2001年 学界展望
労働調査研究の現在─1998年~2000年の業績を通じて(全文印刷用)

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目次

出席者紹介

  1. はじめに , 討論論文リスト
  2. 1. 評価・処遇
  3. 2. ホワイトカラーを取り巻く人事管理と労使関係の変化
  4. 3. 個別的労使関係─苦情処理の変容?
  5. 4. 労働組合─未組織化と組織化
  6. 5. 知的熟練論の精緻化
  7. 6. 中高年の就業実態と意識
  8. 7. 非正規雇用
  9. 8. 労働者意識とキャリア
  10. 9. 労働研究の品質向上を目指して─結びに代えて

出席者紹介

守島 基博(もりしま・もとひろ)慶應義塾大学教授

慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。主な論文に、「ホワイトカラーのインセンティブ・システムの変化と過程の公平性」『社会科学研究』50巻3号、1999年など。組織行動論・人的資源管理論専攻。

松村 文人(まつむら・ふみと)名古屋市立大学教授

名古屋市立大学経済学部教授。主な著書に『現代フランスの労使関係─雇用・賃金と企業交渉』(ミネルヴァ書房、2000年)など。労働経済学・労使関係論専攻。

柴田 裕通(しばた・ひろみち)横浜国立大学助教授

横浜国立大学経営学部助教授。主な論文に、"Productivity and Skill at a Japanese Transplant and its Parent Company" Work and Occupations (forthcoming) など。国際人事管理論専攻。


はじめに

守島

本日はお忙しいところお集まりいただき、ありがとうございます。今回の、学界展望座談会「労働調査研究の現在」では、主に1998年から2000年までの労働調査研究を、九つのテーマのもとで取り上げ、議論していただきたいと思います。

それでは、柴田さん、評価制度に関するレビューをお願いいたします。

討論論文リスト

本座談会で取り上げた順に配列。

1. 評価・処遇

(1) 制度改革の多様性、揺れる労働組合、評価制度の課題

  1. 日本労働研究機構(1997)『管理職層の雇用管理システムに関する総合的研究(上)』(報告書No.94)(討議論文)
  2. 日本労働研究機構(1998)『管理職層の雇用管理システムに関する総合的研究(下)』(報告書No.104)(討議論文)
  3. 富士総合研究所(1998)『「実力主義」・「成果主義」的処遇に関する実態調査』
  4. 連合総合生活開発研究所(1999a)『労働組合の賃金決定政策及び賃金体系政策の新たな展開に関する調査研究報告書』(討議論文)
  5. 三和総合研究所(1996)『評価制度に関する調査研究報告書』(討議論文)
  6. 連合総合生活開発研究所(1999b)「雇用と人事処遇の将来展望に関する調査研究報告書」
  7. 阿部正浩(2000)「企業内賃金格差と労働インセンティブ」『経済研究(一橋大学)』51巻2号
  8. Bretz, Robert D. Jr., George T. Milkovich, and Walter Read (1992) "The Current State of Performance Appraisal Research and Practice: Concerns, Directions, and Implications", Journal of Management 18(2)
  9. Dore, Ronald (1973) British Factory-Japanese Factory: The Origins of Diversity in Industorial Rerations. Berkeley, CA: University of California Press.,
  10. 佐藤博樹(1999)「成果主義と評価制度そして人的資源管理」『社会科学研究』50巻3号
  11. 都留康・守島基博・奥西好夫(1998)「日本企業の人事制度─インセンティブ・メカニズムとその改革を中心に」『経済研究(一橋大学)』50巻3号

(2) 賃金格差と過程の公平性

  1. 奥西好男(1998)「企業内賃金格差の現状と要因」『日本労働研究雑誌』No.460(討議論文)
  2. Shibata, Hiromichi (2000) "The Transformation of the Wage and Performance Appraisal System in a Japanese Firm." International Journal of Human Resorce Management 11(2).(討議論文)
  3. 守島基博(1999a)「ホワイトカラー・インセンティブ・システムの変化と過程の公平性」『社会科学研究』50巻3号(討議論文)
  4. 井出亘(1998)「人事評価手続の公平さと昇進審査の公平性に対する従業員の意識」『日本労働研究雑誌』No.455

2. ホワイトカラーを取り巻く人事管理と労使関係の変化

(1) 人事管理の変化

  1. 日本労働研究機構(2000)『新世紀の経営戦略、コーポレート・ガバナンス、人事戦略に関する調査研究』(報告書No.133)(討議論文)
  2. 社会経済生産性本部(1999)『現場と企業の労使関係の再構築─個と集団の新たなコラボレーションに向けて』(討議論文)
  3. ニッセイ基礎研究所(2000)『ホワイトカラーをめぐる採用戦略の多様化に関する調査研究報告書』(討議論文)
  4. 日本労働研究機構(1999)『出向・転籍の実態と展望』(報告書No.126)

(2) 労使関係の変化

  1. 日本労働研究機構(2000)『新世紀ホワイトカラーの雇用実態と労使関係─現状と展望』(討議論文)
  2. 社会経済生産性本部(1998)『個別化の進展と労使関係─中間管理職の意識と課題』(討議論文)

3. 個別的労使関係─苦情処理の変容?

  1. 石田光男(1998)「人事処遇の個別化と労働組合機能」『日本労働研究雑誌』No.460
  2. 小池和男(1977)『職場の労働組合と参加─労資関係の日米比較』東洋経済新報社
  3. 労働省(2000a)『平成12年版 日本の労使コミュニケーションの現状』(討議論文)
  4. 社会経済生産性本部(1999)『職場と企業の労使関係の再構築─個と集団の新たなコラボレーションに向けて』(討議論文)
  5. 佐藤博樹(2000)「個別的苦情と労働組合の対応」『日本労働研究雑誌』No.485
  6. Shibata, Hiromichi (1999) "A Comparison of Japanese and American Work Practices", Industrial Rerations, 38(2)
  7. 佐藤博樹・宮本信(1999)『個別的苦情処理への労働組合の対応』日本労働研究機構

4. 労働組合─未組織化と組織化

  1. 大原社会問題研究所(2000)『人事評価と労働組合』(討議論文)
  2. 岩田憲治(1999)「査定と労働組合─査定を受け入れたA社労働組合の事例」『日本労働研究雑誌』No.470
  3. 東京都立労働研究所(1998)『労働組合の結成及び活動と地域組織』(討議論文)
  4. 小川浩一(2000)「日本における外国人労働者の組織化(上)─神奈川シティユニオンのケース・スタディを通して」『労働法律旬報』No.1481
  5. 小川浩一(2000)「日本における外国人労働者の組織化(下)─神奈川シティユニオンのケース・スタディを通して」『労働法律旬報』No.1483
  6. 守島基博(1999b)「未組織企業の労使関係」『日本労働研究雑誌』No.470(討議論文)
  7. 関西経営者協会(1999)『労働組合のない企業の労使関係』
  8. Katz, Harry C. (1985) Shifting Gears: Changing Labor Relations in the U.S. Automobile Industry. Cambridge, MA: MIT Press.

5. 知的熟練論の精緻化

(1) ブルーカラーの技能形成

  1. 村松久良光(1996)「量産職場における知的熟練と統合・分離の傾向」『日本労働研究雑誌』No.434
  2. 石田光男・藤村博之・久本憲夫・松村文人(1997)『日本のリーン生産方式─自動車企業の事例』中央経済社(討議論文)
  3. 中部産業政策研究会(2000)『もの造りの技能とその形成』(討議論文)
  4. Koike, Kazuo (1998) "NUMMI and Its Prototype Plant in Japan: A Comparative Study of Human Resource Development at the Workship Level", Journal of the Japanese and International Economies, 12(1)(討議論文)
  5. 小池和男・猪木武徳編(1987)『人材形成の国際比較』東洋経済新報社
  6. 小池和男編(1991)『大卒ホワイトカラーの人材開発』東洋経済新報社
  7. 日本労働研究機構(1997)『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム─日、英、米、独(1)事例調査編』(報告書No.95)
  8. 日本労働研究機構(1998)『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム─日、米、独(2)アンケート調査編』(報告書No.101)

(2) ホワイトカラーの人材育成

  1. 日本労働研究機構(1999)『変化する大卒者の初期キャリア』(報告書No.129)(討議論文)
  2. Zuboff, Shoshana (1988) In the Age of the Smart Machine: The Future of Work and Power. NewYork: Basic Books

6. 中高年の就業実態と意識

  1. 日本労働研究機構(1998)『中高年者の転職実態と雇用・職業展望』(報告書No.111)(討議論文)
  2. 日本労働研究機構(1999)『大都市圏小規模企業の中高年の就業実態』(報告書No.120)(討議論文)
  3. 日本労働研究機構(1998)『高齢期の生活の「豊かさ」指標』(資料シリーズNo.86)
  4. 日本労働研究機構(1998)『引退過程のあり方と引退後の生活に関する研究』(報告書No.110)

7. 非正規雇用

  1. 日本労働研究機構(2000)『労働力の非正社員化、外部化の構造とメカニズム』(報告書N0.132)(討議論文)
  2. 労働省(2000b)『パートタイム労働に係る雇用管理研究会報告─通常の労働者との均衡を考慮したパートタイム労働者の雇用管理のための考え方の整理について』(討議論文)
  3. 小林裕(2000)「パートタイマーの基幹労働職化と職務態度─組織心理学の視点から」『日本労働研究雑誌』No.479(討議論文)

8. 労働者意識とキャリア

  1. 日本労働研究機構(2000)『フリーターの意識と実態』(報告書No.136)(討議論文)

9. 労働研究の品質向上を目指して─結びに代えて

  1. 小池和男(2000)『聞きとりの作法』東洋経済新報社(討議論文)
  2. 佐藤博樹・石田浩・池田謙一編(2000)『社会調査の公開データ─2次分析への招待』東京大学出版会

1. 評価・処遇

(1)制度改革の多様性、揺れる労働組合、評価制度の課題

論文紹介(柴田)

柴田

多くの日本の大企業では、成果主義に基づく評価・処遇など、人事制度改革が進んでいます。こうした動きに対して、これまでにも非常に多くの調査研究がなされており、それぞれ興味深い成果をあげておりますが、ここでは、「制度改革の多様性」「揺れる労働組合」、そして「評価制度の課題」という三つの観点から、いくつかの論文を紹介したいと思います。

日本労働研究機構『管理職層の雇用管理システムに関する総合的研究(上)(下)』

まず、日本労働研究機構(報告書No.94、1997;報告書No.104、1998)は、管理職の雇用管理の状態と変化を把握し、今後の管理職のあり方を探ることを目的としています。調査対象は製造業・非製造業であり、ヒアリング調査(報告書No.94)は1994年から1996年にかけて約50社の人事部門に対して、そしてアンケート調査(報告書No.104)は1997年に24社の部課長2178名を対象に実施されています(有効回収率:73.6%)。

ここでは、評価・処遇に関する個所を中心に報告したいと思います。まず、ヒアリング調査は、賃金・報酬、そして組織・体制の観点から、調査した企業は二つのタイプに分類できると指摘しています。ひとつは、短期の業績を年俸のアップダウンに反映させようとする企業で、コンピュータメーカー、自動車会社、大手ゲームソフト会社、情報サービス会社、人材情報会社などがこのタイプに属します。そこでの管理職は、プロジェクトマネジャーとかプレーイングマネジャーと呼ばれ、自ら高い専門性を持ちなからプロジェクトをマネジメントしています。もうひとつのタイプは、従来型の賃金体系と職能資格制度を、年功的に運用している企業です。化学品メーカー、家電メーカー、鉄鋼会社、大手ゼネコン、商社、大手都市銀行などが含まれます。こちらのタイプの企業での管理職の仕事は、部下のマネジメントが中心です。調査した会社では1対2で後者の従来型企業が多い。しかし、日本全体ではこの従来型企業がもっと多いのではないかと、ヒアリング調査は指摘しています。

一方、アンケート調査は、最近では管理職が短期的な成果主義に追われ、そのため職場の人材育成機能が低下していることを見出しています。また、69.5%の管理職が能力主義・実力主義の前提となる評価制度とその運用に問題があるとこたえています。その問題とは「制度の運用が統一されていないために、部門間で不公平が生じている」(56.4%)、「評価基準があいまいなため、部下に対して評価結果を説明できない」(44.9%)、そして「評価に中心化傾向があり、メリハリの利いた評価が行われていない」(43.2%)などです。

人事制度改革の多様性に関しては、富士総合研究所の調査(『「実力主義」・「成果主義」的処遇に関する実態調査』、1998年)があります。この調査では、最近の人事改革を、外部市場志向型、組織志向型、そして短期決済型の三つのタイプに分類しています。サービス業は外部市場志向型、組織志向型、短期決済型のいずれにも強い志向性をもち、金融、保険、不動産は組織志向型、そして建設業と卸小売業は短期決済型です。そして、実力主義・成果主義で進められている人事改革の特徴は、個別管理化であると指摘しています。

連合総合生活開発研究所『労働組合の賃金決定政策及び賃金体系政策の新たな展開に関する調査研究報告書』

評価・処遇に関する次のポイントは労働組合です。この連合総研(1999a)は、労働組合の賃金政策の変化と方向性を明らかにすることを目的としており、1999年2月から3月にかけて、連合傘下の1113組合(組合書記長および組合の賃金担当者)を対象にアンケートを実施しています(有効回収率:55.5%)。

この調査によりますと、最近の人事制度改革には労働組合が支持する政策、迷っている政策、そして支持しない政策があるといいます。組合が支持する政策は「能力開発機会の平等化」「社外でも通用する能力開発」であり、組合が迷っている政策は「評価・報酬の仕組みを職種や事業分野別に多元化する人事管理」です。そして支持しない政策は「組合員の賃金が不安定になるような一時金拡大策」「報酬が業績に連動する短期決済型の賃金支払い方法」です。すなわち、組合は最近の人事制度改革に対して、平等主義と多元主義の間で揺れていると指摘しています。

しかし、もう少し詳しく見てみると、組合員の大卒比率によって組合の対応は異なり、大卒の多いホワイトカラー型組合は、一時金における事前契約方式や部門業績の反映、退職金の賃金化や確定拠出年金、そして人事労務管理における複線型人事管理、評価の業績主義化・公開・関与などに、非常に積極的です。

なお、連合総研調査において労働組合は、評価制度の整備にあたり、「評価基準の明確化」「管理職による評価内容の説明」「考課者訓練の充実」「評価結果に対する不満解決ルート」が重要であると回答しています。

三和総合研究所『評価制度に関する調査研究報告書』

三和総研(1996)は、大企業における大卒ホワイトカラーの正社員を対象に、評価制度に関する現状と課題、将来の方向性を検討しています。これは1995年、全国ベースで従業員規模1147人以上の企業2000社とその労働組合に対しアンケートを実施したものです(有効回収率:企業調査26.3%、組合調査17.0%)。評価制度に関する本格的な調査といえます。

まず企業調査では、評価の「見直しを行っている」「見直しを予定している」企業はあわせて86.5%にのぼります。見直しの理由の第1は「従業員のモラールアップ」(71.1%)、第2が「貢献度が高い者の処遇を高くするため」(64.9%)です。興味深いのは、「貢献度が低い者の処遇を低くするため」という理由は4番目(31.1%)であることで、これは貢献度の高い者には高く処遇しても、低い人に対してあまり低く処遇したくないという、日本企業の意向がよみとれるように思われます。また、評価制度に問題があるとした企業は93.0%ですが、その理由は多い順から「質の異なる仕事をする者を評価するのが難しい」(68.1%)、「評価が寛大化し格差がつかない」(64.0%)です。

評価の透明性に関しては、60%以上の企業が評価項目、評価者、評価項目の判断基準、評価の手順・手続を公開しているとこたえています。評価のフィードバックについては、「知らせていない」企業が45.4%、「知らせている」企業が34.8%です。知らせている企業のうち59.3%が本人通知に際して問題があるとしており、その問題とは多い順に「評価技術上の問題点が明らかになる」(62.1%)、「評価が甘くなる」(59.8%)です。しかし、「人間関係が悪くなる」という回答は18.9%のみです。

一方、組合調査によると「個人の能力や業績によって処遇が大きく異なるような人事制度の導入」に対して、88.8%の組合が「条件によっては賛成」しています。その賛成の条件とは第1に「評価基準の明確化」(94.5%)、第2に「賃金の最低ラインの保障」(66.8%)です。そして、こうした人事制度の導入による組合機能の変化に関しては、「強まる」とこたえた組合が29.2%、「変わらない」が29.5%、「弱まる」が25.1%であり、評価は三つに分かれています。具体的に、「強まる」役割・機能としては「処遇のルール策定への組合の役割への期待が高まる」(87.9%)、「弱まる」では「集団的労使交渉で決める平均ベア率に意味がなくなる」(80.0%)などです。

評価制度に関しては、組合員へのアンケートに基づく連合総合生活開発研究所の調査(「雇用と人事処遇の将来展望に関する調査研究報告書」、1999b)があります。この調査では、人事諸制度の導入状況、組合員間の賃金・昇進格差、評価制度に対する組合員の不満などが明らかにされています。ここでのデータを用いた阿部論文(「企業内賃金格差と労働インセンティブ」『経済研究』51巻2号、2000年)は、賃金体系や人事制度の整備は重要だが、賃金格差の情報が従業員に正確に伝わらないと、労働インセンティブは高まらない。しかし、企業が賃金格差情報をあまりに正確に伝えてしまうと、賃金の低い従業員の労働インセンティブは、さらに低下する恐れがあると指摘しています。

以上、評価・処遇に関して取り上げた調査研究からは、 [1] 人事制度改革は個別化の方向で進んでいるものの、業種や組合特性などにより多様性がみられる、 [2] 人事制度改革に対して、組合は条件つきで賛成しているものの、その対応は平等主義と多元主義の間で揺れている、 [3] 評価制度とその運用については、多くの企業が評価基準の不明確さ、寛大化などの問題を指摘している、の3点がいえると思います。

討論

ホワイトカラーの評価制度
守島

今、主に三つの論文を中心としてご報告いただきましたが、論点としてどのような問題が考えられるでしょうか。

柴田

限られた企業を対象とし必ずしも十分なものではありませんが、私の行った賃金・査定の日米比較調査によると、アメリカ企業よりも日本企業のほうが労使、従業員ともに、評価制度に対して強い関心を持っており、その理由としては、日本のブルーカラーに人事考課が適用されていること、人事考課に不満を抱いても転職が容易ではないことなどがあげられると思います。評価における差別の問題、また、管理職に対する評価制度の未整備の問題はあるにせよ、少なくとも労働組合員、とくにブルーカラーに対して、日本の管理職は比較的緻密に人事考課を行ってきたという印象を私は持っておりましたので、ここで取り上げた調査結果(日本労働研究機構(報告書No.94;報告書No.104)、連合総研(1999a)、三和総研(1996))は少し意外な感じがしました。日本の評価制度だけに問題があるのではなく、Bretzほかの論文("The Current State of Performance Appraisal Research and Practice: Concerns, Directions, and Implications", Journal of Mamagement18(2), 1992)が示しているように、アメリカの場合も寛大化傾向や、不十分な情報に基づく多面評価などの問題が存在します。日本企業は、アメリカの評価制度が進んでいるという通念に、少しとらわれているようにも感じられました。

