パネリストからのコメント:第39回労働政策フォーラム
若者問題への接近
~誰が自立の困難に直面しているのか~
(2009年6月6日)

直井
ありがとうございました。3人のコメンテーターから、いろいろな局面について言及していただいきました。残された時間は、会場からの質問にお答えすることを中心にパネリストからコメントをいただきたいと思います。太郎丸先生からお願いします。

すべての人に利益を与えるシグナルの改善

太郎丸
私には、人的資本のシグナルをもっと改善する必要があると申し上げたことに対し、「そんなもので問題が解決するのか?多少は状況が改善するだろうが、抜本的な解決になるのか?」といった質問をいただきました。

パネルディスカッション:パネリストからのコメント

もちろん状況は改善しますが、抜本的な解決にはならないと思います。何でこういうことを申し上げたかというと、「シグナルを改善する」のは、すべての人にとって利益を与える政策です。「パレート改善」と言われていて、誰も損しない。一方、抜本的な解決をするにはやはりどこかに行っているお金を減らして困難な層に回さなければいけないわけです。減らされる人は当然損しますから、反対も起きる。抜本的な解決をするためには、やはりどこかに回っているお金を違うところに回す必要があると思っています。

直井
次に岩田先生、今回、いろいろな場所が関係あるという話が出て、学校とか家庭が話題に出ながら、あまり掘り下げられていなかったかも知れません。そのあたりも含めて、よろしくお願いします。

雇用のセーフティネットから外れたときの方策は

岩田
まず、「雇用のセーフティーネット」から外れてしまったときに「生活扶助のセーフティーネット」に移行するしかない現状をどう考えるか、という質問がありました。「雇用のセーフティーネット」は雇用だけではないのですが、「予防のセーフティーネット」というのは基本的に保険というシステムと一定の共通リスクと制限的な期間に対する保障としてなされますので、今日の話にあったようなセーフティーネットから外れる、外れないというのは、多少の強弱はありますが誰にでも起きます。

「保険」は常に別の制度とのセットでしか存在し得ないわけです。日本の場合は、それを「生活保護」が一手に引き受けているのですが、その間の落差が大変大きいわけです。

1つには、あらゆる保険に扶助をくっつけていくような形で生活保護を解体していくやり方があります。若者とか稼働年齢層に関して言えば、さっき宮本先生がおっしゃったように、雇用保険と就業訓練がセットになった新しい生活扶助システムをつくっていくのも1つのやり方だと思います。これは、今の生活保護が効かないという意味ではなく、現実的な落差が大きいということです。

貧困や生活不安に対する強い認識を

もう1つは学校教育です。私は専門ではないので、いい答えができないかも知れませんが、2つあると思います。1つは、学校の先生の意識、視野の範囲です。今日、参加してくださっている学校の先生は全く違うと思うのですが、お見えになっていない先生のなかには、貧困とか生活不安に対する認識がものすごく薄い人もいると思うのです。

私は戦後すぐの生まれで団塊世代の初めですが、私が小学校の頃は皆、貧しかった時代ですけれども、小学校の先生は60人学級で2部教育をしながらも、クラスのなかの特に貧しい子たちに極めて気配りしていました。生徒の生活情報も実によく知っていて、私たちがちょっと冷やかしたりしたら、それはもう凄く叱られた。そういう記憶があります。

私は二人の子供を育てたので、その後の学校との付き合いもあったわけですが、極めて生活把握力が弱いという感じを持っています。これは時代の問題では必ずしもなくて、想像力、例えば学校給食の滞納が多いようなことについての先の想像力の貧困のようなものがまずあるような気がするのです。

中・高段階で社会保障を学ぶ機会を

もう1つは、教育内容として今の労働基準法とか社会保障の問題をどうやって教えていくか。特に中学・高校でしっかり教えてほしいと思います。どこで教えるかは、大変大きな問題でしょう。家庭科なのか社会科なのか、あるいは道徳のような時間なのかはわかりませんが、現実の制度を含めて教えて欲しいと思います。

私は大学の教師をしておりますが、大学生は大学に来ることだけをめざして勉強してきますから、その後が描けない。中学・高校の段階で生き方や働き方、社会保障について学ぶ内容をどこかにつくっていかざるを得ないのではないかと思います。

