「ビジネスと人権」 ―米、英、独、仏、国際機関(EU、ILO、OECD)の取り組みについて
【イギリス】予告された法改正は進まず

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イギリスでは、2015年現代奴隷法の施行以降、企業の透明性向上に向けた議論が進められ、奴隷労働等に関して企業に義務付けられたステートメントに関する規制強化の方針が示されていた。しかし、これを実現するものとして議会で予告されていた法案提出は、これまでのところ行われていない。

1.法改正をめぐる動向

(1)現代奴隷法の改正予告

政府は2022年5月、現代奴隷法の改正法案を提出するとの意向を示した。概要を示す資料(注1)によれば、法案の目的は、人身取引と奴隷労働の被害者の保護・支援策の強化、また企業等がサプライチェーンから奴隷労働を駆逐するためのアカウンタビリティの強化だ。企業等の透明性の向上により、取り組みを行っていない組織にプレッシャーをかけ、サプライチェーンに広がる強制労働の削減を図るとともに、強制労働の被害者に対する政府の責任、特に支援の提供に関して法律に盛り込むことで、被害者にとっての法的な確実性を高めたい、と政府は述べている。同時に、執行機関により強力な権限を与えることで、強制労働の発生の抑止や被害者の保護、加害者の処罰を行うとの方針が示されている。

このための制度改正として、法案に盛り込むことが予告されている内容は概ね以下の通りだ。

  • 企業に対するステートメント公表の要請強化
  • ステートメントへの記載項目(注2)の義務化(現在は推奨のみ)
  • 政府の設置する登録サイトへのステートメントの登録の義務化(現在は任意)
  • 公的機関へのステートメント公表義務の適用拡大
  • 違反者に対する民事制裁の導入
  • 奴隷労働・人身取引の予防に関する裁判所命令(注3)の実施強化

一連の内容は、2019年に実施したパブリックコンサルテーション(一般向け意見聴取)を受けて、政府が示していた制度改正の方針(注4)に沿ったもので、いずれも法改正を要するとの理由から実施が先送りされていた。しかし、目下のところ法案は提出されておらず、今後の方針も示されていないため、制度改正の実現の見通しは不透明だ。

一方で、7月下旬に成立した2023年不法移民法(注5)により、今後予定される制度改正で、一部の外国人には現代奴隷法の適用が除外される可能性がある。このところ増加が言われる、ドーバー海峡を舟で移動して入国を試みる外国人を念頭に置いた法改正で、対象者(注6)の国外退去の実施や、難民申請等(注7)の手続きの却下を国務大臣の義務として規定している。適用対象と判断された場合、「やむを得ない状況」(注8)にあると認められない限り、現代奴隷法による保護の対象から除外するとされている。同法を巡っては、人権に関する国際法に反しているとの指摘が法案の審議中からなされている(注9)ほか、国連の特別報告者等も連名で、法律の廃止を求める声明を発表している(注10)

(2)非財務情報の開示義務に関する動向

現代奴隷法によるステートメントの公表義務とは別に、2014年のEU指令(注11)を受けて、国内の従業員500人超規模の上場企業等に義務付けられている非財務及び持続可能性情報の開示においても、年次報告書(「戦略報告書」)に、環境(自社の事業の環境への影響を含む)、従業員に関する情報、社会に関する事項、人権の尊重、腐敗・贈収賄対策の各分野に関して、ポリシーや取り組みの成果など、以下の情報を盛り込まなければならないとされる(注12)

  • ビジネスモデルの概要
  • 各分野に関するポリシー(デューディリジェンスのプロセスを含む)
  • ポリシーの成果
  • 各分野に関する主要なリスク(場合によって、負の影響をもたらしがちな取引関係(製品供給・サービス)やこれに関する対応を含む)
  • 非財務の主要業績指標

関連して、現在、企業に課されている各種の非財務情報の報告義務を整理すべく、パブリックコンサルテーションが実施されている(注13)。政府は、EU離脱に伴ってこうした整理を実施する機会ができたとして、上述の現代奴隷法に基づくステートメントや、別途義務付けられている男女間賃金格差などの公表と併せて、見直しを行うとしている。