守島

今、柴田さんも言われましたが、未整備かどうかの議論をするときには、どういう対象についてどのような問題が指摘されているかということをある程度クリアにした形で、議論することが必要です。今回取り上げていただいた三つの調査研究は、ホワイトカラー、それも比較的中核になるような人たちを前提としているような気がします。評価制度に関してあまりうまくいっていないという調査結果が、出てくるのもそのためでしょう。

柴田

小池和男先生の言われるような仕事表に基づくブルーカラーの評価に比べると、ホワイトカラーの評価制度に課題は多いと言えるかもしれませんね。

松村

ホワイトカラーの場合にはやはりアウトプットの評価は非常に難しい。日本の場合、現場のブルーカラーに関しては極めて厳格な要員管理をしてきましたし、改善活動を媒介にした能率管理が徹底されてきていて、そういう場面でのテクニックとしては非常に整備されているのですが……。

ホワイトカラーの多様性と評価
守島

ただ、そういう意味では、日本労働研究機構(報告書No.94、1997;報告書No.104、1998)で、二つのタイプの企業が大きく分かれてきたというのは、ある意味ではおもしろい発見だと思います。今までは、松村さんが言われたような評価の未整備という事情もあって、ホワイトカラー全体をひとくくりとして見ていたのを、職能資格で見て、それを年功的に運用することでうまくいくタイプの企業と、短期の業績を成果主義的に評価して処遇に反映させようというタイプに分化してきたと、一応言えるのかもしれません。

柴田

ホワイトカラーのなかでの多様性とともに、同じ組合員のなかでもホワイトカラーとブルーカラーの評価制度を、はっきり分ける企業が増えているように思います。

守島

タイプとしてはホワイトの非管理職層=組合員層と、ブルーの組合員層、そしてホワイトの非組合員層の三つに分けられる。それをもっと細かく分けようという動きが出てきたと言うことでしょうか。

つまり、マネジャーとノンマネジャー、組合員と非組合員ではっきりと、別立てのシステムを運用しますよという形まで言っている企業は、少ないのかもしれないが、比較的管理職層では成果主義的にやりますとか、アウトプット評価をやっていきますということを言っている。そこに関してはこれまでとは別のシステムが出てきているということも、言えなくはないという気はします。

柴田

日本の管理職の賃金・評価制度が、ある意味で組合員の制度の延長だったということは、R. Dore先生のBritish Factory-Japanese Factory(1973年)などにより以前から指摘されていました。それがこの10年、守島さんが言われたように、管理職の制度変更が先行し、その後に組合員の制度が変更されています。

守島

ほんとうは全部一遍に変えたいけれども、組合員層は組合があるために変えられないから、何でも言うことを聞く管理職から変えていこうということなのか、それとも、今、柴田さんが言われたように何か人事管理上効果的であるという認識があってシステム的に違えているのかというところは、まだちょっとわからない部分がありますよね。

柴田

組合員層の制度変更が管理職の後に行われ、しかも管理職に比べるとあまり大きな変化はない第1の理由は、今守島さんが言われた組合の存在でしょうね。それともうひとり、入社してしばらくは従業員間にそれほど差がつかないし、従業員の士気を考えても、早い段階からはっきりとした評価の差をつけるべきではないと経営側は考えているようです。

格差の容認と人事考課のフィードバック
守島

阿部論文の中で指摘されているインセンティブ問題が、若い層で起こると困るという認識があるのかもしれませんね。

あと、面白いと思ったのは、評価制度が特に管理職層について大きく変わり始めているというときに、それがその他の部分にどういうインパクトを与えるかということです。その他の人材、人事管理機能に関してどういうインパクトを与えるかは、日本労働研究機構(報告書No.104、1998)のアンケート結果で、短期的な成果主義に追われて、職場の人材育成機能が低下しているという議論がある。また、佐藤博樹先生の論文「成果主義と評価制度そして人的資源管理」(『社会科学研究』50巻3号、1998年)でもその点が言及されていた。英語に「壊れていないのなら直さないでいい」ということわざがありますが、壊れていないのに直している。直した結果、ほかのところに影響が出てしまうという場面はないのでしょうか。多分、人材育成機能の低下は、非常に重要な問題のはずなんですが。そこで、先ほど指摘した二つのポイント、すなわち、誰を対象に、何を変えようとしているのかが問題だと思うのです。

柴田

誰を対象に変えようとするのかに関しては、三和総研(1996)のところで申しましたが、「貢献度が高い者の処遇を高くするため」評価制度を見直すという回答が64.9%であったのに対し、「貢献度が低い者の処遇を低くするため」という理由は31.1%でした。これは低い貢献者に対しては、これまで以上に厳しい処遇はできないと経営側は考えていると思われ、アメリカと異なり興昧深かったですね。

守島

そうすると、柴田さんは、31%というのは低いパーセンテージだという読み方ですか。

柴田

はい。

守島

松村さんは、どう思われますか。

松村

私はどちらかというと高い比率と見ました。そこで判断が分かれるのは面白いですね。

守島

誰を前提として議論するかによるでしょう。アメリカ的に高い者は高く、低い者は低くという人材マネジメントを前提にすると、31%はたしかに低い。しかし、日本の今までの流れからすれば、3分の1近くの企業が、低いところも下げると言っているのには、ちょっと驚きましたね。この三和総研(1996)を見ると、95年の時点ですでに3分の1の企業が、比較的低いところは低くする、高いところは高くするとしている。やはり格差をつけることに対して、少なくとも3分の1の企業は、この段階で既に認識していたことになります。

また、時系列で見ていくと興味深かったのは、人事考課の結果のフィードバックを知らせている企業が、三和総研(1996)の場合は35%程度ですが、その後、都留・守島・奥西論文(「日本企業の人事制度─インセンティブ・メカニズムとその改革を中心に」『経済研究(一橋大学)』50巻3号、1998年)では、サンプルが違うために簡単に比較はできないにせよ、27%とやや落ちている。評価制度をもっと厳しくすると言っているわりには、従業員と話し合って結果についてのフィードバックをやっている企業は多くなっていないのかもしれません。

成果主義と若年層の人材育成
柴田

今回のレビューを通じて、評価・処遇に関して私は三つのことに関心をもちました。第1に、いま日本企業は評価・処遇を含む人事制度改革の真っ只中にありますが、今後何年か経ったところで、その制度と実際の運用がどのようなところに落ち着くのか。第2に、その際、何が変わって何が変わらないのか。もし、変わらない部分があるとすると、それはなぜか。そして最後に、評価制度の変更が賃金格差にどのような影響を与えたかです。

守島

2番目のポイントについて申しますと、管理職、マネジャーに関しては実際問題として評価制度はかなり変わってきているのではないでしょうか。日本の、特に大企業に顕著だった、ホワイトカラーの組合員層/ホワイトカラーの非組合員層/ブルーカラー全体という三本立ての人事システムの運用はアメリカにはありません。アメリカだけが比較のポイントではないにせよ、アメリカの場合はエグゼンプト/ノンエグゼンプトで分けており、ある意味ではホワイトカラーはひとくくりなわけです。

そう考えると、先ほどの人材育成の問題とも少し関連してきますが、若年層のホワイトカラーに関して、どういう評価システムを入れていくかが日本の企業にとって重要なポイントになってくるのではないか。特に長期雇用や新卒一括採用という形が、今後しばらく崩れないと仮定すれば、その人たちに対して、成果主義の名で呼ばれているような、圧倒的に成果レベルに重点をかけた評価はできないと考えているのかもしれません。若年ホワイトカラーに、ブルーカラーとは別のシステムを用意していくのか、それともブルーカラーと同じようなタイプの職能ベースのシステムで、今後もやっていくのかによって、日本の人材ベースであろう、若年層の育成が大きく影響されると思うのですが、この辺のところはまだ調査がありません。

柴田

これまで日本の大企業の労働組合には、ブルーカラーもホワイトカラーも含まれていましたが、守島さんの言われたように制度が分かれていった場合に、日本の労使関係にどのような変化がおきるのか、それとも制度が分かれても、統合性という強みは維持されるのか、非常に興味深い点だと思います。

守島

特に製造業を中心で考えると、そのポイントは重要ですよね。

(2)賃金格差と過程の公平性

論文紹介(守島)

守島

すでに格差とフィードバックは、これまでのお話でも挙げられていますが、私がレビューをした次の三つの論文は、この二つのテーマについての最近の調査研究です。

奥西好夫「企業内賃金格差の現状と要因」

奥西好夫(1998)は、先ほどふれた都留・守島・奥西(1998)が1997年に行った企業調査に基づいています。この調査は、東京都23区内に本社のある300人以上の上場企業、店頭登録企業、および未上場企業から1800社を無作為に抽出し、450社の有効回答を得ています(その調査自体の報告としては、都留・守島・奥西(1998)参照)。

奥西(1998)の構成は、まず最初に賃金構造基本統計調査の1965年から97年にかけて約30年のデータを用いて、大卒男子の賃金カーブの問題を見て、同一年齢内の賃金格差が増大しているかどうかについてのマクロ的な検証を行っています。二つの大きな発見があり、一つは賃金カーブがフラットになって、スロープが寝てきているということ。もう一つは、比較的40歳代、50歳代で同一年齢内の賃金格差が拡大しているという傾向があるということです。

次に今回のサーベイデータを使い、どういう要因が格差の増大につながっているかについてのミクロ分析を行っている。まず、年俸制の導入や、賃金決定における重要要素、年収に占めるボーナスの割合等のいわゆる賃金決定制度の違いは、あまり格差増大に影響がないというのが大きな発見です。

制度要因として唯一、格差に関連があったのは評価制度で、評価結果を本人にフィードバックしている企業ほど、賃金格差は大きいという相関が出ています。この結果は都留・守高・奥西(1998)でも出ているのですが、ただ因果関係は必ずしも明らかではありません。格差の大きい企業だからフィードバックをしているのか、それともフィードバックをしている企業だから格差が大きいのか、ただし、相関関係があるということはこのデータからは言えます。

また、非制度的な要因として、例えば若年層の能力のばらつきが大きいこと、労働者の能力のばらつきや業績のばらつきを把握することが容易であること、自発的離職率が高い企業では賃金格差が大きいことが見いだされています。自発的離職率の高い企業については、若い時代で格差をつけてしまうと、阿部(2000)にもあったように、賃金競争における敗者のモチベーション管理の問題が出てくるのですが、離職していってくれれば、その問題は顕在化しない。もう一つ、能力のばらつきが大きいこと、ばらつきを把握することが容易であることについていうと、採用をあまり絞り込まず比較的ばらつきの多い人材の確保をして、その後に選別、選抜をするという人事管理が行われている可能性が示唆されていると思います。

また、昇進との関連も見ていますが、これはある程度常識的に理解できる範囲であり、賃金格差は昇進の時期が早く、また最終的に昇進確率が低い企業で大きい。つまり、昇進における格差と賃金格差とは相関があるとの結果が出ています。

この論文のおもしろい点とは、賃金制度や評価制度が制度的な要因によって格差が大きくなっているのではなく、能力のばらつきや離職率のような要因によって格差が起こっている可能性を示唆していることです。

Shibata, Hiromichi, The Transformation of the Wage and Performance Appraisal System in a Japanese Firm

2番目のShibata(2000)は、ある大規模製造業の事例を非常に丁寧に取り上げて、評価システムと賃金システムの変更が、賃金格差にどのような影響を与えてきたのかを明らかにしたものです。考察されたのは、従業員1万1000人ほどの組合のある企業で、この企業の組合員層に導入された評価・賃金制度について、1986年、1987年、1997年の3時点で調べています。

この企業では、年齢と勤続年数に大きく依存していた賃金制度を改革するために新しい評価制度を導入し、これにより賃金に従業員格差を導入しようとする意図がありました。また評価方式としては、目標管理が導入され、考課結果についての説明を職場の上司が行うことも制度化されました。ただ、導入前後の賃金格差を比較してみると、高年齢層(49~55歳以上)と37歳から41歳層の年齢層を除いて、賃金格差が新システムの導入後に大きく拡大した証拠は見られないとしています。柴田さん自身もふれているように、87年導入ということでラグを考えれば、まだ格差が顕在化していなくても当然なのかもしれませんが、拡大した証拠は見られないというのは非常に興味深い。

この論文では、その理由が二つあげられています。一つは、これまでの制度でも既に必要な格差はついていたのではないかというものです。もう一つは、労働組合や従業員の受容性を高めるために、新しいシステムの導入当初から大きな格差を入れることは難しかったのかもしれないという導入過程における要因があります。

したがって、奥西(1998)とShibata(2000)の研究から言える大きな結論とは、制度的な側面の変化、変革によって賃金格差を起こしていくというのは、企業にとって非常に難しいことなのではないかということです。先ほどの三和総研(1996)でも、格差をつけていく企業は、少なくとも3分の1近くあったわけですが、実際問題として導入した後にすぐに格差が大きくなる企業はあまりないというのは、おもしろい発見だと思います。

守島基博「ホワイトカラー・インセンティブ・システムの変化と過程の公平性」

そして、フィードバックに関してですが、守島(1999a)は、今言ったようなホワイトカラーのインセンティブシステムの変化に伴って、より賃金の決定の仕方が個別化する、もしくは格差が大きくなるとすれば─ここの前提を先ほど崩したのですが─、結果の公平性ではなくて、過程の公平性が重要になっていく、つまり、評価システムのプロセスでの公平性が重要になってくるのではないかとの主張です。具体的なデータとしては、1996年に社会経済生産性本部が行った29社に勤める3126人のホワイトカラー従業員を対象にした質問紙調査です。回収率は63%でした。また成果主義的施策の従業員による受容度に関する分析では、同じく社会経済生産性本部が、翌年に行った従業員規模1000人以上の企業に働く中間管理職を対象にした質問紙調査を用いています。有効回答数が1192通で、回収率が26%でした。ここでの過程の公平性施策とは大きく考えて二つあります。一つは評価結果のフィードバックで、もう一つはその前段階としての評価基準もしくは評価システムの公開です。この両方の情報開示をやっているような企業では、より成果主義的な評価や、格差の大きい処遇体系や賃金格差に対して従業員が不満を感じていたり、それによってモチベーションが低くなっていたりするという現象はあまり見られず、受容度が高まっているという発見がこの論文のポイントです。

この論文の中で私が主張したかったことは、これだけ労使関係が個別化され─個別化するかどうかという問題自身も議論の対象にはなりますが─、より成果主義的な評価やより格差の大きい処遇体系が導入されてくると、やはり企業は労使関係の問題として、過程の公平性を維持していく必要があるだろうということです。

もう一つの論じられるべき大きなポイントとして、組織内正義(オーガニゼーショナル・ジャスティス)から見た場合に、過程の公平性は企業にとっての利益を超えて、必ず入れるべきものなのかどうかということがあります。この論文は、経験的なデータを用いた論文であったために、あまり詳しくその点を議論できませんでしたが、組織内正義を維持するために企業は過程の公平性施策を入れていくべきだというような議論もできると思います。

なお、同じような観点から書かれているものに、井出亘「人事評価手続の公平さと昇進審査の公平性に対する従業員の意識」(『日本労働研究雑誌』No.455、1998年)があります。

討論

「結果の公平性」から「過程の公平性」へ
柴田

私は「過程の公平性」に関心があり、守島論文をとても興味深く読みました。ご報告の中ですでに説明されているかとも思いますが、これまでも「結果の公平性」があったとはいえないにもかかわらず、いまあえて「結果の公平性」から「過程の公平性」へと主張されるのはなぜでしょうか。

守島

ちょっと企業寄りの議論をさせていただくとすれば、三和総研(1996)や日本労働研究機構(報告書No.94、No.1O7)の中でも出てきたように、さまざまな環境要因によって格差をつけるということは、やはり企業にとって必要なことになってきている。それは生産性準拠賃金みたいな考え方からも出てくるし、インセンティブを高めていくというインセンティブ理論からも出てくる。ただ、今までは格差を小さくすることで、あたかも平等な賃金の配分をしているかのような態度を企業はとってきた。でも、これだけニーズが高まってくると、格差を高めるのなら、やはりそれを公明正大にやってほしい。その公明正大にやる方法が過程の公平性なんだろうという認識ですかね。

企業内格差拡大と制度変更の社会的雰囲気
松村

奥西(1998)とShibata(2000)ですが、制度を変更したけれども、格差は必ずしも広がらなかったという説明でしたね。これは、つまり、伝統的にずっと格差が大きかったのか、それとも、社会的な雰囲気が格差拡大で高まってくるにつれて、制度変更の直前くらいから急に格差をつけるようになってきたのか、その点はどうなのでしょう。

守島

Shibata(2000)の後半部には、既に格差がある程度あったのではないかとのニュアンスがありますよね。

柴田

はい。私のその論文の対象は組合員ですが、制度変更前からはっきりとした賃金格差はありました。

守島

柴田さんが見られた企業では、なぜ新しい評価制度と新しい賃金制度を入れようと考えたのでしょうか。

柴田

第1の理由は、ほかの会社が制度変更をしているからうちの会社も、というトップの意向です。第2に、これまでも賃金格差はあったけれども、従来の制度が必ずしもメリハリのある結果につながらなかったという人事部の認識です。

守島

今のは先ほど松村さんの指摘された両方があるという話ですよね。

柴田

これは守島さんがすでに指摘されましたが、企業がどれだけ自社の制度の問題点をきちんと把握し、どのように変えるべきか、あるべき姿を十分に描いているのか、よくわからないところでもあります。流されている感じがしないでもない。

賃金格差の現状認識と今後
守島

先ほどの問題に少し戻りますが、Shibata(2000)で取り上げられた会社の場合は全社レベルで新たな評価・賃金制度を入れたということですよね。これはデータとしてはあまり出てこないのですが、組合員層について導入している以上、おそらくマネジャーに対してはその前の段階で既に導入済みだと思います。多くの企業で、マネジャーについては、制度を変更しなくてはならないという認識がある。その大きな理由は高齢化だと思うんですね。高齢化していって格差がつかないと、人件費が高い人事制度になりますから、格差をつけて、総人件費管理の方向にもっていきたいと考えているのではないでしょうか。逆に組合員層のホワイトカラーについてなぜ導入するのか、またはブルーカラーについてなぜシステムを変えなければならないのかについて、明確にした調査は、残念ながら今回のレビューではなかったようです。