直井
ありがとうございました。それでは小杉先生、質問への一問一答でなくても結構ですので、お願いします。

内面化されてきた女性の問題

小杉
では、コメントをいただいたご三方に対して共感するところなども交えて、話したいと思います。まず女性の話です。金井先生の図が大変よくわかりやすいと思いますが、日本の場合、非正規雇用と正規雇用との間の労働条件格差が非常に大きい状態がずっと続いてきました。それはやはり、女性がパートで男性が正社員だったこと、そして女性パートは家計補助的な働き方という位置づけがあり、そのことが内面化されている状態があったと思うのです。

議論されてきたジェンダーはとても内面化されたものですし、女性は家で子供を育てることに対して非常に喜びを感じるといったような家族観も完全に内面化されています。そういった背景にあって、正社員と非正社員の格差がある意味あまり問題にならないまま来て、そして今は若い男性も非正社員につくようになったために、この問題が非常に大きくなりました。金井先生の図で、若い男性は下方に圧力がかかり、女性は逆にその中から、かつては非正社員あるいは若い時代だけ正社員というのが変わってきて、女性の中でも高学歴者を中心に長く働くキャリアの女性たちが出てくる。今はそういう大きな図のなかにあるのだろうと思います。

学歴に注目することで見えてくる女性問題

そういうなかで、「困難に直面する女性問題で、高卒女性の問題は実は数はそんなに多くないんじゃないか?」という指摘をいただきました。私の図には母数が載っていますが、確かに高卒女性の20~24歳層は2007年で大体90万人ぐらいです。そのうち30万人ぐらいが正社員で、あとの60万人が非正社員や無業という話で、全体からみれば60万人程度の話ということにもなるわけですが、それを金井先生の図の中で理解していただくと、「誰が残されているのか」という話になり、例え大卒であっても非正社員の方に残されている人たちもいることがわかります。

全体の図の中の議論として考えることが大事であり、「高卒はどんどん少なくなっているから」という話ではない。そういう社会的な影響力を高卒女性だけに注目することで、社会全体の変化の中で誰が残されているかというと、学歴がかなり大きな要素になることが見えてくる。私が言いたいのは、「何を学校で勉強するか」と「労働市場の需要が何か」の接点をどう考えるかということも大事だということです。

高卒の場合、男性と女性では非正社員比率にかなり大きな違いがあります。学歴の影響が実は職種という形を通じてあらわれてくるのです。高卒・中卒の男性が最も多く就くのは物をつくる仕事で、ここに3分の2ほどが集中していきます。それに対して女性は、かつて彼女たちがついていた事務職のような仕事がどんどん変わってきた。また、多くが販売・サービスの仕事に就きますが、その仕事がやはり非正社員が中心に変わった。そういう職種構造の変化と関係があると思います。

若い女性たちにどれだけ自立を求めるか

そのなかで、若い女性たちに対し、どれだけ自立を求めるかが、もう1つ出された問題だと思います。私は、ジェンダーとか家族観はかなり内面化された問題で、個々の価値観という形で表れているので、その価値観にどこまで踏み込むのか。次の次の世代などといった話であれば、できるだけ幸せに生きてもらうためにはジェンダーフリーになった方がいいと思いますので、教育の中でのジェンダーの話もとても大事だと思うのですが、今既に家庭を持っていて専業主婦を選んでいる女性たちに対して、彼女たちの価値観、あるいは私自身がとらわれている価値観に対してどう働きかけるかということは、私はもう政策の話ではないと思います。

次の世代は必ず自立してもらわなければならない

私が大事だと思っていて、社会として絶対言えることというのは、次の世代、世代間の問題です。私は「種の保存」と言っているのですが、生命の絶対的な条件である種の保存から考えて、次の世代は必ず自立してもらわなければならないし、もっと言えば、自立するだけではなく前の世代あるいは次の世代を養ってもらわなければならない。こういう世代観というのは、絶対必要です。

かつては夫婦をペアで考えれば、それで自立していました。「男性が働き、女性が家庭」でも何でも構わないのですが、その子供世代が自立してくれて、親の世代と代替していくという連鎖のなかにあったわけです。それがうまくいかないということは、社会の種の保存にかかわる大問題で、これは絶対何とかしなければならない。つまり、個人として女性が男性が、というよりも次の世代は必ず自立してもらわなければならないということです。

