研究報告2 ICTの発展と労働時間法制の課題──働き方の多様化とつながらない権利の意義
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- 細川 良
- 青山学院大学 法学部長・法学研究科長/法学部 教授
- フォーラム名
- 第134回労働政策フォーラム「ICTの発展と労働時間政策の課題─『つながらない権利』を手がかりに─」(2024年8月30日-9月5日)
- ※所属・肩書きは開催当時のもの
- ビジネス・レーバー・トレンド 2024年12月号より転載(2024年11月25日 掲載)
1.これまでの労働時間法政策の展開と課題
(1)労働時間政策の展開
まず前提として、これまでの労働時間法政策がどのように考えられて展開し、現状どのような課題があるのかを確認します。
長時間・過重労働が問題視され、労働時間の上限規制が導入
日本における労働時間に関する法制度は、特に工場労働を念頭に、定型的な働き方を典型として組まれてきたと評価されます。工場では決められた時間に全員が出勤し、昼休みには作業を止めて、昼食後にまた一斉に仕事を再開し、終業時間が来たら一斉に作業を終えて帰るという流れが一般的です。こうした働き方を基本に、現在の日本は1日8時間、週40時間の法定労働時間を定めて、エキストラの仕事が必要になったときは時間外労働という形をとり、時間外労働についても一定の規制を行っています。
しかしながら、長時間労働、過重労働の問題が深刻化し、過労死などが社会的に問題視され、この問題への対応として労働時間をどのように規制したらよいかということが議論されてきました。最終的には2018年に働き方改革関連法が成立し、そこで労働時間に関する規制の1つとして、労働時間の上限規制が導入されました。この規制の上限値が十分かどうかという議論は措いておくとして、少なくともこれ以上絶対に働かせることはできないという、労働時間を量的にコントロールできる規制となった点についてみれば、一定の到達点に達したと評価できると思います。
個別的・自律的な働き方を想定した法制度も議論
他方で、1980年代~90年代にかけて産業構造が大きく変わり、工場労働が担うような第2次産業から、サービス業などを中心とした第3次産業のウエイトが大きくなり、ホワイトカラーの労働者が増えました。ホワイトカラーの労働者は、必ずしも毎日決められた時間に決められた作業をするのではなく、各労働者が与えられた仕事をある程度、自分の裁量で進めることができるので、一人ひとりが状況に応じて、その日の労働時間や仕事量をコントロールできます。
こうした働き方の変化は、個別的・自律的な働き方を想定した労働時間に関する法制度が必要ではないかという議論につながり、日本の労働基準法でも、フレックスタイム制や裁量労働制といった仕組みが導入・活用されました。このように労働時間に関する法制度は、社会状況・経済状況の変化に合わせて展開してきています。
(2)労働時間法政策の課題
休息の量だけでなく質の確保が必要に
21世紀に入って以降、ICTの発展等に伴い働き方が非常に多様化し、時間や場所にとらわれない働き方が拡大しているなか、働き方改革関連法成立時点での労働時間に関する法制度の内容が現状に十分に対応できているのかというと、まだまだ課題があるのではないかと感じます。現状の労働時間に関する法政策の課題は主に、①休息(の質)を確保するための法政策②働き方・働き手の多様化に対応した法(規制)の模索──の2点であると思います。
休息(の質)を確保するための法政策についてみると、先に述べたとおり、労働時間の上限規制が設けられたことで、量的規制は一定の到達点に至ったと思います。もちろん健康の確保のためには、まず労働時間が長時間化することによる負荷を軽減することが大切です。加えて、疲労が蓄積しないように、良質な休日や休息を取得して回復を図ることも重要になってきます。
久保先生の研究報告では、特に休日・休息の量の確保という点でインターバル規制の意義と可能性について触れられていました。これに加えて私が着目したいのは、休息の量だけではなく質の確保の必要性です。特にICTの発達によって、本来であれば勤務時間でないはずの休息時間、休日の間にも、仕事に関してさまざまな接点が生じます。少しであれば大した負荷にもならないかもしれませんが、仕事の連絡がひっきりなしに来たり、どのタイミングで来るか分からないということになると、当然、肉体的にも精神的にも負荷が生じるでしょう。こうした状況を防ぐために、つながらない権利の可能性を検討する余地があると考えています。