もう一つ、データとしても多少出てきますが、働く人自身が格差を望んでいるという議論も、ないわけではない。特に若年層に対して、彼らが望んでいるから、彼らに対して、よりできる人とできない人を峻別するような給与体系を入れる必要があるという議論がよくされている。それははたして本当なのでしょうか、奥西(1998)とShibata(2000)の結果では、結局、もう必要なところは必要なだけの格差がついていて、それ以上、別に入れる必要はないにもかかわらず、松村さんが指摘したように、ほかの会社がやっているからといった、社会的な風潮もあるのかもしれない。

また、特に日本のハイテク系の企業の人事担当者と話していると、引き止めの問題が、明らかに問題になってきている。どうやって引き止めるかというときに、給与は非常に考えやすいやり方で、その意味でも格差がついてくるかもしれない。

他方で、業種間の賃金格差が今後もう少し大きくなってくる可能性はある。今でも、もうすでにかなりあると言われていますが、ハイテクのように経済の繁栄を牽引しているような産業では、やはり給与が高くなってくるかもしれない。

柴田

大学の講義で学生に聞くと、ベンチャーや外資系に就職したいという一部の学生を除いて、多くの学生はあまり大きな人事制度改革や賃金格差を期待していませんね。意外に保守的なんですよ。

守島

そう、保守的なんですよね。こういうシステムは、自分が勝者になるときは、結構受け入れやすいんですね。けれども勝者がいる以上、敗者がいるわけで、敗者になるときは受け入れにくい。ただ、今行われているよりもう少し早目に格差がついていくことは彼らも望んでいるような気がします。

その一つの大きな理由として、あまり企業を信用しなくなったということがあるのではないでしょうか。そうすると、大きな格差については議論が残るにせよ、賃金後払いタイプのシステムの受容可能性が、少し低まってきたのかもしれない。若いときにもう少し高くもらっておきたいとか、いい仕事をした分だけすぐにもらっておきたいというニーズが、出てきたのかなという気がします。


2. ホワイトカラーを取り巻く人事管理と労使関係の変化

(1)人事管理の変化

論文紹介(守島)

守島

人事管理の変化に関しては、評価、処遇、賃金についてはすでに議論がある程度されましたので、ここでは、その他の変化を少し考えてみます。

日本労働研究機構『新世紀の経営戦略、コーポレート・ガバナンス、人事戦略に関する調査研究』

日本労働研究機構(報告書No.133、2000)は、企業の経営企画責任者を対象に1999年に行ったアンケート調査を用いています。従業員規模1000人以上の企業2370社を対象に、690社から有効回答を得ており、回収率は29%です。ホワイトカラーを中心とした人事管理制度の変更が、必ずしも人事管理内部の問題だけではなく、より大きく経営全体の変化、もしくは、経営を取り巻くガバナンス構造の変化に起因しているのではないかという議論をしています。本調査の一つの重要な視点は、重視する経営指標が、これまでの売上高から経常利益への転換が進んでいるということです。経常利益は今まででも2番目に重要な指標ではあったのですが、今後は経常利益を一番重視していく企業が多く出現している。

さらに進んで、なかには株主資本利益率など、バランスシート系、つまり資産利用価値の効率性の指標を見ていくような企業が増えてきているという動きがあります。これは非常に重要なポイントだと思います。

もう一つの大きな動きは、子会社や社内分社などのグループ経営を強化していきたい、もしくは、それを活用して、企業グループの価値を高めていきたい企業が出てきているということです。また、人事管理上、分社とか子会社に採用や労働条件などの決定に関して、裁量権を与えていく、いわゆる人事の分権化への志向も見られます。

また、ステークホルダーとして、よく言われる従業員・株主・カスタマーの3者のうち、この調査ではカスタマーは2位にきます。従業員と株主はウエートがほぼ同等で、同率1位です。ただ、どういう株主が望ましいかと聞くと安定株主を求めているのですが、おもしろいことに安定株主側が気にしている指標は効率的な資産運用なのです。先ほどバランスシートの話が出ましたが、株主が効率的な資産運用に関心を持ち始めているという認識を企業側が持ち、その結果として資産の流動化を比較的重要な財務戦略だと考えている企業が多い。これは、今までの株主とは異なる顔の株主を、企業が見ているということの一つの証左ではないかという気がします。

次に、人事の方針について見ると、終身雇用を部分的に修正し、むしろ小さな変化を少しずつ起こしていく傾向にある。つまり、抜擢人事や役員候補者の30代での絞り込みのような非常にドラスティックなタイプの人事ではなく、評価制度における情報開示と有期契約社員の活用、福利厚生制度の見直し等、今の人事システムを前提に、その部分的修正をしていくタイプでの人事管理の変更が多いということです。

また労使関係については、会社と社員の関係や労働条件の決定が個別的になり、それに伴って、集団的労使関係の担い手としての労働組合の役割が薄くなるという認識を企業は示しています。

つまり、株主価値重視へのある程度の傾斜が起こっている反面、人事的な変化はそれほどには大きくない。ただ、企業は資産効率を重視している株主のほうを、見るようになってきて、その意味で、長期的な雇用関係の見直しにつながる可能性が出てきているという読み方もできます。すでに、資産効率を示す指標に企業が比較的傾斜している点を、アメリカの研究者が指摘しています。さらにもっと極端な場合にはEVAのような非常に短期的な資産運用の効率を見始めていることにより、固定的な雇用形態、つまり長期的な内部労働市場を前提とした雇用形態がアメリカでは、崩れ始めているという議論もあります。同様のことは、日本でも起こる可能性があるでしょう。これは、人事の側面ではあまり重視されていませんが、経営学や会計学ではすでに注目している部分です。多少のタイムラグはあるにせよ、その辺の変化が、人事に影響を及ぼす日も遠くはないでしょう。

社会経済生産性本部『職場と企業の労使関係の再構築─個と集団の新たなコラボレーションに向けて』

社会経済生産性本部(1999)は、東京証券取引所一部上場企業を中心に13業種27社にはたらくホワイトカラー従業員、5150人に質問紙を送り、2980通を回収しています(回収率58%)。調査時期は1998年でした。この調査は「3.個別的労使関係」でも取り上げられますが、ここではホワイトカラーを取り巻く人事と職場管理の変化について、見ましょう。まず、職場への影響に関しては、職場の仕事量が過去3年間で増えたという回答が60%近い。逆に、職場の正社員の数は、減ったと答える割合が45%を超えている。それに対して、その他のタイプの従業員(非正規従業員)はあまり変化をしていないという答えが、一番多い。つまり、結果として正社員の仕事量が増えているのではないかという推測が、この報告書ではなされています。

また、仕事量が増えた結果として、職場における「ゆとり」が減少し、逆に職場の業績や成果を上げようとする雰囲気は増加している。つまり、きつい職場が出てきている。個人レベルで見た場合には、60%以上が、担当している仕事量、担当している範囲、裁量に任されている範囲、責任、仕事に必要な能力や知識など、すべて増加したと答えている。つまり、仕事もきつくなっているという認識です。逆に、仕事に対する能力開発の機会は、54%が減少したと答えている。あまり能力開発がなされないにもかかわらず、仕事がきつくなっている状況が観察されます。

評価面では、専門的な能力や業績、成果が以前よりも重視されるようになったと答えていて、ここでも以前より厳しさが増加している。

結果として、今の会社でも働き続けたいと思うホワイトカラーは60%弱にとどまり、また「3年前に比べて会社を信頼しなくなった」は31%と、「信頼が増した」(26%)より、わずかながら上回りました。

この調査は、正社員の減少や、仕事量の増加が、従業員の立場から見て、目に見える事実として現れていることを示しています。彼らの認識から見れば、厳しい職場がそこには現れ始めているということなのでしょう。

ニッセイ基礎研究所『ホワイトカラーをめぐる採用戦略の多様化に関する調査研究報告書』

ニッセイ基礎研(2000)は、ホワイトカラーの中途採用についての実態を見た調査です。全国上場企業から無作為に抽出した2100社にアンケートを郵送し、448社から有効回答を得ています。回収率は21%で、調査時期は1998年でした。回収率があまり高くなく、具体的なパーセンテージをどれだけ信用するかという問題は残りますが、少なくともこの調査では、ホワイトカラーで、社員全体に占める中途採用の割合は、平均20%、つまり、5人に1人が中途採用という結果が出ています。ただ、これは多すぎるかもしれません。現在中途採用の調査なので、中途採用をしている企業が答えたというのが実態だと思います。今後について28%の企業しか、中途採用を増やすと答えておらず、今後も変えるつもりはないという企業が、60%近くになっている。つまり、実態として多くは、中途採用はやっているが、それを中核的な人材獲得のメカニズムとして考えてはいないのでしょう。もう一つのタイプは、中途採用を活発に行うと答えている企業は、主に業績のいい企業であり、派遣やパート、契約社員等の他の雇用形態も取り入れて、雇用形態の多様化を一般的に目指している企業です。つまり、業績のいい企業はどちらかといえば雇用の多様化を目指しているということです。

では、中途採用をなぜするかというと、その大きな理由は即戦力の確保です。ただし、事務職については欠員の補充も目立ちます。即戦力の確保である以上、採用条件としては職務経験が52%と一番高くなっています。ただ、即戦力とはいっても、比較的若い層での中途採用を目指していて、年齢を採用条件にしている企業が52%あり、こうした年齢条件の上限は30歳から34歳が一番多い。つまり、もうでき上がった人を中途で採るというよりは、大卒10年ぐらいまでを採って、新卒と同じようなコースに入れてマネジメントしていくのが、実際の姿なのでしょう。

中途採用の決定にあたっては、配属部門の面接が重要な決定権を持っており、採用機能の分散化が見られますが、処遇についてはやはり人事部が決めている。

さらに、中途採用者は主に新卒者と同じキャリアコースを歩むことが期待されており、処遇も在職者とのバランスや年齢を見て決定されます。市場における価値づけだけで中途採用者の処遇を考えるということはまだ非常に少ない。

以上により、ホワイトカラー人材確保の新卒離れは以前よりも進んでいますが、企業は選択的、もしくは非常に戦略的に中途採用を行っており、大学卒業10年程度の中堅即戦力人材を採用して、新卒と同じキャリアコースに乗せて評価・処遇しているのが実態で、そこのところはこれまでとあまり大きく変わっていないというのが私の認識です。

したがって、評価・処遇に関しては議論されるほど、変わっていないというのが先ほどの議論でしたが、その他の分野に関してもあまり大きくは変わっていない。ただ一つ言えるのは、ホワイトカラーの働き方が前よりも厳しくなっている。これは正社員自体が減少し、仕事量は増加する、責任範囲も裁量度合いも増えているという意味で、厳しくなっているということかあるのでしょう。

なお、今回レビューの対象文献では、ホワイトカラーのいわゆるリストラ、人員削減にかかわる調査がほとんどありませんでした。出向や転籍という伝統的なメカニズムをこれからも使っていこうという企業が、大企業に関しては多いのかもしれませんが、ホワイトカラーの人員削減の実態把握は厳密になされているとはいえず、今後の研究課題として欠かせないものになると思います。

討論

ホワイトカラーの働き方と職場環境
柴田

アメリカ企業は日本企業に先行して組織のフラット化を行い、その結果、ミドルマネジャーの仕事量が増大したといわれていますね。社会経済生産性本部(1999)では、従業員の仕事量が増え、厳しくなったという結果が出ていますが、守島さんは、管理職のほうがより仕事量が増えきつくなっているとお考えですか。

守島

管理職のほうがよりきついと感じていると思います。一つ言えるのは、職場の雰囲気がどう変化したかというときに、管理職だけを取り出したものと全体と比較すると、管理職のほうがずっと悲観的な認識をしているんです。

柴田

ニッセイ基礎研(2000)では、中途採用の年齢の上限が30歳から34歳ということでした。職種によって異なりますが、ご存知のようにアメリカ企業でも30代半ばまでの転職が多いといわれますね。そうすると、30歳から34歳というのは日本企業だけの特徴ではなく、何らかの合理性があるかもしれませんね。

守島

30歳とか34歳が転職年齢としてプライムであるというのは、日本でもアメリカでも変わらないし、またそれは労働市場の構造から起こる結果だと思います。企業としては、投資をする以上、ある程度のリターンの期間を前提としないと困ります。30歳から34歳ぐらいまでの人を採用して、新卒とのバランスを見て給与を決定し、彼らと同じキャリアコースに入れるというのが、この調査から出てくる非常に典型的な中途採用ですが、おもしろいことにそれはアメリカとは違う。実際問題として、私が今、やっている他の調査では、年齢層で区切って、転職経験と満足度の相関を見てみると、大体35歳ぐらいまでに転職をしないと、満足度は上がらない。逆に、それ以上になると、転職後の満足度は差がないか、下がる場合も出てきます。

松村

ニッセイ基礎研(2000)ですが、これはタイトルこそ「採用戦略の多様化」と銘打たれていますが、今の守島さんのお話だと、さほど多様化しているとは言えないわけですね。

守島

調査自体は派遣や契約社員、パートタイマー、社外下請と他の就業形態も見ており、ここで多様化というのはそういう意味でなのです。

松村

しかし、中途採用に限って言えば、やはり長い雇用の途中に位置づけて管理している。その意味ではさほど変わっていないのでしょうか。

守島

多様化はしていないというのが、一つの結論でしょうね。採用と正社員の採用にはあまりバラエティーが出てきていません。また、ほかの調査、例えば後で触れられる日本労働研究機構(『出向・転籍の実態と展望』報告書No.126、1999年)での出向データを見ても、正社員のマネジメントに関して、特に採用に関しては、あまり違わない。もし多様化が起こっているとすれば、その他の派遣社員やパートです。また、社会経済生産性本部(1999)でもわかるように、正社員の割合の減少という、いわば、量的な変化はありますが、中に残った人たちが違っていることをやっているかというと、そうは言えない。

株主価値重視と早期選抜
柴田

最初にご報告された日本労働研究機構(報告書No.133、2000)で、抜擢人事や役員候補者の30代での絞り込みが今もあまり行われていないというのは、企業が意図した結果なのでしょうか。それとも、本当はそうしたいのだができないのでしょうか。

守島

私の印象論ですが、選抜や役員選抜が若くはなってきています。データに出ないのは、調査のやり方ではないでしょうか。30代での絞り込みや早い段階からの選抜について聞くので、企業はノーと答えるけど、40代から絞り込むということをかなりの大企業はやり始めていますね。昔は役員層への絞り込みは、おそらく50代後半でやっていたんだと思うんです。早い企業で50代前半。それを40代後半、40代前半まで、10年間早めてきています。

40代中間で賃金的にも、あるいはポスト的にも大きな格差をつけるということは、都留・守島・奥西(1998)でも触れられています。役員の登用であろうと、賃金格差であろうと、ポストの重要性の違いであろうと、この段階から、大きな格差を、それも明示的に入れ始めたというのが、現在のあり方のような気がします。ただ、40代までは、採用に関するデータからもわかるように、あまり大きな格差はつけないし、また、つけなくていいと感じているように思えます。

また、別の話ですが、バランスシートや資産効率などを前に押し出していくと、結局リストラや、不採算部門の切り捨てが議論され始めると思います。そのときにどのようにリストラをやっていくのかについて、まだ答えはないし、また調査もほとんどありません。これはある意味で恐しい。

柴田

ただ、Peter Cappelliの内部労働市場の崩壊という指摘に対して、現象としては見いだされるけれども、実際にどの程度広がっているのか、また今後広がりうるのかに関して、アメリカでもいろいろな意見がありますね。

守島

アメリカの場合は製造業の不採算部門や不採算の業種に対しては、レイオフという安全弁が前からあったように思います。日本の製造業は、そういう人的な安全弁を持ってこなかった。もちろん、出向や転籍、配転というメカニズムはあったのかもしれませんが、大規模なリストラに対応するメカニズムはないような気がする。レイオフは、雇用削減を正当かつオープンに行うメカニズムとして、アメリカで成立したものですが、日本ではそうした方法が確立していない。

柴田

そうですね。日本企業は安易な手段はとれない。だからこそ、より大きな課題に取り組まなくてはいけないということでしょうね。

守島

ええ。だから、今、一方では、企業はもっと効率的に運用しなくてはならないというニーズがあり、他方では、今までの歴史的な流れの中で、雇用を守らなくてはならないというニーズがある。日本の製造業にとっては、ダブルパンチなんだと思います。

柴田

しかし、雇用を守る姿勢があったからこそ、日本的な技能形成も可能であったといえますね。

守島

はい。そのなかで企業経営者が悩んで、今のようなシステムを開発していったという議論もあります。

(2)労使関係の変化

論文紹介(松村)

松村
日本労働研究機構『新世紀ホワイトカラーの雇用実態と労使関係─現状と展望』

私はホワイトカラーの労使関係の部分を報告いたします。ここでのテーマはホワイトカラーで、主に管理職における集団的労使関係の形成に関する展望です。日本労働研究機構(2000)は、先ほど取り上げられた日本労働研究機構(報告書No.133、2000)と対になる形で出されたものです。21世紀に向けて、長期安定雇用、企業別労使関係、企業年金などの基本的な枠組みに大きな変化はないとしても、雇用関係が個別化し、年功秩序は後退し、労働条件決定は同一企業内でも多元化し、企業グループ人事管理・労使関係の形成と進展に拍車がかかるだろうということが予想されます。

この調査は、こうした大きな制度改革の中で、ホワイトカラー労働がどのように変化するのか、また、会社・職場や組合のありよう、雇用、労使慣行に関して、中間管理職はどのような見方をしているのかを明らかにしようとしているものです。

アンケート調査は、大企業本社の経営企画、総務・広報・秘書、経理・財務、営業、人事・労務・教育の5部門の課長、およびその部下を対象として実施されたもので、回収は課長が約1200名(回収率47.3%)、社員が約3400名(回収率43.0%)で、そのうちおよそ3分の1が企画業務型の新裁量労働に携わっています。

いくつかの重要な事実の発見が見られます。職場の人員構成が、正社員で平均10人と少なく、非正社員化を伴う急激な「小さな本社化」という動きが見られます。職場の移動率も4割で、職場を超えた活発な人の移動が認められます。

他方、職場の雰囲気は、仕事上の助け合いや、部下や後輩の育成については良好であり、OJTによる能力開発がよく機能しているという印象があります。

しかし、会社に対する期待の充足度という点では、課長も社員も、「雇用保障」「従業員の健康」「企業の社会的責任」「労使間のコミュニケーション」では充足度が高いものの、「能力開発を配慮したキャリア管理」「女性の活用」「職場での日常的な苦情処理」では充足度が低いという結果になっており、ここから、キャリア管理を含めたOJTに基づく能力開発が、必ずしもうまく機能していない可能性を示唆しているという分析をしています。また、女性の活用が不十分である、上司や先輩、同僚以外に苦情処理方法がないといった問題も指摘されています。

