開催報告:第37回労働政策フォーラム
総合的職業情報データべース
『キャリアマトリックス』の新展開
~若年のキャリア形成と企業における人材活用の支援に向けて~
(2009年 2月13日)

※無断転載を禁止します(文責:事務局)

基調報告 ~開発の背景とこれまでの展開~

吉田 修 JILPT 特任教授

今日はキャリアマトリックス新版がでたということで、お忙しい中を、たくさんお越しいただき、私ども感激しております。

キャリアマトリックスは、もう既にお使いになられた方もたくさんいらっしゃると思いますが、「仕事についての総合情報データベース」というのが本来の考え方です。仕事についての百科事典であり、色々な適職診断テストだとか、教育用のワークシートなども含んでおります。今日おいでの学校関係の方々、企業関係、さらに独立してカウンセリング、コンサルティング等をやっていらっしゃる方々に対しても、仕事と人を結びつけるという意味でのサポートとしてお役に立てるシステムにしたいということで開発したものです。

詳細につきましては、次に松本副統括研究員のほうからご紹介いたしますけれども、まず、なぜキャリアマトリックスが生まれ、どのような考え方で開発されていったかにつきまして今までの歩みも含めましてご説明したいと思います。

1 キャリアマトリックス開発の背景

ご存知のように、現在、日本は、グローバルな経済競争にまきこまれております。80年代から工場が海外に出て行き、中国などからは大量のモノの輸入があって産業の空洞化が進みました。最近では単に工業製品だけではなく、システムエンジニア等の仕事もインドへ行ったり、アニメーターなどの仕事が韓国や中国へ行ったりということで、ITや情報の仕事も海外へ移っていったりする事態も生じております。いわば国際的な仕事の取り合いという事態が起き、賃金レベルも国際相場で決まっていくという状況が出てきています。

10年前ですが、リクルートが主要職業について日米の賃金レベルの比較調査をしました。そこでは全体の賃金レベルは、そう差はないが、日米では職種による違いが著しいという結果がでました。日本では、製造関係では技師や研究員など専門職と製造工など現場職員、また事務関係でも経営や金融など専門職と一般事務などの人たち、これらの格差は小さい。ところが、米国では、専門職と一般職との差、付加価値・生産性に応じた格差がはるかに大きいということでかなり注目されました。しかしその後は、日本でも職種による格差がでてきているように、国際的にも仕事の重みが評価され、そして「付加価値=給与」という原理に沿った動きが仕事の世界で生じてきております。

そこでは、労働者一人一人についても、国際的に高人件費の日本が生き抜いていくうえで、外部・内部の労働市場を通じての仕事と人の精密なマッチング、適材採用・適所配置が行われ、個々人がその職業について能力を高め、高い付加価値をつけていくことが求められております。これは人と仕事の結びつきが、従来の一生を通じて特定の職場に、企業にいるという「ヒトと会社」の結びつきから、「ヒトとその職業」の結びつきがより強くなっていくということです。それに伴う雇用の流動化、個人キャリアの自己責任化の流れはもう皆さんご存じのとおりです。

2 求められるキャリア・ツールとは

そういう中で、「労働力の活用、高度化」をやっていく上で何が必要かということを考えることになりました。厚生労働省からも、21世紀に向かってこのような行政を進めるためのツールが欲しいという要望がでてきました。変化の著しい現代の仕事の世界の中で、労働者市場における的確なマッチング、さらに企業の中での採用配置の精密なチューニング、そしてさらに個人レベルでは注意深いキャリアのプランニングが必要であり、これらを進める上で必要な道具は何かということになります。

第一には仕事の流通と能力開発のための「共通言語」です。今まで日本では、一応職業分類、職業名索引等がございますけれども、必ずしも仕事の内容をきちんと定義して、一般的にわかりやすく紹介するということはなかなかなされてきませんでした。JIS規格のように、ステンレスの厚板なら何番、耐熱プラスチックは何番という形で、市場で流通しやすいような形で共通言語をつくる必要があります。

第二に仕事・人生キャリアを考える上での基本的な職業の総合カタログみたいなものが必要です。大学進学についてはどのような大学、学科があり、そこに入るためにどうするかについては、豊富な資料があちこちから出ておりますけれども、仕事についてはそういうものはほとんどありませんでした。以上の2つをあわせ持つものをキャリアマトリックスで総合的な職業情報データベースとして開発していこうということになったわけです。これが国際的に見てどうだったかということですが、国際的な人材活用、人材開発の競争はもう既に始まっており、ツールの面でも、アメリカでは日本の相当先を走っておりました。既に1993年、当時のクリントン大統領が「21世紀において米国が国際競争に打ち勝つ唯一の道は、ネットワークに結ばれた、世界で最もよく教育訓練を受け、適切に配置され、引けをとらない労働力を持つことだ」と言っております。それを労働の面から支えようとしたのがアメリカ労働省の職業情報システム「O*NET」(Occupation Net)でして、1998年には、これが社会インフラとして活躍を始めており、日本もこれに遅れをとらないようにしたわけです。

