パネリストからの報告2 東京理科大学のリカレント事業~デジタル人材育成の事例紹介~
- 講演者
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- 小原 正之
- 東京理科大学 経営企画部 次長
- フォーラム名
- 第132回労働政策フォーラム/大学等の質保証人材育成セミナー「キャリア形成に寄与する学び直し・リカレント教育」(2024年3月16日-19日)
日本の良さや強みを活かしたDX推進を
本学はもともと社会人向けの夜間コースや専門職大学院などを設けていましたが、幅広い年代が学べる場・リカレント的要素を持った社会人教育を行う場として、2018年にオープンカレッジを立ち上げ、そこでデジタル分野に関する講座も開講しました。また、2021年度からはオープンカレッジをもう少し体系的に学べるような形で、リスキリング的要素を持ったデジタル分野に関する社会人教育を行うためのDX(デジタル・トランスフォーメーション)人材育成プログラムを導入しており、直近の2023年度は「DX時代を先導するハイブリッド人材のための“リスキル×アドオン”プログラム」という名称で実施しています。
デジタル分野でリスキリング・リカレント教育をしようと考えた背景には、日本のデジタル技術の普及状況の低さがあります。日本は世界と比べてデジタル競争力が低く、スイスの国際経営開発研究所の2023年調査では32位と、2017年の調査開始以来最低を更新しました。項目別の結果では「人材」や「ビジネスアジリティ(ビジネスにおける敏捷性)」のランクが他と比べて低く、デジタル分野に精通した人材の不足や企業の環境変化への対応が課題視されました。
コロナ禍や、それ以前の社会構造の大きな転換により、日本企業でもデジタル技術の活用とそれによる事業の立て直しが必要になっていると考えますが、普及はまだ進んでいません。一方で、日本企業は高付加価値・高効率で、日本的文化に根ざした強さを持っているので、単に海外のシステムを入れるのではなく、日本の良さや強みを活かしたDXを進めるべきだと思っていました。そこで、そういったDXを推進できる人材を育成するプログラムを導入する必要があると考え、設計を進めました。
DXの「X」(トランスフォーメーション)の視点を持つ人材の育成が必要
プログラムを設計するうえで、さまざまな企業へのヒアリングを行ったので、そこで気づいたことをふまえて、あらためてDXの定義を整理します。論点としては、「単純にデジタル化に取り組むだけで、DX化が進み、事業も人も育つのだろうか」ということです。
DXの定義については、経済産業省の「デジタルガバナンス・コード2.0」は、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」としています。一言で言うと、デジタル技術を活用して新しいビジネスモデルを確立するということですが、これはけっしてデジタル技術を利用することだけを示しているのではありません。
本学がヒアリングした企業には、紙の書類などのアナログデータをデジタルデータに置き換えること(デジタイゼーション)や、特定のプロセスの効率化のためにITシステムなどのデジタルツールを取り入れること(デジタライゼーション)を行った時点で、DX化していると満足してしまうところが意外と多くありました。本当のDXは、デジタル技術の活用により、新しい商品、サービスの提供や新たなビジネスモデルの開発などを行うことを指していて、ここまで到達している企業はとても少なかった印象を受けました。
また、DX化に向けて育てたい人材も、中小企業庁やさまざまな企業の定義をみると、だいたい「最新・最先端のテクノロジー」で「新たな価値提供」をすることがキーワードとなっていますが、企業のヒアリングを通して感じたのは、求められているのは画一的な人材ではなく、さまざまな分野や領域、役職・役割・レイヤーによって学ぶべき内容が異なるということです。
DXの「X」(トランスフォーメーション)の部分に、日本ならではの変革の意義や、世界をリードするチャンスがあるのではないでしょうか。日本には質の良さやおもてなしの精神、日本人ならではのコスト感覚などが本当はあるはずなのに、DX化が進んでいる国から、国外製主導のプラットフォームを使用することで、日本ならではの強みが活かされず、DX化の遅れがさらに遅れを生み出す負のスパイラルに陥っていると感じます。
また、2021年度、2022年度とDX人材育成プログラムを実施してわかったことは、DXの「D」(デジタル)に焦点を当てるだけでなく、「X」(トランスフォーメーション)の視点を持つ人材が重要であるということです。日本ならではの強みを活かしたDXができる中核人材を育てるためには、デジタルスキルとともに、未来への想像力や柔軟な対応力、周囲を巻き込む力、前へ進むエネルギーなどを持っていないといけないと感じました。
デジタル技術に関するハイエンド人材・ミドルスキル人材の両方を育成
デジタル人材の育成が必要な範囲はどこなのか。経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)で2022年に策定・公表した「デジタルスキル標準」では、DXを推進する主な人材として、ビジネスアーキテクト、データサイエンティスト、サイバーセキュリティ対応人材、エンジニア、デザイナーの5類型をあげています。ただし、ここでも求められているのは画一的な人材ではなく、各分野や領域で学ぶべきことはそれぞれ違うでしょう。
