1998年 学界展望
労働調査研究の現在─1995~97年の業績を通じて(全文印刷用)

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目次

出席者紹介

  1. はじめに , 参考文献
  2. 1. 中小企業
  3. 2. ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較
  4. 3. 柔軟な働き方
  5. 4. 高齢化・中途採用・職業資格と労働市場
  6. 5. 女性労働問題
  7. 6. 未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係
  8. おわりに

出席者紹介

八代 充史(やしろ・あつし)慶應義塾大学助教授

1959年生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。慶應義塾大学商学部助教授。労務管理・労働経済専攻。商学博士。主な著書に『大企業ホワイトカラーのキャリア─異動と昇進の実証分析』(日本労働研究機構、1995年)など。

松繁 寿和(まつしげ・ひさかず)大阪大学助教授

1957年生まれ。オーストラリア国立大学にてPh.D取得。大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授。労働経済学専攻。主な論文に、「電機B社大卒男子従業員の勤続10年までの異動とその後の昇進」、『「昇進」の経済学』(東洋経済新報社、1995年)など。

佐藤 厚(さとう・あつし)日本労働研究機構副主任研究員

1957年生まれ。法政大学大学院博士課程修了。日本労働研究機構副主任研究員。産業社会学・人事・労務管理論専攻。主な著作に労働省編『知的創造型労働と人事管理』(共著、大蔵省印刷局、1997年)など。


はじめに

八代

「日本労働研究雑誌」恒例の「学界展望 労働調査」も、回を重ねて今回で5回目を数えるに至った。この学界展望は、過去3年間の労働調査の蓄積を検討し、これまでどのような調査が行われたか、今後どのような調査が行われるべきかを、開業者諸氏や労働調査に興味を持つ学生、さらには日ごろ調査にご協力いただいている実務家の方々に開示するという、いわば「調査の調査」である。

今回は、1995~97年を対象に「中小企業」「ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較」「柔軟な働き方」「高齢化・中途採用・職業資格と労働市場」「女性労働問題」「未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係」の六つを柱として掲げた。今回は、なるべく新しい論点を盛り込むことに努め、一部の柱については、過去3年間にこだわらずに文献を収集した。しかし結果を見れば、ホワイトカラー、女性、高齢化という「常連」が顔を見せている。他方、当初は「労働市場の規制緩和」や「公務員の労働」を柱にすることも考えたが、最終的には断念した。

これは、われわれの仕事が、過去に行われた調査の蓄積を整理するという、いわば「後追い的」なものであり、そのため蓄積が薄い、あるいは全く存在しないものについてはコメントできないという、「サプライサイドの問題」に起因している。その意味で、今回取り上げるに至らなかった領域については、今後の調査研究の進展に期待したいと思う。

参考文献

1. 中小企業

  1. 機械振興協会経済研究所『生産分業システムの革新と21世紀の展望』1993年。
  2. 東京都立労働研究所『構造変動下における事業転換と雇用変動』1991年。
  3. 日本労働研究機構『中小企業集積(製造業)の実態に関する調査』(調査研究報告書No.82)1996年。
  4. 東京都立労働研究所『自営業者のキャリアと就労』1992年。
  5. 日本労働研究機構『サービス業の経営革新と従業員福祉』(調査研究報告書No.92)1997年。
  6. 中小企業経営者の実態に関する調査研究会(三谷直紀、松繁寿和ほか)『研究報告書』1996年、1997年。
  7. 鎌田彰仁「中小企業の創業と雇用問題」『日本労働研究雑誌』425号(1995年)。

2. ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較

  1. 苅谷剛彦編『大学から職業ヘ─大学生の就職活動と格差形成に関する調査研究』広島大学教育研究センター、1995年。
  2. 日本労働研究機構『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム─日、英、米、独の大企業』(調査研究報告書No.95)1997年。
  3. 石田英夫・守島基博・佐野陽子責任編集「研究人材マネジメント:そのキャリア・意識・業績」『組織行動研究』26号(1996年)。
  4. 竹内洋『日本のメリトクラシー─構造と心性』東京大学出版会、1995年。
  5. 猪木武徳「人的資源から見た戦後日本の官僚組織と特殊法人」近代日本研究会編『年報・近代日本研究15 戦後日本の社会・経済政策』山川出版社、1993年、所収。

3. 柔軟な働き方

  1. 佐藤厚「裁量的労働の仕事と管理をめぐって」『日本労働研究機構研究紀要』No.10(1995年)。
  2. 社会経済生産性本部『裁量労働制に関する調査報告書』1995年。
  3. 連合総合生活開発研究所『仕事の変化と労働時間の弾力化に関する調査研究』1995年。
  4. 日本サテライトオフィス協会『日本のテレワーク人口調査研究報告書』1997年。
  5. 日本労働研究機構『マルチプルジョブホルダーの就業実態と労働法上の課題』(資料シリーズNo.55)1995年。
  6. 日本労働研究機構『マルチプルジョブホルダーの就業実態と労働法上の課題Ⅱ』(資料シリーズNo.67)1996年。

4. 高齢化・中途採用・職業資格と労働市場

  1. 八代充史「大企業における中高年ホワイトカラーの雇用管理」日本経済研究センター『人的資源の高度活用と職業構造の変化に関する調査研究─高齢者の活用を中心に』1995年、所収。後に「経営管理職層の能力開発と職能資格制度」『日本労働研究雑誌』434号(1996年)。
  2. 現代総合研究集団『役職者の転職・職業人生・能力開発に関する調査報告』1996年。
  3. 電通総研『ホワイトカラーの中途採用の実態に関する調査・ホワイトカラーの転職の条件整備に関する調査報告書』1995年。
  4. 社会経済生産性本部『エージレス雇用システムに係る諸問題についての総合的な調査・研究事業報告書』1996年。
  5. 今野浩一郎・下田健人『資格の経済学』中公新書、1995年。

5. 女性労働問題

  1. 日本労働研究機構『女性の職業・キャリア意識と就業行動に関する研究』(調査研究報告書No.99)1997年。
  2. 日本労働組合総連合会『女性総合職退職者追跡調査報告』1996年。
  3. 連合総合生活開発研究所『女性労働者のキャリア形成と人事処遇の運用実態に関する調査報告書』1996年。
  4. 浅海典子「事務職から営業職へ」『日本労働研究雑誌』445号(1997年)。
  5. 松繁寿和「中小零細企業における女性起業家の特徴」『中小企業経営者の実態に関する調査報告書』1997年、所収。

6. 未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係

  1. 佐藤博樹「未組織企業における労使関係」『日本労働研究雑誌』416号(1994年)。
  2. 都留康「無組合企業の労使関係」『経済研究』第48巻第2号(1997年)。
  3. 連合総合生活開発研究所『労働時間制度における労使の関与に関する調査研究』1995年。
  4. 日本労働研究機構『無組合企業の労使関係』(調査研究報告書No.88)1996年。
  5. 久本憲夫「管理職クラスと労働組合員の範囲」『日本労働研究雑誌』416号(1994年)。
  6. 連合総合生活開発研究所『労働組合における組合員の範囲についての調査研究報告書』1994年。

1. 中小企業

論文紹介

佐藤

ここでは、環境変動下における中小企業の雇用あるいは労務問題というものはどのようなものなのかという点から、主に90年代に入ってからの調査を取り上げました。

これまで学界展望では、この中小企業というテーマは取り上げられてこなかったので、少し時期をさかのぼって、1995年以前のものにまで目配りをして論点整理をしてみたいと思います。

中小企業論としての問題というのは非常に多く存在しているわけですが、中小企業の雇用・労働問題ということになりますと、4点ほどの論点に限られてくるように思います。

第1点は、いわゆる企業規模間の賃金格差の問題が長期にわたって存在し、規模間の賃金格差というものが縮小していない。こういう事実が存在するわけです。それについては、幾つかの仮説が提出されています。

2点目は、やはり企業規模間で、労働組合の組織率に大きな格差がある。これは労働組合の基本調査等を見ると明らかなように、大企業に比べて中小企業は非常に組織率が低いということが事実として存在しています。その理由はなぜなのか。あるいは労働組合がない場合の労働者としての集団的発言機構はどのようなものであるのか。こういう問題があると思います。

第3点は、雇用機会の創出源としての中小企業の役割という点があります。昨今の状況において、雇用の創出、あるいは喪失、こういう二つの面からのアプローチが非常に関心を呼んでいます。

第4点は、特に製造業の場合がそうですが、言うまでもなく中小企業は大手企業全体の生産分業構造の中に組み込まれていて、部品や原材料の取引が行われている。そういう分業構造の中で中小企業が非常に大きな役割を果たしているわけですが、最近の環境変化の中で中小企業の技術力を支える熟練の問題あるいは技能継承の問題という点から懸念されている。こういう観点からの調査があると思います。

このうち、賃金格差の問題については、すでに昨年の労働経済学の学界展望で取り上げています。また実態調査を主とする今回の趣旨からも少し外れてくるので取り上げません。2点目は、6. 未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係で取り上げます。したがって、ここでは主に3番目、4番目を中心に検討してみたいと思います。

論文1.機械振興協会経済研究所『生産分業システムの革新と21世紀の展望』

まず、雇用の創出(ジョブ・クリエーション)と喪失(ジョブ・ディストラクション)にかかわる研究ですが、開業率あるいは廃業率の問題があると思います。これを統計レベルで見ると、事業所統計調査をもとにして開業率、廃業率を計算しているわけですが、毎年、中小企業白書ではそれを載せています。

業種によってもちろん違いがありますが、1980年代半ばから開業率が大きく低下し、他方、1990年代に入って開業の低下ときびすを接して廃業率が高まってくるという傾向が製造業で顕著です。開業が低下し、廃業が上回っていくという状況の背後にある環境変化がどのようなものであるのか、この点について見ておく必要があると思います。

機械振興協会経済研究所(1993)はその点の大まかな見取り図、構図を整理したものとして取り上げました。

日本型の生産システムの特徴として、たとえば東京の城南地区の工業集積を例にとると、頂点に大企業があって、その底辺に中小企業のすそ野が広がる構図があります。特に城南地区の場合には中小企業の技術力、小・零細の技能水準といいますか加工技術が非常に大きな役割を果たして、生産システムを根っこから支えてきたんだという認識があったと思います。これが第1点です。

しかし、そういうものが昨今の環境の中で揺らぎ始めている。どういう環境変化かということですが、大企業の経営あるいは生産戦略が大きく転換してきている。具体的には、生産を国外に移転していく。それから生産品目を見直し、絞り込みを行い始めている。部品の共通化や、あるいは部品点数の削減という形で、スケールメリットの拡大を行おうとしています。また、従来、トヨタならトヨタ、日産なら日産というような系列内の部品調達が主でしたが、系列を越えた部品調達も行われるようになってきている。最後に、そういう大きなセットメーカー同士での新たな提携や結合もみられる。こういう傾向が顕著になってきているという点が挙げられています。

そういう揺らぎの中で当然、中小企業は大きな変化を経験するだろうということで、実際に、そういう系列を越えた取引あるいは絞り込みというなかで、大企業からの高度なニーズに対応し切れない中小企業というものが選別あるいは淘汰されている。それも、特定集積地域だけでなく全国レベル、場合によっては国際レベルで国民社会の境界を超えた範囲で行われる可能性もあるという指摘がなされています。

論文2.東京都立労働研究所『構造変動下における事業転換と雇用変動』

こうした構図の下で実態ではどのようなものが進行しているのかという点について見たのが、東京都立労働研究所(1991)です。サンプル属性その他については省きますが、東京に立地するニット製造業、玩具製造業の平均従業員10人ぐらいの小さな企業を対象に、それぞれの業種で事業を継続している事業所、転業を経験した事業所、廃業した事業所、それぞれのケースについて分析を加えている点で非常に注目すべき研究だと思います。

たとえば、ニットにしても、玩具にしても、かつてのいわゆる輸出の花形産業、あるいは代表的な日本の機械組立産業であったわけですが、徐々に下降線をたどって転業や廃業というものが目立ってきているということが指摘されています。

しかし、もう1点つけ加えておくと、そのようにある意味では時代の流れに乗り切れなかった産業の中でも、大きくこれから事業を拡大しようとするバイタリティーのある企業、現状維持でいこうとする企業、しばらくしたら廃業しようとする企業、このように階層分化が形成されつつあるという点は非常に重要なファクト・ファインディングだろうと思います。

論文3.日本労働研究機構『中小企業集積(製造業)の実態に関する調査』

この調査は私も参加したのですが、中小企業のデータを、製造業に関して見たものが、日本労働研究機構(報告書No.82、1996)です。これは、全国10集積地域を選択し、300人未満の中小製造業を対象に調査を行っており、個別企業レベルでの事業の再構築や経営の見通しという点から、一口に中小製造業といっても、製品メーカーと部品メーカーとに大きく企業を分けた場合に、前者と後者とではそれぞれ立地している集積地域、競争力についての評価、これまでの業績とこれからの経営展望、事業再構築の中身、必要とする従業員の過不足というものが大きく異なっているという点が明らかにされています。

たとえば製品メーカーでは高品質、短納期、研究開発に力を入れている企業が多いのに対して、加工メーカーでは高品質あるいは短納期には力を入れているが、研究開発についての比重は非常に落ちて、低コストで経営していこうという動きが観察されています。あるいは必要とする従業員のタイプにしても、製品メーカーの場合は、大卒の若年、しかも技術者、そしてまたさらに営業マンがそれぞれ不足しているというのに対して、加工メーカーの場合は、高卒の技能工が主に不足しているというように、必要とされる人材あるいは人材のスキルがやはり前者と後者で異なってくる。こういう状況が明らかになっています。

もう1点、重要なファクト・ファインディングは、製品・部品というような点での差異と併せて、最近開業した、特に1985年以降に開業した企業のサンプルを取り出してみると、最近開業した企業ほど製品メーカーのような性格を強く持っている。つまり成長中であり、経営見通しが明るく、最終製品を自社のブランドでつくっており、さらに大手の協力会への加入が少なくて、独立性の強い企業が多く誕生しているというわけです。

そういう意味では、先ほどの東京都立労働研究所(1991)の調査対象をもう少し大きくして全国レベルで見ても、いわゆるバイタリティーのある企業とそうでない企業が階層分化してきているという点が、改めて確認されています。

環境変化の中で雇用の喪失にかかわる部分についての研究を見ましたが、次に、新しくつくられている、雇用機会の源である開業に目を転じてみましょう。

論文4.東京都立労働研究所『自営業者のキャリアと就労』

まず、東京都立労働研究所(1992)を取り上げたいと思います。これは従業員4人以下で東京に立地する企業を対象に、事業主のキャリア、つまりどのような職業経歴や属性を持った人が開業に踏み切ったか、さらには開業についての評価、開業の動機、といった点について分析を行っています。

まず業種で見ると、全産業均一に開業者が分布しているのではなくて、第3次産業、とりわけサービス業の比重が高い。反面、製造業の開業者が少ない。これはサンプルの性格もあると思いますが、さらに時間をさかのぼって開業の時期を見ると、最近になるほど、第3次産業の比重が高まり、製造業の比重が低くなる傾向にある。

第2に、開業者の属性についていいますと、男性が全体の86.7%を占めていますが、女性の経営者も13.1%ほど占めていて、しかも最近になるほど女性の開業者が増える傾向にある。

第3点は、開業者の年齢は主に40歳代(平均で40.8歳)。30歳代か40歳代前半までに全体の6割が開業しています。

第4点が開業動機ですが、「自分の能力発揮をしたい」、「人に使われたくない」という理由が多くなっている。

第5点は開業したことの評価ですが、「大変よかった」、「まあよかった」という良好な評価が9割に達しており、開業については良好な評価が得られている。

最後に第6点ですが、従業員の開業意志を見ると、開業希望者は少なくないのですが、「かなり難しくなるだろう」という評価が多く、その理由として「開業資金が高くなってきている」という点が挙げられています。

このような傾向は全国レベルでみた、先ほどの日本労働研究機構(報告書No.82、1996)でも確認されます。

開業の年齢に関しては、30歳代後半から40歳、開業の動機や評価も東京都立労働研究所の調査とほぼ共通している。「自分の能力発揮をしたい」とか、あるいは「これまでの知識・技能を役立てたい」というような動機が非常に強くなっています。

論文5.日本労働研究機構『サービス業の経営革新と従業員福祉』

先の日本労働研究機構(報告書No.82、1996)は製造業を対象にしたわけですが、日本労働研究機構(報告書No.92、1997)では、全国の企業5000社、従業員約9400人を対象にして、サービス業の開業について分析しています。

それによりますと、第1に、従業員のキャリアあるいは事業主のキャリアを見ると、独立開業が転職とならんで従業員のキャリアの選択肢の一つとして機能しています。

第2に、大企業の勤務者と比べた場合の主観評価で見ると、やりがいや自分らしさを実現できるという点で高い評価を得ています。

第3に、10年前と比べると開業は困難になってきている。特に現在就業している業種一分野で開業するのが難しくなってきているという事実発見がなされています。

第4に、業種による違いとして特徴的なのは、理美容業や建物サービス業あるいは法律事務所などの業種では同業種で開業するものが多く、実際に開業の支援も行われていて、過去3年間で開業した割合も実際に多くなってきております。

論文6.中小企業経営者の実態に関する調査研究会『研究報告書』

次に、中小企業経営者の実態に関する調査研究会(1996、1997)では、近畿地方(岡山を含む)の非農林業従業員100人未満の事業者3280件を対象に、中小企業経営者の属性や過去の就業あるいは資金調達が創業に与える影響、さらに経営問題や経営実態を把握しています。

松繁論文では、一つは開業に必要な資金が調達されず、企業成長を制約している可能性があるとの知見が得られています。また、成功する起業家とそうでない起業家とでは人的資本に関する変数はあまり有意ではなく、学歴もその後の成長にあまり影響しない。しかし、経営者の意欲あるいは経営マインドは成長に大きく影響するという知見が得られています。

さらに、三谷論文では、高齢期の就業の場としての自営業者に注目し、また自営業者の実態については事業を継承した者と、雇用者であったが新たに開業した者に分けて分析しており、事業を継承した者に比べ、雇用者であった者が開業して起業家になっている場合には開業のスタートアップ段階で経営が苦しくなるという傾向が見いだされる点を指摘しています。

自営業者の年齢プロフィールについては、事業継承者に比べると、雇用者から開業者になった者は比較的低い年収から次第に高くなるという、いわば年功カーブに近いような傾向が得られている点が指摘されています。

高齢期の就業の場としての自営業者という点で注目すべきなのは、55歳時に雇用者であった者が、その後、自営業者になる確率は低いということ。すなわち55歳ぐらいになってから新たに自営業者になろうかといってなっている人は少なくて、なろうとしている人は比較的若い時期にそういう計画を立てている点です。これは先ほどの東京都立労働研究所(1992)、あるいは日本労働研究機構(報告書No.92、1997)でも大体30歳代後半から40歳代にかけて開業しているという事実発見と符合していると思います。

論文7.鎌田彰仁「中小企業の創業と雇用問題」

最後の鎌田彰仁(1995)は、これまで説明してきたようなファクト・ファインディングを簡潔に整理している点で挙げたもので、創業問題を雇用問題との関連で整理しています。

