基礎情報:香港(2000年)

※このページは、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

  1. 一般項目
  2. 経済概況
  3. 対日経済関係
  4. 労働市場
  5. 賃金
  6. 労働時間
  7. 労使関係
  8. 労働行政
  9. 労働法制
  10. 労働災害
国名
中華人民共和国香港特別行政区
英文国名
Hong Kong Special Administrative Region
人口
697.48万人(1999年12月)
面積
1097平方キロメートル
人口密度
約6480人/平方キロメートル
言語
公用語は、中国語および英語
宗教
仏教、道教、キリスト教など
政体
中華人民共和国香港特別行政区(Hong Kong Special Administrative Region: SAR)
実質経済成長率
+2.9%(1999年)
通貨単位
1HK ドル=13.8円(2000年平均)
GDP
1618億米ドル(1999年)
1人当たりGDP
2万3200米ドル(1999年)
消費者物価上昇率
△4.0%(1999年)
主要産業
金融業、工業、不動産業、観光業、水産業など
対日主要輸入品目
半導体、電子バルブおよび管、通信機器および部品、事務機器、電気機器など
対日輸入額
209億米ドル(1999年)
対日主要輸出品目
半導体、電子バルブおよび管、事務機器、宝石、時計、アパレル・繊維製品など
対日輸出額
93億米ドル(1999年)
日本の直接投資
9.7億米ドル(1999年)
日本の投資件数
75件(1999年)
在留邦人数
2万3480人(1999年10月)

出所:

大蔵省(財政金融月報、外国貿易概況)、外務省(海外在留邦人数調査統計)ほか

1.労働市場の概況

香港労働市場は、1997年後半のアジア通貨・経済危機とその後の不景気以来2年間、高い失業率の「停滞状態」と労働力の「過剰」に落ち入っていたが、2000年当初から回復を始めた。経済の迅速な回復と成長の結果、失業水準は目立ったペースで低下し、6%のピークから、2000年中頃に約5.5%へと下がった。業績の改善および人員の減少化は、まず第一に、職場で広がっていた賃金削減と賃金凍結の問題をくい止めた。年の中頃には、下降傾向にあった賃金は、ほとんどの使用者が楽観的におだやかな賃金引き上げを発表してから、全体的傾向を逆転させた。香港使用者連盟は、勧告として2%の賃金引き上げ基準を加盟企業に賃金調整の参考として提示した。

2.労働市場関連情報

労働力人口
347万7000人(1999年)
就業者数
326万人(1999年)
失業率
6.2%(1999年)
失業者数
21万7000人(1999年)

出所:“Hong Kong Monthly Digest of Statis-tics

1.賃金制度の概要

香港の賃金体系は常に競争的で、規制や制約による硬直性はほとんどない。自由労働市場に関する、この主張を裏付けるものは次のとおりである。(1)団体交渉の未発達および未成熟ならびに企業における賃金決定の日常的活動の不在。(2)法定最低賃金を定めない自由賃金政策。ただし、低賃金産業を調査し標準賃金を発表する法的仕組みがある。政府は、団体交渉に関する労働者および労働組合の権利を支援することによる民間賃金市場への介入をおこなわない。実際、特別行政区政府は1997年の発足直後、新たに制定されたが議論の多かった「代表性、協議および団体交渉に関する労働者の権利条例」を撤回廃止したが、これは職場における団体交渉および代表性の権利を香港の労働者に与えるはずのものであった。

しかし、最低賃金基準に関する公的規制は香港労働市場で全くないわけではなく、期限付きの2年契約で雇用される外国人移民労働者の労働市場では常に存在していた。こうした契約は、たとえば家事ヘルパーについて決まった標準賃金の下限を特定の産業分野で一般的な平均レベル以下の賃金で雇わないとする使用者の義務を定めている。

1950~60年代において、香港では、臨時雇用が多く、これら非正規雇用は、歩合、日給または時給という賃金支払い方法だった。その後1970~80年代に、多くの大規模事業所において臨時雇用離れが起こった。これらの事業所は、終身雇用と月給制により、臨時労働者を社員に転換した。

この時期の労働調査は、次のように給与システムに反映されている変化を示している。

「後者(ブルーカラー労働者)の2/3以上が1985年に月給制で賃金の支払いを受けており、1976年の1/5と対比される。さらに、1976年にはこれらの労働者は週給または日給を依然受けていたが、1985年にはその割合は取るに足りないものになった(1)。」

しかし、世紀末となってこの傾向は再び逆転した。1997年以降の景気後退と、使用者が雇用制度の柔軟性を広範に追求したことが理由である。「非正規労働者」と呼ばれるパートタイム労働者および臨時労働者などの柔軟な雇用は、臨時労働市場ならびに時給ベースの労働者に対する支払いへの回帰となった。

注:H.A.Turner, Patricia Fosh and Ng Sek Hong, Between Two Societies ; Hong Kong Labour in Transition, Centre of Asian Studies, University of Hong Kong, 1991, p.27.

