労働政策の展望
賃金の上げ方・抑え方

仁田 道夫(東京大学名誉教授)

1 はじめに

来春闘をめぐって、今年も政府の使用者団体に対する賃上げ要請が行われた。使用者団体側も、これに対応の姿勢を示している。このような賃金決定に対する政府の介入行動の妥当性について、種々議論が行われている。本稿では、そうした政策の全体的意義に関する議論は行わない。本稿で問題とするのは、賃金の上げ方に関する技術的課題である。焦点は、「賃金の何を、どう上げるのか」である。いくらの賃金をもらうかは、一人一人違う。政府も、使用者団体も、また労働組合も、一人一人の賃金額をいちいち指示決定することはできない。なんらかの指標に着目して、それを動かそうとするわけだが、どのような指標を設定するか、それをどう動かそうとするかがここでの課題となる。これは技術的課題であるが、その巧拙は、政策意図(それがどのようなものであれ)の実現程度に影響を及ぼすことになるから、重要性は明らかである。

筆者は、この課題について、とくに労働組合の賃上げ交渉の仕方について、すでに仁田・連合編『これからの集団的労使関係を問う』(エイデル研究所2015年)に収められた「賃金体系と集団的労使関係─賃上げ方式を中心に」という論文において検討を加えている。ここでの視点は、主としてドイツやアメリカの賃上げ方式との比較という国際比較的視点であった。これをかりに横断的アプローチと呼ぶとすれば、ここで試みようとするのは縦断的アプローチである。日本における賃上げの過去の経験を歴史的に分析して、そこから今日の賃上げ問題にどのような教訓が得られるかを探ってみたい。

2 戦前の賃上げ方式

歴史をたどってみると、賃金を上げようとする試みは無数に行われてきた。当然のことながら、そうした努力を行ってきたのは、もっぱら労働者・労働組合である。使用者・使用者団体は、当然それに抵抗してきた。政府は、概していうと、賃金を上げようとする労働者・労働組合の努力に対しては批判的・抑制的な立場にたつことが多かった。時には、直接権力をふるって賃金を抑制しようとしたこともある。かつて抑制しようとしたことがあるわけだから、時と場合によっては上げようとすることがあっても、さほど驚くことではないのかもしれない。

戦前の賃上げ方式について、系統的に比較検討した研究は見当たらない。もちろん、私は歴史学者ではないので、広く研究成果を渉猟した結果ではなく、代表的な文献などを見渡してみた感想に過ぎないが、管見の限りでは、今日一般に行われているような平均賃金の引き上げ要求は行われていないようである。それはある意味で当然で、平均賃上げについて交渉するためには、使用者側がそうしたデータを持っていなければならないし、また必要なデータ(少なくとも総労務費と従業員数)を組合側に公開していなければならない。戦前は労働組合法もなく、従業員の大多数を組織する企業別組合も存在しなかったのであるから、仮に労働者側がそうした要求を行おうとしても、使用者側の協力は得られなかったであろう。

戦前期の代表的な大争議の一つとして、「溶鉱炉の火は消えたり」で有名な1920年の官営八幡製鉄所の争議がある。この争議を主導した日本労友会が提出した嘆願書における賃上げ要求は、直用の職工については、臨時手当・臨時加給を本給に繰り入れよというもので、間接雇用の職夫(戦後労使関係の用語では、社外工に該当)については、現在賃金の3割増しを求めるものであった。当時は、1918年の米騒動にもみられるように、物価騰貴の時代であり、製鉄所もそれに対応するために臨時手当の支給などを行っていたが、それを本給に繰り入れよというのが前者の要求である。その狙いは、当時一般的だった職工の能率給(奨励割増制度)の算定基礎である本給を増額しようというものであった。そうした制度の適用がなかった職夫については、おしなべて3割増しにせよという要求であった。この争議そのものは、官憲の弾圧により敗北するが、争議終了後、製鉄所は、本給繰り入れはしなかったが、割増金の算定基礎に臨時手当・加給を組み込み、職夫にも約3割の単価引き上げを行ったから、結果的に、労働者の要求は実現することになった(八幡製鐵株式会社八幡製鐵所『八幡製鐵所五十年誌』1950年、257~259ページ)。

