パネルディスカッション

パネリスト
滝原 啓允、森内 みね子、長井 友宏、井木 尚洋、鴨下 智法
コーディネーター
濱口 桂一郎
フォーラム名
第119回労働政策フォーラム「職場環境の改善─ハラスメント対策─」(2022年2月10日-17日)

濱口 それではパネルディスカッションをはじめます。ベルシステム24ホールディングスは、事例報告をした楠本さんに代わり井木さんが参加します。

ハラスメント対策に取り組むきっかけ

職種間のヒエラルキー構造がコミュニケーションを阻害

濱口 はじめに、ハラスメント対策への取り組みのきっかけを教えてください。

森内 医療現場は企業とは異なり、やや特殊な環境です。特に看護職への暴力、ハラスメントは大きな課題です。なぜこのようなことが起きているのか、少し説明します。

1つには、診療行為の指示関係を背景として、医師を頂点とする職種間のヒエラルキー構造が、対等なコミュニケーションを阻害している点があります。また、生命を左右する緊急性や切迫性の高い場面がよくあり、社会的に不適切な態度や発言が問題視されない風潮があるようにも思います。

さらに、生命の健康や生活の維持というサービスの性格上、サービスの受け手は提供者側に対して、過度な期待や厳しい見方をすることがあります。看護の現場では、身体的な接触を伴う看護実践の場面が多く、そのような環境のなかでは、性的な言動が提供される、あるいはしてもいいのだというような、サービスの受け手に都合のよい解釈をしてしまう傾向もあるように思います。看護職員は専門職として患者に対応している自負があり、患者さんの言動に受容的な態度で接することも多々あります。このような状況で、ハラスメントを無意識のうちに許容している環境もあるのかもしれません。

社員への意識調査の結果に経営陣が危機感を抱く

長井 当社は以前からハラスメント対策に取り組んでいましたが、現在のように取り組むことになったきっかけは、2018年に現在の社長が就任したことです。社長は日本法人の状況を把握するため、社員に意識調査を行いました。その調査で明らかになった課題の1つが、ハラスメントを受けたと感じている社員が一定数いることです。さらに、そのような懸念をオープンに話せないような職場の空気があるのでは、という問題点も浮かび上がりました。経営陣はこの調査結果に非常に強い危機感を抱き、それ以来、ハラスメントをなくす取り組みをそれまで以上に進めています。

内部通報制度とは別にハラスメントに特化した窓口を設置

井木 当社は2015年に東京証券取引所に上場した際に体制を再編して、2017年に内部通報制度に基づく通報窓口を法務部門に移管しました。あわせて内部通報制度の認知度向上や、コンプライアンスに関する多面的・重層的な啓蒙に取り組んだ結果、内部通報に関する問い合わせが増加しました。その内容は、人間関係に起因する職場環境に関することが多数を占めていました。内部通報制度は公益通報者保護法に基づく制度ですが、それだけでは機動的な観点での対応が難しいこともあり、それとは別にハラスメントに特化した窓口を設置しました。

もう1つの背景は、パワハラ防止法が国会で審議されはじめたことです。いずれ法制化されるのであれば、先んじて取り組みを進めようということになり、ハラスメントの相談窓口を整備して導入し、今日に至ります。

少年非行への「修復的司法」を大人のハラスメントに適用

鴨下 当会は、従来型司法とは対極に置く「修復的司法」という考え方を実践する活動を続けています。この活動は、諸外国でも少年非行の場面で適用されることが多いです。発達途上にあり教育が必要な少年に対して、大人としての裁判や刑罰を与えることが本当に最善なのだろうか、そのような疑問から「修復的司法」は研究が進んできました。その後、最近になり大人が対象のハラスメント事案にも広まってきたという経緯があります。

どういった職場環境を整えることが最善かは時と場に応じ常に変化する

濱口 滝原さんは、研究者としてどのような問題意識を持っていますか。

滝原 使用者(企業)と労働者とのあいだの労働契約では、職場環境配慮義務や安全配慮義務が、付随義務として存在しています。職場で、ハラスメントやいじめが発生すると、被害者とされる人にとって、その職場環境は快適なものでなくなります。どうしたら付随義務をきちんと履行したことになるのか、あるいはどういった職場環境を整えることが最善なのかは、時と場に応じ常に変化します。森内さんの事例報告のように、業種や職務内容によって異なってくるというのは端的な例と言えます。ハラスメントを取り巻く付随義務についてどのように考えるべきか、私は、研究者としてそういう問題意識を常日頃より持っております。

