えばそういう情報網は、R&D費用にかかる一つの形なんですが、そういう情報網にたくさん投資するということは、やっぱり企業の経営戦略は非常に長期的な展望を持っているということ。長期的な展望を持っているというのは、社長の給料が今年の業績、来年の業績によって大いに違うような社長じゃなくて、さきほどの件を立証するにあたっての一つのパラメーターになると思いますが、給料が、今年赤字であるか黒字であるかは全然関係なくて、ただ自分が終身勤めたような企業を、将来、後の人に譲るときに、なるべく遠い将来まで繁栄できるような企業にしたい、そういうような経営戦略ですから、世界中の新しい技術をかぎ出すような組織を余計つくるわけです。だから、そういう意味で日本的経営と関係することもあると思います。
【質問者4】
抵抗勢力は何か、その最たるもの、労働組合に身を置くものとして、ちょっと一言ぐらい言わないと、と思って考えていました。
日本的経営を守るかと問われれば、労働組合にとって、日本的経営そのものは、守るべきものとかそういうたぐいのものではないだろうと、私は思います。ですから、本日の最後のご質問に、日本的経営を守るか否かというふうに問題を立てられたら、労働組合というのは多分そういう立場じゃないかと思います。ただ、我々が守るべきものは何かといえば、きょうのお話の中にありました分配論の比較から、日本的経営の特徴というものを考えていく。この領域において、分配的正義を貫くというのは労働組合の基本的任務ですし、連合もその強化に努めているところであります。
そういう視点から、個々の具体的な問題について発言し運動していくということは、これからやっていかなければいけないと思っています。その点で、先生がごらんになって、日本の組合は何もやっていないんじゃないかと。何にもやっていないとごらんになるのは無理もないような実情もあろうとは思いますが、ただ、今運動の中の一部では、日本における労働者参加を、例えば法制化も展望しながら強化しようという意見は現にございますし、それから企業の中でも、ご存じのように労働者参加の実践というのは続いております。ですから、そういうことを通じて、今後先生のご質問というか、発せられた問いに対する実践的な答えをやっていきたいと思っております。ただ、十分、不十分はわかりませんが。質問にならなかった。すみません。
【稲上】
決意表明をしていただいたみたいな。
時間がまいりましたので、不手際でございますが、これで終わらせていただきたいと思います。ドーア先生にお礼を。どうもありがとうございました。(拍手)
【司会】
どうもありがとうございました。
|