労働政策の展望
人生100年時代の生き方、働き方
1 人生100年時代がやってきた!
最近、「人生100年時代」という言葉を目にし、耳にすることが多くなった。政府も2017年に「人生100年時代構想会議」を立ち上げ、長寿時代にふさわしい生き方に対する提言を試みている。100歳を超えて生きる人が珍しくはない時代がやってくるとは、誰しも予想しなかっただろう。
100歳まで生きる可能性が出てきたことに対しては、人生における選択の幅が広がったと積極的に受け止める人がいる一方で、長くなった老後生活をどのように過ごしたらよいのかという戸惑いや果たして経済的にやってゆかれるのだろうかという不安がある。おそらく大部分の日本人には後者が圧倒的に多いのではなかろうか。
本稿では、人生100年時代の個人のライフコースや社会システムが、これまでとはどのように異なるのかを明らかにし、100歳まで生きて良かったと思えるためには、個人は、そして社会はどうあるべきかを考えたい。
100歳以上人口が注目されるようになったのは、それ程、古いことではない。厚生労働省老健局「百歳高齢者に対する記念品の贈呈について」によると1963年はわずか153人。この年から百歳を超える人を数え始めたということであろう。1998年には1万人を超え、2012年には5万人を超え、今や7万人に達しようとしている。これまで政府は、100歳の誕生日を迎えた人に銀杯を贈呈していたが、2016年からは銀メッキに変わったのもうなずける。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、100歳以上人口は、ピーク時の2065年には53万4千人に達し、何と167人に1人が100歳以上ということになる。おそらく100歳の人への記念品贈呈という制度も無くなるだろう。
2 人生70年時代のライフコース
長寿時代の今日、人生50年時代の考え方では通用しないという人が少なくない。しかし、現在、私たちの生活や社会の諸側面におけるものの考え方の基準となっているのは人生50年時代ではなく、人生70年時代であることをまず確認しておきたい。人生50年時代の日本では、農業を中心とする第一次産業に従事する人が圧倒的に多く、大抵の人は体が動くかぎり働くのが当たり前であった。当時は、息子夫婦と同居する者が多数を占め、高齢になって働けなくなれば経済的には息子に頼り、身の回りの世話は息子の妻である嫁に面倒を見てもらうのが普通であった。人生の後半部分について、どのように生きたらよいのかを考える必要が出てきたのは、働く人の大部分が雇用者になり、企業の都合によってその人生が規定されるようになった高度経済成長期以降である。平均寿命が70歳を超えたのは、女性1960年、男性1975年であり、経済成長期を経て人生70年時代が始まったのである。
1960年代には、経済成長率は年間二桁に達し、所得は倍増した。当時、日本の人口構成は、きれいなピラミッド型を描いていた(図1)。団塊世代とよばれる1947~49年に生まれた膨大な人口が人口ピラミッドの底辺を支えており、当時は中卒で働き始める人も珍しくはなかった。若い労働力が豊富にあったことも経済成長を進めるうえで大きな利点となっている。
図1 人口ピラミッド 1960年
資料出所:国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」(2012年版)。
日本の社会保障制度が整備されるようになったのは第二次大戦後のことである。敗戦直後は、もっぱら戦後復興のための施策が中心であった。旧生活保護法(1946年)は家や職を失い、生活に困窮する人びとを救うためであり、児童福祉法(1947年)は戦争で親を失った孤児の救済であり、身体障害者福祉法(1949年)は傷痍軍人の生活保障が狙いであった。近代的な福祉国家への道を歩む契機となったのは1961年の国民皆保険皆年金制度の確立である。これは日本に居住する人は、国籍に関係なく、誰でも保険証一枚で自分の選んだ医療機関を利用することができ、年金保険料を納入していれば、老後は誰もが公的年金を受け取ることができるという、まことに寛大な制度である。このような制度ができた背景には、ピラミッド型の人口構成と将来とも経済成長が続いていくだろうという甘い見通しがあったことは否定できない。
人生50年時代の働き方が、圧倒的に農業を中心とする自営業であったのに対して、人生70年時代は雇用者、つまりサラリーマンの時代である。1960年代以前の日本では、働く人の半数近くが第一次産業に従事し、従業上の地位は自営業主と家族従事者が多数を占めていた。雇用者が半数を超えるのは1960年以降である(総務省統計局『国勢調査』)。しかし、「工業優先、農業切捨て」の国の政策により、農業人口は急速に減少し、代わって雇用者が急増し、1970年には雇用者の比率が就業人口の3分の2に達している。
ジェームス・C.アベグレン(『日本の経営』ダイヤモンド社、1958年)が日本的経営として指摘した、終身雇用、年功序列、企業別組合はもっぱら大企業にあてはまることであり、こうした経営形態が中小企業にまで広がるようになったのは1960年代以降のことである。農村から都市へと移動し、一つの企業に定年まで勤め上げ、都会でその生を終えるというライフコースが定着するようになったのは、農業が衰退し、帰るべき田舎が消滅してしまった結果に他ならない。