研究報告でお話ししたように、現在、日本ではハラスメントの4類型について措置義務を採らなければいけません。労働契約上、付随義務をいかにして果たすかという観点からも、措置義務の誠実な履行は、非常に重要なことだと認識しています。

一人ひとりの意識を高めるための取り組み

当たり前のことを意識づける

濱口 次の論点として、職員一人ひとりの意識を高めるためにどのような取り組みをしているかを教えてください。

森内 当会は暴力、ハラスメントへの予防・対策を推進しています。2018年に「看護職の健康と安全に配慮した労働安全衛生ガイドライン ヘルシーワークプレイス(健康で安全な職場)を目指して」を公表しました。ヘルシーワークプレイスを実現するためには、組織文化や風土の醸成が重要であることを強調しています。具体的には、人権を尊重することの重要性を認識して共通の目的を持つこと、組織の一員としての自覚を持つこと、そして周囲の人々と良好な人間関係の構築を図ることなどをあげています。

当たり前のことだと思われるかもしれませんが、先ほど紹介した背景をふまえると、これらを医療現場のなかで意識づけすることは重要です。ガイドラインでは業務上の危険要因を7つあげています。そのうちの1つ、「心理・社会的要因」のなかでハラスメントに言及し、どのような予防や対策が必要かを示しています。例えば、組織・施設等の管理者の意識改革をしっかり行うことや、相談しやすい体制づくりを確実につくること、院内の基本方針を誰が見ても分かるところに掲示するといったことも含めて取り組んでおり、かなり浸透してきていると認識しています。

「自分事」として捉える教育研修に注力

長井 当社は教育研修に力を入れています。単にハラスメントについて理解するだけではなく、いつでも自分の周りや自分自身に起こるかもしれない、自分自身も知らない間に加害者になるかもしれない「自分事」として捉えてもらえるようにしています。具体的には、教育研修する際にも、社内で起こり得るケースを想定して事例を紹介しています。

もう1つの大きな取り組みとして、自分自身がハラスメントを感じた、あるいは見聞きしたときにきちんと声を上げる大切さを社員に伝えています。当社ではこれを「スピーク・アップ」と呼んでいます。ハラスメントを未然に防ぐという観点では、やはり社内のカルチャーを変えることも重要です。差別がなく平等で、上下や男女に関係なく自由に自分の意見を言い合うことが許される職場づくりを進めています。

濱口 「スピーク・アップ」はあまり聞かない言葉ですが、外資系企業ならではと感じます。日本社会では、声を上げることがあまりいいことではないという雰囲気があるのかもしれません。

顧問弁護士と法務部の社員で寸劇

井木 当社の最もコアな取り組みとして、ハラスメントの規則をかなり細かく作成しています。具体的事例も示して、相当に平易な文章で作成しています。この規則をもとに毎年、啓蒙活動をしています。3万人近い職員がいますが、在籍期間や勤務形態が異なる様々な従業員が勤務しています。その点では帰属意識にばらつきがあります。また、いわゆる受託業務であるためクライアント企業に常駐するケースも多く、ベルシステム24という社名をあまり認識しないまま入社する人もいて、一元的な啓蒙は難しい状況です。

グラクソ・スミスクラインでは役員が寸劇を行ったとのことですが、当社では顧問弁護士と法務部門の社員で寸劇を行いました。有識者から「ここまでやるのか」と思われるくらいに、セクハラやパワハラの事例をわかりやすく紹介しています。また、幹部候補社員に対しては2年に1回程度、実際に自社で起きた事例を話すことで啓蒙しています。規則の導入時には部門長以上の全員を対象に、規則の趣旨を含めて細かく説明して理解を深めています。それでもまだ理解が深まっていない部分は、やりっ放しにするのではなくアップデートしながら対応しています。

ロールプレーは擬似的な体験として有効

濱口 寸劇の取り組みが紹介されましたが、これは有意義だと思います。ハラスメントがよくないと文章で説明されても、読み終わった後につい、自分がほとんど同じようなことをしている事例も結構あると思います。鴨下さんはいかがですか。

鴨下 当会では対話という手段を用いて活動しています。参加者は企業だけではありませんが、参加者にはロールプレーによって実感することを提唱しています。対話によって相互理解を深めることの本質は、異なる物の見方をする他の人やその考え方に向き合い、そこで気づきを得ることです。これは「アハ体験」という言い方もできます。そうした気づきを疑似的に得るために、ロールプレーや寸劇で、実際に異なる考え方を語られたときに自分の心にどのように響くかを疑似的に体験することは、とても有効です。当会としても、ロールプレーのよさを提唱しています。