次に、組合に対する意識という点では、あまり多くが調査されているわけではありませんが、非組合員である課長の組合期待度が、社員のそれを上回っているという結果が出ています。逆に、6割が組合員である社員では、組合よりも会社に期待しているという結果が出ています。ここで問題なのは、課長が組合に対して何を期待しているのか、課長自身の労働条件に関して期待をしているのか、それとも、組合がちゃんと従業員を把握しているかどうかという意味での期待なのか、その辺の中身がこの調査を読んだ限りでは、はっきりしません。それから、社員が組合に対して期待していない一方で、課長側の期待が大きいというねじれをどう理解するかも問題ではないかと思います。

社会経済生産性本部『個別化の進展と労使関係─中間管理職の意識と課題』

社会経済生産性本部(1998)は、企業別組合と労使協議制に特徴づけられるわが国労使関係は、企業運営における成果配分、問題解決及び経営参加システムとして重要な機能を果たしてきたが、今後の環境変化の中でも良好かつ安定的なシステムを維持できるかどうかが問われていると指摘しています。この調査では特に個別化の進展に焦点を絞って、そういうシステムの維持が可能かどうかを検討しています。従来、企業別労使関係の枠の外に置かれて、すでに個別化を強いられていた中間管理職の発言機会や問題解決の必要性とそのあり方を探ることで、今後の個別化の進展に対応する労使関係を構想する糸口をつかもうというのが、調査者の問題関心です。アンケート調査の対象は、従業員1000人以上の大手企業の課長クラス4592名(回答1192名、回取率26.0%)です。

先ほどの社会経済生産性本部(1999)でも指摘があったように、管理職の仕事はきつくなってきています。雇用調整に対する不満(悩み)を見ますと、6割以上の課長が不満(悩み)を抱いているのは、「昇給ストップ」「管理職の賃金カット」「指名解雇」に対してです。これは、実際にそれが行われたことに対してなのか、それとも可能性としてあることに対してなのか、その点がいま一つ理解できませんでしたが、非常に高い比率の課長が不満(悩み)を持っていると指摘されています。逆に悩みの比率が低いのは、「希望退職の募集」「系列会社への出向・転籍」「早期退職」などです。また、「自分の仕事への評価」という点では、3割が適正でないと答え、そのうち7割以上が、不満(悩み)を感じている。「評価結果に対する不満の申し出や救済の機会」では、「機会がある」が2割強にとどまっており、「機会がない」と答えた課長のうちの約半分が、不満(悩み)を感じているという結果になっています。

発言機会の手段では、「管理職の労組への加入」を要望する課長は16%、要望しない課長が36%という結果になっています。これは既存の組合への加入ということでしょう。次に、新たな「管理職組合の結成」を要望する者は23%、要望しない者が28%います。加入、結成のどちらにも、半数近くは判断を留保しているとはいえ、管理職組合の結成を要望する者が23%、4分の1弱いるわけで、私は、この比率について、意外に高いのではないかと大変驚きました。

そういった管理職の意識を踏まえ、この調査では個別化への対応として、労使協議制の活性化、評価の過程の公平性を指摘すると同時に、評価基準の公開、さらに不満の申し出や救済の機会を保障するために、「ゆるやかな」集団的ボイス機会というものの構想に触れています。

この調査で問題になるのは、課長の4人に1人が組合結成を通じた発言の機会を求めている、この点をどう考えるのか。それから、後にふれる石田光男「人事処遇の個別化と労働組合機能」(『日本労働研究雑誌』No.460、1998年)とも関係しますが、個別化の中での組合の機能はどうあるべきなのかという議論です。石田論文では、日本の場合、賃金面、処遇面の個別化ということにとどまらず、仕事の個別化も進んでいることが指摘されています。仕事そのものがまず部門に配分され、それがさらに職場に配分され、そして個人に配分されていく。そうした仕事の配分に関して、労働組合がこれからはもっと参加し、発言していくべきではないかという議論を展開していますが、そういう問題をどう考えるかという論点があると思います。

討論

管理職組合への期待の内実
柴田

部下のいる管理職、専門職、それ以外の、いろいろないい方があるかと思いますが、たとえば専任職のうち、どのような非組合員が組合に期待しているのでしょうか。

松村

必ずしも明確にはなっていないと思います。守島さんの参加された、社会経済生産性本部(1998)ではその点どうでしょうか。

守島

あまり大きな違いはありません、でも課長といっても部下なしか部下ありかもあり、さらにレベルによって少し違います。少なくとも社会経済生産性本部(1998)に関していえば、この時期は、いわゆる中間管理職の悲哀が認識をされ始めた時期ですね。マスコミでも、管理職ユニオンの話が少しずつ取り上げられたりしはじめました。先ほど柴田さんが言われたように、指名解雇や昇給ストップのような状況にはまだなっていないにせよ、可能性としては自分たちにも起こるかもしれないと感じ始めた時期に、この調査が行われている。そこで、4人に1人という数字が出てきたのではないでしょうか。

柴田

「管理職組合の結成を要望する管理職が4人に1人」という数字を松村さんは高いと言われましたが、守島さんも高いとお考えになりますか。

守島

高いか低いかという意味でいえば、僕は低いと思います。何らかの発言メカニズムあるいは救済メカニズムが欲しいという意味で、組合を考えている人が結構多いと思うんですね。よくマスコミで、管理職ユニオンが取り上げられますが、組合は今までは相談相手としてあまり考えてこなかったけど、いいんじゃないかといった程度のイメージのような気がします。

柴田

「組合員よりも非組合員の課長のほうが、組合への期待度が高い」というねじれ現象をどのように理解するか、という松村さんが提起された問題ですが、次のようには考えられないでしょうか。組合員は自ら組合に属し、組合費も払っている。それゆえ、身内としての組合を厳しく見ているのではないか。一方、管理職の組合への高い期待には二つ考えられる。ひとつは、少なくともこれまで会社に対して何らかの発言をしてきたのは組合である。だから、組合に期待したい。もうひとつは、守島さんが言われたように本当に結成したり加入するつもりがあるのかはわからないが、あまり深い意味はなく、組合に漠然と期待している。

中間管理職と集団的ボイス機会
守島

社会経済生産性本部(1998)は、1997年のデータで、他方、日本労働研究機構(2000)は1999年のデータです。2年間という時間を経ても、課長が自分をリストラやコスト削減のターゲットになっていると認識している像はさほど変わっていない。その意味では、中間管理職がどういうメカニズムで発言をしていくかという問題は、2年間で、状況としてはほとんど解決されていません。よく組合の人たちに、組合機関誌をだれが一番読んでいるか聞くと、現場の課長ですと答えるんですよ。つまり、彼らは上からの情報は遠過ぎておりてこない。かといって、組合員ではないから、組合からも直接情報は出てこない。それで、部下の机の上にある組合の機関誌を取り上げて読んでいるというわけです。つまり、情報面から見ても、比較的閉ざされた状況にあるのが、現代の課長像なのではないでしょうか。

柴田

「課長の3割が自分の仕事への評価が適正ではないと考え、7割以上が不満(悩み)を感じている」という、社会経済生産性本部(1998)の報告がありましたね。非常に限られた企業が対象ではありますが、私が社内人材公募制度など個人の仕事の選択に関する調査をした際、日本の多くの管理職は部下が仕事を選択することに対し意外に消極的でした。課長は自分の仕事に対する評価に不満を持ちながら、部下も同じような悩みを持っているかもしれないにもかかわらず、その解決のひとつになりうる個人の仕事の選択には関心を払わない、そう理解してよいのでしょうか。

守島

課長を対象にした自己申告制はあまりないですよね。組合員レベル、いわゆる非管理職層が対象の自己申告制は、少しずつ普及しつつあるけど、課長は不満の持って行き場がない。組合もないし、ほかへも自由に移れないですからね。

そういう意味で、非常におもしろいと思ったのは、日本労働研究機構(2000)で指摘されている上司や先輩、同僚以外に苦情処理方法がないという問題です。この問題は、想像以上に深いのかもしれません。日本の場合、今まで、特に管理職の苦情処理に関しては、上司、同僚、先輩以外に何もなかった。それ以外のメカニズムを課長職は何か望んでいるような気がします。

ただ、労使関係や労働組合というコンテクストで見ると、何か新しい機関や新しいシステムをという議論になるのですが、果たして現実的にそういうものが考えられるかというとよくわかりません。

松村

守島さんが言われている「ゆるやかな」集団的ボイス機会というのは、必ずしも組合を意味してはいないわけですか。

守島

はい、必ずしも組合を意味してはいません。どちらかというと、アメリカの企業にあるようなノンユニオンの苦情処理システムのようなものを前提としています。もちろん課長職で非組合員なので、最終的には裁定やアービトレーション(調停)に行き着くようなものができるのではないかと思いました。


3. 個別的労使関係─苦情処理の変容?

論文紹介(柴田)

柴田

個別的労使関係については、石田光男「人事処遇の個別化と労働組合機能」(『日本労働研究雑誌』No.460、1998年)において、仕事と賃金(処遇)の両方に個別化を持ち込めたことが、戦後日本の労使関係の特徴であり、欧米に対する優位性でもあると指摘されています。個別的労使関係の焦点のひとつは苦情処理だと思います。苦情処理については、小池和男先生が『職場の労働組合と参加』(東洋経済新報社、1977年)のなかで、日本の労働者は「(職場)集団全体についてはよく発言するのに対し、集団内の個人(個人的処遇)に関しては、あまり発言しない」、また、不満がないわけではないが、「いったところでどうにもならないというやるせなさがある」と言われました。小池先生の研究は、労働省『昭和47年労使コミュニケーション調査結果報告書』(1973年、常用労働者100人以上の事業所を対象、調査実施年に基づき1972年調査とよぶ)に基づいており、それによると、意見や不満を言う相手は上司が最も多く61.6%です。小池先生のこの指摘から20年以上経つわけですが、不平・不満の内容とその処理実態にどのような変化がおきているのか、知りたいと思います。

労働省『平成12年版 日本の労使コミュニケーションの現状』

この労働省調査(2000a)は、労使間の意思疎通を図るために用いられている方法とその現状、および労働者の意識を明らかにし、労使関係の実態を把握することを目的としています。約4000事業所とその事業所に雇用される約7000人を対象に、1999年、アンケートを実施しています(有効回答率:事業所調査70.9%、個人調査65.1%、1999年調査とよぶ)。ここでは、個人調査を取り上げ、同じ1994年調査、1989年調査の内容と比較します(1999年調査は常用労働者30人以上の事業所を、1994年・1989年調査は50人以上の事業所を対象としているが、ここでの報告はいずれも50人以上の事業所を対象とした数値を用いる)。

まず、「不平・不満を事業所に述べたことがあるか」に対し、「ある」と答えた従業員は22.8%(1989年)、26.5%(1994年)、39.5%(1999年)と増加傾向にあります。では、どのような方法で不平・不満を述べたかというと、1989年以降「直接上司へ」という回答が最も多く、73%でほとんど変わっていません。1999年調査では、不平・不満の内容は多い順に、「日常業務の運営」(50.8%)、「作業環境」(34.2%)、「賃金労働時間等労働条件」(31.0%)、「人間関係」(29.6%)、そして「配置転換出向」(15.0%)に関する事項です。1989年・1994年調査と比べると、「日常業務」「賃金労働時間等労働条件」に関する不平・不満は減少傾向に、「作業環境」「人間関係」に関する不平・不満は増加傾向にあります。増加傾向と予想される「配置転換出向」に関する不平・不満は、15.6%(1989年)、17.8%(1994年)、15.0%(1999年)であり、1994年が最も高くなっています。

「不平・不満を述べて得られた結果」については、最も多い回答の「納得のいく結果は得られなかった」は48.6%(1989年)、42.6%(1994年)、そして40.7%(1999年)と減少しています。次に多い「検討中のようである」は30.1%(1989年)、25.5%(1994年)、30.6%(1999年)と変化し、「納得のいく結果が得られた」は13.4%(1989年)、19.9%(1994年)、20.0%(1999年)といくぶん増加傾向にあります。不平・不満を述べない者は75.9%(1989年)、73.2%(1994年)、59.9%(1999年)と減少傾向にあるものの過半数を超えています。不平・不満を述べない第1の理由は「特にないから」ですが、51.1%(1989年)、43.4%(1994年)、37.4%(1999年)と大きく減少しています。それに対して、2番目に多い理由である「述べたところでどうにもならないから」は、33.2%(1989年)、32.6%(1994年)、39.9%(1999年)と、1999年に大きく増加しています。

社会経済生産性本部『職場と企業の労使関係の再構築─個と集団の新たなコラボレーションに向けて』

この社会経済生産性本部(1999)は、「2.ホワイトカラーを取り巻く人事管理と労使関係の変化」でも取り上げられましたが、ここではそのなかの、「職場生活と仕事に関するアンケート調査」に基づく、職場の苦情・不満に関する部分を報告いたします。このアンケートは1998年、13業種27社の5150人の従業員に対して実施されました(有効回答率:57.9%)。

先ほどの労働省調査と同様、この調査においても、多くの従業員は苦情・不満を申し出る制度はあっても利用せず(39.3%)、我慢できない不満を抱えたときは、上司に相談する従業員が最も多いこと(57.5%)を明らかにしています。この調査の興味深いところは、苦情・不満制度の利用向上策、苦情・不満の解決策と予防策をたずねていることです。まず、苦情・不満を申し出る制度がもっと利用されるためにはどうしたらよいかについては、多い順に「苦情や不満の申し立てを認め合う職場風土をつくる」(54.8%)、「申し出で処遇上不利にならない規定をつくる」(45.9%)があげられています。つぎに、職場の苦情・不満の効果的な解決策については、最も多い回答が「職場の管理職が相談にもっと応じるようにする」(53.3%)、第2が「苦情・不満を申し立てる制度を設ける、もしくは利用しやすくする」(38.7%)、第3が「組合が個人の苦情や不満の相談にもっと応じるようにする」(30.0%)です。そして、職場の苦情・不満への効果的な予防策としては、第1に「管理職が職場の問題の把握・解決に努める」(49.6%)、第2に「上司と部下が個別に話し合う制度の設置充実」(34.3%)、第3に「管理職の評価能力を高める教育を行う」(34.2%)です。

苦情・不満についての組合への期待に関しては、「期待している」(26.4%)と「少し期待している」(35.3%)の合計が61.7%、「あまり期待していない」(23.9%)と「期待していない」(13.8%)の合計が37.7%でした。なぜ期待しないのかに対しては、68.2%の従業員が「会社と同じ対応しかできないから」とこたえています。

小池和男先生が用いられた1972年の労働省調査と、1989年・1994年・1999年の労働省調査では対象とする事業所規模が異なるため、必ずしも正確な比較とはいえないかもしれませんが、報告いたしましたそれらの調査と社会経済生産性本部(1999)からは、次のことがポイントとして言えるかと思います。1972年当時と比べると、従業員が不平・不満を言う相手は今も上司で変わっておらず、むしろ61.6%(1972年)から73.1%(1999年)へと増えている。そして、現在では不平・不満の予防策に関しても、上司・管理職への期待が極めて高い。不平・不満を述べて納得のいく結果が得られたという従業員は、1999年では20.0%と1972年(21.3%)とあまり変わらないが、1989年(13.4%)よりは改善されており、最近の経営側の努力がうかかえる。しかし、言ってもどうにもならないやるせなさを感じている人は、4割近くで変わらない(1972年38.4%、1999年39.9%)。組合が不平・不満の解決に関与することを望んでいる従業員もいる。また、従業員は不平・不満や苦情の申し出により、不利益をこうむらないような職場風土や規定を求めている。

なお、ここで取り上げました二つの調査とそのほかの調査を用いて、佐藤博樹「個別的苦情と労働組合の対応」(『日本労働研究雑誌』No.485、2000年)も、苦情処理の分析を行っています。ひとつ補足しておくと、アメリカのホワイトカラーは評価結果に関して、しばしば上司に不平・不満を述べると思われています。しかし、前述の私の賃金・査定の日米調査によれば、多くのホワイトカラーは毎目顔をあわせる上司に不平・不満を言いにくく、むしろ転職がより可能な、high-potential employees、つまりファスト・トラックを歩むエリートに不平・不満が出やすいということです。

さて、二つの課題提起といいますか、私の関心を申し上げたいと思います。第1は組合の関与についてです。対象が日米各3工場と非常に限られていますが、私の調査("A Comparison of Japanese and American Work Practices", Industrial Relations, 38(2), 1999)によると、1990年代前半のアメリカの工場においては、上司との話し合いによる非公式な苦情解決が増え、その結果、苦情件数も激減しました。そして、そうした非公式な新しいチャネルと、苦情処理制度を利用した従来からの公式的チャネルの、二つのチャネルによる解決が普及していました。一方、佐藤博樹・宮本信『個別的苦情処理への労働組合の対応』(日本労働研究機構、1999年)では、ある日本の組合が組合員の不満や苦情を、「御用聞き型」により積極的に拾い上げている実態を紹介しています。

私の調査でインタビューしたアメリカのブルーカラーたちは、「人事考課がないし、職長への昇進も少ないし、不当な処遇を受ければ組合が助けてくれるから、公式の苦情処理制度を気軽に利用できる」とこたえています。状況が異なる日本で、アメリカと同じような公式と非公式の二つのチャネルによる解決が可能なのか。また、佐藤・宮本(1999)で取り上げられたような対応が日本で広がる可能性はあるのか、これが私の第1の関心です。

第2の関心は第1のそれとも関連するのですが、上司による不平・不満の解決についてです。これは私の長い企業経験からの直感にすぎないのですが、上司による不平・不満の解決とその期待が高くずっと変わっていないとすると、今後とも個別化が進んだとしても、上司のその役割は大きいのではないか。にもかかわらず、「1.評価・処遇」のところで取り上げた日本労働研究機構(報告書No.94、1997;報告書No.104、1998)によれば、最近では上司は忙しく、部下の育成にも時間が割けないという状況です。これまで機能してきた上司と部下とのコミュニケーションを維持するためにはどうしたらよいのか。いったいこれまでどんな不平・不満がどのように上司と部下との間で解決されてきたのか。部下はどのようにその解決に納得してきたのか。もっと掘り下げて調べる必要があるのではないか。これが私の第2の関心です。

討論

上司中心の不満処理行動

松村

私はアメリカのことはよく知らないんですが、アメリカでは伝統的に公式のチャネルがある。それに対して、ブルーカラーに限ってかもしれませんが、最近は非公式なチャネルもできてきて、2チャネルになっているということですけれども、これはフォーマルな解決が必ずしもうまく機能しないので、それにかわるようなものとして、インフォーマルな解決が徐々に発展していると理解していいのでしょうか。

