開催報告(ブラジル/赤木):第1回海外委託調査員連絡会議・国別報告会
雇用流動化時代における労使の課題
(2003年11月19日)

報告者

赤木 数成 (Kazunari Akaki) / ソール・ナッセンテ経済研究所 所長 (President Sol Nascente INF. Economicas)

報告内容

ブラジルの労働市場の現状と労使が抱える問題

1.現状

ブラジルの労働市場が現在かかえる最大の課題は、経済活動の冷え込みと、失業増加、就労者の実質収入の低下が長期間に渡って続いていることである。2003年に入ってこの傾向はさらに顕著となっているが、その最大の原因は2002年10月の大統領選挙にある。現大統領のルイス・イナシオ・ルラ氏の当選が確実視されるようになるに従い、2002年後半からブラジルに対する国際融資は停止され、企業の投資計画も見直される事態となり、国際資金借り入れに依存度が強いブラジルは、国際社会から、非常にリスクの高い国として警戒されるようになった。国際金融界が警戒すると、ブラジルはドル相場上昇、即時インフレ上昇、企業の生産投資縮小が起こる構造を持っている。

この混乱の原因は、2003年1月1日に就任した労働党のルーラ大統領が、これまでに取ってきた言動に起因している。1964~1985年の軍政時代から、1990年代のネオリベラル派の政権になっても、ルーラ氏は一環して過激的左派のリーダーとして、保守派や、多国籍企業を怖れさせる言動を取ってきた。ソ連の共産主義が崩壊しても、キューバのカストロ首相を崇拝して、その政策を賞賛してきた。ルーラ氏の考えでは、外債は、国民を犠牲にして払う必要は無い。階級闘争には武力闘争も辞さない。外資系企業の利益送金には制限を設けるべきであると言ったような発言や、全国で発生している無産階級グループによる農村地帯の農地不法占拠、都市の不動産不法占拠などには、いつも応援に駆けつけて、指導を与えるような行動を取ってきた人物であるために、英米政府や外資系企業、国内の企業家は、ルーラ氏が率いる労働党政権の誕生に憂慮を持って見守ったものである。

労働党政権は就任後に、国際社会の信用回復と、政府財政再建に取り組む姿勢を強調し、過去の過激な言動を差し控えているために、警戒感は薄れているが、2002年に起こった労働党政権誕生可能性恐怖症ともいうべき症候群の後遺症は大きく、2003年のインフレは2桁水準へ上昇し、2003年のGDPは05~0,7%の水準へ低下すると予想される事態となっている。

2.激しい失業率増加と、就労者の実質収入低下

すでに長期間に渡って、大量失業時代と言われていた後に、労働党政権誕生騒ぎが起こって、労働市場は2002年後半からさらに悪化した。公式失業率は2002年12月の10.3%が2003年8月は13%、9月は12.9%となって、2003年は労働市場にとって最悪の年となっており、2004年に入っても、上半期中の回復期待は持てないと言われている。失業率が増加すると、次ぎの3つの面から就労者の収入は低下する。

  1. 労働力のローテイション。勤続年限が長くなり、給料水準が高くなると、解雇して安い給料の労働力と入れ替える。
  2. 慢性化した就職難のために企業側の、採用要求は厳しくなり、新規採用の給料水準が下がる。
  3. インフレ上昇に応じた給料調整が行われず、給料の金額上の数字は維持されても、給料の実質価値は下がる。

こうして、2003年に入って、インフレ加速とともに、就労者の実質収入低下が加速し、国内の消費市場の冷え込みを一層悪化させた。これがまた生産活動低下、労働力解雇増加を促すと言う悪循環を起こしている。次ぎの表は、2003年の公式失業率と、前年同期比にした就労人口増加、前年同月比にした就労者の平均実質収入の低下を表わす。就労人口は増加しながら、給料水準が低下しているために、失業率、実質収入ともに当分好転は出来ない状態となっている。

  3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月
失業率 12.1 12.4 12.8 13.0 12.8 13.0 12.9
就労人口増加率 6.0 5.4 5.5 5.0 4.3 3.5 4.3
就労者平均収入 -7.2 -7.7 -14.7 -13.4 -16.4 -13.8 -14.6

出所:ブラジル地理統計資料院(IBGE)

