事例報告2 女性活躍の3ステップ ~甘やかし 主体性 マネジメント~
- 講演者
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- 橋本 久美子
- 株式会社吉村 代表取締役会長
- フォーラム名
- 第144回労働政策フォーラム「あらためて女性の働き方を考える─改正女性活躍推進法の施行に向けて─」(2026年2月19日-26日)
- ビジネス・レーバー・トレンド 2026年5月号より転載(2026年4月27日 掲載)
当社は社員数238人の中小企業で、男女賃金格差は84.4%、女性の管理職比率30.6%の会社です。社員がどうやったら働き続けてくれるのかを考えて一生懸命やっていたら、結果的に女性活躍になったので、どうやって実践してきたかを報告します。当社はイベントでも会議でも、何かやるときには目的、目標を決めるようにしているのですが、この時間の目的は「女性活躍の参考にしていただくため」、目標は「『なるほど』と3つぐらいはメモしたくなるような実践報告をする」ということにしたいと思います。
橋本氏の生い立ちやこれまでの経験
出産と同時に専業主婦も経験、2005年からは20年間社長を務める
私は男女雇用機会均等法が成立する前に生まれた人間です。もともと父が当社の経営を務めており、子どもは私と妹の二人姉妹だったので、将来的には婿を取るのが当たり前という考えで、そのために「あの学校に行きなさい」と言われるような、アンコンシャスバイアスがある時代でした。
その後、当社に入社して、結婚・離婚を経験しました。その途中では出産と同時に専業主婦になって社宅生活を送ったり、元夫の転勤で帰京・復職して怒涛のワーキングマザーを経験しています。そして、2005年~2025年まで社長に就任し、社長を退任してから現在までは会長を務めています。
専業主婦時代に出会った園長先生の言葉で人生観が変わる
私は専業主婦時代に人生観が大きく変わりました。当時、社宅生活での派閥が苦しくて、社宅の人が誰も行かない幼稚園に子どもを行かせていたのですが、そこはけんかを止めない、給食も幼稚園バスも制服もない幼稚園でした。
そこの園長先生に「大人は子どもに教えられると思っているけれど、それは余計なお世話です。友達100人できるかなって歌もあるけれど、友達は1人いれば良くて、100人できた?っていちいち聞くから、子どものプレッシャーになる。いろいろと教える前に子ども自身が気づくのを待ちなさい」と言われました。それまでは子どもを導くのが親の務めだと思っていたので、自分の中で人生観がすごく変わりました。
また、園長先生は私に「お母さん、あなたの夢は何ですか?」とも聞いてきました。当時の私は子どもの成長が私の夢と思っていたのでびっくりしましたし、「そんなことを言う先生の夢は何ですか?」と聞いたら「私は平和な世界をつくることです」と返ってきたのを覚えています。こういった価値観は私の経営にあたっての考えにもつながっていて、自分は教えられるような存在ではないと認識したうえで、社員さんの成長を待つことを心がけています。
ほかにも私が園長先生に、「私が一生懸命働くとなると、出張もあったりして、子どもに寂しい思いをさせてしまう」と話したら、「寂しい思いをしたことのない子どもが立派な大人になれるでしょうか」と言われました。今までは、子どもに寂しい思いをさせてはいけないと思っていましたが、そうではなくて、そのなかで学んでいくことがあるということに気がつきました。
これは会社にも言えることで、失敗はどんどん次に生かせば投資になり、経験の量は質を高めます。だから当社ではあえて制度もいろいろ整えていないところから始めて、社員自身が「こういう時困ったから、こういうことがしたい」と言うのを待つということをすごく大事にしています。
株式会社吉村について
売り上げは61億円まで成長、経常利益の全社員への均等還元などにも取り組む
当社は、本社が東京都品川区にある創業93年の会社で、日本茶のパッケージを製造しています。売り上げは私の社長就任時は45億円でしたが、退任時には61億円まで成長しました。
他社ではあまりない数値を紹介すると、まず経常利益の均等還元をしており、利益が出たらそれを社員全員で均等に分けています。夏と冬のボーナスは別途ありますが、それは評価等で人によって金額も変わってきます。しかし均等還元は全員同じなので、例えば「光熱費も上がってきたけれど、もらえる金額を増やすためにどうするか」というのをみんなで考えることなどをやっています。
また、当社はもともと離職率が2.95%の会社ですが、近年は転職しても2年くらいでまた当社に戻ってくる人もいるので、出戻り率というのを出すようにしました。こういう逆張りの物差しを示すことも大事にしています。そして、私は代表取締役になる前に10年間専業主婦をしていましたが、これも逆張りの武器だと思っています。
「想いを包み、未来を創造するパートナーを目指します。」という経営理念も非常に大事にしています。私がトップダウンで進めるというのではなく、理念に沿って動いていくという経営をしています。
