報告・討論(1) EBPM分析レポート・時間外労働の上限規制

フォーラム名
第120回労働政策フォーラム「ワーク・ライフ・バランス研究の新局面─データ活用基盤の整備に向けて─」(2022年3月3日)
報告
戸田 淳仁
厚生労働省 政策企画官(政策統括官付参事官付統計・情報総務室併任)
討論
宇南山 卓
京都大学経済研究所 教授

報告

レポートを公表した背景

厚生労働省内では若手チームを設置して分析を実施

政府全体で進めているEBPM(Evidence Based Policy Making)に関連して、厚生労働省では、EBPMの推進に向けて、「若手・中堅プロジェクトチーム」を設置しています。EBPMの実践を通じた統計の利活用を推進し、厚生労働省職員が統計データに係る分析手法を習得できるようにすることを目的とし、有志の職員が参画して、データの利活用という観点から分析を進めています。私がチーム長を拝命していますので、本日は私のほうから分析レポートの内容について報告します。

時間外労働の上限規制について

日本は長時間労働者の割合が高い

「時間外労働の上限規制」についての分析結果について説明します。

いわゆる長時間労働問題について、いくつか課題があると認識しています。日本の平均労働時間は突出して長い状況ではありませんが、長時間労働者の割合が高い。また、長期間の過重業務により、いわゆる過労死も含めて脳・心臓疾患を発症する傾向がこれまでのエビデンスで分かっています。そのため、長時間労働している人の労働時間を削減することが求められているところですが、やはり長時間労働を考える政策としては、企業のマネジメントのあり方や業務のプロセスの見直しなど、様々な手だてを考えて進めていく必要があると認識しています。

レポートでは、上限規制導入で長時間労働者割合が低下したかに着目

長時間労働に関してはこれまで、割増賃金率の引き上げや、時間外労働を見直した企業に対して助成金を支給するなど、いくつかの政策を実施しています。今回のレポートで注目したのは、時間外労働の上限規制を導入することによって、長時間労働をしている者の割合が低下しているかといった点です。

時間外労働の上限規制は、2019年4月1日からいわゆる大企業に、その1年後に中小企業に導入され、月45時間、年で360時間の時間外労働を超えないことが原則とされました。そうした規制を導入することによって、果たして時間外労働の上限を超える事業所や労働者が減少しているのかに注目しています。

ただ、この分析では短期アウトカムに限っていて、長期アウトカムである脳・心臓疾患の件数については、まだ分析できていません。

分析データ

回帰不連続デザインを用いる

今回の分析では、資本金の情報を用いて、回帰不連続デザインという手法をとりました。

分析データは、厚生労働省所管の統計調査のうち、長時間労働している者の割合が把握できる統計ということで「賃金構造基本統計調査」(賃金センサス)を活用しました。

この賃金センサスは、毎年6月の1カ月の状況を把握しており、回答をお願いした事業所において労働者の一部を抽出し、その人たちの労働時間や賃金について回答していただく調査です。労働時間に関しては、所定内労働時間数と超過実労働時間数を把握しています。法律で定められている時間外労働は週40時間を超えて働いている労働時間に限っているため、所定内労働時間数や超過実労働時間数が企業によって異なり、時間外労働が超過実労働時間数と必ずしも一致しません。そこで、ここでは、超過実労働時間数と所定内労働を足して、8時間×実労働日数の月換算した法定労働時間数を引いた形で推計しています。

また、この時間外労働の上限規制の適用に関して、除外されている産業や職業が含まれる、建設業や運輸業、医療福祉については、集計対象外としています。

経済センサス活動調査とマッチング

今回の分析においては、賃金センサスを活用するだけでなく「経済センサス-活動調査」との連結を行いました。賃金センサスでは、資本金を把握してないため、中小企業とそれ以外を厳密に分けることができません。

そこで、「経済センサス-活動調査」という、賃金センサスや他の事業所統計のいわゆる母集団情報に近い情報を提供している統計調査の、2016年と連結し、この統計調査の資本金を使って分析しました。1つの統計調査では、必要な項目が全て把握できないところもありますが、いわゆるマッチングキーと呼ばれる複数の統計を連結できるようなキーがあったことが、今回の分析を進めることができた要因と考えています。

分析結果

資本金の閾値近辺で上限規制により長時間労働が抑制

続いて分析結果を紹介します。

シート1は、回帰不連続デザインでよく書かれる図です。この図は横軸に資本金を取り、特に先ほど紹介した閾(しきい)値の差額を事業所それぞれについて計算し、それを横軸に取ります。縦軸には、事業所単位で時間外労働が月45時間を超える正社員の割合を取っていて、点に当たるものが各事業所の状況です。

