問題提起 日本の職業能力開発

職業能力開発の区分

本日の議論の見取り図を示す目的で、短時間ですが問題提起をしたいと思います。最初にシート1のとおり、職業能力開発の実施主体や対象などを整理してみました。

まず、能力開発の実施主体は、「企業主導」か「個人主導」かに分けることができます。それを、就業者が行うものと、失業者が行うものとに分けると、例えば「企業主導」で就業者が対応する能力開発の手段・機会として、「OJT」(On the Job Training)や「OFF-JT」(Off the Job Training)があります。シートの下の部分にあるように、企業外での職業訓練の運営主体としては「公共職業訓練」と「民間職業訓練」に分けられ、就業者を対象にした場合は在職者訓練になりますし、失業者を対象にした場合は離職者訓練になります。

企業主導の職業能力開発

特徴として「企業が担う」「底上げ教育」など

日本の職業能力開発の特徴として言えるのはまず、職業能力開発が企業主導で行われる傾向が強いことです。

この企業主導の職業能力開発には四つのポイントがあります(シート2)。一つは、従業員の能力開発やキャリア形成の責任は企業が担うという考え方。2番目に、個々人に焦点を当てる「選抜教育」よりも従業員全体の「底上げ教育」に力を入れていること。3番目に、OJTがOFF-JTや職場外の学習よりも重視されるところ。そして最後の四番目が、教育訓練のための資源、例えば講師や設備、教科書などの確保において、社外のアウトソーシングよりも社内の機会が重視されるという点です。

企業主導の職業能力開発は、生産性や競争力とどのように関連してくるのか。よく言われるのは、企業主導の職業能力開発が、日本のいわゆる「現場の強さ」や「知的熟練」というものをつくり出し、企業の高い競争力を支えてきたという考え方です。しかしながら、これが現在も当てはまるのかどうかについては、問い直してみる必要があります。例えば、日本の1人当たりの労働生産性は、現在世界で20位前後です。企業主導の職業能力開発が果たして、現在も効果を上げていると言えるのでしょうか。

企業の教育訓練投資が伸びないと社会全体の能力開発機会が停滞・縮小する

また、企業主導の職業能力開発であるがゆえに出てくる課題があります。一つに、企業の教育訓練投資が伸びていかないと、社会全体の教育・職業能力開発機会が縮小・停滞するおそれがあります。実際に、シート3にあるグラフのとおり、これは厚生労働省の「能力開発基本調査」の結果を示したものですが、1人当たりのOFF-JTの費用はほぼ横ばいで推移しています。自己啓発を支援する費用についてはやや低下傾向にあり、少なくとも世の中で能力開発が必要だと言われているほどには企業の教育訓練投資は伸びていません。

企業内・企業間での格差が個人間の格差につながる

もう一つ、企業主導であるがゆえの問題として挙げられるのは、企業内・企業間の能力開発機会の格差です。企業内では、正社員と正社員以外の能力開発機会の格差があります。企業間では、従業員規模による格差が非常に大きく、これが結局、個人の能力開発機会の格差につながるという問題点があります。これらの問題点を、個人主導の能力開発でカバーしていくことはできないのでしょうか。次に個人主導の能力開発の現状を見ていきたいと思います。

個人主導の職業能力開発

自己啓発を行っている労働者は3割程度

個人主導の能力開発は、「能力開発基本調査」の定義によれば、職業に関する能力を自発的に開発して向上させるための活動で、つまり、自己啓発に当たります(シート4)。これを実施している労働者は毎年3割程度です。年間の費用は1人当たり3万円弱で、方法としては、ラジオ・テレビや専門書等による自学自習やeラーニングによる学習を挙げる労働者が相対的に多くなっています。

こういった状況が、企業主導の能力開発の問題点に対応するような機能を果たしているかというと、そうではないと考えられます。

個人主導の能力開発における公共教育機関・訓練の活用は低調

シート5は、自己啓発を実施した労働者の比率です。2017年度の状況を見たものですが、正社員のほうが実施した割合が高い。また、企業規模別に見ても、規模の大きな企業に属している労働者のほうが、実施率が高いという傾向があります。