重要なのは、開業者像が幾つかのタイプに分かれてきていることです。独立型に加えて、脱サラによる「スピンオフ型」、「のれん分け型」、「分社型」などがあり、これらが、最近の大企業のリストラクチュアリングや分社化を通じた新規事業を背景に増えてきている。そういう意味で、大手企業のリストラクチュアリングとの絡みでの分社化の問題と創業の問題が関連を深めているという点が指摘されています。

大企業からの脱サラ組は、いわゆるこれからの中高年のホワイトカラーのキャリアとして期待されているわけですが、今後、実際に順調に脱サラをして、スタートアップをして、事業をうまく立ち上げていけるかどうかという問題も非常に深められてきているという点が指摘されています。

もう一つ開業者の動機について重要なのは、従来の独立開業は経済的な逼迫が原因にあって、それからの解放、脱出という側面で議論されてきた傾向が強いが、最近は女性も含めて、高学歴の人も多く、経済的動機はもちろんありますが、それ以外に「自己実現を図りたい」あるいは「脱組織志向を図って、人に使われたくないから」という理由がアンケート調査の結果からも得られていることです。これを「開業動機の社会学化」と言っていますが、そういう開業者の開業動機の変化は重要な視点だろうと思います。

環境変化の下での中小企業のキャリア・技能形成・熟練形成

最後に、中小企業のキャリア・技能形成にかかわる問題についてごく簡単に触れたいと思います。

これまで中小企業のブルーカラー労働者の技能形成は小池さんの研究(小池和男『中小企業の熟練』同文舘、1981)にあるように、企業内のOJTが基本であると言われており、その中で技能を形成していく姿が基本にあったと思います。

ところが、先ほどの日本労働研究機構(報告書No.82、1996)によりますと、環境の急変によって中小企業間に格差がいろいろ見え始めてきている。それから体力のない企業への仕事の供給が制限されつつあるというような変化を経験しています。さらに供給面では、国内の若者が製造業離れを起こしているということで、若者の採用が難しいという問題も指摘されています。

これは専ら企業内OJTに依存してきた技能形成のあり方に重要な影響を与えると考えられます。というのは、例えばOJTが職場で効果的に機能する条件を考えると、まず第1に、仕事が絶えず供給されていなければいけない。第2番目に、一番やさしい仕事をする新人が絶えず供給されていないと、いつまでたっても同じ仕事しか与えられない、次の難しい仕事に移っていけないという制約が生まれてきます。それから、職場に適度なゆとりがなければ、教えるゆとりもないので、すぐできる先輩がやってしまって、若い人に仕事が回らないことも考えられるわけです。

このようにOJTは中小企業の人材育成の基本であり、依然として重要ですが、昨今の環境変化の中でそれを成立させる条件が、とりわけ製造業の場合には難しくなってきているという点があると思います。それはすでに挙げてきたことからも指摘されていると思います。これが第1点です。

第2点はサービス業の技能形成に関してです。日本労働研究機構(報告書No.92、1997)では、特定の企業に定着して、その中でOJTを中心とするキャリア形成を図り、人材形成を図っていく。いわゆる内部労働市場型のキャリアのほかに、業種や職種によっては職種・業種横断的に労働条件のいいところに移っていくような、労働市場が存在していることが示唆されてます。さらに外部型というか、条件が悪くなっていくような形で下降移動していく層も中高年者を中心に形成されていることが示唆されています。

このうち職種横断型とでもいえる労働市場が、サービス業で形成される背景には、OJTのほかに職種によっては職業資格取得などのOff-JTが重視される業界や職種もかなり存在しているという事情があると思います。

討論

中小企業の新規開業

松繁

開業率が減っているという問題は昨年の労働経済学の学界展望でも取り上げていますが、まだその理由ははっきりわかっていないというのが現状ではないでしょうか。開業資金の壁が非常に高くなったためとも言われていますし、中小企業が生き残っていくのに必要な会社の持つべき技術の水準が高くなってきたということがありそうです。

八代

参入障壁が高くなったということですか。

松繁

資金面では、バブルがはじけて土地の価格が下がったことがどの程度影響するかという点は、今から調査していくべき問題ですけれども、もう一つ重要なのは低い技術しか必要とされない生産活動の海外流出等によって、日本国内で開業し生き残るにはこれまで以上の高い技術が要求されるようになり、そのために、越えなければならない障壁が非常に高くなったように思います。また、これにより、かなりいい職場でいい訓練を積んだ後でなければ開業できない状況が生まれるとともに、技術を身につけるスパンが長くなり、結果、開業年齢が高くなる可能性があります。すると、高年齢で果たして開業に伴うリスクを引き受けられるかという新たな問題が出てくる。このような構造的なチャネルについて、今後研究されるべきだと思います。

八代

もう一つは、中小企業の問題を中小企業だけでとらえていられないということもあるのではないですか。例えば大企業における雇用の問題というのが実は中小企業に関係しており、大企業がしっかりしていないと中小企業の新規開業も難しいとか……。

佐藤

大企業の雇用者のキャリアと中小企業での雇用創出との関連がどこまでダイレクトに結びついているかは別として、今回取り上げた論文の中で、その関連性を深めてきているという点はたしかにあると思います。

松繁さんがおっしゃったように、実際に参入障壁が高くなってくる。そうすると、実際、そこで必要になってくる経営のノウハウには、当然、それに先行する熟練やキャリアが前提になってきます。それは良好な機会でなければいけない。そして習得するにはかなり時間がかかるようになるので、開業年齢が少し遅くなるという状況が一方で生まれてきますね。ところが、もう一方では大企業での早期退職や独立支援の問題は、年齢がもう少し低くなってくるような動きがあるようにも思います。その辺をどういうふうに調整していくかということが非常に大きな課題になってくるように思います。

松繁

多くの調査でも指摘されているように、開業すると所得も上がるのですが労働時間も増えるようです。高齢になると新しく事業を起こすことが体力的に難しくなる。ベストなのはいつごろかというと、40歳代を中心に前後10年間ぐらいということでしょうか。だとすると、退職後の第2の仕事として新規開業を考えられるかという問題がでてきます。

八代

大企業と中小企業との雇用の問題と考えれば、大企業は相対的に人が余っているわけですね。特に、この後で出てきますが、ホワイトカラーを中心に。中小企業は、こうしたホワイトカラー層の雇用の受け皿としては、どの程度機能するのでしょうか。

佐藤

職種から見ると、先ほど挙げましたようにサービス分野が増えてきている。これはやはり一つには、土地や設備のための開業資金が現在、非常に高額化してきている。それをある程度クリアできるのは、比較的人も少ない、お金も少なくていい、それから設備もあまり要らないようなサービス分野ですね。理美容や法律事務所、建物サービスの設計士などの専門性を持った、しかも都市型のサービス業で、比較的そういうニーズが芽生えている。そういうところで従業員のキャリアから見て、独立開業のチャネルがあるということが明らかにされています。

それと関連して、結局、高学歴で専門分野を持った人の今までのキャリアや資格など、ノウハウの蓄積がそのまま開業に結びついていくような職種と、それプラス、もっと大がかりな設備が必要になってくるというところでは大分状況が違っているだろうと思います。

八代

サービス関連ではそういう可能性があるということですね。

佐藤

製造の場合は、今までの一つのストーリーとしては、東北地方から上京してきて、京浜地帯あるいは大田区で働き、30歳代半ばぐらいになったら、身につけた腕を使って、貸工場や比較的安い設備を借りて、奥さんと一緒に細々と一人立ちするという構図がありました。典型的には高卒の技能工が、その延長線上に町工場のおやじさんになっていくというイメージがあった。それに対して今のサービス業の事例というのはちょっと違った部分が出てきているということだと思います。

海外移転に伴う技能の空洞化

八代

もう一つの論点として、機械振興協会の調査とも関係するんですけれども、佐藤さんのご報告では、いわゆる製造業が生産拠点を海外に移すことに伴って、技能の空洞化みたいなものが生じるのではないかと言われていますね。その辺についての知見は今回のサーベイの中でどうなのでしょうか。

佐藤

作業工程別に見ていきますと、たしかに海外調達に取って代わられるとか、あるいは外注化でなくなるとかというのもありますが、基本的には今までどおりの熟練技能が必要で、やはり中心的な技能の部分は今までどおりです。ある意味での高度化というべきか、複数の基本技能を持って多能工化して、できればNCのようなパソコン操作も含めたスキルをもう一段、縦に組み上げていく。こうした技能者像が要求されています。いわゆるスーパーテクニシャンという言い方もされていますが、そういうようなイメージがやはり強くなっています。

松繁

アメリカでは1980年代以降、所得格差が拡がりました。特に低技能労働者の所得が実質で見てもマイナスになっていくわけです。それには、技術革新により高い技能を身につけた者へ需要が高まった。一方、安い輸入品の流入により海外と競合するセクターで働いている人が海外の労働者と賃金競争しなければならなくなったという背景があるといわれています。

今、佐藤さんは、日本の場合は高度化していくとおっしゃいましたが、すべての人を高度化できるかどうかという問題があると思われます。これには中小企業においてまさに技能形成がどうやって行われていくか、そして、労働市場に入ってくる前の教育の問題もかかわってくると思いますが、その点はいかがですか。

もう一つは、先ほどの開業の問題に戻るのですが、ベンチャーキャピタルの育成や地方公共団体またはそれに準ずるものの支援で開業を促進しようという動きが果たして成功するかという問題があると思います。要するに、開業が起こらないのは資金が調達できないだけの問題なのか、それとも開業ノウハウを得る場所がないからなのか、これらの点が明らかになってないという気がします。

佐藤

第1点は、日本の場合、製造業に関してはこれまで入職超過率がマイナスに振れてきたので、若い人を中心に製造業ではしだいに供給が失われていく可能性が多いですね。私は、進学を中心とした今の学校教育制度に問題があると思います。もう少し、製造業そのものを、物づくりへの関心興味というものを大切にする教育システムにする必要があると思います。

そうしないと、先ほどの機械振興協会の調査にあったような生産分業構造も、基本的には一番下の町工場のところで支えられていますから、そこでの供給がなくなると今までのような日本的な生産システムの持っているメリットは、しだいに供給の面から失われてくるのではないか。最近、日本の生産分業システムを高く評価する研究(中村圭介『日本の職場と生産システム』東京大学出版会、1996)があらわれていますが、一番根っこのところは町工場ですから、その層への供給が途絶えてくると非常に大きな問題になると思います。

第2点のベンチャーキャピタルの問題については、なぜアメリカのような形で活況を呈しないのかということですね。一つは、松繁さんがご指摘になったように資金の問題があって、特に間接的な資金調達というか、土地不動産を担保にした資金をベースにしている限りは、やはり大企業中心で中小企業は苦労する。最近のファイナンスの状況からいっても貸し渋りが超きているわけですから、もっと輪をかけて大変になってくるという資金の問題がある。

それからまたもう一つ、資金調達は最近、銀行に依存しない形で行う、いわゆるエクイティファイナンスも芽生えてきていますけれども、まだポピュラーなものになっていない。また株式でも店頭株と上場株との間の格差があまりにもあり過ぎますね。アメリカの場合はNASDAQ(全米各地の端末を通信回線で結び、市場参加者のデータネットリーフによって結合された株式の店頭市場)です。マイクロソフトやアップルコンピュータなどもそういうところに入っている。つまり上場株市場と店頭株市場が対等になっているわけですね。日本は上場が上で、店頭が下というイメージが強いですね。その辺の関係をもう少し変えないと、元気のあるベンチャービジネスが育ってこないと思います。


2. ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較

論文紹介

八代

ホワイトカラー関係の文献は2. と4. 高齢化・中途採用・職業資格と労働市場で取り上げられます。4. では、たとえば中途採用、出向・転籍、あるいは職業資格の台頭といった、現在、企業内労働市場が直面しているさまざまな環境変化を取り上げています。

これに対して、2. で私が取り上げた調査研究は、ちょうど採用、異動、昇進、人事制度そして「天下り」といったホワイトカラーの雇用管理の重要な側面にそれぞれ対応しています。

論文1.苅谷剛彦編『大学から職業ヘ─大学生の就職活動と格差形成に関する調査研究』

まずホワイトカラーの雇用管理の重要な側面は採用ですが、これについては苅谷剛彦編(1995)が対応していて、大学教育と就職との関係を取り上げています。苅谷さん自身がお書きになった、第2章「就職プロセスと就職協定」が、この報告書の概要を示しています。

この調査は、4年制大学の845人の卒業予定者を対象にして、1993年に行われました。ですから、就職協定というものがまだ存在していた、言わば「アンシャン・レジーム」時期における就職戦線の実態を記述したモノグラフとして大変重要ではないかと思います。

調査のユニークな点は、調査対象者を大学の偏差値別に高い順からA群、B群、C群の三つに分けて、その偏差値別に分析しているという点にあります。何を分析したかというと、まず就職活動の時間的推移、2番目は就職協定の役割、3番目は就職活動における大学ランク間の差異を検討しています。たとえば就職活動で資料を請求した時期はいつなのか、それから、内定獲得の時期というのを累積していくと、一体、どこの時点で内定の開始が始まり、どこでカーブが立っていくのか。OBがどういう役割を果たしているのか、といった点です。

非常に面白いと思ったのは、大学偏差値別に個人の選職行動というのがかなり違っていて、C群という偏差値のあまり高くない大学の学生ほど早い時期にスタートする。資料を請求したり、会社に連絡したり、人事セクションヘ連絡したり、リクルーターに連絡したりというのが早い時期に行われている。それに対して比較的偏差値の高い大学の学生というのは、その点はおうように構えている。

また企業のほうから見て、トップの企業、準大手の企業、中小企業というふうに分けて、企業のほうから学生に接触する時期がどのようになっているかというと、これもある程度傾向が出ていて、トップの大手の企業ほど就職協定を無視はできないということがあって、動き出す時期が遅い。それに対して、採用に際して労働市場で必ずしも立場が強くない中小企業ほど、早めに学生に接触しています。

内定時期を累積値で見ていくと、A群という偏差値の高い大学ほど6月中旬~7月上旬に一挙に決まってしまうのに対して、C群の大学はだらだらと10月を過ぎても、まだ全員が決まらないという状況です。それと同じような図式が大手、準大手、中小という形で見られていて、トップの企業は学生に接触をするのは遅いけれども、内定時期は7月のかなり特定の時期に集中していることがわかります。

このように、労働需要側から見ても、労働供給側から見ても、大卒労働市場というのは階層化されていて、それによって、学生が接触する時期、企業が接触を始める時期、内定が決まる時期、リクルーターの動き出す時期、そういうものが違ってきていることを、この報告書は指摘しているのです。

論文2.日本労働研究機構『国際比較:大卒ホワイトカラーの人材開発・雇用システム』

2番目は、私も参加したのですが、日本労働研究機構(報告書No.95、1997)です。この研究では、大卒のホワイトカラー、あるいはマネジリアル・プロフェッショナルのヒューマン・リソース・マネジメント(以下HRM)を日米英独という先進4ヵ国の大企業を対象にして国際比較しています。こうしたマネジャー層の雇用の国際比較は、ノースウェスタン大学のマイロン・ルームキン教授の行ったものを除けば、海外でもほとんどないと思います。

研究の概要について触れると、日米英独の大企業30社に国別調査チームをつくって聴き取り調査を行いました。特に国際比較という観点から、営業と経理という二つの職能に限定して、HRMを比較しました。聴き取り調査としては、まず、人事部門に話を聞き、職能に下りて経理と営業のマネジャーに2度ずつ話を聞くというやり方をとっています。

プロジェクトのリーダーである小池さんの要約部分から主要な論点を2点挙げると、第1点は、キャリアに関することです。不確実性をこなすノウハウというのが技能形成において重要な部分であり、それはOJTでしか獲得できない。OJTを獲得するためにはキャリアを組むのが重要である。それでは、そのキャリアにはどういう特徴があるかというと、それは複数職能経験型もあるし、単一職能経験型もあるし、単一職能の中の特定の領域にさらに特化しているという場合もあるだろう。

そこで聴き取りを行った結果、ここでは「幅広い1職能型」、つまり営業なら営業というファンクションの中でさまざまな仕事を経験するというやり方が各国に共通していました。

それに対して、「幅広い1職能型」を企業内で形成するのか、あるいは外部労働市場で形成するのか、その点については必ずしも共通の傾向は見いだされませんでした。日本はほぼ完全な企業内労働市場ですけれども、アメリカはかなり流動的です。イギリスは短い他社経験の後、企業内化していきます。

第2点は、技能形成のインセンティブの問題です。不確実性をこなすノウハウというものが重要とすると、それをどのようにして企業が従業員に習得させていくのか。そのためには、インセンティブが必要となる。では何がインセンティブとなるのか。

この点について考えられるのは昇進と賃金です。この点について4ヵ国を比較した結果、「緩やかな資格給」という点が共通していることがわかりました。

今少し詳しく述べると、日本の場合は職能資格制度という文字どおりの資格給です。職能資格は労働供給側の属性ですから、労働供給側の職務遂行能力の水準によって給料を払うのが資格給です。したがって、職務遂行能力が高くなれば、その結果をきめ細かく賃金・処遇に反映できるというメリットがあります。他方、他国について資格給と小池さんが呼んでいるものは何かといえば、それはレンジのついた職務給です。シングルレートの職務給だと、これは完全に職務の価値で賃金が支払われます。ですから、個人の働きぶりが賃金に反映されないことになります。だから、多くの企業は職務給にレンジを設けています。このレンジが200%という非常に広い場合があって、これを「ブロードバンディング」と呼んでいますけれども、職務給のレンジが広くなればなるほど、それは実質的に資格給と同じなのではないか、そういう意味で「緩やかな」資格給が各国に共通していると考えることができます。

昇進のスピードについては国によって相当違っていて、入社後一定期間は同一年次の従業員の間に昇進・昇格で差をつけないという「同一年次同時昇進」をとっているのは、やはり日本だけでした。

論文3.石田英夫・守島基博・佐野陽子責任編集「研究人材マネジメント:そのキャリア・意識・業績」

石田英夫ほか編(1996)に移りますと、この研究は、大手製造業10社の基礎研究者1110名(有効回収989)を対象に実施した、質問紙調査の結果を検討しています。調査票では、採用方法、企業内人材異動、能力開発、専門職制度、さらには年齢限界など多岐にわたる問題を取り上げています。

ここで幾つか興味深い事実が見いだされています。まず企業の中で基礎研究所にいる人たちも相当幅広い異動を経験しているということがわかりました。「一貫型」という基礎研究部門と応用研究部門に一貫して配属されている人は2割前後であり、したがってある年齢になると別の部門に基礎研究所の人も転出していくわけです。

それがなぜ起こるのかということですけれども、ここでは「年齢限界」に関する設問を設けています。研究者に「年齢限界があると思いますか」と尋ねた結果、「ある」と答えた研究者が6割近くに達しました。その理由として考えられるのが、「管理業務による多忙」とか、「研究以外の仕事による多忙」とか、要するに雑用ですね。そういうものによって年齢限界が発生している。だから年齢限界を克服するためには、管理業務から解放した専門職のキャリアを設けることが必要であるというのが、この報告書の一つの主張になっています。

