パネリストからの報告2 使用者側の立場から
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- 木下 潮音
- 第一芙蓉法律事務所 弁護士
- フォーラム名
- 第134回労働政策フォーラム「ICTの発展と労働時間政策の課題─『つながらない権利』を手がかりに─」(2024年8月30日-9月5日)
- ※所属・肩書きは開催当時のもの
- ビジネス・レーバー・トレンド 2024年12月号より転載(2024年11月25日 掲載)
私からは使用者側の立場として、現に今、労働時間管理がどのようにされているのかも含めてコメントしたいと思います。
1.労働時間管理とICTの発展
(1)原則的な労働時間管理(労基法32条)
事業場内での業務だけなら、ICTの発展の影響は少ない
はじめに、労働時間管理とICT(情報通信技術)の発展がどういった関係にあるのかを、労働時間の管理方法ごとに考えていきたいと思います。
まず、多くの事業場で行われている労働基準法32条をもとにした原則的な労働時間管理です。わが国では、法定労働時間で定められた所定労働時間が契約上の労働時間ですが、その一方で、就業規則と、いわゆる36協定に基づく時間外労働命令が適法に行われることになっています。これはとても伝統的な働き方で、多くの労働者がこういった状況下で働いています。
業務の遂行が事業場内で行われている限り、ICTの発展は、労働時間管理にはあまり影響しないのではないでしょうか。「働き方が便利になった」などと思うことはあるかもしれませんが、事業場内で業務が行われ、事業場の外に出たら仕事から解放されることが保障されているような工場での労働などの場合、ICTが発展しても労働時間管理とはあまり関係はありません。
モバイル機器の貸与が「どこでも・いつでも」残業を可能に
ではなぜ、ICTの発展が問題になるのか。PCやスマートフォンなどのモバイル機器を業務用に貸与すると、どうしてもそれを自分の手元に置いておきたくなり、持って帰ってしまいます。すると、所定労働時間外や事業場外にもかかわらず、モバイル機器を通じて業務へのアクセスが可能になるわけです。使用者も業務指示が可能になり、結局は持ち帰り残業が発生してしまうことになります。
労働時間の管理がしやすくなる面も
ただ、この原則的な労働時間管理は、業務に対応した労働時間を記録・管理するものなので、ICTの発展は労働時間の管理上、有意な面もあります。メールの記録あるいはスマートフォンの通話記録などで、どのぐらい仕事をしたかを分単位で確認できるため、指示された業務に対応した労働時間はむしろ管理しやすくなる側面があるわけです。このため、多くの問題は、原則的な労働時間管理以外の方法がとられている職場で発生しているものだと思っています。
(2)フレックスタイム制(労基法32条の3)
ICTの発展と有意な関係にあるフレックスタイム制
その第1がフレックスタイム制です。フレックスタイム制では、日々の始業・終業時刻は労働者の自主的な決定に委ねられていて、清算期間の総労働時間を労働者が自主的に配分することになります。なお、清算期間は法律上、3カ月以内ですが、通常使われているのは1カ月です。
フレックスタイム制では、労働者が自主的に労働時間を決めることができるので、日々の時間外労働命令というものに本来、意味はありません。しかし、この清算期間の1カ月の総労働時間を超過するには36協定が必要だとして、労働時間が管理されています。
そして、ICTの発展とフレックスタイム制は、非常に有意な関係にあります。今のトレンドは在宅ワークですが、ICTの発展によって、「どこでも・いつでも」働くことが可能になりました。このため、一斉に働くことや仕事を終えることが不要になるフレックスタイム制で選択が有利になるはずです。実際、厚生労働省などもフレックスタイム制を導入することで在宅労働が合理的に進められることを指摘していますし、特にコアタイムのないフレックスタイム制が進められているのは、このためだと思います。
自主的な労働時間の決定が阻害される可能性
ただ、この自主的な労働時間の決定が、「どこでも・いつでも」つながることにより、かえって阻害される可能性があります。例えば、「今日は10時から仕事しよう」と思っていたのに、上司から朝8時に「もう仕事しろ」「何で今やってないんだ」などと連絡が来たら、これでは全然フレックスになりません。
フレックスタイム制をきちんと導入しようとすれば、つながらない時間を労働者が自主的に決定できることが求められます。ICTの発展があってもなくても、出社していても在宅で働いていても、つながらない時間(労働しない時間)を自主的に決定することが労働時間法制として求められています。
つながらない権利に結びつかない変形労働時間制
