記念講演1 熟練・分業論から見た人事制度改革の方向性

講演者
梅崎 修
法政大学 キャリアデザイン学部 教授
フォーラム名
第124回労働政策フォーラム「日本の人事制度・賃金制度「改革」」(2023年2月6日-9日)

「調査の労働経済学」と書いた理由

私の著書『日本のキャリア形成と労使関係』の副題は少しこだわって、「調査の労働経済学」としています。聞き取り調査は社会学や経営学ではかなりよく使われている手法ですが、経済学では少ない。私自身は、経済学のテーマを聞き取りで分析することは非常に大事だと思っており、あえて付けました。

他の経済学の実証では、まず大きな体系的なグランドセオリー、全体理論があって、そこから個々の仮説が導出されています。それを実証するのが調査で、仮説検証の研究が発展してきました。一方、聞き取り調査は、現場に行って新たな事実を見つけてくる側面がありますので、あまり理論に縛られて現場に行きたくないのです。帰納的推論とか、アブダクション(遡及的推論)と言われていますが、現場での発見や個々の事例の中から理論・概念を作り出していくことに私は調査屋としてこだわっています。今日は、そのポイントをお話しします。

本書の3つの挑戦

本の序章で、3つの挑戦をしたいと、大きな風呂敷を広げています。

1つは調査のモデルの刷新です。調査の中から生み出したモデルとして、これは知的熟練論という故小池和男先生(法政大学名誉教授)が作り出した理論ですが、これを少し別の理論に置き換えることはできないか、とチャレンジしています。2つ目は、聞き取り方法の改良です。特にホワイトカラーの職場は、ブルーカラーに比べるとなかなか聞き取りが難しく、そのホワイトカラーの職場をどれだけ細かく聞くことができるかにチャレンジしてみたいということです。3番目は対象の拡張です。特に労使関係の研究は最近減ってきており、まだまだ分析されてない調査対象がたくさんあるという理由から、調査を行いました。

今日は、時間の関係で、特に調査モデルの刷新を中心にお話しします。

聞き取りモデルの再構築

分業論や熟練論は古典派経済学の時から扱われてきた非常に大きなテーマで、代表的なのは、アダム・スミスです。国富論は工場の分業から分析を開始していますし、マルクスは、最初は価値形態論から始まりますが、その後で分業編成について細かく考察しています。

熟練や分業は、その工場・企業なりの生産性を規定する最大要因とも言えるものです。ただ、これを測定するのが非常に難しく、スキル自体を数値化することは難しいので、計量分析では学歴や教育歴という代理変数を作って分析するのがオーソドックスなやり方です。他学問と違う経済学の特徴は、分業編成と、人びとの能力をセットで分析したい、という一貫したテーマを持っている点です。

本書でも、知的熟練論を解読しています。知的熟練論の革新性は、内部労働市場論として、日本的雇用システムの機能的条件を分析したところだと思います。なぜ、日本企業に内部労働市場があるのかを説明するため、長期雇用慣行や昇進システムの機能や原理を明らかにしました。特に80年代、日本経済は好景気であり、その成長を説明する原理として、社会的にも広がり、故青木昌彦先生(スタンフォード大学名誉教授)をはじめ、理論経済学の分野にも大きな影響を与えました。

小池理論を先行研究として整理している時に、小池和男と言えば聞き取り調査の代表格だと考えますが、フィールド調査全体の中で小池理論は少し特殊、極端に言えば異端であり、あまりにも経済学的であるのではないか、と考えました。

「小池方法論の2条件」とは、私が勝手に名付けたのですが、基本的には聞き取り調査時に仮説が先行してインタビューをしていきます。仮説は改変されますが、仮説を作りながら聞いていくべきだと、その仮説は最終的にシステム論的に考えられています。

もう1つは、行動主義に基づく実証で、あなたはどう考えていますか、とか、今どう思っていますか、と語ってもらい、その言語情報を分析するのではなくて、基本的にその人が喋っていることの裏に、目で見て分かるような行動があると想定しているということです。

いくつかの概念、社会現象は相互に支え合っている構造になっています。一つひとつに機能があり、機能間の連携がはっきりしています(シート1)。

例えば、知的熟練は、何か職場における異常や変化が起きた時に、対応できる人とできない人がいて、対応できる人は知的熟練を身に付けていると想定しています。聞き取り調査の仮説として、「工場の生産労働者が身に付けているのは、諸外国と比べて珍しいのではないか」「その人達が活躍しているのは、分業編成としては分離ではなくて統合だ」と指摘した。だから統合方式と知的熟練はセットで使われると考えられています。

そのような知的熟練は、OJT(On the Job Training)で身に付けます。統合方式を取っていると生産労働者がOJTを受けやすい。つまり、熟練、分業、育成の3つが支え合っているような状態です。このトライアングルを支えるのが、人事制度と労使関係です。人事制度(例えば、遅い選抜方式、ブルーカラーのホワイトカラー化、ブルーカラーの能力指揮のしやすさ)など様々な諸制度があり、これらを労使で決定していくようなホワイトカラー化組合モデル、労使協議制がある。これらも観察できる。シート1にある四角の中は、新しい概念で測定指標がつくり込まれている。調査時に何を聞き、何を考えればいいかが非常に分かりやすい。