ただし、年齢限界が何歳で発生するかというと、かなり個人差があるわけです。それに対して管理業務とか雑用は、年齢に相関しているんですね。そうすると、ある一定年齢で与えられる管理業務から解放したからといって、ほんとうに年齢限界を克服できるのかという点については若干疑問があるというのが私の感想です。しかし、年齢限界と管理職、専門職の関係というのは面白いポイントではないかと思います。

それから研究のインセンティブとしては、企業側が大事だと思っているものと個人が大事だと思っているものが異なり、個人の側は仕事の裁量をもっと高めてほしいと考えている。会社のほうは、どうも昇進とか賃金で報いたいと思っているけれども、個人のほうは仕事の裁量性とか研究テーマを自由に選びたいと考えている。そういうふうに個人の考えるインセンティブと会社の考えるインセンティブに乖離が生じていることもわかりました。

論文4.竹内洋『日本のメリトクラシー─構造と心性』

第4番目は、竹内洋(1995)です。ここでは、昇進に関する部分のみを取り上げます。先の日本労働研究機構(報告書No.95、1997)で各国間の差が大きかった項目で、ここでは大手生命保険会社と他の1社を対象にして、大卒社員の縦のキャリアを検討しています。

ここで竹内さんが見いだされた論点というのは二つに整理できると思います。

一つは、同期入社における昇進競争が時間の経過とともに、異なる形態に転化していくこと。まず、全員が一律に上がっていく「同期同時昇進」。次に、今度は全員が昇進できるという面では同期同時昇進と同じだけれども、昇進する時期に差がついていく「同期時間差昇進」。小池さんによれば、「第一選抜出現期」です。それから今度は昇進できる人とできない人が出てきて、できる人は一律に昇進できるんだけれども、できない人は同一資格に滞留してしまうという「選抜」、小池さんは、これを「横ばい群出現期」と呼んでいます。最後に少数の昇進する人としない人が分かれていくという「選別」。この四つの段階に転化していくことを明らかにしています。

これは前回の労働調査の学界展望が取り上げていた今田さんと平田さんの大手製造業を対象にした事例研究(今田幸子・平田周一『ホワイトカラーの昇進構造』日本労働研究機構、1995)とかなり一致しています。あれは、「一律年功」「昇進スピード競争」「トーナメント」という三つでしたけれども、昇進競争の転化という事実発見が、他の企業の事例からも見いだされた、その意味では、大企業における昇進選抜の典型が、このようなものだということが改めて確認されたわけです。ただし今田さんたちが「トーナメント」と呼んでいたところを竹内さんはさらに細かく分けています。

第2点は、ローゼンバウムという社会学者がキャリアの研究には相当強い影響を与えていますが、彼は企業の中の昇進を「トーナメント」であると規定した。では、トーナメント異動という切り口で日本の昇進選抜を理解できるかというと、竹内さんは組織の構造を所与とすれば基本構造がトーナメントであるのはどこも変わらない。しかしながら、その中でリターンマッチがあるかどうかという点に注目するのが重要ではないかとしています。日本の場合には、ローゼンバウムが言うような「キャリアの底」あるいは「キャリアの上限」が必ずしも固定的なものではない。そういうことからかなりリターンマッチの可能性があり、ローゼンバウムの言う意味での「トーナメント」では必ずしもないというのが竹内さんの結論です。

これを、日本型キャリアは「トーナメント」と本質的に違うものだと考えるのか、あるいは基本は「トーナメント」であるという前提のもとに、そこから逸脱する部分があると考えるのか、その辺は議論の分かれるところだと思います。私白身は、今田さんたちの本の書評で奥西さんが議論しているように(奥西好夫「書評『ホワイトカラーの昇進構造』」『日本労働研究雑誌』424号〔1995〕)、基本はトーナメント異動の範疇で説明できるのではないかと考えています。

論文5.猪木武徳「人的資源から見た戦後日本の官僚組織と特殊法人」

最後に今回の学界展望の対象期間からは外れるのですが猪木武徳(1993)を取り上げたいと思います。これは「中央官庁という企業内労働市場」からの退出を取り上げた論文です。問題認識は非常に鋭く、なぜ日本の人的資源の良質な部分が必ずしも経済的には高い賃金を提示していない官僚組織を目指しているのかという点にあります。それは今までは政策に関与して国を動かすことができるからとか、いろいろな議論があったわけですけれども、その一つの理由として賃金後払いがあるのではないかというのが猪木さんの仮説です。

つまり猪木さんは、天下りについての一つの合理的な説明としては、中央官庁のいわば「本丸」の部分で高いポストに昇進できた人ほど転出先の特殊法人で高いポストを得られる。あるいは高いポストで転出した人ほど、長い間、天下ることができる。そういうキャリアコースを用意することによって、「本丸」の中での人事の新陳代謝を可能にし、また本丸の中でインセンティブを高めているのではないか、という仮説を提示し、それを幾つかの事例で確認しています。

ただ、これは猪木さん自身もおっしゃられていることですが、たしかに「本丸」の中ではそういう合理性があったとしても、出向というのは必ず受け入れ先があるわけで、その法人が独自に人を採用しているとしたら、その特殊法人の従業員のモラールというのはどう考えればいいのか、そういう問題が出てくると思います。

そうなると、特殊法人を「本丸」とは一応独立した団体と考えるのか、それとも事実上は法人が別なだけで実質的には中央官庁の企業内労働市場に組み込まれていると考えるかによって、異なるインプリケーションが導き出されるのではないかと思います。

討論

日本型昇進構造のメリット、デメリット

佐藤

小池さんと竹内さんでは、昇進選抜に関する認識はどこが違うのですか。

八代

小池さんは、昇進選抜を、「第一選抜出現期」と「横ばい群出現期」の二つに分けています。竹内さんの言う「同期同時昇進」についての認識はお二人とも同じですね。そして、小池さんの「第一選抜出現期」から「横ばい群出現期」までの間が、竹内さんの「同期時間差昇進」に該当します。ただ、竹内さんは小池さんの言う「横ばい群出現期」以降を、さらに「選抜」と「選別」に分けているということです。

竹内さんの議論を少し詳しく説明すると、最初は「同期同時昇進」なのです。その次は「同期時間差昇進」。差はつくけれども、たとえば課長に第一選抜で昇進してから最後の人が昇進するまでに10年かかる。だけれども、同期がとにかく課長までなれる。その後は「選抜」です。今度は上がれる人と上がれない人が出てきます。同期間同時昇進は10年たっても上がれたわけですけれども、今、自分がいる職位より上の職位には上がれないという人がかなり出てくる。上がれない人のほうが同期の中で多い。ただし、上がれる人は大体、「同期同時昇進」のように差がつかないで上がっていく、これが「選抜」です。だから、上がれない多数の人と差がつかないで上がっていく少数の人に分かれるということです。最後に今度は少数の人の中で上がれる人と上がれない人が分かれてくる。これが「選別」です。

佐藤

すると、竹内さんの言う「選抜」「選別」が小池さんの言う「横ばい群出現期」以降にほぼ対応するということですか。

八代

そうです。

佐藤

もう一つは、私は、特に竹内さんの言うリターンマッチの有無との関連で、トーナメントであるかどうかが、個人的に重要だと思っています。特に小池さんの遅い選抜、第二選抜の入社15年前後での「横ばい群」の出現です。これは高いモラールをできるだけ多くの人から長期間にわたって引き出すという意味では非常に優れた仕組みですが、逆に言うと、もしトーナメントだとすれば、最初から、勝ち残りのような話になって、「より少なく」絞られた人は頑張るかもしれないけれども、頑張れない人はやる気がなくなってしまう。したがって、前提としては、小池さんの言う第二選抜までは基本的にはトーナメントではないほうが、むしろモラールを引き出すという意味では優れているという理解でよろしいですか。

八代

私は基本的に次のような理解です。つまり、課長選抜のところまでは「同期時間差昇進」、その前に「同期同時昇進」がありますね。課長選抜の上はかなり上がれる人と上がれない人が出てくる。したがって、たしかに現象面から見ると課長以上がトーナメントなんですが、実際にはキャリア全体を通してトーナメント方式の選抜が行われていると思います。ただし、トーナメントというのは1回戦と2回戦と3回戦を同じインターバルでやる必要はないわけです。1回戦の部分を非常に長めに設定していて、そこではかなり個人の能力とか業績に関する情報が開示される。しかし、2回戦以降は、すでに能力が開示されているわけだから、今度は短い期間でふるい落としていく。そういうふうにしているのではないかと思うのです。そういう意味では、「同期同時昇進」があってもトーナメントとは矛盾しないのではないかというのが私の理解です。

こうした日本型選抜方式がモラールを維持することに貢献しているというのは全くそのとおりだと思います。ただし、それに伴うコストが問題になります。つまり結果としては「横ばい群」になってしまう人に、ある時期までは相当高いペイを支払うわけですね。今まではそれがモラールを維持するということで機能してきたし、結果的に、その人たちもある程度のところまでは昇進できたわけですけれども、今後、右肩上がりの成長が難しくなると言われるなかで、彼らにあるところまで相当高いペイを支払うことが許容されるのかどうか。その辺をどう見るかが重要だと思います。

ですから、今までは全部そういうことを勘案して10~15年が均衡点だった。しかし、これからは今私が言ったようなことを勘案して、もうちょっと同時昇進の期間を短縮するというような微調整はあってもおかしくないと思います。

R&D人材のインセンティブ

佐藤

さらにもう一つ、その評価を踏まえたうえでのR&Dについて質問したいと思います。石田ほか編の論文を読んだ印象では、技術系で基礎寄りのほうを見る限りは、もう少し、その選抜時期を早めて、専門職コースや管理職コースで行くかを早く自覚させて分かれていくとか、あるいは研究の「年齢限界」との関連でも、もう少し選抜の時期を早めたらどうかという提言も出されているように思うのです。その辺は事務系とR&Dの違いなのか、それとも、R&Dを事務系に置き換えても同じ評価ができるのか。

八代

R&Dの場合は昇進は必ずしもインセンティブにならないので、同じような土俵では議論できないと思います。ですから、管理職コースか、専門職コースかをどこで分けるかという議論はあるかもしれませんが、事務系で出てきているような議論はストレートには当てはまらないと思います。

松繁

R&Dに関して、この研究で二つ面白い発見がなされていると思います。これまでの調査(たとえば、日本生産性本部『英国の技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1990〕、日本生産性本部『ドイツの技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1990〕、日本生産性本部『米国の技術者・日本の技術者─技術者のキャリアと能力開発─』〔1991〕)で、海外の研究者は「年齢限界」があるとは思わず、日本の研究者だけが思っていることが示されています。今回の調査では、その理由として、雑務や管理業務など、研究以外の業務が増えるという点が挙がっている。

ところが、企業側は管理職への昇進をインセンティブとして考えていて、この認識のギャップが問題だと思われます。実はR&Dの人たちはずっと研究職一本でいきたいのだけれども、企業は昇進させてマネジャーにつけようとするので、結局、生産性が落ちてしまうという問題がある。

ただ、最近は専門職を高度専門職としてまとめ上げて、R&Dの優秀な人はほんとうに研究職一本で育てていこうという意識を持っている企業もあるようです。日本は長期的に見ると研究開発投資のウェイトが高まっていることからもわかるように、今後、最先端の知的なところで競争する必要があり、いかに優秀な研究者を育てるかということがその決め手になります。

八代

専門職について考える場合に、これは事務系でも同じですが、専門職の業績評価をラインの人がどれぐらいできるのかという問題があると思います。もし年齢限界で専門的な能力が陳腐化してしまって、結果として管理職についているという人たちが多いとしたら、そういう人たちに専門職を評価できるのかという問題が出てきますね。その意味では専門職の問題は専門職そのものの問題とともに、ラインに専門能力を評価できる管理職が果たしているのかという問題でもあるわけです。専門職に評価されていない人がラインにいたら、専門職のほうが意図的に低い目標を設定して、目標を達成したから自分の給料を上げてくれということになり、管理そのものが変な方向にいってしまうのではないでしょうか。

佐藤

これは印象ですけれども、基本的には、技術系にしても、事務系にしても同じ職能資格制度が適用されますね。そうすると、ある程度、昇進年齢とか対応年数が決まって、それは事務系、技術系同じになる。その中で技術系を分析してみると、研究に関する自由裁量性といった点をかなり重視している。ところが、職能資格制度の場合には、それを位置づけるようなものではない、基本的には資格と賃金をリンクさせて職位を対応させるという形になっているから、こういう制度の下では、やはり技術系分野でのインセンティブはなかなか高まらないと思うのですが。

八代

職能資格制度を前提に運用すれば、だれでも一定の年齢で管理職対応の資格に到達してしまいますね。

佐藤

けれども、ニーズとしては、自由を求めるとか、裁量性を求めるという人たちがかなりいます。これは重要なファクト・ファインディングじゃないでしょうか。

松繁

遅い昇進の一つのメリットは、優秀な人材を下に置いておくということですね。それは組織として、どこに判断業務を委譲していくかという問題とかかわっています。そうすると、日本の場合は、小池さんも言われているけれども、かなり下部の人に判断が任されている可能性がある。それは多分、賃金制度ともかなりかかわっていて、下の段階から査定が入って、大きなばらつきじゃないですけれども、ある程度、賃金にばらつきが生じます。そういう組織構造の問題と賃金の連携というとらえ方もできると思います。

八代

組織のどこに一番できる人材をストックしておくのかという問題ですね。

松繁

判断があるということは不確実性があるわけですから、そこでリスクを取らないといけない。リスクは何に返ってくるかというと報酬に返ってくるわけです。したがって、日本の場合には下の方の賃金のばらつきが、結構、海外に比べて高いと思われます。

八代

賃金のばらつきが大きい階層が、一番不確実性を必要とされているということでしょうか。不確実性にどれぐらい対処したかによって賃金にも差がついていくということでしょうか。

就職協定の廃止とその影響

佐藤

苅谷さんの調査ですけれども、これは就職協定が存在していた「アンシャン・レジーム」の下での調査ですね。しかしそれがなくなると、今後、大学銘柄別の格差がもっと助長されるんじゃないか。その辺はどうですか。

八代

そうですね。就職協定廃止の問題は、日が浅いので難しいのですが、いろいろな仮説が考えられると思います。

一つは、「適性発見の論理」とでも言うんでしょうか。つまり就職協定が解禁されれば、仕事を探す側も、人を探す側も就職協定にこだわらずにより長い期間をかけて、それぞれが行動ができるから、これまでよりも適性のあった人材が採用できる。だから、解禁されたほうがいいという考え方がありますね。

もう一つは、適性発見は真空状態ではなく、市場競争の中で行われているわけですから、いい人材はどこでも欲しいわけです。だから、労働者が適性を発見したいのはやまやまだけれども、やはり企業としてもいい人材をキープしたい。いわば「競争の論理」という側面もあります。

こうしたさまざまな要因が絡まって、実際にどこからスタートし、どの時点で内定を出すかという企業の行動が規定されるのではないか。そこで、今後の動向をこの調査との関連で予想すると、まず苅谷さんの言うA群から内定を出していく。A群の内定を4月ごろ出すと1年あり、当然、拘束できないから、A群の部分のかなり部分はよその企業に流れていく。そうするとA群の歩留まりを見ながら、今度はB群に内定を出していく。B群もまた流れていくと、そこでC群に内定を出していく。つまり大学の銘柄別に内定時期を変えることによって、大卒労働市場の階層化がさらに進行していくというシナリオが考えられます。あまり良いシナリオではありませんが。

日本の「切れ目」のない競争メカニズム

松繁

日本社会の選別構造をとらえるという点でここで挙げられる研究は重要だと思います。日本では細かい差が常につき続ける構造を持っている気がします。それは就職前も就職後も続く。日本の労働者がよく働くのは、たとえある選抜から落ちても、周りに同じレベルの競争相手がいて差がつき続け、さらにまた落ちてもまだその段階で差がつくので、やはり負けないで頑張ろうという気を起こさせるメカニズムがあるからではないかと思います。ひょっとしたら加熱が永遠に続いてるかもしれないなという印象があります。それが転職や中途採用もかわってきて、本社には残れなかったけれども、出向先に出ることができ、またそこで競争があり細かな差がいつまでもつき続ける仕組みになっている。

竹内さんの本では高校から分析されていますが、そこでも差がつき続けている。

八代

猪木さんの特殊法人もそうですね。次官にはなれなくても、いい局長で終わればいい天下り先に行けるというように。

佐藤

最後の最後まで加熱があるんですよ。

八代

勝者と敗者が二極分化しているんじゃなくて、その間にいろいろな段階がある。

松繁

なぜマラソン選手が最後まで走るかということに関係するかもしれませんね。ある段階で、トップにはなれないことは明らかになる。けれども、横を見たら走っている人間がいるから、負けたくないという気になる。そういうインセンティブ構造があるのかもしれない。

八代

あるいは同期の中で遅れをとっても下の年次の人には抜かれたくないと。それはここにも出てきます。そういう意味での細かなインセンティブというのは、たしかに日本の特徴かもしれませんね。

佐藤

そういう意味で、竹内さんの分析は見事です。

後払い賃金と「天下り」

松繁

最後に、猪木論文ですが、要点は特殊法人に行ったときのほうが給料が高いという賃金後払いシステムが官僚組織の中にはあり、これが日本の官僚が非常によく働き、かつ優秀な人材を集め続けているメカニズムだということです。これ自体は正しい分析であるのですが、問題は、何を目的として働いているかだと思うんです。

企業の場合も賃金後払いシステムは、頑張れば年金が高くなるとか退職金が高くなるというような形で存在しています。しかし、市場のシグナル、要するに価格や需要が必ず反映されています。要するにサービスを買う側、財を買う側の意図が必ず入っているわけです。けれども、官僚の場合は納税者の意図がどういう形で反映されているか問題です。いくら働いても、そもそも努力の方向が悪ければ、この官僚機構のパフォーマンスがいいということにはならない。

それから、猪木論文のもう一つのインプリケーションは、賃金後払いシステムをやめるとすると、インセンティブががっくり落ち、いい人材が集まらない可能性があるという点です。賃金後払いを設定する一つの理由は、細かなモニタリングをしなくても、賃金を後払いにすることで、みんな怠けずに働くというところがあるわけです。これをやめてしまうのなら、代わりにモニタリングを強化し細かく査定して、その結果が報酬に反映されるようにしないと、やる気がなくなるわけです。今の行政改革の議論でこの点が触れられていないのは大きな問題だと思います。重要なのは、これまでの制度に代わる昇進、処遇、人事制度は何かということですね。

八代

いい人材が官僚を目指さなければ困るわけですよね。もちろん、デレギュレーションの時代だから、官僚機構にいい人材は要らないというなら、それでもいいですけれども……。


3. 柔軟な働き方

論文紹介

松繁

まず、「柔軟な働き方」は、時間的に柔軟性が増すのか、場所的・空間的に柔軟性が増すのかというように分けられると思います。前者は、裁量労働制の適用範囲を広げるかどうかという議論とあいまって、かなり調査もなされていますが、空間的にどうなるかという問題はまだあまり調査がありません。

