資料シリーズNo.306
人材育成の社会的基盤を考える

2026年8月31日

概要

研究の目的

日本の人材育成は、職場内OJTを中核とする企業内完結型の仕組みに依拠してきたが、人材の流動化、職務内容の変化、人手不足の深刻化等を背景に、その限界が顕在化しつつある。本資料シリーズは、企業内で担うべき育成と、外部委託・共同実施、企業間の就業経験、職業コミュニティ、労働組合、国家的な訓練制度等を通じて企業外・企業横断で支えるべき育成とを、いかに切り分け、接続すべきかを多面的に検討し、企業外育成を機能させるための制度的・実務的条件を明らかにすることを目的とする。

研究の方法

ヒアリング調査(キャリア自律を先行的に推進する大企業8社、業界団体・専門機関・民間研修企業の計6団体・企業、新聞記者6名、公益財団法人産業雇用安定センター、シンガポールの政府・関連機関(人材省、WSG、SSG)および在シンガポール日系企業2社、電機連合、シンガポールNTUC)と資料・文献分析を行った。厚生労働省の在籍型出向に関するヒアリング事例31件については、必要な発言・記述を確認できた27事例を統計分析の対象とした。また、電機連合の再構築調査等の関連資料を二次分析した。

主な事実発見

第2章は、キャリア自律を先行的に推進する大企業8社の事例分析から、DXの進展や人口減少、事業環境の不確実性を背景に、能力開発の責任を個人に委ねるのではなく、社員の希望・強みと会社が必要とする人材像を対話ですり合わせる「双方調整型能力開発」が重視されていることを明らかにした。その中核的な機会の一つが越境学習(自社グループ外での1か月以上の体験学習)であり、在籍型出向、ベンチャー企業への派遣、社会課題解決型プロジェクト、プロボノ型プログラム等の形で、意欲・適性を見極めた選抜型の実践的育成機会として導入されている。企業外での経験を成果につなげる鍵は、社員の主体性に加え、帰任後の活用まで含めた会社側の制度設計と継続的支援にある。

第3章は、電機・電子・情報通信産業経営者連盟、日本データ通信協会、建設業振興基金、ファッション産業人材育成機構、全国スーパーマーケット協会、ホスピタリティ&グローイング・ジャパンの6事例から、業界団体・専門機関等が企業外訓練を通じて果たす三つの機能を確認した。すなわち、①同業・関連業種の担当者が集まる横断的な学習機会による共通言語の形成、②資格・検定・登録制度を通じた知識・技能の可視化(評価・登用・処遇に用いうる共通の物差しの提供)、③入職前訓練やオンライン受検・オンデマンド研修等による人手不足現場での学習機会の確保である。企業外訓練の成否は、技能の標準化・可視化と、企業内の評価・処遇・登用との接続に左右される。また、法制度・安全基準・技術等の変化に応じて教材や講習を継続的に更新する機能も重要である。

第4章は、コロナ禍で産業雇用安定助成金の創設(2021年2月)を契機に急増した在籍型出向を、雇用維持策にとどまらない「企業外OJT」として捉え直した。厚生労働省の行ったヒアリング事例31件のうち分析可能な27事例を用いて二次分析すると、同じ業種・同じ仕事への出向より、異なる業種・異なる仕事への出向で新しい学びが多く語られた。また、業種の違いより、実際に担当する仕事の違いの方が学びに関係している可能性が示された。ただし、何を学び、帰任後どう生かすかは、出向先との違いだけでは決まらない。出向前の目標と帰任後の役割・配置が具体的な事例ほど、学びと活用も具体的だった。こうした出向には、送り出す企業と受け入れる企業をつなぐ調整が欠かせない。そこで、企業間の出向・移籍を仲介する産業雇用安定センターにもヒアリングした。全国約500人のコンサルタントが、企業訪問、両社の面談、職場見学を通じて、仕事の進め方や職場のルールなど各社で異なる「職場の当たり前」を事前に確かめ、双方が納得して出向できるよう支えていた。これは、とくに異業種間のミスマッチやトラブルを防ぐうえで重要である。また、出向元企業には、出向前の目的設定、出向中のフォロー、帰任後に経験を生かす仕事・役割の用意という「還流設計」が必要であることがわかった。