より多元的な労働時間の規制システムの確立を
働き方・働き手の多様化に対応した法(規制)の模索についてみると、従来の労働時間規制は、労働基準法によって基本的な一律の法規制がなされて、これに掛け合わされる形で労使協定による柔軟化が行われるという二元的な規制の構造になってきました。しかしながら、働き方・働き手が非常に多様化し、労働時間規制が持つ、単に健康の確保だけでなく生活時間を確保するという意義をふまえると、これまでの労働基準法と労使協定だけの規制システムというより、ある種多元的な規制システムを確立することも必要になってくるのではないかと感じています。
加えて、もう1つ重要な点は、労働者に負荷を与える時間は、現行の労働基準法でいうところの労働時間だけかというと、必ずしもそうとは言えないということです。職場を離れて家にいても業務上の連絡が来たり、仕事に関連する自主的な勉強会や、仕事に必要な資格を取るための勉強などを行っている人もいます。そういったことも含めて、労働者の保護、特に健康の確保ということを考えた場合に、どのような時間をどのように規制するのかということも検討すべき課題になってくると考えます。
そこで、私の研究報告では、まず休息の質を確保するための法政策として、つながらない権利の意義と法政策上の課題について、つながらない権利が指摘されるようになった背景や、日本において政策的対応が求められるのかなどの視点もふまえてお話しします。次に、少し話を広げて、労働時間に関する法規制のあり方として、何を、どのように規制すべきなのか、いくつかの仮説と問題提起をできればと思います。
2.「つながらない権利」について
(1)そもそも「つながらない権利」とは?
当たり前の権利を積極的・実質的に実現していく
つながらない権利は、私が研究で専門にしているフランスの言葉では「droit à la déconnexion」と言いますが、法律上の定義が明確にあるわけではありません。一般的には、勤務時間外や休日に仕事とつながらない権利、業務からアクセスされない権利とも言われ、アクセス遮断権という用語を用いる先生もいます。
法律がなければそのような特別な権利は認められないのかというとそんなことはなく、本来は当たり前の権利です。もちろん法的にも認められるもので、諸外国で判例があります。例えばフランスでは、休憩時間中に上司からスマートフォンで連絡が来た際に無視したところ懲戒処分になるという事件がありました。これに対して、最高裁にあたる破毀院という裁判所の判例では、勤務時間外である休憩時間には上司からの連絡に対応しなくて良いということを明確に述べています。日本でも、大星ビル管理事件という最高裁の判例で、休憩時間と評価するためには労働から完全に解放されていることが必要であると述べています。
昭和のサラリーマンはバリバリ働きながらも、休みの日は仕事をしない、仕事から解放されるのが基本でした。しかし現在は、通信技術の発達も相まって、本来であれば法的に認められるべきであるはずのつながらない権利を行使することが難しい状況が出てきています。よくある話として、休日に顧客から問い合わせが来たり、上司から仕事に関する連絡が来て、対応してしまう場合です。
この点をふまえると、つながらない権利は、勤務時間外や休日に仕事から切り離されることができるというある種の法形式的な権利というよりは、つながらないのが当たり前ということを前提に、これを積極的・実質的に実現していくことを主張する権利としての意味があるのではないかと考えています。
(2)「つながらない権利」をめぐる議論の展開(フランスの場合)
フランスの大学教授、Ray氏が2002年に論文で提起
つながらない権利はどのような背景で提起・議論されてきたのか。フランスの例をとって説明すると、そもそもつながらない権利は、当時パリ第1大学で労働法の教授を務めていたJean-Emmanuel Ray氏が最初に、2002年に労働法の雑誌に掲載された論文のなかで提起した考え方だと言われています。
2002年ですと、ちょうど大学でも個々の学生にそれぞれ電子メールのアドレスが付与されて、インターネットが使われるようなり、携帯電話もだんだん普及してきた頃です。Ray教授は、将来的に情報通信技術が発達していけば、仕事とプライベートの境界がどんどんなくなり、つながらない権利という考え方が問題になる時代が来ると提起し、それ以降、この提起をふまえていくつかの議論がなされてきました。