2.最低賃金

政府は1940年代に賃金委員会条例(Trade Board Ordinance)を導入し、最低賃金決定の仕組みを産業別に制度化し、低賃金の産業を調査しそれらについて最低賃金を発表する賃金協議会を任命する英国の制度を基本的に模傲しているが、戦後の工業化時代における経済および労働市場の持続的繁栄により、香港は、この法律を発動せず、一般労働者について最低賃金を必要としないで済んだ。

しかし、法定下限制限の潜在的な影響(下限は賃金引き上げを無意識的に凍結し、限界的労働者を駆逐するおそれがある)について労働運動が無関心であることを一つの理由として労働者保護のための最低賃金の規制および決定を政府が避けたにもかかわらず、労働市場の最近の二つの展開は、香港経済における「自由」賃金形態に対する統制手段に関するこうした議論を骨抜きにした。第1は、1960年代後半に初めて香港に導入された外国人家事ヘルパーを保護し、その後労働者移入制度のもとで当地における労働を許された半熟練および未熟練の外国人労働者をも包含するようになった行政的特権に関係するものであり、そのことによって政府は外国人労働者の賃金最低基準を定めることができた。その趣旨は、外国人労働者をその従順さ故に搾取的である低賃金状態から守るだけでなく、低賃金労働の提供が可能となった場合に、雇用機会が「外国人」に害され脅かされる地元労働者をも守るものであった。第二は、中国からの最近の移民や工場の移転と時代遅れの技術により解雇され、再雇用が不適格な生産労働者のような社会的縁辺グループの間での産業的貧困層の漸進的成長である。1997年後半の景気停滞期以降、失業者グループは、工業、サービスおよび生産のすべての部門から解雇された多くの人々で満たされた。しかし、政府は、一般的最低賃金を、貧困ライン縁辺で働いている人々のためのこととして導入することを堅く阻んできた。しかし、政府は、恵まれない人々や貧困家庭のために、公的補助金の形態での「社会保障」給付を拡大し、提供することに合意した。

  • 香港は、労働者一般のために、法定最低賃金を立法化していない。外国から雇用された家内ヘルパーを除き、民間の賃金レベルについての規制はない。これらの外国人家事ヘルパーのために定められた最低賃金は、1999年2月3日から見直しおよび調整がなされ、1カ月3,670香港ドルとなっている。

労働時間の概要

香港では、雇用における標準労働時間を規制し統制する法律はない。例外は女性および若年者であるが、その規制は、仕事をする時間としない時間に関して個人の決定の自由範囲を改良するため自由化されつつある。工場で働く女性および若年者の労働時間を管理する保護的労働規制とは別に、すべての男性労働者および非工業部門で雇用されている女性を含む労働者一般は、労働時間に関する法令による規制的管理を受けたことがない。

公式統計が示すとおり、香港の労働者は、平均的に1日の労働時間が長い。しかし、1997年以降の不景気の間、事業活動の後退により、時間は相当減少した。しかし、労働時間は、1999年という景気回復の年に再び長くなり始め、労働者の週あたり平均労働時間は、ほぼ1998年全体および99年の前半に平均45時間だったものが、99年の後半には48時間と増加した。公式統計によれば、99年の経済の回復および改善により、長時間労働への傾向も明らかになった。1999年の終わり頃、労働者の32.6%は毎週50時間以上働いたが、その比率は、94年はじめの20.6%に比べ相当高くなった。