第5章は、新聞記者6名へのヒアリングから、記者クラブ、球場、競馬場、警察・司法の取材現場、地方支局等に形成される職業コミュニティが、若手記者の育成を補完していることを示した。原稿指導等の社内OJTが技能形成の基盤であり続ける一方、支局の少人数体制や単独担当により同行型指導が成立しにくい場面では、他社記者の仕事の観察、非公式な助言や原稿の下読み、会見・囲み取材での相互参照が、取材の作法や判断基準といった暗黙知を伝達する学習回路として機能している。この補完機能は中堅・年長者層の減少やリモート取材の定着により弱体化しうるため、取材作法のマニュアル化、新人向け共同研修、新聞協会等による広域的な育成機会の整備を通じて、偶発的な人的関係に依存してきた学習回路を継続的に利用可能な仕組みへ再編することが課題となる。

第6章は、シンガポールの継続教育・訓練制度を政府・関連機関と日系企業へのヒアリングにもとづき検討した。同国では、SkillsFutureの枠組みの下で25歳以上の市民に学習クレジットが付与され、企業には訓練費用と従業員を訓練に送り出す際の賃金負担(機会費用)への支援が用意されるとともに、一元的な情報・申請基盤により手続負担の軽減も図られている。国家資格制度WSQは職務に必要なスキルを段階的に可視化する共通の物差しを提供し、キャリア転換プログラム(CCP)は採用・職場実習・職務再設計への大きな賃金補助を通じて職種転換を実際の雇用・配置に結びつけている。在シンガポール日系企業の事例でも、スキルマトリックスと個人育成計画(IDP)により職務要件・能力ギャップ・学習機会・評価・登用を体系的に接続しており、第2章の「双方調整型能力開発」と共通する方向性が確認された。

第7章は、電機連合が2003年に開始した「電機産業職業アカデミー」を取り上げた。同事業は、キャリア相談、企業を越えた訓練機会、採用情報の提供、キャリア開発推進者の養成を通じて組合員のキャリア形成を産業全体で支えようとしたが、理念への高い支持と研修への高評価にもかかわらず、利用が十分に定着せず2012年にいったん終了した。電機連合の再構築調査から、①企業外研修を受ける動機・必要性の共有の難しさ、②費用・時間・開催地、③推進者の専門性、④制度の周知・利用への導線、⑤労働移動への慎重な受け止め、という五つの制約を整理した。NTUCとの対照から、差は支援機能の有無よりも、国家的なスキル制度と財源、専門的な実施機関、相談・訓練・就職支援・職場内調整を実際の利用につなぐ制度的導線の有無にあることを示した。AIが企業を越えた共通の訓練需要を生むなかで、産業別労働組合が企業横断的な訓練を供給し、企業別組合が学習成果を職務・配置・処遇へ接続する意義を論じている。

図表1 人材育成の社会的基盤を構成する6つの領域

本資料シリーズが取り上げた6つの領域を、企業内の人事管理から国家的な制度までの広がりとして整理したものである。各領域について、企業内育成を補完する企業外育成の実態を、ヒアリング調査にもとづき検討した。

政策的インプリケーション

第1章が統合的に示す政策的・実務的含意は、①企業内育成と企業横断育成の役割分担を明確化し、費用負担と便益還元のルールを併せて設計すること、②企業外での学習成果を評価・配置・処遇へ接続する「企業内への還流設計」を整えること、③中小企業の参加障壁を訓練費用、機会費用、運営支援、手続負担の四面から軽減すること、④業界団体・公的機関、企業、個人の三層をつなぐスキルの可視化を人事管理に接続すること、⑤職業コミュニティの学習機能を共同研修等により補強すること、の五点である。加えて第7章は、企業横断的な育成を実際の利用に結びつける媒介主体として労働組合の役割を示す。企業別組合には職場の訓練需要を把握し、受講時間・費用・配置・処遇等を労使協議で調整すること、産業別組合には共通の訓練需要を集約し、企業・業界団体・教育訓練機関・行政等と連携して、訓練、キャリア相談、就業支援への導線を整えることが期待される。これは企業の育成責任を代替するのではなく、労働者、企業、企業外の訓練制度を接続する役割である。

政策への貢献

人材開発政策の検討に資する基礎資料。

本文

分割版

研究の区分

プロジェクト研究「技術革新と人材開発に関する研究」
サブテーマ「技術革新と人材育成に関する研究」

研究期間

令和5~8年度

執筆担当者

杉村 めぐる
日本新聞労働組合連合
高橋 陽子
労働政策研究・研修機構
野村 かすみ
労働政策研究・研修機構
松原 光代
近畿大学 経営学部 キャリア・マネジメント学科

お問合せ先

内容について
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