なお、就労者の実質収入は、1999年にも6%、2000年は1%、2001年は3.9%と、それぞれ低下している。

失業率増加と実質収入低下に追われた労働者クラスは、求人と給料水準を示す広告がでると、前日から応募申し込みの行列を作っており、その行列の長さが、新聞タネとして報道される。日本のように定職に付かず、フリーターとして、かなりの収入が得られる国のニュースなどは、夢の国の物語として受け取られており、これが、日本での就労を希望する人口増加に拍車をかけている。

3.労働力ローテイションと下請け化

正式の雇用契約を結ぶと、労使ともに政府へ納入する分担金が大きいために、就労者の50%以上が、非合法就労市場で働いており、政府の税収、分担金徴収は減少する一方である。行政府の監督を受けやすく、非合法雇用が困難な大手や外資系企業では、経費を節約する代替手段として、労働力のローテイションと、下請け化を採用している。

元々労働力のローテイションには労使共に,余り抵抗はなく、終身雇用習慣が長く続いた日本の企業経営に携わった人が、ブラジルで経営を担当したような場合に当惑することがある。企業は、シーズンに従って生産が増減する場合、それに応じて人員の採用と解雇を行っており、労働者側も、企業に働いていながら、職業紹介所に就職斡旋を申し込んでいて、給料や条件の良い職場が見つかると、即時転職する。労使関係が、従業員の家族まで、結びついたような、日本の企業と、従業員との関係は存在しない。ただ、現在のように、就職が困難な時代には、求人側が有利であるために、労働者側からの自主転職は抑圧されており、1度就職すると、解雇されないよう努力しているが、求人が多くなると、また、労働者側による自主ローテイションが始まる。

経費節減のもう1つの手段となっている下請け化は、企業内の食堂や清掃、輸送などの部門に従事している従業員を、名目上解雇して、別会社に下請けさせる形式にするもので、実際はそのまま就労を続行する方法が流行している。身分上,下請け会社の従業員に変る労働者は、全般に正式雇用契約はなされない。中小・零細企業になると、労働省の監督はほぼ不可能であるから、下請け化が進むに連れて、政府の税収は減少し、下請け会社の就労者の実質収入は次第に減少する傾向にある。

4.国際競争力強化の必要性

1億7,500万人の人口を有するために、多国籍企業に取っては有望な市場と見られて、世界中の多国籍企業が進出しており、ブラジルを近隣諸国への輸出拠点と考える企業も増加している。また国際市場グローバル化の流れに従い、国際競争力の強化が差し迫った問題となってきた。貿易閉鎖政策を採用していた1970年代までと異なり、市場開放が進んだ現在では、農畜産物を除外すれば、国際的規模から見て、スケール生産、技術水準、マーケッチング経験など全ての面に乏しいブラジルは、国際競争力を付けるために、外資の進出や投資に依存する面が非常に大きい。しかし,中国を始めとする中進国のうちで、ブラジルより投資魅力を有する国が出現しているために、外資はブラジルにあまり関心を持たなくなり、労働党政権の実績を見極めてから考慮ようと、2003年はまだ待機姿勢を取っている。従って企が安心感を持つまでは、本格的投資は始まらない。

また電力、通信、運輸部門などの民営化に伴い、90年代後半からドルによる大型投資を行った外資系企業は、市場後退と、国内通貨の下落による財政的損失と、外国から導入した技術を行使するに当たって、国内に訓練された技術者が不足すると言う問題に直面し、生産性向上に支障をきたしている苦い経験を持っている。この問題は経済活動全般に言えることである。先進国に比べると、人件費自体は安くなるが、労働力の技術水準の関係から、生産性、品質に問題が生じて,結局はコスト高となり、国際市場では農畜産部門をのぞけば、競争力を失うと言う点が指摘されている。

5.国内の労働力の質

あらゆる業種において、短期間のうちに、ある職種が消滅し、新たな職種が生まれる激しい変転の時代に入って、雇用側が、あるいはその職種が要求する訓練された労働力を確保することは、ブラジルの場合、容易ではない。それは現代の雇用が求める労働力を、教育する態勢が整っていないことが最大の原因である。労働力の技能訓練は、基礎教育を完了してから、その上に構築されるべきものであるが、義務教育年齢の学童の通学率を90%以上に引上げたのは、やっと1990年代後半に入ってからであり、従って現在労働人口となっている世代では、2002年になっても、初等科8年までの学歴の労働者が45.8%を占めて、高度の理解、応用力を要求される現代の職場に適応できない労働力が多く、生産性向上の障害となっている。