1.労使関係概況

香港での労使関係は、職場レベルに主として重点を置いており、大規模な労働争議および戦闘的労働者は比較的見られなかった。ストライキ、操業停止、損失労働時間は、1970年代、80年代、90年代において国際的基準から見て一貫して低かった。このため、香港は、比較的に労使関係が平和で調和している場所として世界的にイメージされている。しかし、かかる香港の労使関係の平和的外観の理由は、香港の労働組合および団体の力に関する問題となりうる。使用者への対応との交渉における香港労働運動の連帯と力は、複数の労働組合センター間の分裂により常に制限されてきた。従って、平均的な職場の組織化は弱く、ストライキのように戦闘的な争議行為を行い、あるいは団体交渉または「協調的」協議のために経営者と定期的対話を持つために労働者を動員することが一般に不可能である。

従って、労使関係を支配する主要要素は個別労働契約である。契約は、職場の労使関係の実際に契約としての外観を整え、いずれかの当事者による契約義務の違反は、訴訟(権利に関する紛争)になることがあり、調停のために公的機関である労働局、また、司法的判断のために労働裁判所に相当する労働法廷に提訴される。個別労働契約の主要な役割から発生するかかる名目的な「法的性格」は、中国の伝統的慣習である非公式性により覆い隠されている。その背後には、家父長的経営という職場の風土が常にあり、使用主と雇用者の間の個人的な相互信頼を高め、それによって支えられている。

しかし、たとえば雇用条例 (Employment Ordinance:労働および雇用の基準を定める)などに規程される両当事者の権利義務の「法的性格」についての懸念により、香港の職場労使関係は、常に「個別化」されており、労働者がその集団的な利益を代表し増進するため「職場で」より組織されるという兆候はほとんどない。

労働組合数
558(1998年)、538(1997年)
労働組合員数
65万7019人(1998年)、64万7908人(1997年)
労働争議発生件数
8件(1998年)、7件(1997年)
労働損失日数
1412(1998年)、791(1997年)

出所:香港政府労工処「Report of the CommissiQner for Labour」、
香港政府統計処「Hong Kong Monthly Digest of Statistics

2.労働組合および労使関係に関する法律

一般に団体労働法(collective labour law)と呼ばれ、労使関係の集団的行為および職場レベルでの当事者の行動の規制に役立っている。

次の二つの法令が、香港の団体労働法の基本構造をなしている。

  1. 労働組合条例(Trade Unions Ordinance)。労働組合および労働争議に関する条例として1948年に初めて香港で導入されたが、1961年に改正され名称が現在のものに変更された。
  2. 労使関係条例(Labour Relations Ordinance

以下にそれぞれの概略を記す。

労働組合条例

特に、(1)労働組合登録に関する手続、(2)合併または連合による結合のための組合の適性手続、(3)組合員の権利および自由ならびに組合の内部規律に関する規則、(4)労働者の団体としての組合が関わるピケその他の争議行為、について定められている。

労使関係条例

1975年から導入され、(1)認定通常調停、(2)認定特別調停および(3)行政長官が適当とみなし採用した査問委員会、(任意の)仲裁その他の手続を含む、その後の介入方法、という段階的な仕組みにより、労働争議に対する第三者の介入とその解決のための公的手続の機関を制度化した。さらに、この条例により、行政長官が代表する政府が、和解の促進のため進行中のストライキまたは労働争議を凍結または停止する強制的な「クーリングオフ」期間を宣言することができる。この手続は、アメリカにおいてストライキを禁止する「大統領差し止め」に相当するものと見られる。

「ストライキ」の法的位置づけおよび「停止」理論

1975年労使関係条例は、違法なストライキおよびロックアウトに関する条例という初期の戦前の法令を廃止するものでもある。その後、「違法なストライキ」という以前の概念は香港から姿を消した。

しかし、「ストライキ」の位置づけを覆い隠し、香港でそれを問題にしているのが、コモン・ローに基づく曖昧な分野である。この矛盾が発生するのは、かかるストライキ権が、ストライキを行う者が、憲法および法律によってストライキ行為による解雇に対して職場で保護される欧州大陸部および日本の労働者が享受する肯定的で明確な「ストライキ権」に相当しないからである。

英米法体系の外では、欧州大陸部および日本のように、憲法が、ストライキのみがストライキ期間中労働契約に基づく労働者の義務を「停止できる」ことを認めているのが通常である。香港では、「停止」理論は法律では認められておらず、少なくともその位置づけは曖昧である。しばしば認められているのは、コモン・ローによればまたは契約中に明示または黙示の関連規定がないときは、ストライキは、それを解散する適切な通知があらかじめなされない限り契約義務の違反であるという伝統的見解である。従って、この解釈が正当とされるのは、労働者のグループが勤務をやめ、その通知をしなかった場合で、その勤務停止は、雇用義務の契約違反に当たると解釈される。