高度経済成長期には、日本の家族も大きく変化した。多数の若者たちが職を求めて農村から都市へと移住し、やがて結婚して家庭を形成した。都市には若い核家族が誕生し、農村には残された親世代による高齢の核家族が増加する。一般世帯に占める核家族世帯の比率をみると、1960年には53.0%であったが、70年には56.7%、80年には60.3%と年々増加している(総務省統計局『国勢調査』)。
夫婦と子ども2人の核家族が標準世帯とみなされるようになり、行政サービスや社会保障・社会福祉サービスの基礎的単位とみなされるようになったのは1970年頃からである。経済の成長に伴って賃金が上昇し、夫一人の収入で生活を営むことが可能になった結果、専業主婦が増加し、「夫は仕事、妻は家事育児」の性別役割分業が定着するようになった(落合恵美子『21世紀家族へ 家族の戦後体制の見かた・超えかた』有斐閣、1994年)。
こうして、一定年齢に達したら就職し、結婚をして家庭を築き、子どもに勉強部屋を与えるために家を持ち、定年まで住宅ローンをかかえながら長時間労働に耐える男性サラリーマンと、子育て中は育児に専念し、子育ての手が離れたら住宅ローン返済や子どもの教育費を稼ぐためにパートに出るサラリーマンの妻という画一的なライフコースが確立した。この時代、婚姻率は高く、離婚率は低く、合計特殊出生率は2前後を維持しており、日本の家族がもっとも安定していた時代と言っていいだろう。
3 人生100年時代のライフコース
人生100年時代のライフコースは、子ども人口よりも高齢人口が多いという逆ピラミッド型の人口構成であるばかりでなく、人口規模全体が縮小していくことが前提になっている(図2)。20世紀末には、65歳以上の老年人口が14歳以下の年少人口を上回るようになり、2060年には老年人口が年少人口の4倍以上になると推計されている。老年人口の中身を見ると、現在のところ、65~74歳の前期高齢層が75歳以上の後期高齢層をわずかに上回っているが、以後はその比率が逆転し、2060年には、総人口に占める前期高齢層13.0%に対して、後期高齢層26.9%と2倍を超えることになる。人口規模そのものも2010年頃を境に減少に向かっており、2060年には8700万人弱にまで縮小すると推計されている(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」平成24年1月推計)。
図2 人口ピラミッド 2060年
資料出所:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成24年1月推計)」。
増大する老年人口を縮小する生産年齢人口で支えることは不可能だ。AIやロボットの活用によって省力化が図られるであろうが、かなりの部分は、人間の労働力に頼らざるを得ない。したがって、高齢になっても働き続けることや年金の受給年齢を遅らせることは避けがたいだろう。
バブルが崩壊した1990年代前半より、日本的経営は少しずつ見直されるようになった。とりわけ2008年のリーマンショックを契機に、従業員だけでなくその家族までも抱え込んで面倒を見ていく家族主義的な経営方針は、その様相を一変させるようになった。終身雇用という名の定年までの雇用保障は反故にされ、働きざかりの中年で企業から放り出される人も出てきた。企業年金の減額や支給期間の短縮が行われ、なかには企業年金そのものが廃止される企業もあり、定年まで安心してライフコースを歩むことが難しくなってきた。
今から半世紀ほど先の就業構造や産業構造を予測することは難しいが、組織の歯車として酷使され、長時間労働の末に過労死という悲惨な生き方を選択しない人が増えるのではなかろうか。自分のライフスタイルや家族との生活を優先させ、裁量権のある働き方を選ぶ人が増え、個人事業主が増える可能性もある。個人事業主といっても、かつてのような農家や商店だけでなく、教育・医療・福祉・情報などの領域で、行政や企業と個別に契約を結んで仕事を請け負う人も増えるだろう。自らの手で、働き方を設計する時代がやってくる。最近の若者たちの考え方や行動様式を見ると、収入よりも自分の価値観や楽しみを優先させ、農業や林業のような第一次産業に活路を見出す人も増えるような気がする。
一定年齢に達したら結婚して家庭を築き、生涯同じ相手と添い遂げるというライフコースにも大きな変化が生じてきた。何よりも、結婚をしない(できない)人が増えてきたことが注目される。かつての日本人は、「結婚好きな国民」と言われ、よほどの事情がないかぎり、ほとんどの人が、生涯に一度は結婚をしたものである。かつて結婚適齢期と言われた20歳代後半についてみると、男性では1960年には46.1%が未婚であったが、1990年には69.4%になり、2010年には71.8%に達している。女性では、1960年に21.6%、1990年に40.4%、2010年には60.3%にのぼる(総務省統計局『国勢調査』)
