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第2回 業務災害・通勤災害と労災保険

山口 浩一郎 上智大学 名誉教授
(JILPT理事長在任期間 2011年1月~2013年3月)

2024年10月9日(水曜)掲載

労災保険は、業務災害と通勤災害を主たる補償の対象としている(労災保険法7条参照)。そして、この支給要件となっているのが、業務起因性とか通勤起因性といわれるものである。つまり、補償は、業務とか通勤が原因となって生じた災害(負傷、疾病、障害、死亡)にかぎられるということである。

しかし、世の中の活動は複雑で、業務や通勤に「起因」していなくとも、これに「関連」して起こる事故は山ほどある。このような場合、労災保険はどう対応すべきなのだろうか。

大学教師時代もそうだったが、労働政策研究・研修機構(JILPT)時代にも、研究者としてこれは難問であった。幸い、JILPTでは、当時、『過重負荷による労災事案の研究』を行なっており、研究成果から大きな刺激をうけた。

それにもかかわらず、肝心の私には目立った進歩はなく、問題は今日も未解決のままである。事例で示してみよう。

A事案 業務災害の事例

業務災害の事例である。乙社のトラック運転手甲が荷物を積んで高速道路を走行中、前方を走行していた他社のトラック運転手丙が転覆事故を起こし、車も炎上している状況であったので、自分の車を停め救出にかけつけ作業をしていたところ、後続してやってきた丁社のトラックにはねられ、傷害を負った。

理屈からいえば、甲の負傷は、業務(荷物の運搬)から生じたものではないので業務起因性の要件を満たしておらず、補償の対象とはならない。

しかし、甲の行為は、社会的に必要で人道上も賞賛に値する行為であり、これを見捨ててしまうのは問題がある。

裁判例が、このような行為は私的行為でないと判断した(名古屋地判平20.9.16)のを救いに、通達は、業務起因性は認められないが、緊急行為として業務災害と同様に扱われるとした(平21.7.23基発0723第14号)。

B事案 通勤災害の事例

A事案と対比される通勤災害の事例である。レストランのコックである労働者甲が、終業後終電で通常の経路通り帰宅する途中、車内で酔漢乙が酔って乗客の女性にからんでいるのに出会った。女性が困っていたので甲が酔漢に注意したところ、これに立腹した乙が甲を追って下車し、一方的に暴力をふるい、甲は負傷(足を骨折)した。

これが通勤災害になるか否かが問題である。喧嘩とか暴力行為は典型的な私的行為であるので、通勤途中であったという事情だけでこれを肯定するのは難しい。

これも実際に生じた事例で裁判になった。しかし、判決は、通勤災害と認められるためには、負傷等が通勤に内在するか通常随伴する危険が現実化したものでなければならないとして、通勤災害と認めることを拒否した(中央労基署長事件・東京地判令5.3.30労経速2535号22頁)。

通達の方は、すでに、暴力行為が私的怨恨か自招行為でないかぎり、他人の暴行による通勤途上の負傷は通勤災害と「推定」する立場をとっているのに(平21.7.23基発0723第12号)、きわめて消極的な対応である。


事案をよくみると、両事例における甲の行為は、A・Bで共通点が多い。なによりも業務に関係して生じており、かつ社会的に必要で人道上賞賛に値する行為である点がそうであるし、受傷も甲の責任には帰せられないものである。

それなのに、どうしてA・B両事例で甲の取扱いが異なるのであろうか。それは許されることなのか。これを理論的に追求していくのが、研究者という人種の仕事である。それはよくわかっている。しかしながら、どんな学問でも「定年」はある。

大学教師に「〔不〕名誉教授」という地位があるように、研究者にも「〔不〕名誉研究者」というものがあると思う。残念ながら、私も「定年」でもうこの類に所属している。問題だけはわかっても、答えをみつけるのは難しい。

本稿も問題の紹介だけで、答えは読者を含む他人に期待している気のよい話である。