柴田

おっしゃるように、二つのチャネルというのは、ブルーカラーでのことです。フォーマルな解決には非常に時間がかかり、どうしても職場の雰囲気が悪くなる。インフォーマルな解決方法を導入することで、解決時間を短縮し、上司とのコミュニケーションをもっとよくしようとしたのだと思います。

松村

そうすると、むしろ日本の影響であるというふうに理解してよろしいですか。

柴田

意図的にかどうかははっきりしませんが、日本的なインフォーマルな解決方法がアメリカに取り込まれたとは言えるでしょう。

守島

佐藤博樹先生の言葉を借りれば、上司中心の不満処理行動が支配的であるということですが、しかし数的に支配的であったとしても、果たして効果的であったのかどうか、実際にうまく苦情処理、不満処理が行われてきたのかどうかが問題だというのが、柴田さんが最後に言われたポイントですね。

柴田

はい。もちろんうまく処理されてきたとは思うのですが、もう少し詳しく調べる必要があるのではないかと思います。報告の中でも申しましたが、不平・不満の解決に関して、以前と同様、大きな期待が上司に寄せられている。しかし、その上司が不平・不満に対応できないかもしれないくらい忙しくなっている。そこをきちんと認識しないと、上司による解決という方法もあやうくなるのではないか。

上司の役割の変化と苦情処理メカニズムの課題

守島

忙しさという側面に加え、私が重要と思うのは、もともと現場の上司は、評価者であると同時に人材開発者でもあるという、上司の役割の多面的な性格です。ところが、先ほど議論した評価システムの変化によって、評価部分や選抜の機能が組織内で際立ってくると、今後はこの種の多面的な役割が発揮できないことになるかもしれない。つまり、評価者としての側面、特に人事の分散化に伴って、現場での処遇決定権が与えられたり、雇用契約継続決定が行われるようになると、現場の上司は苦情処理をできる立場ではなくなる可能性すらある。それがよいと言っているわけでは決してないにせよ、現実に、そういう方向に向かっているような気もしています。

柴田

それは高い専門性をもったプロジェクトマネジャー(プレーイングマネジャー)と従来型の部下の管理が中心のマネジャーという、「1.評価・処遇」のところで取り上げた管理職の二つのタイプとも関連しますね。

守島

そうです。マネジャーの役割変化、あるいは役割分化なのかもしれません。そのとき、果たして今までの労働省調査が想定しているようなタイプの苦情処理のメカニズムが効果的かはわからないというのが、おそらく社会経済生産性本部(1999)の前提だと思うのです。

面接制度と苦情処理

守島

その一方で、フォーマルなメカニズムは、いずれにしても日本の場合は働かないのかもしれないという認識もある。アメリカのホワイトカラーの現場は、先ほど言われたようにファストトラックとかハイポテンシャルとか言われているような人たちが苦情を言うことはあっても、ほかの人たちはあまり苦情を言わないというお話でしたが、文句を言うとなるとだれに言うのでしょうか。

柴田

職場では同僚以外では、やはり上司しかいないでしょうね。

守島

たしかに日本のホワイトカラーの場合、一般的な意味で上司への期待は高いと思うんですよ。今までの伝統もあるし、いろいろな調査でもはっきり出ている。ただ、アメリカと日本で何が違うかというと、アメリカの企業は上司との面談時間を別に設けていることがあるでしょう。目標管理面接とか成果評価面接の時間は、結局、この間はお互いに傷つかないで文句を言っていいですよというわけです。つまり、その時間は文句は言うし、評価に関して議論はするけれども、決まってしまえば、後は尾は引かないというタイプの人材管理をやっている。日本の場合も、単に上司に期待するというだけでなく、もっと人事システムとしてはっきりと、文句を言う時間、苦情そのものを最初からなくすような非公式な紛争解決の時間を立ち上げるほうが、効果的ではないかと思います。

考課結果をフィードバックしている企業は、20%から30%ぐらいしかありません。たしかに日本では、文化的には難しいのかもしれませんが、評価システムの変更を入れるのなら、その面もやっていかなければいけない。

柴田

システムとして導入するというのは、現実的で有効な方法かもしれませんね。松村さん、ヨーロッパ、たとえばフランスの企業では、不平・不満の処理はどのように行われているのでしょう。

松村

私も問題意識を持って調査したことはないので、くわしいことはよくわからないのですが、ホワイトカラーに関してはかなりアメリカに近い性格なのかなという気はしますね。毎年目標管理を行い、目標を決める際と、それがどれぐらい達成できたか、引き続き来年もその目標でやるか決める際に、きっちり議論する。そういう機会の中でいろいろな議論をして、それでうまくいくならそのまま雇用関係が続くということかと思います。

守島

日本は、「管理職がもっと相談に応じる」がトップに出てくる。これは、日本に限らず、ユニバーサルな傾向ですが、システム的な設計や、どれだけ管理職の準備ができているかに違いがあるのではないでしょうか。

松村

たしかに、上司に申し出をしても処遇上不利にならない規定を設けるというシステムに対する希望は強いわけですけれども、それがほんとうに可能と思っていて答えているのかどうか、そこら辺がよくわかりません。

苦情処理と労働組合

柴田

1990年代前半に、私はいくつかのアメリカの工場で、労使による苦情処理に立ち会ったことがあります。私がみた工場がたまたま同じ特徴をもっていたのかもしれませんが、労使が一つひとつ事実を丁寧に確認し、お互いの立場を認め合いながら、実に真摯に解決しようとしておりました。こうした方法があるのかと、いい意味で驚きました。

守島

労働組合がある場合でも、苦情処理制度が利用しにくいという現実は確かにあります。一つには、人事部がどう思うかについてを心配する人たちは随分います。ブルーカラーでも査定がある、ホワイトカラーの組合員にはもちろん査定があるという状況の中で、第三者的な機関の利用が査定に響くのではという認識は必ずあります。必ずしもすべての点で同じではありませんが、日本のブルーカラーについても、モデルとなるのはアメリカのホワイトカラーだと思います。

柴田

日本の工場でインタビューをしたときに、職場の中核のブルーカラーの人たちが、不平・不満の解決に組合がもっとかかわってほしい、と言うのを聞いたことがあります。守島さんが言われたようにアメリカのホワイトカラーの制度を参考にするのはもちろんですが、しかしそれは日本の組合が何もしないでもよいということでは決してなく、足元をしっかり固め組合離れを防ぐためにも、組合がどのように不平・不満に関与すべきか、検討してほしいですね。不平・不満を鬱積させず、健全な形で出てくるようにし解決する仕組みを作ることは、経営側にとっても重要なことだと思います。

守島

佐藤・宮本(1999)に出ている会社のケースは僕も聞いたことがあります。要するに柴田さんの言われた苦情の御用聞きのようなもので、組合の機関誌の一番最後の頁に、苦情はありませんかという用紙があり、それに書いて出せるようになっているわけです。その種の努力は労働組合として必要だと思います。それはフォーマルなシステムの問題というより、そもそも組合が現場に存在しているかどうか、一般従業員に対する存在意義やプレゼンスを知らせるということです。いわば労働組合の活動内容にかかわる広告です。組合活動についてほとんど知らずに過ごす人は結構いますから、だから、もうちょっと大きく言えば、労働組合がやるべきなのは、フォーマルな苦情処理をどうするかではなくて、別の形の活動だということもあるでしょう。


4. 労働組合─未組織化と組織化

論文紹介(松村)

松村

ここでは第1に、労働組合と人事評価、すなわち労働組合の人事評価へのかかわりという点、第2に中小企業の組織化、第3に未組織企業における労使関係、以上の3点について報告いたします。

大原社会問題研究所『人事評価と労働組合』

まず、大原社会問題研究所(2000)は、労働組合の既存の人事評価への対応だけでなく、制度の導入あるいは改定に組合がどう対応したのか調べています。既存の調査は、どちらかというと現在の制度への対応を議論の中心にしてきましたが、本調査は導入時の対応を問題にしています。

調査者の状況認識は、労働組合は伝統的に平等主義の立場から、仲間同士の競争を避けることで団結を強めて、メンバーの利益を守り、労働条件の向上に努めてきた。しかし、能力主義、成果主義の進展の中で労働組合も人事考課を容認し、積極的に関与せざるを得ない状況が生まれている、というものです。競争を激化させる考課と団結の視点との矛盾を組合がいかに受けとめ、いかに対応しているのかを、大都市圏の組合員300人以上の単位組合2080組合へのアンケートと、いくつかの企業へのヒアリング(労使双方)を通じて明らかにしようとしています。アンケートヘの回答605組合、回収率29.1%でした。

調査結果を見ると、まず8割以上の企業で賃金・人事制度の「変更が行われた」、あるいは「行われて」おり、変更を「労使一体となって行った」と「会社主導で組合も協力して行った」が合わせて64%あり、労使が協調して賃金・人事制度の変更を実施していることがわかります。また、この調査ではこれまであまり対象とされなかった全労連系の組合も調査しており、「制度の変更が行われた」、あるいは「行われて」いる企業は4割にとどまっています。9割の組合が変更に反対したと答えており、連合系組合の対応とは対照的です。つまり、反対する組合があると制度改革は行いにくい、あるいは遅れるということを意味しているかと思われます。

人事考課そのものへの評価については、7割を超える組合が、「人事考課は個人の能力を評価し、処遇に反映させるために望ましい」という肯定的な見解を示していて、「客観性に欠ける」「管理を強める手段である」といった批判的見解を上回っており、この点は、例えば評価制度に関する三和総研(1996)でも、同様に非常に多くの組合が、制度に対して肯定的に評価していたと思います。ただし、多くの組合は、肯定と同時に、「昇給や昇進の最低保障をする必要がある」と考えていて(6割)、調査者はここに組合としての平等主義的エートスが依然示されているという評価を与えています。人事考課への取り組みでは、60%以上の組合が「制度の公正さと納得性」および「運用面での公正さ」の確保に取り組んでおり、「結果の個人へのフィードバック」「考課者訓練の徹底」も重視していると述べています。

労働組合は人事査定制度導入にどのように対応したのか、という似たような問題関心から行われた歴史研究に、岩田憲治「査定と労働組合─査定を受け入れたA社労働組合の事例」(『日本労働研究雑誌』No.470、1999)があり、これは査定を受け入れた組合の事例研究です。

労働組合が比較的高い割合で人事考課を評価しているという点は、ほかの調査でも大体共通していると思いますが、組合としていかなる能力を積極的に評価するのかは討論のポイントではないかと思います。例えば格差の幅の規制や、最低保障はすでに議論されていますが、労働組合にとっていったいどういう能力が重要なのかという議論が必要でしょう。

東京都立労働研究所『労働組合の結成及び活動と地域組織』

都労研(1998)は、金子和夫さんや佐藤博樹さんたちが行ったものです。中小企業では組合組織率は低く、新設労働組合の減少傾向が進んでいるとともに、中小企業組合にリーダーがいないなどのさまざまな制約が存在します。この調査は中小企業での組合結成時や日常活動において、活動を支えている条件を明らかにしようとしたもので、特に、産別の上部団体や地域組織との関係に注目しています。アンケート分析の対象は、70年以降に結成された東京の中小企業の組合で、結成時に企業内にほかの組合がなかったところ(187組合、従業員規模1000人未満、組合員数6名以上)です。さらに、上部団体等の地域組織(回答70組合)にもアンケート調査を行っています。

労組の結成の直接の契機ですが、これは労働条件、経営体質への従業員の不満という内発的契機が、まず第一に指摘されています。外部からの働きかけがそれに加えて重要ですが、内発的な契機が必ず存在しています。組織化の担い手としては、正社員層が多く、過去に存在した組合の職場委員、役員経験者が含まれている場合も多い。内発的要因から組合結成にいたる事例が多いわけですが、結成過程で外部からの支援を受けた組合が7割もある。その支援を受けた組織は外部の組合が90%と最も多いわけですが、それ以外にも労政事務所のような行政機関も関与することがあります(20%)。

組合結成過程の最大の課題は、一般従業員層の中での支持の拡大ですが、監督者や管理者層からも支持を得られたほうが、結成時の組織率は高くなることが確認できます。実際、監督者、管理者層が結成の主体になる場合も多いわけで、そこでの支持率が重要になっている。また、既に親睦組織や労使協議制など何らかの従業員組織がある場合には、ない場合に比べて組合が結成される確率は低いということです。

なお、結成後については外部の組合組織に加入する組合が増える傾向にあり、活動に関する相談、指導といったさまざまなサービスを受けるようになります。

他方、上部団体の地域組織に関する調査によれば、過去5年間に組織化した労働組合は1地域組合当たり平均7.3組合、組合員数の合計の平均は470人余りです。

ここで議論したい問題は、組合の結成における上部組織の役割とは、もう少し具体的にどういうことなのか、それから、結成の際に主体になることも多い監督者、管理者などの職層の支持が得られる条件とは、何かということです。

なお、組織化に関連するものとして、小川浩一「日本における外国人労働者の組織化(上・下)」(『労働法律旬報』No.1481、N0.1483)が、神奈川シティユニオンという組合のケーススタディーとして、そこでのアジア系労働者の組織化を問題にしています。組織化の研究としてはやや特殊な事例かもしれませんが、組織化の領域として将来的に重要になると思われます。この調査では持続的で、しかし代行主義的ではない労働運動はどうすれば可能なのかということを問題にしています。外国人の場合には、どうしても労災や解雇にからんで補償をとることが課題になりますが、補償の問題が解決すると、組合をやめていってしまうことが多い。組合員を抱えるような運動がどうすれば可能かを問題にしています。

守島基博「未組織企業の労使関係」

そして三つ目のテーマである未組織企業の労使関係については、守島(1999b)を取り上げます。これも非常に興味深い論文ですが、まず、組合未組織企業の増加に伴い、従業員組織や労使協議制のような非組合発言機構が従業員の発言力に対して与える効果が問題になると指摘しています。本論文は従業員側の発言の程度についての意識をデータとして、非組合発言機構と従業員の発言力がどのように関連するのかを考察していますが、その際、最近の非管理職を含めた全従業員への処遇の個別的決定の傾向を踏まえ、労使関係を従来からの「集団的労使関係」と、新たな広がりを見せている「個別的労使関係」の二つに区別して、分析を行っております。分析は、三菱総合研究所が行った調査(1995年)のデータを再分析しています。企業169社(回収率10.4%)、従業員1804名(回収率不明)について行われています。

推定の結果ですが、集団的労使関係では、がある企業の従業員が最も高い発言力を持っており、個別的労使関係では、非組合発言機構のある企業の従業員のほうが高い発言力を持っているという結果が出ています。この結果をどう解釈するのかが問題なわけですが、その点について、守島さんはいくつかの解釈をされています。例えば労使協議と個人面談がセットで制度化されてきており、それが個別的労使関係での効果として出ているのではないか。あるいは、組合以外の方法による労使コミュニケーションを追求する経営者が増えているのかもしれない。

守島(1999b)に関連して関西経営者協会が1999年に『労働組合のない企業の労使関係』という調査を行っており、これも非常に興味深い結果を引き出しています。例えば労働組合がない企業について、組合がなぜ消滅したのかということについても調査しています。

組織消滅の一番大きな原因として挙げられているのは、中心になる活動家の脱退や退職であって、その辺の指摘が興味ぶかい。また、経営側に対するアンケート結果をみますと、経営者の9割は、デメリットもあるにせよ組合なしを希望するという答えです。その理由としては、横断的なつながりを持った組合に関与されることに対する危機感を指摘している。この回答は、先ほどの組合以外の方法による労使コミュニケーションの追求とも符合するような気もします。

討論

未組織労働者とVoice

柴田

守島(1999b)での、「集団的労使関係では労働組合のある企業の従業員が最も高い発言力をもっているが、個別的労使関係では非組合発言機構のある企業の従業員の方が高い発言力をもっている」というご指摘ですが、これは「協調的な労使関係は維持するものの、組合を通じて不平・不満を言われるのは困る、むしろ直接言ってほしい」という、組合のある企業での経営側の主張に通じるものでしょうか。

守島

そうだと思います。もう一つの解釈として、先ほど松村さんが言われた、集団的労使関係の有無に関係しますが、個別的な問題に関して従業員の意見を、ユニオン以外のさまざまなメカニズムを通じて吸い上げるタイプの企業が出てきたということもあるのでしょう。この種の企業は一時期アメリカで議論されたユニオン回避企業として、位置づけることができるのかもしれません。コミュニケーションメカニズムをつくっておいて、従業員の意見を吸い上げ、労働組合が結成されないようにするか、できたとしても非常に協調的な労働組合にしておこうとするわけです。

従業員組織とユニオン回避

柴田

松村さん、都労研(1998)の報告で、「すでに何らかの従業員組織がある企業では、組合が結成される確率が低い」とあるのは、組合結成の必要がないから、という理由でしょうか。

松村

組合に代わる発言機構は、組合に比べればやはり発言力は弱いのかもしれませんが、これが存在することで従業員も一定の満足はしているでしょうし、経営側も、むしろそのほうが望ましいと考えているからでしょう。

柴田

従業員組織そのものが、組合に取って代わるように充実してきた、あるいは質的に変わってきたということは言えるのでしょうか。

守島

少なくとも企業側の意図としてはそういうこともあるのかもしれません。また、従業員側にそれが受け入れられているということもあると思っています。都労研(1998)の中でのべられており、日本労働研究機構の労働組合の結成に関する中間報告書にも出てきますが、企業側が一番恐れているのは、外部の労働組合の介入です。逆に言えば、親睦組織や、労使協議制、従業員組織は、外部とつながる可能性が極めて少なく、どんなにそれを活用して情報を吸い上げ、従業員とネゴシエーションしても、外部からの介入がないので許容するという経営者はいます。

アメリカのユニオン回避は必ずしもそうではなく、ほんとうに対立的な労使関係を避ける意図もあったと思いますが、日本の場合、各種の調査を見ていて思うのは、とにかく外部や上部団体の介入を避けたいがために、ユニオン回避をやるという傾向です。しかしながら、何らかの従業員側のニーズをくみ上げるメカニズムは必要で、そこにさまざまな方法を用意するような企業が、少しずつ出てきたわけです。

今、柴田さんが言われた、従業員組織がある場合新規の組合結成率が低いというのは、少し前に中村圭介さんたちが、組合が結成される確率が低くなるから、従業員組織を法制化すべきでないという立論をしていましたが、ある意味でそうした立場を支持する結果になっていますね。

マネジメントの権利と労働組合の権利

守島

あと、私がうかがいたかったのは、大原社会問題研究所(2000)で出ていた、能力のコンテンツについて労働組合がどう発言するかをもう少し考えるべきではないかという点です。非常におもしろい論点だと思うと同時に、非常にファンダメンタルな問題のような気がしています。どこまでがマネジメントの権利でどこからが労働組合の権利なのかという議論と関連してくるのではないか。つまり、きわめて経営寄りの考え方からすれば、職務能力をどう評価するかは、マネジメントの権利であって、労働組合に口を挟まれたくないというのも、話としてはあり得ます。そうすると、それに対する反論は、どういう形で提示されるのでしょうか。