キーワードは、「自営化」や「個業化」という言葉だと思います。同じ空間で同じ場所にいて一斉に働くという工場型管理の中で働いている人と、完全に独立して自分の責任で仕事をしている自営業との中間領域にある働き方が最近できてきたという点で、面白い分野だと思います。

仕事の働き方に関して自由度をどれだけ人に任せるかという問題には二つの側面があって、一つは権限をどれだけ誰に委譲するかという問題です。これは、リスクを誰が取るかという問題ともかかわってくる。個々の従業員に裁量性を任せていくということは権限を下部に落としていくということですから、会社としてのリスク管理、それから業績格差または能力の差による賃金格差をどのように企業内で配分していくかという問題とかかわってきます。

もう一つの側面は、技術的な問題で、三つぐらいのポイントがあると思います。一つは、生産技術の制約です。みんなで一緒にやらないと生産できないのなら個業化していくこと自体が無理なわけです。いわばハードテクノロジーの制約がある。二つ目のポイントは、作業のコーディネーションがどうなっていくかという問題です。工程管理の問題や企業内在庫の問題が解消できるかどうかという点です。三つ目は、従業員管理の問題です。机を一緒に並べて、同じ時間に出勤して、ボスの下でみんな一斉に働く場合、ボスは能力も態度も査定しやすく、問題が起きたときの対処もやりやすい。しかし、もしそうしなくてもよい状況が生まれてくるとすれば、自営化や個業化が可能になってくる。

論文1.佐藤厚「裁量的労働の仕事と管理をめぐって」

最初に、取り上げたいのは、佐藤厚(1995)です。この論文の中に裁量労働に関する問題が非常にうまく要約されています。

第1は、プレーイングマネジャーがその裁量制を当てはめられている職種の中にいるということです。労基法で裁量労働制が当てはまる職種をどうやって決めたかはよく知らないのですが、単純に創造的活動をする人は自由に働かせたほうがいいという観点で決定しているように思われます。大学の先生や、芸術家とか。しかしプレーイングマネジャーというのは自分も仕事をしていて、かつマネジャーということです。マネジャーというからにはある程度、管理業務が入る。管理業務が入るにもかかわらず、また、そうであるから裁量を与えうるということがポイントです。

第2は、時間的弾力化を有効にするには目標の設定と仕事の評価基準の明確化、考課者訓練、メンバーヘの権限の委譲がどうなされるかが重要であるとしている点です。他の調査も、結局、このフレームワークの中に収まっています。

第3は、仕事の細かな中身を聞き出す作業がなされた点です。他の調査研究はアンケート調査が主で仕事の中身を十分とらえていない。細かく観察して調べていくタイプの調査がもっとなされるべきだろうと思います。

論文2.社会経済生産性本部『裁量労働制に関する調査報告書』

次は、社会経済生産性本部(1995)です。これは企業調査と個人調査に分かれています。企業調査は裁量労働制の導入状況およびそれへの関心度です。関心が持たれている理由、そして導入が進まない理由を分析しています。個人調査のほうは、勤務状況が導入によってどう変化したか、今後どういう業務に裁量労働制の適用を広げていくかという問題が問われています。

興味ある発見は、今導入している企業は3.3%ですが、導入に関心がある企業は71.2%もあることです。その理由は、「成果志向を徹底することができる」「自主性を尊重することによって高い成果が期待できる」「就業時間を合理化することによって仕事の効率を高めることができる」、要するに、日本の企業で問題になっているホワイトカラーの生産性をどう上げるかという問題や能力業績主義の方向にどれだけいけるかという問題とかかわっています。

ところが、導入が進まないのは、「成果の評価方法が確立していない」からなのです。これと裏腹に、目標管理制度にかなり興味があり、これが裁量労働制への関心と相関があります。すなわち、今までの日本的な管理の仕方から離れ、より権限を下に移し、それぞれの裁量によって仕事をさせることで成果を上げようとすると、これまでと違う基軸で管理し、能力や業績の査定をしないといけない。これは結局、成果主義への流れなわけですが、具体的にはまだ方法が確立されてない。そこで企業は目標管理制度に注目しているという構図が浮かび上がります。

また、裁量労働制を導入している11社のうち効果があったと思っている企業が9社と、かなり効果のある制度らしいことも明らかにされています。

個人調査では、導入後の勤務状況の変化に関しては「仕事の進め方がフレキシブルになった」という人が60%ぐらい、それから、自分の仕事の仕方に関して「成果志向が強まった」と答えた人が80%います。ですから、まさに企業の意図していることが当たり出したということになります。実際に経験している人の間でも「制度の対象業務を広げていくべきである」と考えている人が85%いるということですから、法的な対象業務の制限をなくしていくという方向は生産性を上げるために、また働き方を有意義にしていくためによいという結果が出ているようです。

次に、先ほどのプレーイングマネジャーの議論と関係する点ですが、チームで行う仕事の割合が高いという人が51.7%もいて、彼らが裁量制の中で成果を上げられるということです。そうすると、個人プレーヤー的職種以外にも適応範囲を広げられるということになり、裁量性が効果を持つ職種の範囲はかなり広いと思われます。

論文3.連合総合生活開発研究所『仕事の変化と労働時間の弾力化に関する調査研究』

次に労働時間との関係で連合総合生活開発研究所(1995)の調査を取り上げたいと思います。これはフレックスタイム、変形労働時間制度を導入している場合の調査です。

労働時間の長期化が起きている理由として、能力開発のためや自分を認めてもらうために「職務の範囲外のこともやるようになった」という点が挙げられます。要するに積極的に自ら労働時間を延ばす現象が出ているわけです。これは、自営業になると労働時間が増えることとよく似ています。それはある意味では当然のことで、リスクと成果を自分がかぶらないといけないということになれば、人々はもっと真剣に頑張ります。もちろんそれがいいかどうかは問題なのですが。

ただ、ここでも問題は仕事の評価基準や目標の明確化であると主張されており、先の二つの調査と一致しています。

次は空間的裁量性の問題を見てみたいと思います。

論文4.日本サテライトオフィス協会『日本のテレワーク人口調査研究報告書』

在宅勤務や、テレワーク、サテライトオフィスというものが最近生まれてきています。これも時間的裁量性の問題と同じで、個人に業務のやり方、仕事の進め方を任せたときに結果がどうなるかという問題です。その背後には日本のホワイトカラーの生産性を上げないといけないという意識があるわけですが、これを導入することによって生産性が本当に上がるかという点をまず確かめる必要があると思います。

この分野での数少ない調査として、日本サテライトオフィス協会(1997)があります。まず、現象としてとらえておくべきなのは、1年間で2倍ぐらいの人がテレワークを実施し始めた点です。1年前は2%ですが、今は4%ぐらい。次は、テレワークの効果として「生産性が向上した」と答えている人が56.1%、「通勤疲労の解消」は49.1%いる点です。

また、今後実施したいと思っている人は従業員の中で63.2%もいます。技術系は特に多くて、90%強の人が、実施したいと思っています。ところが、おおかたの企業は積極的ではなく、在宅勤務に関しては88%が導入意志がなく、サテライトオフィスも97%が、直行直帰制度も92%が導入意志がない。要するに、働いている側と企業の意識がかなりずれているという問題提起がされています。

論文5.日本労働研究機構『マルチプルジョブホルダーの就業実態と労働法上の課題Ⅰ・Ⅱ』

最後に、マルチプルジョブホルダーの問題を取り上げたいと思います。日本労働研究機構(資料シリーズNo.55、1995・No.67、1996)です。調査そのものはかなり詳しくなされていますが、経済・経営的な問題点がどこにあるかという分析は、これからの課題のようです。

研究の背景には、経済活動が年中無休化してくる一方で休日が増加し、かつサービス産業が拡大してくる。さらに裁量労働や在宅勤務などにより、かなり仕事の仕方に自由度が出てくるので、一つの仕事にこだわらなくてもいい人たちや時間的に別の仕事ができる人たちが増加してくるという現象があるわけです。その中で一つの会社に勤め上げるよりも多数の仕事をしたほうが人生が豊かになるかという問題と、別の仕事へ移っていくトランジットな過程として、こういうやり方を試みている人がいるということです。

ここでも成果主義の問題が生じてきます。従業員が、自分の時間を自由に使い、一つの会社以外のところで働く場合、雇う側としては、それを許せるかという問題です。とにかく、成果さえ上げてくれればいいというのであれば、請負的な形での雇用が増加し、マルチプルジョブホルダーが増加していく可能性があります。ただ、私が気になるのは、ポジティブにマルチプルになっている場合はいいのですが、一つの会社の給料では食べていけないから仕方がなくてマルチプルにならざるをえないという影の部分もかなりあるようです。

一般に、規制緩和をした国はコアのところの雇用が減り、パートタイマーや、まさにマルチプルジョブホルダーが増えているようです。世界全体にパートタイマーが増える傾向にあるのですが、規制緩和をするとそれがさらに促される可能性がある。その結果、仕方なくマルチプルになってしまう人が増加するという問題が起きるかもしれない。今後、注意して見ていかなければならない測面だと思います。

まとめると、結局、自営化とか個業化が行われるかどうかは成果主義がやれるかどうかにかかっているようです。それは各労働者の選択問題でもあるのですが、会社が成果主義に基づいた適切な評価制度をつくれるかどうかもポイントだと思います。

討論

プレーイングマネジャーの出現

佐藤

私の論文では、今、松繁さんがおっしゃったような柔軟な働き方が実際に根づいて、今の日本の人事システムの中で定着していくためには幾つかの条件が必要になってくるだろうということで、その整理をしています。第1点は、やはり権限委譲とその主体の問題です。だれに・どういう仕事を・どこまで、任せるのかという問題。それと実質にかかわってくるのが第2点目の技術上の問題で、それが生産技術あるいは工程管理、仕事の管理という技術的なマネジメントの問題です。そのポイントになってくるのが私が見たところでは、プレーイングマネジャーといいますか、結局、コアになっていくような主体が必要であるということでそれが事実上、いろいろな事例を見ても、見いだされたということです。

プレーイングマネジャーはどういうような人なのかという性格づけはやはり非常に重要だと思います。それは、専門性を持っている人材でないといけない。事実上、自分の仕事について精通していて、自分でプレーイングもできるし、自分以外のだれかがやる場合にもマネジメントができるという力量を備えていなければいけないというのがプレーイングマネジャーの属性としてあると思います。

そうすると、マルチプルジョブは少し違うかもしれませんけれども、基本的にはほかの在宅勤務にしても、フレックスタイムの対象者にしても、そういうプレーイングマネジャー的な性格を持っていないと、うまく機能しないと思います。

これは、松繁さんがご指摘になったような成果管理の方法をどのようにつくっていくかということにもかかわってくるかもしれません。最終的には自分で自己管理をして、自分で目標を決めて、自分の仕事を評価するというのがあくまでも基本になってくる。つまり、自分で目標設定して、自分で成果の達成度を評価していくという側面になるでしょうが、現在、評価システムについていろいろと議論されているけれども、既存の労務管理の仕組みの中ではなかなかこういった働き方が許容できないような状況になっている。これが、普及しない理由を考えていったときに出てくる問題だと思います。

自分が評価するというのは美しい表現なんですか、だれかに評価してもらわなければ、その客観性が持てないという問題も出てきますし、その職務によく精通している者でないと、先ほども出てきましたけれども、評価する人間をどう評価するかという問題も常に出てくる。プレーイングマネジャーそのものに評価のすべてをゆだねるということが実際にはなかなかできないという連鎖があり、この問題が残る限り、1人1人がプレーイングマネジャーになれと言っても、なかなかそこまではできないという状況があるんだろうと思います。

八代

みんながプレーイングマネジャーになることはできないということですね。

佐藤

そうですね。

裁量労働制の今後

八代

裁量労働制については、今回取り上げられた調査は、言わば「光の部分」を取り上げていると思います。しかし、たとえば裁量労働制を企業が導入するインセンティブとして、時間外手当の問題というのはどうなんですか。つまり裁量労働制を導入することによって時間外手当を削減できるというか、その辺はいかがですか。

松繁

あると思います。

八代

たしかに、インプットよりもアウトプットで管理したほうがいいような職種については、労働時間は柔軟にしたほうがいいというのはわかるんですが、企業が導入するインセンティブの本音の部分として、そういうこともあるのではないか。

それからもう一つは、プレーイングマネジャーの話が出ていましたね。つまり、集団、チームで仕事をしているような人にも成果主義が適用できるということでしたが、その場合、昔の古典的な議論だと集団能率給というものがありましたが、マネジャーだけが成果を横取りしてしまうという問題は起こらないのでしょうか。

佐藤

残業については、最近の基準法改正との絡みで言うと、連合が反対していますが、労働省試案と公益試案が出て、新商品・新技術開発など11業務プラス本社工場などの企画・立案・調査・分析部門という、言ってみるとホワイトカラーの中核の全般層に適用という流れでいくと思います。それは、経営側あるいは労働省試案にしてもそうですが、八代さんが言ったような、実質的に労働コストの面からの事実上の残業をみなしで切り捨てて、労働時間よりもでき上がった仕事で成果を出してもらわないと困るという点が非常に大きいでしょう。

八代

そうすると、ますます、アウトプットの管理が重要になりますね。インプットもアウトプットも管理しないというのでは、秩序が保てませんから。成果管理のシステムが確立されれば、インプットは見えないかもしれませんが、アウトプットの管理が確立する前にインプットの管理を緩めていいのかな、という点はありますね。

佐藤

評価システムとの関連で言うと、結局、今の日本企業の人事管理の基本が職能資格制度だとすると、全職種共通というのがその非常に大きな前提だと思います。評価システムを、全職種共通の物差しをどこかでつくっていかないといけないという前提がある。そうすると、他方で仕事や職場を見ていくとアウトプットのイメージも違うし、当然、物差しも違ってくる。たとえば営業とR&Dを見ても、具体的に見ていくと、なかなか同じ物差しでは見られない。だから、こういう職能がこなせるというような抽象的な基準であとは部門別に落とし込んで具体的な目標にしている。その抽象度の高い評価、全職種共通のところと、それぞれの個別部門の中での特定の物差しにギャップがあるというところが問題ではないか。

部門を超えて共通に横ぐしを刺そうとすると、なかなか同じ物差しではいかないから抽象度の高い話になって、実態と乖離する。こういう問題が生じているんではないかなと思うのですが。

八代

成果主義管理をもし進めていくとしたら、これまで行われてきた全社統一の職能資格制度で人事部がいろいろコントロールするという日本的なシステムの反対の方向を目指すことになりますね。そうすると、人事管理の分権化が進まないと、成果主義管理も結局はうまくいかないと思います。

松繁

そもそも成果主義管理がやりやすいところとやりにくいところがありますし、成果が状況に依存して非常にばらつく仕事とばらつかない仕事があります。また、同じR&Dでも産業によって結果が出るまで時間がかかる場合とすぐ出る場合がありますから、まさに産業別にいろいろな賃金が出てきますし、さらに、企業内でもいろいろな賃金体系が併存していくような方向に多少は動くだろうという気がします。

ただし、成果管理の方法が確立がされていないので企業は困っています。今後、具体的にどう対応していくつもりかというところまで踏み込んだ調査はまだない。

八代

裁量労働制、目標管理、年俸制、それがワンセットになっていくんでしょうね。そうすると、部下が自分の目標を意図的に低く設定するという、ウィリアムソンの言う「オポチュニスティックな行動」をとらないようにするためには、上司が部下の仕事の内容や部下の能力をどれぐらい把握できるのかが重要になりますね。先ほどの専門職の問題ともかかわるのですが、これは評価の技法だけではなく、評価できる人をどうやって育てるかという問題でもあるわけです。

テレワークの行方

八代

テレワークについてはいかがですか。たしかに情報技術革新によってこうした就業形態が一部の職種では進んでいく可能性があるけれども、それが今までの工場型労働と言われるものの根幹を揺るがすようなものになるのだろうか。その辺については、やはり普段、皆が顔を合わせて仕事をする必要がない、ネットワークで交信していればそれでコミュニケーションが代替されてしまうような、特定の職種で導入されていくということなのではないか。

あるいは、テレワークは就業形態としては雇用労働なのか、それとも請負なのか。あるいは労働基準法が適用されるのか否か、そういう労働者性の問題がありますね。新しい就業形態が出てきた場合、彼らを法がどの程度保護していくかが重要になると思います。それから、テレワークは、たしかにサプライサイドからすると、通勤地獄も解消されるし、自宅で仕事ができて、女性だったら子育てと両立できるとか、結構な制度です。ただ、労働市場には需要サイドと供給サイドがありますから、やはり、ディマンドサイドの分析が欠かせないと思います。

佐藤

テレワークというものの定義は、この調査の場合は、どうなっているんですか。サラリーマンがテレコミュニケーション手段を使っているものが、みんなテレワークになるということなんですか。

松繁

そうです。それも入っているんですね。もちろんサテライトオフィスも入っているんですが。

八代

やはり、情報通信手段の発達がテレワークの前提条件だということは間違いないですね。

佐藤

技術的に本社に行かなくても仕事ができる条件が整ってきたということですね。業務も大企業のホワイトカラーで企業のニーズと従業員のニーズで、ギャップがあるというお話でしたね。従業員のほうは、できれば在宅で働きたいんだけれども、企業のほうはいろいろマネジメントの問題もあるから、あるいは仕事が適したのがないからできないというギャップがある。その制約が外れたら爆発的に導入されていくのでしょうか。

松繁

条件つきだと思います。だれでも管理から外れたいと思いますから、導入するのはどうですかと聞かれれば、もちろん「導入してほしい」と答えるでしょうが、成果主義等の新しい管理制度とセットでどうしますかということならば、「いや、それは困る」、今までどおりの時間管理のほうがいいという人は結構いるかもしれない。

八代

先ほどの話とも関連しますが、テレワークは普段の働きぶりを見ていないわけですから、成果で評価されるしかないわけですよね。

松繁

ただ、週に1回とかの人もいるわけですね。要するに報告書の作成だけは家でやるとかという場合もあるわけです。単にテレワークだけをやっているというわけではないですね。

佐藤

通勤の負担が大きい人たちにとってみると切実だと思うんですね。1時間半の通勤をかけている、往復すると3時間ですから、1週間で15時間。2日分ぐらいの労働時間になってきますから。それをわざわざ本社まで行かなくても、自宅でもしできるとするならば、その仕事については家でやったほうがいいというニーズはこれから大きくなると思います。

松繁

もう一つの問題は、上司の判断を仰がないといけないような仕事の場合は問題が出てくると思います。電話とかインターネットのメールだけでは判断ができず、上司に実際に来てもらい、これはこうしなさいという具体的かつ詳細な指示を受ける必要がある仕事に関しては、上司が10分か20分で行けるような距離でないとだめでしょう。そうするとサテライトオフィスが可能な範囲も限られてしまう。