ただ、日本経済は1990年代後半以降、長期停滞に入っていきます。それゆえ、この知的熟練は無効なのではないかという批判も生まれたと思います。私は、知的熟練は日本経済の熟練や分業を全部説明できるものではなく、「この職場とこの現象を説明できる」と、本来ならば限定的に使うべきだと考えています。古い調査理論フレームが、対象が変化しているのにずっと使われ続けているとも言えます。

知的熟練論を批判・限定する

知的熟練論では具体的に何が説明できないかというと、私の回答は、改善活動を説明できないということです。

この知的熟練の測定指標は、異常と変化への対応です。この不確実性への対応は、端的にいえば何か起こった時のリアクションで、例えば工場がうまく回っている状態を定常状態Aとするならば、異常や変化が起きた後に対応してAという元の状態に戻すことが知的熟練です。しかし、改善活動は根本的に原理が違います。最初定常状態Aの状態で回っていたシステムを破壊して創造し、新しい定常状態Bにする。これは単純なリアクションの集合ではないと言えます。

何かクリエイティブなものが、改善活動の中には含まれている。しかしそれは、このように知的熟練として定義してしまうと説明できないものになってしまう、というのが、私の解釈です。

小池先生自身も知的熟練論を作った後に改善活動をかなり調査しています。しかし、改善活動をどんなにインタビューして分析したとしても、その活動に対応する熟練論がないので、つまり、観察された現象だけが先行していると思います。

この2008年の御著書の中にこの図があります(シート2)。縦の矢印は時間軸です。

工場を作る時には、まず生産面の設計があり、量産段階に入ってから変化や異常への対応が起きる。生産ラインの設計を細かくみると、初期設定もありますが、改善活動は生産ラインの小さな再設計と考えられ、この生産ライン自体を変える能力と、既存の生産ラインで変化や異常に対応するのは、別の能力だと定義したほうがすっきりする、というのが私の解釈、整理です。

「工程設計力」と言いたい

私の研究では「職場を構想する力」という言葉で表しています。何をどのように構想するか、どう観察するか。私は、「工程設計力」という言葉をあてはめ、工程設計力を持った人が職場をどう変えているかを細かく分析しました。

観察という方法を説明します。まず基本的には、職場には「工程の流れ」があります。その「流れ」を変えるのが工程の設計と定義できます。具体的には、工程の変化を測定するには、治具や機械の配置を見ます。これらを変えると、職場の工程ラインが変わるので、その治具を測定して、それを誰が変えたか、変えられないかで工程設計力を分析できると考えました。

知的熟練というのは、だいたいの目安ですが、10年程度で9割程度の人が身に付けることができると捉えています。一方、私が言う工程設計は、少なくとも職長やマネージャークラスでなければ身に付けられない、逆に言えばそのクラスの人が身に付けるものであり、修得に時間がかかり、なおかつここが重要ですが、時間をかけても身に付けられない人がいる。

そこに昇進選抜が生まれてくると考えられるわけです。ただ、これはまだ研究の志半ばでして、工程設計力という言葉は少し硬く、またブルーカラーは分析しやすいけれどもホワイトカラーでは難しいという課題はあります。

さらに、構想力や全体的な総合判断に類する技能概念がセットにならないと、知的熟練のような理論-作業仮説―測定尺度というサンドイッチ構造ができないのかもしれません。

ホワイトカラーにおける分業・熟練編成の分析に挑戦

本書の第2のチャレンジについても簡単に説明します。ホワイトカラーの現場での分業・熟練編成の分析に挑戦しました。

実際、1990年代以降、職場の聞き取り調査はホワイトカラーに移っていきます。しかし、本当にホワイトカラーの現場で、分業編成や仕事の配分、熟練が聞き取れたかというと、私はかなり限界があったと思います。単純に聞き取りが難しいということはあります。また、人事マイクロデータのような賃金、資格・役職のデータは、ホワイトカラーは比較的入手しやすく、分析研究が進んでいますが、この情報だけで狭義のキャリア分析に偏った発展をしています。だからホワイトカラーでもやはり仕事配分や分業という質的情報を分析すべきだと考え、職場で非正規化が進むと仕事の内容がどのように変わるか、分業編成をできるだけ概念化し、研究者が聞ける範囲の限界にチャレンジしました。

第5章のホワイトカラーの調査では、メンタル不調者が復帰の過程で、仕事配分がどう変わったか、同じ職場の仕事をタイプ別に4分類し、復帰過程のパターン図を構築しました。つまり、ホワイトカラーの分業編成の変動を動態的に把握して、仕事がどう配分され続け、分けられるのかを分析したことになります(シート3)。この手法はブルーカラーの調査で行ってきたことと基本的には変わりません。

ただ、調査測定指標をうまく職場ごとで変えなければならず、工夫しながらの研究になっていると理解いただければと思います。つまり、職場の編成を誰かがやっているわけです。仕事配分だと言ってもいいし、人材配分とも言えますが、その配分をうまくできる人とできない人がいる。先ほどの工程設計で言っていることは、ホワイトカラーの職場にも基本的には当てはまり、職場を構想する、職場を切り分けるといった能力をできるだけ客観的に分析し、その同じフレームで分析しました。