滝原 ロールプレーの意義は、実際かなりあると思います。修復的正義(restorative justice)の考え方に基づくロールプレーは、イギリス連邦の国々でもハラスメント対策として用いられています。世界的にみても、ロールプレーは、代表的な啓発行動の1つとなっているようです。

ハラスメントが実際に発生したらどうするか

周囲を巻き込んだ対応が重要

濱口 ここまではハラスメントを未然に防ぐことについて、つまり予防について議論してきました。しかし人間が寄り集まってつくる組織では、不可避的にハラスメントは発生します。そのため、実際にハラスメントが発生した場合の対応も、もう1つの大きな柱となります。これについてお聞かせください。

健康で安全な職場を「みんなで」つくる

森内 先ほど紹介したガイドラインでは、ハラスメントへの対応は1人だけでするものではないことを強調しています。健康で安全な職場づくりには、個人と管理者と組織が関わることが重要です。さらに、これは意外かもしれませんが、医療現場の場合は地域も巻き込みます。これには患者さんも含まれます。その前提にあるのは、健康で安全な職場を「みんなで」つくっていくということです。

研修を開催すると、「これはハラスメントに該当するのか、それとも該当しないのか」といったことをよく質問されます。その場合、私たちから「これはハラスメントに該当しない、これは該当する」と伝えることもあります。しかし基本的には、みんなで組織の文化や風土をよりよいものにしていくことが重要です。その1つとしてコンフリクトマネジメントが重要ですし、互いを尊重したコミュニケーションをとれる環境が大事です。

人の命に直結している医療現場は緊張感の高い職場です。コロナ禍の対応でも、やはり心ない言葉を上司や周囲からかけられることもありました。国全体が危機的な状況のなかで、それぞれの専門職が使命を発揮していくための組織、環境をどのように構築していくのかという点で、基本的には、組織文化、風土の醸成をみんなでつくり上げていくことを大切にして、周知していきたいと考えています。

また医療現場では、医療メディエーターという病院と距離を置いた人たちがハラスメントへの対応をしています。医療メディエーターを配置する病院は増えています。

濱口 医療現場のカスタマーハラスメントというと、通常は患者さんからです。しかし今回のコロナ禍では、いわゆるエッセンシャルワークの従事者に対して、患者ではなく、その外側の地域社会や一般社会から心ない言葉が投げかけられることもありました。もともと病院や学校でのカスタマーの範囲は広いのですが、それがコロナ禍でさらに広まったように感じます。

一定期間を置いた後にハラスメント事例を全社で共有

長井 ハラスメントが発生したという申し出を社員から受けたときには、加害者と被害者からみて中立的、独立的な立場にいる人間が、中立的な立場で双方の意見を聞きます。この、事実として何があったかを明らかにしていくプロセスが大切です。このプロセスでは、具体的にいつ、どこで、どういう発言があったのか、どういう行為があったのかを明らかにしていきます。

その内容が会社のルールに抵触するようなハラスメントであれば、懲戒処分も検討します。その社員に対しては、二度とそういうことがないように指導を行いますが、それで終わりではありません。一定期間を置いた後に、こういう事例があったとして全社員に公開しています。そのときには加害者と被害者が特定されないように気をつけています。その点を十分に配慮したうえで、この出来事から何を学ぶべきかを含めて社員と共有し、学びの場とすることが大切だと思います。

「相談」デスクで情報を広く吸い上げる

井木 そもそも「ハラスメントかどうか分からない」という声も多くありますので、そのような声もなるべく多く聞くために、ハラスメント規則を策定した際にあわせて相談デスクもつくりました。気軽に相談できるように、名前も「相談」としました。

相談デスクは「ハラスメントをしたかもしれない」とか「ハラスメントを受けました」といったことを広く吸い上げる窓口です。ハラスメントかもしれない事案が発生した場合、現場で解決できるものは現場で解決してもらってよいと思います。ただ、まだ過渡期ですので、いったんは中央集権的に法務・コンプライアンス部門にハラスメント相談デスクを設けて、彼らが問題の論点整理をしたうえ、なるべく対面で話を聞き事実認定します。双方の言い分を聞き、事実関係を可視化して、事案に基づき場合によっては処分します。