八代

因果関係としては、上司の判断を仰がないといけないから、テレワークが進まないと考えるのか、あるいはテレワークか進めばそういう意思決定の構造そのものが変わっていくと考えるのか。どちらなのでしょう。

佐藤

プラスの側面がね。先導していくというような側面はあるかもしれないですね。

マルチプルジョブホルダーの今後

佐藤

それから、マルチプルジョブですが、たとえばキャンプの指導員や、結婚式の司会、そういう副業のイメージの強いものも例として出ていましたね。サラリーマンの余技や趣味が高じて少しお金をもらうぐらいのレベルになっているようなイメージなのか、それとも、松繁さんがおっしゃった非自発的なマルチプル、つまり本業だけでは食えないから副業もやむなくやるのかで、かなりとらえ方が違ってくると思いますが、その点はどうですか。

松繁

所得の分布で見ると、所得の低い層でマルチプルジョブホルダーの割合が高いようです。負のイメージのところも結構あるという印象を持ちました。

八代

よくアナウンサーが結婚式の司会をするとかね。そういうのはわりとアルバイト的かもしれませんね。そういう日常見えるようなマルチプルにはかなりいろいろあるということですね。

松繁

積極的にマルチプルになっている場合と消極的にマルチプルになっている場合とは分けて議論しないといけないと思います。

佐藤

そうですね。「自発的マルチプル」と「不本意マルチプル」といいますかね。比較的大企業のサラリーマンについて、今の企業の就業規則では副業にかなり厳しいので、もう少しそれを緩めて、能力開発にもつながるなどのプラスの効果もあるから、少し就業規則を緩めて、副業をもう少しできるようにしたらどうかという提言が書かれていましたね。

松繁

少し違う観点からの興味は、フィフティ・フィフティでマルチプルになれる人がいるかどうかです。所得を上げ生活水準を上げるために、二つの仕事にそれぞれ4時間ずつ割り当てるような働き方で生活していけるかどうか。もし4時間・4時間の働き方ができるとすると、これは奥さんが4時間働いて、ご主人が4時間働くことでも生活できることになってくるので、かなり多様な雇用形態が可能になる。それは、ジョブシェアリングの問題ともかかわってきます。印象としては、そうはいかないだろうと思うのですが。

単に副業として5%ぐらい外で何かしているというだけだと、あまり重要な現象ではないですが、フィフティ・フィフティに分けることができるとすると重要になってきます。

また、次の仕事に移るための準備としてマルチプルジョブをやれるかどうかも、大きなポイントだと思います。


4. 高齢化・中途採用・職業資格と労働市場

論文紹介

八代

「高齢化・中途採用・職業資格と労働市場」は、先ほどの「ホワイトカラーの雇用管理とその国際比較」の続編というか、日本の企業内労働市場について、今何が変化として起こっているのかという点を扱った文献を取り上げています。

文献を読んだ印象ですが、ホワイトカラーの出向・転籍や中途採用について個人調査をする際、調査対象の絞り込みについていろいろ工夫がなされています。

論文1.八代充史「大企業における中高年ホワイトカラーの雇用管理」

1番目は八代充史(1995)で、中高年ホワイトカラーの雇用管理について、日本経済研究センターのプロジェクトで行った事例研究に基づいています。

もともとの私の問題意識は、以下の通りです。すなわち、ホワイトカラーが中高齢化していくと、役職ポストの不足と人件費負担の増大という二つの問題が起こる。それを今まで企業は出向という形で調整していた。いわば「企業グループ内の対応」だった。しかし、企業グループ内でも出向対象者が増えていく反面、出向先企業は先細りしていく。その結果、企業グループ内に従業員を出向させることによってピラミッド型組織と従業員の年齢構成の乖離を調整することは難しくなってきている。そうすると、残る選択肢はリストラを除けば、「企業グループを越える対応」を行うか、「企業内での対応」をとるか、どちらかしかない。それで、実際に企業はどうしているのかということを、高齢化が進んでいる3社の企業で聴き取りをしました。1番目は総合商社(A社)、2番目は化学繊維メーカー(B社)、3番目が百貨店(C社)です。

その結果、二つの対応があることがわかりました。一つは、A社、B社はいずれも企業グループ内で出向・転籍させることにはかなり限界を感じており、その結果、人材斡旋会社、あるいは人事部の中に職務開拓室をつくって、企業グループを越えて人員を配置する仕組みを考えています。他方、C社の場合には、そうではなくて、出向に依存しない分、企業の中で専門職をつくることによってこの問題を解決しようとしています。

調査の結果わかったことですが、結局、この問題は「役職につかない管理職」の増大にどのように対応するかという点に帰着します。「役職につかない管理職」というのは、役職ポストの裏づけなしに管理職相当資格に昇格する者や、役職定年制によって役職から離脱する者が生じると増大します。もちろん出向先が潤沢にあれば「役職につかない管理職」という領域には滞留せずに、そのまま出向・転籍するわけですけれども、出向者に比べて、役職離脱者や役職につかないまま管理職相当資格に昇格する者が増えると、「役職につかない管理職」が増大する。それに対してどのように対応していくかが重要になるわけです。

そういう意味で、出向によってこれまで中高年問題を解決してきた企業は、逆に企業内の人事制度面について、あまり対応をとる必要がなかった。しかし、今後は企業グループ内での対応が限界に達してくると企業内で何らかの対応をとらざるをえなくなるのではないか。私はそこに関心があります。日本的雇用の対象層を限定できた企業は、あまり人事制度を改訂する必要がなかった。しかし、対象層が限定できなくなると、今度は人事制度を修正する必要が出てくる。そういうことにもつながると思います。

論文2.現代総合研究集団『役職者の転職・職業人生・能力開発に関する調査報告』

次に現代総合研究集団(1996)に移りたいと思います。ここでは、役員以外の役職者をダイヤモンド社のデータベースで500O名サンプリングしました(有効回収855)。それに基づいて役職者に対して能力開発が今、どのように行われているか、自分の能力でどういう点に強みがあるのか、あるいは転職した経験があるかどうか、転職した場合にはどういう経緯で転職したのか、といったことを尋ねています。ですから、役職者といっても転職した役職者も含まれていれば、転職せずにそのまま勤め続けている役職者も当然含まれているわけです。ちなみに転職経験者は、回答者の41.3%です。

具体的には、たとえば転職した人について、どういう形で転職したのかというのを聞いていますが、「企業の縮小・リストラ」の結果、前の会社をやめて今の会社に移って来ているという人は1割ぐらいであまり多くないという結果が出ています。

これをどう読むかは議論の分かれるところで、そもそもそんなに直接的なリストラというのは行われていないという解釈もあるし、リストラの対象になった人は調査に答えなかったという可能性もありますし、いろいろな読み方ができると思います。

さらに、自分の職業能力で何が強みになっているかという点については、「部門・職場単位の管理能力」「特定分野の専門・技術能力」が多くなっており、ただ幅広くというよりは、ある特定の分野に特化した能力をサラリーマンが自分の強みとして持っているということです。それから、これからのサラリーマンにとって身につけたほうがいい職業能力としては、「ひとつの専門能力とやや幅広い能力」が多くなっています。

私の論文でも指摘しているのですが、大企業から中小企業に転職する場合、大企業のほうが分業が進んでいますから、人事職能の中で給与の専門家とか、福利厚生の専門家というふうに分かれているわけですね。しかし、企業の人事担当者によれば、中小企業に移る場合には、人事と総務、人事と経理と2職能ぐらいできる人が必要だといわれています。その点と対応するのかなと思います。ですから、幅広い能力というよりは、むしろ根っこに専門性があって、それに何かを付け加える、そういう能力がサラリーマンに非常に重要になっていることがここからうかがわれます。

論文3.電通総研『ホワイトカラーの中途採用の実態に関する調査・ホワイトカラーの転職の条件整備に関する調査報告書』

次は、電通総研(1995)です。今度は中途採用ということにテーマが絞り込まれています。この研究は、企業調査と個人調査の両方行っていますが、企業調査のほうは従業員30~999名の企業3000社を対象にしており(有効回収388)、中途採用をしていると考えられる企業をターゲットにしています。それから労働者調査の対象は、上記の企業に中途採用後勤続5年以内の正社員・ホワイトカラー8100名(有効回収628)です。なおこの8100名の中には転籍者も含まれています。

何を調べているかというと、企業調査では採用経路、職業能力、キャリアといったような問題です。ここで面白いのは、それを年齢別に尋ねていることです。

たとえば若い人の場合には、職業安定所や人材銀行の順位が採用経路として比率が高いけれども、中高年の場合には親会社や関連会社の紹介とか、取引先の紹介というのが順位が上がっている、そういうことが明らかになっています。中高年層を採用する場合は、たとえば管理職などの形で即戦力として採用するために詳細な情報が得やすいような採用ルートを活用しているわけです。

それから、職業能力の場合も、中高年層の中途採用では、特定の職能分野の専門知識や技術を持ち、さらに管理能力や部下育成能力を備えた人材を求めている。ですから、こういう能力が弱い人は中小企業への転職が難しいという知見が述べられています。

さらに中途採用者のキャリアについては、最長職能経験分野が営業・販売、経理・財務・予算である人たちが多くなっています。そして、一つの仕事を長く経験してきた人よりは当該職能分野の全体にわたる仕事を幅広く経験してきた者が多くなっている。だから、営業の中の一つの仕事よりは営業の中でいろいろな仕事を経験した人、それから、経理・財務・予算でも、予算統制だけをやっていた人よりは決算もやっていたし、原価計算もできる。そういう職能の中でいろいろな仕事を経験している人が中途採用の対象者の中では多くなっています。先ほどの現代総合研究集団の調査結果とも合致すると思います。

最後に、中途採用は、企業特殊的技能が存在する企業内労働市場では難しいのではないかと考えられますが、それについて企業調査では企業特殊性の代理指標を開発しています。具体的には、採用してから即戦力になるまでの期間を尋ねています。それが3ヵ月未満なのか、半年未満なのか、1年以内なのか。その結果、1年までの選択肢を蓄積すると約7割に達しています。

論文4.社会経済生産性本部『エージレス雇用システムに係る諸問題についての総合的な調査・研究事業報告書』

4番目は社会経済生産性本部(1996)で、これは電通総研調査の出向・転籍版です。

今度は、大企業から中小企業へ50歳から60歳までの時期に採用された課長以上層3000名(有効回収951)が対象になっており、その92%は出向・転籍者です。出向・転籍者をとらえるために、勤務先企業の従業員規模が999人以下で、現在の企業に1992年から94年までの間に入社した者を対象にしています。その中の約8%が中途採用者です。設問によっては出向・転籍で今の会社に入った人と中途採用で入った人をどう違うかというのを比較できるような形になっています。

この調査では、出向・転籍の実施プロセスや過去のキャリアの活用度を尋ねています。たとえば、出向の場合は現在の会社への出向、転籍を受け入れた理由、それから、前の会社からどういう理由で今の会社に移って来ているのか。この点、たとえば出向・転籍者の場合には、「役職定年を迎えた」「昇進・昇格に先が見えた」「定年を迎えた」といった理由が多くなっており、他方、中途採用の場合は、「前の会社で能力が発揮できなかった」などの理由が多くなっています。

それから、電通総研の調査で、どのくらいの期間で能力を発揮できるかということを企業に尋ねていましたが、今度は出向・転籍者に「あなたは新しい職場に移って、どれぐらいで充分能力を発揮できるようになったか」ということを尋ねています。これも累積していくと1年間で7割ぐらいになります。中途採用の場合も、出向・転籍の場合も、片方の調査は企業に、また片方の調査は個人に尋ねていますから厳密な比較は必ずしもできませんが、他企業からの参入者がキャリア・アップするのに長くて1年くらいかかるというのが、二つの調査からうかがえます。

また、出向・転籍者の場合と中途採用者の場合で、新しい職場の情報をどのように収集したかということも聞いています。出向・転籍者の場合のほうが十分に情報を収集していて、前の職場の人事部門などから新しい職場の情報を収集していることがわかりました

論文5.今野浩一郎・下田健人『資格の経済学』

最後が今野浩一郎・下田健人(1995)です。これまでは中途採用、出向・転籍といった問題を取り上げてきたのですが、そういう動きの背景として、能力開発の中で職業資格というものが重要ではないかという議論が、この期間なされてきたわけです。こうした議論に関する集大成がこの本です。

この本は、連合総合生活開発研究所の三つの報告書、すなわち『ホワイトカラーの雇用と処遇に対する労使の取り組みに関する調査研究報告書』(1994)、『個人尊重時代のホワイトカラーの雇用と処遇に関する労使の取り組みについての調査研究報告書』(1993)、『中高年齢者の自己啓発等に関する調査研究報告書』(1994)に基づいて資格の実態を検討しています。

今野さんたちは、個人と組織の「公正なギブ・アンド・テイク」の関係というのが崩れるなかで、脱組織型の働き方にとって資格が重要な役割を果たしているのではないかという観点からこの問題を取り上げています。

この本が資格ブームに火をつけたのか、資格が流行になっていることがこの本の背景にあるのか、因果関係はわかりませんが、個人のほうは資格に一体、何を期待しているのか。それから、企業はどういう目的で個人に資格を取らせているのか、こうした点を調べています。

個人のほうが期待しているのは、所得向上効果とキャリア向上効果です。つまり、資格を取ることによって給料が上がったり、転職が容易になったり、あるいは昇進できる、そのようなことを期待して資格を取得しています。企業の場合には、むしろ人材育成の手段として資格をとらえており、一時的な報奨金を除けば、すぐに処遇に結びつけようとは考えていない。その意味では、個人の思惑と企業の考え方の間には、ずれがあることが明らかになったと思います。

私の考えでは、資格というのは幾つかの機能があって、まず第1は採用の段階、たとえば大学生が就職する段階で経理部門を希望する場合、ただ経理に行きたいと言っても企業は相手にしてくれないから、「私はこういう資格を持っています」と言って、自分の配属希望を意志表明をするという側面がある。第2点は企業内の能力開発の側面、第3点は転職の「武器」という側面があるでしょう。しかし、転職の場合も、たしかに資格を持っている人が転職してうまくいっている場合があるかもしれないが、それは資格があるからうまくいったのか、その他の部分で転職できたのか、よくわからないわけです。

実際に企業の方にお話を聞きますと、どうも現状の資格が、直接業務に結びつくような場合というのはかなり限られていて、逆に資格を取ることによって機会費用が非常に大きくなるためか、「資格を取るやつにろくなやつはいない」といった評価がどうもあるようです。資格が直接、仕事に結びついて、キャリアを向上させていくというようなものは限られているのではないか。

結論として、実際の仕事に資格が結びついているか否かを考えると、資格取得が転職を容易にするというシナリオはどうも描きにくいのではないかというのが私の印象です。この本の中でも指摘されていますが、能力開発のターゲットとして資格を活用していくのが、落ち着くべき相場なんじゃないかなという感じを持ちました。

討論

転職・出向・転籍の今後

佐藤

今までの日本の大企業のホワイトカラーのキャリア形成の姿と能力開発の仕組みといいますか、そういうものが定年まで一つの特定の内部労働市場の中で過ごすという点においては非常にうまく機能してきたといいますか、プラスに機能してきたんだけれども、しかし、もしそれが企業内で完結しないで、定年までいられないという年齢的な意味でも、あるいは企業の勤める勤務先の幅においても、それからはみ出てくるような部分が出てきたとすれば、転職が典型ですけれども、かなり修正を迫られざるをえなくなってくるかなという印象を持つんですね。

その一つは、やはり、遅い選抜と、わりと特定の比較的狭い職能を経験してきた大企業のホワイトカラーが、例えば出向先あるいは転職先で、どうも仕事経験が狭すぎて、うまくマッチしないという問題があり、その意味では、もう少しキャリアを広げておかなければならないということになると思います。

それからもう一つ驚いたのは、社会経済生産性本部(1996)で、従業員の異動先が親企業からかなり遠い、資本出資比率も非常に低いところにも広がっていることですね。

八代

私の言う「企業グループを越える対応」に相当する部分ですね。

佐藤

そうですね。

八代

そうすると、企業グループの中で、いわゆる出向・転籍という形で、親会社の年齢構成と組織構造の乖離を調整するということは、だんだん難しくなりますね。

佐藤

難しくなってきているというようなサンプルが入っているわけですね。そういう意味ではよくサンプルを取ったなと思いました。

そういうことを踏まえて言うと、企業グループを越えた、出向・転籍などのキャリアを考えていかなければならない人たちが、ますます相対的に増えてくるという状況があるだろうと思います。その際の企業内の人事管理の仕組みが、特にホワイトカラー・事務系の場合にどのようにすればよいかが問題です。

たとえば転職者の職業能力を客観的に把握し、需要と供給をマッチさせるような仕組みが重要だと指摘されていますけれども、そのあたり、実際にはなかなか難しいと思います。その文脈でいくと、今野・下田さんの資格というのが、八代さんは能力開発の側面でかなり評価できると言いましたが、私はそれに加えて転職労働市場を筋目立たせる一つのシグナルとしての機能もかなり重要になってくると思うのですが。

八代

今の点はとても大事だと思うんですけれども、難しいところですね。個人としては転職するために外部労働市場で評価してもらえるような能力を身につけなければいけない。しかし、企業としては個人に外部労働市場で評価してもらえるような能力を身につけさせるインセンティブがあるかどうかということがありますね。身につけて、いろいろ訓練投資した結果、逃げられてしまうということがあると、企業としては元がとれないですからね。

ですから、個人の思惑と企業の人の育て方と、両者の関係が重要ですね。企業主導の人材育成が続いていくとなかなか外部労働市場で評価される人は出にくいかもしれませんね。先ほどの成果管理みたいなものが出てきて、成果に基づいて市場で値づけされるような人たちが出てくればまた別かもしれませんけれども。キャリア形成のイニシャティブをだれが持つのかということが今のお話と関係すると思います。

職業資格については、たしかに職業能力を客観的に評価できるという側面はあると思いますけれども、実は先に取り上げた日本労働研究機構(報告書No.95、1997)でも議論されているように、職業能力の最低線を示すものではないかと思います。医者が皆、医師の免許を持っていても、いい医者もいれば、よくない医者もいるわけで、それは医師の免許を持っていなければ開業できないという意味での最低線を示すものであって、そこから上は個人の能力という、なかなか簡単には評価できないものが重要になってくるのではないかと思います。

だから、資格というものはたしかに職業能力を客観的に示しているけれども、企業が求めているレベルはそれとは違うのではないかというのが私の考えです。

もう一つ、希少性という点がありますね。たとえば、信託銀行で宅建を取得させますけれども、8割ぐらいの人が持っていますね。そうすると宅建を持っているからほかの信託銀行に転職できるかというと、そうはなりませんね。会社が取らせたい資格というのは重要だから取らせたい。それは皆が持っているわけです。そうすると、逆に、それを持っていることはマーケット・バリューにはならない。それでは、だれも持っていない資格であればいいのかというと、今度はそういう資格は仕事に必要ないから企業も取らせないということもあるわけで、そうすると資格が本当に外部労働市場で評価される場合というのはかなり限定されるのではないか。