後者のような要求、つまり何割増しという賃上げ要求が戦前の運動史にはよくあらわれる。たとえば、これも有名な1921年藤永田造船所の争議では、「日給2円以下の者の二割増給」という要求が出されている(大河内一男・松尾洋『日本労働組合物語 大正』筑摩書房1965年、227ページ)。また、1927年の東京芝浦製作所鶴見工場の争議に際しては、「常用者賃金の2割値上げ」を要求している(矢次一夫『労働争議秘録』日本工業新聞社1979年、202ページ)。

さらに、1917年の富士瓦斯紡績押上工場の争議では、「賃金一割八分の増給」を要求している。もっとも、この時の会社側の対応は、「日給70銭以下のものには5銭の増給、70銭以上のものには4銭の増給」であったから、一律率上げ要求に対して上薄下厚的な傾斜配分をした額回答がなされたことになる(金子良事『戦前期、富士瓦斯紡績における労務管理制度の形成過程』東京大学大学院経済学研究科博士論文2009年3月、205~206ページ)。70銭を5銭アップすると約7%賃上げとなるが、なぜこのような回答がなされたのか、こうした回答で労働者が納得したのかは、よく分からない。

要求自体が現在給与ランク別に増額を求める形で行われたこともある。1919年三菱造船神戸造船所の争議では、「日給70銭以下のもの35銭、同1円以下のもの30銭、同1円30銭以下のもの20銭、同1円50銭以下のもの15銭、同1円50銭以上のもの10銭」の賃上げを要求している(中西洋「第二章第一次大戦前後の労資関係─三菱神戸造船所の争議史を中心として」隅谷三喜男編著『日本労使関係史論』東京大学出版会1977年、107ページ)。これも、上薄下厚的な賃上げ要求であり、今日のヨーロッパ風の呼び名でいえば、連帯賃金要求ということになろう。一律率要求では、インフレ期における低賃金者の生活難を救いきれないということで、こうした上薄下厚的な現在日給ランク別の賃上げが求められるのかもしれない。

だいたい、賃上げ要求を率で行うというのは、通常の労働者の行動として、それほど簡単なことではない。それぞれの労働者が自分の現在給与に小数点の掛け算をしないと自分の賃金がどうなるか分からないというのは、賃金闘争の進め方としては、かなり難度が高いやり方である。何といっても、「1万円欲しい」とか、「1000円アップ」というような額要求を掲げるほうが分かりやすく、人々を動員しやすい。インフレ対策という事情もあったかもしれないが、難度が高い率で要求したということは、そうせざるをえない事情があったからであるに違いない。その事情とはどういうものであろうか。

推測だが、それは、製造業各企業・工場において、企業間の賃金秩序はもとより、企業内・工場内の賃金秩序が確立したものとなっていなかったためであると考えられる。ある職種はだいたいいくらの賃金とか、ある勤続年数の労働者は、いくらの賃金というような賃金秩序が存在する場合には、その秩序のあり方に応じて、職種別にいくらの賃上げを要求するなり、勤続年数別にいくらの賃上げを要求するなりできる。しかし、そうした秩序が確立していない場合、労働者同士がお互いの賃金がいくらであるのか体系的に把握することができず、要するに現在それぞれがもらっている賃金を一旦肯定した上で、その何%増しにするというやり方しかお互いが納得できる方法がなかったのではないか。

戦前においても立派な職種別賃金体系をもち、産業別にこれを労使交渉していた例がある。それは海運業である。1928年6月、日本海員組合が実行した停船371隻、8419名が参加した戦前唯一の産業別賃上げストライキを背景として協定された賃金表は、上記のようであった。これにより、職種と乗船船舶トン数と経験年数によって決まる産業レベルの職種別賃金体系が確立されることになった。

また、これと合わせて、高級船員(船長、一等運転士、二等運転士、三等運転士、機関長、一等機関士、二等機関士、三等機関士)についても、総トン数(運転士の場合)もしくは馬力数(機関士の場合)に応じた標準給料最低月額表が定められた(小林前掲書、176ページ)。