国勢調査結果に基づく国立社会保障・人口問題研究所の推計によると生涯未婚率(50歳までに一度も結婚したことのない人)は、1960年には男性1.26%、女性1.88%であったが、1990年には男性5.57%、女性4.33%、2010年には男性20.14%、女性10.61%と、その比率は年々上昇している。有配偶者に対する離婚率は、1960年には夫妻とも1.92であったが、1990年には夫妻とも3.31、2010年には夫5.69、妻5.72と上昇している(国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料」2017)。未婚率や離婚率の上昇は、ひとり暮らし世帯の増加につながる。一般世帯に占める単独世帯の比率は、1960年には16.49%であったが、1990年には22.88%、2015年には34.46%と増加している。世帯規模は、1960年4.14人、1990年2.99人、2015年2.33人と縮少している(総務省『国勢調査』)。言い換えれば、夫婦に子ども2人の核家族は、もはや標準世帯ではなくなったのである。
一定年齢に達したら結婚して家族を持ち、生涯同じ相手と添い遂げるというライフコースが当たり前ではなくなった今日、雇用システムも社会保障システムも変更を迫られている。無業の妻と子を養うことを前提とした年功序列型賃金は、もはや意味を持たないことになる。同一企業に長年勤務して生涯同じ相手との結婚生活が続くことを前提とした厚生年金のモデル年金に当てはまる人は、必ずしも多くはなくなるだろう。
人生100年時代のライフコースは、必然的に多様化し、人生の途上においてしばしば修正を迫られることになる。定年までの雇用が保障されなければ、転職したり、起業することが普通になるし、そのための学び直しも必要だ。人生70年時代のライフコースが画一的であったのに対して、人生100年時代のライフコースは、否応なしに多様化し、変化に富んだものになるだろう。
ベストセラーになった『ライフシフト 100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社、2016年)の中で、リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットは、100年人生を生き抜くために無形の資産を身に付けることを勧めている。それは、①生産性資産:仕事の生産性を高め、所得を増やすのに役立つスキルと知識、②活力資産:肉体的・精神的健康と良好な家族関係、③変身資産:変化に対応できる柔軟な態度と人的ネットワークの三つである。言い換えれば、①は稼ぐ力、②は生きる力、③は変わる力である。不確実性に富んだ時代に、長期化した人生を安心して幸せに暮らすには、変化する状況に適応する能力を身に付けなければならない。
4 100歳まで生きて良かったと思える社会
このところ、人生100年時代の到来に備えて、厚生労働省は健康寿命を延ばすことに力を入れ、金融機関は安定的な資産運用を勧めている。「会社も家族も、そして国もあてにできなくなる時代がやってくるから、自己防衛しなさい」と言わんばかりだ。たしかに、少子化傾向には歯止めがかからないし、1000兆円を超える借金をかかえる国にどこまで頼ることができるのか不安は増すばかりである。
100歳まで生きる可能性が出てきたことが、恩恵や希望につながる代わりに不安や絶望を生み出すのは、人生が引き伸ばされたにもかかわらず、相変わらず人生70年時代の雇用システムや社会システムを維持し続けているからである。誰もが結婚して家庭を築き、夫婦と子ども2人の核家族を社会の基礎的単位とみなす考え方からの脱却を図らないかぎり、自助努力だけで変化する事態を乗り切ることは難しい。現在の日本では、画一的なライフコースから外れた場合、仲間から疎外され、社会の底辺に向かって下降する傾向が強い。したがって、どこかおかしいと思いながらも、新卒一括採用が止められないし、中途採用者が何かにつけて不利益を被りやすい。何度でもやり直しができ、やり直すことが不利益につながらないような柔軟な雇用システムが望ましい。そのためには、やり直すことで落ちこぼれになってしまわないようなセーフティネットが欠かせない。それは無償の教育制度や職業訓練制度であり、適切な助言を与えるカウンセリング制度を普及させることである。
共働き世帯が片働き世帯を上回り、ひとり暮らし世帯が増加しているにもかかわらず、現在の日本では、賃金も税制も社会保障制度も夫が稼ぎ妻は専業主婦の世帯が標準とされ、賃金には家族を扶養する手当が含まれ、税金には配偶者控除や扶養控除がある。さらに、サラリーマンの無業の妻の場合、年金保険料を支払うことなしに老齢年金が受け取れる第三号被保険者制度がある。
人生100年時代の社会では、賃金も税制も社会保障制度も、世帯単位から個人単位に変わる必要がある。性、年齢、配偶関係、性的指向、家族の有無などに関わりなく、個人の能力と意欲によって評価され、個人としての尊厳が護られるようになれば、100歳まで生きることに希望が持て、100歳まで生きて良かったと思えるだろう。
2018年8月号(No.697) 印刷用(PDF:733KB)
2018年7月25日 掲載