松繁

面白かったのは、社会経済生産性本部(1996)ですね。出向や転籍のほうが中途採用よりもミスマッチが少ないという結果が出ています。これは、ある意味では当たり前のことですが、出向や転籍のほうが、前の勤め先で次の勤め先の情報を得ることもあるでしょうし、受け入れ側の企業もどういう人なのかということを、前もってもっと正確に把握できる。完全に外部労働市場に任せるよりも、やはり準内部的な情報チャネルが重要で、生涯で見たときそれが労働者の価値を上げ、働く意味を持たせるという点です。あまり強調されていないのですが、日本のシステムの非常に重要でいい部分であることが、この調査ではっきり出ていると思います。

2番目は、先ほど佐藤さんが指摘されたように、大企業では経験できるキャリアの幅が狭すぎるかもしれないという問題があります。自分のところで要らない技術・技能を企業が教えるはずがないとすると、サラリーマンとしては、自分のキャリアの後半で外に出る可能性が十分あることを考えて自分で準備する必要がでてきます。

八代

それは会社がしてくれるものではないですからね。

松繁

もう一つ興味をひかれた点は、転職した人がどれぐらいの期間で追いつけるかということが調査されていて、答えは1年ということです。わずか1年だったら、どんどん転職してもいいじゃないかという面もあるだろうし、中高年になったときの1年というのは非常に大きいという面もある。中高年でどうするか。40歳で転職するということを考えて動いたほうがいいかもしれない、しかし40歳はまさに家庭や多くのことを背負っていて転職に伴うリスクを引き受けられないというジレンマがある。

八代

先ほどの独立自営の話とも関係してきますね。

松繁

そうですね。ジレンマのところが40歳だという気がします。

八代

あまり早くすると、市場で買ってもらえるような能力をまだ身につけてないわけですね。

松繁

そうです。もう一つ細かな点を付け加えると、現代総合研究集団の調査でも必要な能力として英会話というのが出てきたのが、面白かった。日本の企業でいかに英会話能力の重要度が高まっているか実感しました。英語というより英会話なんですよ。英語でのコミュニケーション能力のウェイトが高まっている。

佐藤

大変ですよね。時間の問題もあるしね。

松繁

日本語をしゃべるわれわれとしては悲しい現実ですけれどもね。

「ストック型人材」と「フロー型人材」

佐藤

実際、社会経済生産性本部の調査(1996)で、いつまで就業したいかというような年齢希望でいくと、かなり60歳代前半、まあ、年齢によっても違いますけれども、とても60歳以内じゃないですよね。そこら辺はどうなのか。今、定年延長で65歳定年という案も出ていますけれども、会社のほうでは、出向・転籍も満杯だというわけですから。実際には、就業希望の長さのニーズに企業の雇用管理のほうはマッチしていないわけですよね。

八代

そこは難しいところですね。人材も「ストック型人材」と「フロー型人材」があります。だから、そういうものを前提にしたうえで、個人も、外部労働市場で通用するような能力を身につけて、ある程度フロー化していく必要があるのではないか。すべての人を「ストック型」で定年まで雇用できるのかというとそれは難しい。「雇用のポートフォリオ」の変化に合わせて1個人も松繁さんがおっしゃったように自己武装していかないといけないでしょう。

別の言い方をすると、定年延長すればするほど、排出ドライブがかかって実際の企業の中で勤められる期間というのは短くなるかもしれない。そうすると、準企業内労働市場の中にもおさまらない者が増大し、その結果外部労働市場に放出される人が増えてしまうことにならないだろうか。そういう問題もちょっと気になりますね。

松繁

少し大胆すぎる絵で、私は長期雇用が大事だと思っているのであまり好きではないのですが、もしかしたら、定年を延長してもとどまる価値がある人たちと、20年サイクルぐらいで仕事を替わったほうがいい人たちの2層に別れてくるのかもしれない。

八代

企業の転廃業じゃなくて、個人の転廃業をしたほうがいい?

松繁

50歳まで待って次のことを考えるというよりも、40歳ぐらいから替わることを前提に準備していくというほうがいいストラテジーだというような状況がひょっとしたら起きるかもしれない。

八代

20歳ぐらいから始めて65歳とすると、40歳というのは大体、折り返し点ですよね。

松繁

平均寿命そのものが延びているので、今の60歳の方々はかなり優秀で、体力も能力も十分にあるという状況が起きている。60歳になっても、65歳になっても十分働き続けられるとすると、一つの企業で40年、50年勤めるよりは、半分に割ったほうがいいかもしれないということが起きるかもしれない。40歳または45歳定年……。議論があまりにも飛躍しすぎていますが……。

佐藤

企業としては、やはりコア層と、そうでない層をどこかで分けたいわけですね。定年を延長してまでいてもらいたい層と、そうでない層との区分を何か正当化するルールが求められている。納得性を含めてね。

そのルールの中でいろいろあるけれども、今の職能資格制度の中でこの区分を正当化するルールがあるかというと、なかなか見つからない。そこは今、ある程度、本命の内部労働市場の中でやってきて、それからこぼれる層がどんどん出てきた。それをある程度、微調整でグループ内でやっていたけれども、それも間に合わなくなってくる。そうなると、本格的に内部労働市場を仕切るルールをどこかでつくっていかないと、もたなくなってくる。先ほど、松繁さんがおっしゃったことの裏返しの言い方になるかもしれないですけれどもね。

松繁

根本的な日本の処遇制度が変わらないとこれはできない。多分、一番安易な方法は企業に要らない人の賃金をどんどん下げればいいわけですね。そうすると、転職したほうがいいという人が自分から望んで出て行く。ということは、企業内の賃金格差を、ある年齢以上は非常に大きくつけていく。そういう状況が起きるかどうかということにかかわってくる。

佐藤

同感ですね。

八代

しかし、企業の中で賃金が下がった人たちが転職することは可能なんですか。

松繁

労働者が将来の自分の賃金を十分予想できれば、下がっていく前にやめたほうがいいというストテラジーが成り立つと思います。もちろん、これはあまりにも大きな仮定に基づいた話ですので、現実味がないかもしれません。

他方、今の企業内労働者の年齢構成が変わったときにどうなるかということも重要な問題だという気がします。団塊の世代が退職し、のど元過ぎたら、また元に戻ってしまうかもしれない。それはあまり議論されていませんが。

人事処遇体系の見直し

佐藤

八代さんの論文の中で、「企業グループを越える対応」については今かなり議論しましたが、「企業内での対応」というところで何か、今までの処遇体系そのものを見直すというような機運がある企業ではどうですか。

八代

よくとられているのは、役職定年制や専門職制度といったものですね。あとは、「役職につかない管理職」は今まで出向で調整されていたけれども、もはや出向では調整しきれなくなっているから、この層が増えているわけですよね。それは要するに役職者ポストの裏づけがないまま管理職に昇格しているから問題なのであって、管理職層への選抜を厳しくするというのが長期的な対応としてはあるかもしれませんね。たとえば役職ポストの裏づけのない者を管理職層に昇格させないとか。あるいは、管理職の比率を11%にするという人員枠をつくっている企業もあります。

しかし、そうすると、それは一つのやり方なんですけれども、今度は職能資格制度の本来の趣旨から乖離していくわけです。なぜかというと、人員枠をつくったり、選抜を厳しくするということは、すべて相対評価を厳しくするということです。しかし、そもそも職能資格制度は能力開発を目的としているから、絶対評価で評価するというのが建前です。そうは言いながら、実際には人事部門や部門長の調整という形で、相対評価の観点がすでにあるわけですね。それが、人員枠をつくりましょうとか、選抜を厳しくしましょうというと、相対評価に拍車がかかって、本来の制度の趣旨からますます乖離して、職能資格制度の抱えている矛盾というのがあらわになってくる。そういう意味では、職能資格制度が「制度疲労」に陥っているのは否めないと思います。

こうした問題意識に基づいて、私はここで報告した論文を職能資格制度との関係でリヴァイズしたのです(八代充史〔1996〕)。

ただ、それだからといって職務給に移行するという形で問題が解決するかといえば、それは疑問ですね。職務給は、企業になじむような分野となじまない分野があります。そうすると、職務給のグループと職能給のグループを企業の中に抱え込むのか、あるいは職務給のグループは異質なものとして外部化して契約労働力化するのか、人事処遇制度をどのように変えていくかという議論とも絡むんじゃないかなと思うのです。

松繁

もう一つの関連する点は、出向した人たちの多くが仕事が面白くなったと答えている点です。外に出ることで自分の仕事の中身が広がり高度化する。OJTの一つのポイントは、その仕事につかないとその能力が身につかないということです。最初はちょっとした能力の差で上に行けるか行けないかだけなのに、上に行った人は、新たな能力を身につけていくけれども、行けなかった人には永遠につかない。

八代

ちょっとした能力の差がどんどん累積的に広がっていくことになりますね。

松繁

そうすると、仕事そのものが面白くなくなってしまうので、それよりは外に出てもっと上のポストで能力を発揮する、また能力を身につけるほうがいいという面が調査ではっきり出ているところが私は面白いと思います。ただ、賃金が下かるのが残念なところですけれども。

調査対象の特定化

八代

ところで佐藤さん、ここで取り上げた報告書について、調査の技法という点からはいかがですか。

佐藤

「調査屋」の視点から見ると、電通総研の調査(1995)も、社会経済生産性本部(1996)も、中高年の転職者のデータをとらえるというのは大変なんですね。しかも、若いうちに転職して定着して中高年になったというのではなく、中高年期になって転職という人をつかまえるというのはさらに大変です。二つの調査は、それをよく取ったなと思います。

八代

調査対象者をうまく絞り込んでいますね。つまり中堅企業で、そもそも中途採用していることが予想される企業で、しかも役職者で勤続年数が短くて、「生え抜き」ではないという条件を設定している。あとはデータベースの利用可能性という点もあるのかもしれませんけれども。

佐藤

現代総合研究集団の調査も、自宅に調査票を郵送して、返送してもらっていますしね。

八代

そういう意味では三つとも、ホワイトカラー、役職者の個人調査ということではいろいろ工夫をしており、特に電通総研と社会経済生産性本部(1996)が非常にソフィスティケートされているという印象を持ちますね。

佐藤

社会経済生産性本部は特に内部型と準内部型と外部屋と三つの層に分けて取っていますからね。これはよく取ったと思いますね。手法の開発という面では大いに評価できるものだと思います。


5. 女性労働問題

論文紹介

松繁

女性労働問題は均等法が施行されてから10年以上たったことと、将来的な労働需要の逼迫に関して、高齢者か、女性か、外国人労働者に頼らざるをえないという背景から、注目されています。もちろん、差別があるかどうかという人権の根本にかかわる問題もそれ以前の問題としてあるわけです。私は労働経済学を勉強してきましたから、これまでなされてきた調査がどのように労働経済学の理論的な問題とかかわっていて、何が明らかにされて、何が明らかにされていないかを議論してみたいと思います(図1参照)。

図1 職場の男女間格差

  • A 職場または家庭において、男女間で仕事を完全に代替することが不可能な場合
  • B 職場または家庭において、男女間で仕事を完全に代替することが可能な場合
    • B-1 積極的差別
    • B-2 消極的差別
    • B-3 統計的差別
    • B-4 因習的差別

まず、議論の最初の分かれ目は、男女間の労働が職場においても、家庭にもおいても、完全に代替可能かということです。

代替が不可能であるということですと、これは話が簡単でして、比較優位の議論によって分かれていくということになるわけです。たとえば、会議は、企業側の理由により、ある時間にしか設定できない。それに出席することが昇進とか仕事をこなしていくことの重要なポイントにもかかわらず、家庭があるからそこには参加できないという状況があるかもしれない。それぞれの家庭と仕事においてクルーシャルなポイントがあって、両方を満たすことが不可能ということだったら、これは夫婦のどちらかが家庭に特化して、どちらかが仕事に特化していくという問題が起きてくるわけです。それが完全代替であるかどうかということの一つの分かれ目だと思うんです。

ただ、比較優位だけでは性的分業が一般化するとはいえない。なぜならば同性間でも差がある。要するに、相対的に家庭に向いている男性がいて、相対的に仕事に向いている女性がいると、これは結婚しても女性が仕事に特化して、男性が家庭に特化するということでいいわけですから、比率としては女性が家庭に特化している可能性は高いんだけれども、何%かは女性が仕事に特化しているケースが出てきてもいい。しかし、現実はこれほどクリアに女性が家庭に特化し、男性が仕事に特化しているケースが多いわけです。したがって、クルーシャルな仕事がそれぞれ仕事と家庭にあって、それが性と結びつくということがはっきりわからない限りは、明確な分業が起きるメカニズムは説明できない。ですから職場での仕事の内容と家庭での仕事の内容というのをきちんと見ていく必要がある。

結婚の経済学など、家庭内分業の議論はたくさんあるのですが、具体的に家庭の仕事の中身や、家事労働の中身、育児の中身というものをきちんと分析する必要があるのではないかと思います。

一方、全く同質であって、職場または家庭で男女が完全に代替ができる場合でも、差別が起きる可能性があります。そのうち一つは積極的な差別、これは人権にかかわる問題です。要するに、女性は雇いたくないので雇わない。

2番目は消極的な差別というか、意図的に差別しているのではないが、女性をどう扱ったらいいかわからないので、とにかくリスクを避けようという態度です。

3番目は、労働経済学者がよく使う統計的差別です。個々の女性はたしかに働きたい人もいるし、働きたくない人もいる。しかし、平均すると女性のほうが離職する可能性が高いので、企業は女性を適切に訓練しないし十分に処遇しない。そういう結果を見ていて、女性は一生懸命やってもむだという意識を持つことになり、労働のインセンティブが落ち、その結果離職していくという悪循環が起きる。これが統計的差別の理論です。

それから4番目は、ゲーム理論から出てきているのですが、社会がある方向に流れ出すと、そちらに行ったほうが無難になってしまうのが慣習化してしまうというものです。典型的な例は右側通行でも、左側通行でもいいんだけれども、みんなが右側を通っている限りは右を通ったほうが無難であると。そうすると人は右、車は左というものができてしまう。世界的に見れば、逆のケースもあるわけで、どちらでもいいわけですね。ただ、そうなってしまってから、そのままにしておいたほうがいいという状況が起きてしまうというわけです。このメカニズムが男女の分業にあてはまる。

論文1.日本労働研究機構『女性の職業・キャリア意識と就業行動に関する研究』

まず最初に挙げようと思うのは、日本労働研究機構(報告書No.99、1997)です。これまで職場での女性の問題は結構扱われてきたけれども、結局、統計的差別にしても家庭の問題が悪循環を生むもとになっている。性的分業で何か性的にクルーシャルな問題が家庭または職場にあるという状況が起きているかどうかを検定しないといけない。そうすると働いていない女性のケースを考えざるをえない。

それから、働いている人だけを見ると働いていない人が除かれてしまうわけです。結果的に働くことを選択するような特性を持った女性だけを見ていることになる。全体像をとらえるには、働いている人と働いていない人の両方を含んだ分析が必要になります。そういう意味で、この調査は画期的だと思います。ただ、意識調査にとどまっていて、役割分担に関する詳細な分析はまだなされておらず、さらなる分析が必要な点も残されています。

もう一つ、どう人を扱うかによって、その人の選好や意識などが変わるという側面に注目していることが、この調査の重要な点です。要するに、適切に処置すれば、女性もどんどん働くインセンティブを持ち、有能な女性が現われてくるということで、この視点から仕事をする前の意識と仕事をした後の意識の変化、仕事を継続した理由、継続しなかった理由を聞いています。

会社内の慣行や処遇のあり方が、女性のその後の就業にかなり強く影響することがわかっており、やり方さえ変えれば男女の格差というのは縮まっていく可能性がある。統計的差別に関して言えば、やめるから雇わないというチャネルを少し緩めることができる可能性を示していると思います。

論文2.日本労働組合総連合会『女性総合職退職者追跡調査報告』

次に挙げるのは日本労働組合総連合会(1996)です。これは総合職で働いていて離職した人(115名)を対象にした調査です。新聞各紙や個人的な関係によって調査対象者を募集する形をとっています。普通やめた人は、非常にトレースしにくいので調査が行われないのですが、やめた人がなぜやめたかという理由を探ることが状況を改善するには一番重要です。この点で、この調査は意味があります。

いろいろな理由があって、実は男性と同じように働きたいんだけれども、体力面に問題があったとか、残業についていけなかったとかということも明らかになっています。それから、子供を生むときは仕事をあきらめざるをえないという答えが多い。すると、保育所の施設が必要だという結論が出る。性的な分業の問題を、他の制度で解決できるかどうかという疑問にある程度答えています。

それから、先ほどの消極的差別の問題とかかわるところですが、上司の取り扱い方が男性と違っていたことが離職する理由になったということも指摘されています。

論文3.連合総合生活開発研究所『女性労働者のキャリア形成と人事処遇の運用実態に関する調査報告』

3番目は、連合総合生活開発研究所(1996)です。この調査の一つのポイントは、勤める間の質的な変化をとらえようとしたことです。判断業務があるかどうかとか、定型的補助的業務からの変化をとらえています。また、ここでも、入社後に経験した職場と仕事、上司の指導の仕方、教育を受ける訓練の機会の差が能力差を生むこと、すなわち処遇の問題が扱われています。やりがいや面白さを経験したために仕事を続けてきたという人が約37.5%いることも指摘されています。やり方によって人の意識は変わるということがここでも明らかになっています。

論文4.浅海典子「事務職から営業職へ」

4番目は、浅海典子(1997)で、事務職から営業職に転換した女性10人に行ったインタビュー調査です。取り上げる理由は先ほど言った、いい職業人になるには何がクルーシャルか、高度な技能を身につけていくには何がクルーシャルかということの分析がある程度なされているからです。今までは、結婚とか育児とかばかりがネックになると強調されてきたわけですけれども、雇う側としては、ある時期に特定の仕事をしてもらわなければだめだ、それにかかわらなければ次の仕事の展開もないという面があるかもしれない。この点を確かめるには仕事の中身を十分聞き出していく必要がある。この論文の方向にそった研究を今後もっと進める必要があると思います。

論文5.松繁寿和「中小零細企業における女性企業家の特徴」

5番目は、手前みそですが、松繁寿和(1997)です。これは、統計的差別理論、消極的差別の理論とかかわります。

統計的差別理論で言うと、企業は離職されたら教育・投資訓練に費やした費用を回収できないから女性と男性を同等に扱わない。ところが、女性経営者の場合は投資するのも自分だし、回収も自分なので、雇う側の理論がないわけです。そうすると、残るのは家庭での育児や家事というものが仕事にどう影響するかという側面だけです。この意味で女性起業家を取り上げることに意味があると思われます。

それから、消極的差別の理論は、男性上司は女性の取り扱い方がわからないということですが、女性上司ならばできるかという問題があるわけです。女性起業家の場合はまさにボスが女性なわけですから、女性を有効に活用できるかどうかという一つのテストケースだと思います。

ある程度わかった点は、女性であるだけの理由で女性経営者が不利だというわけではなく、女性で結婚していると非常に経営面で不利になる。要するに、教育訓練に関する統計的差別の問題が存在しなくても家庭内分業の問題だけで非常に大きな影響が起きていることです。