普通船員標準給料最低月額
海上実歴 500t─1500t 1500t─3500t 3500t─
水夫長・火夫長・賄長 8年 65円 70円 75円
大工 60円 65円 70円
舵夫・油差・料理人 4年 50円 55円 57円
水夫・火夫・石炭夫・炊夫 1年6月 35円 38円 40円
給仕 1年6月 35円 38円 38円

(小林正彬『海運業の労働問題』日本経済新聞社1980年、174~175ページ)

このように、賃金制度・賃金構造の成熟度により、労働者・労働組合の賃上げ要求の仕方は、大きく異なるものとならざるをえなかったわけだが、逆に、政府が賃上げを抑える、あるいは賃下げを強制する場合にも、こうした賃金のあり方を前提とせざるをえないから、そのやり方も複雑なものとならざるをえない。

3 戦時賃金統制の方式

こうした課題に直面したのは、戦時賃金統制に取り組む必要に迫られた日本政府であった。日本の戦時賃金統制は紆余曲折を経るが、1939年3月31日の第一次賃金統制令(未経験労働者の初任給統制を主たる内容とする)に始まり、一応の完成形といえるのは、1940年10月16日の第二次賃金統制令であったとされる。その内容は、複雑多岐にわたるが、その骨格となったのは、賃金総額制限方式であった。この方式の基本的考え方は、残業代を含む特定事業所の賃金支払い総額をコントロールしようとするもので、総額の範囲内で、事業所が賃金を各労働者にどのように支払うかには直接触れないというものであった。総額を算定するためには、地域別・業種別・性別・年齢階層別(20歳未満、30歳未満、30歳以上という大まかな区分)に平均時間賃金を定め、それと割り当て就業時間数によって支払賃金の総額を定め、これを監視統制しようとする(内閣情報部編『賃金統制令解説』内閣印刷局、1940年、46~48ページ)。

ただし、このまま機械的にルールを適用すると、職種や熟練度の構成の違いを無視した不合理な統制となってしまうので、1)労働者の職種・年齢・経験年数の構成の違い、2)作業環境(高熱重筋職場など)、3)能率が特に高いこと、4)天災地変その他とくに必要あるときには、地方長官が賃金総額に手心を加えることができるようになっていた。しかし、これらの要素は、事業所ごとに多岐・多様にわたるから、産業の実情に精通しているとは言えない行政官が適切な処理をなしえたか、大変疑問である(内閣情報部編前掲書49ページ)。

また、賃金総額制限方式以外に、1)単位生産量に応じて賃金支払いを受ける労働者(この場合には単価を統制する)、2)請負単価、請負歩合、賃金計算方法などによる能率給で支払を受ける労働者(これについても単価や歩合等を統制する)、3)初任給と、その後の昇給の規程により支払いを受ける労働者(初任給と昇給額を統制する)、4)本社や事務所など工場・事業場以外の職場で働く労働者(統制対象とせず)、5)日雇い労働者(協定賃金で日額・時間額を定めさせ、これを統制する)、などの方式が認められていた。これら諸方式がどれほどの事業所、どれほどの労働者に適用されたのか分からないが、能率給を採用する工場・事業場は戦時においても相当数存在したはずであるし、初任給と昇給規程による賃金管理方式も相当数存在した可能性がある。そして、これらの場合に、たとえば能率給単価が適正な額であるのかを行政官が適切に判断できたかどうか、大変疑問である(内閣情報部編前掲書50~51ページ)。

結局、戦時統制では、物資の統制が厳格に行われ、賃金がいくら支払われても購入すべき主要消費財が配給制度の下で強く統制されたから、少々の賃金統制の水漏れが起きても、それが全般的物価騰貴という形につながらなかったということかもしれない。

4 ベース賃金方式と平均賃上げ方式

戦後も、戦争による破壊の影響下、統制経済が継続されたが、さまざまな要因により、物価を抑え込むことに失敗し、ハイパーインフレが発生した。戦後民主化により、急激に組織を成長させた労働組合が団体交渉を行ってこれに賃金を追随させようとしたから、賃金決定とそのコントロールは、重大な政治課題とならざるをえなかった。