下の表は1990~2002年の就労者の学歴別割合を示す。

  文盲(%) 初等科1~3年(%) 初等科4~7年(%) 初等科卒(%) 中等科中退(%) 中等科卒 (%) 大学中退(%) 大学卒(%)
1990 6.8 11.6 34.8 12.0 5.0 15.5 3.7 10.2
92 6.2 10.9 34.1 12.1 5.2 16.8 3.7 10.7
94 5.7 10.5 33.4 12.4 5.4 17.7 3.9 10.8
96 4.8 9.4 32.3 12.8 5.7 19.2 4.0 11.6
98 4.1 8.3 29.8 12.6 6.5 21.5 4.6 12.3
2000 3.3 7.1 27.4 12.3 6.9 24.3 5.1 13.1
02 2.7 6.4 24.7 12.0 6.6 27.3 5.1 13.7

出所:ブラジル地理統計資料院(IBGE)

ルイス・イナシオ・ルーラ大統領は、2006年までにブラジルから文盲を根絶するために、この期間に2.000万人の文盲を教育する計画を2003年9月に発足させた。公式指数では文盲率は年々下がって、2003年に1.500万人の文盲となっているが、クリストバン・ブアルケ教育相は、「自分も文盲2.000万人と言うデータの方を選ぶ。文盲が1.500万人しか居ないなら祝杯を挙げていい」と発表した。この意味は、簡単な文字を読む事は出来ても、書いたり、文章を理解することは出来ず、社会実用的には、文盲に等しい人口が非常に多いことを表わしている。

民間の世論調査会社IBOPE社が都市圏で行った調査によると、都市圏でも8%は完全に文盲である。15~64歳層のうち、25%のみが書いてある事を理解でき、間違いない文章を書けるだけで、残りの37%は提示された短い文章を読んで、伝えたい情報の語句がどこにあるかを指摘出来る程度、30%は文章の1区切りの文章に、含まれる簡単な情報が、どこに書かれてあるかを指摘出来るだけで、情報を確実に把握して理解するという現代社会が要求する教育水準を持たず、実務的には文盲と判断している。

6.外国人労働力導入に対する制約

特に外資系企業では、本社からブラジル支社への技術移転に伴い、技術者を派遣して現地技術者の指導や訓練を行ったり、会社役員を定期的に交代させる必要があるが、労働省からその正式認可を得る事が非常に困難となっている。ブラジル政府の考え方は、ブラジルに存在しない技術の導入は別にして、一般の技術水準は国際レベルに達しているために、国内で十分に技術者を調達でき、国内以上の給与水準で、外国から技術者を呼ぶ必要は無い。また会社役員も、ブラジルの法令に従ってブラジルに企業を設立した以上、役員はブラジル人を登用すべきであると、主張している。

しかし外資系企業は、先進国の技術を導入した場合、それを活用できる技術水準を持った技術者は、ブラジルで確保が困難であるとの見方を変えておらず、双方の主張はかみ合わない。外資系の派遣社員は本社の給与水準を基本にして給与を受け取るために、ブラジルの水準と比較すれば、高い水準となる。国内では、技術者にまで広がった高い失業率を抱えていながら、外国から高給取りの技術者が、入国して来ることに対して、技術者組合あたりから不満の声が出ているために、政府としては、ナシオナリズム的方針を取らざるを得なくなっている。

外資系企業が組織している各国の商工会議所では、労働省の外国人就労認可担当部門の責任者を呼んで、頻繁に説明会を催しているが、担当者たちは、ブラジルが必要としている外国人技術者の就労には、何ら制約は設けていないと、公式発表を繰り返すのみである。労働省のHPには、外国人の就労と言う見出しの項目が設けられていて、この問題に対する指導を行っているが、その文面を見ただけでは、技術者の就労ビザ、あるいは企業役員の交代許可が困難であることは推察できない。

このために、一部企業は観光ビザで入国して、就労ビザに切り替える方法を取っていたが、これも切り換え件数が多すぎると言う理由により,制約が課されている。個人による一般就労ビザ取得はほぼ不可能になっている。

雇用流動化への対応

1.需要の変化への対応困難

2000年代に入って、通信、電力、石油産業などの事業を民営化したあと、これらの分野の公社を買収して経営に乗り出した民間企業は、近代化推進に必要な技術者確保に苦労した。電力、通信、石油産業など全て公社独占時代を、長期間続けてきたブラジルには、これら部門に向けた技術者を養成する教育がほとんど存在しなかった結果である。このため民間企業は、それまで唯一技術者を抱えていた政府機関から引き抜いて充当した。それまで公社支配分野のために、求人が少なかったこれら部門の学科が、民営化後は注目されるようになり、各大学は学部を多様化して、教育を開始している状態である。