3番目のチャレンジである「対象の拡張」についてもひと言だけ触れると、分業編成のルールをどのように決めているのかに関心があり、労使関係をかなり細かく分析し、労使で取り決める様々な側面を分析しました。

人事制度改革への実践的含意

最後に人事制度改革への実践的含意や希望、思いなどを述べたいと思います。私の研究は基本的には現場の原理を知りたいという探求心から生まれています。今回、ここでわかったことが今後の人事制度改革にどういうインプリケーションがあるかを考えてみました。

今、人事制度改革では、リスキリング、成長分野への学び直しという言葉が人事の業界で頻繁に使われています。しかし、私のような調査屋からすると、リスキリングって何を学ぶのかなと言いたい。成長分野で役に立つ能力はあるかもしれませんが、例えば50代になって急に別の産業にぽんと移っても、どのような育成が可能なのか、目標がイメージしにくい。ということは、キャリアモデルやキャリアの目標が、社会的、具体的なものとして構築されていないのだと思います。

日本の働く世界を俯瞰してみれば、様々な人材がいるわけです。例えばAI人材といった非常に高度なスキルや能力を持ったいわゆるスター人材はいます。その人たちにも人事施策が重要なのはわかりますが、雇用システム全般を変えるようなものではなく、出島的な対応で可能かもしれません。では、日本企業の雇用システムの中で、大多数の人が目標にすべき熟練とは何か、どういう分業編成にすべきか、いまその座標軸がないのではないか、と日頃思っています。

知的熟練は、実は座標軸であったと言えると思います。かつては日本の競争力を高める時には、みんなが知的熟練を身に付けようとしました。しかし、その結果、抜擢ができず、課長や部長にみんながなってしまった、ということだと思います。

1990年代、日本の特長は遅い昇進慣行で、遅い昇進慣行は大多数の人にモチベーションを与え、非常に経済合理性がある、と小池和男先生もおっしゃっていました。しかし、当時言われていた「遅い」とは、だいたい課長で15年、部長で20年だったと思います。これを今聞くと、逆に早いと思いませんか。今は端的に「遅すぎる昇進選抜」になっていて、何らかの抜擢する論理が必要なのだと思います。抜擢論理の1つはジョブ型人事制度改革で、様々な解釈がありますが、実際に行われているのは、このシャッフルを早め、ポストから人を剥がす論理として使われているのかなと思います。

しかし、人事の方針として皆に認められるためには、「この人はこういう優秀さだから抜擢するんだ」と、社内で合意されていることが必要だと思います。知的熟練の上のレベルに、2割の社員しか身に付けられない工程設計力があるとするならば、「この人を選抜する」という理由が広まらなければならない。明らかに知的熟練と工程設計の間に壁があるということを皆が合意すれば、選抜もしやすくなり、この拡大解釈をやめることができるのではないかと思います。

実は、知的熟練論の拡大解釈は、定義していること以上に、実現してほしいという願望が「ふくらみ」を生んだと思います。人事も現場も、やはり90%の社員が達成する育成目標を求めていた。なぜならば、みんなの目標であったから。つまり、実態ではなく、願望が概念になっている。それが、流行的人事用語だと考えられると思います。職能資格制度、職能給という職能主義は、願望された能力感を内包しているのです。これはモチベーション管理、キャリアデザイン施策としては有効であったがゆえに、逆に人事制度としての歪みを作っているのかもしれない。

私は学者だから、「無理ですよ、はい事実です」と言ってよいのかもしれませんが、人事制度改革にとっては「人事の言葉」が必要だと思います。すなわち、人事の言葉は、実態と目標という両義性を持っている。みんなの目標になったら、20%しかなれないと思っていたけれど、頑張って30%の人が達成できるかもしれない。学問的厳密性も片目で持ちつつ、流行歌的に人から求められる言葉であるという両義性を持った「人事の言葉」というのは、少なくともリスキリングではないでしょう。

いま、何かそういう言葉をわれわれは見出していないのであるなら、これは学者の役割を超えることとなりましょうが、皆さんと一緒に作ってみたいとも思います。そういう両義性がある言葉、言葉の力が、社会で作られるかどうかは、人事制度改革の1つの課題ではないかと思っています。

プロフィール

梅崎 修(うめざき・おさむ)

法政大学 キャリアデザイン学部 教授

専攻は労働経済学、人的資源管理論、労働史。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。日本キャリアデザイン学会副会長、日本労務学会副会長。20年以上、数々の人材マネジメントとキャリア形成の調査・研究を行う。主な著作としては、単著『日本のキャリア形成と労使関係』(第45回労働関係図書優秀賞、慶應義塾大学出版会、2021年)、『仕事マンガ!─52作品から学ぶキャリアデザイン』(ナカニシヤ出版、2011年)、共著『「仕事映画」に学ぶキャリアデザイン』(有斐閣、2020年)などがある。また、連載対談として「人事のアカデミア」(Works)がある。

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