戦後の賃金統制の基本枠は、1947年7月の1800円ベースの策定にともない占領軍によって打ち出されたベース賃金方式であった。これは、新物価体系と業種別平均賃金を設定してインフレ抑制を図ろうとするもので、それに2・1ゼネストの交渉課題であった公務員賃金水準の改訂を組み込んだものであった。具体的には、製造業35業種について業種別平均賃金月額(最高は船舶製造業2441円、最低は製紙業1124円)を公定し、その平均1800円を公務員の平均賃金とするという内容であったので、世間的には1800円ベースと呼ばれた。これを打破しようという労働組合の賃上げ闘争が今日のベア(ベースアップという和製英語の略語)という賃金用語につながる(千葉利雄『戦後賃金運動』日本労働研究機構1998年、80~81ページ)。

ここでは、戦後初期の賃金統制の推移について議論する余裕はない。賃金の上げ方・抑え方という観点から興味深い点は、それが月額平均賃金額を直接統制しようとするものであり、今日のような平均賃上げ額(または率)のみを取扱うものではなかったことである。当然、労働組合のベースアップ要求も平均賃金額をいくらにせよという要求になった。これが今日につながる平均賃上げ額(または率)の増分要求と、それに基づく交渉に転換したのは、1953年のことである(千葉前掲書140~144ページ)。転換を促したのは、1952年の戦後最大・最長の賃金闘争であった電産・炭労スト、とりわけ電産の敗北と分裂の経験であったと思われる。この争議について詳しく論ずる余裕はないが、争議の最終盤において、9電力組合のうち、関西・中部など都市部の電力会社の組合で組織統制がきかなくなり、分裂が起きたことが労働組合運動にとって痛烈な失敗経験となった。そうした分裂の原因の一つは、電産がベース賃金方式の賃上げ要求を掲げて闘争したことである。

電力会社ごとに組織された労働組合が平均賃金を同一に保ちながら同額の賃上げをせよという要求であるから、生計費が高く、企業の支払い余力も大きい都市部の組合員にとって、公平感を保ちにくい。この争議の敗北経験から、企業別組合を勢揃えさせる産業別統一闘争を組織するには、企業間の賃金格差を一定程度認めつつ、賃上げ額(または率)を横並びに揃えることを戦略点とする賃上げ闘争とせざるをえないということになったのだと思われる。今日、平均賃上げ方式ではない、いわゆる個別賃上げ方式として、標準労働者方式を掲げて賃金要求する鉄鋼や電機の組合も、賃上げ額(または率)を主たる交渉対象にするという点では、他の産別組織と変わるところはないのである。

5 おわりに

今日の政府の賃上げ政策も、こうした賃金交渉の歴史的経緯を踏まえざるをえない。具体的には、平均賃上げ(定昇込み)方式での賃金引上げ率を3%とすることを求めているようである。これは、労使双方が発表する賃上げ額統計の方式と合わせているのだと思われるが、他の方式、すなわち平均賃上げ(定昇別)方式や、個別賃上げ方式との利害得失の検討は行われたのだろうか。実際、平均賃上げ(定昇込み)方式で回答している企業の数が多いことは確かだとしても、他の方式をとり、かつ平均賃上げ(定昇込み)方式でのデータを公表していない企業も多い(仁田・連合編前掲書85~90ページ)。これらの企業は、政府の賃上げ要請の対象外ということになってしまうおそれなしとしない。また、賃金制度の変遷(成果主義など)により、定昇という概念が一般性を失い、賃金交渉の指標定立に困難な状況が生じている現状を踏まえると、労使がこの賃上げ指標の混乱をどう解決するかが課題となっているといえる。こうした混乱を回避し、誰にも分かりやすい賃金交渉を実現するには、歴史の教訓に学び、労使による積極的な取組が求められている。政府は、そうした労使の取組を注視し、場合によっては支援していくことを検討すべきであろう。

2018年2・3月号(No.692) 印刷用(PDF:657KB)

2018年2月26日 掲載

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