基調講演 共働き社会の課題

性別分業社会から共働き社会へ

共働き社会化は、ほとんどの先進国に共通する基調傾向と言ってもよいでしょう。近年、ダイバーシティという言葉が聞かれますが、日本社会全体では「多様化」はそれほど見られず、どちらかと言えば、男性が有償労働をして女性が主に無償労働をするという性別分業社会から、共働き社会へ移行・収束しているのではないか──。つまり性別分業社会という「旧い標準」から、「新たな標準」である共働き社会に向かっているのではないかということです。

それでは、共働き社会における問題を挙げると、まず、どう実現するかという課題があります。日本の男性は、どの統計を見ても家事をする時間が少ないという国際比較のデータがありますので、ジェンダー平等的なケア──家事や育児、介護といった無償労働──の再配分を可能にする働き方や制度が必要になるでしょう。

共働き社会化は最終目標ではない

もう一つは「新たな標準」に適合しないケースへどう対応するかという問題です。本当の多様性とは、例えば、生涯独身の人、夫婦だけの家庭、夫婦と子供、あるいは親一人子一人といった各々のライフスタイルを自分で選ぶことができる、または何らかの事情で選ばざるを得なくなっても、その選択が人生の不利にならないということだと思います。そうした意味では、共働き社会化は、少子化という社会的課題に対する一つの解決手段であっても、社会の最終目標でないことを強調したいと思います。

共働き社会は別の意味で「不自由な社会」

共働き社会は、例えば夫と妻が家庭で過ごす時間の絶対量が減るなど、性別分業とは別の意味で不自由な社会だと言えます。

性別分業社会では、専ら男性が有償労働をして主に女性が無償労働をするという「1対0」だったものを、この30年間で日本が目指してきたものは「0.5対0.5」に分ける方向性ではなく、「1対1」にしようとしてきたことでした。必然的に無償労働の時間がなくなり、その結果、総合職女性が辞めてしまう──。厚生労働省の調査では、2000年時点で総合職女性を採用した企業の大半で、10年後には総合職女性がゼロになっていたという結果もあります。ですので、やるべきことは有償労働をいかに抑制していくかということです。

「仕事と家庭の逆転」現象

は、米国のホックシールドという社会学者が「仕事と家庭の逆転」という奇妙な現象と例示したものです。時計を見ながら効率的に動くことを意識するのが、じつは職場ではなく家庭だったというもので、こうした逆転現象が目立つようになったというのが、アメリカの社会学者の観察の一つにあります。

この先、日本で労働時間が多少減っていくとしても、やはり共働きの場合は「家庭の時間は効率的に使わなくては」という意識やプレッシャーがどうしても生じてくるでしょう。

「家族の時間は、かつては職場の専売特許だった効率性崇拝に屈しつつある。その一方で、どんどん長くなる仕事の時間は、電子メールで友人と話したり、口論をなだめたり、噂話をするなどの社交を快く受け入れるようになる。…長い労働時間の中には、非効率なポケットがたくさん隠されていた。これに対して、平日、彼が目を覚ましている間に家庭で過ごす時間ははるかに短く、彼はその時間を意識して効率的に使っていた。…仕事で時間を忘れることがあったが、家庭では常に時計を見つめていたのである。」(ホックシールド『タイム・バインド』)

配偶者がいない・サポートできない家庭も普通に存在する

今、日本では男性の4人に1人が生涯未婚と言われており、生涯未婚率が非常に高くなっています。これは、例えば病気になった時に頼れる人がいないというように、何かあったら人生が転落しかねないリスクの高い社会になってしまうということです。

また、シングルペアレントの家庭も増えています。例えば子どもが熱を出した時、シングルマザーに対して「ご主人は?」と尋ねることはできません。伝統的には、働く男性が「奥さんは?」と訊かれていたことが、共働き社会になると「ご主人は?」と訊かれるかもしれない。

このように、専業主婦(夫)がいる働き手、働いているパートナーがいる働き手、そして誰もサポートする人がいない働き手では、それぞれ労働に投入できるエネルギーが異なります。つまり、配偶者がサポート資源として当てにならないような家庭が、今は普通に存在しているということです。小さな子どもがいる働き手に「奥さんは?」「ご主人は?」などと訊かなくてもよい社会が、本当は理想的なんだろうと思います。

多様なライフスタイルに応じたサポートを

共働き社会化は最終目標ではないと最初にも申し上げましたが、少子高齢化の問題に対応する重要な解決手段であり、当面目指すべき変化の方向性であることには違いありません。ですので、共働きの不自由さを抑制する制度的サポートを考えていくことは重要です。

その際の論点の一つは、育児期のみのサポートではなく、全般的な働き方の見直しをしなければいけないということ。育児期のサポートに偏ると、(そのサポートを受けている妻の夫である)男性が家庭での自分の役割が免除されていると思い込んでしまうという研究結果もあります。日本では、雇用機会均等法以降、男女平等の働き方や女性の総合職登用が推進されてきましたが、育児休業など育児期だけの制度を整えても問題は解決しません。もちろん本当に育児が大変な時期には集中的な支援は必要ですが、それが終わって職場に戻った時、「以前と同じようには働けない」として離職する総合職女性が後を絶たないのは、性別分業の名残があるからだと言えます。そうした性別分業の負担を感じている女性はまだまだ多いのではないでしょうか。余談になりますが、カナダに1年間滞在して感じたことは、敢えて「不便を甘受する」ということです。例えばエレベーターが故障しても、日本のように直ぐに修理して復旧しないことがあります。その代わりに働き手に余裕がある。日本は常に高いサービス水準を要求し過ぎる傾向があるように思いますので、多少不便になっても余裕のある社会を許容する合意を見出していけるのではないか、という気がしています。

二つ目の論点は、共働きを前提にしすぎないこと──。つまり、多様なライフスタイルに応じたサポートをすることです。突然、配偶者が重い病気にかかってしまう、あるいは怪我をして障害を負ってしまうというように、リスクは誰にでも付きまとうものです。そうした場合でも、多少の余裕があれば乗り切れるというようなサポート体制を行政、企業が協力して作っていく余地はまだまだあると考えています。

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