また、経済産業省で実施されている「デジタル時代の人材政策に関する検討会」では、デジタル技術について優秀なハイエンドの人材と、ミドルスキルの人材の両方を育てる必要性を提示しています。人事の正規分布で2・6・2とよく言われますが、ハイエンドの2割の人を育てるのも、真ん中の6割の人を育てるのも重要であると。
優秀な人材は先導的にデジタル技術の便利さやすごさを見せてくれる集団なので育成が必要となりますが、労働流動性も非常に高く、企業からいなくなってしまう可能性も高いです。一方で、事業を進めるためには労働流動性が低く、コアメンバーとなる中間層が厚くないといけませんが、中間層ばかり育成しても新しいイノベーションは生まれにくくなります。そこでミドルスキル向けとハイエンド向けの、両方の教育を行うことが必要になります。
本学では、両方に対応した2種類のプログラムを用意しています。1つはハイエンド向けに、先導的な内容を身に付けることができるよう、半年間で60~100時間ほどをかけて体系的に学ぶプログラムを用意しました。もう1つは、ハイエンド・ミドルエンドの両者を対象に、自分の興味がある講座を選び、1つの講座につき1日~10日間ほど(およそ1.5~10時間)で学ぶことができるプログラムとなっています。
就業で獲得している知識にプラスして、対応するデジタル知識をプラスする
まず、ハイエンド向けの先導的なプログラムでは、今までのキャリアをリセットしスキル転換を図ることだけでなく、すでに自身が持っている能力・ノウハウに新たにスキルを付加することを柱にしています(シート1)。例えば、システムエンジニアのスキルを持っている人にはプラスしてDXの先進事例や他部門を理解する力を身に付けること、事業責任者クラスでビジネスを統括する力を持っている人にはプラスして新しい事業にDXを当てはめる力やデザイン力、DX分野の先見性などを身に付けてもらいます。
プログラム構成は必修講座で基盤となる知識、選択講座で応用的な知識を習得してもらう形にしており、各個人に就業で獲得済みの知識・スキルに加えて、DX時代に対応するデジタル知識・スキルを身に付けてもらうことで、ハイブリット型の人材を育成することができます。本プログラムを受講することで、受講者は「業務をわかってアイデアを出すこと」「デジタルの技術で何ができるか」ということの両方の側面の視点を持ち合わせることにつながります。
具体的な内容はシート2のとおりです。必修のコア科目では日経ビジネススクールと連携した講座で、DX&データサイエンスの概念や事例を学びつつ、必修のコース科目で新規ビジネスの創造やデータサイエンスを学びます。選択科目では、まず「D」(デジタル)に関する事項として、データマーケティング、ビッグデータなど多様な分野のなかから好きな内容を選択できます。「X」(トランスフォーメーション)に関する事項では、デザイン思考・アート思考などの「イノベーション」に関する科目や、目標とする未来像に向けて今どういったことをするべきかさかのぼって考える「バックキャスティング」、確率・統計や行動経済学などの「データドリブン」といった、3つのアプローチを組み合わせて学べるようになっています。
オープンカレッジでDX化に取り組む企業の実体験やリアルな情報を学ぶ
次に、ハイエンド・ミドルエイジの両者を対象としたプログラムでは、2018年から実施しているオープンカレッジのうち、ビジネス講座のなかにデジタル分野に関する講座を用意しています(シート3)。ビジネス講座はマネジメント領域、ヒト領域、モノ・コト領域、カネ領域、情報領域の5つの分野を柱にしており、2023年の秋冬期では150講座、年間300講座ほど実施しています。
例えばビジネスリーダー向けの数字にまつわる知識を学ぶ講座では、銀行のエコノミストによるマクロ経済の講義や、財務省職員による日本の財政に関する講義が行われますが、このなかに企業のDX企画部の方による講義もあり、社内の膨大なデータという数字を事業に活かすための取り組みについてお話をしてもらっています。また、さまざまな企業の担当者から、自社のビッグデータを活用して経営に活かす先進的な取り組みについて紹介してもらう講座や、AI倫理に関する講座、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の導入に関する苦労・課題など実体験を講義してもらうプログラムなど、さまざまな学びを提供しています。
大学で学ぶことの意義とは何かを考えたときに、事業を進めているメンバーの1人が「大学って寛容な学び場ですよね」という話をしてくれました。会社の研修ですと、昇進・昇格に関わる内容が多くなりますが、オープンカレッジは講師が自身の失敗談を話したり、受講生も自分の過去の失敗談を交えてコメントしたりと、教科書に書いていない現場のリアルな情報を得られる場所だと考えています。こういった強みを活かして、今後も大学ならではの学びを提供していきます。
プロフィール
小原 正之(こはら・まさゆき)
東京理科大学 経営企画部 次長
自動車会社で人事労務企画等を担当した後、東京理科大学に入職。広報・研究支援など企業人材と多く関わる業務・分野を経て、現在は東京理科大学オープンカレッジの事務責任者を務める。2018年のカレッジ立ち上げ期から携わり、企画した講座は百を超え、コンタクトした企業は数百社に及ぶ。また、多数の大学でリカレント教育を修了するなど、自らもリスキリング分野についての学びを日々深めながら、教育業界内外への積極的な情報発信にも努めている。
(2024年6月25日 掲載)