事例紹介2 地域の取組 南米系の子ども・若者と家族の置かれた状況から考える

講演者
山野上 麻衣
一橋大学大学院 社会学研究科 博士後期課程/社会福祉士
フォーラム名
第128回労働政策フォーラム「外国にルーツを持つ世帯の子育てと労働を考える」(2023年10月13日-19日)

南米系の子ども・若者への支援について、地域の取り組みという視点から考えていきます。ここで南米系とは、主にブラジルとペルーを指しています。

南米系の人たちは、東海地方や北関東の自動車部品関連工場などで忙しいときは多く働き、景気が悪いときは簡単に切ることのできる、日本社会にとって都合のよい労働力としての役割を担ってきました。そのため、雇用や生活が不安定で、何かあるとすぐに困窮状態に陥ってしまうリスクが高くなります。リーマンショックやコロナ禍でも、そうした状況にありました。

「標準的で正しい」道のりが社会の息苦しさに

親世代のそのような姿を見てきた日本社会のマジョリティは、「子どもはそうならないように」と願い、日本社会の「標準的で正しい」大人への道のりへとなんとか導こうとします。しかし、「大人であることの意味」や、「大人になるための道のり」は、不安定化・流動化していると指摘されています。社会のマジョリティ、つまり、制度や政策を作ったり、学校教育など制度のなかで教えたりする側は、過去のものになってしまった「標準的で正しい」大人への道のりが今でも有効だと思っています。しかし、すべての若者にとってそのような道のりが開かれているわけではありません。

特に不利な状況のなかで育つ若者たちについて、かつて「標準」と思われていた道のりに引き戻そうとする対応はうまくいかないことが、海外の研究で指摘されています。若者の現実やニーズを見ない「包摂」策には、善意の意図とは逆に、「支援に値する」若者をより分け、序列化し、「支援に値しない」と見なされた若者を排除する危うさがあるとされています。このような「包摂」は、一元的な「よい生き方/正しい生き方」への同化を求めるものでもあります。「包摂」そのものがもたらす息苦しさも日本社会の問題として指摘されてきています。

若者たちが、大人が思うような大人への道のりを歩まなくなった背景には、社会構造の変化があります。このような状況のなかで、昔ながらの「大人への道のり」に若者たちを何とかしてのせていこうと、若者たちの意欲や能力に働きかける「キャリア教育」で解決しようとする考え方が強くあります。ですが、移民の若者たちは、日本社会の「常識」にとらわれない生き方の指針や考え方をもっていることも多く、キャリア教育は響きにくいと考えられます。

地域なら論理や制度の枠組みから離れた支援ができる

それでは、このような状況のなかでの取り組みを具体的に見ていきたいと思います。ここで、「地域」で取り組むことの意味について、3点あげます。

第1に、学校教育のマジョリティの論理から距離をとれる位置にあるということ。第2に、移民の子ども・若者や家族の生活空間と近いこと。第3に、活動が制度の枠組みに縛られないということです。

制度の枠組みに沿って子ども・若者を教育する学校と比べて、地域での取り組みは、子ども・若者の現実から出発し、それに合わせた支援活動を行うことができます。免許制度などにも縛られないので、支援者や、関わる大人の多様性も高めることができます。これは、多様な子ども・若者を支援するうえでは実は非常に大切なことです。

それでは、実践のなかの4つの場面から、具体的に考えていきます。まずは、愛知県豊田市などで活動するNPO法人トルシーダによる活動です。外国につながる子どもやその支援者向けの進路ガイドブックを作成するプロセスです。私自身も、この作成に少し関わりました。進路ガイドブックのなかの「進路フローチャート」を作るときに、どのようなことを考えたかを紹介します(シート1)。

ここでは、日本の教育制度がどう流れてつながっていくかを説明しながら、海外の学校教育制度との接続関係も説明しています。流れは、どこに向かって流れていくのか。また、一方向の流れとして表現してよいものかどうか。進学や就職がゴールではないはずだ、という話し合いをしました。また、一度働いたあとで、学校に戻ってきてもいいし、実際にそういう若者はたくさんいるという話も出ました。最終的には、右上に「働きはじめてからでも、いつでも学びなおしはできます」とのメッセージを入れるということで話が落ち着きました。さらに、出産・子育てを経てからまた勉強してもいい、そういう生き方があるのもまた現実だという話も出ました。どのように表現をするのがよいのか、時間をかけて話し合い、「自分が考えた道を進む」としました。

次に、NPOの総会で全体的な事業の実施状況を振り返るなかでの、ひとりのスタッフの発言についてです。教室に通っていた17歳の女性が出産し、時折、赤ちゃんをベビーカーに乗せて教室に寄ってくれることが報告されました。スタッフは「まずは、無事に出産できてよかった」、そして「いつか彼女がまた次のステップに踏み出したいと思う日が来れば、それに寄り添える場でありたい」とコメントしました。進路ガイド担当者だけではなく、団体として、多様な大人への道のりを支えるという意識が共有されていることを感じました。

ひとりではなくみんなで一緒に進路を考える

そして、進路ガイドの表紙についてです。デザイナーから最初に出てきた案は、おしゃれなカフェで、進路についてひとりで考えながら手帳に書いているイメージです。この原案をひとめ見たトルシーダ代表は、「ひとりで進路を考えるのではなく、みんなで一緒に考えている雰囲気にしてほしい」と言い、進路ガイドも「ひとりで読むのではなくて、友達や支援者や親と一緒に読んでほしい」との考えです。リクエストを受けて、飲み物が増え、コーヒーをもつ手も加わることで、対面に人がいて一緒に話している印象に変わりました(シート2)。