いくら日本人が家族主義的な家族観を持っていても、30歳になった子供に対して「働いてくれ。自分たちを養う側に回ってくれ」という要請は、どんな家族観を持った家庭にも必ず出てきます。世代交代の圧力はどのような家庭でもある。それが社会としての形になっている場合もあるし、日本の場合には家族というなかで閉じた形で世代の交代というのは要請されるわけです。

これは太郎丸先生の論点でしたが、そういうなかにあって「結婚するとは限らない」といった今の社会状況があるなかでは、これから先の非常に不安定な状態を考えると、やはり女性も経済的自立を一定程度持つことが幸福につながる可能性がとても高いと思います。

それに関連して、「幾つぐらいから大人ですか」という質問もありましたが、これはとても難しい。それぞれの価値観にかかわることですし、大事なのは、やはり必ず次の世代はその次の世代を養わなければならないし、前の世代が働けなくなった状態のときに何らかの形で貢献してもらわなければならない。それが幾つからというのは、それぞれの事情もあります。そういう意味では、社会としては、女性にしろ男性にしろ、やはり自立化へ圧力をかけることをしなければいけないと思います。

日本と諸外国で異なる途中からのやりなおしの可能性

もう1つ、「ドロップアウトする人は、アメリカの方がもっとずっと多いんじゃないか?」との質問もありました。詳しく知っているわけではないですし、これはアメリカではなくてオーストラリアの研究者と中退について話した時のことなのですが、その研究者は中退のことを「トラップ」という言い方をしていました。要するに、中途退学者でも、子守りだの芝刈りだのと若いうちは仕事がたくさんあるのです。いくらでも仕事はあるのだから、つまらない学校に行くよりもいいと言って、学校を辞めてしまう。そういう意味では、景気がよくなると中退が増えるとも言っていました。

でも、それが「トラップ」なのです。やっぱりその先がない。若い時、一時的に働く仕事はあっても、それは決してキャリアにはならず、そのまま停滞してしまう。どこの国もそういうドロップアウトの問題は抱えているのでしょう。しかし、そこで日本との大きな違いは新卒一括採用がないことだと思います。つまり、途中からのやり直しの可能性が、日本よりずっと大きい。日本と違い、高等教育に入っている人たちが18歳で仕事に就いたことが無いというタイプの人はむしろ少なくて、社会人で入ってくるわけです。例えば、アメリカのコミュニティーカレッジのようなところでは、一定期間を経た後、就業機会を得るために職業能力をつけてそれを証明するために高等教育機関が使われる。それはその後への手立ての1つのあり方だと思います。

中退させないための仕組みや手立てを

アメリカの具体的な話としては、やはり中退のサンクションが非常に大きいので、中退させない仕組みもあると聞いたことがあります。もちろん、どこの州にでもあるという話ではないのですが、学校の中に地域のNPOなどの方々が常駐していて、キャリア相談に乗ったりしているそうです。中退はさせないほうが大事で、してからどうするかの話ではないわけです。

日本の場合も、中退させないということに対して、学校教育の現場で先生方が努力されているのだと思いますし、中退率はどんどん下がってはいます。とはいえ、中退させないとなると、「できが悪くても中退させない」などといった話が出てこないとも限らず、そうするとむしろ学校卒業の価値が下がってしまったりするのが日本の問題です。

学校の教育の中に、学校教育とは違う価値観を持ち込む。学校以外の人が入って相談等の対応をすることが最終的に中退を防いだり、あるいは中退後の人生について考える機会を得るための大事な手立てではないかと考えています。

減少傾向にある高卒女性の安定的就業機会

他には、1992年から高卒女性が急激に下がったこと(図1:問題提起(2))について、理由は何かと尋ねられました。この理由はよくわからないのですが、やはり1つは高卒女性が就いていた職種の構造変化の問題が非常に大きいのだろうと思います。事務職はどんどん高学歴層が入って長く働き続け、キャリアになる仕事になっていく。一方で販売、サービスのような仕事は非正社員の仕事になっていく。そういうなかで、高卒女性にとっての安定的な就業機会が少なくなっているということだと思います。

直井
ありがとうございました。では、最後に宮本先生、よろしくお願いします。

イギリスのニート対策の手法が参考に

宮本
 幾つかいただいている質問をまとめてお答えします。柱の1つは、「中退者をどうやって支援できるのか」ということです。「今の学校現場は非常に大変で仕事も多く、しかも予算はカットされていく。そういうなかでどうするのか」というご質問です。