フランスは長期間バカンスを取る習慣もあるなど、私生活を非常に大事にするので、最初の議論の中心は、「私生活に仕事が入ってくるなんていかがなものか」という視点でした。しかし2010年代に入ると、私生活をめぐる問題に加えて、労働者の疲労・負荷をめぐる視点が、つながらない権利をめぐる議論の中でも入ってくるようになりました。
休日の仕事の増加と裁量労働適用者の増加が主な背景
こうした視点が組み込まれた理由の1つは、やはりICTの発展によって休息時、休日にどんどん仕事が入ってくる状況が生まれ、負荷が大きくなったことです。そしてもう1つは、第3次産業化が一層進み、労働者がホワイトカラー化していくなか、特にフランスの場合は、日本で言うところの管理職に近い、カードルという裁量労働制が適用される職責が増えたことです。自律的な働き方で良いとの考えもある一方で、際限なく突き詰めてしまう、仕事の区切りが付けられない人が広がりました。
その結果、特にホワイトカラーの過重労働がフランスでも社会問題化し、健康の確保という観点からもつながらない権利は必要ではないかということが議論されるようになります。2016年の労働法改革でつながらない権利についての法規定が創設され、2017年1月から施行されました。
(3)「つながらない権利」規制の具体的なありかた
規制するアプローチ方法は大きく2種類
つながらない権利は、現在では少なからぬ国で立法が進展しています。それでは、つながらない権利に関する立法が、例えば「午後8時から午前8時まで一切連絡をとってはいけない」といった、具体的に時間を保障するための一律の規制をもたらすものなのかというと、必ずしもそうではありません。
まず、どのような規制形態をとったとしても、つながらない権利があることが基本的前提としてあります。そして少なくとも、つながらない権利を行使したことに対して不利益な取扱いをすることはできないということが基本です。
そのうえで、規制の具体的なあり方を考えると、大きく2つのアプローチが考えられます。1つは、勤務時間外におけるアクセス禁止を具体的な法規制として実施し、罰則等の対応をするというアプローチで、この場合は、アクセス禁止についての例外を設けることも当然あり得ると思います。もう1つは、つながらない権利を実現するための取り組みを労使に対して促し、具体的にどういう形で実施するかは労使の現場の判断に任せるというアプローチです。
また、これは単なる規制とは少し違うかもしれませんが、フランスで立法された過程では、つながらない権利を確保するための環境整備や、経営層、マネジメント層、現場の労働者たちに教育・啓発をしていくことも必要だという提起がなされました。
日本では労使による環境整備を促すアプローチが妥当
これをふまえて、日本でも規制が必要かということですが、法的に言えば、つながらない権利は抽象的にはもう認められているからそれでよいのではないかという意見もあると思います。ただ、つながらない権利はみんなが行使できているかというと、現実にはそれがうまくいっていない。ヨーロッパでさえうまくいっていないのに、まして日本では難しいと感じます。
例えば年次有給休暇も、労働基準法では具体的な日数まで定めて権利として認められているのに、なかなか消化されません。周りに迷惑をかけるかもしれない、評価が下がるかもしれないと思ってあまり使わない人もいて、みんな同じ権利を持っているはずなのに、使える人と使えない人の差が結構大きくなっています。このようなことを防ぐためにも、何らかの形でシステム化したり、ルールメイキングをすると、何もしないよりは明らかにある程度まんべんなく権利が行き渡るということが期待できるので、政策的な対応は必要ではないかと考えているところです。
法律で一律に、業務時間外に連絡を原則取ってはいけない、守らなければ罰則を設けるなどとする方法も1つの手かもしれませんが、そのようなやり方をとると、監督しなければならない行政の負荷が非常に大きくなりますし、日本の労働基準法制の実効性という観点からみても、どこまで実効性が期待できるのかという疑念があります。
そう考えると、このようなアプローチは日本の場合あまり現実的でなく、労使による環境整備を促すというアプローチが妥当でないかと思います。業種・職種の違い、各企業や事業所における状況の違いもふまえて、より現実的な仕組みを確立できる側面もあります。