同時に、いわゆる対症療法的には、例えばアンガーマネジメントを講ずるなどして職場環境の改善に努めます。重い事案については、原因を分析して再発防止策を講じます。具体的にはEQ研修、アンコンシャスバイアスの研修、コミュニケーション全般の研修をしています。こうした取り組みが功を奏して、結果的に労働生産性も上がってきているように思います。

わだかまりを避けるためには第三者による修復の取り組みを

鴨下 私は会社の中の立場ではなく、外の立場からお話しします。実際にハラスメントが発生した場合、当事者から少し離れた立場で修復に取り組むのがよいと思います。われわれがNPO法人として活動する理由も、まさにこの点にあります。直接の利害関係のある人が間に入ってしまって、疑問やわだかまりが残る事態は避けたほうがよいと思います。長井さんと楠本さんの報告のように、まずは人事部門などで活動を始めることが、まさに第三者性のある離れた立場の人を間に置くということになると思います。

紛争には「財産」としての側面もある

滝原 再発防止について、みなさんからお話がありましたが、ハラスメントへの対応の第1は、(再発を防ぐという意味合いでの)「予防」です。適切な事後対応の1つとして、当事者同士の関係を修復させていくプロセスももちろん重要ですが、同じような事案を再度発生させないことも大事です。

グラクソ・スミスクラインでは、ハラスメントの事案を、再発防止のために社内で共有しているとのことでした。これは非常に重要なことだと思います。Christieではありませんが、紛争には一種の「財産」としての側面があります。今後似たような事案が起こらないように、みなで事案を共有して職場内の風土や雰囲気を変革していくというプロセス(これは修復的正義の主眼の1つでもあります)が、実はハラスメント対策で最も重要ではないかと、私は研究者として考えています。

指導とハラスメントの線引き

人が不快になるコミュニケーションは改善を

濱口 最後の3つ目の論点は、業務上の指導とハラスメントの線引きです。この線引きは難しく、管理職の立場からすると、「このくらいの言い方は当たり前で、自分はもっとひどい言い方された」と思う人もいるでしょう。森内さん、医療の現場ではいかがですか。

森内 2020年6月にパワーハラスメントへの防止対策が事業主に義務づけられました(中小企業は2022年4月から)。それに基づき、医療現場でもハラスメント対策の取り組みが推進されていると期待しています。

基本的にはやはり、人が不快になるようなコミュニケーションは組織の中で改善していくことが重要です。そうした意味では、様々な定期的な研修を開催して、組織で学習できる環境が必要です。

判断の根底は「相手を尊重する」こと

長井 セクハラであれ、パワハラであれ、往々にして双方の意見が食い違うことが多いです。事実として何があったかを明らかにしたうえで、それが本当にハラスメントに該当するかを判断しますが、やはり非常に難しいです。当社には就業規則だけではなく、ハラスメントの防止ガイドラインもあり、そこでハラスメントを定義しています。そのガイドラインの定義と照らし合わせながら、慎重に判断しています。

その判断の根底にあるのは、当初の行動指針の1つである「相手を尊重する」ことです。その言動がどのような場面で、どのような背景で、どのような会話の流れのなかで起こったかをしっかりと見定めたうえで、その言動や発言が相手を尊重する姿勢に欠けていなかったかどうかが、判断のポイントとなります。

反倫理的行為かどうかをその時々で判断

井木 当社もほぼ同じ考えです。当社のハラスメント規則では、ハラスメントに該当するかどうかを細かく明文化しています。このガイドラインが従業員にとっての線引きですので、「この範囲内で指導をしてください」と導入時に啓蒙しましたし、その後も毎年啓蒙を続けています。

しかし、どうしてもその網から漏れることもあります。その場合、法的な側面に加えて、反倫理的行為かどうかについても判断します。反倫理的行為というのは、昨日はセーフでも今日はアウトということもあります。反倫理的行為となればコンプライアンス事案として、場合によっては規則を改定するといったかたちで適切に対応する仕組みを運用しています。

事例を集積して少しずつ線引きを固めていく

濱口 長井さん、井木さんのお話は、視聴している企業の人にも大変示唆に富むお話だと思います。鴨下さん、何かコメントはありますか。

鴨下 法律の世界では、2013年のいじめ防止対策推進法から一貫して、ハラスメントは受け手の側に立って判断するということで通しています。理由はいろいろありますが、大きな理由は、自ら命を絶つような最悪の事態を防ぐという点です。問題があるかどうかを決め打つ前にとにかく拾い上げて、対処するかどうかはその後に考えるという、その拾い上げの機能を確保する点にあると思います。