予算の問題はさておき、最近、始まった試みをご紹介します。モデルになったのは、イギリスのニート対策で始まった「コネクションズ」の手法です。「コネクションズ」は学校に「パーソナルアドバイザー」が入っていき、13歳時点で生徒に総当たりし、特にリスクを抱えて支援が必要だと思われる生徒を把握して、学校が終わるまでずっと関わりを持ちながら、義務教育が終わる16歳時点で無業で学校を去るようなケースの場合に、地域にある「コネクションズ」につなげていくという仕組みです。

コネクションズは、かなり大規模で予算規模も大きいのですいが、その手法を用いて札幌にある北海道地域若者サポートステーションが昨年、モデルプログラムをやりました。札幌市内にある3部制を採っている高校及び定時制昼間部の高校と連携するプログラムです。この高校は中退者が非常に多いのです。

キャリア相談の部屋が生徒のたまり場に

具体的に申しますと、札幌市内に地域若者サポートステーションがあり、そこへ来所するニート状態か非常に不安定な就業状態でさまざまな問題を抱えている若者への支援をやっています。

そこが、この学校にキャリアカウンセラーを派遣するようになったわけです。週2~3日、授業時間内に開室される進路指導室にいるようになりました。この学校の生徒は全部で450人です。一定期間に300人の生徒にインタビューを終え、生徒の状態を把握しました。

そこがいわば生徒たちのたまり場にもなり、そこでキャリアに向けての支援をやったのです。そこに来る生徒は中退しやすい事情を抱えています。その子たちが中退した場合には地域若者サポートステーションにつなげる、もしくは就職するための支援をするのです。

学校だけに任せずに、生きるための術を与える

これは日本では画期的なことで、いま各地でこういうことができないかと試み始めてはいますが、非常に時間がかかっています。学校の壁を破って、地域の人的資源が中に入っていきながら共同してリスクを抱える生徒の支援を開始し、学校から地域へつなげ、そこから仕事へつなげる、または職業訓練へ入れるとか、学校へ戻すということですが、それには個人情報保護の問題があったり、学校の先生が外部の資源を中に入れることに強く抵抗したりされる。こういう方式がかなり有効であることは、いろいろな国がすでにやっていて分かっている。でも、どこの国も「学校の壁は厚い」と口を揃えていいます。だからといって、学校だけに任せても無理です。学校の責任にするのではなく、地域の資源と学校とが結びつきながら、困難を抱えている生徒たちをできるだけ早いうちにいろいろな形で社会につなげる。学校に抱え込み卒業証書を渡すことが重要なのではなく、生きるための術を与えることこそが重要だという考え方に到達していると思われます。

毎年、いろいろな国を回っていますが、例えば高校の勉強が全然わからない生徒や、高校で学ぶことに意味を見出せない生徒に、「3年間、卒業証書をもらえるまで黙って教室に座っていなさい」ということ自体がそもそも無理です。ならば、こういう生徒に何をすべきか。1つは、座学と現場教育なり現場実習あるいは職業訓練をセットにしながら、高校資格も職業資格も取れるようにする。場合によっては、そこから仕事に就けるといったやり方もかなり広まってきています。ゆるやかに実社会の経済活動とつながるこのようなデュアルな学びを通して、自分を発見することもあるでしょう。

そういう点で、学校教育と職業訓練と職場と地域活動がミックスされ、いわゆる普通教育の知識中心教育では生きる方向も見つからず、そこに合わない生徒を救済し、彼らにオールタナティブな生きる道を与える方向に変わってきているように思います。日本もそれをやるべきだ、というのが私の考え方です。

ヒントになるオーストラリアの自立生活支援センター

その他、いくつかの質問には共通性があると思いますので、それらにまとめてお答えをするために、オーストラリアの自立生活支援センターの例を紹介させてください。家庭でも学校でも困難を抱えている10代の若者を、社会が自立させる方法としてとてもヒントになる事例です。

先ほどの岩田先生の話ではないですが、家にいても親と全然ソリが合わない、家庭もいろいろ問題を抱えている、それからメンタルな問題も抱えていて、家にいたら親に追い出されるか家出しかねない状況にある15~22歳くらいを対象にした「自立生活支援センター」がシドニーにあります。国のお金で動いていますが、実際の運営は民間NPOがやっている。