後半の女性経営者だと女性をうまく活用するかという点に関しては否定的です。経営者が男性であるがゆえに効果的に女性を活用できないというわけではない可能性が示されています。市場の競争原理の下では、ある形の雇用形態しかとれないことです。

全体として家庭内分業の問題が非常に大きい。家庭の中身を十分に把握したうえで、その仕事への影響というのを見ていく必要があると思われます。そういう意味で、無業者とか、家庭内における時間の配分の問題とか、夫婦間の仕事配分の問題とかを今後調べていく必要があると考えています。

討論

女性差別問題の類型

佐藤

先ほどの完全代替でないという前提、これはたとえば女性は男性にない固有の出産とか、育児が女性固有かどうかはわからないんですけれども、出産は女性固有であることは事実なわけですね。そういうことと、肉体的限界によって、具体的には女性では重労働ができないとかというようなことですね。こういったものは、いろいろな条件や競争、マーケットメカニズムがもし完全に働いていれば、基本的には起きないというような考え方なんですか。

松繁

女性の優位性や男性の優位性が全くなくて、労働に関して完全にユニセックスであっても、一方に特化する現象が起きてくるということが図1のBの問題です。

完全代替でなければ、非常に簡単にどちらかに特化したほうがいいという結果が比較優位から出てくるわけですが、ただ、単純な比較優位だけではだめで、すべての女性に家庭に入ったほうが有利であるというような比較優位がある必要があるわけです。そうすると、それが何かということを見つけなければならないのですが、実はまだ十分には明らかになっていないというのが私の感想です。

出産はたしかにその要因である可能性がありますが、実際にどれぐらいキャリアを積むことに影響するか、まだ十分に明らかではない。出産だけだと短期でよいし、育児に関しては、本当に女性が子供を見なければいけないのかという点はまだわからない。

佐藤

調査の幾つか紹介されている結果は、松繁さんが整理されている考え方からすると、たとえば日本労働研究機構(報告書No.99、1997)は、基本的には無業者の分析をきちんとしないとわからないのですが、家庭での仕事や育児の負担が効いているとするという意味で、図1のA(完全代替が不可能な場合)に分類されると考えていいですか。それが、家庭での分業の問題にかかわってくるわけですよね。

もう一つ、家庭抜きにして職場ということで考えていくと、仕事経験とか、あるいは上司の仕事の任せ方とかが、就業の継続意志に効いてくるという結果も得られ、そういうことで言うと、基本的にはB-2)(消極的差別)になってくるということですね。

松繁

消極的差別は存在するらしいのですが、知識が簡単に伝播する社会では、女性を有効に活用した事例はすぐに他の企業にも知れわたり取り入れられるのではないでしょうか。にもかかわらず、消極的な差別がなぜなくならないかは、今回の調査でもはっきりしません。

佐藤

そこでたとえば、図1のB-4)(因習的差別)を区別されていますね。これがむしろ、B-2)がちょっとしたきっかけとしてあってB-4)がそれを増幅するという感じですか。

松繁

それはあります。因習的差別というのは、何か原因があってどちらかに移ってしまうと、そこから動かなくなるという点がポイントなわけです。だから、理論の代替的な理論というわけでなく、頑固さというのが残るという点を説明しています。

佐藤

そうすると、事実上は図1のB-2)とB-4)をミックスさせるというのが、実態をかなりうまく説明するのかなと思うんですけれども。

八代

この無業者のサンプリングというのは、どういうふうにしてやっているんですか。

佐藤

これはたしか、留め置き調査でやっているんですよね。調査員が調査票を置いてきて、後で回収と。

八代

住民台帳で抽出したのかな。

佐藤

これは私も関心あって見たんだけれども、住民基本台帳で無作為抽出したようですね。

先ほど、松繁さんの最後の課題のところで、家庭内分業の話で、そこの分析が課題であるという話でしたけれども、日本労働研究機構(報告書No.99、1997)の冨田安信論文ですか。ここではそれに決定的な説明は与えていませんけれども、わりと就業意志、継続意志に効くファクターをいろいろ細かに分析されていて、就業意志、継続意志が非常に強い女性のほうが、そして公務員の男性のほうが民間企業よりも多くて、そして高卒よりも専門学校卒のほう、夫の所得が低いほうが、それぞれ就業継続意志を持った女性が多いというのがありますね。そういうことからいくと、わりと本人の考え方と経済的なものがかなり効いているという印象を受けるのですが、それでよろしいですか。

松繁

今までも夫の所得が効くとか住宅ローンが効くというのは多くの研究で議論されてきました。

この調査が追加しているのは夫の職業です。公務員や教員が効くというのは重要な発見です。要するに、夫が朝から晩まで仕事に特化していると妻は働けない。さっきのマルチプルジョブホルダーの議論とも多少かかわりますが、仕事を半分ずつに分けられるかどうかがポイントになると思うのです。公務員は、─そう言っては失礼かもしれませんが─仕事に拘束されることは比較的少ない。そのかわり、給与もそんなに高くない。では、女性もそれと同じような仕事を得たとして、生活が成り立つかどうか、また、雇用する側、企業も成り立つかどうかという点も探る必要がある。

たとえば、車でもリッター10キロ走る車と11キロの車を比較すると、他の条件が一定なら、11キロのほうが圧倒的に売れます。その1リットルの差が決定的になるわけです。それと同じように考えると、50:50で働いて売れないリッター10キロの車を2台作るよりも、100:0という形に特化して働いて売れるリッター11キロの車を1台作ったほうが結果はいいという可能性は、なきにしもあらずだと思います。

佐藤

そうすると、そのような分析はまだ家庭内の分業を明らかにする意味では、これから開拓の余地があるということですか。

松繁

そう思います。そういう意味で日本労働研究機構(報告書No.99、1997)で専業主婦を見ていることが重要です。

佐藤

無業者はわりと、そのうち働きたいというニーズは結構あるんですよね。これを見ますと。それを、何が踏み切れなくさせているかの分析がないということですよね。

松繁

はい。

調査方法とサンプル・セレクション・バイアス

八代

佐藤さん、この新聞広告で退職した総合職を探すという日本労働組合総連合会の調査は、ある意味では画期的なものだと思うんですけれども、こういう調査の方法論について何かコメントはありますか。

佐藤

これは前から注目していた調査で、よくやってくれたという感じです。

松繁

サンプリングの仕方は画期的ですね。

佐藤

実際やるときは、かなり、そういうような形でないと取れないとも思います。

八代

早期退職者の調査も、このやり方でできるでしょうか。

佐藤

ある程度まねはできるでしょうね。辞めた方のサンプルを取る一つの方法だと思いますが。

八代

ただ、サンプリングが偏るという問題がありますね。辞めた人だけに調査をしているから。できたら、辞めた人と残った人の両方を調査して比較できると面白いですね。

佐藤

偏りますね、どうしてもね。

八代

やはり、辞めた人に対する調査結果は、批判的なものになるから、「サンプル・セレクション・バイアス」の問題は免れない。ただ、このやり方しかないかどうかわからないけれども、一つの有力なやり方ですよね。

佐藤

中高年の転職者でもそうですし、退職者なんかは特にそうだけれども、実際には企業ベースで退職者リストを持っているところにアプローチするか、それが手に入らなかったら自宅で捕まえるしかないから、会社から住所を教えてもらうしかないですね。

八代

会社のほうにそういうことを知りたいというニーズがあって、事実上、会社と提携するような形で調査するなら別ですけれども。

松繁

昨年の労働経済学の学界展望でも指摘されましたが、日本は政府調査を筆頭に非常にデータが整っているのですが、海外に比べて欠けているのはパネルデータです。ある時点から同じ人を追っていって、その変化を取れないことが分析をしていく上で致命的です。今後、どうしてもつくっていく必要があると思います。

佐藤

パネルデータの作成はたしかにこれからの課題でしょうね。一部、高卒者の追跡調査とかは、パネルデータを作成し日本労働研究機構でもやっています。

女性企業家の創出

八代

松繁さんは、女性起業家の経営実態の分析で、女性起業家の研究は女性であることにハンディがあるのではなく、女性でかつ家庭を持っている場合のハンディを抽出できるとおっしゃられていますね。なぜなら、教育投資がないから離職するという問題をオミットすることができる。しかし、たとえば女性起業家が女性であるがゆえに、たとえば女性が社長のところには仕事を出さないという問題はないんでしょうか。

松繁

その点はあるかもしれませんが、この調査ではわかりません。正直に言って、先の教育投資の問題を完全に排除しているとは言えません。なぜかというと、長期的な契約関係にある場合は問題があります。いい製品を納めてもらうには、技術を教えないといけないという状況があるかもしれません。そのときに、女性起業家は会社をすぐ畳むということが起きると、投資が回収できないという問題が出てきますから、女性起業家が育たないという先ほどの議論があてはまる可能性が生じてきます。女性企業家の場合は、雇用者として働く場合に比べて、その問題は少ないかもしれないという程度です。

女性の職域拡大の隘路

八代

素朴な疑問なのですが、浅海論文で営業職への転換の条件というのが出ていますね。これは女性からいろいろ聴き取りをした結果を経験的に一般化している、そういうことでよろしいですか。

松繁

そうですね。

八代

そうすると、調査の制約で難しいんですけれども、これはあくまでも結果として転換した人がこうだったということで、そういうふうな条件を満たしても転換しなかったり、転換できなかった人もいるわけですね。だから、ここに書いてある条件が満たされていれば、皆が転換できるのかというと、必ずしもそうではない。

松繁

総合職のケースと同様、転換した人と転換しなかった人を比較する必要があります。

八代

転換しなかった人に対して調査する必要がありますね。もっともフィージビリティに問題がありますが。

佐藤

浅海論文は事例としてよく調べたなという印象ですが、事務から営業へ職域を拡大するような促進要因として幾つか挙げて、事例に基づくチェックといいますか結論を整理していますね。上司のサポートや、職場が人手不足だったとか、自己啓発、教育訓練を新たに行ったとかというのはかなり効いてくるといった結果が得られていますね。そういう結果が出た場合には、松繁さんの先ほどの整理で言うと、どのカテゴリーに当てはまるのでしょうか。

松繁

浅海論文に関しては、そのフレームワークの中では考えてないようです。上司は投資と回収の問題を考えてサポートをしないのかもしれないのですが、もしその問題がないとすると、上司のサポート不足は消極的差別で、女性をどう取り扱ったらいいかわからないという問題が残っているということになるかもしれません。

佐藤

そうすると、わりと図1のB-2)のような感じですか。

松繁

ただ、消極的差別をあまり強調しすぎるのも危険です。うまく対処したところの情報が伝わっているにもかかわらず、あえてそれを採用しなかったところは競争に負けてゆくはずです。そのような会社が長期的に残っていることの説明にはならないと思います。

ここで挙げた研究等で、幾つかの問題点はクリアになったと思います。しかし、何年も前から意識されて調べられてきた女性の活用に関する多くの根本的な疑問は未回答のままです。私は、女性の仕事の内容を詳しく分析することがもっと必要だと思います。

佐藤

仕事の分析というのは、具体的には浅海さんのようなアプローチですか。

松繁

他の研究者も言っているように、ホワイトカラーの職務分析は非常に難しい。結局、キャリアの幅と仕事の質的な変化、要するに判断業務とか、裁量権がどれだけあるかという側面でとらえざるをえない。非常にキャリアのある段階で、ある仕事にかかわらなければ、また、あるかかわり方をしなければ必要な能力が習得できないということがあるかどうかだと思います。

浅海さんの調査の中でも、営業職としての職務内容というものの中にたとえばテリトリー分析とか、販売実績の分析とか、価格折衝とか、販売条件の決定が入っています。これは判断業務です。それと事務職としての職務内容の中に、部内会議の出席、現状や問題点の報告というかなり業務の内容としては高度な部分があります。この経験が営業職に移るきっかけになったかどうか、移ったときにどれぐらい役立ったかということを調べる必要があると思っています。この論文の欠点は、サンプルが少ない。でも、よく分析されていると思います。

八代

質的な分析の場合は数を言っていたら切りがないですからね。

佐藤

それから、ここで紹介された報告書や今の浅海論文の事例を読めば読むほど、結局、いろいろ多様であるというのか、ケース・バイ・ケースというか、いろいろな条件をコントロールしても違いが残るという感想が出てきますが、その辺はどうですか。

松繁

私もそのような感想を持っていますが、一方で、ほんとうにそうかなという気もしています。男性の場合は、かなり細かく査定し、そのうえで指導を考えるわけです。にもかかわらず、人事部の人に聞くと、「ほんとうに女性はわかりません。やってくれると思っていたら、突然やめちゃうんです」という答えが返ってくる。しかし、ほんとうにそのシグナルをキャッチできないのか、管理処遇上でそういうことが起こらないような措置ができないのかという疑問があります。男性の場合はあれだけ細かく査定をしておきながら、女性の場合に、辞める、やめないという重要なファクターに関しての予測ができないのでしょうか。

八代

ただ、企業が最初から女性を回転労働力だと思っていれば、そもそもモニタリングを行うインセンティブがないということはありませんか。辞めていかないと困るわけですから。

佐藤

適当にはけていってもらったほうがいいというような人たちもいますからね。

松繁

しかし、男性の場合もモニタリングすることは非常にコストがかかると思われます。女性もそれと同じようなコストをかけるだけでいいかもしれないと思いますが、この点は私もわかりません。


6. 未組織分野(中小企業)・管理職層の労使関係

論文紹介

佐藤

これまで(1)で中小企業の雇用問題、(2)あるいは(4)でホワイトカラーの人事労務管理の問題を取り上げました。そこで、ここでは中小企業とホワイトカラーの労使関係にかかわる研究をとりあげたいと思います。つまり未組織労働者が増えてくる、管理職層が増えてくるという状況の中で労使関係が一体、どうなっているのかという点について、この間の調査を見てみました。

簡単に論点を申し上げますと、日本の大企業に比べて中小企業の労働組合組織率が非常に低いわけです。小池さんが最初に、中小企業の労働問題を整理していますが(小池和男『中小企業の熟練』同文舘、1981)、一つは企業規模間賃金格差。第2点は、労働組合がなく未組織だということ。分配にかかわる発言権での劣位に一つの大きな問題があるという指摘です。本来、労働条件が悪いところでは労働者の利害を代表する仕組みがあって、底上げをしていくというのが非常に重要な課題になってきますが、事実は組織率は下になるほど低くなってくるわけですから、労働条件の悪い人たちが労働条件の改善を目指す仕組みというものがないというところに問題があるわけです。

しかし、労働組合がないということがイコール、いわゆる中小企業の労働者の集団としての発言機構がないということを意味するのかどうか。あるいは、従業員と経営者との間のコミュニケーションがないということを意味するのかどうかについてはまた別の問題です。事実、小池さんがいわばパイオニア的に従業員組織の事例を分析(小池、前掲書)するなかで、中小企業でも週休2日制の導入に関して賃金や労働条件について話し合いをしている従業員組織が存在していることを見いだしたわけです。

論文1.佐藤博樹「未組織企業における労使関係」

まず、佐藤博樹(1994)を取り上げたいと思います。

主な事実発見の要約として、個人単位の組織率だけでなく、事業所単位の組織率も実際、推移としては低下してきている。また、未組織企業で労働者の集団的発言機構がないわけではなく、労使協議制や、あるいは従業員組織はかなり広く存在しており、一定の機能を果たしているということが明らかにされています。この場合、労使協議制が約3割ないし4割の事業所、そして従業員組織が約5割の事業所にあるということが指摘されています。

特に、佐藤さんの研究の中で重要なのは、従業員組織の中でも社員会、親睦団体など、労働条件に発言している発言型の従業員組織がかなり存在していることが明らかにされていることです。

さらに、その発言型従業員組織の性格というのは、労働組合に対して、受容的ではない。むしろ、従業員の意向や要望を把握する必要性は認知されているけれども、その要望伝達機能というのは労働組合でなくてもよく、むしろ従業員組織でもいいというような評価が主流になっている。したがって、未組織での、組合のない事業所での発言型従業員組織の組織化が、労組の組織化を受け入れる形での労使コミュニケーションの必要性というものを低下させている可能性がある。もっと乱暴に言うと、発言型従業員組織があれば労働組合はなくてもいい。発言ができているわけですから必要性はない。経営者のほうもそういうような認識はかなり強いという指摘がなされています。

論文2.都留康「無組合企業の労使関係」

さらに、そういう研究も踏まえて、都留康(1997)(バックデータは日本労働研究機構〔報告書No.88、1996〕)を取り上げます。

都留さんによると、これまで未組織分野での労使コミュニケーションには、幾つかのチャネルがあった。一つは、すでに言われていますが、労使協議制。もう一つは従業員組織である。それから経営者や管理者との懇談会や管理職会議。それと中間管理職。このように整理したうえで、解かれていない課題として次の3点を整理します。

第1点は、未組織での従業員参加のレベルあるいは組織セクターの研究が多いわけですが、発言型の性格規定については、なお深い考察をする必要があるという点です。特に労働組合の機能を代替しているかは、非常に重要な問題なので、果たして発言型であっても、従業員組織が労働組合の性格と一致するのかどうか。これについてはさらに深い考察が必要だろうとしています。

2点目には、労働条件決定プロセスの分析をする必要があるということです。小池さんのフロンティア的な研究では労働時間、特に週休2日制の導入にかかわるケーススタディがあったわけですが、もう一方の賃金について、それがどのような仕組みで決められるのか。未組織についてはこれがよくわかっていないわけです。

企業内での発言機構の組織状況を見ると、労使協議機関があるところが16.9%。それから、そういうものを開催したところが24.6%。常設でなくても、その時々で開設していることも示唆されているわけです。それから、従業員組織があるところが6割強となっています。そのうち、発言型が2、親睦型が8という割合になっています。

それから、発言機講の全体構造を見たときに、労働組合のあるところでは団体交渉や労使協議が当然中心になってくるわけですが、無組合企業では経営方針の発表会だとか職場懇談会といったものや、ラインを通じたコミュニケーションも行われている。いろいろなチャネルがいろいろな形であることが明らかにされています。

最後に第3点は、従業員組織、特に発言型の従業員組織の場合の意義と限界についてです。春季の賃金改定プロセスを見ると、実際には妥結の決定時期が無組合企業は組合のあるところよりもばらつきが大きくて遅いという結果が得られています。これは何を意味するかというと、無組合企業で発言型の従業員組織があった場合でも、組合と違って、その従業員組織独自の判断で賃金決定を行っているのではなく、組合のあるところの妥結水準が波及してきて、それを見て決めている。つまり外部(=労組)に依存しており、その意味では限界を持っているのではないかという指摘です。いいかえますと、従業員組織が発言型であっても、労働組合の機能と一致するものではなく、そこに意義と同時に限界もあることを明らかにしております。これはある意味では小池さんが従業員組織は事実上の企業別組合である、といったように、いわゆる産別機能の上部団体を持たずに、世間相場のパターンセッティングというものを自ら行いえない。そういう限界を具体的な数値に基づいて明らかにしたという意義があるのではないかと思います。