3.労働組合

香港の労働組合は、産業界において弱体で効果がないと常に見られてきた。それは、部分的には政治団体としての歴史的背景からである。労働組合の台頭が本土の政治社会的展開により鼓舞され、育まれた1920年の全盛期当初から労働組合につきまとってきたこのイメージは、大部分「労働者のためのより良い経済取り決めを確保するため団体交渉、ストライキなどの組合活動よりも政治的修辞、友愛的組織および互恵規定」に関心を持つ「友好的団.体」のものであった。

上記の理由から、香港の組合活動は、政治イデオロギーに沿って当初から分裂し、二つの対抗ブロックへと分割された。左派にはイデオロギー的に共産主義で反対勢力としての右派である親中国の香港労働組合連合(Hong Kong Federation of Trade Unions: FTU)があり、愛国的な香港九龍労働組合協議会(Hong Kong and Kowloon Trade Union Council: TUC)およびその関係団体がある。かかる政治的で分裂した労働運動は1949年を起源としており、当時この二つの労働組合センターが設立され、団体条例のもとに団体として便宜上登録された。FTU および TUC が主として関係団体として組織したブルーカラー労働組合を基礎とする労働運動は、1950年代および60年代を通じて政治的に反抗的で産業的には従順であったが、1970年代の初期および半ばに官公部門の組織化の大規模な拡大を見たホワイトカラー労働組合の台頭の挑戦を受けた。この公務員組合および教員、看護婦、ソーシアルワーカー、技術工および事務員を組織する新しいホワイトカラー職能組合は、緩やかに連合して労働運動の第三の政治的に独立した勢力を構成した。教会が支援するキリスト教産業委員会(Christian Industrial Committe: CIC)および労使関係機関(Industrial Relations Insitute: IRI)の支援を受け、この「ブロック」は、人気と組織力を急速に伸ばした。1980年代の始めには、労働運動の第二の勢力として、右派の陣営を上回った。

しかし、香港の労働組合は、職場での使用者の支配に挑戦する組織的力を欠くアマチュアの産業組織であった。逆説的に、香港の政治改革は、選挙の進歩とともに、産業における労働者の結合としての組織労働力の弱い立場を恒久化し、ひいては悪化させるのに役立った。組合改革は、選挙政治における組織労働者の政治的参加の強化とともに、対立的な団体交渉のための組合の「産業代表」としての役割を実際に縁遠いものにした。組織労働者の社会参加の変化を前提とすると、それは、「支配エリート」の「主流」エスタブリッシュメントにますます「組み込まれ」その当初の「政治的」根本主義を追いやった。

立法府の選挙および労働者代表の立法府への参加により、香港の労働組合は、雇用および労働福祉に影響する公的政策の形成のための幅広い発言の機会を得た。組織労働者の政治的影響力および選挙権へのアクセスの強化により、それは支配エリートにおける「構成」権力としての新たな勢力へとなった。しかし、労働運動は、常に内部的に分裂、分散してきた。それは、イデオロギー、政治、民族その他の区分に沿った組合の展開を一部の理由とする。企業、産業および経済のすべてのレベルで、複数組合主義の分裂状態が続いた。組合組織のかかる寛容性は、香港で行われている大切な原則としての結社の自由をたぶん証明するものであるが、労働者の組織的多様性は、組合活動の内部的連帯を常に損なってきた。

左派の FTU と右派の TUC の間の歴史的二極化は、1980年代中頃から昔話となり減退したが、セクト的区分および組合内の対抗は無くならず、「選挙ゲーム」の刺激により実際に悪化した。「状況に付け加わり、それを悪化させているものは、公務員を中心とする新しいホワイトカラー組合の一層の発展であり、FTU/TUC の枠外での第三の独立勢力としての認定であった。こうした新しい組合は、1990年、香港労働組合総連合(Hong Kong Confederation of Trade Unions: CTU)という第三の組合センターとした。自由勢力における香港の主要政党である民主党と密接に連携して、CTU は、急速に人気を獲得し、香港における第2の組合センターであった TUC に文字どおり置き換わった。1997年の香港返還の前後に固定されてきたことは、FTU、CTUおよびTUC を中心とする三者の組合多元主義であり、それに第2の組織労働者のセンターである。香港組合連合(Hong Kong Federation of Labour Unions: FLU)が加わる。その傘下に、運輸、技術およびエンジニアリング産業の新しい労働者階級を主として組織している。