従って近年のように急速に出現する高度な教育、訓練された労働力の需要に対応出来る養成構造はまだ不足しており、需要に対応出来る労働力の層は非常に薄い。2002年でも、就労者全体に占める大学卒の割合が13.7%程度と言う割合を見ても、高度の技術を要する職種の場合に、労働力の確保が困難ということが理解できる。国内では、初等科8年中退までの学力の労働者に、実用的文盲が非常に多いことが指摘されている。文字は読めても、職場で使うマニュアルは理解出来ない。簡単な文章の一区切りに何が書いてあるか程度は理解できるが、長い文章は理解出来ないといった学歴を、実用的文盲と呼んでおり、これらのクラスに所属する労働力の職場は、次第に狭くなってきた。

学歴の低い労働力は平均して収入も低く、再教育するにも、公的財政支援が無ければ実施困難であり、すでに就労している労働力の学歴向上は、非常に解決困難な課題となっている。

2.企業内訓練

企業は近代化投資を行なった場合、それに見合う技能を持った労働力確保が困難であるために、投資と同時に労働力養成を余儀なくされる。養成方法は、本社技師が社内で指導したり、技能養成学校の教師を招いて、社内講座を開設したり、本社へ訓練のために派遣したり、様々な手段が取られている。

ただ,従業員に対する技能養成講座を実施したり、研修に出した場合、訓練を終了したあと、習得した技術に相当するベースアップを行なはないと、労働者はその技術を持って、他社に売り込みを行うことがある。企業が自社の売上げの変動に従って、従業員を解雇したり、採用したりすると同様に、労働者側も、企業が労働者に投資して、自分の技術を向上させてくれたと受け取ることは珍しく、自身の利害のみが去就の判断基準になる。

労働法改正

1.労働法の現状

ブラジルの総合労働法は、1943年に制定されたものを、時代の変遷に合わせて部分的改正のみを行い、施行細則や省令で補っているために、非常に複雑になっており、また、現代の労働市場には不合理な部分が多いと指摘されてきた。労働党政府自身が現代には会わないとして、改正の必要を発表している。労働者を保護する目的のもとに制定された条項によって、正式に労働者を採用すると、給料以外に企業の分担金支払いが加算される。その負担金がどのくらいになるかについて、エコノミストの間ではよく計算が行われる。働かない土日、休祭日も負担金として加算した場合、企業が支払う経費は給料として契約した場合の2倍の支出になると言う計算が一般的になっている。

また労働者は正式雇用契約を結ぶと、社会保障分担金として、給料水準に応じて、8~11.5%を給料から自動的に差し引かれる。この負担を避けようと、企業、労働者ともに、正式契約をしないで就労するケースが増加して、2003年は非公式就労が、就労者全体の55%に達したと、中央労組CUTのアントニオ・スピス(Antonio Spis)全国広報局長は発表している。非合法就労は使用者側に処罰を加える制度が存在するが、取り締まりが徹底できないために、非合法就労は増加するばかりである。この結果、社会保障制度の収入は減少し、支出を賄うことは出来ず、毎年赤字を増大させて、国家財政の破綻状態をさらに悪化されている。

2.改正の試み

労働法の改正は、苦労ばかり多くて、政治的に報われるものは無いとみて、歴代政権、政党ともに改革を避けてきたものである。特に労働党と労組は、労働法の改正試みを、労働者が獲得した権利を奪うための工作であると非難して、改革に反対してきた。その労働党が政権を取ってからは、労働法は組合法と並んで、時代錯誤の旧法令であると評価し、改正の必要を主張している。しかし、労働党政府が、改革の必要を発表すると同時に、労働者は、既得権は絶対に譲らず、さらに権利を拡大する方への改革を主張し、一方の企業は、労働契約に伴う負担や義務の軽減を要求して、労使の利害が衝突し、また政府は税収や分担金の減収につながるような、労使の負担金軽減には、同意する考えを示しておらず、労働法の改革には、前途多難が予想される。

また労働省の発表では、常に公式雇用は増加して、社会分担金納入者は増加しているようになっているが、前記中央労組CUTのアントニオ・スピス全国広報局長は、公式データを分析して、正式雇用は就労者全体の45%に低下していると発表した。雇用関係は正式登録を法規で定めていながら、これを監督する機構も人員も不足している事を理由に、法令に違反している企業の取り締まりはほとんど行われていないのが現状である。