福利厚生の起源
要約
本稿は,近代日本における福利厚生のはじまりを振り返り,今日の福利厚生について考察する。企業の労働者に対する施策は,慈恵的施設,福利施設,厚生施設へと名称を変えたが,ここには,政策主体による関心の変化が示されていた。個別企業の施策が慈恵的施設と呼ばれていた時代には,労働者に対する施策は必要に応じて展開され,国家介入への抵抗という側面を持っていた。しかし,日本初の労働者保護立法である工場法施行後の施策は,法的義務以上の便宜を労働者に図り,生産への貢献を引き出す施策として,また国家の政策の一環として積極的に利用された。それはまた,国際労働会議やアメリカのウェルフェア・キャピタリズムといった国際的な動向を意識して実践されたものでもあった。こうした取り組みを大企業だけでなく地方の中小経営にも浸透させる役割を果たしたのは,産業福利協会であった。やがて,労働者の福利増進による労資協調を企図した政策主体の関心は,産業合理化と能率増進へと移り,戦時体制において福利施設は会社経理の合理化という観点から法制化された。企業の役割は労働者の福利増進にとどまらず,地域のインフラ整備に及んでいたのであり,そのため生活保障において重要な社会的役割を担うこととなった企業の福利厚生施策は,戦後興隆した労働者の運動からも支持されたのである。
2025年7月号(No.780) 特集●福利厚生の意義を問い直す
2025年6月25日 掲載