通常、子供を自立させるために順にステップを踏んで、結構長い時間をかけてそれをやっているのですが、困難を抱えている若者に対してはもっと系統的に短期間で効率的な支援をしながら自立に持っていく方式として非常にいいと思うのです。

そこは住宅の提供と生活支援サービスをセットで提供しています。まず、入所するためには基本的な料理とか掃除ができなければいけない。もしできなければ、その家庭に職員が行ってそれらの指導をして、ある程度できたら受け入れることにしています。入所期間は最長で18カ月くらいまでですが、最初は6カ月、その後3カ月と延ばしていきます。まず衣食住の訓練から始めます。買い物をすること、料理をすること、洗濯すること、掃除することです。

生活支援と費用の支給をセットに

このセンターが日本の若者自立塾と違うのは、生活費が支給される点です。それが「若者手当」です。金額は決して多いとはいえませんが、親に頼らず、そのお金の範囲内でどうやったら生活ができるのかを教えるのです。ただし、この手当は期限が限定されていて、最終的には「自分で立たなければいけないんだ」ということを目標にしながら、一定期間内その収入で生活します。そして、日常生活ができるようになったら、学校へ通うか、職業訓練に入るか、職場へ行って実際の研修を受けるかを本人と相談をして選ばせるのです。

最初の段階は、ケア付きの住宅です。本人にとっては、少々厄介で面倒くさく制約もあるでしょう。その段階を終わって次の段階になると、近所の家具付の独立住宅(市の所有)で友人とルームシェアができます。お金はちょっとかかるけれど、自由を得ることができるわけです。可能な若者には、アルバイトなどをさせます。そして、その時期が終わったら住宅を自分で借りて一人で生活するといった具合に順番に自立のステップを歩ませるのです。そのための生活支援とお金の給付がセットです。

日本には給付と支援サービスがセットになった支援の仕組みがないので強制力もありませんし、いつまでに自立できるかというめども立たない。結局、親もとにいることになり、あっという間に30歳代になっているのが今の日本の現状ではないでしょうか。

若者の自立支援は、最終的に仕事について自分で自活できるというところまで持っていくにしても、そのためにやらなければいけないことがたくさんある。そういうものが社会のなかにいろいろな形でできたとき、初めて包括的な支援の仕組みを持った国だと言える段階に至るのではないかという感じがしています。

直井
ありがとうございました。渡邊先生、つけ加えたいことがありましたら。

意識や価値に対してセンシティブに

渡邊
小杉先生から「意識、価値に働きかけるのはなかなか難しい」とのお話がありましたが、私としては、その政策の背後にある文化とか意識も、もちろんすぐ変わるものではなく何十年もかかるものかも知れませんが、やはり常に見ていかないと政策自体も実効性を持たないのではないかと思います。家族について我々が持っている意識と価値に対し、常にセンシティブでなければいけないと思っています。

それと、先ほど岩田先生がお話になった「教育の想像力」については、去年までの「生きる力」の獲得をめざす「総合的学習の時間」などのなかでこそ、そういったものを育むはずだったのではないか。そういう意味では、今は逆行しているのかな?と思います。それから、太郎丸先生の「人的資源のシグナル」に関してですが、「生きる力」というのはなかなか計りにくい。そこで、計りやすさとなると画一的なものになるわけで、そういうなかで勉強やペーパーテストはそんなにできなくてもいいと思っていた人たちが認められないというようなズレのなかで、今の逆行があるのではないかと思います。

もう1つ、日本の場合は学校の先生方にゼネラリストとしての役割を期待しているわけですが、先ほどの議論に出てきたように、社会とも繋がる形で多様なスペシャリストを配置するようなことを考えていかなければいけないのではないか、と思いました。

直井
ありがとうございました。金井先生、いかがでしょうか。

深めたいジェンダー非対称性の議論

金井
宮本先生のオーストラリアの包括的な支援のお話の、「生きる力そのものをつけてステップを踏んでいくということ」に、日本の現状を突破していく上で非常に示唆的な方向を感じました。それで、私はやはりジェンダーの問題に拘りたいのですが、オーストラリアの支援プログラムに参加している人の男性と女性の比率はどうなっているのでしょうか。