そうした意味では、このフォーラムで紹介された企業事例は、まさに拾い上げを重視したもので、事例を集積してそれをルールブックに反映させるとことにつながっていると思います。

個人的な意見ですが、営利法人は収益を確保するために人材を訓練します。訓練することと、受け手がそれをハラスメントと感じ得るということは重なり合う部分もあり、グラデーションの問題とも思います。本日の各企業の発表のように、事例を集積して少しずつ線引きを固めていくという対応になると思います。

イギリスにおける議論からの示唆

濱口 滝原さん、何かコメントはありますか。

滝原 何がハラスメントで何が指導かは、言ってしまえば叱り方の問題ですが、これはなかなか難しい問題です。そもそも受け手の問題として、被害者基準を取るのか、それとも平均的な人間の基準を取るのかという課題もあります。厚生労働省のガイドラインには、ハラスメントに該当すると解される例、該当しないと解される例を具体的に列挙しており参考になります。

根本的な問題は、何がハラスメントなのかということですが、示唆的な話を1つ紹介しましょう。イギリスにProtection from Harassment Act 1997(1997年ハラスメントからの保護法)という法律があります。この法律はハラスメントの概念をあえて明確に定義していません。これは、日本の法的な文脈からいうと明確性に欠ける法律といえますから、おかしいと感じる人も多いかもしれません。では、この法律はなぜハラスメントを定義していないのでしょうか。

立法時のイギリス議会の議事録を参照すると、広範な行為を定義づけることはできないということや、どのような行為であってもハラスメントになり得る可能性があるとのこと、あるいは、そもそも禁止行為をリスト化したとしても、リストに存在しないハラスメントが生じた場合、これに対処し得ないといった議論が存在していたことがわかります。

そうした意味では、ベルシステム24ホールディングスの事例のように日々のアップデートが必要ですし、時間と場所でハラスメントの内容は変容することもあります。ハラスメントを積極的に定義することによって物事を解決するというよりは、むしろ、そのガチガチの定義が必ずしも正しくないかもしれないということが、イギリスの議論を通じて明らかになることかと思います。

カスタマーハラスメントへの対応

コロナ禍の医療現場では心ない嫌がらせも

濱口 この3つ目の論点、つまりハラスメントの線引きについては、カスタマーハラスメントも問題となります。その観点からすると、医療現場は広い意味でのカスタマーハラスメントが多いかと思います。この点、森内さんいかがですか。

森内 コロナ禍で心ないことを言われるといった嫌がらせが生じていることは、大変残念です。医療現場では、特にこのカスタマーハラスメントについても深刻に受け止めて意識を高く持って取り組んでいきたいです。

カスハラは非常に難しい問題だからこそ、企業の覚悟が問われる

長井 当社でもやはりカスタマーハラスメントの事例はあります。非常に難しい問題ですが、こういう場面こそ、企業の覚悟が問われると思います。会社がひるむと、社員のエンゲージメントは離れていきます。大切なカスタマーであればあるほど問題解決は非常に難しくなりますが、そのような場面でも、企業が覚悟を持って社員を守るために正しい行動を行うことが求められると思います。

鴨下 職場でのハラスメント対応は、ある程度継続的な人間関係を前提としています。他方でお客様や患者さんへの対応は、どうせ一期一会だと思って、なかなか取り組みがしづらいところでもあるかもしれません。みなさんが発表されたように、コーポレートアイデンティティーを守るためにルールを決めてしっかり取り組むことは、とても尊い活動と感じました。

滝原 カスタマーハラスメントはいわゆる第三者からのハラスメントですが、これは使用者がどこまで労働者を守ることができるかという問題とも重なります。JILPTでは現在、諸外国におけるハラスメント法制についての研究を進めており、近く報告書が出る予定です(労働政策研究報告書No.216として2022年3月31日に刊行)。カスタマーハラスメントを含む第三者からのハラスメントに、法制度でどこまで使用者が対応しているかは、国によってまちまちの状況です。これに関しては議論が始まったばかりですので、今後の議論の行方を注視したいところです。

濱口 最後に、それぞれから一言ずついただいて終わりたいと思います。

看護職員が健康で安全に働き続けられる取り組みを推進したい

森内 生産年齢人口が減少しているなか、看護職員においても若年層の大幅な増加は見込めない状況です。看護職員が、健康で安全に専門職の役割を発揮しながら働き続けることができる取り組みを推進していきたいです。そのような観点から、やはり暴力やハラスメントに対しても対策を講じながら、周知啓発に取り組んでまいります。