松村

私は、やはり労働組合が職務能力の中身を考えるということは難しく、いろいろ考えてやってみても、結局うまくいかない可能性があるんじゃないかと思っているんです。それはおそらくマネジメントの領域の話であって、むしろ、組合としては、経営側が考えたものに関してあいまいなところを明確にしていくといった形での関与の仕方のほうがうまくいく可能性が高いように思えます。ですから、石田(1998)で問題提起したように、職務能力をどう考えるのかについて、組合も議論すべきではないかとは思っています。

守島

次の「5.知的熟練論の精緻化」とも関連しますが、労働組合は機会の平等(イコール・オポチュニティ)が原則ですよね。その場合、企業側は、能力のコンテンツには物を言わないけれども、この能力が重要と考えるのであれば、その能力を磨く機会はイコールに与えられるようサポートするのが原則だと考えていたのではないでしょうか。他方で、日本の労働組合も、ある重要な能力が必要なときに、その習得機会を特定の少数が占有するのではなく、みんなに平等に機会が提供されるようにするようサポートをしてきたのかどうか。

柴田

最近の調査によれば、生産職場でのローテーションや技能形成は、決して平等ではなく、職長の強い権限のもとに行われ、将来中核になる人には前後の関連する職場の仕事や保全などを経験させていることが明らかになっています。労働組合も、平等なローテーションや技能形成を強く主張してこなかったようです。

守島

日本の労働組合は査定を受け入れてきたと、これはきわめてマネジリアルだ、という議論がありますが、実際は、それよりもさらにマネジリアルであったということでしょうか。

柴田

ただ、「1.評価・処遇」のところでとりあげた連合総研(1999a)によると、組合は最近の人事制度改革において「能力開発機会の平等化」策を支持していますね。

守島

石田(1998)で言われている仕事の個別化に労働組合がもっと関与しなくてはいけないという議論というのは、今のような問題意識、つまり仕事の与え方においても、ある程度公正さや平等さがないといけないという議論ではないんですね。

松村

その議論とはかかわるとは思いますが、むしろ、個別化という話からいうと、例えば仕事を選ぶことに関してもっと自由を与えるとか、このポストは気に入らないから別のポストを選ぶ選択の幅を認めてもらいたいという議論はしていますね。

柴田

それは社内人材公募制のようなことも念頭においてということですか。

松村

それもあります。

守島

日本の労働組合は、マネジメントの権利との境界をどこに引くのでしょうか。たしかに、過程の公平性は重視している。イコール・オポチュニティが原則というのもわかる。ただ、現場での仕事の割り振り、石田(1998)で言うところの仕事の個別化などについては、やはりあまり発言していないわけですよね。そうすると結局、アウトプットとしての処遇の部分ではぎりぎり公平性を確保しても、インプットの部分、つまり能力形成の部分では公平性を確保しているのかどうか。

松村

仕事の配分、例えば、部門ごとにどう目標が割り振られるか、職場にどう割り振られるか、さらにそれが個人にどう割り振られるか、これについては労働組合が発言をしてこなかったということが、一番の問題関心ではないかと思います。あるいは、賃金個別化に関する配慮については、発言してきたかもしれないけれども、仕事の配分に関しては、必ずしもやってこなかったのではないか。それは、残業など全部がかわってくる問題だと思うのです。

仕事の配分のルール形成と労働組合

守島

一つだけお聞きしたいのですが、アメリカの現場のいわゆるワーカーインボルブメントは、誰がどの仕事を担当するといった、仕事の配分まで発言していないのでしょうか。

柴田

ソシオ・テクニカル・システムに基づく自律的チームでは、チームメンバー自らが職場でのローテーションなどを決めるという動きがありましたね。ただし、そうした意思決定への参加が進むと、経営側にとってチームシステムは組合よりも脅威になるかもしれないと、H. Katz先生はShifting Gears(1985)で早い段階から指摘していました。実際に、1990年代前半に私が調査したアメリカの工場での自律的チームは、90年代後半以降、廃止されたり参加度合いの低いチームに変わっています。

守島

アメリカの場合、いわゆる日本的なシステムを導入しはじめたときは、現場にかなり仕事の配分に関する発言を許していたように思います。逆に日本の場合、労働組合がかかわるか、現場がかかわるかは別の問題として、だれがどの仕事をやるか、どういうルールで決まってくるかといった、仕事の配分に対する発言はあまり注目されてこなかったように思います。

柴田

アメリカのチームシステムについて少し補足すると、アメリカの生産職場では、もともとブルーカラーの職場の意思決定への参加の程度は日本より低かったと思います。そこへ日本では見られないほどの多くの権限を一気にチームに与えた。これは私のように企業経験がある者からするとまさに驚きでした。しかし、結局行き過ぎとわかり、撤退し修正したということでしょう。

守島さんの言われた組合の生産職場へのかかわりについていえば、アメリカの組合はいまも残る労使対立の中で、積極的かどうかは別にして、職場の制度にかかわり、不平・不満も吸い上げてきたのではないでしょうか。アメリカほどの問題や不満がないと言ってしまえばそれまでですが、多くの日本の組合はアメリカの組合のようには職場に入り込まなかったのかもしれません。


5. 知的熟練論の精緻化

(1)ブルーカラーの技能形成

論文紹介(柴田)

柴田

今回のレビュー対象期間前ですが、村松久良光「量産職場における知的熟練と統合・分離の傾向」(『日本労働研究雑誌』No.434、1996年)では、大企業の機械加工職場では統合技能、大企業・中企業のプレス加工職場では部分的統合技能、そして中小企業の機械加工職場では分離技能が見いだされると指摘しています。

石田光男ほか『日本のリーン生産方式』

石田ほか(1997)は、日本の自動車産業の生産性と職場組織の関係、とくに職場における統制と刺激の仕組みを明らかにしようとしたもので、1992年から94年にかけて、日本の二つの自動車企業でインタビューを実施しています。

この調査では、日本の自動車直接生産職場に自動化機械補助技能、単純組付技能、そして異常対処技能の三つのタイプの技能を見いだしています。自動化機械補助技能が中心の職場はボディ職場で、異常処理のほとんどは保全担当者が、簡単な異常処置は役職者が担当しています。決められた時間内に正確に作業する単純組付技能が中心の職場は、最終組立職場で、異常処置はリリーフマン・職長・保全の仕事であり、改善のできる高い技能の持ち主は3割程度です。異常対処技能が作業者の定常的業務に入っているのが、機械加工職場です。しかし、保全の領域に深く立ち入ってはいないことを示唆しています。この調査では、機械加工職場、最終組立職場、ボディ職場の順で高い技能(ここでは知的熟練とはいっていません)が要求されるとしています。

中部産業政策研究会『もの造りの技能とその形成』

中部産政研(2000)は、日本(中部地方)の自動車産業における生産職場の技能とその形成を明らかにしようとしています。1998年から99年にかけて、大企業から中規模企業にわたる、自動車の素材加工工程から最終組立までのほとんどの直接生産職場と保全職場の職長クラスを対象に、聞き取りとアンケートを実施しています。これは非常に大規模でしかも綿密な自動車生産職場の調査だといえます。

主なポイントは、つぎの八つだと思われます、第1に、自動車の生産職場では、知的熟練が効率に大きく貢献している。第2に、これはこの報告書ではなく、調査メンバーの中馬宏之先生が他のところでおっしゃっているのですが、技能の統合度が高い職場は、プラスチック成形、プレス、鍛造、金型であり、低い職場は塗装、電子部品組立、エンジン組立である。第3に、職場により異なるが、変化と異常にかなり対処できる知的熟練の持ち主は、直接生産労働者の約6割である。そのうち、職務設計の見直しなど、最も面倒な仕事ができる者は1割前後である。第4に、技能レベルの低い期間工が職場に占める割合は、せいぜい2割である。第5に、直接生産職場がすべてのトラブルに対応できるのではない。機械設備トラブルに対して、半分以上、半分、半分以下に対応できる直接生産職場が、それぞれ約3分の1である。第6に、職場のローテーションは自動的でも定期的でもなく、能力主義に基づく職長の強い権限による。第7に、保全職場から直接生産職場への仕事の移管が増える一方、機械設備の高度化により、保全職場への依存も増している。そして弟8に、ロボット化や情報技術が進むほど、ますます多くの人に、しかも高度に知的熟練は求められる。

Koike, Kazuo "NUMMI and Its Prototype Plant in Japan"

小池和男先生のこの調査(Koike(1998))は、ほぼ同じモデルの自動車を製造しているNUMMIとトヨタ高岡工場の技能形成の比較であり、1990年の両工場でのインタビューに基づいています。

結論はつぎの六つに要約されると思います。第1、入社3、4年までの短期勤続者を比較するとNUMMIのほうが、長期勤続者に関しては高岡工場の労働者のほうが、より幅広い仕事を経験している。第2、職場での変化に対しては、両工場の直接生産労働者ともかなり対処しているが、高岡工場の労働者のほうがより深く関与しており、NUMMIでは深い部分はチームリーダーが対応している。第3、異常については、高岡工場では直接生産労働者が原因を分析し、グループリーダーに報告しているのに対して、NUMMIでは初めからチームリーダーが対処している。つまり、知的熟練のレベルは高岡工場のほうがNUMMIよりも高い。第4、技能形成に関して、高岡工場では上司が意図的にグループリーダー候補者に、関連する幅広い仕事を経験させているが、NUMMIではチーム内で定期的ローテーションを実施している。第5、賃金は、高岡工場では人事考課を含む職能給であり、NUMMIでは人事考課のない職務給である。第6、労働生産性は高岡工場のほうがNUMMIより15%から20%ほど高い。

なお、「3.個別的労使関係」で言及しました私の日米工場の比較調査によりますと、日米それぞれにばらつきはありますが、日本は統合技能、アメリカは分離技能という特徴があります。

こうして五つの調査研究をみてきますと、今も厳しい批判はありますが、大規模で詳細な内外調査により、知的熟練論は精緻化してきているのではないかと思います。すなわち、知的熟練がはっきり見いだされる直接生産職場とそうでない職場があること、すべての直接生産労働者が知的熟練をもっているのではなく、日本の自動車工場でいえば約6割の労働者が知的熟練を保有していること、そしてアメリカではまだ知的熟練は見いだされないこと、こうしたことがはっきりしてきたと思います。

私の関心のひとつは、最後に申しました知的熟練の海外移転です。小池和男先生と猪木武徳先生が『人材形成の国際比較』(東洋経済新報社、1987年)において、アジアでは知的熟練は芽生えているものの、まだそのレベルは低いと指摘しておられます。その後、アジアにおいて知的熟練は深まり広がったのか。また、それ以外の地域、例えばヨーロッパでこうした知的熟練は広がりうるのかについて、知りたいと思います。

討論

知的熟練の分布:キーパーソンはどれだけ必要なのか
松村

われわれの調査(石田ほか(1997))についても報告していただきましたが、この調査ではいわゆる小池・野村論争をかなり意識して議論を展開しています。例えば日本の現場のいろいろなレベルの高さ、パフォーマンスの高さとは単に生産労働者の知的熟練だけによるものなのかどうか。例えば職場にかかわる人としては保全労働者もいれば技術員やそれ以外の人たちもいて、分業がなされており、その辺りの全体像を見るべきではないかというような議論を行った結果、例えば、保全職場の技能形成などについても、ようやく視野に入ってきたのではないかという気がします。

さらに、変化と異常への対処の能力が果たしてラインのレベルで、一体どれぐらいの人たちに保持されているのかに関しても、改善能力といったことも含めて、調査をしました。やはり、生産ラインでは必ずしも知的熟練の程度は高くない、それから改善に関しても、日本の労働者の改善能力は高く評価されてきましたが、必ずしも全員がそれを備えているわけではなく、せいぜい班長とか職長が中心になって、アイデアを生み出しているのが実態であるということも明らかにされたわけです。知的熟練に関しては、だれがその保有者なのか、どういう分布なのかが、やはり重要になってくるのでしょう。

柴田

小池先生ご自身も、日本のすべての直接生産職場の労働者が、知的熟練を持っているとはお考えになっていなかったと思います。それから最近、中馬宏之先生は知的熟練と職場の技術革新の関係も分析されています。

守島

柴田先生が報告した、Koike(1998)でのNUMMIとトヨタ高岡工場の比較には、より多くの人たちが知的熟練を持っているほうが、つまりここでいえば高岡のほうがNUMMIよりも生産性が高いということを言っているような気がしますね。

ところが、今の松村さんの議論や、中部産政研(2000)では、そうではなくむしろ分布が重要だと言っているのではないでしょうか。そこで、知的熟練はみんな持てばいいのか、それとも、その中に階層性があって、一部の人たちが非常に高い知的熟練を持っていれば、ほかの人は持っていなくてもいいのかということが論点となると思います。これに関してはキーパーソンが非常に高い知的熟練を持っていることが重要であるという結論を提示した研究が出てきましたね。例えば、柴田さんが述べられた中馬さんの研究などです。

柴田

私が報告した調査の多くは、職場の職長・班長の重要性を指摘しています。

守島

すると、極端な解釈をすれば、自動車製造業は末端まで知的熟練のレベルが高いほうがいいということになるのでしょうか。

柴田

職場にもよりますが、中部産政研(2000)の結論は、守島さんが先ほど言われたとおりだと理解しています。労働組合の職場への関与が先ほど話題になりましたが、この調査では今後の課題として発言の問題を取り上げています。すなわち、知的熟練の形成にあたっては、直接生産労働者の希望をいかす方式の確立と、それに対する組合の側面的支援が必要であるといっています。発言に関して、先ほど取り上げたShibata(1999)では、日本における上司の管理による統合技能の形成と、アメリカにおける個人の選択による分離技能の形成を対比させていますが、それに対し脇坂明先生は、個人の選択を取り入れた統合技能の形成も可能ではないかと、鋭い指摘をされました。

守島

産業のグローバルな分業が仮に進んでいくとして、知的熟練論で考えると、例えば、中国でのある産業の場合には、このタイプの知的熟練が重要であり、日本のようにハイテクや高付加価値の製品をつくっている産業の場合には、別のタイプの知的熟練が重要であるという議論もありますが、むしろそれは国の違いの問題よりも、産業や職場の違いで分かれてくるという議論のほうが説得的に思えるのですか、いかがですか。

柴田

おっしゃるとおりかもしれません。次のホワイトカラーの人材形成にかかわる議論とも関係するのですが、知的熟練に関していえば、ブルーカラーの知的熟練に対応するホワイトカラーの技能とは何かという問題があります。小池和男先生は『大卒ホワイトカラーの人材開発』(東洋経済新報社、1991年)などで、経理部門における予算と実績のずれの原因分析と解決など、ホワイトカラーにおいても変化と異常への対応の知的熟練が重要だと指摘しておられますが、それ以外には考えられないのか、関心のあるところです。

守島

ホワイトカラーの人材育成を知的熟練の側面から考えたものとしては、日本労働研究機構『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム』(報告書No.95、1997;報告書No.101、1998)の国際比較研究が代表的ですね。

この国際比較調査では、ホワイトカラーの場合にも異常への対応、変化への対応を当てはめ、それをキーとしてホワイトカラーの人材開発を見ていくことに有効性はあるし、また、そういうタイプの人材育成がなされているような職場が、生産性が高いとしています。別の言い方をすれば、ドイツでもアメリカでも、いわゆる長期的な雇用をやっているような大企業を考えた場合には、程度の差はあっても、似たようなタイプの人材育成が行われていて、それは日本のブルーカラーで発見されるものと大きく質的に違いはないということです。

(2)ホワイトカラーの人材育成

論文紹介(守島)

守島
日本労働研究機構『変化する大卒者の初期キャリア』

日本労働研究機構(報告書No.129、1999)は、先ほど柴田さんが言われた知的熟練の議論をある意味では一つの前提にして、このタイプの人材育成が成立するために日本の大卒者がどういうキャリアを歩んできたかを提示しています。

この調査は、大卒男女について、92年と98年の2回にわたって職業キャリアを調べています。92年調査は、全国の4年制大学35校を1983年~92年に卒業した男女5万5997名を対象として、有効回答2万335通を得ています(回収率36%)。この報告書では、92年調査回答者のうち83~84年および89~91年卒業者5441名を対象とした追跡調査のデータを用いており、有効回答を2343名から得ています(回収率43%)。

具体的には、83年から84年に大学を卒業した大卒のグループと、89年から91年に大学を卒業したグループを比較することで、入社後8年から10年目までの民間企業に勤続する大卒ホワイトカラー(女性含む)についての初期キャリアを比較しています。

先ほどの大卒ホワイトカラーの国際比較研究をベースにすれば、いわゆる幅の広い専門家タイプの人材開発が、ホワイトカラーの場合でも多く見られるというのがこの比較研究の発見でした。そこで、83~85年卒業の勤続8~10年目の人は、主に最初の10年を1980年代に過ごしており、89~91年卒業グループは、最初の10年を1990年代に過ごしている人たちで、この二つの世代を比較した場合、次の結論が導かれます。

すなわち、事務系ホワイトカラーに関しては、経験職種数が減少し、とりわけ単一職のみの経験者が90年代に増加しています。別な言い方をすれば、初期キャリアの幅の縮小が、傾向として観察される。これは比較的早くから専門家を育成しているということかもしれません。ただ、同時に、事務系の場合はもう一つ大きなパターンとして、複数の職務を経験するキャリアも、少数ながら見受けられ、この人たちはより幅の広い職務ローテーションを経験するようになってきている。つまり、キャリアの幅が減少しているグループと、拡大しているグループの二つに分化するような傾向があるというのが大きな発見です。なお、技術職については80年代、90年代を比較した場合に大きな違いがなく、どちらの年代でも、単一職務のみの経験者が多いという結果が出ています。

次に、男子大卒に関しては、90年代の男子ホワイトカラーは以前のホワイトカラーに比べて、5年先までの継続勤務志向が低下している。特に、低下しているだけではなくて、事務系・技術系ともに「5年先どうなっているかわからない」と答える割合が多くなってきている。でも、実際に転職を経験している者は、同時期とも24%から27%ぐらいの割合で、実際の転職傾向にはまだ結びついていない。

また、転職をした者だけについて見ると、90年代と80年代を比較した場合、90年代には、より小規模の企業へ、年収のより大きな低下を伴って移ることが多くなってきた。また、80年代は転職によって満足度が上がったが、90年代は転職することで満足度が低下する傾向が見られる。つまり、転職によって満足度が下がる結果が見られるということです。したがって、男子大卒については、キャリアの幅の縮小と早期からの分化によって、今の会社でのキャリアをより不確実なものとして考える傾向がはっきりと見られている。転職の場合でも、より不利な条件へというのが90年代の初期キャリアには特徴的な条件としてあるのかもしれません。