次は、NPO法人可児市国際交流協会の活動の話です。この団体では、若者世代を対象としたキャリア教育の一環として、多様な課外活動を実施しています。その1つが映画づくりのプロジェクトでした。

身体を大きく使って巨大な絵を描く表現活動なども組み合わせ、必要に応じて通訳も介しながら、日頃の教室活動のなかでは十分に聴き取れない若者たちの思いを引き出して形にしています。映画のなかの1つのシーンで、日本で中学校を卒業し、高校進学しなかったブラジル人の女性が日本語で発言します。ブラジルに暮らす48歳の叔父が、やりたいことができたから、大学に入って、その関係の仕事に就いたと言うと、「ブラジルでは若くない人が大学に行くことは普通」「やりたいことが見つかったときに大学に行く、それでいいんじゃない?」と。

日本では大学は18歳で入学するものだという考え方が強いですが、実際にそうなっているのは世界のなかで日本だけで、特殊な社会になっています。ブラジル社会では、大人が働きながら大学に通うことが当たり前です。日本でいう小中学校・高校教育についても、日本ほどに均質に急速に普及しなかったことを背景に、学びたいとき、学べる条件ができたときに、いつでも学べばよいとの考え方が広く根づいています。子ども・若者時代に基礎教育や高校教育にアクセスできなかった人が使える教育制度も充実しています。このため、ブラジル人の親は、「本人が行きたくないなら、無理にいま高校に行かなくてもいい」「いまはお金がないから、とりあえず働いてほしい」と言うことがあります。

ただし、日本社会は15歳のほぼ全員が高校に進学する社会ですから、その違いを考えたときに、どのように介入するのがよいかはケースバイケースだと言えます。大切なのは、「教育や子どもに無関心」「お金のことしか考えていない」と、ダメな親というレッテルを貼って非難したり、切り捨てたりしないことです。

「日本社会で何とかうまく生きてほしい」という思い

ここから先は、この2つの事例に何が共通するのかをみていきます。

まずは、日本社会の「標準」や「正しさ」との距離のとりかたについてです。「標準」のルートを歩まないことが日本社会でどれほど不利になるかは、切実に理解されています。いずれの団体も、日本語教育や高校進学に向けた教科指導にも極めて熱心で、若者たちの選択肢を広げようと日々努力しています。不利を生じさせ、維持させる日本社会へのまっとうな怒りもあり、無責任に移民の若者たちの「自由な生き方」を礼賛しているわけではありません。

しかし、目の前の若者たちは「標準」のルートから外れながら、それでもなんとか生きていこうとします。若者たちと出会い、顔の見える関係性を築いたからには、「高校に行かない人や中退した人の面倒はみません」「学校の進路指導にのらない人や、若くして妊娠・出産した人は勝手にやってください」と突き放すことはできないと、これらの団体では考えています。一方で、「日本社会でなんとかうまく生きてほしい」という願いがあります。しかし、目の前の若者たちの存在や生き方を否定したくはない。ギリギリの苦しいバランスのなかで、迷い悩みながら、日本社会の「標準」や「正しさ」を問う視線が鍛えられているのだと考えられます。

移民の若者たちやその親が、自分たちと異なる考え方をもっている可能性を十分に認識し、とりあえずいったん受け入れ、「相手を知り、理解するために声を聞く」という姿勢があります。相手の声を聞くから日本の「常識」が相対化され、日本の「常識」を当然視しないから、耳を傾ける姿勢になっています。このような姿勢があるからこそ、若者たちやその親との間で信頼関係ができると言えます。

事例であげた2団体には、映画や進路ガイドブックなどを発信する力があります。ここまでの発信力をもつのは簡単ではありませんが、「気づきと変容」の過程は、程度に差はあっても、おそらく、移民の子ども・若者と関わる多くの現場、特に「地域」における実践のなかで生じているのではないかと考えられます。

これらの団体に共通する志向性として、最後に1つ重要な点をあげておきます。いまの社会の特徴として、いろいろなつながりや仲間関係がバラバラにされて、個人がひとりで、他人を蹴落としてでも強く生きることが求められる面があります。しかし、事例の2団体では、いろいろなレベルでの共同性、つながりを作ることにも価値が置かれています。このようなつながりを作ろうとすることは、若者たちのアイデンティティ形成の基盤や、周囲の人たちとの関係性を豊かなものにし、支え合うことの意味を問い直してくれます。

地域の現場から新しい社会のあり方を考える

不利な層の子ども・若者を対象とした実践は、どのように私たち並みに教育するかという発想に陥りがちです。しかし、私たちが前提としてきた「標準的で正しい」大人への道のりや、それを支える社会のモデルは変容していて、そこに若者を押し込むような対応は、もううまくいかない状況にあり、そういう対応が、不利な層以外の人たちにとっても、社会を息苦しいものにしてしまうという問題もあります。

変化する社会の中で、昔ながらの「標準」を取り戻そうとするのではなく、いまとは異なる社会のあり方を考えていく必要があります。その芽はきっと、制度の外側でがんばっている「地域」の現場にあると、私は考えています。

そのような現場でがんばっている方々、地方自治体や助成団体や関係の方々、みなさんと一緒に、よりよい社会を目指していければと願っています。

プロフィール

山野上 麻衣(やまのうえ・まい)

一橋大学大学院 社会学研究科 博士後期課程/社会福祉士

2000年代半ばに東海地方の外国人集住都市の不就学対策事業にて、ブラジル人を中心とした子どもたちへの学習支援や家族への相談対応に従事。その後、リーマンショック後の経済危機対策として実施された全国的な不就学対策事業を担当。現在は一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程に在籍。移民第二世代の若者を対象として、困難や不利のなかで育つ子どもや若者、またその支援について研究している。社会福祉士。

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