社員が高い意識を持つために継続した取り組みが大切

長井 ハラスメントについて加害者に聞くと、往々にして「自分は意識していなかった」と、無意識に行われていることがほとんどです。企業のハラスメント対策では、常に社員がハラスメントに対して高い意識を持ち続けるように、何度も、手を替え品を替え、対策・防止に向けて取り組みを続けることが大切です。他社の事例を参考にしながら、まだまだ出来ることが沢山あると考えています。今後も手を緩めることなく取り組みたいです。

井木 私もアウトプットばかりではなくて、今日の機会をインプットにして、さらなるブラッシュアップをしていきたいです。

ロールプレーが気づきを与える

鴨下 日々ハラスメントと向き合っている人事や専門職の方に、2つのことを伝えます。1点目は、ファシリテーションは誰でもできるということ。2点目は、ロールプレイングが結構役に立つということです。

われわれの活動では、ファシリテーションをする立場の人間を進行役と呼んでいます。この進行役には何か特別なスキルが必要かといえば、そうではありません。修復的司法はもともと、地域に土着する民族が、自分たちの地域に起きたトラブルを自分たちで解決するための手法だったと考えられています。

例えば時代劇で、長屋の中でトラブルが起きたとき、お白洲まで問題を持ち込まずに、長屋の御隠居さんや大家さん、そして周りの人が一緒になって問題を解決する場面があります。これが修復的司法の原形だと考えています。長屋の問題を修復することに特別な知識は要りません。そうした意味では、当会の活動における進行役となるには、傾聴といった最低限のコミュニケーションスキルのほかには特別な技術は必要ありません。

2点目ですが、進行役を経験することや、当事者に気づきを与えるための訓練としてのロールプレーは、大変役に立ちます。実際にロールプレーの当事者役として参加した社員の方々も、参加したことによって自分の心の中で気づくものが多くあります。われわれの活動を見ていただくか、あるいは社内でもいろいろな手法を工夫するなどして、ロールプレーを使用して日々の問題に向き合っていただきたいです。

ハラスメントを契機に組織の構造的な問題が明らかになることも

滝原 ハラスメントの加害者は、加害者であるとともに、被害者としての側面を持っている場合もあります。例えば、西谷敏先生も指摘されるところですが、経営層に追い詰められた中間管理職の人が、ノルマを達成するために部下を叱咤激励することは、十分起こり得ます。実際にハラスメント加害を行った人が、実は経営層からの被害者に当たる可能性があるわけです。

つまり、ある1つのハラスメントを契機として、構造的、組織的な問題が明らかになる可能性もあります。ハラスメントの一つひとつを掘り下げることで、組織全体の問題への対応や、経営トップの意識改革も必要となるかもしれません。そうしたことも考慮されてしかるべきです。鴨下さんが紹介した修復的正義の考え方で様々な人からいろいろな意見を聞き、加害者からの意見も引き出し、修復的正義の論者のArrigoが指摘するように構造的な変革を目指すことは、1つの取り組みとしてあり得ると思います。

プロフィール

井木 尚洋(いぎ・なおひろ)

株式会社ベルシステム24ホールディングス 法務・コンプライアンス部 部長

1993年株式会社ソニーファイナンスインターナショナル入社。法人営業やコンシューマー営業、本社審査部を経て法務コンプライアンス部で主に契約マネジメントやコンプライアンス体制構築業務に従事し、非接触IC技術による決済システム構築等を実現。2010年に株式会社ベルシステム24に入社。法務・コンプライアンス部長や購買管理部長、上場プロジェクトリーダーを経て現職。情報セキュリティを含むコンプライアンス全般、リスクマネジメント、内部統制を主に管掌している。

濱口 桂一郎(はまぐち・けいいちろう)

労働政策研究・研修機構 研究所長

1983年労働省入省。労政行政、労働基準行政、職業安定行政等に携わる。欧州連合日本政府代表部一等書記官、衆議院次席調査員、東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授等を経て、2008年8月労働政策研究・研修機構労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員、2017年4月から現職。著書に『新しい労働社会』(岩波新書, 2009年)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫, 2011年)、『若者と労働』(中公新書ラクレ, 2013年)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書, 2014年)、『日本の労働法政策』(労働政策研究・研修機構, 2018年)、『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書, 2021年)などがある。