4.使用者団体

香港では雇用および労使問題に対応する使用者団体は、英国の法的伝統に従って労働組合と同様に承認される。従って、それらは、労働組合と基本的に同じ形で労働組合条例に基づき登録でき、それに規制される。労働組合として法的に認められる他のものとしては、使用者と労働者の混合組織があり基本的に同じ職業の職人と親方を組織する工業化前の中国の伝統的ギルドを想起させる「混合的」労働結合である。実際に、最大で工業および商業にわたる会員を持つ香港使用者連盟を除き、雇用主の組合は、特定の産業、部門または商業を主な基礎としている。そのいくつかは、内部構造的に旧態依然であるが、工業化前の(中国の)職人親方のギルドから受け継がれた組織的要素を維持している。一部の団体は、「友好団体」としての同業者組織であるが、他は、雇用と会員の労働市場に関する権益に影響する産業の協力および連絡の活動をより重視する傾向がある。

使用者の組合として法的に登録された以外のものとしては、企業の利益を組織しそれに対処するいくつかの民間団体があり、産業別または経済全体を網羅している。こうした組合でない商業団体は、使用者の組合としてのある意味での役割を持つことが多く、従って、程度の差はあっても労使関係の機能を果たすことができる。この関連で、香港の主要な工業および商業のほとんどは、サービスおよび製造業を含め、団体または有限責任会社として公式に登録される単一または複数の商業団体により組織されている。それらは、おおむね「セクト的」であるが、それはこれらの団体の主要な関心事が会員共通の商業上の利益の増進であることからして当然である。その一部、特に、金属加工、家具製作、印刷および建設建築などの伝統的な職人的産業における古い団体は、賃金、労働時間、年次休暇、労働者補償および共通の関心事としての他の雇用条件に関する団体協約または了解書を作るために、当該産業の労働組合と様々な間隔で交渉してきた。

しかし、香港における組合ではない使用者団体のより影響力あるものは、たぶん全産業規模で形成されたものである。その中には、主要な例として香港総商会(Hong Kong General Chamber of Commerce)、中国製造者協会(Chinese Manufactures' Association)、香港産業連盟(Federation of Hong Kong Industries)、中国総商会(Chinese General Chamber of Commerce)およびアメリカ商業会議所(American Chamber of Commerce)がある。主要な使用者、業界団体は、ビジネスエリートの共通利益を発信する「伝達ベルト(transmission belt)」であった。また、「組合でない」という法的地位にも関わらず、失業、流入外国人労働者の取り扱いなどの労働市場安定化の問題を含め、公的政策に影響する労働法および雇用問題の領域で会員および企業の利益を代表することに積極的に関与している。この中でも最も影響力がある総商会、香港産業連盟および中国製造者協会は、現在選挙により立法会に一議席を送る「機能的選挙区」として指定され、産業界の利益を代表している。

こうした「組合的」および「非組合的」な使用者団体は、会員のために使用者の代理人として団体交渉に直接参加することをさし控えてきた。しかし、そのバックアップサービスの一環として、労働者と団体協約について雇用条件を交渉する個別の会員企業に労働市場に関する情報および助言を提供している。

1.労働政策の概況

労働局(Labour Department)は香港特別行政区政府の重要機関であり、香港の労働・雇用政策に責任を有する。しかし、政策は政策局の1部である、教育人材局(Education and Manpower Bureau)によって中央レベルで調整・策定される。

1997年以前の英国統治時代は、香港の労働行政を司る政策は76年以来、明示的に規定されている。Mackhose 総督は76年、立法評議会で年次施政方針演説を行った。この中で総督は、改革派労働問題議題の主眼を包含した政策規範を呈示し、使命として以下のように述べた。

「安全を管理する法律のレベルを達成すること、それと共に、経済開発段階および社会的文化的背景が我々と類似した近隣諸国の最良の雇用状況に少なくてもほぼ匹敵する雇用レベルを達成することを我々は目指す。」(注1)

この政策は、1997年以後の特別行政区政府の労働局によって練り上げられ、未来像と使命を内包した規範になった。

特別行政区政府労働局はその未来像の中で、労働者の福祉の漸進的向上および労働者の安全と健康の促進に向けて長期にわたり政策立案責任を負っていくことを明記している。(注2)