なお、人権等に関するデューディリジェンスについては、ステートメントや年次報告において記載項目として列挙されているが、実施自体は現在のところ任意であり、政府も当面、これを義務付ける考えはないと見られる(注14)。これに関して、小売業大手を含む企業や業界団体、投資機関、非営利組織等およそ50組織は、企業や投資機関に対するデューディリジェンスの義務化を求める声明を連名で公表している(注15)。国連のガイドライン(注16)に沿って法制化を行うことで、公正な競争に寄与し、企業に求められる基準に関する法的確実性を向上させ、責任を果たさない場合の結果を明確にするなど、影響力や効果のある行動へのインセンティブ向上につながるとするものだ。一部の企業は自主的な取り組みを進めているものの、全ての企業に適用される統一基準の不在が、そうした努力の妨げになりかねないとの懸念を示している。また、他国やEUなどで法制化の動きがあることを踏まえ、イギリスのこの分野における先導的な役割を維持することを政府に求めている(注17)。このほか、非営利の研究組織であるイギリス国際法・比較法研究所は、企業による人権侵害の規制手法として、防止措置の不備(fail to prevent)を理由とする罰則の適用を制度化することを提言している(注18)。同組織の調査では、回答企業の多くが法制度の確実性を求めており、追加の法規制の導入を支持しているという。

2.現状と取り組みの動向

(1)国内状況

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、奴隷労働や人身取引の被害者の可能性がある国内居住者に関する紹介数(referrals)(注19)は、2020年に制度開始後初めて前年を下回ったが、その後は再び増加が続いている(図表1)。被害者としての認定が確定した件数も、これにつれて急速な増加がみられるものの、紹介数との乖離は大きくは拡大傾向にあり、判断未確定の層が増加している可能性が推測される(注20)

図表1:被害者の可能性がある者の紹介件数の推移
画像:図表1

出所:Home Office 'Modern Slavery: National Referral Mechanism and Duty to Notify Statistics - UK, end of year 2022新しいウィンドウ'

なお、国内では昨年から、季節労働スキーム(Seasonal Worker Scheme)(注21)をめぐる搾取の横行が指摘されており(注22)、この2月には管理機関(政府の認可に基づき労働者の受け入れを担う組織)の一つが、不適切な制度運用を理由にライセンスを剥奪されるといった状況も生じている(注23)。同社が受け入れていた労働者は、現地の仲介業者による違法な料金徴収に加え、国内で十分な仕事を得られず、多額の借金を抱えていたという(注24)。管理機関の認可は環境・食料・農村地域省が、直接の受け入れ先としてのライセンスの発行は強制労働などの取り締まりを担うギャングマスター・労働搾取防止局(Gangmasters and Labour Abuse Authority)がそれぞれ行い、さらに受け入れの是非の判断は内務省によるが、いずれの機関も、現地組織による募集について定期的な把握をするものではなく、不正の取り締まりを行う権限も持たない(注25)

現地報道によれば、複数の食品小売事業者がこうした状況に対応する自主的な取り組みとして、管理機関の搾取への関与の有無の検証を試みているものの、送り出し側の募集に関する状況の把握が難しいこともあり、進捗は芳しくないとされる(注26)

さらに、同様の状況が介護業においても生じていることが、報道から明らかになっている(注27)。人手不足を背景に、2022年2月に受け入れ緩和策が講じられて以降、受入数が急速に増加したことが一因と考えられる。Gangmasters and Labour Abuse Authorityも、介護業を強制労働のリスクの高い分野と特定し、捜査を行っているとしている(注28)

(2)OECD多国籍企業行動指針の連絡窓口に対する申し立て

OECD多国籍企業行動指針の連絡窓口(UK NCP)は、行動指針の国内での普及促進と併せて、イギリス企業の指針に反する活動についての申し立てを受け付けており、ビジネス通商省の一部門がこれを担っている(注29)。ウェブサイトに掲載された2010~2023年の期間における申し立ては46件、うち39件について、受理・不受理を含む結論が示されている。労働関連の主な事例を以下に示す(図表2)。

図表2:OECD多国籍企業行動指針の連絡窓口への労働関連の申し立て事例
画像:図表2
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出所:UK NCPウェブサイト新しいウィンドウ

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