配布資料には載せませんでしたが、法令として次にくるはずの変形労働時間制は、1カ月や1年の法定労働時間以内の総労働時間を使用者側があらかじめ綿密に指定することによって成立するものです。この「綿密な指定どおりに働く」ことと、ICTの発展によってつながらない権利に結びつくような「どこでも・いつでも」働けることは、本来、矛盾しています。変形労働時間制の職場で、どんなにICTが発達しても、つながらない権利の問題はむしろ起きてはいけないことです。もしも何らかの問題が生じた場合は、変形労働時間制が正しく運用されていないことになりますので、配付資料からはあえて外しました。
(3)事業場外のみなし労働時間制(労働基準法38条の2)
次に、みなし労働時間制とICTの発展の関係です。まず、事業場外のみなし労働時間制については、労働時間の全部または一部について事業場外で業務に従事した場合、労働時間を算定しがたいときは、実労働時間の管理を行わず、所定労働時間みなしが原則になります。
ただし、この所定労働時間みなしは賃金時間の管理のことで、健康管理の時間としては、実際どれだけ働いたかを後から記録をとって把握することとされています。また、この場合の労働時間については、例えば「1日9時間ぐらいの事業場外労働を行っている」ということを労使協定で合意すれば、それが通常の労働時間となり、所定労働時間以外の時間をみなし労働時間と定めることも可能になります。
「つながらない権利が認められること」が適用要件に
この事業場外労働とICTの発展は、大変深い関係があります。「どこでも・いつでも」指示命令が可能になると、労働時間を算定しがたいときには当たらないというように考えられることになるからです。
最高裁判決では、「阪急トラベルサービス事件」(編集部注:添乗員の業務について、事業場外労働のみなし労働時間制が適用されるか否かが争われ、適用されないとの判断になった)の考え方がある一方で、今年4月に出た「協同組合グローブ事件」(編集部注:労働者が事業場外みなし労働時間制が無効だとして未払い残業代を雇用主である団体に請求した事件)での最高裁判決では、逆に「電話を持っているけど、切っていてもいいことになっていた。いつ連絡されても、すぐに返さなくてもいいことになっていた」ということで、ICTの発展した最近の事件でありながら、事業場外労働のみなし労働時間制適用の労働時間を算定しがたい場合に当たる可能性をふまえて、差し戻し判決になっています。
つながらない権利と言っても、ここでの「権利」は労働法上の権利というより、現実の運営としてつながっていないこと、貸与されているPCやスマートフォンを切っている時間が認められていて、すぐに応えなくていいということが、事業場外労働のみなし労働時間制の適用要件になっている。そのことが、現行の法令や最高裁判決などから理解できると思います。
(4)裁量労働のみなし労働時間制(労働基準法38条の3、4)
その次は、業務の性質上、遂行方法が労働者の裁量に委ねられている、裁量労働のみなし労働時間制です。フレックスタイム制よりも労働者の裁量性が高く、そういう働き方をする以上、合理的な管理として実労働時間の把握は行わず、賃金時間の管理については法の定める方法で労使合意したみなし労働時間にする制度です。なお、裁量労働制は労働法上、専門業務型と企画業務型がありますが、ここでは一緒に考えます。
法の定める方法は、専門業務型は労使協定で、企画業務型は労使委員会の決議になります。また、事業場外みなし労働時間制と同様に、賃金時間としての管理はみなしですが、健康管理時間として実労働がどれだけ行われたかは、やはり把握して管理する必要があります。最近では、むしろ健康管理時間のほうが厳しくなっており、裁量労働制を採用する以上は、健康管理の方法や内容も決めなくてはならないようになっています。
求められる「つながらない時間」の自主的な決定
こうした現行の労働時間管理のもとでは、ICTの発展で「どこでも・いつでも」業務の遂行が可能になり、労働者の裁量がさらに広がってきます。すると、より裁量労働のみなし労働時間制が適している場合と、その反対に「どこでも・いつでも」指示命令が到達してしまうから、本来の裁量的な働き方が実際にはなされていないケースの両方が想定されます。
そうなると、先ほどのフレックスタイム制と同じように「つながらない時間」を自主的に決定できることが裁量労働制の適用において求められているのではないか。現行の法律上も「つながらない時間」がないと、裁量労働として本当に認めていいのか、といった議論が必ず発生することがわかります。
むしろ、今のICTの発展によって幅広くダイナミックな仕事ができるという意味では、裁量労働を適用されている人で、ICTの発展に影響を受けていない人はいないと思われますので、この点は非常に重要なポイントだと思っています。
(5)管理監督者(労基法41条の2号)
労働時間管理の最後は、管理監督者です。管理監督の地位にある者は、労働時間、休憩および休日の規定が適用除外であり、深夜業のみ割増賃金の対象になっています。この深夜業の割増賃金も、労基法37条、24条違反として刑事罰をもって強制されている労基法の規定のなかに入っています。「どこでも・いつでも」仕事をしている管理監督者であっても、実際にその地位に基づいていつ・どこで働いたかというのは、必ず記録し管理されていなければならず、使用者はそれを把握していなければなりません。