また、先ほど示したフランスと同様に、教育・啓発は非常に大事だと思います。日本でも通信技術が発達するまで、休日にわざわざ電話してまで仕事をすることはあまりなかったわけですが、いつの間にか当たり前のように連絡を取るようになっています。これは結局意識の問題ですので、意識を変えていくための教育・啓発の取り組みを後押しする政策的な支援や、環境整備の支援の枠組みを構築することが大事だと考えています。
3.働き方・働き手の多様化をふまえた「労働時間」規制
総合的な規律や企業・事業所単位でのルールづくりを
働き方・働き手が多様化する時代のなかで、労働時間規制はどのような形をとるのが望ましいのでしょうか。私の現時点での簡単な仮説ですが、①国家(法律)による一律の規制②企業・事業所単位を念頭に置いた、現場の状況をふまえたルールメイキング(あるいは柔軟化)③個々の労働者の個別事情に応じた規律(あるいは柔軟化)──の3層でコントロールをしていくことが必要だと考えています。
国家(法律)による一律の規制についてみると、先に述べたように、従来は労働基準法上の労働時間の把握・規制を基本としており、働き方が多様化していくなか、規律の対象が従前どおりの労働時間でよいのかという課題がありました。例えば、高度プロフェッショナル制度では健康確保の観点から在社時間をある程度コントロールする仕組みが存在しますが、そういった、労働基準法上の労働時間には該当しなくても労働者に負荷を与えうる時間に対する総合的な規律を設けたり、労働者の疲労状態を把握して、必要に応じた対応を使用者側に何らかの形で求めていくべきだと考えます。なお、これらのアプローチを模索していくうえでは、デジタルツール等の活用も考えられるのではないかと思います。
企業・事業所単位を念頭に置いた、現場の状況をふまえたルールメイキング(あるいは柔軟化)についてみると、現行の法制度を基本とした場合、過半数代表による労使協定方式を通じてルールメイキングをしていくことが最も有力な選択肢だと思います。ヨーロッパにおける対応をふまえると、産業別・職業別でのルールを考えていくほうが望ましくはありますが、日本は現状、産業別・職業別でコントロールする社会的基盤がそこまでないため、企業・事業所単位の過半数代表や、安全衛生委員会等の活用を通じての集団的なコントロールで模索し、それを政策的にもサポートしていくことが現実的な対応ではないかと考えます。
集団的な合意のなかでは個別合意要件の徹底も
個々の労働者の個別事情に応じた規律(あるいは柔軟化)についてみると、国家等による一律の規制では、労働基準法や労働安全衛生法、労働施策総合推進法などで負荷のコントロールについてポリシーを示し、そのうえで具体的につながらない権利の実現に向けたガイドラインなどを作成することが考えられます。これに加えて、労働者個人に着目した規律のあり方も考えられるべきだと感じます。
例えば、現行の労働契約法では安全配慮義務について規定されていますが、もう少し踏み込んで、安全配慮義務を実現する具体例の1つに休息時間の確保等を規定することも有効だと思います。また、働き方・働き手が多様化するなかで、集団的な合意のなかで柔軟化を行う場合には、適用される労働者に対して個別合意要件を徹底することも重要です。
場合によっては、労働者自身による健康管理に対する支援も検討されますが、こうした個々の労働者を単位とした規律はどうしても自己責任論に結びつきかねないですし、健康情報は労働者のプライバシーにも関わるので、使用者がどこまで関与できるかということも課題になってくるでしょう。
プロフィール
細川 良(ほそかわ・りょう)
青山学院大学 法学部長・法学研究科長/法学部 教授
2011年 早稲田大学大学院博士後期課程博士研究指導終了退学。労働政策研究・研修機構副主任研究員を経て、2019年より青山学院大学法学部教授。2024年4月より現職。埼玉労働局紛争調整委員。主著に『ファーストステップ労働法』(共著、エイデル研究所、2020年)、『解雇ルールと紛争解決・10か国の国際比較』(共著・労働政策研究・研修機構、2017年)、「ICTが「労働時間」に突き付ける課題─「つながらない権利」は解決の処方箋となるか?(PDF:756KB)」日本労働研究雑誌709号(2019年)、「在宅テレワークをめぐる法的課題」労働判例1288号(2023年)等がある。