シート1 2019年の回帰不連続デザインの分析結果
資本金が閾値近辺において、長時間労働割合に段差が見られる。閾値近辺においては、上限規制により、長時間労働が抑制されている効果が伺える。

この図の中で、だいたい5%以下で赤い直線を引いていますが、こちらは各事業所のデータを回帰直線において近似させたものです。この図は2019年の状況で、この時点においては、いわゆる資本金が閾値を超える、言い換えるとゼロを超える点では時間外労働の上限規制が適用されています。一方でゼロを下回る点は上限規制が適用されておらず、この閾値近辺で政策の効果が見られるかを検証しています。

この図の、ちょうど青い太めの矢印が示していますように、ちょうど閾値のところで段差が見られます。この結果が、1つの解釈として、時間外労働の上限規制を大企業に適用した影響があるのではないかということを示しています。

違った時点や回帰分析でも上限規制の影響を確認

もう少し確かめるために、異なる時点でも分析しました。1つは2016年のデータで、いわゆる働き方改革実行計画が策定された前年ですので、時間外労働の上限規制という考え方が世の中に知れわたっていない状況の図です。

シート2の左側の図をみると、やはり閾値のゼロの近辺では、若干段差が見られますが、先の2019年ほど大きな段差は見られません。

シート2 2016年、2020年の回帰不連続デザインの分析結果
他の年次において同じような図を考察すると、資本金の閾値において段差が見られない。令和元年においてのみ、閾値における段差が見られたため、上限規制適用による効果が示唆された。

もう1つ検証したのは、2019年には、大企業のみならず中小企業においても時間外労働の上限規制が適用されていますので、そこの段差の状況を見ました。2019年に関しても、それほど段差が見られないので、やはり先の2019年の状況は、時間外労働上限規制が一部の企業に適用されたことによるのではないかと示唆されます。ちなみに、2020年は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で時間外労働をしている者の割合は全体的に低くなっています。

今、お示しした図の結果を、回帰分析でも確認しました(シート3)。その結果、閾値超ダミーにおいては、2019年においては有意である一方で、それ以外の年では有意ではないと、回帰分析によっても示されました。

シート3 回帰分析の結果

今後の課題は長期アウトカムへの影響検証

今回の報告は、時間外労働の上限規制が大企業のみに導入された2019年に注目して分析しました。回帰不連続デザインの結果、やはり閾値前後における事業所で、時間外労働の上限規制によって時間外労働が是正される効果が認められたのではないかと考えています。そういう観点では、時間外労働の上限を設け、一律に規制する方法は、時間外労働を削減し、健康被害を防止する観点からは効果的な手法であると考えています。


討論

戸田氏の報告に対するコメント

省庁自身が複数の統計をマッチング、新しい手法での分析という点は画期的

宇南山 論文は、時間外労働の上限規制の導入とその効果について論じたものです。2019年4月1日に上限規制が導入されて、ただし、中小企業は1年猶予があったということで、大企業と中小企業の境目のあたりで、どんなことが起きていたのかを検証したレポートです。

結果としては、45時間以上の時間外労働をする労働者割合が約3%引き下げられていた。言い換えると、上限規制を導入することで少し長時間労働する労働者が減らせる、という結果になっています。

この論文は、省庁自身が複数の統計をマッチングしたうえで使う、さらに、Regression Discontinuityという比較的新しい手法を使って分析した点では非常に画期的なもので、高く評価したいと思います。

単純に企業規模別に長時間労働の増減を観察する素朴な方法も

技術的なコメントを言えば、回帰不連続分析をしていますが、そもそも企業規模と長時間労働にどういう関係があるのかという点について必ずしも十分な分析がされていない。つまり、もともと中小企業は長時間労働が多かったのか、少なかったのか。そこがはっきりしないと、何のために回帰不連続分析をしているのかが分からないことになってしまうので、まずそれを示してほしかった。

もしも別に企業規模と長時間労働にあまり関係がないということであれば、あまり高度なことをしなくても、単純に企業規模別に長時間労働の増減を観察する素朴な方法もあり得たのではと思います。

長時間労働している人の職種・産業を示してもよかった

さらに分析の結果としては3%ぐらい減ったということですが、そもそも77.7%の事業所では長時間労働がゼロという結果が示されていたわけです。だとしたら、もしかすると被説明変数は何%の人が長時間労働しているかではなくて、長時間労働をしている人がいるかいないかというようなもの、例えばロジックなどの分析をしてもよかったのかなと思います。

さらに追加的に示したらよかったなと思う情報としては、規制導入後も長時間労働をしている人が、具体的にどのような職種・産業の人だったのかを、概要でよいので示していただければと思いました。また、約4分の1の事業所はどんな事業所なのかという情報もあればよかったかと思います。