しかし、使用者が把握しているからといって、管理監督の地位ではなくなったわけではありません。最近、「時間管理ができているということは、時間管理の対象になっているではないか。ならば管理監督者ではないのでは?」という議論がありますが、それは間違いだと思います。
使用者との一体性の実現で過重労働の危険が
自分の裁量あるいは権限に基づいて働いた結果を管理するのと、指示命令に基づいて働かなければいけない立場にあるのは、明らかに区別して考えるべきです。それがICTの発展によってどうなるかというと、管理監督者は「どこでも・いつでも」業務の遂行が可能になり、よく言われる使用者との一体性の実現にむしろ資することになってきます。ただ、健康管理面では実労働時間の管理が非常に困難になり、過重労働の危険が生じてきます。
本フォーラムの視聴者からの事前質問を拝見しましたが、最近の36協定の上限時間の規制強化により、一般労働者の労働時間は短くなったけれど、そのしわ寄せが管理監督者に来ていて、管理監督者の長時間労働が非常に問題になっているといった事業所がありました。これは、私も現実にいろいろな事業所を拝見するなかで気づいていることです。今はむしろ、管理監督者のほうが長時間労働、ストレス労働の危険にさらされていることも考えておかねばなりません。
部下に「どこでも・いつでも」労働を求めてしまう弊害も
一方で、管理監督者が使用者と一体となるとはどういうことなのか。それは、いわゆる一般の労働者である部下に対して、労働を指示命令する立場にあるということです。電通事件の最高裁判決にもあったように、法人の使用者に代わって、現に労働者を管理監督する地位にある者が労働者に労働を命ずること、そして安全配慮義務の内容にもなっているように、自分が労働を求める立場だという二面性のあることが管理監督者の特徴になります。
この二面性の点から、ICTでつながることが、部下の一般労働者に対して「どこでも・いつでも」労働を求めてしまうといった弊害が起きることになります。この「いつでもどこでも自分は働くのだから、部下にも働いてほしい」といった弊害が起きることは非常に問題だと考えています。
2.健康管理とICTの発展
さて、今回のフォーラムでは、賃金時間としての労働時間よりも、健康管理としての労働時間のほうに主たる視点があります。ここからは健康管理とICTの発展について考えていきたいと思います。
長時間労働による健康被害の危険は、労働時間管理の形態にかかわらず、すべての労働者に共通しています。どの管理形態をとっても、どのような働き方をしている労働者でも、長時間労働が健康被害に結びつかないことはあり得ません。使用者は、どの労働者に対しても安全配慮としての長時間労働防止の責任を負っています。
健康管理時間の把握を容易にするデジタル記録
最近では脳心臓疾患、特に高齢者の発症と労災認定が増えており、そのなかには管理監督者も多く含まれています。健康管理とICTの発展の関係でみると、繰り返しになりますが、賃金時間管理とは別に、健康管理としての労働時間の把握が重要です。そして、いつどこで仕事をしたかというのは、デジタルで記録がしっかり残ります。労災申請時によくみるのですが、持ち帰っていたPCのログを調べると、ワードやエクセルなどといったソフトを何時何分から何時何分まで使っていたことが記録されています。その記録を吸い上げ集計することで、健康管理時間の把握はむしろ容易になる面もあります。
ただし、容易になるからといって良いことばかりではありません。深夜でも事業場外でも自宅でも仕事ができてしまう状態のなかでは、やはり仕事からオフすることが健康管理上、重要です。過重労働防止の対策として、仕事から完全にオフする状態、いわゆる「つながらない権利」を認めること、そしてそれが進展・定着することがとても必要なことだと思います。
誰が労働者につなげることを求めてしまうかの分析と対策を
安全配慮義務として労働時間管理が必要なことは、使用者側は皆、理解しています。少なくとも、それを理解しない使用者は本来いないのですが、それでも問題が発生しています。では、誰が労働者につながることを求めてしまっているのか。久保先生や細川先生の報告にもありましたが、やはり職場ごとに状況が異なることを前提に、それぞれの職場で分析し対策を考えることが重要ではないかと思います。
そのために、各職場で行われている安全衛生委員会などは大変貴重な場ですし、そういう場を通じて、「私たちの職場では誰が労働者に深夜でも休日でもつながることを求めてしまっているのか?それは本当に必要なことなのか?」などといったことを分析しながら対策を講じていくような対応が、使用者にとっても重要な時代になってきていると考えています。
3.ハラスメント防止とつながらない権利