同時に、労働局は使命を述べた声明の中で以下の労働政策目標を詳細に論じている。

  1. 労働市場の変化と需要に対応できる雇用関連サービスの提供によって人的資源の活用度を高める
  2. 雇用者の健康と安全を脅かす仕事中の危険が法律と教育と促進活動によって適切に管理されることを保証する。
  3. 良好な雇用慣行の促進と労働争議の解決によって平和的労使関係を育成する。
  4. 雇用者の権利と利益を公正な方法で改善、保護する。(注3)

出所:

  • Hong Kong Hansard, Address by H. E. the Governor, Sir Murray Maclehose, at the opening session of the legislative Council. 6th October 1976.
  • Annual Department Report of the Commissioner for Labour 1999, Hong Kong:Government Printing Department, 2000, para. 5. 1 p. 65.
  • Ibid.,para.5.2, p.65

2.労働関連行政機関

労働局の組織は以下のとおり。(1999年12月31日現在)

Commissioner for Labour

  • Deputy Commissioner for LabourLabour Administration 労働行政)
    • Assistant Commissioner for LabourEmployment Services 雇用)
      • Employment Services Division 雇用課
      • Employment Information and Promotion Division 雇用情報促進課
      • Selective Placement Division 就職斡旋課
      • Careers and Employment Agencies Division キャリア・雇用機関課
      • Minor Employment Claims Adjudication Board 雇用苦情調整委員会
    • Assistant Commissioner for LabourLabour Relations 労働関係)
      • Labour Relations Division 労働関係課
      • Trade Unions and Wage Security Division 労働組合・賃金保障課
    • Assistant Commissioner for LabourEmployees' Rights and Benefits 雇用者権利・福祉)
      • Labour Inspection Division 労働監督課
      • Importation of Workers Division 労働者移入課
      • Development Division 開発課
      • Employees' Compensation Division 従業員報酬課
      • Prosecutions Division 告発課
      • Job Matching Centre 職業適合課
    • Staff Training and Development Division 人材訓練開発課
    • Administration Division 行政課
    • Information and Public Relations Division 情報PR課
  • Deputy Commissioner for LabourOccupational Safety and Health 産業安全・衛生)
    • Assistant Commissioner for LabourOccupational Safety 安全1)
      • Advisory and Development Division 勧告・開発課
      • Information and Training Division 情報・訓練課
      • Support Services Division 支援行政課
    • Assistant Commissioner for LabourOccupational Safety 安全2)
      • Boilers and Pressure Vessels Division ボイラー・圧力容器課
      • Legal Services Division 法務課
      • Operation Division 営課
    • Occupational Health Consultant(衛生1)
      • Occupational Medicine Division (Development) 医療課(開発)
      • Occupational Medicine Division (Hong Kong/Kowloon) 医療課(香港・九龍)
      • Occupational Hygiene Division (Hong Kong/Kowloon) 衛生課(香港・九龍)
      • Occupational Hygiene Division (Development) 衛生課(開発)
    • Occupational Health Consultant(衛生2)
      • Occupational Medicine Division (New Territories) 医療課(新開地)
      • Occupational Hygiene Division (New Territories) 衛生課(新開地)

第二次世界大戦前、香港の労働法は未発達なものであり、工場の女性および年少労働者の保護は、ほぼ英国工場法に沿ったものであった。戦後の労働法規は、1960年代後半まで、ほぼ20年間低調かつ消極的な法律であった。

しかしながら、1967年の市民暴動の後、香港政府は、労働法を社会的不正義および不平等に対処することを重要な改良手段として、産業および社会へ介入するより先行学習的政策を取り始めた。1968年に発布された雇用条例は、労働法規の一里塚となり、一般労働力に対する法的「雇用権の最低水準」を規定してきた。

1980年代中頃までに、香港の平均的賃金労働者は、雇用条例その他労働法規の一貫した改訂のため、雇用においてあるレベルの保護を獲得したといえる。主としてこの進展があったため、1980年代末に向けて、労働法規策定の努力は減速しはじめた。この法規化への機運の途切れは、香港が1990年代に策定し、97年の中国復帰に向けた熱狂的な政治的改正によって活動が再興された。この過程において、労働法は政府と各種政治団体がその目的と利益を達成する手段として使用された。

労働法制の根限

香港は、その基本法と中国の「一国二制度」政策のおかげで、1997年の中国復帰以前の法律制度と手続きを継続することとなる。法制をそのままの姿で維持する限り、労働法の慣習と適用は、英国の規則によって、主権が移管された以前のまま継続する。