パッケージ製造以外に社員のアイデアで茶器や食品開発も進める
「日本茶で日本を元気に!!」というフレーズを10年ビジョンで掲げて、ここまで走ってきています。例えば、専業主婦の時、日本茶がまわりで全然飲まれていないことに驚いた経験があり、1995年から毎年、消費者の生の声を聞くグループインタビューをやってきました。私が司会をして、6人グループを10回ずつ、さまざまな人を対象に行いました。このデータは今ではすごい財産です。商品開発の向こうには生活者の生の声があるという実感があるので、社内の制度改革にも必ず、何か制度をつくりたいという社員の生の声を大事にしています。
事業領域は、一番メインはパッケージ製造ですが、経営理念を意識して、日本茶で日本を元気にすることを目指したら、パッケージ以外にも、茶器の開発を始めたり、お茶に合う食品の開発を始めたりするようになりました。こういうのは全部社員のアイデアで進めていて、そういった根幹が、女性が自分で意思決定できるところにもつながってきているのではないかと思っています。
これまでも東京都女性活躍推進大賞など、たくさん受賞させてもらいました。当社には高校中退の社員も多いですが、結構世界に通用することをやっています。そういった社員たちが働き続けるためにルールを変えたり、制度をつくったりしてきたことが、女性活躍と評価されました。
女性活躍の取り組み
つわり休暇の導入や、末っ子が小学校3年生になるまで取れる時短勤務を設定
女性活躍の取り組みには3つ段階がありまして、最初は甘やかしの時代でした。まず「MO制度」(戻っておいで制度)をつくったり、つわり期間が長くしんどくて会社を辞めてしまう社員が出ないように有休として使える「つわり休暇」をつくりました。当社ではワークライフバランスの取り組みを考える「オレンジプロジェクト」というのがあり、そこで声があがったものです。
また、末っ子が小学校3年生になるまで時短勤務をOKとする仕組みも、20年前から導入していました。当時は、女性社員は誰も辞めないけれどみんな時短勤務になってしまい、150人のうち18人が時短で働いているというような状況で、ギクシャクしている頃でもありました。
産休明けの社員の発信で水出しの茶器の販売を開始
この時、出産後も当社で働き続けた最初の女性社員が、産休明けに戻ってきた時に、「ママ友は麦茶はたくさん飲んでいるけれど、暑い時に急須で熱い日本茶は飲めない。夏にお茶をゴクゴク水出しで飲む文化をつくりませんか」と言ってきたことで、当社では水出しの茶器を販売するようになりました。
私はそれまで、自社は茶袋屋や包装メーカーだと思っていたので、とても勇気がいる決断でしたが、彼女に「理念には未来を創造するパートナーを目指すと書いてあるじゃないですか」と言われて、背中を押されて取り組みました。また、彼女が「ママ友はお茶屋さんに行かないのだから、お茶屋さんに並べるだけではダメ」と言うので、マルシェに出てテイスティングのイベントを開催したり、売り方を考えて提案していきました。
フルタイムで復帰した女性社員が、時間に拘束されない制度を提案
女性活躍の取り組みの2つめの段階では、「女性の社会進出と男性の家庭進出はセット」という考えで、「出産後もフルタイムですぐに戻りたい」という女性社員が出てきました。
私は、「せっかく時短勤務できる制度などがあるから、使わないのはもったいなくない?」と言ったのですが、彼女からは「私のためだと思っているかもしれないけど、ママが時短、パパがフルタイムで固定化するのは望まないので、余計なお世話です」と言われました。ただ、こういうことが言える関係性こそが、特に中小企業ではすごく大事だと思っています。彼女はフルタイムで復帰して、ブランドオーナー制度(手挙げ式で、自社の商品・ブランドについてオーナーとして「販売数を〇件増やす」などと企画して取り組む制度)や、プランニング手当(立案・企画を構想したことに対する手当)など、時間に拘束されない制度をどんどん起案してくれました。これがきっかけとなって、18人いた子育て時短社員が、2人を残してフルタイム社員になりました。
日本茶を飲んでもらうためのチョコレートの販売も開始
また、彼女は「『日本茶は主役だ』と思って商売しているとうまくいかない。ママ友はみんなが美味しい日本茶を飲みたいと思って生きていないし、みんなペットボトルのお茶で十分美味しいと思っている。そういうママ友が日本茶を入れて飲みたいと思うのは、美味しい大福やたい焼きがある時だ」と言いました。「日本茶は脇役なのだから、その脇役を引っ張り出す主役を自社で売りませんか」という提案で、日本茶に合うチョコレートの開発・販売を始めました。
この時も、「ママ友はお茶屋には行かないのだから、まずは有名な雑貨店などに置いてもらうことからだ」と言われて、初めて東京ビッグサイトのギフトショーに出展しました。そこでフード大賞をいただき、販売を進めていったことで、だんだんお茶屋さんの売り場も、顧客の若返りに合わせて変わっていくような流れができました。