それから、正社員、正社員以外を問わず、個人主導の能力開発ではラジオやテレビ、専門書、あるいはeラーニングなどが主に使われているのですが、公共職業訓練施設や専門学校・各種学校、高等専門学校、大学・大学院といった施設での受講率が非常に低い。個人主導の能力開発では、公共教育機関や公共職業訓練の活用は低調であると言わざるを得ません。

在職者訓練、教育訓練給付の機会や予算を充実できないか

個人主導の能力開発に関しては、運営体制においても課題があります。個人主導の能力開発を支援する中心的な施策は、「教育訓練給付制度」ですが、この給付実績は2017年度で約126億円です。一方、同年度の在職者ではない離職者を対象とする離職者訓練向けの予算は約960億円です。離職者訓練向けの予算を在職者向けに回せと言っているのではなく、在職者訓練、教育訓練給付の予算をもう少し充実させられないかと思います。

運営体制における課題のもう一つは、訓練の内容が企業のニーズや、企業のニーズを集約した産業や地域のニーズを反映したものになっているか、あるいはアップデートできるものになっているかという点です。例えばヨーロッパ各国やアメリカの各州、それから韓国などには産業別あるいは地域別に、職業スキルに関するその時々のニーズを分析して訓練に反映させるスキルセンターと言われるものがありますが、日本にはおそらく存在していません。

問題提起

企業の能力開発に対するモチベーションを上げるべき

これらを踏まえて問題提起すると、企業主導の能力開発は、現場の強さや知的熟練形成などに結実してきたのですが、現時点で生産性や競争力になかなか結実していないことを考えると、これからは見直す必要があるのではないかと思います。

ところが、「企業主導から個人主導へ」とよく言われるのですが、むしろ個人主導の能力開発のあり方のほうが企業主導の能力開発以上に問題を抱えていて、これらの問題を解決しない限りは、個人主導に移行すると、職業能力開発活動における格差が広がったり、職業能力開発活動全体がより低調になる可能性があります。

問題の解決には次のような取り組みが必要なのではないかと思います。一つは、企業主導の能力開発体制について、これを個人主導に入れ替わるからといって見過ごすのではなく、これまで以上に企業の能力開発に対するモチベーションを上げたり、あるいは環境変化への対応を促したりするように見直すべきです。

個人が能力開発によって報われる機会を増やす

二つ目は、今まで日本の産業社会であまり重視されてこなかった個人主導の能力開発について、能力開発の実施の付加価値、平たく言うと、個人が能力開発を行ったときに、その見返りがあるような体制を企業や社会が整備していく必要があります。

今、個人が能力開発を行って、例えば資格を取って、それで転職がスムーズにいくかというと、一部の産業を除くとそうではありません。また、大学や大学院に行って勉強してきて、それが社内での処遇アップにつながるかというと、これもなかなかそういうふうにはならない。つまり、個人が能力開発によって報われる機会があるかと言われると、そんなにないわけです。報われる機会をもっと増やしていき、個人が能力開発をしていきたいと思うような体制を整備していくことが必要だと考えます。

さらに、企業間、企業内、雇用形態間の格差を解消するような能力開発体制の整備、つまり小企業に勤務する労働者や正社員以外の人が能力開発を進めやすい体制を整備することも、個人主導の能力開発体制の整備において不可欠な取り組みでしょう。

プロフィール

藤本 真(ふじもと・まこと)

労働政策研究・研修機構 人材育成部門 主任研究員

専攻は産業社会学、人的資源管理論。人材育成・キャリアディべロップメントに関する企業のマネジメントや、能力開発・キャリア形成に関わる個人の意識や活動、公共職業訓練などの能力開発政策を主なテーマとして、調査研究活動に従事している。近時の業績としては、『日本企業における人材育成・能力開発・キャリア管理』(労働政策研究報告書No.196、2017年)、「「キャリア自律」はどんな企業で進められるのか─経営活動・人事労務管理と「キャリア自律」の関係(PDF:706KB)」(日本労働研究雑誌691号、2018年)などがある。

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