宮本
同じくらいです。それからシングルマザーも対象になっています。

金井
そうですか。オーストラリアがフィフティー・フィフティーの割合で女性も包括的な支援のなかに入ってきている現実があるのなら、日本にもそういったニーズが当然あると思います。やはり私が今日一貫して拘った若者問題のジェンダー非対称性というところを今後の議論の中でもう少し深めていただきたいと思いました。

直井
岩田先生、いかがですか。

「ばらまき」ではない効果的な所得政策の拡大

岩田
私も宮本先生がおっしゃった「総合政策」がきちんとなされるべきだと思います。今、いろいろな芽は出ているのですが、日本の難しさというのは、行政側の縦割りの壁がものすごく強いことです。「文部科学省も厚生労働省も内閣府もみんなでやりましょう」となってはいますが、やはりその壁が大変強いと感じています。それをどうするかが、他の国と比較したときの難しさだろうということです。

もう1つは、やはり裏づけとなる所得政策を有効に使うことだと思うのです。「困難を抱えた人が、後から生活保護にどっと入ってくるのではなく、有効に使うべきだ」という話が出ましたが、所得政策の枠を広げると必ず「ばらまき」という言葉が出て世論に押し返される。そこを皆がよく考えて、「効果的な所得保障を効果があるときに早目に出動することは決してばらまきではない」ということを、ぜひ世間に広めていただいきたいと思います。

直井
では、太郎丸先生はいかがでしょう。

抜本的な構造改革の実施を

太郎丸
今の日本政府は、やはり景気対策にもっとも力を入れているわけです。「景気対策が大事だ」というのを否定する気はありませんが、仮にそれがうまくいって景気が回復したとしても、今日、論じられたような問題はあまり解決されません。確かに失業率は下がるでしょう。けれど、非正規雇用がトラップであれば、そこからは抜け出られないので、再び景気が悪くなった時に失業してしまう。つまり、非正規労働者は、そのままそこから抜け出られないということです。確かに景気回復、経済が大事だということを否定はできませんが、やはり抜本的な構造改革のためにお金を使ってほしいというのが私の願いです。

直井
ありがとうございます。小杉先生はいかがですか。

汎用的技能を学校教育の1つに

小杉
まず、渡邊先生のおっしゃっていた「意識や価値に対してセンシティブでなければならない」ということ。私も同感です。私自身の中に内面化されているジェンダー的価値観、こういうことを常に意識しなければいけないし、そこから反省して、また考え直さなければいけない。これは、私自身もそうですし、社会全体も政策の中でもそうだと思います。また、それがアカデミズムの役割だと思うので、ぜひこれからもその立場からの発信をよろしくお願いしたいと思います。

それから、「生きる力」的な話が出ましたが、いま、文部科学省の審議会の中で、キャリア教育の見直しを考える部会があって、そのなかで「汎用的技能」というのを考えています。そこで私が訴えているのは、「労働社会に出たときに自分の身を守れる力を、ちゃんと学校の中でつけるべきだ」ということで、柱の1つになっています。この議論がうまくいって欲しいし、今後の学校教育の1つの柱になってくる可能性があるのではないかと思っています。

単身者に対する公共的な住宅の提供を

直井 道子 東京学芸大学総合教育科学系教授・日本学術会議連携会員/パネルディスカッション:パネリストからのコメント

もう1つ、大津記者がおっしゃっていたこと、「ハウジングプア」の話については、いま緊急対策の中で雇用に住宅をくっつける話が出てきて、これは大変いいことだと思っているのですが、やはり政策としては緊急の一時ではなく恒久化すべきだと考えます。これまで日本では「持ち家政策」をずっとやってきたのですが、これからは落ちる単身者に対して公共的な住宅の提供をしっかり考えていかなければならないと思います。

広範に存在する自立の困難に直面している人の問題

直井
本日は大変広範な議論になりましたので、これを総括するのはとても難しいのですが、簡単にまとめさせていただきます。本日の課題は、「誰が自立の困難に直面しているか」というテーマでした。「誰が」ということで明らかになったのは「低学歴」の人、といっても高校なのですが、高校卒あるいは学校中退者の方、女性がより多く自立しにくい、ということでした。また、地域によってばらつきがあって、製造業の求人などがない地域とある地域で自立困難度は異なるということでした。