ほかには、リモートワークも先駆的に導入していて、夫の転勤についていくことになった女性社員や、介護をすることになった女性社員が働き続けられるようにしました。コロナ禍の時でも、すぐに本社全員がリモートワークできるくらい先駆者がいるのは強いです。
女性管理職が増えない壁にぶつかる
女性活躍の取り組みの3つめの段階では、女性管理職が増えないという壁にぶつかりました。みんな、主任くらいまでにはなるのですが、それ以上になると「私は人を評価するところに行きたくない」「そんなことを望んでいない」と言われました。
私は中小企業家同友会でいろいろと学んでいるのですが、そこで「ピンクカラージョブ」という言葉を聞いたことがあります。女性が管理職になりたがらない要因として、例えば看護師や秘書など、もともと女性が担ってきた仕事(ピンクカラージョブ)は多くの場合、クライアントやご主人様を支えている仕事だから、自分で目標値を持って何かを成し遂げたいという考えになかなかならないのではないかというものでした。驚きましたが、自社でもそうなのではないかと気づきました。
デザイナーだけの新部署を立ち上げ、女性課長が部署独自の理念を作成
当社は営業所が6つあって、それぞれに営業事務やデザイナーがいます。特にデザイナーは各拠点にだいたい2人ずついましたが、上司の所長は元営業マンで数字が稼げる男性です。なので、デザイナーからはデザインの大変さや苦労がわかってもらえず文句が出ていました。それであれば、デザイナーだけで1つの部門をつくろうと思って、「クリエイティブデザイン部」をつくって、そのなかで一番できそうな社員に課長をお願いしました。この社員は女性で、就任前から「不安です。私がやらないと言ったらどうするのですか」と言って大泣きしていました。
それでは、実際に彼女が何をやったのかというと、会社の理念に対して、デザイナーはどんな行動をすればいいのか、その距離感が遠かったので、クリエイティブデザイン部の理念をつくりました。それは、「私たちは『想い』と『伝わる』を結ぶカタチを創造します。」というものです。
当社は経営方針に「社会性(自分が頑張ったことによって社会はどう良くなっているか)、科学性(どうやって儲けるか・価格決定権や参入障壁を持つか)、人間性(社員の幸せや関わる人の幸せ)」を入れているのですが、クリエイティブデザイン部は、この会社の理念を実現するためにデザイナーは何をするのかというのを全員で考えました。
彼女は、「私は今までマネジメントというのは、部下が困っていることに対して、こうしたらどうかと指示したり、相談に乗って導いたりするような、『上司についてこい』というものだと思っていた。けれど違って、困ったことがあったら『理念に照らして考えてみようか』と、一緒に考えればいいし、『理念についてこい』と言えばいいとわかった」と言っていました。今は彼女がモデルとなって、女性の管理職は増えてきています。
経営会議に未来枠を設定し、女性や若手の社員も参加
もう1つ取り組んだことは、経営会議の未来枠の設置です。経営会議は課長以上が参加しているもので、どうしても意思決定の場が男性ばかりに偏り、男性優位になってしまうところがありました。そこで、最初にお話しした「経験の量は質を高める」という考えのもと、このなかに未来枠というものをつくって、女性と入社して間もない若手の社員に入ってもらうようにしました。
それによって女性や若手の社員が、「意思決定をするのって怖くないな。経営ってこんなふうにやっているのだな」というのを身近に感じるようになり、意識が大きく変わったと思っています。こうした点を大きく評価していただいて、2022年度に東京都女性活躍推進大賞を受賞させていただきました。
でも、1つ言わせてもらうと、受賞は採用に有利かというと、そんなことは全くないと思っています。私は今いる、縁があって、この理念に共感してくれている社員が、どうやったら働き続けてくれるのか、一人ひとり価値観が違うところにピタッと合わせていくのが、中小企業だからこそできる強みだと思っています。制度より風土、そして理念が大事だと考えます。
ということで、「女性活躍の参考にしていただくため」に「『なるほど』と3つぐらいはメモしたくなる」ような実践報告だったら幸いです。
プロフィール
橋本 久美子(はしもと・くみこ)
株式会社吉村 代表取締役会長
1959年生まれ。男女雇用均等法以前の世代。1982年、父親の経営する吉村紙業株式会社に入社。1986年に出産のため退職。専業主婦に。1998年に復職し、マーケティング・商品企画・社内制度改革を経て、2005年に代表取締役社長に就任。年商53億から45億に落ち込んだ日本茶パッケージ製造業を2025年会長就任時までに61億まで回復した。2017年経済産業省「新ダイバーシティ企業100選」、2018年「第8回日本でいちばん大切にしたい会社大賞 中小企業基盤整備機構理事長賞」、2022年「東京都テレワークアワード大賞」、2023年「東京都女性活躍推進大賞」受賞。(一社)東京中小企業家同友会代表理事・中小企業家同友会全国協議会女性部連絡会代表。過去に赤字もリストラもしたことがないことが自慢。