3 開発の過程では

それではキャリアマトリックス開発の過程でどういうことを私どもがやったかということになります。まず、従来つくってきた色々なツールについて反省しました。私どもの労働政策研究・研修機構は、労働省系の職業研究所の流れを引いておりまして、もとの労働省でつくっておりました職業分類や職業情報適性検査などの研究開発を引き継いでやってきたところです。そういう流れの中で、しっかりしたものはつくってきたけれども、なかなか使ってもらえない、普及しないという悩みがございました。その反省と、民間に学ぶ‥‥‥松下幸之助さんがおっしゃったように「つくるよりも売るほうが難しい。実際に使ってもらうほうが十倍百倍難しい」ということを学ぼう、そこを踏まえて開発しよう使ってもらえるシステムにしようとしたわけです。

まず、情報の収集で、使いたいツール、使い勝手の調査というのをやりました。現場の調査では、第一線のハローワークや学校、高校、大学、事業所その他を幾つも訪ね、どんなものが必要で使ってもらえそうかということを調査いたしました。

それから、職業情報の収集です。これが非常に難しいテーマでした。労働省時代から職業情報を集めた「職業ハンドブック」などをつくっていましたけれども、残念ながら日本では、職業情報への社会的理解が今ひとつで、信頼できる具体的な情報の収集はおそろしく難しく、ハンドブックでは300職種ぐらいがひとつの限界でした。

今回はさらに、新機軸として各職種について求められるスキルや知識など数値情報も集めなければなりません。団体や企業現場などを戸別訪問したりして600職種を調査し、これをベースにして、さらにインターネットを通じて300万人以上のモニターに対するWeb職業調査を日本で初めて実施し、何とかデータを集めることができました。これからは職業情報に対する理解も深まってきて、社会の協力が得られるようになることを期待しております。

またユーザビリティがあるかどうかも厳しいユーザーテストを専門家によって何回も行い改良を重ねました。最後に勧奨訪問です。企業や学校を回って実際に使っていただく「モニターセールス」にも力を入れました。どんな小人数の会合でも出ていき、実演・説明をやったわけです。

これに7年間かかりました。開発は、実質的には2000年から始まり、約7年をかけて2006年の9月に第1版が公表されました。実はこの7年間というのは、黒部第4ダム、世紀の大工事と言われたあの巨大ダムの建設期間と同じです。キャリア・ツールをつくるのも着工から完成まで時間がかかるということです。

私どもが感謝したいのは、厚労省がその時間を与えてくれたことです。役所というのは、いろいろな事情から「とにかく形を整えてほしい、なんでもいいから年度内でつくってくれ」というケースによくなりがちです。しかし、キャリアマトリックスについてはとりあえずではなく、良いものをつくってほしいと必要な時間を認めてくれました。これがやはりキャリアマトリックスが社会に貢献できるものとなった大きな要素だったと思います。

4 まず若者からターゲットに

この開発の最中の2002,3年ごろからフリーター、ニート問題が非常に大きく取りざたされ、政府としての施策の重点にもなってまいりました。このために、若者にまず重点を置いてやろうという方針で、中身の設計制作に考慮を払いました。若者の進路指導にまず全力を挙げる。そしてそのシステムをつくる。若者の相談機関から始まって学校へと。キャリア教育の熱心な高校や大学にどんどん手をつけ勧誘し、訪問し、出ていって実演するということで、かなりのところで使っていただけるようになりました。

そのころになりますと、大学などでは皆さん大変関心を強くお持ちになり、多くの大学の就職センターやキャリアセンター、さらに専門学校において、標準的なリファレンスシステムという形で皆さんにリンクしていただけるようになりました。またもう一つの面では、民間の職業情報への影響です。民間提供によるこの種情報は就職・人材・キャリアサイトや進学サイト、雑誌・書籍などを通じて広く利用されていますが、従来、その中にはその質や信頼性では高いと言えないものもかなりありました。その辺が、私どもがキャリアマトリックスによりましてどんどん無償で情報提供を行うことによって、全般的に質の底上げがされてきたと学校の先生方などに言っていただいております。そういう社会的な普及の効果というものもあったかなと思っております。

さらに、キャリアカウンセリングの盲点対応ということがあります。実は、キャリアカウンセラーの方々のうち、企業などで人事、労務などをやっておられた方は別ですけれども、学校の先生方を含めて企業経験・ビジネス経験のない方も多い。したがって、産業界のなかにどんな仕事があり、どのような役割を果たし、どんな人が求められるのかというようなものについては詳しくない方が結構いらっしゃいます。そういう盲点に対して、ある程度信頼できる具体的なリソースとして私どもでサポートできる唯一のものがやっとあらわれたわけです。

5 公共インフラとしてのキャリマトリックス

おかげさまで、アクセス数は月200万ページビューを超え増加を続けるという、日本の公的サイトの中でも格別な数字を達成できるようになりました。

これまでの成果として、学校や相談機関、カウンセラーの方にはある程度使っていただけるようになってきました。しかし、残念ながら企業については今ひとつです。企業によっては、海外進出や外国人雇用などの場合には職務明細や採用要件をきちんとしなければいけないので使っていただいているところも増えてきていますけれども、一般的ではありませんでした。それが今回の新版で企業・求人者向けのシステムをつくるに至った大きな動機です。これからはユーザーの方々との双方向のコミュニケーションでよりいいものに仕上げていきたいと思っております。

またこういう公共的なインフラをベースにして民間でいろんなツールを開発されたり、自由な使い方を工夫されたりということがアメリカでは実際によく出てきております。私ども、将来的には、ぜひそういうことを期待したいと思っております。いろいろ申し上げましたけれども、これに続く概説、使用事例報告等でまた皆様方のお役に立てればと思っております。