それぞれが非常に広範に存在している問題ではありますが、こういう人たちが皆、困難に陥るわけではなく、今までは職場とか家族といった予防ネットワークが組み込まれていたのに、家族が変わってきて、家族から飛び出してくる若者たちがいて、そういう人たちが雇用保険、健康保険、年金保険から外れて生活保護ももらいにくい。さらには、早くから学校生活からも排除され、例えば障害があってもわからないままといった形で最も困難に陥っているのではないか、ということが議論されたと思います。

支援には共通と独自部分が

これからどうしていくかについての争点はもう出たと思うのですが、こういう方たちに対しての支援は、いろいろなケースに共通した部分と、それから独自の部分がある。例えば、大卒のいま職のない人の話と、若い時からドロップアウトした人の話とは、それぞれ違っているし、別な問題として考えられなければいけない問題と共通なものがあると思うのです。

共通の問題としては、1つはメンタルヘルスの問題です。これも単に精神障害者というのではなく、もっとセルフリスペクトとか自己肯定感がない人をどうしていくかの問題、それから女性の問題がちょっとなおざりにされているのではないかということ。この点は、まだあまり議論は深められなかったかも知れませんが、議論の出発点としては重要だと思われる話があったように思います。

支援については、単に雇用支援をすればいいという問題ではなく、もっと包括的なもの、生活自立から始まり、早期にそういう人々をつかまえて支援していく方法が必要です。それに加えて、やはり生活保障あるいは手当のようなお金の問題を絡めないと実際にはうまくいかないのではないか。そして、いろいろな省庁の枠を取り払い、学校段階からドロップアウトしない方策やあるいは中退後の支援について、多様な学校を認めることから始まって、かなり包括的な政策を考えなければならないのではないかというようなところにまで議論が発展したと思います。

プロフィール

かない・よしこ
専門分野は倫理学・女性学/ジェンダー研究。「若者問題」への接近のスタンス・関心は、今を生きる若者たちの「生きがたさ」に、フェミニズムで培った臨床内在的なまなざしを向け、その声の聴取を通して、この社会の問題・課題を析出することにあると考えている。日本学術会議連携会員。最近の著書に、『異なっていられる社会を 女性学/ジェンダー研究の視座』(2008年、明石書店)、編著に『ファミリー・トラブル 近代家族/ジェンダーのゆくえ』(2006年、明石書店)、『身体とアイデンティティ・トラブルジェンダー/セックスの二元論を超えて』(2008年、明石書店)がある。

わたなべ・ひでき
1978年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。東京大学文学部助手、電気通信大学助教授を経て、90年に慶應義塾大学文学部助教授、95年に同教授。99年から2003年まで、慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部部長。現在、慶應義塾大学教職課程センター所長、日本社会学会理事、International Journal of Japanese Sociology 編集委員長、日本教育社会学会理事、家族問題研究学会会長を務める。日本学術会議連携会員。主な著作に『現代日本の社会意識:家族・子ども・ジェンダー』編著(2005年、慶應義塾大学出版会)、『現代家族の構造と変容:全国家族調査[NFRJ98] による計量分析』共編著(2004年、東京大学出版会)、『家族と出会う』宮島喬・島薗進編(2003年、藤原書店)、『現代日本人の生のゆくえ』(2003年、藤原書店)、『変容する家族と子ども』編著(1999年、教育出版)などがある。

おおつ・かずお
1993年読売新聞東京本社編集局に入社。政治部(首相官邸、旧労働省など)を経て2000年12月より現職。2004年、米コロンビア大学院客員研究員。2006年、財務省の「多様な就業形態に対する支援のあり方研究会」委員。現在、厚生労働省の「今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会」委員。著書に貧困問題をルポした『置き去り社会の孤独』(日本評論社)、『介護地獄アメリカ』(日本評論社)などがある。「貧困ジャーナリズム賞2009」受賞。10年にわたり、雇用・少子化担当の専門記者として、ニート、ワーキングプアなど国内外の若年問題をはじめ、ワーク・ライフ・バランス、高齢者雇用、うつ病といった問題を取材している。

なおい・みちこ
1972年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京都老人総合研究所研究員、主任研究員、社会研究室長を経て89年より東京学芸大学助教授、95年より教授。日本学術会議連携会員。専門は社会学。主な研究領域は高齢者であるが、一貫して階層論にも関心をもっており、この領域の執筆論文としては「職業移動論・老年学と家族論の接点」、「社会階層と家族」などがある。