ACTU、MUA、インドネシアとの貿易拒否

※この記事は、旧・日本労働研究機構(JIL)が作成したものです。

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  • 国別労働トピック:1999年12月

東ティモールの一連の問題に関して、1999年9月から10月にかけて、オーストラリアの労組側がインドネシアからの輸入品の受入と輸出品の発送をボイコットするという動きがみられた。

1999年9月10日から、約1週間オーストラリア海洋組合(MUA)の組合員は、インドネシア向けの小麦の輸送と、シドニー発のインドネシア国営ガルーダ航空の利用者を足どめし、東ティモールの惨事に対して反対の意を表した。

オーストラリア労働組合評議会(ACTU)も、同時期に東ティモールに対するインドネシア政府の政策に対して抗議を表明し、インドネシア産の原油の精製、インドネシア大使館への郵便と電話サービス、オーストラリアとインドネシア間のガルーダ航空の飛行などを禁止したと伝えた。特に航空関係は、シドニーからバリへの観光利用者が多く、1999年8月のオーストラリア人観光客が約29万人であったのに対して、9月では23万人と20%も落ち込み、バリの観光業にも少なからぬ影響を与えている。

インドネシアは1997~1998年において240万トンもの小麦をオーストラリアから輸入しており、オーストラリアにとってインドネシアは最大の市場である。このボイコットでオーストラリア側では5000万から8000万オーストラリアドル相当のコンテナが、また4万トンの小麦が発送を待っている状態であると、ロイターは伝えている。

このような動きもあいまって、ジャカルタでは反オーストラリアのムードが高まり、学生がオーストラリアの国旗を焼き捨てるという事件も起こった。

また、インドネシア商工会議所公認のインドネシア輸入協会(GINSI)では、1999年9月4日未明、もしオーストラリアが東ティモールの問題に関して内政干渉するならば、オーストラリアからの輸入品をボイコットするとのコメントを発表した。

インドネシアとオーストラリアは貿易の面での結びつきが非常に深く、オーストラリアは織維、乳製品等を輸出し、インドネシア紙は、家具等をお互いに輸出している。2国間の貿易収支は、1998年にインドネシアが輸入額を減少させたためにインドネシア側が10億4100万オーストラリアドルの輸出超過となっているのを除いては、オーストラリアが輸出超過になっている状態である。経済的な面からも、また国の交流の面からも、貿易がストップする事は両国にとって好ましい事ではないと分析する研究者もいる。

このようなオーストラリアの労組の動きに続くかのように、カナダ労働会議(Canadian Labor Congress)は1999年9月14日、58名の組合員を集め、対インドネシアの貿易をボイコットし、東ティモール問題に関して抗議した。ケン・ジョルゲッティ組合長は、組合員にインドネシア製品の不買運動と、インドネシアにある約100のカナダ企業に投資の自粛を呼びかけたということだ。

その後、MUAとACTUのボイコットは終了し、コンテナの輸送や郵便配達等は再開された。

しかしインドネシア側はそれに反撃すべく、1999年10月上旬より、まず砂糖の精製工場がオーストラリア産の甘薯(砂糖の原料)輸入を停止した。インドネシアは甘薯を1~10月までに32万トン、合計5600万米ドルをオーストラリアから輸入しており、明らかな反オーストラリアの動きと、関係者らは見ている。国営企業組合労働力局のアグロインダストリー担当サハト・M・シナガ氏は、オーストラリア以外にも甘薯の輸入取り引きをしているタイ、ブラジル、中国、パキスタンなどから不足分を輸入する予定であると述べた。

ラハディ・ラメラン貿易産業相も、一連のオーストラリアの動きから、インドネシア政府もオーストラリアから輸入しているものを代替したいと考えている企業に対して支援すると発表している。

鉱業分野では、国内の反オーストラリアムードから、インドネシア人の従業員を昇進させて、オーストラリア人の幹部と交替するという動きもみられている。

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