論文3.連合総合生活開発研究所『労働時間制度における労使の関与に関する調査研究』

次の連合総合生活開発研究所(1995)は労働時間をめぐる労使関係について触れています。

これによると、細かな事実発見は割愛しますけれども、一つは労働時間における労使関係は大きく分けると、[1]労働組合の代表がたとえば三六協定の締結主体になっている場合、[2]未組織の場合では従業員組織の代表が協定の代表になっている場合、[3]協定の代表がその都度決められている場合と三通りあるわけですけれども、組合のあるところで組合と従業員組織の代表と協定代表を比べてみると、[1]~[3]の順で産業民主制度の程度が劣ってくるという傾向が見いだされています。

さらに分析として面白いのは、[1]労働条件を上げるためにも経営領域にまで発言しているような「参加分配型」、[2]経営領域には関与しないけれども労働条件だけはよくしろという「分配重視型」、[3]経営領域には発言するけれども労働条件にはあまり発言しない「参加重視型」、[4]どちらにも発言しない「ほどほど型」というふうに分けて分析しています。

その結果、組合が代表のところでも、「ほどほど型」のようなものがある反面、組合以外が代表になっている場合でも「参加分配型」や「分配重視型」が結構入っており、組合があっても、ほどほどのところもある。ないところでもちゃんとやっているところがあるという示唆がなされています。

今一つ重要な点は、労組の有無を問わず、経営協議の場で従業員代表の類型と労働時間の実態を調べた結果、「参加分配型」>「分配重視型」>「ほどほど型」の順で労働条件の状態が良好になることです。これは一つの解釈ですが、労働時間の実態を改善するには、制度のみならず組織や仕事のあり方も含む改革が必要であると考えられます。つまり、分配だけを重視するような発言ではなく、それをよくするためには経営領域にまで踏み込んだ発言が必要になってくる。そして、事実、そうやっているところでは労働時間の状態も良好である、という結果が得られています。

論文4.久本憲夫「管理職クラスと労働組合員の範囲」

これまでの研究は中小企業(=未組織分野)の労使関係にかかわる研究でしたが、最後にホワイトカラー(=管理職)の労使関係にかかわる研究として久本憲夫(1994)(バックデータは連合総合生活開発研究所〔1994〕)をとりあげます。これはすでに管理職層が増大してきているという前提のうえで、それではそういう人たちの利害にかかわる発言あるいは労使関係がどうなっているのかについて見ています。

管理職層で問題になってくるのは2点あります。一つは、[1]労働法上で労組法第2条但書1号による使用者の利益代表者であるということで、役員や、雇い入れ・解雇・昇進・異動に権限を持つ立場にある者、これらについてはいわば労働組合の範囲から除外していくという規定がある。それからもう一つは、[2]労働基準法上、いわゆる監督者もしくは管理の立場にある者は労働時間、休息・休日に関する一般職員に適用されるものは適用除外になってくる。

法律上は、[1]、[2]はいわゆる非組合員という形になるわけですが、実態は定かではなく、久本さんはその点を分析したわけです。特に、管理職層とはどのような従業員から構成されているのか。名実ともに[1]、[2]を満たした者であるのかどうか、この点が争点になると思います。

結論的に言うと、実際には管理職層といっても使用者の利益代表ではないような者が随分入っていて、その割合が明らかにされているわけです。また、労働基準法上の管理職と労働組合法上の非組合員資格はほぼ重なっていることも明らかにされています。

先ほどの範囲の問題でいうと、実際に部課長は別としても、副課長だとか、ライン外の課長であるとか、こういう人たちが実際、非組合員とされるべきなのかどうかということについては慎重であるべきであり、むしろ現実の権限だとか法律上の規定に照らして言えば、それは組合員であるべきです。むしろ、組合はその層をもっと組織化していかないと、これから管理職層が増えていくなかで、組合は従業員青年部になってしまう可能性がある。

そのようなことで、最近のホワイトカラー、特に管理職層の増加のなかで組合員の範囲が事実上問われている。そして、法律の規定に厳密に照らして言えば、当てはまらない、特に使用者の利益代表者じゃない管理職層はもっと積極的に組織化していくべきではないか。これが久本さんの結論です。その意味で非常に注目すべき研究であると思いました。

討論

無組合企業の労使交渉

松繁

切り口としては二つあると思います。

一つは、要するになぜ企業内に、こういうグループというか労働者の団体というものが要るかという組合の根本にかかわる問題です。考えられる理由としては個々に交渉するよりも団体で交渉したほうが効率がいいという点です。それから、企業規模があるレベルになると、経営側だけではすべての要求をすくい上げられず、もっと下部の組織をつくったほうが労使関係が良好になるという点があると思います。さらに、人的資本の理論から言えば、企業特殊的な技能があり、相互独占の状況が起きるので、経営者も労働者も協調的な関係を持ったほうがいいという点があると思います。要はこれらの要因がどの程度存在するかということだと思います。

もう一つの切り口は、普通、会社側は1人の首を切ったり、1人がやめても経営全体には大きな影響を及ぼさない。ところが、首になったり、仕事を失ったりした人たちは生活そのものの基盤が崩れるわけですから、非常にリスクが大きい。1企業と1労働者ということだと圧倒的に企業の立場が強くなる。だから、組合や従業員組織が必要だという見方です。

前者の規模の問題で面白い例を挙げますと、ニュージーランドでは新しい法律ができたことで、経営者が個々の労働者と個別に雇用関係を結べるようになり、結果、組合がほとんど壊滅的な状態に陥ったわけですが、その後、また徐々に企業内組合みたいなものができてきたようです。やはり、あるレベル以上になると、どうしてもそういうものが存在する必要がある。それかどのレベルなのかということが気になっています。

そうすると、佐藤さんはすなわち、規模の小さいところの労働者が比較的強く企業内従業員組織を必要としているにもかかわらず、そこでは企業内従業員組織が存在しないといわれましたが、本当にそうかという疑問が生まれます。もし、企業規模が大きいところで、情報伝達を円滑にするために組合が存在するとすると、規模の小さいところは、あえて伝達機能を入れる必要がないということになります。となると、未組織のところは従業員組織がなくても、特に問題はなく、逆にあるからといって、ない企業と比較しても、賃金などが特に変わらないという結果が出てもいいのではないでしょうか。

それから、後者の切り口の企業と労働者のどちらが強いかですが、先ほど八代さんが言われたように、かなり外部的な市場が発達して、一つの企業をやめても容易に次で働けるという状況が起きてくると、労働者の立場は強くなります。そういう状況が生じてきたので、組織率が低下しているのかもしれないという仮説も成り立ちます。これまでの分析ではどうなっているでしょうか。

佐藤

なぜ中小企業に労働組合が少ないか。この問題は事実として存在するわけです。それは今、松繁さんがおっしゃったことがかなり説明していると思います。しかし、中小企業という場合も、これは私の個人的な整理ですけれども、基本的には30人未満の層と300人ぐらいのところと労使関係というのは大きく異なるだろうと思います。

たとえば30人未満のところは労使関係が成立する世界ではないし、また逆に言うと労務管理が成立する世界でもない。ここはある意味では自助努力の世界でやっていくという感じだと思います。自助努力でやっていくという場合に、一つには労働条件を上げようとする場合に独立開業がある。それからもう一つは転職です。悪いところはやめて、いいところに移っていく。それが事実上、成立しています。

八代

ボイス(発言)ではなくて、エグジット(退出)ということですね。

佐藤

そう、エグジットということですよ。ボイスはそこでは働かない。必然性もないわけです。そしてまた、会社の社長も十数人のところは働きぶりをすぐ見たらわかりますから、別にそんなやかましいルールをつくらなくても職場懇談会でいいという感じになると思うのです。あってもレクリエーションぐらいの機能があればいい。これが、従業員組織の一つのタイプですね。

ところが、300人ぐらいになってくると、都留さんの調査対象企業の平均は313人ですから、これは完全に労務管理の機構とある意味での労使関係が芽生えてくる世界ですね。この規模になってくると、社長は当然、従業員の意向を把握するには逆にコストがかかる。そこで組織をつくってもらって従業員にニーズを伝えてもらったほうがいいという意味で会社から見てもメリットがあるし、従業員もある意味ではスケールメリットが働きますから、1人よりも集団で発言したほうが労働条件がよくなる。そういうことが相まって、一定の労使関係の世界が出てくるわけです。

八代

労使関係でも、人事管理でも、制度をつくるスケールメリットみたいなものがあり、それが規模によって制約されている。30人では労使関係でも、人事制度でも、スケールメリットがないということですね。むしろ属人的な世界になっている。

佐藤

属人的のほうがコストがかからなくていい。いちいち、ルールをつくるのもコストがかかるわけですから。また、運用するのも面倒くさくなってくる。

松繁

もう一つの点としては、組織率が減っているのは組合の必要性が減少しているからだという議論は、ちょっと拙速な気がします。

これだけ情報化が進んでいると、ほかがどうしているかを簡単に把握し、まねができる。実際、賃金決定において未組織のところは春闘の結果を見て自分のところの判断を下す。そうすると、組合が一つでもありさえすれば、ほかはそのまねをするので、結果として全く同じになる。ならばたとえ一つしか存在しなくても、組合の存在価値は十分あるということです。

八代

いわゆるパターンセッティングですね。

松繁

そうです。模倣が非常に簡単にできるようになったとすると、組合の効果がはかりにくいのは当然のような気がします。

また、今まで組合の効果をいろいろな人がいろいろな角度ではかってきましたが、一つ新しい点は、労働時間については効果がありそうだということです。どうしてかは、理論的にも詰めていく必要がありますが、これは新しい発見ではないでしょうか。

佐藤

今まで、わりと賃金が多かったですからね。

成果主義管理と労働組合

八代

先ほどの議論で成果主義管理、つまりアウトプットによる管理がこれから広がっていくだろうと言われている。しかし、組合というのは伝統的に、どちらかというとインプットで管理される人たちを対象に組織されていました。そうすると、アウトプットで管理される人たちが増えてくると、そのことは組織率や労使関係にどのように影響するのでしょうか。

佐藤

それは非常に大きな問題だと思いますね。

八代

成果主義で管理される裁量労働の人たちというのは、かなり仕事の内容は個別化していますね。そうすると、組合のコレクティブ・インタレストになじむのかどうか、よくわからない。その辺を含めた人事管理の変化に伴う労使関係の変化というのは、どうなんでしょうか。

佐藤

中小の未組織の話と管理職層の話とを分けたいのですが。

まず管理職層の課長クラス、こういうところで見たときに、純粋に管理職として部下がいて仕事をしているのではない人たちが増えてきているというのが久本論文のポイントですね。そこはまさに、組合が働きかけたとして彼らが組合員になるメリットというのは何なのかということになりますと、それはまさに今の八代さんのご質問にかかわってくる。一つは、昇進の問題とか評価の問題について組合がきちんとした情報を提示してくれる。あるいは、その問題にまで企業側に踏み込んでやってくれるということ。あるいは逆に、組合として経営側が提示する昇進や評価のルールとは別のルールを提示していく。こういうものが魅力としてないと、組合側に取り込むということは難しいと思うのです。その人たちにとってのメリットはないですよね。

八代

電機連合などは、わりと組合員でも格差をつけようということを言っていますね。組合が組合員の間の格差というものをどのように考えるか、あるいは査定というものをどのように考えているか。その辺が重要な問題ですね。

松繁

ただ、歴史家に聞いてみないとわかりませんが、職能等級とか査定が入ってくる段階で、組合はそれほど強く反対しなかったのではないでしょうか。

八代

それは藤村博之さんの論文(藤村博之「賃金体系の改訂と労働組合の対応」橘木俊詔編『査定・昇進・賃金決定』有斐閣、1992年、所収)で、査定制度を採用していて、一度やめた企業で、組合のほうからむしろ仕事ぶりを正当に評価してほしいということで査定制度を復活したという事例がありますね。

松繁

ヒエラルキーの下部のところでも差をつける点が日本の特徴ですが、労働組合がそれに対して強い反対をしていないとすると、管理職のところで成果主義で差をつけるということに対して組合の中にそれほど大きな抵抗はないのではないかと思います。とすると、あとはノウハウの問題で、どういうような評価、処遇制度を提示するかという議論に移ってしまうと思います。

八代

今の職能給で査定が入った際に、組合が反対しなかったというのは松繁さんがおっしゃるとおりだと思います。ただし、職能給における査定というのは、ある意味で「下方硬直性」の世界ですね。しかし、組合員のほうに成果主義が入ってくると、成果主義における査定の問題というのは、今までの職能給における査定の問題とは、組合の受けとめ方が違ってくるかもしれませんね。

電機連合の場合は、査定を是認するというのは、雇用を守ることに対する優先度が強いということの裏返しかもしれないんですけれども。

それから、組合員の範囲という久本論文の視点は面白いと思います。先ほど、従業員青年部という話が出ましたけれども、組合財政という面から見て組織化の問題、そして、それを規定する組合員の範囲というのは重要ですよね。

松繁

そこでも規模の経済性というのがありますからね。

八代

組合が組織化するインセンティブというのは一つは財源の問題ですよね。

佐藤

そうですね。財源がないと運営もできませんから。

松繁

労働時間の問題に関して言えば、たしか未組織のところのほうが労働時間が長い。一方、今までの議論にも出てきましたが、裁量権が下にどんどん下りてきて、成果主義にならざるを得ないようです。そうすると、労働時間を縮めようという動きとは逆に裁量性が増えるので労働時間が増える、さらに成果主義がそれとともに入ってくることで、また労働時間が増えるという問題が起きてくるかもしれない。

佐藤

連合が基準法の改正を事実上改悪だと言っていることのベースにある認識はそれですよね。裁量労働にすると結局、粗放的な労働になる可能性がある。いい成果を出すには実態として労働時間が長くなることもあるわけですから、そういう傾向を踏まえた危惧が一つあるということです。

もう一つは、要するに三六協定が本来の残業抑止効果として機能していないということがあるんですね。組合側は、法律に目安表示じゃなくて、上限をきちんと書き込むことを要求しています。

松繁

となると、家事との両立がますます難しくなる可能性がありますね。

佐藤

そうですね。今までの男性の労働基準と女性の労働基準の2本立てできたものを、男の労働基準1本でいくということですから。

松繁

非常に競争が激化したところで仕事をしないといけない。まさに競争に直接さらされるような労働が増えていく、家庭をだれが守るのかという問題がさらに重要になってくる。

佐藤

はっきりと出てくると思いますね。

松繁

女性が家事を負担しつづける状況ではちょっと女性にとっては……。

佐藤

厳しい状況ですね。

松繁

しかし、次の世代をどうやって育てていくかというのは社会全体の重要な問題ですから、社会制度として適切に制度化していく必要があるでしょう。労働市場全体の流れで見ると逆の方向に行く可能性が非常に高いとすれば、ますます制度的に別のメカニズムを経済の中に組み入れていく必要があるように思います。


おわりに

八代

最後に全体の印象というか、これから期待したい調査研究などについて触れていただければと思います。

松繁

私の担当した分野では、「自営化、個業化」が社会全体でどれぐらい進むかを今後調べていく必要があると思いました。それは成果主義の問題ともかなりかかわります。これらの点は幾つかの研究で認識はされたのですが、今後具体的にどう対応していくかは、まだ十分に明らかにされていないと思います。

もう一つの視点として重要なのは、テクノロジーの問題です。テレワークなどがどこまで増加発達して全体に影響を及ぼすかわかりませんが、ハード技術が変わったときに雇用管理というのがどうなるかを注目しておく必要があると思います。

女性に関しては、どの段階でどういう働き方をしないと将来のキャリアが出てこないかをもう少し見ていく必要があるということ、それから、家庭内の仕事の中身の問題ですね。

さらに、いろいろな要素が絡まって、競争が激化し労働時間が長期化するおそれがある。労働者の生活そのものが豊かになり人生を楽しめるようになればいいのですが、所得が上がり仕事の量も増えるが生活そのものは豊かにならないという問題が起きる可能性があるようです。それへの対処を規制で行うかどうかというのは大きな問題ですが、何らかの新しいメカニズムを社会の中に組み入れる必要があるような予感がします。

八代

生涯労働時間という概念もあって、人生のある時期はお休みして、リフレフシュしてまた働くとか、そういう議論もありますから、労働時間の問題というのは、これから本当に重要になってくると思いますね。

佐藤

私は中小企業や未組織のところの話を担当しましたけれども、印象として強いのは、日本の中小製造業の将来があまり明るい材料がないということ。それから労働供給が町工場をはじめとする小さな製造業に流れにくくなっているのがかなり深刻な問題であるということです。

そういう状況の中で、一方では国際環境が厳しくなってくるという逆風状況があり、組織率も下がってくる。労働条件を改善していく母体が一方でなくなってくるという状況です。その辺、もう少し中小企業の労務管理や労使関係について実態を把握する必要性があると思いました。

それから、労働組合の長期的な傾向からいくとかなり深刻な問題で、ここで出てきているような従業員組織のようなものをもう少し積極的に評価していく面も必要になってくるのかなというような印象を持ちました。

したがいまして、このような労使関係にかかわる傾向を、先ほどの松繁さんのご指摘にあった規制のあり方に絡めてみますと、政府による公的規制に加えて、労組による規制もありうるわけですね。つまり、一方で企業競争力を維持・向上させる動きと、他方で労働者の雇用・労働条件を維持・向上させる動きとが、どこでどのように折り合うのか、あるいは折り合わないのか、ということですね。規制のありかたとその主体としては何が望ましいのか。公的規制なのか、労組による規制なのか。それとも個々人の自助努力によるのか。討議でも出されましたが、中小企業セクターでは伝統的に自助努力による解決が主流であったわけですが、昨今の雰囲気からしますと、大企業セクターの今後をある意味で「先取り」している可能性があるわけです。いずれにせよ、このあたりが今後の環境変化に照らして、とても重要な研究課題となってくるように思います。

八代

全体的な印象として、私はホワイトカラー関係のところを担当して、他のところも含めて、調査の技法について、たとえば新聞広告で女性の退職した総合職を調査するとか、「高齢化、中途採用、職業資格と労働市場」のところでも、かなり対象を絞り込んで調査を実施しており、いろいろと工夫がなされているという印象を持ちました。

今後の課題としては、パネルデータの整備が重要になるという印象を持ちました。ホワイトカラーの昇進についても企業内の職業経歴というのが一種のパネルデータなわけですけれども、こうしたデータを蓄積する必要があります。

もう1点は、お二人のお話をうかがっていて感じたのは、成果主義というのが一つのキーワードになっていて、それと労働市場の流動化が絡むかもしれない。あるいは成果主義と労働組合の問題が絡むかもしれない。成果主義と労働時間の問題も絡むだろう。成果主義が強まれば労働時間が長くなるかもしれない。だから、成果主義というのは、規制緩和や、国際競争との関連でこれから議論されていくと思いますけれども、それがいい側面だけではなくて、労働者の生活や労使関係にしわ寄せがいくとか、そういう側面も無視できないわけで、そういうことを含めて成果主義について、注目していきたいと思いました。

以上で、学界展望を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。