基本的に、香港の雇用法の策定には、英国システムの法的遺産を映すいくつかの根源がある。内生的根源には、(1)法律制定と制定法、(2)裁判所の判例から誘導された判例法を含む慣習法、および(3)慣習と訴訟手続きがある。しかしながら、1970年代の労働法改革以来、香港は、新しい労働法制定にあたり、国際的根源、すなわち国際労働条約として国際労働機関(ILO)が公表した国際労働基準から多大な影響を受けた。

1997年の中国復帰前後、政府の政策の規範は、ILOが発表する世界的労働標準を可能な限り採用することであった(労働長官、1997年:53,4.2項)。ILO憲章の規定により、香港は、如何なる ILO条約も批准することは出来ない。これは、主として香港が1997年まで植民地として英国に依存して来たからであり、かつ中国の特別行政区としての再統合は、正加盟国資格はなく、「非都市領域」だからである。この政治的「非独立的」な地位により、香港は直接 ILOの加盟国となることは出来ず、その主権国家、すなわち最初は英国、1997年の主権移管後は中国の国家的後援を得て加盟できるに過ぎないからである。1997年以前は、英国が批准した条約の香港への適用に関しては二者の十分な協議を経て英国が香港に代わって行なってきた。中国は、1997年以降、香港に対して同じ外交儀礼を採用して継続するであろう。基本法(香港の特別行政区憲章)には、中国は、中国自身が未だ批准していない条約と、すでに香港に適用した条約をすべて ILOに報告すべきことが明記されている。

1993年末までに、ILOは合計174の国際労働条約を採択した。英国が批准した条約80のうち、72を香港に適用することが出来た。当時香港における適用の状況は次のとおりである。

(布告に関する状況)
(ILO条約数)
修正なく適用
31
修正後適用
18
決定保留
23

しかしながら、香港特別行政区は、1999年末修正または非修正国際労働条約45件の適用を登録した。

1999年12月、労働局は、次の労働法規12件と関連規制の行政および実行を担当する所轄公式機関であった。

  1. ボイラーおよび圧力容器条例および付随規制
  2. 香港条例外の雇用契約
  3. 従業員補償条例
  4. 雇用条例
  5. 工場および工業事業条例および付随規制
  6. 労働関係条例
  7. 小規模雇用苦情調停委員会条例および規則
  8. 職業安全衛生条例および付随規制
  9. 肺塵症(補償)条例および付随規制
  10. 破産時賃金補償条例
  11. 通商委員会条例
  12. 労働組合条例および付随規制

1.労働災害の概況

労働災害(industrial accidents)と職業傷害(occupational injuries)は密接に関連しているが、香港においては、これら2つの術語は正式に区別されている。労働災害は、その範囲においては一般的であるが、製造作業および工場に限られる。一方職業傷害は、産業または非産業の作業または職業災害に起因する傷害を含むことが公式に定義されている。

事故および傷害件数統計によると、最近一般労働者の事故および傷害は格段に減少して来た。公式の統計では、労働局へ報告された労働災害の件数は、1998年から99年の間に16.4%減少した。具体的にいうと、労働局に登録された件数は、1995年の4万1000件が、99年には3万6000件にまでに減少した。年間最大件数は97年の4万3000件と98年の4万3000件である。同時に職業傷害件数も、98年から99年の間に7.4%減少した。労働局の登録件数は、1995年が5万9400件、96年が5万9,500件、97年が6万2800件、88年が6万3500件であるが、99年には5万8800件にまで減少した。

分野別に見ると、1999年の各分野分布パターンから、「卸売りおよび小売り、レストランおよびホテル」の接客分野は、最も職業傷害が多い。この分野では、1999年に職業傷害が1万7200件、すなわちその年の傷害件数の29.4%が発生している。これに対比して、1999年には建築および建設産業においても、最も多く労働災害事故が発生していて、その件数は1万4100件であり、これに続くのが「飲食店およびレストラン」業であり、その件数は1万2500件に達した。