「誰がつながることを求めるのか」については、ハラスメント防止との関係も考えていく必要があります。そもそも、職場の上司からの不当・不要な時間外労働や過重労働の指示は、(厚生労働省が分類している)パワハラ6類型のなかの「過大な要求」そのもので、パワーハラスメントに該当するわけです。
つながりの必要性を検証・啓発することでセクハラを防止
職場の上司・部下の関係だけではなく、職場の同僚どうしの関係でも、業務時間外・業務場所外での個人的な連絡方法をお互いが交換することによって、業務とは全く関係ない連絡が来るようになり、それがセクハラにつながっていることも少なくありません。
職場の誰かとつながることがそんなに必要か、あるいは業務の連絡上、どうしても自宅あるいは事業場外にいるときや、連絡をとれる方法がなければいけないという職場であっても、「それって本当に必要な連絡なのか」ということを啓発し徹底することは、職場でのセクハラ防止のためにも実はとても重要です。
ハラスメント防止の観点での啓発については、第一義に「職場でハラスメント防止のためには使用者の方針を明確にし、それを周知・啓発すること」が大切です。そのための研修を徹底することで、もしかしたら「つながらない権利」の実現が可能になるかもしれません。これは私の個人的な意見ですが、職場ではハラスメント対策としての「つながらない権利」の視点も重要ではないかと考えているところです。
ICTの発展で取引先や消費者からの常時アクセスが可能に
今、問題になっているハラスメントに、カスタマーハラスメントがあります。職場の上司・同僚との間では、仕事をする時間・しない時間を明確に分けることができますし、それを超えてつながろうとしてしまった行為に対して、同じ労働契約のなかで、職場秩序違反や安全配慮違反ということで懲戒もできます。しかし、行為が顧客であった場合、使用者としては懲戒というような抑制方法がとれません。
一方、ICTの発展で取引先や消費者、それがBtoBであってもBtoCでも、その相手方から労働者個人に常時、アクセスできるようになっています。例えばBtoBでは、取引先との連絡のために業務用のスマートフォンの番号を公開しています。名刺交換する際、業務用のスマートフォンの番号が入っている名刺をいただくことがよくあります。最近は代表電話が書いていない名刺も珍しくなく、スマートフォンの電話番号のみの名刺も本当によくいただきます。
また、顧客はいつでも担当者にメールでアクセスすることが可能で、メールを打てばすぐに返事が欲しいとなり、結局、その労働者は常時、メール対応を強いられることになります。
カスハラ防止のためにつながらない状態をつくる
ICTの発展は、特にカスタマーハラスメントとの関係で非常に深刻な事態を引き起こしています。事前質問のなかに、「常時つながることを、いわゆる取引上の優位性として公表し、『いつでもどうぞ』ということでやってきました」といったご意見をいただきました。「どこでも・いつでも」が、今やサービスとして求められているわけです。
そうした状態をふまえて、厚生労働省のカスハラ対策の企業向けマニュアルの定義をみると、「顧客などからのクレーム言動のうち、当該クレーム言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当であって、当該手段対応により労働者の就業環境が害されるもの」とされています。そして、具体的な例として、「継続的な(繰り返される)執拗な(しつこい)言動」や「社員個人への攻撃や要求」などが挙げられています。
このマニュアルに照らして、カスタマーハラスメントの防止を考えようとすると、こういう行動が顧客によって起きないような体制をとらなければなりません。それは、「つながらない権利」を労働者に認めてあげないと可能にはなりません。労働者への不当なカスタマーハラスメントを防止するには、つながらない状態をしっかりつくっておくことが重要だと思います。
「つながらない権利」はハラスメント防止にも重要
結局、「つながらない権利」というのは、ハラスメント防止の点からも有益な考え方ではないかということになります。これは、つながることによって精神的ストレスから労働者の心身の安全が害されるという問題に、直接結びつく問題ではないかと思います。これが今、現実に労務管理をしている使用者側の立場として、私が申し上げたいことです。
プロフィール
木下 潮音(きのした・しおね)
第一芙蓉法律事務所 弁護士
第一芙蓉法律事務所弁護士。東京都出身。早稲田大学法学部卒業。1985年弁護士登録。1992年イリノイ大学カレッジオブロー卒業、LLM取得。2004年4月 第一東京弁護士会副会長就任(2005年3月退任)、2010年4月 東京大学法科大学院客員教授就任(2013年3月退任)、2013年4月 東京工業大学副学長就任、現在に至る。現在、過労死等防止対策推進協議会委員、経営法曹会議常任幹事、日本労働法学会理事、第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長。