次に、大卒女子に関しては、90年代に採用された大卒女子はより基幹的な職務に配属されたり、より高度な専門知識を活用したりすることが多く、かつ年収も高まっている場合が多かった。その理由としては、90年代に就職した大卒女子は、80年代の同様の人たちに比べて、前職がより大企業であり、かつ専門的な職務につくことが多く、これが結果として定着率や労働条件の上昇に貢献していると考えられます。

もう一つ、大卒女子に関しては10年目での有業率も高まっていて、これは、結婚・出産をこの時期までに経験する割合が20%ポイント近く低下していることが大きな原因であるとこの調査では言っています。

キャリアの幅が縮小し、広いタイプのキャリアを経験する者とそうでない者に分化しているということは、日本の企業が能力育成の仕方に関して、比較的早い段階からの選抜をし始めているのかもしれません。ただ、それが将来的に知的熟練にどう影響を与えるかについては予測できません。一つの解釈として考えられるのが専門家として育成していくパターンとマネジメントとして育成していくパターンの、二つの人材育成のタイプが出てきているのかもしれないということです。

討論

ホワイトカラーの生産性と問題解決能力
柴田

日本企業の人たちは、これまでのようなゼネラリストではだめで、国際化に対応するために、スペシャリストを養成しなくてはいけないと言っていますが、守島さん、どう思われますか。

守島

おそらく、先ほどの分布の議論が重要になってくるのは、この点に関してだと思います。ホワイトカラーの国際比較調査でわかったことは、ゼネラリストと言っても実際そんなに職務の幅は広くはなく、ある職能の中でさまざまな職務を経験して、一定のところで選抜が行われる。今起こっている変化とはよく言われるようなゼネラリストからスペシャリストヘという流れではなくて、これまでならある程度まで同様のパターンでみんな上がってきた人たちが、非常に早い段階から、今よりも広い範囲の職務を体験する人たちと、今よりも狭い範囲の職務を体験する人たちの、二つのタイプに分かれてきたことであるというのが結論ではないでしょうか。

なぜ知的熟練の分布が重要かというと、より多くの変化に対応する能力を身につけさせる対象として企業が選んでいる人間がある割合でいるわけですよね。そのキーマンがどれだけいるかに関して、あまり企業は明確な認識を持っていないかもしれない。ブルーカラーの場合には、長年の蓄積があり、この職場ではこのぐらいの割合でキーマンが必要になるということを、暗黙知的にわかっているのもしれません。しかし、ホワイトカラーの場合はまだわからない。ただ、柴田さんが言われたようにグローバル化などの外的な要因などで、企業は試行し始めているのかもしれない。

ホワイトカラーに関しては、あまり知的熟練という論点から研究もされていなかったし、実務上もあまりこうした視点を考えなかった。ブルーカラーについて構築されてきたような知的熟練論がなかったために、ホワイトカラーの人材育成のあり方に関する実態研究もほとんどありません。それは、ホワイトカラーの生産性が非常に測りにくいということと関連しているのではないでしょうか。

柴田

S. Zuboff先生はIn the Age of the Smart Machine (1988)のなかで、コンピュータ・テクノロジーの進展に伴い、抽象化と明快で論理的な推論を可能とするintellective skillが求められていると言っておられますね。

守島

問題解決能力のようなものが重要だというのはおそらくみんなわかっている。ただ、問題解決能力というときに、ブルーカラーの場合には、産業や職場が規定されると、ある程度、仕事との対応関係が見えてくる。ところが、ホワイトカラーの場合は、その対応関係が見えにくい。抽象的なレベルでの問題解決能力とかintellective skillが重要だというのはわかるのですが、では具体的に何をやると、それがintellective skillになり、問題解決能力になるのかがわからなかったんだと思うのです。研究者の怠慢もあるのかもしれませんが。

最初に柴田先生が言われたスペシャリストの必要性などが出てくるから、それに対処しなくてはいけないというタイプの言明が研究の中で必ずしも出てこなかったと思います。でも、おそらく企業はそんなこととは関係なく、グローバル化などの環境要因でシステムを変え始めたのでしょう。それが合理的な変え方であるかどうかは、10年後の判断を待ちたいですね。


6. 中高年の就業実態と意識

論文紹介(松村)

松村

中高年の雇用に関しては、一つは大企業から関連の中小企業への出向・転籍という問題があり、これは今まで数多くの調査と十分な蓄積があると思います。もう一つは転職の問題です。これ以外に、同一企業での雇用延長の問題もありますが、今回は主に転職を取り上げて議論します。

日本労働研究機構『中高年者の転職実態と雇用・職業展望』

まず、日本労働研究機構(報告書No.111、1998)です。1991年以降のバブル経済崩壊後におけるリストラ過程では、雇用調整の主な対象とされたのは中高年ホワイトカラーでした。今後も出向・転籍という企業グループを活用した人材配置は続くとはいえ、同時に、外部労働市場を経由した再就職を余儀なくされる中高年の増加が予想されます。この調査では、大企業中高年層ホワイトカラーの流動化は、再就職時に職業能力や労働条件などでミスマッチを発生させる可能性が大きいということが指摘されています。そこで、この調査は、中高年の再就職時の賃金と職務能力がどう関連するのか、何が再就職先での能力発揮の障害になっているのかを明らかにしようとしています。調査対象は、公的職業紹介機関経由で再就職した従業員2495名(回答者1098名、有効回収率44.0%)です。同時にここでは今後の高齢社会に対応した雇用・就業システムのあり方を検討するために、東京と地方中核都市の事業所や、従業員にもアンケートを実施しています。回答はそれぞれ5790事業所(有効回収率19.1%、従業員3627名(有効回収率不明)です。

転職に伴う年収変化ですが、離職前の広く分散した年収分布(非常に幅広い分布ですが)が年収の大幅低下を伴いつつ、500万円台から600万円台及びそれ以下へと狭まる傾向が顕著です。特に50歳代後半層以上については、再就職後の賃金が400万円未満に画一化されており、職業能力の個人差が賃金に反映されにくいという市場構造になっています。

再就職先で職業能力を発揮するうえで障害となっているのは、まず「組織風土・人間関係の差異」それから「意思決定方法の差異」です。中小企業では社長を中心とするグループに意思決定が集中している。「協力してくれる人材が不足」しており、大企業で豊富に存在するような人材が、中小企業ではなかなか見当たりません。そして、「職務分担、範囲が広過ぎる」という点も障害となっています。これまでも大企業におけるゼネラリスト育成が転職の際にネックになっているというステレオタイプ的な見解があったわけですが、それに対して、この調査では、中小企業では社長を中心とした経営トップの裁量権が大きく、ここに裁量権が集中しており、職務分担や範囲があいまいで広いうえに、支援してくれる部下も少ないといったことが、能力発揮の障害となっていると指摘しています。

以上を踏まえて人材育成に関しては、ゼネラリスト育成からスペシャリスト育成へといった単純な対応策ではなく、管理能力と専門能力のバランスを見直して、専門能力を発揮する業務の比重を増やし、仕事をトータルに遂行できる実行能力を強化するということが必要であろうという提言をしています。

この転職に関する調査では、小企業における中高年雇用の可能性が吟味されていますが、大企業で育ってきたホワイトカラーについて、仕事をトータルに遂行できるような実行能力がどうやったら強化され得るのかという論点があると思います。

日本労働研究機構『大都市圏小規模企業の中高年の就業実態』

日本労働研究機構(報告書No.120、1999)は、中小零細企業の事業主とその中高年従業員の両方を調査しています。高齢者の就業に関する調査研究はこれまで大企業に偏っていたわけですが、日本の労働市場において55歳以上の高齢者のおよそ半数は、従業員300人未満の小企業で働いているという実態を考えるならば、今後の高齢者雇用を考えるうえで、高齢者を活用している小規模企業の実態を無視するわけにはいかない。そこで、この調査では中小企業主の職業キャリア、定年制のない小企業での高齢者雇用管理の実態、小企業での中高年転職の実態などを解明するために、従業員100人未満の中小零細企業(そのうち3分の2は10人未満)の事業主3000名と、そこでの中高年従業員へのアンケート調査をしています。有効回収票は、事業主が1024票、従業員が683票でした。

まず事業主の職業キャリアには共通した傾向が見られます。学校を卒業し初期就職を行い、その後、(転職をする場合としない場合があるわけですが)現在の会社に就職し開業して社長に就任する。こういうキャリアイベントのうちで、開業するのは中高年期に差しかかる前の40歳前後ということです。

また、小企業の雇用管理ですが、中高年とは45歳以上、高齢者とは60歳以上と定義されており、全従業員に占める中高年と高齢者の比率はそれぞれ4割と1割強です。小さい企業ほど中高年比率が上昇し、高齢者比率も上昇するという傾向にあります。最高齢者の6割近くが60歳代後半であって、正規社員としてばりばり働いている者が過半数を占め、正規社員の中心はむしろ60歳代後半です。また、6割の企業で定年制がありません。採用については、新卒採用が2割、中途採用が8割を占めていますが、問題点は中高年の中途採用は意外に少ないことです。

論点として、小企業での中高年の中途採用が多くないとすると、はたして転職先として有効かどうかという問題があると思います。そして、労務管理、福利施策では規摸による格差が著しいという点です。また大企業と比較した場合に雇用機会は広く提供されてはいても、雇用の質という点では必ずしも良好ではないと指摘されています。

以上の調査のほかに、高齢者問題を扱ったものとして引退過程にかかわるいくつかの調査があります。その中で、日本労働研究機構『高齢期の生活の「豊かさ」指標』(資料シリーズNo.86、1998)では、豊かさというのは単に働くということだけではなく、学ぶとか健康に生きるといった多面的な領域から構成されているという視点から、どの地域が一番豊かなのかということを調査していますが、結論としては、安心して生活するための働く環境ということと、病院や福祉施策が整っていることの二つが非常に重要であるとしています。また、日本労働研究機構(報告書No.110、1998)も引退過程のあり方と引退後の生活に関する研究です。今日の議論の対象ではありませんが、引退過程の問題も重要と考え付け加えました。

討論

転職自体の問題と転職後の問題

守島

日本労働研究機構(報告書No.111、1998)ですが、高齢者雇用を転職によって支えていくことを考える前に転職自体がうまくいかないということ、そして転職した後にうまくいかないということとの二つのハードルがあるという気がします。この調査を見る限り、どちらのほうの解決が重要なのでしょうか。

松村

日本労働研究機構(報告書No.111、1998)は転職後の問題を扱っていると思います。よく言われるように小規模企業に移ったけれども、必ずしも今までの自分が形成してきた能力がうまく使えないため、転職がうまくいかないという問題です。それに対して日本労働研究機構(報告書No.120、1999)はむしろ、雇用機会が少ないため結論的にはなかなか小規模企業への転職がうまくいかないという問題を、中高年での中途採用が必ずしも多くはないという事実を指摘することで、エクスプリシットではないにせよ扱っている。そういう違いはあるかもしれません。

守島

転職機会が少ないという議論は比較的よくなされてきました。それでも55歳以上の高齢者のおよそ半数は、300人未満の小企業で働いているというマクロ的なデータがあるわけです。そう考えると、労働者が大企業からの定年退職後の生活を、小企業への転職・就労を通じて維持していくと考えるのならば、転職前にやっておくべきことは何なのかをもう少し議論しておかないといけませんね。そういうポイントが明らかになってきたという意味でこの調査はおもしろいと思います。

柴田

「小さい企業ほど中高年比率が高く、高齢者も正規社員としてばりばり働いており、定年制がない」というのは、ある意味で大企業に先行しているとも言えます。もちろん雇用の質の悪さは問題ですが、中小企業で中高年者がどんな仕事をどのように行っているのか、大企業がそこから何を学べるか、詳しく知りたいですね。

中高年雇用と定年制

守島

しかし、仮にそのように行動しているとすると、転職という問題も転職後の満足という問題も、両方とも対処しているのかもしれませんね。つまり、定年のない人材の管理の仕方を中小企業は既にやっていて、そして仮にうまくいっているのであれば、それをモデルとすることで、両方とも問題として解決してしまうことにつながるかもしれない。

ただ、大企業は定年制を廃止するのでしょうか。

松村

その点に関してはまだあまり明確な方針はありませんね。少なくとも定年制延長はしないという大企業は多いと思いますが。

守島

そうすると、一つのポイントになるのは、中小・中堅企業が高齢者について定年制のないマネジメントをやってきたのは、やむをえずなのか、それとも積極的な意図があってなのかだと思うのです。もし前者であれば、中小・中堅企業でも、条件が許せば、定年制を導入したいのかもしれない。

松村

どちらかといえば、やむを得ずやっているという側面が強いでしょう。その意味では今後、展開するんじゃないかなと思うんです。

柴田

私も同感で、やむを得ず行っている面もあるでしょうが、ただこれまでずっと中高年を雇用し定年制のない経営を行っているとすれば、そこで積み重ねられたノウハウなり仕組みというものがあるのでしょうね。

守島

だから、先ほど柴田さんが言われた、ばりばり働いている過半数が、どういう人材管理をされたか、育成の仕方、処遇や評価、ローテーションなどを見ておく必要があります。中小企業は、はっきりと職務分担がなされているわけではないので、ある意味でゼネラリスト的なスキルとスペシャリスト的なスキルの両方を持っていないといけない。言い換えると、あまりにスペシャリスト志向を強めてしまうと、中高年の転職という観点からは、松村さんが指摘されたように、非常に難しいことが起こってくるのかもしれないということでしょう。


7. 非正規雇用

論文紹介(守島)

守島

日本労働研究機構『労働力の非正社員化、外部化の構造とメカニズム』

非正規労働力一般の議論は比較的今までの労働調査研究のレビューでなされていますので、ここでは大きく2点だけを見たいと思っています。

一つは、企業側で非正規雇用をこれからより拡大的に活用していく場合、今まではコスト削減や柔軟性の上昇などの要因で拡大してきた経緯があるのですが、それが、少し戦略的になっているのかどうか。すなわち、パートタイマーや契約社員等の非正規労働力を会社の仕事上のニーズに従った形で使っているのかです。

日本労働研究機構(報告書No.132、2000)は、この点を見た調査であり、帝国データバンクのデータベースから、従業員規模30名以上の条件で、無作為抽出された6813事業所に調査票を送り、1379社から有効回答を得ています。回収率は20%です。調査時期は1998年でした。一つ大きな発見は、まず平均人数で見た場合に、平均的な企業で正社員が大体75%弱にとどまっているというのが現状のようです。他は、パートタイマーが約17%、契約登録社員が約3%などで、非正規社員が大体2割ぐらいいることになる。派遣などの外部労働者も約4%おり、非正規社員は、トータルで約25%になっているというのが、一つの発見です。

その使い方に関しては、まずパートタイマーと派遣労働者のうち約72%が、コスト削減や柔軟性の維持などの補助・定型的業務をやっている。最近、増加傾向にある契約登録、契約者、社内下請などの人たち(コントラクター)の約60%近くが、基幹専門的業務を行っている。つまり、企業は外部労働力を一様には扱わずに二つのタイプに分けて、それぞれ異なった活用をしているようです。

また、企業の製品戦略別に見た場合、高い品質を重視するような事業所では非正社員の割合が2割程度にとどまっており、仮に全体の平均が25%とすれば、これは平均より5%ほど少なく、正社員が8割近くを占めていることになる。それに対して、コスト削減や低価格を志向するような事業所では、非正社員が3割近くとなっており、5%ほど高い。また、品質重視の事業所でコントラクターの比率が高くなる傾向もあり、製品戦略別にも多少違いがあることをうかがわせています。

企業の経営状況による違いに関しては、経営が好調な事業所では非正社員・外部労働者と正社員の両方とも増加しており、特に正社員の増加の度合いが高い。つまり、業績が良好な企業は両方とも人数を増加しており、非正社員よりも正社員を増やす傾向にある。逆に経営状況が悪化している事業所では、正社員がより多く減少し、非正規社員・外部労働者が微増して、正社員を減らした部分の補填を、非正社員で行うという状態になっている。なお、このタイプの職場では削減された正社員の業務内容は、補助・定型的業務で、そういった作業に非正社員が従事するような傾向が見られます。

さらに、管理の問題に関しては、事業所ごとの非正社員や外部労働者の受け入れについてですが、個別具体的な人数の決定や費用の分担、そして仕事の手順などについては、事業所や事業部の管理部門など、分散的な管理が行われているという結果が出ています。

外部労働力の活用に関して踏み込んだ調査はおそらくこれが初めてで、企業は単にコスト削減、柔軟性の維持、補助・定型業務の外部化という形だけでなく、戦略や企業の経営環境に応じて、非正社員と正社員を使い分けているというのが、一つの結論だと思います。

もう一つ、パートタイマーを基幹労働力として活用していこうという企業が増えてきていますが、特にスーパー等を見た場合、現場監督者レベルまで、非正規従業員、特にパート従業員を使っていこうという傾向があります。それがどういう問題を引き起こすかというのが、次の論点だと思います。

労働省『パートタイム労働に係る雇用管理研究会報告』

労働省(2000b)は、パートタイム労働に関わる雇用管理研究会の報告書で、かなり政策的でもあるため、その中でパートタイム労働に関するアンケート調査の部分だけを取り上げてみました。この調査は、従業員規模30名以上の全国事業所から無作為抽出された5000事業所に調査票を送り、1128通の有効回答(回収率23%)を得た事業所調査と、各事業所に配布を依頼した労働者調査とからなっています。労働者調査は、2521名が有効回答数でした。調査時期は1998年。それを見ますと、パート労働者、つまり短時間労働者の中で、みずから非正社員を希望した割合は53%であり、一方、正社員として働きたかった人は28%。また、今後について尋ねられると、41%が正社員になりたいと思っており、なりたくない人も50%いる。つまり、働いている人たちは、この調査から見る限り、非正社員である、もしくはパートであるということをポジティブに受け入れている状況にあります。

ただ、活用の実態を見ると、今度は正社員との職務内容としての区別はだんだん明確でなくなってきている側面もあり、労働者本人に聞いた場合、正社員と非正規従業員が同じ仕事をすることがあると答える割合は77%、企業側の回答では81%に上っています。

さらに、短時間労働者の入社時時給を、高卒一般社員の入社時月給を時給換算した場合で比較すると、正社員に対する割合が8割を超える事業所が74%。つまり、基本給ベースで考えれば、少なくとも約70%はもらっていることになる。ただ、短時間労働者の年間賞与額を同様に高卒一般社員と比較した場合、0%という事業所が38%で、6割以下の事業所が全体の74%を占めており、賞与までカウントすると、パート労働者は一般の従業員に比べて、非常に処遇が悪いという実態がある。