香港における職業傷害と産業災害件数の減少は、企業および作業者社会の職場安全に関する意識の改善を反映する。これは一部公共機関の熱心な安全活動の推進と、主要規制2件により政府実行機関(具体的には労働局)が達成した産業安全、職業保健に関する高水準の規制によるものである。第1の法律は、工場および産業事業命令と付随規制28項である。この規制は、工場および産業の作業場レベルにおける安全衛生を規制する。これは建設現場、貨物およびコンテナー取り扱い所、料理作業場と販売所も対象とする。この命令は、1999年に改訂されて、密閉作業場および建設現場高所の労働者を保護するため、建設業およびコンテナー取り扱い事業には労働者に対する訓練を義務づけ、労働者を50人以上雇用する指定工場および事業には安全管理の実施を義務づける。

第2の法律は職業安全衛生条例である。これは職業安全と健康に関して、産業および非産業経済活動のほとんどすべての分野を規制し、事務所、店舗、学校、病院、診療所および試験所を含む作業場所すべてを対象とする。政府は、このような法律によって、関連規制について、作業場所と一般的作業環境を規制する安全衛生標準を規定することが出来る。これらの規制は職業安全衛生規制に規定される。

2.労働災害補償制度の概要

香港の従業員補償命令は、雇用中にまたは雇用に関して発生した従業員の傷害を補償するための支払いに関する法律である。これは、基本的に、従業員の傷害を伴う事故が発生するか、または指定職業病の診断が生じた場合、この補償金支払いが使用者の私営上の責任であることを規定する。この法律は、1953年に施行された労働者命令を従業員補償命令と、その名称を変更したものであり、1937年に英国植民地事務所が全海外従属地域において施行した労働者補償(東および西アフリカ)モデル条例案にしたがって、大きく変更された。このモデル命令は、私営上の責任システムを国家保険計画に変更した1946年のベバリッジ改革より前の1897年、1906年および25年の英国労働者補償法に匹敵するものである。

事実上香港賃金・俸給労働者のすべてを対象とするこの条例は、雇用中に雇用に関して発生した従業員の傷害に関して、2つの法的義務を課すものである。1つは、使用者が傷害を受けた従業員に対して補償金を支払う義務であり、二つ目は事故を労働局へ報告する義務である。事故によって従業員が3日を超えて就業不能(特に就業能力喪失)となった場合、使用者は、従業員の就業能力喪失および賃金取得能力喪失に関して補償する義務がある。このような従業員に対する傷害補償金には次の2つの局面がある。

第1は、傷害を受けた従業員の一時的就業能力喪失および病気、病気欠勤の期間中、当該従業員の生活を支援するため、通常賃金の3分の2を下回らない、正規賃金または俸給に類似した定期的支払い金であること。

第2は、傷害を受けた従業員が全体的または部分的に恒久的な能力喪失を蒙り、労働能力および賃金取得能力を喪失した場合の補償一時金または賠償金である。産業災害または職業病によって従業員が死亡した時は、この賠償金を扶養家族に支払わなければならない。

損害賠償金は、残存就業可能年間に傷害を残す従業員に対する支払い金であるため、その金額は「年齢」係数に応じて減額される。支払い金額に関する年齢固有計算式のスライド・スケールでは、部分的(および全体的)恒久的な能力喪失に対する補償金額は、一般に、従業員が蒙った傷害による能力喪失の相対的度合いおよび賃金取得能力喪失割合と、命令の第1明細表に従って医療委員会により決定される。

雇用補償条例と並ぶのが肺塵症(補償)条例である。これはシリカ、アスベストおよび塵埃に継続して暴露されたことによる呼吸器管の病気または障害に悩む従業員に対する補償を規定する。従業員補償条例に規定する私営上の責任システムとは異なり、補償金は肺塵症補償基金から支払われる。これは中央保険の概念に基づくものであり、産業課税金から砕石場、建築、建設および関連事業と産業の従業員すべてに対して、一定の率で支払われる。またこの基金は、肺塵補償基金庁が集中的に管理する。

労災件数:3万5986件(1999年)

労災により負傷した労働者数:5万8841人(1999年)

1999年に労働局に報告された労災補償対象従業員

  • 重傷以外:6万440人
  • 重傷:243人
  • 合計:6万683人(3日以内の病気欠勤1万326件を除く)

職場における事故・負傷による損失労働日数については、公式統計が1998年分までしかない。

1998年の公式労災認定件数は6万6680件であったが、そのうち6万1673件が3日を超える欠勤を伴う重傷以外の労災であった。これにより、1998年の合計損失労働日数は169万9日に達した。

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※2002年以前は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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例) 出典:労働政策研究・研修機構「基礎情報:香港」

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