これで政策立案できるか、という問題意識

より根本的なところで少しコメントしておきたいと思っているのは、本当にこれはEBPMなのかという点です。上限規制という政策の評価としては非常に有効ですし、信頼性があると思っています。ロジックモデルが内閣府などで推進しているEBPMの様式には極めて沿っていて、結果として上限規制という法律の変更の効果がゼロではないことを示せたのは良いのですが、これでは政策立案はできないのではという問題意識があります。

例えば45時間の規制をかけたけれども、45時間に根拠があるのか、本当に重要な閾値なのか、他の政策手段とどういう関係にあるかが示されていない。さらに、必要のない時間外労働をなくしましょうという表現が使われているのですが、必要もなく生命をかけるような長時間労働をしているとは考えにくいわけで、人々がなぜ長時間労働しているのかという部分に踏み込まずに、法律を作って規制する、それで本当にいいのだろうかという疑問が残ります。

様々なエビデンスを集めて、背景やリスク等の全体の議論を

私が今後ぜひともやっていただきたいと思っている分析についてコメントします。

労働時間はどうやって決まっているのか。誰が決めているのか。個人に任せていては生命に関わるような長時間労働をなくせないと思うのはなぜなのか。仮に規制をするとしたら、厚生労働省の監督は可能なのか。労働者は、なぜ長時間労働をしてしまうのか。どの辺でリスクが上がって、どのようなリスクがあるのかについて、定量化する。これは必ずしも厚生労働省がやる必要はないと思いますが、こういったエビデンスを集めたうえで全体の議論をしていただけたらよかったなと思いました。

宇南山氏のコメントへのリプライ

行政官自身もデータ分析し政策立案につなげていきたい

戸田 貴重なコメントをありがとうございました。

技術的なコメントに関しては、コメントを踏まえ検討していきたいと思いますが、3点目の被説明変数についての「いるか、いないか」でもよいのではないかとの点ですが、これは実は裏で分析をしています。ただ、今回、レポートという形で示すという観点から、先の回帰不連続の散布図が分かりやすいだろうということで、結果としては示していません。

続いてEBPMに関してのご指摘はまさにそのとおりで、人によってEBPMの捉え方がかなり違うのではないかと考えています。個人的には、研究者はいわゆるEBPMのうち、EB・エビデンスのところを重視し、行政官はPM・ポリシーメイキングのところに力点を置く、といった印象を持っています。

ただ、今回、ここで示したかったのは、行政官が特にエビデンスについて自分で分析をする、もしくはデータを観察してみる、そうしたスキルを身につけて、ぜひ良い政策立案につなげていきたいというところです。今回の分析では政策立案はできないというご意見はおっしゃるとおりで、やはり、われわれとしても、もう少し今のコメントを真摯に受け止めて進めていかないといけないと思っています。

研究で、45時間を超える場合の労働時間と疾病との相関関係が示されている

そのなかで、時間外労働45時間に根拠はあるのか、については、疫学研究には多くの長時間労働と疾病に関する研究があり、45時間を超えると、労働時間と疾病との相関関係が示されています。また、80時間を超えると過労死にも関連するエビデンスがあり、ある程度、関係が出てくるところを原則にしています。

また中小企業を猶予する根拠ですが、見方によっては厳しい時間外労働の上限規制に対応するため、時間的猶予を設けたところがあります。こうした規制を導入したり、政策を変更する際には、なるべく社会に対して大きな影響を与えないように、ある程度、猶予時間を設けて進めていくというところは、労働政策において大切にしているところですので、猶予期間に差があるところとなっています。

あるべきEBPMについては、そのとおりだと思っています。いろいろとすでにお示しいただいた論点に関してはエビデンスもあるかと思いますので、そういうものを受け止めて進めていければと思っています。


プロフィール

戸田 淳仁(とだ・あきひと)

厚生労働省 政策企画官(政策統括官付参事官付統計・情報総務室併任)

神奈川県生まれ。2002年慶應義塾大学経済学部卒業。民間の研究所等を経て、2019年より現職。現職においては、統計改革担当の企画官として、統計作成業務見直し、データ利活用、EBPMの推進等について取り組む。主な著作として、「職種経験はどれだけ重要になっているのか─職種特殊的人的資本の観点から(PDF:418KB)」(日本労働研究雑誌No.594、2010年、労働関係論文優秀賞受賞)等。

宇南山 卓(うなやま・たかし)

京都大学経済研究所 教授、日本学術会議 連携会員

東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。慶應大学、神戸大学、一橋大学などを経て、現職は京都大学経済研究所教授。日本経済・家計行動・経済統計が専門。現在、家計簿アプリを活用した家計収支調査プロジェクトを実施している。詳細については、RICH Project 新しい家計収支データ新しいウィンドウで公開中。

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