したがって、こうした実態を短時間労働者が納得しないケースが出てくる場合も多く、全体の75%が、自分の賃金が正社員よりも低いと思っており、51%しかその差に納得していない。納得できない理由としては、一番大きいのが「職務内容が同じだから」で、次に、職務内容や責任の違いに見合った給与ではないというのが29%と、いずれにしても、職責や仕事の内容が類似しているにもかかわらず給与が違うということに対する反発が多く、ここから同一労働同一賃金のような均衡の議論が出てきます。

小林裕「パートタイマーの基幹労働儀化と職務態度」

小林(2000)は、ある企業で、正規従業員の仕事を代替する仕事についているパート労働者が、その状況に対してどう意識しているかを見ています。具体的には、化学製品製造業に働く労働組合員3750名を対象にしたアンケートをデータとして用いており、回収率は67%でした。調査時期は1994年です。

理論的な枠組みとしては、「労働の人間化」施策の立場から、職務特性モデルに依拠して、職務労働力化はパートタイマーの職務態度にプラスの影響を与えるだろうという仮説を立てています。

ところが、結果は逆で、パートの基幹化は、満足度などの職務態度の上昇には影響を与えず、若干マイナスの影響も見られます。その理由として、パート労働を選択する労働者は、基幹化及びそれに伴う責任や仕事範囲の増大を受け入れることが難しい。つまり、もともと正規従業員のような働き方を選択していないと言えます。また、基幹化に労働条件やスキル開発が伴わないことへの反発も、満足度を下げていて、結論として言えば、安価な正社員として扱われることに反発しているわけです。

いずれにしても、パート労働、非正規労働に関しては、まず企業が戦略的に使い始めていて、その大きな流れの一つが、パート労働者などに今まで正社員がやってきた仕事を引き受けさせる基幹化という現象がある。ただ、その基幹化は、処遇の差を緩和し人材開発の条件がそろわない限りは、パート労働者には受け入れがたいということになります。

討論

基幹労働力化と同一労働同一賃金:パート労働者のモラール

柴田

ご報告された調査にはパートのうちの、何割くらいの人が正社員になっているかという数字はでているのでしょうか。

守島

僕の学生で今、自分の働いているスーパーマーケットで調査をしている人がいるのですが、そこでは3割ぐらいだと言っていましたね。

柴田

パートの人の時給や賞与などの待遇は、全体として改善されてきていると言えますか。

守島

正直に言えば、わかりません。ただ、おそらくよくなってはきているんだろうと思います。でも、賞与はシステムが別立てになっていて、払わないというのが40%近くあるというのが、大きなネックなんでしょう。年収に占める賞与の割合は、きわめて大きいため、トータルな処遇格差を考えると、「同じ仕事をしているのに」と不満に思うのは無理ないでしょう。

柴田

企業が安易に考えて、パートの人に正社員と同じ仕事をさせているというケースもあるのでしょうか。

守島

それはちょっとわかりにくい問題ですが、そうだと思いますね。なぜ基幹化、パートタイマーにより多くのより高い意思決定レベルの仕事をさせるか、調査で企業の議論を聞いていると、安くて、かつ柔軟だからというわけです。でも、それは、企業の論理です。だから、最近、均衡とか同一労働同一賃金が論じられている背景には、単にその問題が浮かび上がってきたという、以上に、企業のほうがパート労働者に正社員の仕事を代替させるような傾向が、だんだん増えてきた。つまり、外部労働力に正社員の仕事を代替させるという意図を持ち始めたということも、少しはあるような気がします。


8. 労働者意識とキャリア

論文紹介(守島)

守島

日本労働研究機構『フリーターの意識と実態』

最後に、若者の就業意識の変化ということで、フリーターの問題に触れましょう。日本労働研究機構から非常に大部の、かつマスコミで比較的話題となった報告書(No.136、2000)が出ましたので、それを紹介します。マスコミでの扱いは、フリーターの増加や、フリーターは何を考えているかに関心があったような気がするのですが、この調査報告のもう一つのポイントは、フリーターを結果として生むような、学校から職業への移行(school to work transition)に関する問題性を指摘していることです。

この調査は学校卒業時点で正社員としての就職や進学をしていない高卒者が主な対象になります。学卒無業者の増加、そして卒業後、アルバイトなど非正規で働く学卒者、いわゆるフリーターに関しての意識を探るために、具体的には97人(男性34人、女性63人)のフリーターを対象とした丁寧なヒアリングを行っています。

フリーター自身に関しては、大きく三つのタイプ、細かくは七つの類型を提出しています。三つとは、モラトリアム型、夢追求型、やむを得ず型です。おのおの3、4割程度で、おおよそ均等に分布しています。ただ、最も多いのは、報告書が離学モラトリアム型と呼ぶ、もしくは高校・大学中退後、進路未定のままフリーターとなるタイプです。ただし、男性に限った場合は、正規雇用志向型や期間限定型など将来の正規就業を目指すタイプも多く、女性とは少し異なります。

フリーターの意識という点では、多くがやりたいことへのこだわりを主張し、それを基盤としてフリーターであることを正当化する傾向にありますが、ただ、その中でも、やりたいことを見つけようとしているタイプと、やりたいことにこだわるタイプの、2タイプがあります。

しかしながら、多くは将来のキャリア形成を意識して、その方向を見定めようとしています。つまり、どういうことをやりたいか、どうキャリアを進んでいきたいかということについて、考えている人たちは多い。ただ、その考え方は具体性を欠いていて、またその状況に焦りを感じている。どうしたら自分のキャリアをこれから展開していけるかということがわからないという状況に焦りを感じている者も多い。特に20代後半までフリーターをしているような人たちは、そこの焦りが非常に強いということです。

この報告書のもう一つの大きなテーマは、上記を背景として、高校卒業時に職業選択について明確な意識が形成されていない状況にあるとしている点です。その理由は、大学進学や専門学校進学等についての進路指導は比較的適切に行われるのに対して、就職に関しては、あまり進路指導が行われていないのではないかというものです。高校卒業時点での進学に偏らない進路指導、早期からの職業情報の提供などを望むフリーターもいると言っています。つまり、高校卒業時点での進路指導、特に就職、職業選択に関する進路指導があまりうまくいっていないため、結果としてフリーターが多く出始めているということでしょう。

討論

就職指導とフリーター

柴田

守島さんが指摘された高校卒業時の職業選択ですが、私は毎年学部の講義で、日本・アメリカ・ドイツの経営を比較したビデオを使っています。そのビデオでは教育の違いも扱われており、日本の高校では非常に親切に就職指導が行われているのに対し、アメリカでは不十分で、そのためアメリカの若者は失敗と転職を繰り返しているとされています。確かにそうしたことも言えましょうが、バブル期の高い離職率などをみると、日本のやり方にまったく問題がないとは言えないように思いますね。企業をもっとよく知り体験できるインターンシップのような制度を、高校でも大学でも増やしてもよいように思います。

守島

そういう部分はあるでしょうね。ただ仮にフリーターにならなかったとしても、高卒で就職した人たちの転職率は、この不況期でも結構高いのです。就職あっせんとしての進路指導は、ある程度行われているにせよ、自分の適性や個性に合った仕事の選択に向けての情報提供や指導は、あまり効果的でなかったのかもしれない。では、インターンシップがいいのか、それとも何かほかのメカニズムがあるのかは私もわかりませんが……。

職業選択の幅と適職

松村

アメリカでも若いうちはあまり一つの仕事にこだわらないで、いろいろ経験してみるということも結構ありますよね。それはある意味ではいい面でもあって、そのこととフリーターの問題はどう関連しているのか。いろいろ試行錯誤しても、結局一つの決定に落ちつくのなら、必ずしも否定的な側面だけ持っているわけではないという気もするのですが。

守島

そうだと思います。フリーターという言葉自体がなかなか定義できないように、正規従業員としての就職を主流にして「それ以外のもの」という認識の構造の中でのフリーターの解釈だと思います。正規従業員で一つのところに長く勤めていくという今までのパターンからすればフリーターはたしかに逸脱ですが、もしかしたら、松村さんが言われるように、いろんな仕事を経験して、その中から自分にあった仕事を選んでいく、リアリスティックなプランに基づいた職業選択をやっているのかもしれない。

柴田

私は基本的に長期安定雇用は維持すべきだと思っておりますが、企業を選ぶチャンス、そして企業に入ってから、最近日本でも導入され始めた社内人材公募制や社内フリーエージェント制を利用しての適職を得るチャンスなど、もう少し個人の仕事選択の幅を広げてもよいのではないかと思います。より競争的な環境に向かうなか、やりたくもない仕事を与えられて悪い評価を受けることほど、働く人間にとっても経営側にとっても不幸なことはないのですから。

守島

それはあると思いますね。ただ、フリーターが選択の幅を広げているのかは、ちょっとまた別の問題です。

柴田

もちろんそうです。

守島

もうひとつ、一つの企業に入って、その中で仕事を渡されて経験を積んでいくという形以外に選択が広がるというのは、将来の人材開発を考えると、やはり問題があるのかもしれない。

ただ、正直な話、フリーターとは、今、柴田さんが言われたような「選択の幅の狭さ」に対する反発もあってそういう生き方を選択している側面があります。でも、そういう選択をせざるをえないような状況しか、われわれが提供できていないというのは悲しいですよね。将来、例えば、次回の学界展望で取り上げられるような大きな問題になるのかどうかわかりませんが、現在マスコミ的にも取り上げられているので、報告書としても取り上げる意味はあったと思います。


9. 労働研究の品質向上を目指して─結びに代えて

小池和男『聞きとりの作法』

柴田

小池和男先生はこの『聞きとりの作法』(東洋経済新報社、2000)のなかで、数量分析はもちろん重要だが、例えば技能など、聞きとり調査でしかできないテーマがある。そして、聞きとり調査は仮説の発見に有効だと言っておられます。この本は、聞きとり調査の準備段階、実施段階、それから調査後の段階にわたって、それぞれ非常に親切なアドバイスを与えています。準備段階では、小池先生ご自身が書かれた調査依頼の手紙を示しながら、どのような手紙を調査先に書くべきか、どのような機関から調査資金が得られるかを紹介しておられます。また、有価証券報告書や技術書を用いての事前勉強と、仮説設定の重要性を指摘しています。調査の実施段階においては、相手企業が聞きとりのコストを払っていることを忘れず、インタビューは2回程度、1回1時間半から2時間以内にするべきであること、また、聞きとりは職場のキーパーソンにすべきであり、その相手とは議論をしてはいけないと言っておられます。他にも多くの貴重な助言があるのですが、私はこれほど懇切丁寧な聞きとり調査の指南書は、海外にもあまりないのではないかと思います。その意味で、とてもありがたい本なのですが、同時にここまでやらないと有効な聞きとり調査としては認められないとも読めるわけでして、極めて親切な、しかしある意味では同時に極めて厳しい本であるといました。

松村

私も、なるほどと納得できる部分が、テクニカルな問題も含め非常に多くありました。例えば聞きとりの際にたくさんの人から聞いては失敗に終わるだろうということですが、私自身もかつてフランスで、こちらは1人なのに、相手側が5名ぐらいで、インタビューそのものが全くうまくいかなかったという経験があります。それ以外にも数多くうなずけるところがありました。

それから、これは柴田さんも言われましたが、相手はコストを払っているという点も非常によくわかる。しかも、これは小池先生も言われていたと思いますが、必ずしもインタビューそのものは相手にとって役に立つかどうかはわからないと。もちろん、事例紹介が会社への評価を高めるという形で跳ね返ってくることがあり得るかもしれないけれども、ほとんど役に立たない可能性もある。そういう意昧でのコストに対する指摘には非常に納得できました。

では、どうすれば協力してもらえるのかという点ですが、小池先生の場合、あらかじめ準備をしておく、勉強しておく、そのことが的を射た質問にも結びつくだろうということを言われています。この点も非常によくわかる話で、私も一度フランスでの調査で、あなたは非常によくわれわれの人事制度について理解していると褒められたことがあります。そのためかどうかわかりませんが、多くの資料を受け取ることができた経験があります。私の経験から見ても、非常に納得できる話でした。

ただ、最後の書かれている調査報告書の草稿の確認は外国の場合には必ずしもうまくいくかどうかわからないという気はしますが……。

柴田

日本での調査の場合、私も草稿は確認してもらいますが、アメリカでは最終的なアウトプットだけ送ってくれと言われたことが多かったですね。

松村

私も調査相手によっては、むしろ迷惑である、読む暇もない、忙しいというふうに断わられた場合がかつてありました。

良質な聞きとり調査を実現するために

守島

小池先生の最初のポイントは、聞きとり調査しかできない(優位な)テーマがあるということでしたよね。仮説づくり(発見)に有利であると─。つまり、労働研究の品質向上に対して、聞きとりという方法は非常に有効であるということを言った上で、こうしなさいとアドバイスされておられるわけです。では、もし小池先生が言われるように、聞きとり調査が研究の品質向上に貢献するのだとすれば、何でもっとたくさんの、聞きとりをベースにした良質の研究が出てこないのか。それは、聞きとりの作法が悪いのか、それとも、聞きとりという方法自体が一般的に活用しにくいからなのか。もちろん、数量的調査についても、佐藤・石田・池田編『社会調査の公開データ』のように、2次分析などを通じて、もっとデータ分析の質を確かめていくという議論も起こってきています。

柴田

聞きとり調査は相手との信頼関係に基づき、かなり長期にしかも深く行わないと、価値あるものにはならない。しかし、それはなかなか難しく、浅い聞きとり調査で終わってしまうことが多いのかもしれません。

守島

確かに、みんながみんな小池先生みたいな非常に丁寧な聞きとりをすぐにできるようになるとは思いません。では、ある意味では下手でも下手なりにやっていったほうがいいのか、それとも、ここまでやれないならやらないほうがいいのか。

柴田

結局、多くの聞きとり調査を行いながら、スキルアップをしていくということでしょうね。

守島

いずれにしても、日本の大学院教育の中で聞きとり調査がはっきりと方法論的に位置づけられてはいませんね。これから、例えばこの本を教材にして、聞きとりの方法論を位置づけていく作業は必要でしょう。

労働調査研究の品質向上のために:[1]五つのステップ

柴田

私は今回のレビュー作業をしながら、労働調査研究の品質向上のためには、次の五つのことを心がけるべきではないかと改めて思いました。守島さんや松村さんはじめ、多くの研究者の方々にとっては当たり前のことでしょうが、私自身はできておらず、反省も込めてということです。第1に、既存研究のレビュー、そしてそれを含む十分な事前準備です。私も最近増えつつある社会人大学院生のひとりでしたが、企業経験のある院生や研究者は、ある意味で企業における問題を実によく知っており敏感で、比較的、調査テーマも見つけやすい。しかし、調査結果に対して、あたかも自分が初めて発見したかのような錯覚に陥りがちです。そうならないためにも、また後で述べるoriginalityの高い調査研究を行うためにも、既存研究のきちんとしたレビューが必要だと思います。第2に、小池和男先生が強調される仮説の設定と、同時にその仮説にとわれ過ぎないこと。第3に、英語でいうとoriginalitycausal argument、そしてevidenceの重視。第4に、国際比較。アメリカはオープンだとよくいわれますが、1990年代前半、私は工場調査を拒否されたことがありました。国際比較は面倒で難しいものではありますが、普遍性と特殊性を考えるうえでも不可欠ですね。第5に、私は企業に長くおりましたので強調したいのですが、調査結果の企業へのフィードバックです。企業で働く人というのは、オフィスで働く大卒ホワイトカラーに限らず工場の生産職場で働く人たちも、非常に知的レベルが高く好奇心が旺盛だと思います。しかし、我々研究者にとっては当たり前のことを、企業の人たちが意外に知らないこともある。そして、よく知らないまま海外に進出し、現地で戸惑ったりします。先ほどの、調査にあたって企業はコストを払っているということに関連しますが、やはり我々は調査結果を企業の人たちにわかる言葉できちんと報告すべきではないかと思います。私がアメリカの工場で調査をした後には必ず、工場の人たちの前で報告を求められ、実に多くの鋭い質問を受けました。これもひとつのよい方法ではないかと思いました。調査結果を企業ヘフィードバックし意見のやりとりをすることは、労働調査研究の一層の品質向上にも役立つと思います。

労働調査研究の品質向上のために:[2]国際比較の重要性と研究成果のフィードバック

松村

今、柴田さんが言われた国際比較の重要性は、私も認識しているつもりです。むしろ私はフランス研究から仕事を始めて、その後、日本での調査をやるという経験をしました。これは国による違いがあるかもしれませんが、国際比較をやる場合に日本よりやりやすい面と、日本より難しい面と両方あるのではないかと思っています。もちろん言葉の障壁も関係しますが、何か国際比較をスムーズに進める方法をもう少し勉強できればと常に考えています。

また、企業へのフィードバックですが、この点ではかつてフランスの企業に調査を依頼した際、われわれを調査するんだったら、われわれにもあなたが日本でやってきた研究について教えてくれと、逆に提案をされたことがあります。実際、私もOHPを使い、ヒアリングを時々中断しながら、いろいろ説明したことがありました。調査先企業にとって、必ずしもそれが希望しているものとは限らない、かえって迷惑であるということもあるだろうと思います。聞きたいことだけ聞いて帰ってもらいたいという場合もあるでしょうし、原稿を読むだけの時間もないという場合もある。だから、必ずしも一概に言えないのですが、相互のギブ・アンド・テイクの関係が実現できるということは、重要ではないかという感じがします。

労働調査研究の品質向上のために:[3]自己の問題関心に忠実に

守島

僕は、日本と外国とを比較した場合、やはり調査研究がどういうコンテクストで起こってくるかで大きく違うような気がします。今回レビューした調査研究の中でも、政策担当者や企業、労働組合が考えたテーマや問題に関する調査依頼に基づいてなされた研究が多いように思いました。そういう調査は、期間も限られており、また依頼された人がその専門家ではない場合もあって、過去の研究のレビューがおろそかにされてしまうことが多いのではないでしょうか。

労働調査の品質向上のためには、われわれ一人ひとり自分にとってほんとうに重要なテーマ、理論的にも、実証的にも重要なテーマを常に追いかけて、丁寧に研究を続けていくことが大切ではないかと思います。研究テーマが時代の要請から生み出されてしまう今日であるだけに、その時々の話題ではなく、自己の問題関心を長期にわたって探究することで、理論的にも耐えられる丁寧な研究が出てくることを望みたいですね。

そのためには、日本の学者の働き方の問題や、今日議論したような調査研究がどういう機会で生起しているのかについても注意をはらい、つねに問題の立て方を組み直していかないければいけないのではないか、という気もいたしました。

今日は長時間、どうもありがとうございました。

この座談会は2000年11月29日、東京で行われた。